旅立ちの条件6
「どうしたんだ、カムイの奴……」
遺跡の調査のための拠点として使っている、廃墟の一室。LED投光器で照らされたその部屋の中で、呉羽は眉間にシワを寄せながらそう呟いた。彼女ら三人は今日の調査を切り上げて、神殿の地下にある巨大魔法陣から引き上げてきたのだが、拠点として使っているこの部屋にカムイの姿はまだなかった。
それだけなら特に心配することはない。今までにも何度か合ったことだ。それで呉羽も最初は気楽に構えていたのだが、しかしカムイはなかなか戻ってこない。時間が経つにつれて、呉羽も段々と心配になってきた。
思えば、あの時のカムイの様子は少しおかしかった。いや、もしかしたらそれは心配になってきたために、そう思えるだけなのかもしれない。だが今日はいつもとは違い、メッセージが一度も来なかった。今までなら、どんなに短くても一度くらいはメッセージを送って寄こしていたというのに。
「……っ」
険しい顔をして、呉羽はシステムメニューの画面を開く。新着のメッセージはない。時間を確認すれば、いつもカムイが戻って来る時間よりもかなり遅くなっている。外を見れば、もうずいぶん薄暗い。
「カムイ君からは、まだ何も?」
「はい……」
「ふむ……。まあ白夜叉もありますし、カムイ君のことですから、あまり心配する必要はないと思いますが……」
アストールはそう言うが、呉羽はなんだか嫌な予感がした。それで彼女は少し考えてから【メッセージ】の項目をタップする。メッセージを送る相手は、もちろんカムイだ。
《To:【Kamui】》
《ずいぶん遅くなっているけどどうかしたのか?》
手早くメッセージを作成すると、呉羽は見直しもせずすぐに送信した。しかし返信はなかなか返って来ない。焦燥が募り、呉羽は爪を噛んだ。
(どうしたんだ、カムイ……。本当に……)
呉羽もカムイがモンスターにやられてしまったとは考えていない。それくらい白夜叉の防御は優秀なのだ。しかし不測の事態というのはいつ何時であっても起こり得る。そしてこの世界が元の世界より危険に満ちていることは、今更言うまでもない。
例えば誤って水路に落ちてしまったらどうだろう。水路を流れる水は、瘴気に汚染されている。体にいいということはないだろう。瘴気の影響がなかったとしても、溺れてしまうことは十分にありえる。水中でもモンスターが現れるとしたら、その可能性はさらに上がるだろう。
他にも別のプレイヤーと邂逅したのかもしれない。それが現実に起こりうることは、先日アーキッドらと出合ったことで証明されている。彼らには敵意がなかったから良かったものの、もし敵意を持つプレイヤーと鉢合わせしてしまっているとしたら……。
嫌な想像ばかりが頭をよぎる。いてもたってもいられなくなり、呉羽は立ち上がった。そして愛刀を吊るした剣帯を、外套の上から腰に巻く。装備の具合を確かめてから、彼女はアストールにこう言った。
「ちょっと、探してきます。カムイが戻ってきたら、連絡をください」
「分かりました。お気をつけて。地図を持って行ってください。……ああ、それと投光器も持っていくといいでしょう」
アストールにそう勧められて、呉羽は地図を受け取りストレージアイテムの中に片付けた。それから部屋を照らしていたポータブル式の投光器を手に持つ。これを持っていくと部屋の中はずいぶん暗くなってしまうが、以前に回収した〈発光石〉もあるので大丈夫だとアストールは言った。
「それじゃあ、ちょっと行ってきます」
「き、気をつけてください!」
少し心配そうなリムを安心させるように微笑んでから、呉羽は部屋を飛び出した。外はまだ真っ暗ではないにしろ、もうほとんど視界が利かない。少なくとも読み物をすることはできないだろう。その薄暗さが、彼女の不安をさらにかきたてた。
外に出ると、呉羽はまず堀の内側にある高い建物の屋上に上った。ユニークスキル【草薙剣/天叢雲剣】と、さらに【玄武の具足】と【青龍の外套】の力も併用して、彼女はたった一度の跳躍で三階建ての建物の屋上に降り立つ。
その見晴らしの良い場所で、彼女は意識を集中する。この薄暗がりの中、視覚に頼ってカムイを探しているわけではない。彼女が意識を集中しているのは【草薙剣/天叢雲剣】であり、そしてその愛刀を通じて伝わるここら一帯の風の気配だった。
呉羽の周囲で風が渦巻いた。【青龍の外套】についた青い鱗が淡い光を放つ。薄暗がりの中、まるで光を纏っているようで、その光景は神秘的だった。
とはいえそれを見ている者は誰もいなかったし、呉羽が求めているのも見てくれの神秘性などではない。彼女は外套に宿る風の力を使って、自分のユニークスキルを補助しているのだ。そうやってより多くの風を束ねて操り、彼女は周辺を探索してカムイの気配を探した。
その範囲は遺跡のほぼ全域に及ぶ。現状では探索のみで、それ以上のことはできない。だが類稀な掌握能力であることは間違いない。【草薙剣/天叢雲剣】の「天を支配する」という謳い文句に嘘偽りなしと言っていいだろう。
(カムイ、どこだ……。どこにいる……?)
内心の焦りを抑えながら、呉羽は風を操ってカムイの気配を探した。しかし探せど探せども、遺跡の中に彼の気配はない。探索を続けながらも、呉羽は眉間にシワを寄せて舌打ちをしてしまった。
(遺跡の外に出たのか……?)
呉羽らを除けば、遺跡の中にプレイヤーはいない。無人の遺跡は静まり返っていて、風を使った探索は非常に簡単だ。しかしだからこそ、これまで探した範囲にカムイがいないこともまた、ほぼ確実だった。そうなると遺跡の外に出たとしか考えられない。
遺跡の中にいないとなると、その外まで探索の範囲を広げなければならない。だが今の呉羽の力ではこれ以上範囲を広げるのは無理だった。しかし打つ手がないわけでもない。範囲を広げられないのなら、範囲を偏らせればいいのだ。
呉羽は風を操り、ゆっくりと探索範囲をずらしていく。自分が中心ではなくなり、より遠くまで風を操らなければならないので、探索範囲自体は狭くなる。しかし呉羽はそれを偏らせてさらに動かすことで、結果としてより広範囲の探索を可能とした。そしてその工夫は確かに成果を上げた。
「見つけたっ……!」
反応があったのは、遺跡の外の川原。どうも戦っているらしい。それだけ情報を得ると、呉羽は三階建ての屋上から全力で飛び出した。風の力を使って飛翔し、そのまま一気に堀を飛び越えてその外に出る。その飛距離は数百メートルに及ぶ。いくら始点が高かったとはいえ、ほとんど空を飛んだといっても過言ではないだろう。
最後に落下速度を殺し、膝を柔らかく使って呉羽は着地する。そして曲げた膝を伸ばすその動作で、彼女はまた一気に加速した。【草薙剣/天叢雲剣】と【玄武の具足】の力を併用し、彼女はまるで風のように駆け抜ける。
いや、今の呉羽はまさに風だった。【青龍の外套】が空気抵抗を打ち消しているのだ。彼女はまさに一陣の風となって廃墟の街を疾走する。道を覚えているわけではないが、地図を見る必要はない。どう進めばいいかは風が教えてくれる。
通りを直進し、突き当りを右へ。三番目の水路を左へ曲がり、そのまま緩くカーブするようにして道なりに進む。
(ここっ!)
加速の付いた状態で跳躍。背面跳びの要領で平屋の上を飛び越え、さらに身体を捻って向こう側の通りに両足で着地する。そしてそのまま一呼吸も休むことなく、呉羽はまた疾走を再開した。
最後の通りを全速力で駆け抜ける。カムイの気配はもうかなり近い。彼の気配は動いている。つまり、生きている。しかし悪い予感は強くなるばかりだ。
「カムイ!」
ついに川原へと到着する。辺りはもうほぼ真っ暗だが、呉羽はカムイの姿をすぐに見つけた。炎のように揺らめく白夜叉のオーラがわずかに光を放っているようで、それが暗がりの中ではとてもよく目立ったのだ。
彼は嗤っていた。狂気に浮かされ、傲慢に嗤っていた。哄笑を上げながら、暴気を振りまくようにして戦っていた。目の輝きは尋常ではなく、理性と正気を失っていることは明白だ。
ワニ型のモンスターの尻尾を掴んで振り回す。鈍器代わりのつもりのようで、ぶつけられたモンスターは悲鳴を上げて川原を転がった。さらに振り回していたモンスターも尻尾が千切れ、そのまま遠心力にしたがって吹き飛び暗がりの中へ消えた。水の音がしたから、たぶん川に落ちたのだろう。手に残ったモンスターの尻尾を、カムイはそのまま握り潰しその瘴気を吸収した。
そうやって戦うカムイを見て、ゾッとするものを感じた。今の彼は、もう人ではない何かのようだ。その姿は「鬼」や「夜叉」を連想させた。
「アアアアアァァァアアアアアア!?」
カムイが声を上げる。嗤っているのか叫んでいるのか、判然としない。呪っているようであり、祝っているようでもある。
「……っ」
呉羽は思わずそのまま飛び出しそうになり、しかし寸前のところで堪えた。そして「落ち着け」と自分に言い聞かせる。
少なくとも、最悪の状況ではなかった。また派手に正気を失っているようだが、それもある意味でいつものことである。だからいつも通りまたぶっ叩いてやれば、すぐに正気を取り戻すだろう。
(だから、落ち着けっ……!)
もう一度自分にそう言い聞かせ、呉羽は手に持っていた投光器を足元に置いた。そして光をカムイのほうに向ける。投光器の強い光に照らされて、無数のモンスターが蠢く姿が浮かび上がった。
どうにも、それは生理的嫌悪を抱かせる光景だった。禍々しい赤い目を持つ真っ黒な異形の存在が、地を這って蠢きカムイに群がっている。まるで蟲に喰われているかのようだ、とさえ呉羽は思った。
しかしその中で、カムイはむしろ喜悦の笑みさえ浮かべながら戦いに興じている。呉羽にはそれが一番理解不能で、むしろそら恐ろしくすらあった。
(それが、なんだ!?)
呉羽は狂い嗤うカムイをいっそ睨みつけるようにしながら、愛刀【草薙剣/天叢雲剣】の柄を握る。そうやって彼女は自分の中の恐怖を抑え付けた。
臆するな。お前がやらねば誰がやる。アストールがやるのか。それともリムがやるのか。絶対に無理だ。イスメルなら簡単に彼を止められるだろうが、しかし今ここに彼女はいない。
ならば自分が、藤咲呉羽がやるしかない。いや、他の誰にも任せてなどなるものか。わたしが、わたしがやるのだ。そう自分に言い聞かせる。
柄を握った姿勢のまま、呉羽は力を練り上げる。そして十分に力が高まったところで素早く抜刀して振り上げ、そしてそのまま鋭く振り下ろし、練り上げた力を解き放つ。
「〈風切り〉!」
「アアアアァァアア!?」
タイミングは悪くなかった。カムイは群がるモンスターの方に気を取られていたし、今までであれば決まっていただろう。しかし彼はまさに獣じみた反応を見せ、右手から伸ばしたオーラの腕(つまり“グローブ”)でその風の刃を振り払う。
(……っ!!)
その一瞬、呉羽とカムイの視線が交錯した。狂気と喜悦にまみれた彼の眼は爛々と輝いている。興味を失ったのか、あるいは群がるモンスターに気を取られたのか、カムイはすぐに呉羽から視線をそらした。そして何事もなかったかのように戦い続ける。相変わらず狂気まみれの哄笑を上げながら。
一方で呉羽は、〈風切り〉を放った残身のまましばらく動けずにいた。脳裏に思い出すのは、さっき見たカムイの眼だ。その輝く眼に、呉羽はまたゾッとするものを感じた。カムイが理性と正気を失っていることは分かっている。しかしそれでも彼女はこう思わずにはいられなかった。
……アレは、一体なんだ?
カムイが理性と正気を失ったところは、これまで何度も見てきた。そのたびに彼の目を見てきたが、今回のそれは今までのどれよりも酷い。
〈もののけ〉、という言葉が呉羽の頭をよぎる。彼女がその言葉に抱く認識は、例えばカムイが抱く認識より、はるかに深刻で重大だ。彼女の世界には本当にもののけがいるのだから。
もののけには、人間を変質させるモノがいる。そうやって変質させられてしまった人間は、果して元の人間と同じであると言えるのか。さらにいうのなら、人間と認めてよいのか。呉羽の世界にはそんな議論もあるのだ。
その議論を、呉羽は不意に思い出した。アレは本当にカムイなのか。いや、カムイであったことは分かっている。しかし今もまだ彼のままなのだろうか。瘴気を吸収しすぎて、何か別のモノに変質してしまっているのではないのか。そんな不吉な考えが、彼女の頭をよぎった。
(何を馬鹿なことを!)
呉羽は頭をよぎったその考えを振り払う。例えそうだとしても、もとに戻すことは可能なのだ。ならば余計なことなど考えず、そのことに集中する。それが自分のやるべき事だと、彼女は自分に言い聞かせた。
「ふう……」
一つ大きく息を吐いて、雑念を頭の中から叩きだす。少しクリアになった頭の中で、呉羽は考える。さてどうやってアイツをぶっ叩いてやろうか、と。
(建御雷は……、いやダメだ)
呉羽は小さく頭を振った。〈風切り〉が通じなかった以上、呉羽が持つ手札の中でここから放てるのは〈雷刃・建御雷〉だけだ。しかし彼女はその技をどうしても使う気になれなかった。
〈雷刃・建御雷〉は優秀な技だ。間合いを取った状態で放つことができ、高威力で回避も防御も難しい。ただ、〈雷刃・建御雷〉は強すぎる。当ればアブソープションと白夜叉を全開にしているカムイでさえ、ただでは済まない。
(使ったら、殺してしまう)
呉羽のその評価は、誇張でもなんでもない。〈雷刃・建御雷〉にはそれだけの威力がある。そして手加減ができない。いや、そもそも手加減を想定していない技というべきか。アレは呉羽の持つ全ての力を振り絞って放つ技なのだ。
つまるところ〈雷刃・建御雷〉とは、対プレイヤー用の技ではないのだ。これをプレイヤーに使うということは、つまり「殺す」と言っていることと同義なのである。
だからこそ、テンションが高くなりすぎて舞い上がり、初めてだったので威力の確認ができなかったとはいえ、そんな技をカムイに使ってしまったことは、呉羽のなかで大きな後悔になっている。
……危うく、殺すところだった。アレは死んでもおかしくはなかった。
〈雷刃・建御雷〉を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど、呉羽はその想いを強くしていった。大切な仲間を自分の手で殺してしまうところだったのだ。冗談ではなく背筋を寒くしたものである。その後悔と罪悪感は大きく、彼女を今でもさいなんでいる。
もちろんあの時とは状況が違う。呉羽が成長したようにカムイも成長している。死んでしまうことはないかもしれない。しかしその可能性が少しでもある技を、自分が危険を冒したくないがために使うことは憚られた。相手の命を危険にさらすのであれば、そのリスクを自分で背負った方がいい。呉羽はそう考えるようになっていた。
ちなみにイスメルに対して〈雷刃・建御雷〉を使ったことは、呉羽は少しも後悔していない。端から通じるはずがないのでノーカウント、というのが彼女の主張である。そもそもイスメル本人も命の危険があったとは思っていないだろう。それはそれで悲しい話ではあるが。
閑話休題。〈雷刃・建御雷〉を使わないのであれば、方法はもう一つしかない。つまり直接ぶっ叩いてやるのだ。
(なに。いつも通り、だ)
呉羽は心の中でそう呟き、愛刀を身体の横に寝かせて構える。そして姿勢を低くし、そのまま一気に川原へと飛び出した。彼女は低い姿勢のままカムイとの間合いを猛然と詰める。哄笑を上げながら暴気を撒き散らすカムイは、彼女の接近に気付いていない。むしろモンスターのほうが気付いて彼女の方にも群がり始めるが、しかし遅い。呉羽は何にも邪魔されることなく川原を駆ける。
カムイとの間合いを半分ほど詰めたところで、彼女は大きく跳躍した。投光器が照らす光の範囲から外れ、その姿が暗闇の中へ消える。呉羽は空中で姿勢を整えながら愛刀を逆手に持ち直し、そしてカムイのすぐ近くに着地すると同時に地面に突き刺した。
「〈土槍・円殺陣〉!」
呉羽の周囲で地面から土の槍が突き出し、そこにいたモンスターを次々に串刺しにする。その土の槍はカムイにも襲い掛かったのだが、彼はそれを“グローブ”で振り払った。そして彼の狂気に輝く目が呉羽を捉える。
ニィィ、とカムイがその獰猛過ぎる笑みを深くした。それを見て背筋に冷たいものを感じたが、しかし「呑まれるな!」と自分を叱咤する。
「おおおおおお!」
「アアァアアヒャァァアアア!!」
呉羽の雄叫びとカムイの哄笑が重なって響く。先に動いたのは呉羽だ。彼女は立ち上がりざまに愛刀を振るう。ただし、本当に切り捨ててしまってはまずいので峰打ちにして。しかしそれが裏目に出た。
「くっ!?」
硬い手応えに呉羽は顔をしかめる。カムイが“グローブ”で【草薙剣/天叢雲剣】を受け止めたのだ。峰打ちで刃を向けられたわけではなかったからこそ、受け止めることができたのである。そしてそうやって呉羽の動きを止めると、カムイは左手を突き出し、さらにそこから“アーム”を伸ばして彼女の顔面を狙う。
「くうぅ……!」
白いオーラが伸びて、蛇のように牙をむきながら襲い来る。身動きが取れない呉羽は、その攻撃を風の結界で受け止めた。だが完全に弾くことができない。カムイと力比べをしているせいで、その余力がないのだ。さらに悪いことに、また周辺からモンスターたちが群がり始めた。
このままではまずい。今のままではモンスターの攻撃に対して無防備だ。呉羽は苦しげな表情を浮かべながら必死に力をかき集める。
「ハアァァァァアア!!」
声を上げると同時に、かき集めた力を使って風の結界を一瞬だけ強化。カムイの“アーム”を弾き飛ばす。さらに愛刀の刃を反して“グローブ”を切り裂き、力比べの状態から脱出。【草薙剣/天叢雲剣】の力も使って【青龍の外套】が展開する風の結界を最大強化し、群がってきたモンスターを吹き飛ばす。邪魔者がいなくなったところで、呉羽はまたカムイに切りかかった。
「おおおおおお!」
狙いは頭部。ただし、また峰打ちだ。“グローブ”が欠損したカムイはこれを受け止めることはせず、姿勢を低くして彼女の一閃をかわした。
呉羽の攻撃は止まらない。彼女はすぐに二の太刀を繰り出す。上段からの振り下ろしだ。カムイはそれを半身になってかわす。呉羽はさらに斜めに切り上げるようにして追撃するが、手応えはない。カムイは身体をそらせて体勢を崩しながらも、後ろへ飛んでこれも回避したのだ。
「まったく、正気を失っているときの方がよくかわすと言うのはどういうことなんだ!?」
カムイの動きを見て、呉羽は思わずそう愚痴っぽいことを叫んでしまった。「受けるな、かわせ」というのは彼女がいつも口を酸っぱくして言っていることだが、正気の状態の普段の稽古より暴走している今の方がそれをより良く体現できているというのは、どうしても納得がいかない。
さて体勢を崩したカムイは川原に片膝を付いた。そんな彼にモンスターが群がる。それを呉羽は好機と見た。動きを止めてくれれば、一撃を叩き込みやすくなる。そう思い間合いを詰めようとしたその矢先、彼女は目の前の光景に慄き足を止めた。
「なっ……」
カムイがモンスターを鷲掴みにして捕まえている。瘴気を吸収されるモンスターは悲鳴を上げながら身をよじって逃げようとするが、カムイはこれを放さない。ここまではいい。今までに何度も見てきた光景だ。問題はこの後だ。カムイは掴んだモンスターをさらに引き寄せて口元へ近づけ、そして……。
「ヒャアァ」
噛み付き、そして喰った。モンスターを、喰ったのだ。それ見た呉羽は口元を抑えてこみ上げる吐き気を堪えなければならなかった。
カムイが本当にモンスターを喰ったのかはわからない。それよりはアブソープションで吸収したと考えた方が合理的だし受け入れやすい。だが本当に喰ったかよりも、喰おうとしたことのほうが問題だった。
まともな状態のカムイであれば、こんなことは考えもしないだろう。そして今までに正気を失って暴走した時にも、こんなグロテスクなことはしなかった。
「これじゃあ、本当にもののけじゃないか……!」
呉羽が悲鳴を上げる。カムイの暴走がいつにも増して深刻な状態であることを、彼女はまざまざと見せ付けられたのだ。早くしなければ本当に手遅れになる。呉羽はそれを恐怖と共に直感した。
動きを止めてしまっていた呉羽の目の前で、カムイの“グローブ”が修復されていく。奪った瘴気でエネルギーを補充したのだ。そして彼は満足そうに狂気まみれの笑みを浮かべる。
「ヒャハァ」
修復した“グローブ”を開いたり閉じたりしながら、カムイは狂気で輝く目を呉羽に向けた。相変わらずモンスターが群がるが、その全てを彼は無視した。彼の目には、もう呉羽しか映っていない。
それを好機と捉え、呉羽もまた愛刀を正面に構えた。彼女の方にもモンスターが群がるが、彼女の周囲では風が渦巻いてそれらを近づけない。
不思議と心は凪いでいる。こうして愛刀を構えることは、ある意味で祈りにも似ているのだと呉羽は思った。
(ここで、決める!)
そう決意し、呉羽は前に出た。カムイもそれに反応するが、呉羽の方が速い。カムイは左手を突き出してそこから“アーム”を伸ばすが、呉羽はそれを紙一重でかわした。そしてさらに間合いを詰め、そして“アーム”を根元から切り捨てる。
その瞬間、狂気まみれの笑みを浮かべていたカムイの顔が、初めて不満げに歪んだ。それを見て呉羽は確信する。コレがカムイの攻略法だ、と。
白夜叉のオーラは、アブソープションで吸収したエネルギーによって維持されている。だから白夜叉のオーラを削れば、それはそのままカムイが持つエネルギーを削ることになるのだ。いくらほぼ無限に吸収できるとはいえ、目の前の量を減らせるというのは重要なのである。
もちろんその二つはイコールではないから、カムイは白夜叉のオーラを削られたらそのままにしておくこともできる。しかし呉羽にしてみればそれで構わない。“アーム”や“グローブ”がなくなり、いつも通りの接近戦に持ち込めれば、有利なのは彼女のほうなのだ。むしろ呉羽はそれを狙っていた。
一撃で決めるのは難しい。なら肉薄して相手の力をそぎ落とし、追い詰めてから止めをさす。早く決めたいと思いつつも、ここで拙速にならない呉羽は確かに冷静だった。
苛立ってきたのか、カムイが“グローブ”を出鱈目に振り回す。アブソープションは相変わらず全開なのだろうが、しかし彼はモンスターを捕まえてそこから瘴気を奪うことをしない。そちらの方が吸収効率はいいのに、呉羽以外はもう目に入っていないのだ。
呉羽もそれを感じている。それで彼女は少々無理をしつつも、つねに彼の正面に立ち続けた。側面や背後に回り込むことは容易いが、しかし彼女の姿を見失えば、カムイはまた目の前のモンスターに気を取られるかもしれない。彼の意識を釘付けにするための正面突破だった。
「オオオォァォアォア!」
意味のない叫び声を上げながら、カムイが右手を振り上げる。振り下ろされた“グローブ”を、呉羽は下から切り上げた。しかしダメージを負わせたわけではない。それでカムイは動きを鈍らせることなく、むしろ間合いを詰めて懐へ潜り込んでくる。これは無手の間合いだ。こうも近いと、刀は逆に振り回しにくい。
しかし呉羽は焦らなかった。彼女は左手を愛刀の柄から放すと、そのまま下におろして腰に吊るした鞘を掴む。そして一歩踏み込むと同時に身体を捻り、左手で鞘を突き出してカムイのみぞおちに叩き込んだ。
これがただの打撃であれば、白夜叉の防御を抜くことはできなかっただろう。仮に抜けたとしても、カムイを正気に戻せるだけの威力があるかは疑わしい。
しかし忘れてはいけない。この鞘も、呉羽のユニークスキル【草薙剣/天叢雲剣】の一部なのだ。その力は鞘にもまた宿っている。それで叩き込まれた一撃は、確かにカムイのみぞおちを抉った。
「ぐうっ……!」
カムイが呻き声を漏らす。その声に正気の響きを感じ取り、呉羽はそっと安堵の息を吐いた。
(これでもう大丈夫だ……)
カムイは正気を取り戻した。元の彼に戻ったのだ。「痛い」だの「手加減しろ」だの文句を言うかもしれないが、その時はせいぜい説教してやろう。呉羽がホッとしてそんなことを考えていると、カムイが纏っていた白夜叉のオーラが消え、そして彼の身体が不意に崩れ落ちた。
「カムイ!? カムイ、どうしたんだ!?」
呉羽は慌てて崩れ落ちるカムイの身体を支える。もしかしてみぞおちへの一撃が強すぎただろうかと不安になるが、しかし彼の容態がその程度のことでは説明できないことに彼女はすぐに気付いた。
「がぁ……、う……、ぁあ……」
カムイが苦しげに呻く。彼の眼は焦点が合っておらず、額には脂汗が幾つも浮かんでいる。ただ事ではない様子なのは一目瞭然だった。
「……っ」
呉羽はカムイの身体を左手で支えると、素早く周囲の様子を窺った。予想通り、またモンスターが群がり始めている。何をするにしても、ここではモンスターが邪魔だ。幸い、少し川から離れれば〈侵攻〉は収まる。まずはここを離れることが先決。呉羽はそう決断した。
「カムイ、少し我慢しろよ」
そう言ってから呉羽はカムイを肩に担いだ。この絵面はうら若い乙女としてどうなのだろうと思ってしまうが、今はこれ以外に手がない。それから彼女は四肢に力を込め、川に背を向けて走り始めた。さすがに荷物を担いでいては全速力で走れないが、それでもできる限り急ぐ。群がるモンスターは全て風の結界で弾き飛ばした。
投光器を置いておいた場所まで後退すると、ようやく〈侵攻〉は収まった。だが呉羽にそれを気にするだけの余裕はない。彼女はすぐにカムイを横にしたが、しかしそこから先何をすればいいのか咄嗟に分からない。モンスターの脅威はなくなったものの、しかしだからこそ彼女は冷静さを失い、ただ動揺するばかりだった。
「カムイ、カムイ、返事をしてくれ。お願いだ!」
呉羽はひどく動揺し、涙声でそう懇願する。だがカムイは苦しげに呻き声を漏らすばかり。呉羽はついに涙を流し始めた。
一方カムイは、文字通り自分のことで精一杯な状態だった。全身の節々が熱を持ちジクジクと焼かれているようだ。身体中の筋肉がねじ切られるように痛い。意識は靄がかかったように朦朧としているが、金槌で叩かれているかのようなガンガンとした頭の痛みだけははっきりとしている。
絶不調である。ここまで調子が悪いのは、デスゲーム開始直後にゲロを吐いたあのとき以来だ。アブソープションを使おうとするが、しかし上手く発動できない。口も上手く動かないから、発動を宣言して使うこともできなかった。
混沌とする意識。その中で溺れそうになりながらもカムイは必死に抗う。なぜ抗うのか。抗わなければどうなるのか。それさえもはっきりとは分からない。それでも彼はもがいて、もがく。
――――カ……、……イ、…ムイ。
混濁した意識の中で、その声が彼の耳に届いた。小さくて、聞き取りにくい。擦れているのは、たぶん泣いているからだ。一体誰が泣いているのか。ぼんやりとその人の輪郭が浮かぶが、しかし混沌とした意識の中に消えていく。それでも……。
――――ああ、ちくしょう……、なかれて、なかせてばっかりだ……。
情けない。その思いが募る。そしてその思いが彼を足掻かせた。
「ポ……、ショ、……」
小さな擦れ声が、カムイの口からこぼれた。呉羽はそれに気付くとハッとして彼の口元に耳を寄せる。
「ポー……、ショ……」
「ポー……? ポーションだな!? ちょっと待っていろ!」
呉羽はカムイの頭を膝の上に乗せると、急いで腰のストレージアイテムを探った。確か、もしもの時のために【上級ポーション】を買っておいたはず。呉羽はそれを探した。
「……あった! カムイ、早くコレを……!」
飲め、と言い掛けて呉羽は口をつぐんだ。カムイは相変わらず苦しげに呻くばかり。自分でポーションを飲めるとは思えない。口元に添えてやるだけでは、きっと飲めずにこぼしてしまうだろう。そう思い、彼女はすぐに心を決めた。
(仕方ない……!)
呉羽はポーションを呷って口の中に含む。そしてそのままカムイに顔を近づけ、彼の下あごを引いて口を開けてから唇を合わせる。
(ん……!)
舌を使ってポーションをカムイの喉に流し込む。無意識の抵抗なのだろう、カムイは首を動かし、さらに舌が口の中で暴れて押し返そうとする。呉羽は両手でカムイの頭を押さえつけ、さらに自分の舌で彼の口の中を無理やり制圧しながら、口に含んだポーションを彼に飲ませた。
「ぷはっ……!」
唇を話すと同時に、呉羽は大きく息を吸い込んだ。あまり上手くは飲ませられなかった。たぶん半分くらいは零れてしまっただろう。しかしそれでも半分は飲ませた。そしてその分の効果はすぐに現れた。
「う……、あぁ……、ん……」
小さな声を漏らして、カムイが薄っすらと目を開ける。それを見て、呉羽は大きな安堵に包まれた。そして安心したら、またぽろぽろと涙が零れ落ちる。
「くれ……、は……?」
そして名前を呼ばれたら、もう我慢できなかった。
「この馬鹿ッ! 心配かけて……! こんな無茶して……!」
泣いて文句を言いながら、呉羽は覆いかぶさるようにしてカムイに抱きついた。冷たくなっていたカムイの体に、彼女の温かい体温がじわりとにじむ。
ああ、生きている。カムイは唐突にそう思った。そしてこのデスゲームが始まってから、いや生まれて初めてかもしれない。こう思った。
(死ななくて、良かった……)
― ‡ ―
《To:【Astor】》
《カムイを見つけました。無事です。もう少し休ませてから戻ります》
《From:【Astor】》
《分かりました。無事でよかったです。リムさんも喜んでいます。ごゆっくりどうぞ》




