表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
旅立ちの条件

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/127

旅立ちの条件5

 アストールらと別れて一人になったカムイは、遺跡の東にある川へ来ていた。近づくと〈侵攻〉が起きる、あの川だ。これだけ大きく、また遺跡の近くにある川だから、きっと名前があったに違いない。ただ、今はもうそれを知るものは誰もいない。


 カムイにしても、川の名前になど今は何の用もない。用があるのは、川からほぼ無限に上がってくるモンスターの方である。


 ポイントを稼ぎに来たわけではない。ポイントを稼ぐのであれば、絶え間なく戦わなければならないこの場所は、むしろ効率が悪いし危険だ。一人で戦う場合には特にそう言える。だからカムイの目的は、言ってしまえば戦うことそのものであり、さらに言えば戦い続けることだった。


 要するに、修行である。なぜ今更そんなことをしようと思ったのかと言えば、そこにはもちろん理由がある。


 久しぶりに遺跡から海辺の拠点へ戻り、そこで温泉に入った後のことだ。カムイはイスメルを探して浄化樹の植樹林へと向かった。キキのユニークスキル【Prime(プレイム)Loan(ローン)】で借りたポイントを、浄化樹に投資したプレイヤーは結構いる。それで今や浄化樹の数はかなりのものになっていた。


 その浄化樹の林に、予想通りイスメルはいた。ただ予想していたような、恍惚とした顔をして樹の幹に縋りつくだらしない姿、ではない。彼女は樹の幹に額を当てながら蹲り、ようするに落ち込んでいた。


『うう……、カレンにお説教されてしまいました……。どうしてあの子は、こう容赦がないのでしょう……』


 なんだかもう、本当にガッカリである。思わずカムイは深々とため息を吐いてしまった。これで呉羽をまったく寄せ付けない凄腕の双剣士であるというのだから、世の中は分からないものである。もしかしたら人間(エルフ?)として大切なものと引き換えにその剣腕を得たのかもしれない。カムイはそんなことまで考えてしまった。


『あの、イスメルさん?』


 いつぞやと同じく、カムイは少し躊躇いながらイスメルに声を掛ける。その声に気付くと、イスメルは彼の方に視線を向けた。


『おやカムイ君、いいところに……。カレンが容赦ないのですが、師としての尊厳を保つ何かいい方法はありませんか?』


『諦めてください。それが嫌ならちゃんとしてください』


『うう、カムイ君も容赦がない……。さすが婚約者です……』


『いや、婚約者は関係ないでしょう』


『じゃあ……、さすが幼馴染』


 それは関係あるかも知れない。カムイは不覚にもそう思ってしまった。朱に染まれば赤くなる。良かれ悪かれ、人間は周りの人々から影響を受けるのだから。ということはカレンが容赦ないのはカムイの影響を受けたせい、という論法も成り立つのだがまあそれはそれとして。


『実は、ちょっと相談がありまして……』


 コホン、と咳払いしてからカムイはそう切り出した。相談と聞いてイスメルは「おや?」という顔をし、居住いを正してカムイの方に向き直る。


『何か悩み事でもありましたか?』


『悩み事というか……。その実は、オレは今まで、武芸や武術といったものを習ったことがありません』


『カレンもそう言っていました。あなたたちの世界では、それが普通なのですか?』


『普通というか……、まあ多数派ではあると思います』


 剣道や柔道、あるいはボクシングなどをやっている者はそれなりにいるだろう。ただ少なくともカムイの周りでは少数だった。それにそれらはあくまでもスポーツである。武芸や武術と呼んでいいのか、ちょっと疑問だった。


『ふむ……、エルフの子供たちは全員が弓を習うのですが……』


 確かにエルフは弓が得意、というイメージがある。しかしながらカムイが知る唯一のエルフであるイスメルは、弓ではなく双剣を得物としていた。それどころか、短い付き合いではあるものの、弓を持っているところを見たことさえない。


 その理由にもちろん興味はある。ただ、なんだか話が長くなりそうな気がしたので、今はとりあえずスルーしておくことにした。


『あの、それで相談事なんですけど……』


『ああ、すみません。話が少しそれましたね。それで相談したいことというのは?』


『……オレは、武芸や武術というものを習ったことがありません。この世界へ来るまでは、そういうものとは無縁の生活をしていました。だから、その、なんと言いますか……、どういうふうに、どういう段階を踏んで自分を鍛えればいいのか、よく分からないんです』


 それどころか自分がどのレベルにいるのかさえ、よく分からない。まるで、暗闇の中でがむしゃらに走り回っているようだとカムイは思う。どこかへ行きたいとは思っているが、しかしそれがどこにあるのか、そもそもどこへ行きたいのか、自分でもさっぱり分かっていない。それでも立ち止まることだけはできなくて、あっちへウロウロこっちへウロウロしている。わけの分からない焦燥に動かされながら。


『ふむ……。確か、クレハさんと稽古をしているのではありませんでしたか?』


『稽古はしていますけど、何かを教わっているわけじゃないんです』


 自分も未熟で、人に何かを教えるなんてできない。すまないが勝手に強くなってくれ。それが最初に呉羽から言われたことである。カムイはそれで納得して、今日まで彼女に立会い稽古に付き合ってもらってきた。そしてその成果を、彼は確かに実感している。


 だから呉羽との稽古に不満はない。不満はないから、今でも続けているし、お時給も支払っている。ただ、カムイはここのところ伸び悩みを感じていた。それで次なるステップへ進むための取っ掛かりを見つけるために、できる事なら明確な目標を得るために、彼はこうしてイスメルに相談を持ちかけたのである。


『なるほど……。お話は分かりました。ですが、ご期待に沿うかどうか……。ご覧の通り、わたしは無手の術を得意とはしていませんから』


 そう言ってイスメルはカムイの話をやんわりと断ろうとした。しかしカムイも食い下がる。イスメルは彼が知る中では最も優れた武芸者なのだ。相談の相手として、彼女以上のプレイヤーはいない。それでカムイは頭を下げてこう言った。


『お願いします。どんな小さなことでも良いんです。何かアドバイスをください!』


『…………耳の痛いことかもしれません。それでも良いのですか?』


『はい、もちろんです』


 カムイはそう即答した。褒めてほしくて、慰めてほしくて、ここへ来たわけではない。もっと強くなるために、情けない自分から脱却し、呉羽の負担を少なくするために、ここへ来たのだ。多少耳が痛いことを言われるのは覚悟の上だった。


 カムイが頷くのを見ると、イスメルは「そうですか」と言って小さく頷いた。そして「では……」と言って彼の方に視線を向ける。その眼はまるで呉羽と稽古をしていた時のように鋭く、彼女が纏う雰囲気もいつになく厳格なものだ。カムイはごくりとつばを飲み込むと、背筋を伸ばして真っ直ぐにイスメルの目を見た。


『気になっていた点を一つ。カムイ君。貴方は戦闘中に冷静さを、ともすれば正気を失うことがありますね?』


『はい。ユニークスキルを、あ、アブソープションって言うんですけど、それを全開にして使うと、そういうことがあります』


『クレハさんから、何か言われませんか?』


『えっと、「我を失うな」とか……。あと、よくぶっ叩かれます』


『なるほど……。思ったより重症ですね……』


 イスメルはそう言って小さく頭を振った。そして再びカムイを見据えてこう言った。


『戦いの中で感情が昂ぶるのは、ある意味当然のことです。ですが昂ぶりにのまれて冷静さを、ましてや正気を失っていては元も子もありません。まずはそこから直していくべきでしょうね』


 そう言われても、というのがカムイの正直なところである。出力に合わせてテンションが加速度的に上がっていくのは、言ってみれば【Absorption(アブソープション)】というユニークスキルの仕様だ。そこを直せといわれても、どうすればいいのかちょっと分からない。


 加えて言えば、イスメルのアドバイスはカムイにとってちょっと期待外れだった。「耳が痛いこと」というから何を言われるかと身構えていたが、なんということはない。今まで呉羽にさんざん指摘されてきたことである。


 それはそれで重要なことだとは思うし、またその点において成長の見られない自分が恥ずかしくもあるが、しかし肩透かしを喰らった感は否めない。贅沢を言っている気もするが、もう少し目新しいアドバイスが欲しかった。


 そんなカムイの内心に気付いたのか、イスメルは視線をさらに厳しくする。彼女にそのつもりはなかったのかもしれないが、カムイは冷たいプレッシャーを感じて背中に冷や汗を流した。そんな彼を見据えながら、イスメルは言葉を続ける。


『確かにわたしは貴方のユニークスキルについてほとんど何も知りません。ですが一人の武芸者として言わせて貰うのならば、どのような理由があれ冷静さを、あまつさえ正気を失うなど言語道断、あってはならないことです。


 貴方の戦い方はあまりにも危なっかしい。見ていられません。正気を失うリスクを承知しているのであれば、そのようなスキル、使わない方が良いでしょう。そんなものに頼る戦い方は、はっきりと間違っています』


『いや、それじゃあ、オレ、戦えないんですけど……』


『ならば戦わなければ良いのです』


 そう言ってイスメルはカムイの反論を切り捨てた。その言葉にカムイは絶句する。言葉を失った彼に、イスメルはさらにこう続けた。


『わたしは貴方の師ではありませんから、わたしの言葉に従わなければならないということはないでしょう。ですがもしわたしが貴方の師であるなら、わたしは貴方を戦場には出しません。少なくとも、正気を失わずに戦えるようになるまでは』


 それはつまり、カムイはそもそも戦える段階にないということだ。イスメルは弟子のカレンを〈侵攻〉で戦わせていたから、彼女の基準で言えばカムイはカレンより未熟と言うことになる。直接そう言われたわけではないが、彼女の言葉を勘案すればそういうことになる。そして、それはさすがにカムイもショックだった。


(クソッ……)


 カムイは心の中で悪態をつく。きつい事を、耳に痛いことを言われると覚悟はしているつもりだった。だがイスメルの言葉はその覚悟以上に彼の内腑を抉った。反論の言葉が幾つも浮かんで、喉元までせりあがってくる。しかし彼は奥歯を噛み締めてそれを堪えた。そしてさらに続くイスメルの言葉を聞く。


『暴走する味方は単純に強い敵よりも厄介です。正気を失うリスクを抱えて戦うくらいなら、そもそも最初から戦わない方がマシでしょう。貴方にとっても、そして周りの人々にとっても』


 周囲の人々のことを指摘され、カムイは本当に反論の言葉を失った。今までにカムイが正気を失ってプレイヤーを襲ったことはない。しかしそれは傍に呉羽がいたからだ。彼女が手荒な方法ではあるものの、カムイを正気に戻してくれていたから、彼は今まで仲間を襲わずにすんだのである。


 決して、カムイ自身がそれを自制していたわけではない。というか、仲間を襲うかもしれないというそのリスクについては、今の今まで考えたことさえなかったのである。浅慮と言うほかない。いつ暴走するかも分からない奴が傍で戦っているとしたら、周りの人々にとっては確かに迷惑だろう。彼自身でさえ、そう思った。


 そしてその迷惑を一身に抱え込んでいたのが、ほかでもない呉羽である。最も近しい仲間として、なにより暴走したカムイを止められる実力者として、呉羽は彼が周囲に迷惑をかけないよう気を配ってきたのだ。


 特に同じパーティーのメンバーであるアストールとリムは戦う力を持たない。暴走したカムイに襲われたら、ひとたまりもないだろう。呉羽はこれまでずっと、それを未然に防いできたのである。たびたびぶっ叩かれるのは不満だったが、そう考えれば多少過敏に反応するのも仕方がない。


(オレが、呉羽の負担を増やしてたのか……!)


 カムイは拳を握り締めた。以前、イスメルは「呉羽は重荷を負っている」と言っていた。その言葉を聞いて、カムイは彼女の負担を減らしてやりたいと思った。そしてそう思ったからこそ、きつい事を言われるのを覚悟でイスメルに相談することにしたのだ。


 だが結局のところ、カムイは何も分かっていなかった。彼自身が、呉羽の負担になっていた。呉羽本人がどう思っているかなど、この際問題ではない。客観的に見てそういう構図になっていることが、何よりの問題なのだ。


(ああ、もう本当に……!)


 嫌になる。情けない自分が。デスゲームだ厳しい世界だ強くなるんだといいつつ、結局自分こそがぬるま湯に浸かっていた。甘えていた。世話になっていた。迷惑をかけていた。そして指摘されるまでそのことに気付きもしなかった。


 なんと怠惰で、なんと愚鈍で、なんと傲慢だったのだろう。後悔というよりは申し訳なさでいっぱいになり、カムイは奥歯を噛み締めながら両手の拳を強く握って身体を震わせる。「死にたくなる」という言葉の意味を、骨の髄まで思い知らされた気がした。


 そんなカムイの様子を、イスメルは黙って見つめていた。言うべきことは言った。その言葉をどう受け止めるのかを含め、それは彼が乗り越えるべき壁だ。彼は今、確かに壁と相対しているのである。


 そこへ余計な手出しや口出しをしてはいけない。慰めの言葉も励ましの言葉も、今の彼には有害でしかない。壁を乗り越えるための最初の一歩はどんなに小さくてもいい。しかしその一歩だけは、自分で踏み出さなければならない。それが成長というものだと、イスメルは信じている。


『…………オレは、オレはどうすればいいんでしょう? 教えてください、イスメルさん』


 数十秒後、今にも泣き出しそうな顔と声で、カムイはイスメルにそう尋ねた。イスメルは数秒だけ目を閉じ、それから彼にこういった。眼は相変わらず厳しいままだったが、口元には小さな笑みを浮かべながら。


『先ほども言ったように、戦いの中で感情が昂ぶるのはごく自然なことです。少なくとも、凍り付いて動けなくなってしまうよりはいいでしょう。もちろん、暴走してしまうのは論外ですが。


 貴方がやるべき事は、その感情を制御することです。どれだけ血が滾ったとしても、必ず冷静な部分を残して全体を御しなさい。暴れ馬に手綱をかけるのです。貴方の、貴方だけのユニークスキルです。貴方が制御しなさい。それができないのなら、本当に使うのをやめなさい』


 それが貴方と、貴方の周りの人たちのためです。イスメルはそう言った。その言葉にカムイは真剣に耳を傾け、そして頷く。イスメルの言葉はさらに続いた。


『強靭な精神力が必要です。一朝一夕で身に付くものではないでしょう。何度も失敗する。それを覚悟しなさい。


 初心を唱え続けなさい。自分は何のためにこれをしているのか、それをいつも頭の中に置くのです。その初心こそが、暴れ馬を御するための手綱です。その手綱をしっかりと握りなさい』


『はい!』


 大きな声で、カムイは返事をした。それを聞いて、イスメルは今度こそフッと優しげな笑みを浮かべた。


『やはり幼馴染ですね。カレンもよくそうやって返事をするものです』


 またカレンと似ていると言われ、カムイは少し気恥ずかしくなった。顔が赤くなっているかもしれない。そう思いつつ、彼は顔を逸らしたり伏せたりはしなかった。そんな彼にイスメルはさらにこう話す。


『カレンから聞きました。この世界に来る前、貴方はとても苦しい状態にあったそうですね。その時と比較するつもりはありません。ですがその経験は、確かに貴方の糧となっています。類稀な苦しみを経験した貴方は、類稀な強さを持っているはずです』


『……克服したわけじゃ、ありませんよ』


 むしろ打ちのめされていたと言っていい。死にたいと、逃げたいと思っていたのだから。そして実際、逃げるようにしてこの世界に来た。死んでもいいと、半ば捨て鉢になりながら。その性根は、たぶんまだ変わっていない。


『それでいいのです』


 イスメルはただ一言だけそう言った。それで何がいいのか、カムイには分からない。聞けばいいのだろうが、きっと彼女はこれ以上教えてはくれないだろう。そのことは何となく分かった。


『ありがとう、ございました』


 どうしてか泣きたくなるのを堪えながら、カムイはイスメルに頭を下げた。「はい」という、優しげな声がした。



 ― ‡ ―



「よし、やるか」


 遺跡の外を流れる川のところまで来ると、カムイはそう呟いて気合を入れた。何とかしてアブソープションを全力で使っても正気を失わないようにする。それが今の彼の目標だった。


 今まで散々先延ばしにしてきたことに、ようやく本腰を入れて取り掛かることにしたのである。そのきっかけはもちろんイスメルの言葉だ。彼女に指摘され、カムイは自分がどれだけ情けない状態でいたのか、とうとう気付いたのである。


(呉羽にも、ずいぶん迷惑かけちまったな……)


 カムイの方が弱くて、その分を呉羽がカバーしてくれていたことは、最初にイスメルと話をした時に気付くことができた。それが情けなくって、もっと強くなりたくてイスメルにもう一度相談したのに、分かったのはそれ以上に自分が呉羽に頼り切っているということだった。


 二重に、ショックだった。何とかしなければと思う。だからこその個人修行だ。思えばこうやって個人修行するのは、このデスゲームが始まって以降初めてかもしれない。いろいろとスキルの使い方を試行錯誤したりはしてきたが、あれは修行というよりはむしろ検証だった。それはそれで役に立ってきたが、今からやろうとしていることとは、やはり少し違う。


 大仰な言い方をすれば、これからカムイは壁を乗り越えなければならないのだ。ユニークスキルの仕様だと思い、半ば諦めていたことを成し遂げなければならないのである。本当の意味で、ユニークスキルを自分のものにするのだ。


 ただ、言葉で言うほど簡単ではない。出力に合わせて加速度的にテンションが上がっていくのは、何度も言うがアブソープションの特性である。例えるならば、お酒を多量に飲めばそれだけ強く酔うのと同じだ。言ってみればその自然な反応を、しかし何とか御して自分のコントロール下に置かなければならないのである。


 そのためには強靭な精神力が必要だ、とイスメルは言っていた。だが精神力をどう鍛えればいいのか、いまいちカムイにはピンと来ない。精神修行と言われて真っ先に思いついたのは滝行だが、すでにその案は却下されていた。


(滝行なんぞしたら死ぬわい)


 なにしろこの世界の水は瘴気で汚染されている。そんな水に打たれていたら、精神が鍛えられる前にカムイの身体がダメになるだろう。白夜叉で身体を覆っていれば大丈夫だろうが、しかしそれでは修行の意味があるとは思えない。そもそも滝がどこにあるかさえ分からず、実行不可能ということで却下になったのだ。


 そのほかにも出家や写経など、幾つか頭に浮かぶものはあったが、結局どれもが却下された。ずいぶん偏った案ばかりだったが、それはカムイが育った文化圏に由来するものだから仕方がない。


(そうなると……)


 そうなると、カムイの脳裏に浮かぶアイディアはもう一つしかない。つまり、戦うのだ。アブソープションを全開にして。そしてその戦いの中で、なんとか無理やりにでも成長する。それしかないように彼には思えた。


 暴論と言えば、暴論であろう。正気を失うリスクを取り除くために、しかしそのリスクを抱えて修行しなければならないのだから。だからこそ、カムイは一人になれる時間が欲しかったのである。仲間を、特に呉羽を巻き込むわけにはいかなかったのだ。


(情けない自分は、嫌いだ)


 心の中で、カムイはそう唱える。それが彼の初心だ。それが暴れ馬を御するための手綱だとイスメルは言っていた。その言葉をもう一度唱えてから、彼はアブソープションを発動した。


 すぐさま周辺の瘴気が吸収され、エネルギーとしてカムイの中に蓄えられる。そのエネルギーを、彼は白夜叉として外に出す。白夜叉のオーラが、まるで白い炎のように激しく揺らめいた。


(よし……、まだ大丈夫……!)


 まだ戦闘に入っていないせいか、今はまだ理性を保つのは簡単だった。感情が昂ぶってきているのは感じるが、しかしそれを抑えることができている。まず順調な出だしと言っていいだろう。


 それからカムイは姿勢を低くして、川のほうに向かって走り出した。するとすぐに〈侵攻〉が起こり、川からワニ型のモンスターが無数に這い上がってくる。そのモンスターの大群の中へカムイは跳躍して飛び込んだ。


「ハッ!」


 地面を這うワニ型のモンスターの頭を、着地と同時に踏み潰す。さらに近くにいた別のモンスターを蹴り上げる。そのモンスターは勢いよく飛ばされ、そのまま川原に叩き付けられてゴロゴロと転がった。だが倒せてはいない。それを見たカムイは思わず不快げに眉をひそめた。


(っと、いけない。冷静に、冷静に……)


 いつも通りまた激情に流されそうになってしまったカムイは、そう自分に言い聞かせて必死に冷静さを保つ。だが群がってくるモンスターの群れはいかにも邪魔で彼の癇に障る。今もまた一体のモンスターがカムイの足に噛み付き、しかし全開にされたアブソープションに自分の瘴気を吸収され、感電したかのように口をあけてのたうち回った。そのモンスターの腹を、カムイは思い切り踏み潰す。


 そうやって一体倒すと、別のモンスターが今度は彼の首筋目掛けて躍りかかってくる。その大きく開けられた口を、カムイは両手で掴む。そしてそのままさらに広げ、身体ごと真っ二つに引き裂いた。


 川から這い上がってくるモンスターは、次々にカムイへと殺到した。全体から見ればほんの一部だが、カムイには息つく暇がない。というより、彼はまったく捌き切れていなかった。理性を失わないよう激情を抑えることにかなりの労力を費やしており、そのせいで動きが悪くなっているのだ。


 それでも彼が無傷で戦っていられるのは、皮肉にも全開にしたアブソープションのおかげだった。全開にしたアブソープションは、モンスターからさえ瘴気を奪う。そのためモンスターは、殺到はすれど押しつぶすことができない。例え噛み付いたとしても、白夜叉の防御は貫けず、むしろ自身がダメージを負うばかりだ。


 カムイにしてみれば、絶対に負けることのないワンサイドゲームだ。無双、いやチートである。にも関わらず、彼の内心にはだんだんとイライラが溜まり始めていた。それは激情を爆発させられないからではない、と彼自身は思っている。


(ああ、戦いにくい……!)


 ワニ型のモンスターは、その体躯の関係で地面を這っている。つまり体高が低い。そのため徒手空拳で戦うカムイにしてみれば、殴るにしろ蹴るにしろ、どうにもやりにくい。その戦いにくさが彼をイライラさせた。


(何か……)


 何か手はないものか。それを考えることで、カムイはイライラを抑える。蹴るのはまだいいが、しかしできればあまり片足にはなりたくない。例えば体当たりなどされたとき、片足だと簡単にバランスを崩して倒れてしまうからだ。こうも敵が多いとそれは危険だろう。


 そうかと言って手で戦おうとすると、しゃがみこむようにしてかなり姿勢を低くしないと攻撃が当らない。リーチが足りないのだ。ということは、リーチを伸ばせれば問題は解決するのではないか。カムイはそう考えた。そしてそのための手札を、彼はもう持っている。


「ハァ!」


 声を上げながらカムイは腕を、正確には腕を覆う白夜叉のオーラを伸ばす。“アーム”だ。そして伸ばした“アーム”を彼は右へ左へと振り回す。そのたびに“アーム”は鞭のようにしなって、数体のモンスターを吹き飛ばした。


(よしっ。でもまだ……!)


 カムイは笑みを浮かべる。内心のイライラが少し薄らいだ。ただ、これもまだ使い勝手があまり良くない。今の戦闘に合わせて、もっと改良の余地があるだろう。


(リーチはこんなに要らない。その代わりもっと攻撃力が欲しい。太くして、爪みたいに鋭いものが欲しいな……)


 カムイは頭の中でイメージを固める。そしてそのイメージをもとに、右腕に白夜叉のオーラを集中させ、さらにそれらのオーラを変形させていく。そのため全身のオーラ量が少なくなる。それでカムイは足元に寄ってきたモンスターを踏みつけ、ソイツから瘴気を奪ってエネルギーを補充した。


「これでぇぇ!」


 声を上げながらカムイは右腕を振るう。生身の右手は空を切ったが、そこから伸びるずんぐりとした“グローブ”が足元に迫っていたモンスターを川原の石ごと引っ掛けて弾き上げる。宙に浮いたそのモンスターを、彼は左手で引っ掴みそのまま瘴気を奪った。


 カムイが新たに生み出した“グローブ”は、まるでロボットの手だった。SF映画などでよく見るパワードスーツの、腕の部分だけを装着したようにも見える。装甲で覆われているかのようにずんぐりとしていて、まるで鈍器のようだった。


 “アーム”ほどの長さはない。だが、だらりと腕を伸ばせば“グローブ”の先はゆうに足もとの地面に届く。“グローブ”の指を伸ばせば、立ったまま地面を掴むこともできた。申し分ないリーチだ。


「まだまだぁぁ!」


 顔に獰猛な笑みを浮かべながら、カムイはさらに“グローブ”を振るう。“グローブ”は短いから、“アーム”のようにしなることはない。だが“アーム”より太く、より確実にモンスターを打ち据える。


 さらに指を広げた“グローブ”の手のひらは、カムイの手と比べて三倍以上の大きさがある。その大きな手はモンスターの身体をしっかりと捕まえることができた。そしてそうやって拘束してしまえば、あとは全開したアブソープションが瘴気を奪い、モンスターは魔昌石すら残さず喰い尽くされるのだ。


 今のままでも“グローブ”は十分実用に耐えるだろう。しかしカムイはまだ満足していなかった。彼は自分に「イメージしろ」と言い聞かせ、さらに“グローブ”を洗練していく。


 カムイが自分に「イメージしろ」と言い聞かせるたびに、“グローブ”の形が少しずつ変わった。無骨で野暮ったかったデザインは、だんだんと滑らかな流線型へと変化した。不恰好な粘土細工のようだった指も、鋭い爪へと研ぎ澄まされていく。


「これでぇぇ、どうだぁぁ!?」


 獰猛な笑みを浮かべながら、カムイは右腕をすくい上げるようにして振りぬいた。研ぎ澄まされて鋭さを増した“グローブ”の爪は、モンスターの身体を五つに切り裂く。その手応えに、カムイは笑みを深くする。


「クヒッ……!」


 カムイが浮かべる笑みに、狂気が混じり始める。これまでの鬱憤を振り払うかのように、彼はでたらめに“グローブ”を振り回した。あるモンスターは打ち据えてふき飛ばし、別のモンスターは鋭い爪で切り裂く。拳を握って上から叩き潰し、エネルギーが少なくなってきたら、そこら辺のモンスターを適当に捕まえて瘴気を奪った。


 “グローブ”を生成したのは右腕だから、反面左側はいわば手薄になっている。モンスターにもそれが分かるのか、あるいは単に右側からは近づけなかっただけのかもしれないが、左側から襲い掛かることが多くなった。


 しかし手薄とはいっても、それは右側と比べての話で、左側も白夜叉のオーラに覆われている。オーラの量が少なくなった関係で噛み付かれれば多少は痛いものの、しかし相変わらず傷を負うことはない。それにカムイも左側からの攻撃に対し、無抵抗だったわけではない。


 左の足首に噛み付こうとしたモンスターの、その大きく開けられた顎をカムイはひょいと避けた。そして逆にその頭を踏みつけて動きを封じ、同時に瘴気を奪ってエネルギーを補充する。別の個体が首筋を狙って飛び掛ってくれば、左手の手刀を突き刺してやはり瘴気を奪った。


「クヒィ……! ヒヒ……、ハハ……!」


 だんだんと、楽しくなってくる。“グローブ”の生成も上手くいき、カムイはかなり思うように戦えていた。敵は弱く、一撫ですれば簡単にふき飛んでいく。爪を振るえば紙切れよりも簡単にその身体を引き裂くことができたし、攻撃されてもダメージを負うことはない。少々の痛みは感じるが、それさえも戦いのスパイスだった。


「ハァ!」


 カムイは口から衝撃波を放つ。〈咆撃〉だ。放たれた衝撃波は這い寄るワニ型のモンスターをまとめて十体近く吹き飛ばした。前よりも威力が増している。それは使い慣れてきたからだし、またそれ以上にアブソープションのレベルが上がって使えるエネルギーの量が増えたからだ。


 もはやワンサイドゲームでも生ぬるい。これは一方的な虐殺、いや駆除だった。それくらい敵が弱すぎて、カムイにはただ少しの危険もない。差がありすぎて、戦闘というよりはただの作業だ。


 数ばっかり多くて面倒だ、と思うプレイヤーもいるだろう。だがカムイは違った。確かに数は多いが、しかしその数さえも彼の闘争心を満たすための糧、あるいは暴気を燃え上がらせる燃料でしかない。彼は嬉々として暴れまわった。足元にはすでにかなりの数の魔昌石が散乱しているが、彼はそれに見向きもしない。


「ハハッ……、ハハハッ……! アーッハッハッハッハッハァァアア!?」


 カムイが哄笑を上げた。優越感がたまらない。嗜虐的な感情が昂ぶり、箍が外れて抑えていたモノがあふれ出す。残していたはずの冷静な部分が暴気に塗りつぶされていく。それをまずいと思う理性さえ、彼にはもう残されていなかった。


 飛び掛ってきたモンスターの口に左腕を突っ込み、そのまま瘴気を奪う。それから、そうやって得たエネルギーを使って白夜叉のオーラを増やし、それを左手に集めて“アーム”を振るう。“アーム”はまるで蛇のようにモンスターに噛み付くと、そのまま瘴気を奪った。


 彼はただ、湧き上がってくる暴気に突き動かされて敵を求めた。そして敵を薙ぎ払い踏み潰すことで、まるで自分が世界の中心にいるかのような全能感に酔いしれる。彼は恍惚とした笑みを浮かべ、そのくせ眼だけはギラついて次なる贄を求めた。


 誰がどう見ても、狂っていることは明らかである。まともなプレイヤーならば、今の彼に近づこうとは思わないだろう。イスメルが指摘したとおり、自分まで攻撃される危険があるからだ。その危険を冒してまで彼のことを心配してくれていたのは、呉羽ただ一人だけである。


 カムイはもう「冷静さと正気を失わない」という、当初の目標を完全に忘れていた。いや忘れるというより、もはやそんなものは最初からなかったかのようである。イライラや鬱憤なら、なんとか抑えることができた。だが衝動とも言うべき暴気を抑えることはできなかった。


 いや、暴気だけなら抑えることはできたのかもしれない。しかし戦えば戦うほど、全能感が募ってくる。それに抗うのは難しい。言ってみればそれは陽の感情だからだ。美味しい食事をつい食べ過ぎてしまうのと似ている。それはある意味で、空腹を我慢することよりも難しいのだ。


 修行はひどい失敗であると言わざるを得ない。しかも本人がそれに気づいていないのだ。ひどい状態をひどいとも思えず、むしろ狂いながら哄笑を上げて低俗な全能感に悪酔いしているのだから、もはや滑稽ですらあった。


「あァ……、くふ……ヒヒ……! かァ……アアァアアア!?」


 笑っているのか叫んでいるのか、はたまた泣いているのか。判然としない声をカムイは上げた。今の彼は人の形をした獣だった。いや獣でさえもう少し冷静に暴れるだろう。ならば一体、今の彼は何なのか。その問いに答えるべきカムイは、しかし答えられる状態にはなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
別にこれはこれで良いのでは?こういう能力なんだから無理矢理人の技に閉じ込めなくても好きに暴れさせれば。
[一言] スキル暴走抑制の修行、今更って感じ カッコ悪い主人公過ぎて魅力がなくなってきた ログ・ホライズンみたいになるかと思ってたら 肩透かし こんな俺つえー系の主人公が悩んでる処見ても 全く感情移入…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ