ゲームスタート4
「さあどうする?」
衝撃のエラー表示からおよそ十分。ようやく復活したカムイは、気を取り直して【導きのコンパス】を前に、これからどうするかを考えていた。若干目が据わり気味だが気にしてはいけない。
エラーの内容は「プレイヤーの拠点が確認できない」というもの。そのエラーの対処法として、カムイには二つの選択肢があった。
「条件を変えるか、他のプレイヤーが拠点を持つまで待つか……」
う~む、と唸ってカムイは悩む。少しでも成功の可能性が高いのは待つことだろう。しかしどれくらい待てばいいのか分からない。さらにその間、彼はずっと一人である。同じ事を考えたプレイヤーが向こうから会いに来てくれる、というのは少し都合が良すぎるだろう。この世界で一人きり。それはずいぶん危険なように思えた。もっとも、どのみち当面はお一人様なのだろうけど。
「やっぱり、待つよりは動きたいよな……」
その方がカムイの性にもあっている。それで彼はまず、他にいい条件がないか考えてみることにした。
(まだプレイヤーの拠点はない。でも、拠点にできる場所なら……)
《瘴気濃度が平均以下で、一人以上のプレイヤーが拠点として利用可能な場所》
カムイはそう入力した。これならおそらくエラーは出ないだろう。そして仮に、そこにプレイヤーがいなかったとしても、彼自身の拠点として使うこともできる。なんにしても瘴気濃度が平均以下なら、白夜叉なしでは動くこともままならないここよりは安全なはずだ。そう思い、彼は一つ頷いてから確定ボタンを押した。
《確認中……。エラー。候補地が複数あります。一つに絞り込んでください》
出ないと思っていたエラーが出て、カムイは思わず眉間にシワを寄せた。しかし候補地があるのならさっきよりは前進だ。自分にそう言い聞かせ、彼は少し考えてから条件を追加する。
《ここから一番近い、瘴気濃度が平均以下で、一人以上のプレイヤーが拠点として利用可能な場所》
《確認中……。本当にこの条件でいいですか?》
カムイは迷わず「Yes」を選択する。すると彼の手のひらの上で、【導きのコンパス】の針がグルグルと回転し、そしてピタリと止まってある一方向を指した。ためしにコンパスを振ってみるが、針は一方向だけを指し示してぶれることはない。
ただ一点だけを指し示す【導きのコンパス】の針を見て、不意にカムイはワクワクした気持ちが湧き起こるのを感じた。ここから、ここから始まるのである。願いをかなえるためのゲーム攻略が。
「さあて、ゲームスタート」
そう呟き、コンパスをポケットにしまうと、カムイはコンパスが指し示す方向に向かって歩き始めた。彼はこのとき、長くとも一年か二年もあれば、このゲームをクリアすることができるだろうと思っていた。しかしこのゲームの攻略がその予想を遥かに超えて長期化することを、この時の彼はまだ知らずにいた。
― ‡ ―
狼とは、群れを作って生活する動物だ。当然、狩りを行うときも基本的には群れで行う。つまり複数で獲物を襲うのだ。一匹一匹はそれほど脅威ではないとしても、その統率されたコンビネーションは、追い詰められる獲物にしてみれば悪夢に思えるだろう。そして今、カムイはその獲物の気分を味わっていた。
「クソッタレがっ! いい加減ウザイんだよ!」
腕に噛み付いてきた狼、のような四足で真っ黒なモンスターを、カムイは腕を大きく振りかぶってそのまま地面に叩き付ける。こんな荒業ができるのは、すでに全開にしたアブソープションによるエネルギー補給を受け、白夜叉の白いオーラが激しく燃える炎のように揺らめいているからだ。
この“戦闘形態”になったカムイの防御力は非常に高い。モンスターの攻撃力がどの程度のものなのかはよく分からないが、少なくとも噛み付かれたくらいではかすり傷すら負いはしない。
それはこの戦闘に限った話ではない。今までにゲームが始まってから今までに経験した全ての戦いにおいて、白夜叉の防御を抜けた攻撃を彼はまだ受けたことがなかった。だからこそ、戦闘に不慣れであっても彼はまだ生き残っている。
ゲームが始まってから、すでに二十日以上が過ぎていた。これまでにモンスターとエンカウントした回数はすでに百回を越えているだろう。倒したモンスターの数はその数倍だ。その中で初期装備のポンチョはボロ切れになり、シャツも破けて交換を余儀なくされた。今は半袖のシャツと、その上に襟のついた普通のシャツを羽織って着ている。ちなみにズボンとブーツは初期装備のままだ。
しかしそれでもまだ、【導きのコンパス】が指し示した場所には到着していない。いい加減、他のプレイヤーも拠点を定めた頃だろう。また別のコンパスを買えばいい、とカムイも思わなかったわけではない。
しかし、二十日以上も歩いているのだ。ということは、カムイのゲーム開始地点の周囲一帯は全て瘴気濃度が平均以上だったことになる。拠点とできる場所が遠くにあったように、プレイヤーが拠点とした場所も遠くにある可能性が高い。
ならまずはこのコンパスが指し示す場所に行ってみよう。そう決めて、カムイはずっと移動を続けてきた。立ち塞がるモンスターは全て蹴散らして。そして今もまた、彼はモンスターとの戦闘中だった。
地面に叩きつけられたモンスターは、堪らず噛み付いたカムイの腕を放す。さらにはずいぶん弱っているように見える。起き上がりはしたが、四足を大きく広げて何とか立っている状態だ。それを見てカムイは獰猛な笑みを浮かべる。そして止めをさすために、彼は拳を固めて振りかぶった。
その時、仲間を助けるためなのか別の、しかし同型のモンスターがカムイの足首に噛み付いた。しかし彼は獰猛な笑みを浮かべたまま、まるでそれを頓着しない。いや、むしろ気付いてさえいなかったのかもしれない。そして彼は振り上げた拳を、弱ったモンスターの頭目掛けて振り下ろす。
モンスターの頭部が弾けとぶ。頭を失ったモンスターの身体は、崩れ落ちるように倒れて、そのまま解けて黒い霧へと還っていく。後には薄紅色の淡い光を放つ石、魔昌石が残されるが、今それを拾っている余裕はない。
「まず一匹……!」
狂気が混じる笑みを浮かべながらそう呟くと、カムイは次に足首に噛み付いているモンスターの上顎を右手で鷲掴みにした。そして力任せに口を開けさせて強引に引き剥がす。
「ギギィ!?」
およそ狼のものとは思えない悲鳴を上げながら、モンスターは身体を大きくよじってカムイの手を逃れようとする。しかし彼はモンスターの鼻先を握り潰さんばかりに握り締めて放さない。
「ギギギィ!」
そんな仲間を助けようとしたのか、さらに二匹、同型のモンスターが大きな口を開けてカムイに襲い掛かる。彼は「耳障りだ!」と叫ぶと、右手は放さず、残った左手を片方のモンスターの口に突き入れた。こうされるとイヌ科の動物は何もできなくなると聞いたことがあったのだ。
迎撃されなかったもう片方のモンスターは、そのままカムイに飛び掛って彼の首筋に噛み付く。そして同時に後ろ足で彼の身体を蹴り付ける。しかしやはりノーダメージ。白夜叉の防御が抜かれることはなく、彼は何の痛みも感じない。
それでカムイはそのモンスターを無視して首筋にぶら下げたまま、右手で左手に捕らえたモンスターの下あごを掴んだ。右手で捕まえていたモンスターは放して逃げてしまったが、そんなことはもうどうでも良い。
モンスターの下あごを掴んだ右手に、カムイは力を込める。牙なのだろう、鋭い突起を手のひらの感覚が捉えるが、白夜叉の防御を突き破るほどではない。無視して、力任せに握る。そしてそのまま、モンスターの身体を真っ二つに引き裂いた。
「これで、二匹!」
手に掴んでいたモンスターの身体が解けて黒い霧に戻ると、カムイは自由になった両手を、左手は開き、右手は拳を握って、首筋に噛み付いたままのモンスターの頭に添えた。そして左右から力任せに圧迫する。
「ギギィ……!」
モンスターの噛み付く力が増す。それは本能なのかそれとも衝動なのか、何がなんでも獲物を仕留めようとするその行動は狂気じみてさえいる。しかしこの場合、“獲物”の方がよほど狂気にまみれていた。なにしろ、敵が自分の首筋に噛み付いたままなのに、しかしそれに頓着せず、むしろそのまま敵を仕留めようとしているのだから。
「らぁ!」
裂帛の声と一緒に、カムイの両手が打ち合わされた音を立てる。モンスターの頭を押し潰したのだ。頭を失ったモンスターの身体は、力を失って地面に落ち、そして解けて黒い霧に還った。後には魔昌石だけが残る。
「これで……、三匹!」
肩で荒い息をしながら、カムイはそう叫んだ。彼が視線を向ける先には、これまでに倒した三体と同型のモンスターがあと二体。そして二回りは大きい、この群れのボスと思しき個体が低い唸り声を上げていた。この三体が、あと倒すべき残敵である。
三体のモンスターを睨みつけながら、カムイは噛み付かれた首筋を右手でそっと撫でる。痛みはないし、血も出ていない。やはり白夜叉の防御能力は優秀だった。疲労も、アブソープションのおかげなのか、波が引くようにして消えていく。
外傷もなく、疲れもない。ベストコンディションだ。エンカウント前と同じ状態である。つまりモンスター三体分の攻撃はまるで無駄だった、ということだ。そう思い、カムイは酷薄に嗤った。
「ギギギ!」
嗤われたことが気に入らなかったのか、大きな体躯のボスが一際低い唸り声を上げた。そして地面を蹴ってカムイに迫る。
「ちっ!」
大きく広げられた顎門を、カムイは大きく後ろに飛んでさける。紙一重で攻撃をかわす技量は、今の彼にはない。確実に避けようとすると、どうしても動きは大きくなった。
今までモンスターの攻撃をまったく無視していたカムイだったが、さすがにボスのこの攻撃には彼も危機感を覚えた。ゲームが始まって以来、初めてのことである。
(これはさすがに喰らったらヤバそうだ……!)
ぞわり、と背中が粟立つ。そんな彼を、ボスは追撃する。一呼吸で間合いを詰め、今度は太い前足を振るった。鋭い爪がカムイに襲い掛かる。それをまた、彼は後ろに大きく飛んで回避した。
(そうか……、爪、かぁ……!)
今までカムイの攻撃方法と言えば、殴るか、蹴るか、引き裂くか、それくらいしかなかった。無手なのだからそれで当たり前だったのかもしれないが、ボスの攻撃を見て彼はそれがヒントになると直感していた。
ボスの後ろから、残りの二体がカムイに追撃を仕掛ける。彼はその片方、先に飛び掛ってくるほうに狙いを定めた。
「こう、かぁ!?」
振り上げた腕を、斜めに勢いよく振り下ろす。ただしその拳は握られていない。まるで熊の手のように爪を立てた状態で、腕を振りぬいたのだ。
「ギィィイ!」
モンスターが悲鳴を上げる。頭をかき裂かれたのだ。白夜叉のオーラを纏ったカムイの爪は、獣の爪牙よりも鋭く、まるでナイフのような切り傷をモンスターに残していた。思った以上のその成果に、カムイは口の端を歪めて獰猛な笑みを浮かべた。
「お、らぁ!」
モンスターが怯んだところを、カムイはさらに蹴り飛ばす。そしてこれが止めになった。吹き飛ばされたモンスターが、空中で解けてそのまま黒い霧に還る。
「これで、四匹……!?」
カムイが四匹目を仕留めて会心の笑みを浮かべていたところへ、遅れていたもう一体が飛び掛る。噛み付いてきたわけではない。体当たりだ。片足立ちになっていた彼の顔面に、モンスターは勢いよく身体をぶつけてきた。
ボス以外、この狼型のモンスターの攻撃は、カムイにとって脅威にはならない。白い炎のように揺らめく白夜叉のオーラが全て防いでしまうからだ。しかし白夜叉のオーラは衝撃まで防いでくれるわけではなかった。
顔面にモンスターの体当たりを喰らったカムイは、片足だったこともあって体勢を大きく崩した。そこへさらに、ボスがその大きな体躯をぶつけて彼を押し倒す。彼は後頭部を地面に打ち付け、その衝撃で一瞬だけ目を閉じたがすぐに再び開けると、そこには赤く禍々しい目で自分を見下ろすボスの姿があった。恐怖が彼の身体を硬くする。
「ギギギ……」
唸り声を上げるボスの口の端が僅かに歪む。嗤われた。カムイは瞬間的にそう悟った。そしてそれが彼を叫ばせる。
「……っざけんな!!」
燃え上がる怒りが、彼の身体から恐怖を駆逐していく。彼の気配が変わったのを察したのか、ボスは顎門を広げた。その大きな口が、カムイの頭に食い千切らんと迫る。
彼はその顎門を避けようとすらしなかった。代わりに膝を抱え込むようにして脚を折り曲げ、そこからさらに両足を揃えて突き出し、圧し掛かるボスの腹を狙う。
カムイは突然、身体の動きがゆっくりになったように感じた。彼の動きだけではない。迫り来るボスの顎門もまた、ゆっくりと近づいてくる。まるで時間の流れが遅くなり、その中で思考だけが加速したような、不思議な感覚。その中で彼は念じる。早く、早く、早く……。
「ギィ!?」
先に相手に届いたのはカムイの両足だった。ボスの巨躯が浮き上がり、彼の鼻先まで迫っていた巨大な顎門も短い悲鳴だけ残して離れていく。
ボスが身体の上から退くと、カムイは急いで起き上がった。彼が片膝立ちの状態になると、完全に立ち上がらせまいとでも思ったのか、ボスではない方のモンスターが飛び掛ってきた。
「ウザイんだよ、邪魔だ!」
それを、カムイは文字通り切って捨てる。手刀だ。白夜叉の白いオーラを纏った彼の手刀はまるで本物の刀のようにモンスターの首の付け根辺りを切り裂いた。
「ギィ……」
悲鳴にすらならないそんな声だけ残して、脚が地面に付くより前にモンスターは解けて黒い霧へと還った。薄紅色の魔昌石だけが空中に残され、やがて放物線を描きながら地面に落ちた。
「五匹目……! あと一体……!」
獰猛な笑みを浮かべ、カムイはボスを睨みつけながら立ち上がる。そんな彼の視線を迎え撃つように、ボスは前足で地面を掻きながら姿勢を低くして唸り声を上げる。それを見てカムイも狂気の滲む笑みを貼り付けたまま姿勢を低くする。
睨みあいは一瞬。先に動いたのはカムイの方だった。アブソープションのせいなのか、それとも白夜叉のせいなのか、身を焦がすような獣じみた衝動が抑えられない。歪んだ笑みを浮かべながら彼は敵に、いや獲物に襲い掛かる。
「ギギィ……!」
牙を剝き出しにして姿勢を低くしながら、ボスは力むように低く唸る。すると次の瞬間、その真っ黒な身体に紫電が走った。
「ギギギギギイィィ!!」
ボスが雄叫びを上げる。あまりにも耳障りで不快な雄叫びだ。しかしカムイにそれを気にしている余裕はなかった。ボスの身体から放たれた雷撃が、彼に襲い掛かってきたのだ。
「ぐっ……!?」
強い衝撃と身体が痺れる感覚に、カムイは思わず顔を歪めて足を止めた。膝を付きそうになったが、何とか堪える。そして再び、低い唸り声。ボスの身体に紫電が走ったのを見て、彼は反射的にその場から大きく飛び退いた。
「ギギギギギイィィ!!」
耳障りな雄叫びに顔をしかめるカムイの前で、再び雷撃が放たれる。幸い、攻撃範囲からは退避できていたようで、彼はもう一度雷撃を受けずに済んだ。
(こんな攻撃もあるのか……)
ダメージを受けたせいか、獣じみていたカムイのテンションが少し落ち着く。冷静になった頭で、彼はさっきの雷撃について攻略方法を考える。
雷撃は、ボスを中心にしてだいたい半径5メートルの範囲に放たれていた。当然その間合いは、無手のカムイよりも広い。今もボスは身体に紫電を走らせて帯電しているから、近づけばまたすぐに雷撃が放たれるだろう。
(回避する……? ムリだな……)
回避という対抗手段を、カムイはすっぱりと諦めた。もともと、普通の攻撃でさえ回避は難しいのだ。それなのに範囲攻撃をかい潜って間合いを詰め、逆に攻撃を加えるというのは、どう考えも不可能に思える。同じく雷撃が放たれるより前に一撃で仕留めるのも無理だろうし、雷撃が及ぶ範囲の外から攻撃する手段も彼にはない。
(じゃあどうするよ……!?)
逃げるか、戦うのか。カムイは一瞬の躊躇いもなく戦うことを選んだ。しかし攻撃手段が限られ、さらに回避を諦めた状態で戦うのであれば、必然的にダメージを覚悟しなければならない。
(雷撃は、もう一撃くらっても死ぬことはないな……)
カムイはそう計算する。むしろ注意するべきはあの巨大な顎門による噛み付きだ。あれはたぶん、白夜叉の防御を突き破ってくる。首筋に喰い付かれでもしたら、おそらくは致命傷になるだろう。それだけは避けなければならない。
(それにしても、動かないな……)
ボスのことだ。姿勢を低くして唸り声を上げてはいるが、ボスがその場から動いて仕掛けてくる様子はない。そこからカムイはある仮説を立てた。
(あの雷撃は、止まった状態じゃないと放てないのか……?)
たぶんそうだ、とカムイは思った。そういえば一回目のときも二回目のときも、雷撃を放つときボスは身体をずいぶん力ませていた。そして今も、おそらくは放つタイミングを見計らって動かずにいる。
(雷撃を放つとき、アイツは動かない。だったら……!)
カムイは覚悟を決めた。視線を鋭くし、僅かに身体を前屈させる。そして四肢に力を込め、一気に加速して前に出た。
「ギギギギギイィィ!!」
カムイが雷撃の間合いに入った瞬間、ボスがあのけたたましく耳障りな雄叫びを上げる。そして同時にボスの身体から雷撃が放たれた。その雷撃を、カムイは回避するそぶりも見せずに受けた。
「ぐっ……」
強い衝撃と身体が痺れる感覚。カムイは顔を歪めて苦悶の声を漏らす。しかしあらかじめ覚悟していたこともあって、彼が足を止めることはなかった。そして彼はそのまま間合いを詰めてボスの巨躯に肉薄する。
「はああああああ!!」
カムイが突き出す右手は握られていなかった。そうではなく、真っ直ぐに指を揃えている。手刀だった。殴っただけでは、おそらく一撃では倒せない。そうするとまた距離が開いて、また間合いを詰めるところからやらなければならなくなる。それはもう一度あの雷撃を受けるということだ。
(そいつは、さすがにカンベンだよなぁ!?)
それで選んだのが、手刀だった。手刀なら少なくとも吹き飛ばしてしまうことはあるまい。そう考えてのことである。そしてついにボスの懐に潜り込んだカムイは、獰猛な笑みを浮かべながら右手の手刀をその巨躯に突き刺した。
「ギギィィィイイイ!?」
耳障りな悲鳴が、カムイの身体のすぐ横で響く。ボスは身体をよじるが、白夜叉で強化された彼を引き剥がすことができない。また懐に入り込まれたせいで噛み付くこともできない。やがてボスは身体をよじるのを止め、逆に動きを止めて体を力ませる。
「ギギギギギイィィ!!」
四度目の耳障りな雄叫び。放たれた雷撃は、狙いをつける必要もなく、ボスの巨躯と接しているカムイに降り注いだ。
「お前の心臓は……、どこだ!?」
しかし彼はもう、そんな攻撃には頓着さえしなかった。まさに狂った笑みを浮かべながら、彼は右手の手刀をさらにボスの身体の奥へと突き入れる。
ピリ、としたかすかな痛みが目に走る。そしてカムイの視界が赤く染まった。目の血管が切れたのだ。しかし彼はそれを無視して、狂った笑みを浮かべたままさらに手を伸ばす。そしてついに、彼の指先が硬いモノに触れる。
「これが、お前の心臓かぁ!?」
狂喜の笑みを浮かべながら、カムイはその硬いモノを握り締めて引きずり出す。彼が腕を引き抜くと、ボスの身体から放たれていた雷撃が止んだ。そしてその身体から力が抜けていく。
やがてボスは横倒しに身体を傾ける。しかしその巨躯が地面に倒れることはなかった。それより前に、ボスの身体は解けて黒い霧へと還ったのである。
「はあ、はあ、はあ……」
肩で荒い息をしながら、カムイは右手に握り締めたモノを見る。そこにあったのは魔昌石だ。それもこれまでに倒したモンスターのものより、紅色が濃くて、大きさも少し大きい気がした。
(強いモンスターだと、色が濃くて、大きさも大きくなる、のか……?)
戦いが終わったばかりでまだどこかぼんやりとする頭で、カムイはそんなことを考えた。確かにボス、巨大な狼型のモンスターはこれまでで一番の強敵だった。あくまで彼の主観だが、強さの桁が一つか二つ違ったように思う。ついでに貰えるポイントの方も頭一つか二つくらい飛び抜けていてくれるとありがたい。
カムイがそんなことを考えていると、右手に握った魔石がシャボン玉のエフェクトに包まれて消える。ポイントに変換されたのだ。確認画面が出てこなかったのは、いちいち画面が出てきてウザかったので、魔昌石に触れるだけでポイントに変換するようにシステムメニューの方で設定を変えておいたのだ。
「ふぅぅぅ……」
ボスの魔昌石がポイントに変換されたのを見届けると、カムイは気を落ち着けるように大きく息を吐いた。そして同時にアブソープションの能力を制限して、吸収する瘴気の量を減らす。それに伴い、白い炎が激しく燃えるように揺らめいていた白夜叉のオーラも徐々に弱くなり、最後には彼の身体を薄く覆うだけになった。こういうスキルの操作も、ゲームが始まって以来の訓練(レベル上げ)の成果だった。
アブソープションを制限したことで、いつもより野生的になっていたカムイのテンションも落ち着いてくる。そのせいなのか、彼は身体に若干の倦怠感を覚えた。とはいえ戦闘の後はいつもそうなので彼も特には気にしていない。目元を拭うと、血ももう止まっていた。
「さて、と」
小さくそう呟いてから、カムイは周囲に散らばっている他のモンスターの魔昌石も同じようにポイントに変換していく。戦ったモンスターの数と同じ、全部で六個の魔昌石をポイントに変換し終えると、彼は満足げに頷いた。そしてそれからシステムメニューの画面を開く。確認するのは、ポイント獲得のログだ。
《瘴気を吸収して消費した! 5,570Pt》
《魔昌石をポイントに変換した! 4,000Pt》
そのポイントを見てカムイは「やれやれ」と言わんばかりに苦笑した。上のほうは、アブソープションを使っている時間に比例するから、まあいい。特に何もせずに稼げるのだから、文句はない。
それで下の方が今回の戦闘の戦果になる。六体のモンスターの詳細な内訳は乗っていないが、4,000Ptだから一日の食費分くらいは稼げたことになる。しかしアレだけの激戦を戦ってたった一日の食費分である。カムイとしては、やっぱり割に合わないような気がした。アブソープションを使って稼げるポイントの方が多いから、その気持ちはさらに強くなる。
「いっそ戦闘は全部回避するかね」
皮肉気な笑みを浮かべながら、カムイはそうごちる。もちろん、そんな気はさらさらない。だがそんな気もしてこようかというものだ。
カムイはため息を吐いてメニュー画面を消すと、ポケットから【導きのコンパス】を取り出して目指す方向を確認する。そしてまた歩き出す。
目指すべき方向はわかる。しかし目指すべき場所は分からない。歩き始めたときはなんでもなかったのに、今はそれが少しだけ辛かった。
― ‡ ―
《目的地に到着しました。案内を終了します》
そんなシステムメッセージを残して、右手に持った【導きのコンパス】が、シャボン玉のエフェクトと一緒に消える。しかしカムイはそれにさえ気付かない様子で、呆然と立ち尽くしていた。
コンパスが指し示す地点。そこにカムイが到着したのは、あのボスと戦った日からさらに五日後のことだった。つまりゲームが始まってから、すでに三十日近くが経過していることになる。
その、およそ一ヶ月の時間をかけてたどり着いた場所で、カムイは呆然と立ち尽くしていた。彼がたどり着いたのは、小高い岩山の中腹辺りにある、小さな洞窟である。洞窟の入り口が彼の歩いてきた方向とは逆だったため、見つけるのに歩き回って結局は大きく迂回するはめになった。
洞窟の中に入ると、三畳ほどのスペースがあった。狭いが、確かに一人くらいなら拠点にできないこともない。
確かに指定した条件通りの場所である。しかしどうやら、ここは目的の場所ではなかったようだった。
「ここ、が……?」
嘘であってくれと言わんばかりの、小さな呟き。彼が見渡す狭い空間の中には、プレイヤーはおろか、プレイヤーがいたであろうその痕跡さえもなかったのである。
覚悟は、していた。条件を指定した時から、「そこにプレイヤーはいないかもしれない」というのは考えていた。そしてその時には、「また別のコンパスで今度こそプレイヤーの拠点を探せばいい」と思っていた。そして今でもそう思っている。
思ってはいるが、しかしそれと精神的ダメージは別物らしい。カムイだって期待していたのだ。「誰かに会えるかも知れない」と。それなのに、長い時間をかけ、結局期待を裏切られた。誰が悪いわけでもない。それも分かっている。しかしそれでも、ショックは大きかった。
カムイは力なく、手ごろな石に腰掛ける。言葉はない。彼は意味もなく両手を合わせたり顔を摩ったりした。目に涙が滲んでいるな、と彼は思った。
「……システムメニュー、オープン」
おもむろに、カムイはシステムメニューの画面を開いた。そしてアイテムショップの画面に進む。そして「食料品」のタブをタップし、そこからさらに「菓子類」のカテゴリーを選ぶ。
カムイはゲームが始まってから今まで、お菓子の類を買って食べたことはない。ポイントの無駄遣いだと思っていたのだ。しかしなんだかもう、色々と限界だった。
お菓子の一つを選んで購入する。選んだのは15Ptのチョコレート菓子だ。包みを破いてそれを口の中に放り込む。甘ったるくて、安っぽい味がした。
「うっ……、うう……、くぅ……!」
そして、涙が出るくらいうまくて、懐かしかった。




