旅立ちの条件4
遺跡で起こっている瘴気の集束現象。その原因を、アストールらは〈地下にある魔法陣〉と仮定した。その魔法陣を見つけるのが、今回の調査の大きな目的である。魔法陣そのものについて、分析や解析を行える能力を四人は持ち合わせていない。だがその内容を紙に書き写せれば、海辺の拠点に持ち帰ることができる。そうすればしかるべきプレイヤーに分析や解析を依頼することもできるだろう。
地下に魔法陣があったとして、それは定期的なメンテナンスを必要としていたと思われる。水漏れや、流れ込んでしまったゴミなどに対処するためだ。となれば、あるはずなのだ。メンテナンスのために使われていた出入り口が。その出入り口を探し出すのが、カムイらの最初の目標になる。しかしその調査は、二日目にして早々に行き詰っていた。
「ありませんね……」
「ありませんねぇ……」
昼食を食べながら、カムイとアストールが顔を見合わせて互いに苦笑する。彼ら四人は堀の内側で地下へと続く通路や階段、その出入り口を探していたのだが、それがなかなか見つからない。昨日の午後と今日の午前、合計すればおよそ一日かけて探し回ったのだが、今のところ手がかりすら見つけられていない。
そもそもこの区画の建物には地下室がないのだ。これは呉羽の【草薙剣/天叢雲剣】も使って探った結果なので間違いないと言っていい。
「この区画の外から出入りしていたのでしょうか?」
「いえ、それはないでしょう」
呉羽の言葉にアストールは首を横に振った。そのためには堀のさらに下を潜るようにして通路を掘らなければならない。それを実現するためには大変な労力が必要になることは想像に難くない。
なによりわざわざ堀で囲い、さらに橋を一箇所にしか造らなかったのは、間違いなくこの場所が重要で、万が一敵に攻められた場合になんとしても守り抜くためであったはずだ。であるなら、わざわざ外側からの侵入を許すような通路を、しかも中枢たる魔法陣に直接続くような形で造ることはないだろう。
そうなると、地下の魔法陣へと続く出入り口は、やはり堀の内側にあると考えるべきだ。しかし、こうして探してみても見つからない。やはり巧妙に隠蔽されているのだろうか。だとすれば見つけるのに苦労することになるだろう。そもそも本当に魔法陣はあるのだろうか。ないことの証明は難しい。最悪の場合、どこで調査を打ち切るべきだろうか……。
アストールの食事の手が止まる。彼の思考がネガティブになりかけていたその時、不意にカムイが「あっ」と声を上げた。ほとんど反射的に、アストールは彼の方に視線を向ける。
「どうかしましたか?」
「あるじゃないですか、地下室。神殿に」
「あっ……!」
カムイに言われて、アストールはようやくその事を思い出した。彼だけではない。呉羽とリムも、「忘れていた!」と言わんばかりに目を大きく見開いている。
カムイらが「神殿」と呼んでいる建物には確かに地下室がある。あの「クソったれ」という言葉が殴り書きされていた、あの地下室のことだ。最初に見つけたとき以来立ち入っておらず、さらに水場に近すぎたせいか、無意識のうちに除外してしまっていたのだ。しかしこの区画にある地下室があそこだけだとすれば、そこには何かしらの手がかりがある可能性が高いと言えるだろう。
急いで昼食を食べ終えると、四人は早足で神殿へ向かった。そして回廊を通り、中庭の奥にある部屋へと向かう。その部屋には初めて来たときと変わらずに、地下へと続く階段があった。
「……カムイ君、お願いします」
アストールはその階段を見つけると勇んで一歩踏み出したが、しかしすぐにカムイを指名して道を譲る。きっとゲロ吐いたことを思い出したに違いない。カムイは苦笑しつつも頷き、ストレージアイテムから〈発光石〉を取り出して魔力を込める。そしてその明かりを頼りに、彼は地下へ降りて行った。
ずっと立ち入ってなかったからなのか、地下室にはまた少なからず瘴気が溜まっていた。その瘴気を、カムイはアブソープションで吸収する。そうやって瘴気濃度を下げてから、彼は上で待つ三人を呼んだ。
「呉羽さん、どうですか?」
「ちょっと待って下さい……」
アストールに急かされつつ、呉羽は【草薙剣/天叢雲剣】の能力を使って、地下室の中の風の流れを探る。そして手応えを感じると、一方の壁を指差してこう言った。
「この壁の向こうから、微弱ではありますが風が流れてきています」
そう言って呉羽が指差したのは、階段の正面にある壁だった。一見して、なんの変哲もないただの壁だ。しかしそこに何かあると、呉羽は言う。
「ふむ……」
呉羽が指差した壁を〈ライト〉の支援魔法で照らしながら、アストールは顔を近づけてためつすがめつ調べる。そしてあることに気付く。壁の一部だけ、モルタルが二重に塗られているのだ。いや、その部分だけ何かしらの理由で塗り直したというべきか。なんにせよ、疑いを持つには十分である。
アストールは壁に爪を立てると、ペラペラとモルタルを剥がしはじめた。するとすぐにそこに隠されていたものが明らかになった。さらなるアーチ状の出入り口である。ただし、その出入り口はレンガによってふさがれている。
「なるほど……。こうやって隠していたんですね……」
邪魔なモルタルを剥がし終え、積み上げられたレンガを見ながら、アストールは感心した様子でそう言った。そこだけモルタルが二重に塗られていたとはいえ、色は同じだし、何よりここは薄暗い地下室。殴り書きされた文字の方に意識が向いていたこともあって、最初ここに入ったときにはまったく気付かなかったのだ。
なにはともあれ、こうしてさらに下へと続く秘密の出入り口は見つかった。この先に、本当に魔法陣があるのかはまだ分からないが、しかし何か重要なモノがあることは間違いない。四人の期待は高まった。
「なんとか内側に崩したいのですが……」
アーチ状の出入り口を塞ぐレンガの壁に手を沿わせながら、アストールはそう呟く。その壁を外側に向かって崩すのであれば話は簡単だ。強い衝撃を加えてやれば良いのだ。カムイや呉羽の得意分野である。
しかしそうすると、この壁の向こう側にある何かを、壊したり傷つけたりしてしまうかもしれない。それでそういう危険を避けるためにも、できる事なら壁は内側に崩したい。それがアストールの希望だった。
「あ、じゃあちょっと試してみていいですか?」
アストールの呟きを聞いたカムイが、そう言って壁に歩み寄る。アストールは少し意外そうな顔をしていたが、すぐに一つ頷いて彼に場所を譲った。
出入り口を塞ぐレンガの壁の前に立ったカムイは、右手を掲げてその指先を壁に軽く触れさせる。そしてアブソープションの出力を少しだけ上げて白夜叉のオーラの量をわずかに増やした。
(イメージしろ……)
彼はそう自分に言い聞かせる。それから彼は意識を集中しながら、ゆっくりと白夜叉のオーラを壁の隙間に浸透させていく。イメージは煙。どんな小さな隙間にも入り込み、そして向こう側へ抜ける。カムイはそういうイメージで白いオーラを操り、壁の向こう側を目指した。
(よし……!)
そして大した時間もかからずに、カムイが操る白夜叉のオーラはレンガの壁を浸透して向こう側へと抜けた。彼はそれを手応えとして感じ、内心で大きく頷く。しかしまだこれで終わりではない。
カムイは浸透させた白夜叉のオーラをさらに操り、一つのレンガを選んでゆっくりとしかし確実に包み込む。そしてオーラでそのレンガを完全に包み込むと、彼は慎重に腕を引いた。
――――ズ、ズズズ……。
レンガとレンガが擦れる鈍い音をたてながら、白夜叉のオーラに包まれたレンガが一つ、ゆっくりと壁から引き抜かれる。半ばほどまで引き抜いたところで、カムイはそのレンガを直接手で掴み、そして残り半分を一気に引き抜いた。
「よしっ……! っとお……!?」
レンガを完全に引き抜いたカムイは会心の笑みを浮かべた。しかしその笑みはすぐに消えて、彼は表情を強張らせる。レンガを引き抜いたことでできた、四角い長方形の穴。その穴の向こう側から、黒い靄のようなモノが音もなく地下室の中に流れ込んできたのだ。いうまでもなく瘴気である。
「っ、呉羽」
カムイは驚きつつも冷静だった。流れ込んできた瘴気はアブソープションで吸収して応急処置をしつつ、呉羽に声をかけて瘴気の侵入を防ぐ結界を張らせる。結界の中に入ってしまった瘴気は、すぐにリムが浄化した。
「どうやらこの向こうは瘴気まみれのようですね」
結界の内側から流れ込んでくる瘴気を観察しつつ、アストールは苦笑気味にそう言った。この様子では、彼の言うとおり壁の向こう側は、高濃度の瘴気で汚染されきっていることだろう。【簡易瘴気耐性向上薬改】を飲んでいるとはいえ、無理に突入すればきっとゲロ吐いてしまうに違いない。
だがこれでこの向こうに魔法陣がある可能性が高くなった、とアストールは考える。この瘴気は魔法陣に引き込まれた川の水が原因に違いない。最初に来たときにこの地下室に溜まっていた瘴気も、向こう側の瘴気が隙間を通ってこちら側へにじみ出てきたものなのかも知れない。
「ともかく、この瘴気を何とかしないことには、調査どころではありませんね。いつも通りに浄化してしまいましょう。クレハさん、向こう側から瘴気をかき出せませんか?」
「やってみます。カムイ、もう少し穴を広げて風通しを良くしてくれ」
アストールの言葉に頷くと、呉羽はカムイにそう頼んだ。彼は「分かった」と言って一つ頷くと、壁に空けたレンガ一つ分の穴に手を突っ込み、力任せに内側へ崩す。レンガ同士を接合しているモルタルも経年劣化で脆くなっていたらしく、壁はボロボロと簡単に崩れた。決してカムイが馬鹿力だったわけではない。
「こんなもんか」
壁に人が一人、少し身を屈めれば通れるほどの穴を空けると、カムイは満足げにそう呟いた。その穴からは瘴気が流れ込んでくるが、それらは全てリムが浄化している。カムイは穴の向こうを少し覗き込んでみたが、真っ暗で何も見えない。それが、瘴気が充満しているからなのか、それとも単純に明かりがないからなのかは良く分からなかった。
「それじゃあ始めましょう。クレハさん、お願いします」
アストールに「はい」と返事を返してから、呉羽は愛刀【草薙剣/天叢雲剣】の鯉口を切ってその刃をわずかに露出させた。そして風を操り、壁に空いた大きな穴の向こう側から瘴気をこちら側へとかき出す。さらに彼女はその大量の瘴気が拡散しないよう、上手くリムのもとへと誘導する。そしてそれらの瘴気はリムが放つ光に触れると、たちまち浄化されてマナへと変換されるのだ。
「カムイ君、そろそろ」
「了解です」
そう応えると、カムイは地下室の中に満ちるマナをアブソープションで吸収する。瘴気をドロドロのマグマに例えるなら、マナは温かい温泉だ。身体が温かくなり、気持ちも心なしか穏やかになる。
そうやってカムイが溜め込んだエネルギーを、アストールが〈トランスファー〉の魔法で受け取り、そしてそのままリムへ受け渡す。この一連の工程を繰り返すことで、四人は体力と集中力が続く限り、大量の瘴気を浄化することができるのだ。
そうやって瘴気を浄化し続けること数十分。瘴気を集める役割を担っている呉羽は、【草薙剣/天叢雲剣】を通して感じる手応えに違和感を覚えて「むっ?」と眉をひそめた。それに気付いたアストールが彼女に声を掛ける。
「クレハさん、どうかしましたか?」
「あ、いえ、何といいますか……。向こう側を風で探った時の感じが変わらなくなって……。でもまだ瘴気はあるしどうしたものかな、と……」
自分の感覚を上手く言葉にできなくて、呉羽は「すみません」と謝った。そんな彼女にアストールは「大丈夫ですよ」と言葉を返してから、顎に手を当てて少し考え込む。それから彼はこう言った。
「そろそろ、中に入って見ましょう」
そう言ってアストールは呉羽に一つ頷き合図を送った。それを見た彼女は愛刀を完全に鞘へと戻し、風を操って瘴気を集めるのを止める。瘴気の流れが止まったのを感じ、リムも浄化をやめて立ち上がった。
カムイもアブソープションの出力を下げた。それから彼は、なんとなしに壁に空けた穴のほうを見る。浄化したかいがあったのか、そこから瘴気が流れ込んでくることはない。呉羽はまだ奥に瘴気が残っていると言っていたが、少なくとも絶対量はかなり減らせたようだ。
「カムイ君。すぐ近くでいいので、瘴気濃度を測ってきてもらえませんか?」
カムイはすぐに頷いて、アストールから【瘴気濃度計】を受け取った。それから足元に置いておいた〈発光石〉を拾い、その明かりを頼りに壁に空けた穴を潜る。
塞がれていた出入り口の先には、階段が用意されていた。その階段をカムイは慎重に下りる。短い階段で、数歩降りるとすぐに下に着いた。
着いた先はどうやら広い空間であるようだった。〈発光石〉の小さな明かりでは、その全貌を見渡すことはまるでかなわない。ただ耳を澄ませば水が流れるような音がして、そのせいなのか少しひんやりしているように感じた。
真っ暗な空間をぐるりと見渡してから、カムイは【瘴気濃度計】を掲げた。そしてその数値を〈発光石〉の明かりを頼りに読む。
「1.43! 結構高いです!」
ただ、高いとは言え2.0には届かない。【簡易瘴気耐性向上薬改】を飲んでいる今の状態なら問題はないだろう。そして同じように考えたのか、アストールら三人も下へと降りてくる。
「暗いですねぇ……」
「真っ暗です」
カムイと合流すると、アストールは苦笑気味に、リムは少し怖そうにそう呟いた。アストールは〈ライト〉の魔法を使って光球を浮かべてはいるが、しかし光の強さがまったく足りていない。辺りは相変わらず真っ暗だった。
「ちょっと待って下さい……」
そう言って呉羽はLEDランタンを取り出してリムに持たせる。ただこれでもまだ明かりが足りない。それで彼女はアイテムショップのページを開いて、より強力なライトを買うことにした。
「……よし、これでいいだろう」
そう言って呉羽が買ったのは、【36W_LED投光器】というアイテムだった。ランタンと同じくポイントによる充電式で、かなり強い光で広い範囲を照らすことができる。軽くて片手で持ち運びできるポータブルタイプだが、足が付いているからどこかに置いて使うものなのだろう。ちなみにお値段14,000Pt。幾つかある中でも高めのものを買ったらしい。
呉羽が購入した投光器のスイッチを入れると、辺りの様子が一気に明らかになった。その光景を見て、アストールが「おお……!」と感嘆の声を上げる。その隣で彼ほど感動の度合いは強くないにせよ、カムイも「へえ……」と感心したような声を出した。
神殿の地下室に隠されていた、さらに地下へと続く出入り口。その先には、アストールらが捜し求めていた魔法陣があった。巨大で、今見えているのは一部だが、それでもようやく見つけたという思いがある。ただその魔法陣は、カムイが想像していたものとは少し違った。
魔法陣というアイディアを出したとき、カムイがイメージしていたのは紙や石版などに描かれた、とても平面的な魔法陣だった。「水を引き込んでいる可能性が高い」と聞いた後も、その平面的なイメージは変わらなかった。
だが今カムイが見ている魔法陣は、平面的とは言い難い。少なくとも彼にはそう思えた。巨大だったせいもあるのだろうが、魔法陣を見つけたというよりは、むしろ迷路に迷い込んだように感じる。上が崩落しないように支えているのだろう、何本もの石柱が乱立していて、それがそのイメージを補強した。
地下にあった魔法陣は、大雑把に言って水路と丸い水槽によって構成されていた。引き込まれた水が水路を通って水槽にたまり、そこからさらに水路を通って別の水路へ水が流れていく。そういうふうに、魔法陣には水が流れていた。そしてその水の流れを目で追っていたカムイは、ふとあることに気付いた。
「これ……、水が上から流れ込んでない……」
「そう言われれば、そうですね……。どうしてでしょう……?」
カムイの呟きに、アストールがそう応じた。魔法陣には丸い水槽が幾つも配置されていて、その全てに水が満ちている。だがその水は、決して上からは注ぎ込まれていない。水槽から水槽へと水が移動する場合には、必ず水槽の上部から次の水槽の下部へと水が移動するように設計されているのである。そうやって設計が統一されているからには、そこには何かしらの意図があるはずだった。
「たぶん、水を間違いなく流すためですよ。ちょっとでも高い位置ができたら、流れなくなっちゃいますから」
そう言って解説したのは、意外にも呉羽だった。水は基本的に上から下にしか流れない。現代日本に暮らしていると忘れてしまいそうだが、水道のような設備を作る場合、これは極めて重要な問題だった。
要するに高さが足りなくなる場合があるのだ。だがこの方法ならごく限られた高さでどこまでも水路を伸ばすことが可能だ。加えてこの方法なら水路の方向を自由に変えることができる。
さらに一度水槽に溜めるので、そこで溜まった砂や落ち葉などを取り除くことができる。メンテナンスの観点から言っても、これは優秀な方法なのだ。
「あとは、そうですね……。水を循環させるっていう意味もあるかもしれませんね。ほら、上から入って上から出て行くような仕組みだと、下の水が溜まったままになって淀んじゃうじゃないですか」
呉羽はそう言って解説を終えた。それを聞いてアストールは「なるほど」と感心したように呟きながら何度も頷く。そして「興味深い」と続けて呟いてから、システムメニューのカメラ機能を起動して水路と水槽の様子を写真に収めた。
「よく分かったな」
「そう大したことじゃない。これは先人の知恵だよ」
少し恥ずかしそうに呉羽はそう応えた。彼女の言う先人とは、この世界に暮らしていた、この都市の人たちのことではない。彼女がいた世界、つまり地球における先人のことだ。この二つの水槽の上と下を繋ぐやり方は、江戸の水道システムとして実際に使われていたものだという。
「へえ……、そうなのか」
「江戸時代ならまだ並行世界への分岐は起こっていないはずだから、これはカムイだって調べれば得られた知識だぞ?」
勉強が足りないな、と呉羽は少し得意げにそう言った。カムイと呉羽の世界が平行世界として分岐したのは、〈次元融合災害〉という超大規模な自然災害が原因であろうと二人は思っている。そしてそれが起こったのが第一次世界大戦終結の直後であったというから、確かに江戸時代はまだ同じ世界として歴史を共有しているはずだ。
ただ、江戸の水道システムについてなど、学校の授業では習わない。だからその知識を得るためには、テレビなどで偶然見聞きするか、あるいは自分で興味を持って調べなければならないだろう。前者はともかく、後者はかなりマニアックな人間だ。そして呉羽の口ぶりからして、どうも彼女は後者であるらしい。
「トールさん、もう少し見て回ってみませんか?」
呉羽の趣味にアレコレ言うのも不毛、いや無粋であろう。そう思い、カムイはアストールに声をかけた。彼も魔法陣のことはほとんど何も知らないので、見て回ったところで解析や分析ができるとは思わない。ただ、いかにもファンタジックなこの地下魔法陣には彼も純粋に興味があった。
「ああ、すみません。つい熱中してしまいました。そうですね、そうしましょう」
カムイに呼ばれて、水槽や水路の様子を見ていたアストールが振り返る。ただ、すぐにはその場から動こうとせず、丸い水槽の方を指差してこう言った。
「やはりここへは街の水路から水が引き込まれています。そしてそれが原因で、地下に瘴気が溜まっていたようです」
そして今も、水槽に溜まった水から瘴気がわき立っている。放っておけば、またここは高濃度の瘴気に覆われるだろう。しかしだからと言って完全に浄化しきることもできない。悩ましい問題だった。
「少しでも具合が悪くなったら、我慢なんてしないですぐにそう言ってください。念のため、向上薬の手持ちを確認しておいた方がいいでしょう」
アストールの言葉に、カムイら三人は揃って頷く。そして手早く準備を整えてから、呉羽が持つ投光器の明かりを頼りに探索を始めた。
神殿の中庭には、魔法陣の中心と思しき水場がある。そしてこの魔法陣がある空間への出入り口は、神殿の地下室にあった。つまり出入り口のすぐ近くにいるカムイらは、魔法陣の中心近くにもいるのだ。
「トールさん、アレは……」
投光器を手に持った呉羽がそう呟く。彼女の視線の先にあるのは、恐らくあの水場の外壁だ。逆四角錐のような形をしていて、上部は天井にまで届いている。そして魔法陣の線であるところの水路は、四方向から一本ずつがこの場所へ接続されていた。つまり魔法陣を巡った水は最終的にここへ集うのだ。さらに排水路と思しき水路も四本、そこから真っ直ぐに伸びている。
「まさに舞台裏ですね、ここは……」
どこか嬉しそうにアストールがそう言った。この魔法陣を使った儀式などは神殿の中庭、つまりこの上で行われていたようだから、舞台裏というのは言いえて妙だ。
それから四人は瘴気濃度を気にしつつ歩き回って魔法陣の様子を見て回った。魔法陣の高さは、だいたいカムイの胸の高さくらい。恐らくそこが外の堀の水面の高さなのだろう。水路や水槽はしっかりと造られていて、まったくと言っていいほど水漏れは見られない。これを造った人々は持てる技術の全てを結集したのだろう。カムイはそう思った。
魔法陣は基本的に円形で、一番外側から水が引き込まれ、水路を通って水槽を満たしながら、基本的に中心に向かって水が流れていた。魔法陣の各区画は線、つまり水路によって区切られているが、水路の下には人が通ることを想定しているのだろう、かならずアーチ状の門が開いていて、身を屈めれば簡単に行き来ができた。
そうやって探索をしていると、それを邪魔する存在も現れる。つまりモンスターだ。アストールが注意したように、水路や水槽の水からは絶えず瘴気が立ち上っている。そしてその瘴気は、プレイヤーであるカムイらに反応したのだろう、モンスターとなって彼らに襲い掛かった。
「ギギィィィ!」
「〈ソーン・バインド〉!」
すかさずアストールが現れたモンスターを魔法で拘束する。いつも以上に素早い反応だ。彼の目には貴重な歴史的資料を傷つけてなるものかと言う強い決意が宿っている。ただ複数のモンスターが現れると、その全てを一瞬で拘束するのは難しい。
「お願いですから壊さないでください!?」
必死の形相でアストールは懇願する。そもそも、戦闘系のユニークスキルを持つプレイヤーの力というのは、ちょっと強すぎるのだ。本人は手加減したつもりでもふとした拍子に、ともすれば余波だけで周りのものを破壊しかねない。そして今はそれが致命的だった。仮に水路や水槽を破損させてしまったがために瘴気の集束現象が起こらなくなってしまったら、目も当てられない。
そこまで考えていたわけではなかったが、呉羽は彼の要求に応えた。彼女は愛刀をコンパクトに振るってモンスターを仕留める。要望通り、水路や水槽には傷一つ付けていない。それを確認して彼女は「ふう」と一つ息を吐いた。やっぱり気を使いながらの戦闘は、いつもとは違う種類の負担がある。
「お疲れさん。次はオレがやろうか?」
呉羽から受け取った投光器を手に持ちながら、カムイが彼女にそう声をかける。そんな彼に呉羽は苦笑しながらこう答えた。
「いや、わたしがやるよ。カムイはトールさんが拘束した敵を片付けてくれ」
カムイの戦い方では周囲に被害が出るから、とは彼女は言わなかった。だがカムイはそれを察して小さく頬を引き攣らせる。自分が力任せで、スマートな戦い方をしていないことは、彼も自覚していた。それに加え、いつ正気を失うかも知れない。繊細な戦いに向かないのは明白だ。
結局、地下での戦闘は全て呉羽が担当した。特殊なモンスターは出てこなかったから、普段に比べて特別負担が大きかったわけではないだろう。ただ、カムイが役に立たなかったことに違いはない。
(嫌になるな……)
情けない、自分が。最近はそんな思いばかりしている気がする。ちゃんとやっているつもりでいた。だが、どうやらそれではダメらしい。そしてそれに気付けたことはたぶん幸運なのだ。カムイは自分にそう言い聞かせた。
広い地下空間を、四人は投光器の明かりを頼りに歩き回る。分かっていたことだが、ずいぶん広い。さらに魔法陣は思っていたよりもずっと複雑だ。加えて、乱立する石柱のせいで見通しが悪い。このような状況では、丸写しとはいえ魔法陣を紙に書き写すのは大変だろう。アストールも同じ事を考えたようで、彼は少し顔を強張らせながらカムイにこう尋ねた。
「あの……、カムイ君。地図にここの様子って写ってたりとかは……?」
「ええっと……、ありませんねぇ……」
カムイはストレージアイテムから地図を取り出して、それを確認してからアストールに差し出した。この地図は歩くだけで情報が記載されていくマジックアイテムだが、そもそも地上の地図である。それで地下のことは何も反映されていなかった。アストールもそれを見てがっくりと肩を落とす。
「これは、書き写すのが大変そうですね……」
カムイは良く分からないが、魔法陣は適当に書き写せば言いというものではないらしい。この場合、例えば水路の幅や長さにそれぞれの角度、水槽の直径や高さにも全て意味がある。だからそう言ったものの比率を保って書き写さなければならない。手書きでは難しいだろう。全体を俯瞰できるなら少しはやりやすいだろうが、石柱が立ち並ぶ地下では不可能だ。
「なにかいいアイテムがないか、ショップを探してみた方がいいかも知れませんね。無いなら、リクエストも視野に入れて……」
顎に手を当てて考え込みながら、アストールがそう呟く。そんな彼に苦笑してから、カムイは借りっぱなしになっていた【瘴気濃度計】の数値を確認する。それが、目下戦闘に参加できないカムイの仕事だった。
確認した瘴気濃度は1.61。2.0にはまだ届かないものの、かなり高いといっていい。瘴気がまた溜まり始めているのだ。カムイはその事をアストールに告げた。
「一度、外に出ましょう。なに、焦ることはありません」
アストールは自分に言い聞かせるようにそう言った。他の三人は揃ってその言葉に頷いた。
神殿の外に出て時間を確認すると、すでに四時を過ぎていた。ただ、夕食には少し早い。それで四人はその空き時間を使ってポイントを稼いでおくことにした。
(魔法陣は見つかったし、明日からは時間が取れるかな……)
瘴気を浄化しながら、カムイはぼんやりとそんなことを考える。どこかで一人になれる時間がほしい。情けないままなのは嫌だから。内心のその想いを堪えるようにして、カムイは奥歯を噛み締めた。
翌日、カムイら四人は朝食を食べた後、また神殿に来ていた。まずはいつも通り、中庭で集束を続ける瘴気の塊を浄化してその状態をリセットする。それから回廊を通って奥の部屋に入り、階段を下りて地下室を目指した。先頭は【瘴気濃度計】を持ったカムイだ。
「あらら……。こりゃ大変……」
地下室の様子を見たカムイは、そう呟いて苦笑を浮かべる。地下室には、また瘴気が溜まっていた。十中八九、地下の魔法陣に引き込まれている水が原因だ。出入り口を塞いでいた壁を崩したことで、瘴気もまた遮られることなくこちら側へ来るようになってしまったのだ。
「まずは浄化ですね」
アストールの言葉に、カムイらは揃って頷く。そして彼らは昨日と同じように、地下の瘴気を浄化していく。完全に浄化しつくしてしまうことはできないが、これでかなりマシになることは昨日の段階で確認済みだ。そして二十分ほどで一通りの浄化が終わると、カムイは他の三人にこう声をかけた。
「ちょっとやりたい事があるので、ここで抜けていいですか?」
「構いませんが……。また地図作りですか?」
「いえ、ちょっと別件です。……それじゃあ、夕方には戻ります」
そう言って足早に階段を上っていくカムイの背中に、アストールは「お気をつけて」と声をかけた。カムイの足音がしなくなったところで、残った三人も下りてきた階段に背を向け、魔法陣のある空間へと続く出入り口を潜る。先頭は投光器を持った呉羽だ。
「何をするにしても、こう暗くてはやりにくくて仕方がありません。まずは、ここを少し明るくしましょう」
短い階段を下りると、アストールはまずそう言った。この場所はただでさえごちゃごちゃとしている。その上真っ暗なせいで、どんな作業をするにしてもやりにくいことこの上ないのだ。
「えっと……、天井に穴でも空ければいいんでしょうか……?」
「絶対にやめてください」
アストールは真顔で呉羽を止めた。冗談だろうが、彼女の場合、本当にできてしまうからたちが悪い。とはいえ、天井に穴を空けないとなると、残る方法はどうしても力技になる。つまり照明をあちこちに設置するのだ。
アストールら三人はアイテムショップで投光器を購入し、それを荷造りようのベルトで乱立する柱に固定していく。高い位置で固定するので、合わせて脚立も購入した。ちなみにベルトは一つ250Ptで、脚立は8,000Ptだ。
ベルトや使い回しをする脚立はともかく、10,000Ptを越える投光器を幾つも買わなければならないのは、結構大きな出費である。しかしアストールはそれも必要経費と割り切って投光器を購入した。彼だけに買わせるのは悪いので呉羽とリムも何個か買ったが、一番たくさん買ったのは間違いなくアストールだ。
もちろん、全ての石柱に投光器を取り付けていくわけではない。効率よく明るくできるよう、適当な柱を選ぶ。一つの石柱に一つの投光器というわけではなく、むしろ三つから四つほどの投光器を一つの柱に取り付けた。そうするとその周りが一気に明るくなって、その様子は呉羽にもとの世界の街灯を連想させた。
「……でも、トールさん。この投光器はポータブルの充電式で、数時間もしたら電池が切れてしまいますよ。どうするんですか?」
脚立の上に立って投光器を取り付けるアストールに、呉羽はそう尋ねる。彼女の言うとおり、購入した投光器は全てポイントで充電を行うタイプだ。電源に接続しているわけではないので、電池が切れたら明かりは消えてしまう。
とはいえ、安定した電源などここには、いやこの世界のどこにも無い。それで使うとしたら充電式のものを使うしかない、というのが現状だった。
「少々面倒ではありますが、毎日エネルギーを補充してやるしかないでしょう」
苦笑しながらアストールはそう答えた。確かにそれしかない。その手間を想像して、呉羽は少しだけ頬を引き攣らせた。
「ところでリムさん、瘴気濃度はどれくらいですか?」
「えっと、1.56です!」
設置された投光器の明かりを頼りに、リムが手に持った【瘴気濃度計】の数値を読む。当たり前だが、濃度は少しずつ高くなっている。それで作業は常に瘴気濃度を気にしながら行われていた。
「もう少し高くなったら、もう一度浄化して濃度を下げておきましょう」
「……カムイさんがいないのに、大丈夫でしょうか?」
確かにカムイがいないと、無制限に【浄化】の能力を使うことはできない。きちんと自分が役割を果たせるのか、リムは少し不安そうだった。しかしアストールはそんな彼女を安心させるように、優しく微笑んでこう言った。
「リムさんもあの時から比べて、ずっと成長しています。大丈夫ですよ」
「はい!」
リムが元気よくそう返事をする。そんな彼女にもう一度微笑み、アストールは投光器の設置を続けた。




