旅立ちの条件3
「やっほ~。話はリンリンから聞いてるわ。みっちり仕込んであげるから、覚悟しなさい?」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
アーキッドらを見送り、ロナンやデリウスらと調査報告の報酬について交渉した日の午後、拠点の外れでカムイらを出迎えたのはガーベラだった。彼女こそが、カムイに運転技能を教えてくれる教官である。
当初カムイは報酬して拠点と遺跡の間に道路を造るための人員を求めたのだが、長期間拘束される仕事に人手を割いて戦力をダウンさせるわけにはいかないと言われ、その案はあえなくボツとなった。さらにその中でカムイに車の運転経験がないことが明らかになり、そこでリーンが提案したのが、教官役の紹介だったのである。
人員を割くという意味では、この案も同じではある。ただ教習は拠点の周囲で行われるから、防衛戦の戦力ダウンには繋がらない。さらに教官役に選ばれたのはガーベラで、彼女はもともと戦闘能力の面では評価が低い。彼女が抜けたところで、戦力の低下について心配する必要はないだろう。
『ぜひ教えてもらえ』
ずいっ、と迫る呉羽の強い勧めもあり、カムイはリーンの案を了解した。実際問題、車さえきちんと運転できれば、移動時間の大幅な短縮は可能なのだ。それでアストールやリムも反対はせず、こうしてカムイはガーベラから車の運転を教えてもらうことになったのである。
「それじゃあ、早速始めましょうか」
「はい」
ガーベラに促され、午前中にリクエストしたばかりの【レンタカー(ヘルプ軍曹監修・ミリタリージープ)】を購入する。時間はとりあえず一時間。ただし、購入したのはカムイではなく呉羽だが。その理由はもちろん、リクエストした彼にポイントが入るようにするためだ。みみっちいとは思うが、15,000Ptは決して安くない。
ちなみにこれらのポイントは交渉が終わってから午前中に稼いでおいたものだ。稼いだ四人分を、今は呉羽が預かっている。呉羽は恐縮していたが、アストールが「ちょっと用事がある」と言ってこちらへは来なかったので、彼女が預かることになったのだが、それはそれとして。
「これがリクエストしたレンタカーね」
シャボン玉のエフェクトと一緒に忽然と現れたのは迷彩柄のジープだった。カムイが見知っている一般的な車よりタイヤが大きく、そのため車高も高い。これなら確かに荒れ野を走るのに適していそうだ。そのジープに近づいて、ガーベラはためつすがめつ様子を確認する。リムも「ほえ~」と言いながら目と口を大きく開けて、初めて見る自動車に興味津々な様子だ。
「ミリタリー仕様だけあってやっぱり無骨だな……。だけどダサくはない。ヘルプ軍曹、いいセンスだ」
カムイは車のデザインが気に入ったのか、満足げに何度も頷いた。ただ、その隣にいる呉羽は「可愛くない……」と少々不満顔である。その時、運転席を調べていたガーベラがあることに気付いて声を上げた。
「ちょっと、これマニュアル車じゃない! マニュアル車だと運転面倒だけど、大丈夫なの?」
その声を聞いて、カムイと呉羽は思わず顔を見合わせた。二人とも自動車の種類としてマニュアル車とオートマチック車があることは知っているが、しかしその差については良く分かっていない。ガーベラはそんな二人を手招きして呼び寄せ、運転席のハンドルの下を指差しながらこう説明した。
「ほら、下にペダルが三つあるでしょう? 右側がアクセルで、真ん中がブレーキ、そして左側にあるのがクラッチよ」
簡単に言うとクラッチがついているのがマニュアル車であり、その分運転操作が複雑で面倒になる、とガーベラは解説する。それを聞いてカムイは思わず渋い顔をした。どうやらこの車を運転するのは、彼が思っていた以上に難しいらしい。
「ええっと、ガーベラさんは運転できるんですか?」
「アタシ? アタシはできるわよ」
ガーベラは気負いのない様子でそう答えた。少し余談になるが、彼女の世界では自分で車を運転するのは必ずしも一般的ではない。星間文明を築けるほど科学技術が進歩しているその世界では、むしろ自動運転の方が安全とされ一般的だった。
ではそれなのになぜガーベラが運転技術を持っているのかというと、それは彼女がプラント・ハンターであるからだ。仕事柄、辺境惑星のさらに未開地へ分け入ることの多い彼女は、そこでの移動手段兼拠点としてよく車を用いる。そのため運転技術を習得しているのだ。
もっともそれは物事の一面でしかない。はっきり言えば、彼女は車の運転が趣味なのだ。特に古典的なマニュアル車など、運転できるのは一部の愛好家だけである。ここまでくると一般にはあまり理解されない趣味だが、それがこうして異世界で役立つのだから、人生何が幸いするか分からないものだ。
閑話休題。カムイは少し悩んだが、とりあえずマニュアル車の運転を教えてもらうことにした。どうしてもダメなら改めてオートマ車をリクエストするしかないが、購入してしまったしまずはこちらを試してみようと思ったのだ。
「動き出すときは半クラッチよ。……そう、クラッチを半分くらい踏んだ状態で維持して、車をゆっくり動かす。それから……」
ガーベラに教えてもらいながら、カムイは不慣れな様子ながらもしっかりとハンドルを握って車をゆっくりと動かす。ただガーベラも言っていた通り、クラッチとギアチェンジの操作が面倒だ。カムイは何度もエンストさせた。
「オートマ車をリクエストします……」
およそ30分後、カムイは疲れた様子で車を降りると力なくそう言った。十分に練習できれば、マニュアル車でも運転できるようにはなるだろう。しかしそのためには多額のポイントが必要になる。ならば運転が簡単なオートマ車をリクエストしたほうが、最終的には安く上がると思ったのだ。
「あ、じゃあ残り時間ちょっとこの車借りていい? もちろん、燃料代は自分で払うから」
カムイが車から降りると、ガーベラが目を輝かせながらそう言った。カムイと呉羽が少々引き気味になりながら頷いて承諾すると、彼女は早速車に乗り込んで走らせ始める。その動きはとても滑らかで、カムイが運転していたときとは雲泥の差だ。
「……これはもう、ガーベラさんに送り迎えしてもらえばいいんじゃないかなぁ?」
呉羽が小さく呟く。見たとおり運転技術に問題はないし、本人もタダで車が運転できるとなれば喜んで引き受けてくれそうではある。ただ別の問題があり、カムイはそれを指摘した。
「往復となると、単純に考えて倍のレンタル料がかかるんだぞ?」
仮に片道二時間だとすると、往復では四時間だ。そして【レンタカー(ヘルプ軍曹監修・ミリタリージープ)】を四時間レンタルするには、600万Ptが必要になる。さらに一回ならともかく何回もとなると、躊躇うには十分な理由だった。頭の中で試算をした呉羽も渋い顔をする。そんな彼女の目の前で、ガーベラの運転するジープが華麗にドリフトを決めて土埃が舞った。ずいぶん楽しんでいるようだ。
「……そうだな。うん、やっぱり止めておこう」
呉羽は妙に悟りきった顔でそう言った。カムイも頷くと、システムメニューを開いてアイテムリクエストのページを開く。リクエストするのは、今度こそ間違えないようにオートマッチクのレンタカーである。
アイテム名【レンタルジープ(オートマチック)】
説明文【オートマチックのジープをレンタルする】
一時間当たりのレンタル料や燃費について、カムイは何も指定しなかった。恐らくシステムが勝手に決めるだろうと思ったのだ。そしてその通りになった。実際に生成されたアイテムは次のようになっていたのである。
アイテム名【レンタルジープ(オートマチック)】
説明文【オートマチックのジープをレンタルする。値段は1,500,000Pt/h、燃費は0.8m/Pt】
「燃費が微妙に悪くなってる……」
説明文に追加された数字を見て、カムイは苦笑を漏らした。ただレンタル料は変わっていないので、そう大きくコストが増えるということは無さそうだ。
「お待たせ~。いや~、お姉さん大満足よ」
やがて存分に【レンタカー(ヘルプ軍曹監修・ミリタリージープ)】を乗り回したガーベラが戻ってきた。車から降りた彼女は艶々とした笑みを浮かべている。どうやら大いに満足したようだ。ちなみに車の方は、彼女が降りたすぐ後にシャボン玉のエフェクトに包まれて消えた。どうやら時間だったようである。
教官役のガーベラが戻ってきたことで、特訓が再開される。早速、呉羽がリクエストしたばかりの【レンタルジープ(オートマチック)】を、まずは一時間だけレンタルした。
「あ、今度のは迷彩柄じゃないんだ」
ガーベラの言うとおり、【レンタルジープ(オートマチック)】は、ミリタリー仕様にしなかったからなのか、迷彩柄ではなかった。デザインも無骨さがなくなって見慣れた形となっており、普通に日本の道路を走っていそうな車である。
「さ、始めましょう。さっきよりはかなりラクだから、すぐに乗れるようになるわ」
ガーベラに促され、カムイは運転席に乗り込む。足元を覗き込むと、さっきは三つあったペダルが今は二つになっている。クラッチがなくなったのだ。ギアも簡略化されているように見えた。これなら確かに運転はラクそうである。
運転を習うとは言っても、道路があるわけでも信号があるわけでも対向車が走っているわけでもない。取締りを行う警察さえもいないのだ。それでガーベラが教えるのは運転技術の、本当に基本的な事柄だけだった。縦列駐車も坂道発進もカットである。それで一時間後には、カムイはかなり滑らかに車を運転できるようになっていた。
「うん。まあこれくらい運転できれば、荒野を真っ直ぐ走るくらいは出来るでしょう」
「ありがとうございます!」
ガーベラからお墨付きを貰い、カムイは笑顔を浮かべながら頭を下げて礼を言った。そんな彼にガーベラは「くれぐれも安全運転でね」と念を押す。それから彼女は呉羽の方に視線を向けてこう言った。
「呉羽ちゃんはどうする?」
「えっと……。どう、とは?」
「この機会だし、呉羽ちゃんも車の運転習っちゃう? マニュアルでもオートマでも、お姉さんどっちでもオッケーよ?」
ガーベラは気負いのない笑顔を浮かべながらそう言った。呉羽は迷惑ではないかと思ったが、しかしガーベラは気楽に笑いながら首を横に振る。夕方まではまだ時間があるし、なによりリーンからこの話を受けたとき、一週間くらいはかかるかもしれないと聞いていたという。
「だから時間とかこっちの都合なんて気にしなくていいわ。どうせ費用はそっち持ちだしね」
「それじゃあ、お願いします」
ガーベラに勧められ、呉羽も車の運転を習うことにした。この先、この技術が役に立つこともあるだろうと思ったのだ。選んだのはカムイと同じくオートマ車である。レンタルするためのポイントは結構もうギリギリだが、ここは投資のしどころであろう。そう思い呉羽は【レンタルジープ(オートマチック)】をレンタルした。一時間だけ。
(カムイに出来たんだ。わたしも一時間でモノにしてみせる!)
その決意を胸に呉羽は車に乗り込み、そしてハンドルを握った。その肩に力が入った姿を見て、ガーベラはそっと苦笑する。この娘はもしかしたら結構不器用なのかもしれない。ガーベラはそう思った。
呉羽は、運動神経はいいはずなのだが、どうにも車の運転とは波長が合わなかったらしい。いくぶん苦戦しているようにカムイには見えた。気負って肩に力が入っていたのも、無関係ではないだろう。それでも一時間後には、呉羽は何とかガーベラからお墨付きを貰った。
こうして都合三時間ガーベラに付き合ってもらって、カムイと呉羽は最低限の運転技術を習得した。もちろんこの程度で、現代日本の運転免許証を習得することはできない。だがこの拠点と遺跡の間を車で移動するだけなら十分であろう。
ちなみにこの間、リムも一緒に付き合っていたのだが、彼女の場合身長が足りなくて車の運転を習うこともできない。最初こそ興味深そうにカムイが車を走らせる様子を見ていたが、やがてそれにも飽きた。それで彼女は少しはなれたところでずっと本を読んでいた。本はアイテムショップで買ったものだが、決して静かとは言えない環境の中で、しかし気を散らされずに本を読むその集中力は、なかなかのものと言えるだろう。
「……とりあえずこんなところね。後は、こう言ってはなんだけど、回数を重ねて経験値を積むしかないわ。結局慣れなのよ、運転って」
夕暮れの気配が近づいてきた頃、ガーベラはそう言って二人の特訓を終えた。カムイと呉羽は「ありがとうございました」と礼を言い、揃って頭を下げる。それからガーベラはリーンに報告しに行くと言ってその場を後にした。
「これで、拠点と遺跡の間を短時間で行き来できるな」
「ああ。でもまあ、出発は明日だろ。戻って、トールさんと合流しよう」
そう言ってカムイら三人も拠点へ戻った。アストールもどうやら用事は終わったらしく、彼はすぐに見つかった。
「お疲れ様です。どうでしたか、その、車とらやの操縦の方は」
「なんとかモノになりました。今度からは車で移動できますよ」
カムイがそう答えると、アストールは「それは何よりです」と言って微笑んだ。そこへ、呉羽が少し申し訳無さそうにしながらこう口を挟む。
「あの、その代償と言ってはなんですが、ちょっと問題が……」
言いにくそうにする呉羽へ、三人の視線が集まる。彼女の言う問題とは、つまりポイントの不足だった。レンタル三回と、さらにリクエストを一回。その合計は550万Ptにもなる。リクエスト代を負担したのはカムイだが、そのため二人ともかなり手持ちのポイントを減らしていた。特に呉羽は事前に預かったポイントだけでは足りずに自分の身銭を切っており、要するに赤字だった。
「それでなんと言いますか、明日車をレンタルする分のポイントがないんです……」
少々情けない顔をしながら呉羽はそう言った。ここまで金欠になるのは久しぶりである。せめて温泉代をカムイが負担してくれていたらここまでひもじい思いをしなくてすんだのだが、今は言っても仕方のないことである。ちなみにそのカムイの方もアイテムリクエストを二回もしたために、呉羽と同じくらい金欠だった。
「ふむ、それなら私が出してもいいですが……」
「わ、わたしも大丈夫です!」
幸い、アストールとリムにはまだ余裕がある。だから一時間車をレンタルするくらいなら、特に問題はない。しかしアストールは金欠二人の方を見ると、クスリと笑みを浮かべてからこう言った。
「暗くなるまでまだ時間があります。少し稼いでおきましょうか?」
「は、はい!」
呉羽の表情が明るくなる。四人は辺りが薄暗くなるまでポイントを稼いだ。さらに呉羽は赤字分も補填してもらい、こうして金欠状態を脱することが出来たのである。
「……食べながらでいいので、ちょっと聞いてください」
夕飯を食べているときに、アストールはやおらそう切り出した。三人の視線が集まったところで、彼はさらにこう言葉を続ける。
「実は、皆さんがガーベラさんと特訓をしていた時に、わたしは〈世界再生委員会〉の方々や、ここにいるプレイヤーの方々にちょっと相談事をしていたんです」
それが彼の言っていた「用事」であるという。そしてその相談事とは遺跡調査に関係したことで、つまりは例の瘴気の集束現象についてであった。
「カムイ君から魔法陣というヒントをいただき、さらにいろいろな方々からご意見を伺った結果、仮に魔法陣が存在していれば瘴気の集束現象が起こっても不思議ではない、という結論に達しました」
問題はその魔法陣がどのようなもので、さらにどこにあるのかということである。
「前にも言いましたが、私は魔法陣については何も知りません。なので、見つけたとしてもそれがどんな意味を持つのか、それを調べることはできないでしょう」
少し残念そうにしながらアストールはそう言った。だが彼はさらに「ですが」と言葉を続ける。
「ですが、魔法陣を見つけることさえできれば、それを丸写ししてここへ持ち帰ってくることはできます」
なにも一人で全てをやる必要はない。できない事は人に任せればよいのだ。少なくとも遺跡から魔法陣を見つけ出し、その情報をここへ持ち帰ってくることは、アストールにしかできないだろう。
「ということは……」
「はい。それで次の目的は魔法陣を見つけ出すことになります」
カムイに頷きを返しながら、アストールは地図を取り出して広げる。そして遺跡の部分を拡大して三人に示す。
「いろいろと相談した結果、もし魔法陣があるとすれば、やはりこの堀に囲まれた丸い部分であろう、ということになりました。中心となるのは、もちろんココです」
そう言ってアストールが指差したのは、例の神殿の中庭であり、さらに言うなら瘴気の集束現象が起こっている水場である。そこには瘴気に汚染された水が溜まっていて、そこから立ち上る瘴気が空中で集束し塊になっているのだ。
「でも、この辺りに魔法陣なんて……」
「はい。一通り探してみましたが、それらしきものはなにも見当たりませんでした。なので、恐らくは地下にあるのだろう、というのが皆さんの意見です」
魔法陣を地下に置いたのには、幾つかの理由があると考えられる。第一に建物を建てる際に邪魔にならないようにするため。そして第二に、水を引き込むためだ。
前述したとおり、例の神殿の中庭にあった水場には水が溜まっていた。いや、水が溜まっていたから水場と呼んでいるのだが、それはそれとして。この水について、アストールは雨水が溜まったものだとは考えていない。水路を流れる水、つまり川の水をどこからか引き込んだものだと考えている。そしてそれは相談したプレイヤーたちも同じ意見であるという。
「そして地下にあるということは、最初からそれを計画に入れてあの場所を整備した、ということです。これだけ大掛かりな設備、いえ仕掛けというべきでしょうか。ともかくこれがあの都市の中核であったことは間違いないでしょう。
ところで少し話は変わりますが、設備や仕掛けが大きくなればなるほど、維持管理の問題が重要になります。要するに、きちんと使える状態を保つため、定期的にメンテナンスしてやる必要があるわけですね。それは恐らくこの魔法陣にも当てはまるでしょう」
街の中核に据えられた巨大な魔法陣。しかも今までの調査から、何かしらの儀式祭典に用いられていたと思われる。改めて言葉にするとずいぶんファンタジーだが、実際に運用しようとすれば、アストールの言うとおり定期的なメンテナンスは欠かせない。
特に今回は水が重要な要素になっている。水漏れやゴミが流れ込んでしまうなど、カムイでも運用していく上での問題をすぐに幾つか上げることができる。ましてや、造った人々がそれを想定していないはずがない。であるならば、どこかにあるはずなのだ。メンテナンスのための出入り口が。
「それで、今後の調査ですが、地下の魔法陣へ続く出入り口を見つけることが、最初の大きな目標になります」
アストールの言葉に、カムイら三人は揃って頷いた。カレンらと邂逅したことで遺跡の調査は一時中断されていたが、拠点に戻ってきたおかげでこうして次の目標を定めることができた。〈侵攻〉があったりして結構バタバタとしていたが、このタイミングで一度戻って来たのは正解だったといえるだろう。
(川越えもラクだったしな……、って、あ……!)
カムイはあることに気付く。そしてそれが顔に出たらしく、いぶかしんだアストールが彼に声をかけた。
「カムイ君、どうかしましたか?」
「あ、いや。また川を渡らなきゃいけないんだなぁ~、と……」
戻ってくるときは、イスメルのユニークスキル【ペルセス】のおかげで簡単に川を越えることができた。しかし彼女はもういない。とすれば今度はまた正攻法(力技?)で川を渡らなければならない。
方法はあるし、それを成功させてもいる。二度目だし、前回よりは上手くやれるだろう。しかし手間が掛かることに変わりはない。現にゲロ吐いた呉羽などは盛大に渋い顔をしている。いや、アレは直接の関係はなかったか。
「……まあ、怪我をしないように気をつけて渡るとしましょう」
「そうですね」
「了解です」
「わ、分かりました」
四人は揃って一度頷くと、それぞれ夕食の残りに取り掛かる。出発は明日の朝だ。ただし、〈侵攻〉が起こった場合はこの限りではない。
― ‡ ―
「トールさん、大丈夫ですか?」
川沿いの段丘の一番上。川を挟んだ向こう側に遺跡を臨む場所で、カムイは青い顔をして石に腰掛けるアストールの背中を摩っていた。アストールは口元を押さえながら顔をしかめる。吐き気がするのだ。ただ、高濃度の瘴気を吸い込んでしまったわけではない。要するに、車酔いをしたのだ。
この日の朝、朝食を食べた後、カムイらは海辺の拠点を出発して調査を行っている遺跡へと向かった。その際、予定していたように【レンタルジープ(オートマチック)】をレンタルして使ったのだが、それに乗ったアストールが車酔いをしたのだ。悪路であったためなのか、それともカムイの運転技術が未熟であったせいなのか。彼は前者だと確信しているがそれはそれとして。
「一度、止めればよかったですね。すみません」
「いえ、お気に、なさらず……。高いポイントを、払って、いるのですから、これ、くらいは……」
息も絶え絶えな様子でアストールはそう言った。彼が体調を崩した時点で車を止めなかったのは、ひとえにレンタル料が高いからだ。一時間に150万Ptもかかるのだから、その間になるべく移動したいと思うのは当然である。ただ、そのせいでアストールには苦行を強いることになってしまった。
「……ありがとうございます。少し、落ち着いてきました」
アイテムショップで購入した冷たい水を飲んで、アストールは力なく笑った。それから川向こうの遺跡に視線を向けてこう呟く。
「それにしても凄いですね……。拠点からここまで、たった一時間で着いてしまいました……」
徒歩であれば三日はかかる道のりを、わずか一時間。日本にいた頃は当たり前に乗っていたが、こうしてみると自動車は凄まじく便利だ。まさしく文明の利器である。これでもうちょっと安く使えれば言うことはない。まあ、もう無理な相談だが。
「……さて、と。お待たせしました。そろそろ行きましょうか」
顔色と体調が元に戻ると、アストールはそう言って座っていた石から立ち上がった。それを見て他の三人も気を引き締める。これから遺跡に向かう上での最難関、〈侵攻〉が起こる川の渡河に取り掛かるのだ。
段丘を降りて最後の一段まで来ると、カムイを除く三人は【瘴気耐性向上薬】を購入してそれを飲み干す。これで一時間だけ瘴気耐性が五倍になる。それから呉羽が【草薙剣/天叢雲剣】の力を使って地面から瘴気を噴出させ、川岸一帯を高濃度の瘴気で包む。
「瘴気濃度4.12! 〈侵攻〉、起こりません!」
カムイが瘴気濃度と〈侵攻〉の未発生を確認すると、四人は素早く川に向かって移動を開始する。高濃度瘴気の中を移動するのでモンスターが多数発生するが、なるべく相手にせずひたすら川を目指す。川のすぐ近くまで来たら、リムが【レンタルモーターボート】を購入。それに乗って対岸を目指すのだ。
対岸に近づくと、そこは高濃度瘴気に覆われてはいないため〈侵攻〉が発生する。そのためゆっくりボートから降りている余裕がない。それでカムイは前回同様ボートを岸に突っ込ませ、ほとんど座礁させるようにして川を渡った。また修理代を取られてしまうだろうが、これはもう必要経費と割り切ることにする。
対岸に渡った後は、全力で遺跡を目指す。リムは呉羽が抱えて走った。全員が遺跡に到着すると、川から上がってきたワニ型のモンスターたちは、その場で身を投げ出して川岸を汚染していく。決して気持ちの良い光景ではないが、ともかくまた無事に遺跡に戻ってくることができたのだ。
「ブルーベリータルトが食べたいです」
リムがポイント獲得のログを確認すると、やはり【レンタルモーターボート】の修理代を取られていたらしい。その修理代の代わりにスイーツを所望されたので、カムイはつつしんでご希望のブルーベリータルトを献上する。そしてリムのおやつに合わせて他の三人も一服することにした。
「呉羽、何してるんだ?」
「ん? ああ、カレンに遺跡に着いたことを報告しておこうかと思って」
呉羽のその言葉を聞いて、カムイは少しだけ頬を引き攣らせた。呉羽とカレンが仲良くなるのは大変結構だが、しかし黒歴史の暴露だけはしないで欲しい。いつぞや脅されたことを思い出して、カムイはそう祈った。万が一のときに披露するため、幼馴染の黒歴史を整理しながら。
「そろそろ、行きましょうか?」
三十分ほどゆっくりと休んでから、アストールに促されてカムイらは立ち上がった。そして動き出す前に【簡易瘴気耐性向上薬改】を飲んでおく。これで瘴気耐性が十二時間二倍になる。ただ、苦いのでリムは涙目になっていた。
「おやつ前に飲めばよかったな」
カムイがそう呟くと、リムは目をまん丸に見開いた。順番を逆にするだけでお口の中の幸福度はまるで違ってくる。それを直感的に悟ったのか、リムはとても悔しそうな顔をしていた。
「……次はシュークリームです」
リムはそう決意を固める。そんな彼女の頭を、カムイはポンポンと撫でるのだった。
さて、瘴気への備えをしてから、カムイら四人は遺跡の中心部を目指して歩き始めた。途中、何度もモンスターが出現したが、どれもザコばかり。問題は起こらなかった。それでカムイはこの機会に前々から考えていた実験をして見ることにした。
「リム、ちょっといいか?」
カムイが考えていた実験とは、出現する前にモンスターを倒してしまおうというものである。どうやるのかと言うと、出現の前兆として瘴気が集束を始めたところで、その瘴気を浄化してしまおうというのだ。瘴気がなくなればそもそもモンスターは出現しない、という理屈である。
「そんなに上手く行くのか?」
呉羽が疑わしげな顔をするが、カムイは自信を持って頷きこう答えた。
「オレが【Absorption】で確認済みだ」
カムイのユニークスキル【Absorption】でも、リムの【浄化】と同じようなことができる。もっとも確認した時には、高濃度の瘴気を吸収したせいで強烈な反動を受けてしまった。それでも結果的にモンスターは出現しなかったし、リムの【浄化】ならば反動を受ける心配もないだろう。
「やります!」
モンスターを、出現する前に倒せる。それを聞いてリムは目の色を変えた。彼女が「やる」と言ったことで呉羽も引き下がる。そして出現数が一体のときを見計らって実験は行われた。
「できました!」
愛用の【ミスリルロッド】を両手に持ちながら、リムが歓声を上げる。実験は無事に成功し、モンスターを出現前に倒すことができた。カムイの見立てどおり、反動を受けた様子もない。成功と言っていいだろう。
「これでわたしも戦えます!」
モンスターを出現前に倒すという、ある意味反則的な技を手に入れたリムは、そう言って意気込んだ。ただ、だからと言って彼女の身体能力や、総合的な戦闘能力が向上したわけで決してない。
さらにモンスターは一体で現れるとは限らず、むしろ複数体で現れることの方が多い。そんな中にリムがちょこちょこと出て行く様子は、傍から見ていてとても危なっかしい。それで呉羽は思わずその首根っこを、まるで猫のように引っ掴んでしまった。
「リムちゃん、危ないから! 後ろに下がって! ああもう、カムイ。お前がヘンなことを教えるからだぞ!」
「オレのせいかよ!?」
結局、呉羽に諭されてリムは不満そうにしながらも前に出るのをやめた。その様子を見ながら、カムイは「釘バットを装備すればいけるんじゃないかな」と無責任なことを考えるのだった。
そんなことがありながらも、彼らは遺跡の中を川から堀で囲まれた例の区画を目指して歩く。目的地までは結構距離がある。ただカムイが作っておいた地図があったので、彼らは道に迷うことなくまっすぐにそこを目指すことができた。
それでも二時間強、彼らは歩くことになった。距離だけを見れば、ほんの数キロ程度だろうか。海辺の拠点から遺跡までの距離を比べれば、誤差として切り捨ててしまえるような距離である。それなのに歩くと倍以上の時間がかかるのだ。
(車、使えば良かったかな……)
そんな気もしてくる。ただ、市街地では荒野のようにスピードを出すことはできないだろう。それに運転技術が未熟だから、あちこちぶつけてしまうかもしれない。そうなれば遺跡が傷ついてしまうので、アストールは悲鳴を上げるだろう。その様子を想像して、「やっぱり止めておこう」とカムイは思った。
さて遺跡の中心部までやって来ると、カムイらは堀にそうようにして歩いて、足場板を使って作った橋のある場所を目指す。その間、アストールはずっと何かを探すように堀の水面を見つめていた。
「う~ん、やっぱりそう簡単には見つかりませんねぇ……」
「何を探しているんですか?」
「取水口です。まあ、排水口でもいいんですが……」
不思議そうに尋ねた呉羽に、アストールはそう答えた。魔法陣には水が引き込まれている。その仮説が正しいとすれば、必ずどこかにあるはずなのだ。水を引き込むための取水口と、余計な水を外に出すための排水口が。
ただ堀を流れる水は、まるで墨汁のように真っ黒い。取水口や排水口もその下に隠れてしまっていて、こうして目視で探すのはどうも無理なようだった。水の中に入ればまた違うのかもしれないが、それは別の意味で遠慮したい。
(水を浄化して綺麗にしてやれば……)
カムイは反射的にそう思ったが、しかしすぐに「無理だな」と思いなおす。水は常に流れてくるのだ。その水を全て浄化するというのは、ちょっと不可能だろう。ここはやはり、当初の予定通り堀の内側で地下への出入り口を探した方がいい。
堀の内側に入ると、カムイらはまず例の神殿へ向かった。中庭で集束を続けているであろう、瘴気の塊を浄化するためだ。時間的には昼食を先に食べてしまっても良かったのだが、やはりこちらが気になるということで先に済ませてしまうことにしたのだ。
「私たちが遺跡を離れて、今日で五日。ほんの数日ですから、前のように強力なモンスターが出現する可能性は低いでしょう。イスメルさんたちが様子を見に来たときも、モンスターは出てこなかったという話ですから。
ただ、それでもこの数日間、瘴気が溜まり続けていたことに変わりはありません。何かが起こることは十分に考えられます。気を引き締めて行きましょう」
アストールの言葉に真剣な顔で頷いてから、カムイらは神殿に足を踏み入れた。神殿に入るとまずすぐに立派な壁画が目に入ってくるが、それを観賞するには少しばかり気が急いている。それで彼らは真っ直ぐに中庭へと向かった。そしていつも通りアストールは後方で待機し、リムの左右をカムイと呉羽で護衛しながら瘴気の塊に近づく。
幸い、モンスターは出現しなかった。やはりかなり長い時間、恐らくは年単位の時間をかけて瘴気を溜め込まないと、最初に出現したような強力なモンスターは生まれないのだろう。カムイはそう思った。
ただ、時間に比例する形で溜め込まれた瘴気の量は多くなっていたようで、完全に浄化しきるまでいつもより時間がかかった。集束現象は勘違いなどではなく現実のものなのだと、カムイは改めて意識するのだった。
「お疲れ様でした。お昼ごはんにしましょうか?」
集束した瘴気のリセットを終えると、四人は壁画のある部屋へと戻って昼食を食べた。一番気がかりだった事柄が問題なく片付いたこともあって、四人の表情は心なしいつもより明るい。楽しい食事になった。
昼食を終えると、四人はやおら立ち上がった。そして三人の視線がアストールに集中する。彼は一つ頷くとこう言った。
「では、探すとしましょう。地下の魔法陣へと続く、その出入り口を」
ヘルプ軍曹「オートマなど邪道!」




