旅立ちの条件1
まだ書きあがってはいませんが、とりあえずきりのいい所まで。
それじゃあ、また。
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瘴気まみれの世界。その滅びた世界の荒野に、不釣合いに豪奢な屋敷が一軒、鎮座している。【ARKID】のユニークスキル【HOME】だ。その屋敷の広々としたリビングで、アーキッドはこう宣言した。
「山陰の拠点、とやらに行く」
彼らはもともと、拠点から拠点を渡り歩いている。この海辺の拠点へ来たのも、その一環だ。それで初めからこの拠点に腰を落ち着ける気はなく、また別の拠点を目指して旅立つのは予定通りのことだった。
「ふむ。山陰の拠点とは、カムイらが当初居った拠点であったか」
露出度の高い踊り子のような衣装を身に纏い、毛並みの美しい三本の尻尾を揺らめかせながらそう言ったのは、妖狐族の女性プレイヤー【Miralda】である。今見せている三本の尻尾はしかし全てではなく、彼女は神獣にも等しいと言われる九尾だった。そんな彼女にアーキッドは一つ頷きを返す。
「そうだ。大まかな位置としてはこの辺りになる」
そう言ってアーキッドはテーブルの上に地図を広げ、その一点を指でトンッと指し示した。そこは海辺の拠点から見て北にあたる。「山陰の~」というだけあって、すぐ近くには小高い山があった。二つの拠点の間の距離は、普通に歩けば数週間はかかるだろう。だが彼らならば、おそらく四日はかからない。
ちなみに、このようにこれから行く拠点の位置がはっきり分かっているのは、アーキッドらにとって初めてのことである。今回それが可能になったのは、カムイらの持つ地図情報をコピーさせてもらったからだ。その話を聞いたロナンとデリウスも同様に地図情報のコピーを求めたのだが、アーキッドはタダでは応じなかった。カムイらの場合と比べ、新規の情報が何もなかったからである。それで彼は二人に対し、それぞれ10万Ptで地図情報をコピーさせてやったのであった。なかなかいい商売である。
まあそれはそれとして。アーキッドが示した地点を見ながら、ミラルダは「ふむ」と呟く。そして顔を上げるとこう尋ねた。
「今までであれば、まずはこの拠点の周りで孤立しているプレイヤーを探したであろう? なぜ今回はそうせんのじゃ?」
「それも後でやる。ただ優先するべきはコッチって話だ」
山陰の拠点から海辺の拠点へ移動してくる際、デリウスは周りで孤立してしまっているプレイヤーを探さなかった。そういうプレイヤーがいる可能性を考えなかったのではない。考えた上で、余裕がないとして切り捨てたのだ。会談の中、アーキッドが直接デリウスに確かめた事柄である。
『力不足で、情けない話だ』
『別に責めてるわけじゃねぇよ。だいたい、出来る事と出来ない事を見定めるのは長たる者の責任だぜ』
アーキッドはそう言ってデリウスのことを評価した。ただ肝心のデリウスは一向に厳しい表情を緩めようとはしなかったが。
「ふむ……。〈魔泉〉とやらがより近くにある以上、時間がないのはココよりもそちら、というわけじゃな。よかろう、妾に異論はない」
「同じく」
ミラルダは大きく頷いてアーキッドの方針に同意する。そしてその隣で彼女の尻尾にじゃれ付いていた【KiKi】もそれに同調した。それを受けて一つ頷くと、アーキッドは次に残る二名の方へ視線を向けた。
「カレンとイスメルはどうする?」
「一緒に行きますよ」
そう答えたのは【Karen】だ。そして彼女はさらにこう言葉を続ける。
「そもそも、わたしがいないと困るでしょう?」
それは彼女の思い上がりではない。山陰の拠点の周囲では、〈魔泉〉の影響で瘴気濃度が高くなっている。しかもその影響がかなり広範囲に及んでいることを、アストールやデリウスからも聞いていた。そのような場所へ向かうのだから、カレンのユニークスキル【守護紋】がなければ行動に支障が出る、というのは容易に想像がついた。
「まったくその通りなんだが……。カムイの、婚約者のことはいいのか?」
傍にいたいんじゃないのか、とアーキッドは問い掛ける。そしてそのことをカレンは否定しなかった。
「まあ、そうですけど……。でも、このデスゲームをクリアしないことにはどうしようもないですから」
そしてゲームクリアのためには、カムイのところへ行くよりこのパーティーに留まった方がいい、とカレンは考えていた。カムイらのパーティーに加わっても、たぶん自分にはできる事がないと思ったのだ。
カムイらは高濃度瘴気の中を移動する手段を持っている。それはもちろんカレンの【守護紋】と比べれば不便なものではあるが、しかしその代えにならないわけではない。実際、彼らには五十名近いプレイヤーを山陰の拠点からここまで連れて来た実績がある。加えてこの後、彼らはまた遺跡の調査に戻るだろう。そうであるなら、カレンの力はほとんど必要ないと言っていい。
それなら、今までどおりこのパーティーにいた方がいい。必要とされる場所にいた方が、ゲームクリアは近づくだろう。そうでなくとも、お荷物の状態でカムイの近くにいるのはイヤだった。ただでさえ彼の隣にはあの呉羽がいるというのに。
「それに、プレイヤーを回収して合流させるのは、やっぱりこの拠点ですよね?」
「まあそうなるな」
アーキッドはそう言って頷いた。まさか山陰の拠点に集めて、そのまま放置するわけにもいかない。回収したプレイヤーたちは、カレンの言うとおりこの海辺の拠点へ連れて来ることになるだろう。
「だったら、またすぐに会えます。大丈夫です」
「……仕事が終わったら、俺たちはここを離れる。それでもいいのか?」
もう二度と会えないわけではないだろう。しかしこの拠点から遠く離れてしまえば、そう簡単には会えなくなる。カレンもそれは承知している。それでも彼女は態度を変えなかった。
「はい。お互いをフレンドリストに登録して、メッセージ機能も使えるようにしておきましたから。今までよりは、かなりマシです」
制限があるとはいえ、連絡を取り合える状態にあるというのも、カレンが今のパーティーに残ることに決めた理由の一つだった。尤も、こまめに連絡を取り合うマメさを、カレンはカムイに期待していない。いや、「諦めている」といった方が正しいか。なんにせよ用事がない限りは、彼のほうから連絡が来ることはないだろう。
(ま、呉羽のこともフレンドリストに登録してあるし……)
近況などの情報はそちらから入ってくるだろう。もちろんカレンも自分の状況などを報せるつもりだ。せっかくこの世界で出来た女友達。できれば仲良くなりたかった。
ちなみにカレンのフレンドリストに登録してあるのは、この二人だけではない。パーティーメンバーはもちろんのこととして、アストールとリムも登録してあるし、リーンやガーベラなど、この拠点で知り合ったプレイヤーの名前もそこに入っている。アーキッドなどはこの拠点にいる三分の一以上のプレイヤーと、お互いをフレンドリストに登録しあっていた。
そこにはもちろん、彼女らを通して外の情報を得たいという思惑が働いている。ただそのためには100万Ptを支払って【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】を買う必要がある。そしてそれを買えるようになったのは、間違いなくキキのユニークスキル【PrimeLoan】のおかげだった。
まあそれはともかくとして。カレンがここで抜けることなく、これからもこのパーティーで活動することを確認すると、アーキッドは表情を緩めて一つ頷いた。実際彼女に抜けられたら、これまで通りのプレイスタイルを続けるのは難しかっただろう。それで彼女が残ってくれるというのは、パーティーリーダーの立場から言えば朗報だった。
「そうか。じゃ、今後とも頼むぜ」
「はい。よろしくお願いします」
「それで、イスメルはどうする?」
カレンがペコリと頭を下げるのを見てから、アーキッドは最後のパーティーメンバーである【Ismel】の方に視線を向けた。彼女はあっさりとこう答えた。
「私はここに残ります」
「ええ!? 師匠、一緒に来ないんですか!?」
カレンが驚いて声を上げる。詰め寄ってくる弟子に、イスメルはすまし顔でこう答えた。
「当然です。捜し求めた約束の地がここなのですよ? なぜ離れなければならないのです?」
イスメルの言う「約束の地」とはつまり、植物が生えている場所のことである。要するに彼女は、浄化樹があるこの場所から離れたくないと言っているのだ。
彼女以外の誰かがそう言ったのなら、カレンも冗談だと思っただろう。本気だと知れば、ずいぶんひどい理由だと思ったに違いない。しかしこの時彼女はそれを、受け入れがたくはあったが、頭のどこかでは納得してしまっていた。イスメルに毒されてきた結果と言えるだろう。
ただ、ここでイスメルに抜けられてはパーティーとしてはもとより、カレン個人としても困る。それで彼女はイスメルを翻意させようと説得を始めた。
「今までやってきたことの意義は師匠も理解しているでしょう? これはゲームクリアのために必要なことなんです。ここで抜けるなんて言わないでください」
「浄化樹だって、ゲームクリアのために大きな可能性を秘めています。その可能性を、ここで潰してしまうわけにはいかないのです。守ってやる必要があります」
「ここだけでいいだなんて、そんな小さいこと言わないでください。師匠は世界中を緑で埋め尽くすんじゃなかったんですか?」
「その野望は捨てていません。ですが現実的に考えて本格的に動き出すには時期尚早でしょう。まずはここで浄化樹を増やすというのが、第一歩となるはずです。それに、ガーベラさんの身の安全も確保しなければなりません」
「ガーベラさんはギルドに入っているし大丈夫ですよ。人員も揃っていますし。だいたい、師匠は〈侵攻〉のときは本気じゃ戦えないんでしょう? ここにいたってしょうがないじゃないですか」
「失敬な。本気で戦えずとも十分な戦力になる自負はあります。それに、【PrimeLoan】で借りたポイントの使い道として、浄化樹はかなり有用です。この先、数は一気に増えるでしょう。世話はともかくとして、モンスターに対する備えは、ガーベラさん一人では手に負えなくなるのが目に見えています。私が残る意味はあります」
「師匠だって一人じゃないですか。ここはやっぱり数ですよ。取り残されている他のプレイヤーを回収して合流させるんです。そっちのほうがよっぽど役に立ちますって」
「それは私がいなくても出来るでしょう。カレンたちに任せます。私はここで一人の剣士として力を尽くしましょう」
イスメルの意志は固い。どれだけ正論を並べてもことごとく反論され、カレンも内心の焦りを隠しきれなくなってきた。
「し、師匠が抜けたらわたしは誰から剣を教わればいいんですか!?」
「……教えるべきは教えました。あとはひたすら自己研鑽を繰り返しなさい」
若干視線を泳がせながら、イスメルはそう答えた。弟子をここで放り出してしまうことに、多少の後ろめたさはあるのかもしれない。それならカレンもここに残らせればいいと思うのだが、彼女はそうしようとは思わなかった。アーキッドたちに迷惑をかけることになるし、また彼らがやっていることの意義も理解していたからだ。
「うぅ~」
とうとう万策尽きてカレンは悔しげに唸り声を上げた。カレンは恨めしい目でイスメルを睨むが、しかし彼女はすまし顔でどこ吹く風だ。このままイスメルの離脱が決まってしまうかに思えたその時、二人のやりとりを笑いをかみ殺して見物していたアーキッドが口を挟んだ。
「抜けるのはいいとして、部屋の私物、特に観葉植物はどうするんだ?」
イスメルがパーティーを抜けるなら、私物は全て持っていってもらうことになる。だが彼女の部屋にある観葉植物は、全て普通の植物だ。つまり外に出せば、たちまち瘴気にやられて枯れてしまう。それは彼女にとっても望むことではない。
「そうですね……。ではカレンに今後の世話を……」
「ダメだ。残った私物は全て処分する」
「なんですと!? 世界に暗雲をもたらした暗黒邪龍もそこまで極悪非道ではありませんでしたよ!?」
今までプラントロスを癒してくれていた観葉植物に、イスメルは情が移りまくっている。それら溺愛していた観葉植物が処分されると聞き、イスメルは思わず叫び声を上げた。そんな彼女にアーキッドはニヤニヤとしつつもどこか呆れた顔を向ける。
「そりゃ善良な暗黒邪龍で……。ってか、その暗黒邪龍とやらはどうしたんだ?」
「え、私が退治しましたけど。三枚おろしにして。……活き造りのほうが良かったですか?」
「喰わねぇよ!?」
アーキッドがツッコむ。イスメルの方は良く分かっていないのか、キョトンとした顔で小首をかしげていた。師匠がプラントロスの前からダメエルフだった可能性が浮上し、カレンは思わず頭を抱えた。
「ともかく。パーティーを抜けるんなら残った私物は処分する。そのつもりでいろ」
アーキッドは強引に話を戻す。愛しの観葉植物を人質に取られたイスメルは苦渋の表情を浮かべながら唸り声を上げた。
「うぬぬぬぬぬぬぅぅぅうううう……!」
そしてそのまま、イスメルはしばらく考え込む。それから彼女は苦渋の滲む声でこう言った。
「………………アード。後で私にも地図の複製を下さい」
「構わんが、どうしてだ?」
「ここに残れないのなら通うしかありません! 【ペルセス】を駆使して世界の果てからでも通い詰めて見せましょう! そのためには地図が必要なのです!」
「……あぁ、分かった。用意しとく」
みなぎり溢れる熱意と覚悟を見せるイスメルに、アーキッドはそうぞんざいに返した。こうしてイスメルはパーティーに残ることになったのだが、そのことにカレンはちょっと釈然としないものを感じる。決して不満があるわけではない。だが、
(あんなに必死に説得したわたしの苦労はなんだったわけ?)
そう、思ってしまうのだ。よりにもよって観葉植物のために残るとは。自分の努力が観葉植物に劣るといわれたようで、なんだか釈然としない。
「……カレン? どうかしましたか?」
「何でもありませんっ!」
プリプリと苛立ったまま、カレンは乱暴にそう答える。そして心に決める。明日からはイスメルを起こすのに絶対遠慮なんてしない、と。まあ、今までもしていなかったが。
ちなみに、イスメルはこの先、二度とパーティーを抜けるとは言い出さなかった。それは観葉植物を人質に取られていたから、ではない。ガーベラから浄化樹に関して頼み事をされたのだ。
『浄化樹の素晴らしさを各地に伝える、伝道師になってほしいの。アタシはここを動けないから。お願いできる?』
そのお願いに、イスメルは一も二もなく頷いた。これぞ天命と定め、使命感に燃えたという。
『任せてください! この世界を浄化樹で埋め尽くしましょう!』
それで得をするのはガーベラ一人なのだが、イスメルはそれに気付いていたのだろうか。まあ本人がそれでいいのだからいいのだろう。
閑話休題。こうしてイスメルがパーティーから抜ける話はなくなり、彼らはこれまで通り五人で攻略を続けることになった。次なる目的地は前述したとおり山陰の拠点。その周辺で孤立して動けなくなったプレイヤーを回収し、ここ海辺の拠点に合流させてやるのが次のミッションだ。
「…………ところでキキ、昨日はどれくらい儲かった?」
話し合いが終わり、お茶とお菓子を購入して談笑を始めると、おもむろにアーキッドがキキにそう尋ねた。プレイヤーが【PrimeLoan】でポイントを借りると、借りた額の一割が手数料としてキキの懐に入る。そして昨日はここのプレイヤーたちが列をなしてポイントを借りていた。全く初めての拠点と言うこともあり、儲けについては期待してもいいだろう。
「ん、だいだい8000万くらい」
システムメニューを開いてポイントを確認したキキがそう答える。それを聞いてアーキッドは少し意外そうな顔をした。
「意外と少ないな……」
手数料として得た総額が8000万Ptということは、プレイヤーらが借りたポイントの総額は8億Pt程度ということになる。ここにいるプレイヤー数はおよそ120名で、一人当たりの上限額が2000万Ptだから、借りられる総ポイントの上限はだいたい24億Ptということになる。
この数字を単純に比べて分かるのは、ここのプレイヤーたちは上限額の三分の一程度しかポイントを借りなかった、ということだ。今までアーキッドらが渡り歩いてきた拠点の中では、下から数えた方が早い割合である。
「いくら無利子とはいえ、借金に変わりはないからの。見たところ〈侵攻〉でかなり稼げておるようじゃし、そこまで切羽詰ってはおらんかったのじゃろう」
尻尾の毛づくろいをしながら、ミラルダがそう推測を語る。その言葉にアーキッドは一応頷いた。
「まあたぶんそういうことなんだろうな。浄化樹なんてものもあるから、もうちょっと景気良く借りてくれるんじゃないかと期待していたんだが……」
「まったくです。愛がたりません」
アーキッドの言葉に、少々憤慨した様子のイスメルが同調する。その発言にカレンは頭を抱え、アーキッドは苦笑した。
「ま、次の仕事が終わったらここへ戻ってくるわけだしな。そんときにまた追加で借りたいって奴もいるだろうさ」
アーキッドは気楽な調子でそう言った。借りた額が少ないと言うことは、逆を言えばさらに借りる余地があるということでもある。上限一杯まで借りたプレイヤーもおり、彼らがブルジョワジーな生活を満喫しているのを見れば、それを羨ましく思う者たちは必ずいる。知的生命体とは嫉妬する生き物なのだから。そしてそういう者たちは次回に良い顧客となってくれるだろう。
「……で、ポイント、どうする?」
結論らしきものが出たところで、キキがそう尋ねる。アーキッドは「そうだな」と呟くと、チラリとカレンのほうに視線を向けてこう答えた。
「カレンの部屋をダブルベッドにしてやるか。出発は明日の朝だから、カムイを連れ込むなら今夜がチャンスだぜ」
「結構です!」
カレンが顔を真っ赤にしながら叫ぶ。そこへ面白がってキキが乗っかる。もっとも、面白がっているのは彼女一人ではないが。
「揉まれたら大きくなる、かも?」
「都市伝説よ、それは!」
「実体験?」
「~~っ!? そんなわけないでしょう!?」
今度は耳まで真っ赤にしながら、カレンは再び叫んだ。そんな彼女をパーティーメンバーたちはニヤニヤと生暖かい目で見守る。それが恥ずかしくてカレンは彼らをキッと睨むが、真っ赤になった顔のせいでまったく怖くない。むしろ微笑ましいばかりで、アーキッドらはいっそう笑みを深めるのだった。
このままではさらにからかわれてしまいそうだったが、幸いにもそうはならなかった。カンカンカンッ、という鐘の音が鳴り響いたのである。警鐘であり、つまり〈侵攻〉が始まったという合図だった。
それを聞いた瞬間、緩んでいた空気は吹き飛び、ピリリとした緊張感がリビングを満たす。メンバーの視線がアーキッドに集中すると、彼はニヤリと獰猛な笑みを浮かべてこう言った。
「どうやら出発の前に一仕事みたいだ。準備は一分以内。終わったら玄関に集合。いいな?」
アーキッドの言葉に、他の四人は一様に頷いた。そしてすぐに行動を始める。カレンも自分の部屋に駆け戻ると、外していた剣帯を腰に巻いて双剣を装備した。そして慌しく部屋を出て玄関を目指す。すでに彼女以外のメンバーは揃っていた。しかしイスメルまでいるということは、たぶん彼女は部屋に戻らなかったのだろう。
「すみません、遅れました!」
カンカンカンッ、という警鐘はまだなり続いている。それがカレンの気持ちを焦らせた。しかし同じく警鐘を聞いているはずのアーキッドは落ち着いた様子で、すぐに飛び出すことなくまずは諸々の確認を始めた。
「これで全員揃ったな。そんじゃ大まかな確認だ。俺たちは外様だから、防衛線に担当の場所があるわけじゃない。だからこの前と同じく、端っこで戦う。邪魔にならないようにな。可能ならアストールたちと合流したいが、出来なかったとしても場所は変えない。いいな?」
アーキッドの言葉を真剣な顔で聞きながら、カレンは一つ頷いた。他の三人も同じように頷いているが、彼女ほど緊張はしていないように見える。それは経験の差なのか、あるいは本人の気質によるものなのか。べつにどちらでもいいので、アーキッドはわずかに苦笑してから話を続けた。
「フレンドリーファイアと体力の配分には要注意だ。横取りは……、欲しい奴にはくれてやれ。どうせ大した額じゃない。俺たちにとっては評判の方が大事だ」
アーキッドの言葉に、他のメンバーはまた揃って頷く。単純に考えて、ここの拠点にはまだ16億Ptが貸付可能な分として残っている。そこから得られる手数料は1億6000万Pt。それと比べれば、10万Ptや20万Ptなどはした金だ。意地になってかき集めるほどのものではない。【PrimeLoan】を抵抗なく受け入れてもらえる環境の方が、よほど重要なのだ。
「役割分担は前回と同じでいい。……あ~、同じでいいが、イスメルはもうちょっと本気出してくれてもいいぞ」
「ええ。浄化樹に被害は出させません」
イスメルは大真面目な顔で頷いた。それを見てアーキッドは小さくため息を吐くが、すぐに気を取り直す。警鐘はまだなり続いている。そろそろ向かった方がいいだろう。それで彼は四人の顔を見渡すと最後にこう言った。
「死ぬのは禁止だ。んじゃ、行くぜ」
そう言うとアーキッドはステッキで大理石の床をコツコツとならしながら屋敷の外へと向かった。カレンらもその背中を追う。
外へ出ると、戦闘はすでに始まっている様子だった。海岸の方から大きな爆発音が立て続けに響き、さらに大きな火柱が上がった。それを見てアーキッドが感心したように「ヒュ~」と口笛を吹く。
「さすがに経験値が高いな」
アーキッドが感心したのは、爆発音や火柱の派手さ、つまりその威力についてではない。おそらく複数のプレイヤーが関わっているのだろうが、あの程度であれば彼も見慣れている。彼が感心したのは、あれだけの攻撃を防衛戦の中に組み込んで機能させている、指揮と練度についてである。今まで結構な数の拠点を渡り歩いてきたが、ここまで組織的な戦闘を見たのはこれが初めてだった。
(これを知れたのがここへ来た最大の成果、かもしんねぇな……)
心の中でそれだけ呟くと、アーキッドは意識を目の前の問題に集中させる。彼は指をパチンと鳴らして【HOME】を消すと、前回と同じ防衛線の端っこ目指して歩き始めた。その途中でカムイらと合流することもでき、九人はまた揃って〈侵攻〉を戦った。今回の〈侵攻〉は午前中に始まり、そして薄暗くなる前に終わった。
「稼がせてもらった礼だ」
〈侵攻〉が終わると、アーキッドはそう言って祝勝パーティーを開いた。パーティーというと大仰かもしれないが、要するにオードブルの食事会だ。ほとんどのプレイヤーは昼食を抜いて戦っていたから腹ペコで、豪華な食事とお酒を無料で楽しめる、この思いがけないイベントを喜んでいた。
若干名が「温泉の方が良かった」と愚痴っていたが、ケバブにかぶりついていたのでパーティーを楽しんでいないわけではない。たぶんあとで【HOME】に突撃して、お風呂を満喫することだろう。
「……カムイ。わたし達は明日、ここを出発するわ」
そのパーティーの中で、カレンはカムイに自分達の予定をそう伝えた。それを聞くと、一瞬だけカムイの動きが止まる。そして彼は口の中のものを飲み込んでから「そっか」と呟き、それからさらにこう尋ねた。
「次はどこへ行くんだ?」
「カムイたちがもといた、山陰の拠点よ。その周辺で孤立してしまっているプレイヤーを探して、ここまで連れて来るの」
カレンがそう答えると、カムイはもう一度「そっか」と呟いた。そして少し考え込んでからこう忠告した。
「〈魔泉〉には近づくなよ」
カレンのユニークスキル【守護紋】があれば、〈魔泉〉に近づくことは容易だ。なにしろ瘴気の影響を無視できるのだから。〈魔泉〉に近づけばモンスターも強くなるが、イスメルやミラルダがいれば問題はないだろう。疲れてしまったらアーキッドの【HOME】で休めばよい。
ただ、〈魔泉〉に現れるあの巨大モンスターだけは話が別だ。アレは桁が違いすぎる。興味本位で突っついていい相手ではない。テッドの死に様は、今のカムイの脳裏にこびりついて離れない。
「アードさんもそんな無茶はしない、と思うわ」
少しだけ自信なさげにカレンはそう答えた。どうやら今までいろいろあったらしい。ただカレンがあまり深刻な様子ではなかったので、カムイも詳しくは聞かないことにした。それに遠くから見るだけなら、〈魔泉〉の様子は実際に見ておいたほうがいいとも思う。写真と現物では迫力が違うのだ。
「カムイたちはどうするの?」
「また遺跡の調査に戻るんじゃないかな」
カムイがそう答えると、カレンはたちまち疑わしそうな視線を幼馴染に向けた。調査というのは、例の瘴気の集束現象についてだろう。しかしその調査に、魔法のない世界から来たカムイが役立つとは思えない。
「やる事あるの?」
カレンがそう指摘すると、自覚はあったのかカムイは視線を彷徨わせた。実際、これまでも調査を行ってきたのはほぼアストール一人である。他のメンバーも手伝ったりはしていたが、しかしそれが不可欠な働きであったとは言い難い。
カムイにいたっては、途中で飽きて地図作りをしていたくらいだ。それはそれで意味のある働きだったが、しかし彼がいなくても調査自体に支障は出ない。
「やる事がないなら、……その、一緒に来ない?」
少し躊躇いながら、カレンはカムイを誘った。アーキッドの【HOME】にはまだ空き部屋があるし、移動も彼なら問題なく付いて来られる。なにより彼は以前に山陰の拠点にいた。その彼は一緒に来てくれれば、いろいろと心強い。だがカムイは苦笑しながら、しかしはっきりと首を横に振った。
「一応さ、オレにも仲間がいるんだよ。ほんのちょっとかも知んないけど、責任だってある。そう簡単に放り出すわけにもいかない」
そう答えるカムイの脳裏に浮かぶのは、あの稽古の終盤で怯えたように震えながら、それでもイスメルに刃を向けた呉羽の姿だ。イスメルは彼女のことを、「重荷」を背負っていて「英雄がかかる風邪」をひいている、と評した。
イスメルの言葉が意味するところを、カムイははっきりと理解しているわけではない。むしろまだなにも分からないといった方が正しいだろう。その上分かった気になったとしても、所詮は思い込みである。だがそれでも、呉羽にいろいろと背負わせてしまっていたことは分かった。それも、カムイが弱くて頼りないばっかりに。
呉羽がカムイのことをそう思ってしまうのは、たぶん仕方のないことなのだろう。実際問題として、カムイは彼女よりも弱い。その上、ちょくちょく暴走しては正気に戻してもらっている。もっともその方法論については、改善を要求したいところなのだけれども。
そんな相手に頼れというのも、なかなか無理な話であろう。カムイ自身ですら、そう思う。本当に、情けない。
(それなのに、ここで抜けるわけにはいかないだろ……!)
そういう気持ちが、カムイの中には確かにある。それが彼を今のパーティーに強く引きとめていた。
さらに現実的な問題として、カムイらは四人でいるからこそ大量のポイントを稼ぐことが出来ているのだ。カムイが抜けてしまうと、それが成り立たなくなる。カレンたちと一緒に行ったとしても、それに勝る旨味はないだろう。
「そっか、残念。でもまあ、そうだよね」
あらかじめ予想していた通りの返答だったのだろう。残念といいつつも、カレンの表情はそこまで残念そうではなかった。彼女自身、別のパーティーやギルドからスカウトされたとして、そう簡単に移るかと言われれば否だ。それを考えれば、カムイの選択にあれこれ文句を言う気にはならない。
「悪いな」
カムイがそう謝ると、カレンは小さく首を横に振った。
「あ、でも悪いと思うなら少しくらいこまめに連絡よこしなさいよね」
具体的に言うと一日に一回くらいは。カレンがそう言うと、カムイはあからさまに面倒くさそうな顔をした。
「連絡なんて、何か用事があったときでいいだろう?」
「一日に一回くらい、大した手間でもないじゃない」
「だいたい、なに書けばいいんだよ」
「その日にあったこととか、気になった相談ごととか、いろいろあるじゃないの」
「ヤだよ、そんな交換日記みたいなこと」
露骨に顔をしかめながら、カムイはそう言った。それを聞いてカレンはこめかみに青筋が浮かんだように感じた。
「……もし定期的に連絡をよこさなかったら、呉羽にあれやこれやバラすわ」
「おい!」
カムイが焦ったように大声を出すが、しかしカレンはそれを意図的に無視した。
「確かぁ~、小学校三年生のときにぃ~……」
「ちょ……! バカ、よせ!」
カレンは意地の悪い笑みを浮かべながら楽しげに思い出を語ろうとする。そんな彼女の口をカムイは慌ててふさごうとするが、しかしその手はあっさりと空をきった。カレンの顔には勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。
「……そっちがその気ならこっちにも考えがあるぞ」
「な、なによ?」
幼馴染の不穏な気配に、カレンの笑みが少し引き攣る。そんな彼女にカムイは据わった眼を向けてこう言った。
「キキにお前のあれやこれやバラす」
完全に子供の仕返しだった。ただ情報をリークする相手としてきちんとキキを選んでいるあたり、カムイも本気だ。
「お前が中一のときだったよな、アレは……」
「ちょっと止めてよねバカ!?」
カレンが叫ぶ。カムイは一応口を閉じたが、しかし彼の眼は据わったままだ。バラされるならバラす。一種の自爆理論だが、抑止力としては優秀だった。なにしろ二人は幼馴染。互いの黒歴史には事欠かない。
「……っ」
「むぅ……」
数秒の間、カムイとカレンは睨みあう。そして二人はほぼ同時に視線をそらした。
「止めよう、不毛だ……」
「そうね……。争いは何も生まないわ……」
こうして二人は人生何度目かの不戦協定を結ぶ事になった。それがいつまで続くのかは別問題であるが。
「まあなんにしても、危ないことはしないでよ。わたしはイヤよ? せっかく溜めたポイントであなたの復活を願うなんて」
少々ぞんざいな口調でカレンはそう言った。視線を合わせようとしないのは、たぶん照れ隠しだろう。ただこれはデスゲームなのに、「危ないことをするな」というのはなかなか無茶な注文だった。とはいえカムイはそのことを指摘しようとはせず、代わりにこう言った。
「……おう。ってか、危険と言うならカレンの方が危険だろ。オレだってイヤだぜ、お前を復活させるなんて」
自分の身体を治す分がなくなっちまう、とカムイはおどけて見せた。それを見てカレンも苦笑を浮かべる。そしてこう言った。
「生き残らないとね、お互いに」
二人はどこか照れくさそうに笑った。互いが互いに迷惑をかけないために。そんな、回りくどい心配をお互いにしながら。




