再会の遺跡9
「さあ、行きましょう!」
カムイがカレンと再会した次の日、イスメルは朝からテンションが高かった。その理由は、目指す海辺の拠点に〈浄化樹〉なる樹木があることが判明したからである。はしゃぐ彼女の様子は、まるで遠足当日の小学生のようだった。
ただし、「楽しみで眠れない」ということはなかったらしい。降りてきたイスメルの服装はパジャマのままで、頭には寝癖がついている。そのダメダメな姿を見ながら、カムイはカレンにこう尋ねた。
「なあ、イスメルさんっていつもああなのか?」
「そうじゃない……。そうじゃない、けど……」
がっくりと肩を落としながら、カレンはそう答える。いつもならば、朝はグズって部屋から出てこない。つまり一人で起きてきた分、今朝の方がまだマシなのだが、その情けない事実を他人様に知られるのは猛烈にイヤだった。
ちなみに、このときまだ呉羽は下りて来ていない。朝からお風呂を満喫しているのだ。そのため、イスメルのこの様子を彼女が見ることはなかった。彼女が下りて来たときには、もう少し取り繕っていたのだ。
さて今にも飛び出しそうなイスメルを宥めつつ、カムイらは朝食を食べ身支度を整えてから屋敷を出た。九人全員が外へ出ると、アーキッドが「パチン」と指を鳴らす。すると屋敷はシャボン玉のエフェクトに包まれ、そして消える。それを確認すると、彼は「それじゃあ行くか」と言ってメンバーらを促した。
移動方法は昨日と同じだ。アーキッドとキキそれにリムは、〈獣化〉したミラルダの背に乗る。イスメルとカレンは【ペルセス】に騎乗し、カムイと呉羽とアストールはひたすら走る。しかし昨日とは違うところもあった。
「な、なんだか昨日より、ペースが速くありませんか……?」
魔力切れを起こしたアストールが、肩で荒い息をしながらカムイにそう尋ねる。彼はアブソープションで体内にエネルギーのタメを作りながら、苦笑してこう答えた。
「なんか、イスメルさんがすごいやる気を出していまして……」
支援魔法の一つ、〈トランスファー〉で魔力のやり取りをしながら、二人は揃ってイスメルのほうに視線を向ける。彼女は傍目にも分かるくらいウズウズとしていた。二人はそっと視線を外した。
「……そうだ、ポーション要ります? 低級ですけど」
「いただきます……」
魔力のチャージが終わり、カムイが昨日と同じく【低級ポーション】を差し出すと、アストールは観念したような顔をしてそれを受け取り飲み干した。こうして彼の魔力と体力が回復したところで、一行はまた走り始めた。
休憩はほぼなし。昨日もそうだったが、昨日ならば「休みたい」と言えば休めただろう。しかし今日はそんな雰囲気ではない。結局、アストールはまたくたくたになるまで走り続けることになるのだった。
彼らが海辺の拠点についたのは、その日の昼前のことだった。昨日半日走り、さらに今日半日だから、大よそ一日で遺跡から戻ってきたことになる。徒歩だと少なくとも三日はかかるから、移動時間だけ考えれば画期的と言っていい。
さて海辺の拠点に近づくと、九人はすぐに異変に気がついた。海のほうから猛々しい騒音が響いてくる。〈侵攻〉が起こっているのだ。彼らはすぐに表情を引き締め、臨戦態勢になった。
「それで、どうする?」
そう尋ねたのはアーキッドだ。彼ら五人は、この拠点では新参者だ。あまり好き勝手に動いては、この拠点のプレイヤーたちの反感を買う。それではこの先やりにくくなる。それで、経験者であるカムイらの意見を聞いたのだ。
「……端っこで防衛線に加わりましょう」
カムイが、そう答える。本来ならこういうのはアストールの役割なのだが、現在彼はへばってダウンしている。それで仕方なくカムイが答えたのだ。
「いきなり加わって大丈夫か?」
「たぶん……。端っこなら取りこぼしが出るのが普通なので、横取りとフレンドリーファイアさえしなければ、大丈夫だと思います」
「……あ、あと、ちょ、長期戦になるので、体力の配分には、じゅ、十分気をつけて、ください……」
息も絶え絶えながら、アストールが最後にそう付け加える。明らかに体力の配分に一番問題があるのは彼なのだが、まあそれはそれとして。
「まあこの状態で見て見ぬふりも印象悪いしな……。よし、やるか」
アーキッドがそう決めると、カレンら四人は一様に頷いた。その様子を見てから、カムイはアストールのほうに視線を向ける。彼はまだ疲れた顔をしていたが、呼吸はずいぶん落ち着いてきていた。
「……大丈夫ですか、トールさん?」
「え、ええ。さっきポーションを飲んだので何とか……」
それで大丈夫なのか、とカムイは思ってしまう。そう仕向けたのは彼だが、昨日今日とアストールは薬漬けである。まあ危ない薬ではないし大丈夫だろう、とカムイは無理やり納得した。
話がまとまったところで、カムイらは小走りで海岸の方へ向かった。そして防衛線の一番端に加わる。彼らの、特にアストールの姿を見た隣のパーティーが、少しだけ詰めて場所を空けてくれた。
「では、役回りは前回と同じで行きましょう」
アストールの言葉に、カムイらは頷く。つまりカムイと呉羽が前に出てモンスターを倒し、リムが魔石を回収、アストールが全体の監視をする、ということだ。役割分担が決まったところで、カムイと呉羽が飛び出す。二人のその背中を見守るアストールに、アーキッドがこう話しかけた。
「魔石の回収は一緒でいいか?」
「ええ。分配は頭割りにしましょう」
「よし。じゃ、キキ、回収頼むぜ」
「おー」
やる気があるのかないのか。いまいち分かり辛い声でキキが応える。とはいえいつもの事なのでアーキッドは気にしなかった。
「カレンは……」
「数の暴力を経験するいい機会です。限界まで戦ってみなさい」
アーキッドがイスメルに視線を向けると、彼女は師匠としてカレンにそう命じた。その姿はプラントロスでぐずるダメエルフのものではない。尊敬するべき凄腕剣士の姿に、カレンは背中に鋼の支柱を差し込まれた気がした。
「はい!」
敬礼はしない。だがカレンは背筋を真っ直ぐに伸ばし、イスメルの眼を真っ直ぐに見てそう応えた。弟子のその返事を聞いてイスメルは少しだけ頬を緩める。それからアーキッドのほうに向き直ってこう続けた。
「私はカレンの援護に回ります。この状況では、全力で動くわけにも行かないでしょうから」
「ああ、そうしてくれ。フレンドリーファイアはゴメンだ」
「失敬な。そんなヘマはしませんよ。ただ、【ペルセス】を駆けさせるには窮屈な戦場と言うだけです」
イスメルが少し寂しそうにそう言うと、アーキッドは「やれやれ」と言わんばかりに肩をすくめた。それからさらにこう続ける。
「そんじゃあ、俺はミラルダとテキトーにやってるよ。死なない程度にな」
「ええ、貴方はそれでいい」
アーキッドにそう告げると、イスメルはカレンに「行きますよ」と言って歩き始めた。その背中をカレンが小走りに追う。
イスメルは無数のモンスターが跋扈する海岸を悠然と歩いた。彼女はまだ積極的に戦おうとはしない。〈侵攻〉で現れるモンスターは積極的には仕掛けてこない。それで、彼女の方も仕掛けてこないモンスターは見逃した。ただし、仕掛けてくるモンスターには容赦しない。
「ギギィ!」
「ギ! ギギ!!」
魚頭のモンスターが二体、三叉の槍を繰り出してイスメルに仕掛ける。彼女は悠然としたその歩みを、わずかも乱しはしなかった。しかし二体のモンスターが間合いに入ったその瞬間、彼女は腰の剣帯から双剣を抜き放ち、流れるような仕草でそれらのモンスターを切り捨てる。
「……っ!?」
その一連の仕草を、カレンは眼で追うことが出来なかった。速いのではない。あまりにも洗練されすぎていて、知覚できないのだ。そしてそれが、イスメルとカレンの実力の差でもある。
「ほう……、これはなかなか……」
二つの魔昌石が砂浜に落ちる。それと同時に、イスメルがそんな声をこぼした。彼女が視線を向けた先では、カムイと呉羽がそれぞれ激しい戦いを繰り広げている。激しいとはいえ、その戦いは一方的だ。二人の足元には、すでに大量の魔昌石が散乱している。それでカレンも心配することなく、その様子を見ることができた。
「すごい……!」
心配はしなかったが、いささかの敗北感は覚える。ユニークスキルの差と言ってしまえばそれまでだが、しかしこんなにも差があると思うと、これから先のことが不安になってくる。
「カレン、貴女の当面の目標はアレです」
そう言ってイスメルが指差した先には、刀を手に戦う呉羽の姿がある。その様子は舞を踊るかのように滑らかで、同時に嵐のように激しい。アレを“当面の”目標にするなど、無謀すぎるのではないだろうか。カレンはそう思った。
「クレハさんとは後で稽古の約束もしています。ここでひと皮剥けておきなさい」
「……はい!」
カレンは真剣な顔をしてそう応えた。師匠としてのイスメルは厳しい。しかし理不尽ではない。これまで不可能なことをやれと言われたことはなかった。その彼女がそう言うのだ。きっとできる。カレンはそうやって自分を励ました。
「さあ、この辺りでいいでしょう。戦ってみなさい」
「はい、行きます!」
大きな声でそう返事をしてから、カレンは腰の剣帯から双剣を引き抜く。両手に感じるその重みに、彼女はまだなれない。決してその扱いに慣れていないわけではない。イスメルに厳しく指導されたおかげもあって、取り扱いに関してはすでに素人の域を抜け出している。
ただ、武器を持ってそれを振り回すということそのものに、カレンは未だ慣れることができずにいる。それは平和な日本という世界で形成された人間性に起因するものだろう。だが必要と思って選んだ道なのに、心の奥底ではまだそれを受け入れられていないような気がしてしまう。カレンは、自分のそういう弱さが嫌いだった。
カレンは両手に持った双剣を強く握り締め、それから声を上げながらイスメルの前に出て、モンスターの波の中に飛び込んだ。事前に聞いていた通り、魚頭のモンスターは弱い。彼女は瞬く間に三体を切り捨てた。
「動きが大きい。動作を一つ一つ区切るのではなく、連続させて一つの流れにしなさい」
「はい!」
「視野は広く。敵の数が多い場合は特にそうです。囲まれないよう、常に意識して立ち回りなさい」
「はい!」
イスメルの指摘と指示にカレンは返事を返す。その内容は、決して目新しいものではない。むしろ、今までに何度も言われてきた事柄だ。
『繰り出せば必ず勝てる、そんな都合のいい必殺技などありません。地道に基礎を繰り返して精錬していく。それが全てです』
それがイスメルの指導方針だった。これまでに言われたこと、教えてもらったことは決して多くない。その一つ一つを反芻しながら、カレンはモンスターの波の中で双剣を振るい続けた。
「へぇ……。カレンもやるようになったじゃないか。まあ、イスメルと比べるとどうしても見劣りするが……」
「アレと比べられては、さすがにカレンがかわいそうじゃ」
カレンが戦う様子を、アーキッドとミラルダは少し離れたところから見ていた。その戦いぶりは、とても数ヶ月前まで戦闘どころか剣を持つことさえなかった素人とは思えない。十分に才能があるといえるだろう。比較対象がイスメルしかいないのは、むしろ不運と言っていい。
イスメルは「援護に回る」と言ったその通りに、積極的な攻勢に出ることはしていない。ただ弟子であるカレンが戦う様子を観察している。その口元に小さく笑みが浮かんでいるのは、彼女の成長が嬉しいからだろう。
決して戦っていないわけではない。彼女の手にも双剣は握られているし、仕掛けられれば迎撃もする。いくら〈侵攻〉のモンスターが積極的に襲っては来ないとはいえ、やはり例外は含まれる。そして全体数が多い以上、例外の数も多くなる。
だから激しくはないとは言え、イスメルも常に双剣を振るいモンスターを切り捨てている。ただ、視線はカレンのほうに向けたままだ。彼女は視覚に頼らず、ただ気配だけを頼りに敵を片付けているのだ。このモンスターで埋め尽くされた戦場の中、自分に仕掛けてくるモンスターだけを。見る者が見れば、それは戦慄するほどに異様な光景である。
「……いつまでも見ていても仕方がない。俺たちもやることやるぜ」
アーキッドがイスメルから視線を外してそう言うと、ミラルダとキキはそれぞれ頷いて応じた。
「ミラルダ、狐火をくれ」
「うむ、任せておけ」
そう言うと、三本ある尻尾のうちの一本のその先端に青白い炎を灯した。その炎に、アーキッドは躊躇うことなく右手をかざす。次の瞬間、青白い狐火の炎が彼の手に燃え移った。しかし彼は熱がる素振りすら見せず、むしろ「よし」と呟き、まるで猟犬のような笑みを浮かべた。
「派手に行くぜ」
物騒な笑みを浮かべたまま、アーキッドは右手にステッキを持ち直す。そして前方一帯にプレイヤーがいないことを確認してから、そのステッキを横一文字に鋭く振りぬいた。
――――轟っ!!
と、激しい炎の音が響く。青白い狐火の炎が吹き荒れ、アーキッドの目の前にいたモンスターをことごとく薙ぎ払ったのだ。青白い炎はモンスターの悲鳴さえも飲み込んで燃え盛る。そして消えた後には、ただ魔昌石が残るだけだった。
「うほほ、銭が落ちとる! 銭が落ちとる!」
その魔昌石をキキが喜び勇んで回収する。その様子を苦笑混じりに眺めてから、アーキッドは別の方向を向いてまたステッキを一振り。またしても青白い狐火の炎が吹き荒れ、そこにいたモンスターをことごとく飲み込んで焼き尽くした。
アーキッドが放つ狐火の威力と有効範囲は素晴らしく、彼がステッキを一振りするたびに十数体のモンスターがその炎に焼き尽くされた。しかしやはり、〈侵攻〉で現れるモンスターの数は圧倒的だ。どれだけ焼き払ってまたすぐに埋め尽くされる。
「なるほど、コイツは厄介だ」
「うむ。全て倒そうなどとは考えん方がよいじゃろう。飲み込まれんようにすることが肝要じゃ」
そう言ってミラルダはステッキを振りながら愚痴るアーキッドの傍に寄り添い、三本の尻尾を使って二人に仕掛けてくるモンスターを迎撃する。彼女は九尾であるのに、その九本の尻尾全てを使おうとはしない。そもそも獣化したほうが戦闘能力は上がるのだが、それさえもしようとはしなかった。明らかな手抜きである。
ただそれもある意味では仕方がない。イスメルとはまた違った意味で、ミラルダにとってもこの戦場は窮屈なのだ。それでも彼女の能力を把握し、その上で戦線に組み込んでくれる指揮官がいれば、話は違ってくる。ただ彼らはこの拠点に来たばかりで、今はそれを望むべくもない。となれば少々窮屈ではあっても、力を抑えて戦うかしなかった。
「キキと、あとはリム嬢のことも気にしてやってくれよ」
「妾の目の前で子供は死なせぬよ。まあ、アストール殿もおる。心配はなかろう」
扇で口元を隠しながら、ミラルダはアストールの方を窺う。彼は疲れ果てていたはずなのだが、それでも視線はするどく援護は適確だ。ただやはりモンスターを倒す能力には不安があるので、彼に近づく敵もミラルダが始末した。
「やれやれ。ムサい男のお守りをせにゃあならんとはのう……」
「はは、そりゃご愁傷様」
渋い顔をするミラルダを見てアーキッドが笑う。そんな彼を、ミラルダは横目で睨んだ。
「主におぬしのことじゃぞ、アード。無精髭ぐらい剃ったらどうなのじゃ。妾の柔肌には刺激が強すぎるぞえ?」
「おっと、こりゃ薮蛇……」
そんな無駄口を叩きながらも、アーキッドもミラルダもやるべき事はやっている。二人の周りは瞬く間に魔昌石で溢れた。しかしまだ〈侵攻〉が収まる気配はない。
結局、この日の〈侵攻〉は辺りが暗くなるまで続いた。暗くなれば、当然視界は利かなくなる。そこでミラルダは狐火を周囲にばらまいて明かりを確保した。これで格段に戦闘がやりやすくなり、彼女は近くにいたプレイヤーたちから大いに感謝された。
「とはいえ、さすがに防衛線の全てはカバーできぬが……」
そう呟いて、ミラルダは少し心配そうな目をした。ただ、彼女の心配は杞憂であったと言っていい。〈世界再生委員会〉はもちろん、〈騎士団〉のほうも対〈侵攻〉防衛戦の経験はこれまでに十分積んでいる。当然、暗がりの中で戦う備えもしてあった。
時間はかかったものの、今回の〈侵攻〉も大きな犠牲は出ずに終えることができた。死者はなし。怪我人は多数出たが、酷くても【上級ポーション】(お値段10万Pt)で治る程度だった。
「最後まで戦い抜きましたか。途中で限界がくると思っていたのですが、成長しましたね」
「はい、ありがとうございます!」
カレンは疲れ果てながらも数時間に及ぶ戦闘を戦い抜いた。弟子のその成長を見て、イスメルも嬉しそうに目を細める。カレンも疲れてはいたが、師匠に褒められて大きな達成感を味わった。
「失礼。あなた方が外から来たプレイヤーの方々ですか?」
アーキッドらがカムイらに混じって散乱する魔昌石を回収していると、そこへ〈世界再生委員会〉のギルドマスター、ロナンがリーンを伴って現れた。アストールが二人についてアーキッドに教えてやると、彼は笑顔を浮かべて二人に近づいた。
「アーキッドだ。よろしく頼む」
「ロナンです。こちらはリーン。こちらこそ、よろしくお願いします」
そう言って二人は握手を交わす。彼らの間に漂っていたわずかな緊張が、それで和らいだ。
「いろいろと、外の話を聞かせてください」
「それもいいが、まずはメシにしないか? 今日はいい日だ。俺たちが奢ろう」
この拠点にいる全てのプレイヤーに、とアーキッドは言った。それを聞いてロナンは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに深い笑みを浮かべて頷く。かつて山陰の拠点からプレイヤーたちがやって来た場合と同じく、それが新参者を受け入れさせる有効な手段であることを認めたのだ。
“懇親会”が開かれるという話は、すぐに拠点にいる全てのプレイヤーたちに広まった。もとより娯楽の少ないこの世界。プレイヤーたちは嬉々としてこの話に飛びついた。〈侵攻〉をしのぎきり、そのために多くのプレイヤーたちは昼食を抜いている。腹ペコの彼らにとって美味いものを、しかもタダでたらふく喰えるこの機会は、歓声を上げさせるのに十分だったのだ。
アーキッドはそれを見抜いていた。懇親会はもともと開くつもりでいたが、彼は最も効果的なタイミングを選んだのである。幾つもの拠点を渡り歩いてきた彼の知恵、と言っていいだろう。
懇親会が開かれたのは、かつてアストールらが懇親会を開いたときと同じ場所だった。かがり火が幾つも焚かれ、会場を明るく照らしている。基本的に必要なものをアイテムショップから購入するだけなので準備に時間はかからないが、それを差し引いてもアーキッドらは手馴れていた。きっと今までも各地の拠点で、こうして懇親会を開いてきたのだろう。カムイはそう思った。ちなみにカレンは、納豆はチョイスしなかったようだ。
全員に飲み物が行き渡ると、ロナンがアーキッドらを「外から来た客人」として紹介する。五人が一人ずつ手短に自己紹介すると、そのたびに歓声が起こった。目の前に積まれた御馳走のかいもあって、ひとまず印象はいいらしい。緊張した様子のカレンを見ながら、カムイは胸を撫で下ろした。
「今夜は俺たちの奢りだ! 楽しんでくれ!」
アーキッドが陽気な声でそう宣言すると、爆発的な歓声が上がった。プレイヤーたちは思いおもいに料理を楽しみ始める。カムイも分厚い肉の塊にかぶりついた。噛みごたえはあるが、決して硬くはない。むしろ噛むほどに肉汁が溢れ、野味溢れる旨味が口の中に広がる。空腹だったこともあり、カムイはしばらく無言のまま食べ続けた。
「よう、少年。楽しんでるか?」
カムイが食べることに没頭していると、そこへグラスを片手に持ったアーキッドが現れた。カムイは口の中のものを飲み込むとこう応える。
「はい、おかげさまで」
「そうか、そいつぁ何よりだ」
そう言ってアーキッドは笑顔を浮かべた。そんな彼にカムイはこう尋ねる。
「というか、こんな所にいていいんですか? その、話とかいろいろあるんじゃ……?」
「んなもん明日だ明日。今日は挨拶と顔つなぎ。それ以上のことなんざ、やってられるか。酒が不味くなっちまう」
ぞんざいな口調でアーキッドはそう言った。そしてニヤリと獲物を見つけた肉食獣のような笑みを浮かべる。それを見たカムイはイヤな予感を覚え一歩後ろに下がるが、しかしアーキッドは首に腕を回して彼を捕獲する。
「それよりもだ、少年。カレンとあのクレハとか言う娘と、一体どっちが本命なんだ? 二股かけようってんなら……、応援しちゃうぜ?」
「二股って……。いや、二人ともそんなんじゃないですよ」
カムイの言葉の、少なくとも何割かはウソだろう。アーキッドはそれを見破っていたが、しかしあえて指摘はせずにこう言った。
「ふうん? クレハのほうはともかく、カレンは婚約者なんだろう? いいのか、そんなこと言っちゃって」
「婚約者と言ったって、どうせ口約束です」
その口約束を交わしたのは双方の両親、ではない。約束したのはカムイとカレンの祖父だった。
この二人は戦友である。第二次世界大戦当時に、フィリピンのあたりで一緒に戦ったそうだ。そして一緒に死線を潜り抜けた二人は、やがてこんな約束を交わした。
『もし二人とも生きて帰れたら、それぞれの子供を結婚させよう』
この当時の日本の風習として、親が子供の結婚相手を決めるのは珍しいことではなかった。だから二人の約束は、口約束であったとはいえ、十分真剣な約束だった。唯一問題があったとすれば、二人とも子供どころかまだ嫁すらいなかったことか。まずは自分の結婚相手を探す必要があったのだ。
終戦後、二人はそれぞれ故郷に帰った。彼らは自分達の住所を交換していたが、しかし戦後の混乱期のせいで二人は連絡を取り合うことが出来なかった。そして彼らは結婚し、そして彼らの子供たちもそれぞれ結婚した。この時点で二人の口約束はご破算になったかに思われた。
転機が訪れたのは、カムイ(正樹)とカレン(鈴音)が生まれてすぐのことである。カムイの両親が仕事の関係で関東地方に引っ越した。その時、すでに連れ合いを亡くしていた彼の祖父も一緒に引っ越した。そして引っ越したその近所に、なんと戦友であるカレンの祖父がいたのだ。
二人はこの奇跡とも言える偶然に歓喜した。そしてこのとき、例の口約束が息を吹き返したのである。
ただ、彼らの子供たちはもうそれぞれ結婚している。まさか自分達の口約束のために離婚しろとは言えない。それで「それじゃあ孫同士を結婚させよう」という話になったのである。
前述したように、このときすでにカムイとカレンは生まれていた。それで祖父たちは喜び勇んでこの二人を婚約させようとした。ただ、この時すぐに婚約と言う話にはならなかった。さすがに話が急すぎるとして、二人の両親が反対したのだ。
ただ、祖父たちの戦後数十年経ってからの再会という奇跡に、なにか運命じみたものを感じてはいたのだろう。両家はすぐに家族ぐるみで仲良くなったし、そうなるにつれて二人の婚約は現実味を帯びるようになっていった。
「二人を婚約させられたらいいね」なんて話は、両家の間で頻繁に出るようになった。それはもちろん祖父たちの口約束に端を発したものだったが、このときにはすでに二人の両親も乗り気になっていたのだ。正式には決まっていないだけで、周りの空気がそうなるまでに、そう時間はかからなかった。
そんなわけだから、カムイもカレンも、物心ついたことからお互いが「こんやくしゃ」になるかもしれないことは知っていた。「こんやくしゃ」がつまり「婚約者」であることを知ったのはもう少し先だが、二人ともその事実は早くから知っていたのである。
そしてそんな空気のままにとでも言うべきか。二人は婚約することになった。一悶着、いや二悶着くらいはあったが、ともかく二人は婚約したのである。ただおかしなもので、関係者の感覚として「婚約」と「結婚」は遠く離れていた。二人がまだ子供だったことも関係しているのだろう。
とまれそんなわけだから、二人の周りに結婚を強制するような空気はなかった。時代の流れとしてそうだったこともあるが、両親はもとより祖父たちも二人にそういう圧力を加えることはなかったのだ。
父祖たちからは「仲良くせぇよ」とは何度も言われた。だが「結婚せぇよ」と言われたことはない。あるいは婚約させただけで満足しているのではないだろうか。カムイはそんなふうにさえ思っている。
だからこそカムイはこの婚約について深く考えず、どこか他人事のように思っていた。そしてそれは今も変わっていない。だからこそ、彼はこんなことを言う。
「どっちかが本気で嫌がれば、その時点でご破算ですよ」
つまり、まだご破算になっていないと言うことは、現時点でどちらも本気では嫌がっていないと言うことなのだが、カムイはそれに気付いているのだろうか。アーキッドはもちろんそれに気付いたが、それをこの鈍い年下の少年に教えてやろうとは思わなかった。もちろんその方がおもしろそうだからだ。
その代わりに、彼はこう尋ねた。
「お前さんはそう思っているかもしれないが、カレンのほうはどうなんだ? アイツがこのデスゲームに参加したのは、お前さんのためなんだろう?」
好きでもない相手のために、はたして命を賭けるだろうか。アーキッドは言外に尋ねる。その言葉に、しかしカムイは首を横に振った。どこか泣き出しそうな顔をしながら。
「…………アイツがココへ来たのはそういうんじゃなくて、たぶん罪悪感とか責任感からですよ」
そんな必要ないのに、とカムイは思う。
カムイが植物状態になったのは、ある交通事後が原因だった。酒気帯び運転の乗用車が、赤信号を無視して横断歩道に突っ込んできたのである。そのとき、カレンがその車に轢かれそうになり、それをカムイが庇ったのだ。
そのことをカレンは負い目に感じている。自分のせいで、カムイが植物状態になってしまったと思っている。それはまったく的外れだったが、しかし一方の当事者としてそう考えてしまうのはある意味仕方がないことだった。
カレンはこのデスゲームに参加した。カムイのことを治すために。罪悪感や責任感に駆られて。カムイにしてみれば、理解はできるが、しかし納得はできない。
彼女を庇ったのはとっさの、反射的な行動だった。だがもし相手が見ず知らずの誰かだったら、自分は同じように動いていただろうか。カムイには自信がない。
『鈴音だったから、動いちゃったんだな……』
事故の後、カムイは植物状態になってしまったがしかし意識はあり、そのおかげで考える時間だけはたくさんあった。その時間の中で彼はそのように考えるようになり、それは彼のなかにすとんと落ち込んだ。
動いてしまったのは、カムイの責任だ。カレンが気にする必要なんてないのに、と彼は思う。だがそれでは彼女が納得できないことも理解できる。理解できてしまうから、ままならない。「余計なことをするな」と言ってしまいたくなる。もっとも、言った次の瞬間には舌戦で敗北しているだろうが。
「……アードさんたちには、感謝しています」
ポツリとカムイがそう呟く。彼の声に真摯なものを感じ取ったアーキッドは、「ふむ?」と言いながら彼の首に回していた腕を解いた。そんな彼に、カムイは深々と頭を下げる。
「カレンの、鈴音のこと、ありがとうございました。アイツが無事でいられたのは、きっとアードさんたちのおかげです」
「わざわざ礼を言われるようなことじゃない。お互い持ちつ持たれつ、ってやつさ」
肩をすくめながらアーキッドはそう応えた。実際、カレンにはずいぶん助けられてきた。今のプレイスタイルがあるのも、彼女のおかげと言っていい。一方的に彼女を助けてきたわけではないのだ。
しかしアーキッドがそう言っても、カムイは頭を上げようとしない。それを見てアーキッドは少し面倒くさそうに髪をかき上げこう言った。
「『自分のせいでカレンをデスゲームに巻き込んでしまった』か?」
「……っ!」
カムイは思わず息を呑む。そういう想いは、確かに彼の中にあった。
「そんなに気にしてるってことは、やっぱり惚れてんじゃねぇの?」
「だからそんなことないですよ!?」
反射的にカムイは頭を上げる。そこにはニヤニヤと少々下品な笑みを浮かべるアーキッドがいた。その笑みを見て、カムイはからかわれたことを知る。
「ま、気にすんなって言ったところで無理なんだろうけどよ。否定だけはしてやるなよ。どんな動機があるにせよ、ここへ来たカレンの覚悟は本物だ」
そう言ってカムイの胸を拳でトンッと軽く叩くと、アーキッドはそのまま別のプレイヤーのほうへ歩いていった。カムイがその背中を見送って立ち尽くしていると、今度はカレンが彼に話しかけてきた。
「……ねぇ、カムイ。ちょっといい?」
「あ、ああ。ど、どうした?」
アーキッドとの会話のこともあり、カムイは少しドギマギしながら返事をした。ただカレンも自分の用事で頭が一杯らしく、彼の様子がおかしいことには気付いていない。
「呉羽さんって、やっぱり強い?」
「呉羽? ま、まあ、それなりに強いんじゃないのか。少なくとも、オレじゃ歯が立たない」
カムイがそう答えると、カレンは「そっか」と言って考え込む。事情を聞いてみると、明日の午前中に約束していた稽古をすることになったらしい。それで稽古の前に情報収集をしているそうだ。
「呉羽さんってどんなタイプ? 真正面から斬り合うような感じ?」
「いや、回避主体だと思うぞ。『受けるな、かわせ』っていつも言われてる」
「じゃあどっちかって言うと技巧派か……。まあ今日のアレ見てそんな気はしてたけど……」
そう言ってカレンは頭を抱える。あの動きに対応できるかと悩んでいるのだろう。その気持ちはカムイにもよく理解できた。
「……なあ、カレン」
「言わないで」
カレンがカムイの言葉を遮る。そしてそのまま、彼女はこう言葉を続けた。
「わたしはこのデスゲームに参加して良かったって思ってる。ここに来たことを後悔なんてしない。それはカムイが、正樹がここにいるって分かっても変わらない」
強い眼差しで、カレンははっきりとそう言った。それからふと目を伏せて、さらにこう続ける。
「謝ることしかできないなんて、自分が嫌になるもの……」
誰にともなく呟くように、カレンはそう言った。それを聞いてカムイは思い出す。確かに病院で彼女は謝ってばかりいた。「わたしのせいでゴメン」と。そしてその声は、いつも辛そうだった。
「……なあ、カレン」
「……なによ?」
「お前は、お前の願いを叶えろよ。オレは、オレの願いをかなえるからさ」
「……そうね、そうするわ」
何か言いたそうにしながら少し考え、それからカレンはそう答えた。そしてにっこり笑いながらこう続ける。
「だから、文句なんて言わないでよ?」




