再会の遺跡7
『スズッ!』
『……ま、正樹……? 正樹……、ねえ、正樹……!? い、いやぁぁぁああああ!?』
夢の中で悲鳴を上げ、【Karen】はベッドから跳ね起きた。そして「はぁ、はぁ」と荒く肩で息をする。寝汗をかいてしまったのか、身体中がベタベタとしていて気持ちが悪い。彼女はうっとうしげに汗で額に張り付いた前髪を手でかき上げた。
(また、あの事故の夢……)
身体をベッドの上に倒し、額に手を当てて天井を見上げながら、カレンは自嘲的な笑みを浮かべた。こんなふうに跳ね起きてしまうなんて、まるで悪夢でも見たようだ。いや実際のところ、一般には悪夢に類するのだろう。しかし彼女は自分の見た夢を「悪夢」と呼ぶことを、頑なに拒んでいた。真にコレを悪夢と呼ぶべきは、決して自分ではないから、と。
「起きよ……」
小さくそう呟いてから、カレンはもう一度身体を起こした。時間的にはいつもより少し早いが、二度寝するような気分ではなかったし、なにより寝汗が気持ち悪い。シャワーを浴びてサッパリしたかった。汗を吸ってしまった衣服の洗濯代わりに【全身クリーニング】も使うが、それとシャワーは別物なのだ。それに、どうせロハだし。
ベッドから降りると、カレンはすぐ近くのカーテンを開ける。元の世界にいたころは、さらに窓を開けて朝の清々しい空気を思いっきり吸い込むのが日課だったが、コッチに来てからはそれもしていない。瘴気まみれの空気など吸い込んだところで気持ち悪いだけだ。もっともここは、そしてカレン自身も瘴気の影響を受けないので、これは完全に気分の問題であるが。
一度【全身クリーニング】を使ってから、カレンはパジャマと下着を脱ぎ捨ててバスルームへ向かった。そして少し熱めのシャワーを全身に浴びる。まるで全身の細胞の一つ一つが覚醒していくようだ。ただ綺麗にするだけの【全身クリーニング】では、これは味わえない。
「ああ……、贅沢……」
朝に浴びる熱いシャワー。そんな元いた世界なら当たり前のものが、この世界では何よりの贅沢であることを、カレンは良く知っていた。
瘴気に覆われ、そして滅びた世界。それがここだ。今はプレイヤーたちがいるが、彼らの生活も文明的とはいい難い。アイテムショップのおかげで、何とか原始人にならずにすんでいる。そういう状況だ。
(わたしは、運が良かった……)
胸のなかで、しみじみとそう呟く。この贅沢な暮らしができているのは、一緒に行動している仲間のおかげだ。もし自分ひとりであったなら、今ごろはどんな有様だったであろうか。ともすれば死んでいたかもしれない。それを考えると、熱いシャワーを浴びているにもかかわらず、うすら寒くなる。
カレンのユニークスキルは【守護紋】という。「自分を含めマーキングした対象を瘴気の影響から完全に守る」、というがその能力である。ただしその効力は一定範囲内に限定され、今のところその有効範囲はマスターであるカレンを中心に半径100m程度だ。その範囲から出てしまうと、マーキングは無効になり瘴気の影響を受けるようになる。なお、プレイヤーの成長に合わせて有効範囲も広くなる。
この能力を選んだことが、失敗だったとは思わない。むしろこの能力のおかげで、カレンは今ここにいると言っても過言ではない。そしてこの能力を欠かすことのできない要素として、今の彼女らは動いている。そういう意味では大成功だったと言えるだろう。
しかし【守護紋】の欠点は明らかだ。それは攻撃力、あるいは防衛力の欠如である。
もともと戦闘を想定して設計した能力ではないのだから、当然のことではある。しかしこの世界の実情を、いやこのデスゲームの実情を知っていたら、果して同じ能力を選んだだろうか。カレンにはちょっと自信がない。
この世界は過酷だ。戦わなければ、生き延びることはできない。戦わなければ、願いをかなえることはできない。しかしそうだというのに、カレンには戦うための力が不足している。
(わたし、ずっと守られてる……)
それがカレンの胸に引っ掛かっている。仲間たちは「気にするな」と笑うだろう。「一人では力が足りないのは当たり前なのだから」と。客観的に見て、カレンがパーティーから抜けたら仲間たちは困るだろう。それも分かっている。
(贅沢な、悩み……)
結局、自分の悩みは悩みですらないのだろう。パーティーとはつまりチームだ。そしてチームとは互いを助け合うものなのだから。
友情ごっこの話をしているのではない。チームがチームとして機能するためには、同じような能力を持つメンバーが集まっても意味はない。むしろ多様な人材が必要になる。チームとして必要な能力が満たされればいいのであって、一人で全てできるようになる必要など無いのだ。
カレンのパーティーには、すでに十分すぎる攻撃力が揃っている。一方カレンにはカレンの役割があり、それを果たすことでこのパーティーは上手く回っているのだ。そしてそれでいい、と彼女もまた思っている。
上手くいっているのに、それでいいと思っているのに、しかし自分の弱さにコンプレックスを感じる。それはたぶん、カレンが「自分は何もしていない」と考えているからだ。
もちろん、他の仲間たちはそんなふうには考えていないだろう。カレンには【守護紋】という力があり、その力を使ってパーティーに貢献している。そう評価してくれているはずだ。
ただ【守護紋】の特性上、一度マーキングしてしまうと、カレンにはもうやる事がない。そしてやる事がないだけでなく、できる事がない。おんぶにだっこで守られているような気がして、なんだか申し訳ない気さえしてくる。
(焦ってる、のかなぁ……)
このデスゲームに参加した彼女には、当然叶えたい願いがある。それは植物状態になってしまった幼馴染を治すことだ。いやそれは願いと言うより、むしろ責任だった。それを彼女は自分に課したのだ。
それなのに、全力を出し切れていない。そのくせ温かいベッドで寝起きし、こうして熱いシャワーを浴びるという、贅沢を享受している。
決して苦労したいわけではない。だがこのデスゲームはこんなにヌルいはずがないのだ。今まで様々なプレイヤーの姿を見てきたが、誰も彼も必死だった。カレンだけがこんなんでいいのだろうか。
(いいはず、ない……!)
カレンの身体に熱が入る。シャワーの熱ではない。内側から湧き起こる熱だ。その熱を確かめると、カレンはシャワーを止めた。今日もまた一日が始まる。
バスルームから出ると、カレンは身体を拭いてから脱ぎ散らかした下着を拾って身につける。それからエルフの装束を取り出して着替え、パジャマをたたんでベッドの上に置く。最後に鏡で身嗜みをチェックして一つ頷いてから、カレンは部屋を出た。
「おはようございます」
カレンの部屋は二階にある。部屋を出てすぐの場所は吹き抜けになっていて、下を見下ろすとそこはリビングになっている。そこにはすでに三人の仲間が揃っていた。
「よう、おはようさん」
そう言って手を振るのは、ロン毛の男性プレイヤーだ。名前を【ARKID】という。カレンのパーティーのリーダーである。そしてこの屋敷の家主でもある。いや、こういうべきか。この屋敷こそが、彼のユニークスキルなのだ。
アーキッドのユニークスキルは【HOME】という。家を呼び出す能力、というのとはちょっと違う。彼のユニークスキルは拠点を呼び出す能力なのだ。温かいベッドも熱いシャワーも、この能力のおかげである。その能力に、カレンはデスゲームが始まって以来、お世話になりっぱなしだった。
「良く眠れたかえ、カレン?」
そう言って優しげな笑みを向けてくれるのは、獣人の女性プレイヤーである。彼女の名前は【Miralda】。獣人の中でも特に〈妖狐族〉と呼ばれる種族であり、その証として狐の尻尾と耳を持っている。ちなみに耳は二つだが尻尾は三本ある。しかもこれが全てではない。
「はい、おかげさまで。キキちゃんは……、いつも通りですか」
「まあ、そういうことじゃなぁ」
そう言ってカレンとミラルダは揃って苦笑を浮かべた。彼女達の視線の先には、ライトグリーンの髪をショートカットにした一人の少女がいる。彼女は至福の表情を浮かべながら、ミラルダの尻尾に抱きついて眠っていた。この少女が【KiKi】である。
「モフモフ」
「……無理に寝た振りしなくていいのよ?」
「すぴー」
「……まあ、いいけど」
「ほんに、しかたのない娘じゃ」
そう言って優しげな苦笑を浮かべながら、ミラルダはキキの頭を撫でる。キキはくすぐったそうに身をよじりつつも、しかしミラルダのモフモフな尻尾を放そうとはせず、そのまま強引に寝たフリを続けた。恐らくはバレているのを承知の上で。
「カレンもどうじゃ?」
ミラルダが悪戯っぽい視線を向けながら、そう言ってカレンを誘う。そして大きな尻尾を一本、まるでネコじゃらしのようにユラユラと揺らした。寝たフリを決め込んでいなければ、間違いなくキキが飛びついていたであろう。
「あ~、いえ、わたしは遠慮しておきます……」
素晴らしい毛並みであろう尻尾に心残りを感じつつも、カレンは苦笑しながら小さく手を振ってその誘惑を振り払った。フラれたミラルダは「ふうむ?」と意味ありげな視線を向けつつも、それ以上は何も言わず揺らしていた尻尾も静かに下ろした。
(あんまり、子ども扱いしないで欲しいんだけど……)
ミラルダはこう見えて子供好きだ。その上、妖狐族というのは人間に比べて長命らしく、そのため「子供」に分類する年齢も自然と上がる。要するにカレンはキキよりも一歳ほど年上だったが、ミラルダから見ればどちらもまだ子供なのだ。先ほどの意味ありげな視線も、きっと子供が大人ぶっているのが微笑ましかったのだろう。
「と、ところで、師匠はまだですか?」
階段を下りてきたカレンが、リビングを見渡しながらそう尋ねる。露骨な話題の逸らし方だが、パーティーメンバーの最後の一人【Ismel】の姿がそこに見当たらなかったのも事実だ。
「イスメルなら、まだ起きてきてないぞ」
アーキッドがそう答え、さらにミラルダが苦笑しながらこう続ける。
「アレのことじゃ。起きていたとしても、そう素直には降りて来んじゃろうて」
「……引き摺り出してきます」
そう言ってカレンは下りてきた階段を駆け上る。イスメルの部屋は踊り場を右に曲がった廊下の突き当たりだ。その部屋の扉を、カレンは「ドンッドンッドンッ!」と勢いよく叩き、そして声をかける。
「師匠! 起きてください! 朝ですよっ!」
しかし返事はない。カレンは一秒だけ待つと、すぐに躊躇なく扉を開けた。踏み込んだ部屋の中は、観葉植物で溢れている。部屋の主であるイスメルがアイテムショップから買いあさったもので、まるで植物園のような状態だ。
そんな部屋の中、カレンは部屋の隅に置かれたベッドのほうへ視線を向ける。そこでは布団がこんもりと小山のようになっていた。「絶対起きるもんか」という徹底抗戦の意志が、そこには漂っている。
それを見たカレンは、頬を引きつらせた。髪の毛で隠れたこめかみには、もしかしたら青筋が浮かんでいるかもしれない。彼女は大股でベッドに近づくと、“むんずっ”と布団を掴んで力任せにひっぺ返しにかかる。しかしながら敵もさるもので、まるで甲羅に篭ったカメのように頑強に抵抗を続けた。
「師匠、さっさと起きなさいっ!」
「あと五分! あと五分でいいですから!」
「あと五分って言ってる人はあと五分じゃ済まないんですよっ!」
世界が違っても通用する、この世の真理である。
「イヤですっ! 私は起きませんよ!?」
「時間切れになったらどうせ強制的に外に放り出されるんですよ!? みっともないったらないんですから、さっさと起きてください!」
「イヤったらイヤですっ! 植物のない世界になんて、逝きたくありません!」
「い・い・か・ら・起・き・ろっ!」
カレンは一音ごとに合わせて布団を左右に振ってゆさぶるが、しかしイスメルはまだ抵抗をやめない。ひしりと布団をかぶってベッドの上から動こうとしないのだ。
「イ~ヤ~だ~!?」
涙目になりながらイスメルは叫ぶ。もちろんカレンは手心なんて加えなかった。
結局この朝、カレンがイスメルを部屋から放り出すのに10分23秒の時間がかかった。タイムとしては平均より少し遅いくらいである。ちなみにタイムとして計っているのは「カレンが部屋に攻め込んでから、イスメルが階段の二階踊り場に姿を見せるまでの時間」であり、毎朝アーキッドが記録をつけている。
「うう、カレンはもう少し師匠に対する敬意を持つべきだと思うのですよ」
パジャマのまま引きずり出されたイスメルは、リビングのソファーに座り込むとそう泣き言を言った。
彼女の言うとおり、イスメルとカレンは師弟関係にある。イスメルが師でカレンが弟子だ。イスメルはこう見えて凄腕の剣士であり、戦闘力不足を気にしたカレンは彼女に弟子入りして剣を習っているのだ。その腕前については、「筋はいい。二流くらいならすぐになれる」というのがイスメル師匠の評価だった。ちなみに弟子の師匠に対する評価は「凄腕ダメエルフ剣士」という言葉によって端的に表現されている。
「尊敬してますよ。必要なときに、必要な分だけ」
しれっとカレンはそう答えた。ただ、彼女とて最初からこのような対応をしていたわけではない。ダメエルフのお守りを任されているうちに、自然とこうなってしまったのである。
「ああ、もう師匠、寝癖が……」
しかしなんだかんだ言いつつも、カレンはイスメルの世話を焼いてしまう。これはもう性分だった。今も師匠の頭に寝癖を見つけると、彼女は後ろに回りこんで櫛でそのアッシュブロンドの髪を梳く。ああ、まったく。すまし顔で黙っていればびっくりするくらい美人なのに。内心でそう嘆息しながら。
この後、五人は揃って朝食を食べた。アイテムショップで購入した【日替わり弁当A】である。この屋敷には立派なキッチンもあって、料理を作ろうと思えば作れるのだが、今のところ水を飲む以外に活用されたことはない。
食材や調味料を揃えようとすればそれなりに費用がかかってしまうし、なによりも手間が掛かる。カレンも料理は嫌いではなかったが、毎日となると気後れしてしまうというのが実情だった。
朝食を食べ終えると、五人はそれぞれ一旦部屋に戻って身支度を整え、それから屋敷の玄関前に集合した。他のメンバーを待つ間、カレンはなんとなしに屋敷を眺める。何もない広漠とした荒野のただなかに、豪奢な屋敷が一軒たたずむ様は、はたから見ればきっと異様であるに違いない。ただ五人にとってはもうこれが普通のことだった。知的生命体とは、すなわち慣れる生き物なのだ。
それに実用的な意味からいってもこの屋敷は有用である。いや、有用なのはアーキッドのユニークスキル【HOME】の方か。このスキルは前述したとおり拠点を用意する能力だが、どのような拠点を用意するのか、細かく設定することができる。ただし設定やその変更にはポイントが必要だ。その代わり、設定した能力を使う場合はほぼノーコストで使うことができる。
今のこの屋敷を設定する際には、たしか「1億Ptぐらいかかった」とアーキッドは言っていた。とんでもない高額だが、荒野のど真ん中でもこれだけ快適に過ごせるのだから、確かにそれくらいの価値はあるかも知れない。
それに屋敷の中やそのすぐ近くでは瘴気の影響を受けず、またモンスターの発生や侵入も起こらない。マスターであるアーキッドが許可した者しか立ち入ることはできず、この危険な世界における安全で快適な避難場所となっていた。
ただ、いくら安全で快適とはいえ、いつまでも避難場所にいることはできない。ゲーム攻略のためには引き篭もっているわけにはいかないし、そもそも有効時間が設定されている。アーキッド曰く「費用を抑えるため」だ。
それで、どうしても外に出る必要がある。出たくないとしても、放り出される。そして外に出れば、瘴気の影響からは逃れられない。
ただカレンを含めた五人について言えば、瘴気の影響を心配する必要はなかった。全員がすでに【守護紋】をマーキング済みだからだ。それで彼らは瘴気濃度を確かめたり向上薬を飲んだりすることもなく、そのまま屋敷の外に出ていた。ただしその人数は、なぜか四人。誰が足りないかは、あえていう必要もないだろう。
「師匠……!」
カレンが頬を引きつらせた顔に怒気を浮かべる。そのまま屋敷の中に戻ろうとする彼女を、しかしアーキッドが止めた。そして振り返ったカレンに、彼は苦笑しながら「時間だ」と告げる。
彼がそう言うが早いか、屋敷が突然大量のシャボン玉に包まれた。もちろん本物のシャボン玉ではなくエフェクトである。そしてそのエフェクトと一緒に屋敷もまた跡形もなく消えていく。時間切れ、である。屋敷の中においてきた着替えなどはそのままの状態で保持されるので心配しなくても良い。
ただし、これには例外がある。いやむしろ、着替えなどをそのまま置いておけることの方が例外と言うべきか。ようするにプレイヤーは対象外なのである。その結果、どうなるのかと言うと……。
「むぎゃん!?」
部屋で駄弁っていたらしいイスメルが、時間切れに伴いそのまま放り出され、そしてそのまま地面に激突した。それでもほぼ無傷なのは、彼女がすでに高いパラメータを持っていることの証明である。もっとも、カレンは「こんなことで証明しないでくださいっ!」と思っているが。
「飽きないねぇ」
「あの美貌でこの体たらく。この体たらくであの剣腕。これほどちぐはぐな娘も、そうはおるまいて」
「負けた……。ぐっじょぶ」
アーキッドは楽しげに苦笑し、ミラルダはコロコロと笑い、キキはなぜか褒め称えた。三人とも面白がっているが、それはひとえに他人事だからだ。師弟関係にあるカレンとしては、恥ずかしすぎて笑えない。
「師匠っ!」
怒りか羞恥か。顔を真っ赤にして、カレンは大股でイスメルに歩み寄る。地面に転がるイスメルは、さめざめと涙を流していた。ただし、どこか痛いわけではない。
「うう、天上の楽園から堕とされてしまいました……。ここは、地獄です……」
「なに駄天使ぶってるんですか!? さっさとしゃんとして下さいよぉ、もう!」
カレンにそろそろ泣きが入り始める。イスメルの名誉のために記しておくが、スイッチさえ入れば彼女は頼りがいのある凄腕の剣士である。スイッチさえ入れば……。
なにはともあれ、これが彼女らの朝の光景である。彼らが【導きのコンパス】を頼りに川辺の遺跡に足を踏み入れ、そしてそこでカムイと出会うのは、この日のお昼前のことだった。
― ‡ ―
カレンらと遭遇したカムイは、すぐに地図作りのための探索を切り上げた。そんなことをしている場合ではないと認識していたのだ。彼は呉羽に来客を告げるメッセージを送信してから、彼女ら五人を拠点へと案内した。
「…………正樹は、なんでここにいるの?」
その道すがら、カレンは幼馴染の少年にそう尋ねた。その声には、彼女の内心に秘められた複雑すぎる感情が滲んでいる。そのことに気付きつつも、カムイはあえて気付かないフリをしてまずはこう答えた。
「【Kamui】だ。ややこしくなるから、こっちではそう呼んでくれ」
「あ、じゃあわたしも【Karen】って呼んで」
「ふぅうん? 華蓮、ねぇ?」
「な、なによう?」
意味ありげなカムイに視線に、カレンはわずかにうろたえる。彼の記憶が正しければ、華蓮とは鈴音が好きだった少女マンガに出てくるキャラクターの名前だったはずだ。しかも役どころはヒロインを「ざまぁ」する悪役令嬢。
しかしカムイはそれを指摘することはせず、「なんでもない」と言ってその話題を打ち切った。黒歴史の一つや二つ、誰にだってあるものである。
「……それで、カムイはなんでこのデスゲームに……?」
カレンがもう一度遠慮気味に、しかしはっきりと尋ねる。カムイは彼女に見えないように少しだけ苦笑してから、こう答えた。
「そりゃ……、身体を治すためだよ」
その答えは、かつて呉羽に告げた答えとは少し違っていた。「婚約者に礼が言いたい」とあの時カムイは答えた。そのためには身体を治さなければならないから、叶える願いはどのみち同じだが、ニュアンスが違ってくるのは言うまでもないだろう。要するに、礼を言いたい婚約者であるカレン本人にそのことを告げるには、まだ心の準備ができていなかった。
「それはそうだろうけど……、わたしが聞きたいのはそういうことじゃなくて……! だって、正樹は……!」
カムイと呼べと言ったのに、とカムイは内心で苦笑した。ただ、カレンの内心を慮ってそのことを細かく言いはしない。その代わり、彼女が知りたがっていることを答えた。
「意識はあったんだよ、ずっと」
「…………っ!」
カムイのその答えを聞いて、カレンは息をのんだ。彼女はずっと、幼馴染は植物状態だと思っていた。しかし実は、意識だけはあったという。その状態を想像している。きっと普通の植物状態より、ずっと辛かっただろう。辛さを感じる意識があるのだから。
「ごめん……。気付いて、あげられなくて……」
「なんで謝る? お前が悪いわけじゃないだろうに」
カレンの言葉にカムイは苦笑する。とはいえそれで納得する幼馴染でないことは、彼も良く知っている。それで、彼はさっさと話題を変えた。
「それより、カレンのほうこそなんでこのデスゲームに?」
「……それ、本気で聞いてる?」
「ですよねぇ」
カレンに呆れたような顔で聞き返され、カムイは肩をすくめた。彼女があの胡散臭い勧誘に乗ってデスゲームに参加する理由など、幼馴染を植物状態から回復させること以外にありえない。
とはいえ、その願いを叶える必要はもうなくなってしまった。カムイがこのデスゲームを生き残れば、自分で自分の身体を治すだろう。逆に死んでしまったとしたら、その時は回復させる意味がなくなる。その時に願う必要があるのは復活だろう。
「なあ少年少女。二人は同じ世界の出身なのか?」
カムイとカレンの話が一段落したのを見計らって、アーキッドと名乗った男が二人に声をかけた。
「ええ、そうですよ」
「その上、かなり親しい間柄と見た」
「ええ、まあそうですね。幼馴染で、一応婚約者でしたから」
言葉を交わす二人の様子から親しい関係であることは察していたのだろうが、しかし婚約者というのは予想外だったらしい。その単語を聞くと、カレンのパーティーメンバーである四人はそれぞれ一様に驚いたような顔をした。
「そいつぁ、また……」
「奇なこともあるものよのぉ」
「う、うらやましくなんて……」
「恥ずかしいエピソード詳しく」
仲間達のそれぞれの反応を受けて、カレンは顔を赤くした。そして責めるようにカムイに詰め寄る。
「ちょっと、そこまで言わなくてもいいじゃない」
「別にいいだろ、ホントのことなんだし」
面倒くさそうにカムイはそう応じた。このやり取りは、元の世界にいたときから、二人の間ではお馴染みのものである。年頃の少女らしく、婚約者という言葉と存在が気恥ずかしいカレンと、あまり頓着しないカムイ。二人のその気質は、この世界に来てもあまり変わっていないようだった。
もっとも、カムイがあまり頓着しないのは、重大に考えていないからでもある。だいたい、家が婚約者を決めるなど時代錯誤も甚だしい。どうせ口約束でしかなく、どちらかが本気で嫌がれば簡単に解消されるだろう。そんなふうに考えているものだから、「別に隠すようなことでもない」と簡単に口にしてしまうのだった。
それがカレンにはちょっと不満である。思春期といえば、恋愛ごとに興味関心を持つ年頃。その中で婚約者持ちとなれば、良かれ悪かれ注目される。幸い、彼女の周りにはそのことをネチネチと口撃してくる陰湿な輩はいなかったものの、やはり何かと話題には上ってしまう。そのたびに、彼女は気恥ずかしい思いをするのだった。ちなみに、周囲にしてみればそれが惚気にしか見えないことを、彼女はいまいち理解していない。
(はぁ……、もうちょっとこう……)
重々しく扱ってくれてもいいではないか。せめて婚約という言葉が持つ意味の重さ程度には。そう思わずにはいられない。自分の感情や周囲の反応、そしてカムイの様子を比べてみたとき、なんだか彼だけが飄々としていて、そのせいで自分が空回りしているように思う。それでどうしても、「もっとしっかりしてよね!」とか、そんなことを言いたくなるのだ。
まあそれはそれとして。カムイの案内でカレンら五人は堀の内側へと来た。向かうのは調査の拠点にしている建物だ。
「ようこそ。見ての通り何もないところですが、どうぞゆっくりしていってください」
カムイがカレンら五人を案内してくると、メインで使っている部屋にはすでに彼以外の三人が揃っていた。新たな五人も加えて、人数は全員で九人。室内は少々手狭だった。
全員の自己紹介がすむと、お昼を少し過ぎた時間になっていた。せっかくだから歓迎会を開こうという話になり、それでこの日のお昼は少し豪勢になった。お得な日替わり弁当ではなく、ピザなどを単品で購入する。ただしアルコール類はなしだ。ちなみにこれらの支払いはカムイらが持った。
「……それで、アードさん達は、どんな目的でここまで来られたんですか?」
熱々のピザを食べながら、アストールがアーキッドにそう尋ねる。ちなみに「アード」というのはアーキッドの愛称だ。「キッド」の方が一般的な気がするが、本人がそう呼ばれることを希望した。なおその理由は、「若い頃はキッドと呼ばれていたが、その頃ちょっとやんちゃしすぎて、そう呼ばれるとその頃を思い出してちょっと死にたくなる」から、だそうだ。
「しいて言うなら、お前さんたちに会うためだな。俺たちはあっちこっちの拠点を渡り歩いているんだ」
その目的は色々あるが、最大の目的はプレイヤーたちを中核となる拠点に合流させることだという。
「知ってのとおり、この世界は過酷だ。ある程度の人数が集まらなきゃ、生きるだけで精一杯になっちまう」
しかし現実問題として、一人か二人のまま孤立してしまい、そのまま他のプレイヤーたちと合流できなくなった者たちがいる。多くの場合、それは初期設定時にゲーム開始地点を良く考えずに決めてしまったためだ。心当たりのある約二名は、ギクリとした顔をして視線を泳がせた。
まあそんな二人はともかくとして。孤立してしまった者たちは、すぐに「これではいけない」と気付く。しかし多くの場合、気付いたとしても動けない。呉羽の場合と同じく、周辺を高濃度の瘴気で覆われているからだ。今は向上薬もあるからまったく手がないわけではないが、しかし向かうべき拠点がどこにあるか分からない。
『ポイントが足りなくなって死ぬかもしれない』
そう考えるのはむしろ当然であろう。ましてこれはデスゲーム。一度死ねばそれで終わりだ。慎重になり、そして動けなくなる。呉羽の場合と同じだ。
だがゲームの攻略を、世界の再生を考えた場合、それでは少し都合が悪い。先ほど「中核となる拠点」という言葉を使ったが、そのようにプレイヤーが集まっている拠点であっても基本的には人手不足である。
それで、その状態を何とかするべく動き回っているのが、アーキッドら五人というわけである。彼らは【導きのコンパス】を頼りに拠点を渡り歩き、孤立してしまったプレイヤーを回収しては比較的大きな拠点に合流させているのだ。いずれはそれらの拠点も集約したい、とアーキッドは話した。
「よくぞ……、よくぞ……」
アーキッドの話を聞いて、アストールは声を詰まらせた。その気持ちは、カムイにも何となく理解できた。ゲームクリアを見据えて、しかも現実的に動いている者たちがいる。カムイらもそうしているつもりだが、しかし彼らとは別方向に動いている。それが、今は心強い。
「まあそう大したことじゃないさ。同じようなことを考えてるヤツは他にもいるだろうしな」
アーキッドはそう言って謙遜するが、しかし彼の言葉には同時に自負も滲んでいる。彼の言うとおり、同じようなことを考えている者は他にもいるだろう。しかし問題は考えているかではない。実行できるか、である。
瘴気に覆われたこの世界で効率よく移動し、しかもプレイヤーを回収して移動させるためには、そのための能力がかみ合ったパーティーが必要になるのだ。そのメンバーを集めるのが、最も難しい。山陰の拠点にいたプレイヤーたちが動くに動けなかったのはそのためだ。
アーキッドが今のメンバーを集められたのは、半分は偶然だがもう半分は偶然ではない。彼はある程度狙ってこのメンバーを集めたのだ。ではどうやって狙ったのかと言うと、初期設定である。初期設定のとき彼は場所と共に、一緒になるプレイヤーについても条件をつけたのだ。
『ヘルプ刀自、スタート地点は美人と一緒にしてもらいたい』
『女性はみな美人ですよ。それに気付けない男性の目が節穴なのです』
『こいつは手厳しい。なら、こういうのは可能かな?』
そう言ってアーキッドはスタート地点を同じくするプレイヤーについて、彼らに求めるユニークスキルの条件を具体的に述べた。その中でも特に拘ったのが「瘴気の中でもその影響を受けずに複数のパーティーを移動させられる能力」と、「高額のポイントをすぐさま用意できる能力」だった。初期設定の段階から、彼は自分のユニークスキルと合わせ、かなりしっかりとイメージしていたのである。
他にも色々と条件をつけた結果、アーキッドは大よそ狙い通りのメンバーを集めることができた。しかもヘルプ刀自が気を利かせてくれたのか、美人も一緒だった。ゲーム開始早々にちょっとした問題は起こったものの、それも何とか丸く収め、彼は自分のプランについて他の四人に説明した。そして全員の同意を得てパーティーを結成し、そして今に至るというわけである。
「……まあそんなわけだから、アンタたちが望むなら近くの拠点に連れて行ってやることもできるぞ」
そう言ってアーキッドは地図を広げた。その地図を見て、カムイは少しだけ驚いた。話を聞いて予想はしていたが、これまでの移動範囲がかなりの広範囲にまたがっている。もちろん完全に埋まっているわけではない。ただこれだけ広い範囲に及ぶ地図を見たのは、これが初めてである。そしてその地図の、ある一点をアーキッドは指し示した。
「ここから一番近くて、それなりに大きい拠点となるとココだな。プレイヤーの数はだいたい80人。俺達が見てきた中では、まあ中堅所だな。で、どうする?」
アーキッドにそう尋ねられると、アストールは笑みを浮かべながら一つ頷いた。そしてそれからこう答えた。
「実は、私たちもこの遺跡をずっと拠点にしていたわけではないのです。ここから歩いて三日ほどのところに別の拠点があって、そこから調査に来たんです。カムイ君、地図を出してください」
アストールに促され、カムイはストレージアイテムから地図を取り出して広げた。その地図を見て、アーキッドが「ほう」と小さく呟く。彼らの地図ほどではないが、カムイらの地図も結構広い範囲に及んでいる。特にこの遺跡とその周辺の地図は、カムイがここ数日頑張ったかいもあって、かなり詳細になっていた。
「ここです。ここにプレイヤーの拠点があります。私たちは海辺の拠点と呼んでいて、人数は120人くらいでしょうか」
そう言いながらアストールが指し示した場所は、アーキッドが示した場所よりも近い。それを見て、アーキッドは笑みを浮かべた。
「そいつは朗報だ。ぜひ案内して欲しいんだが、いいか?」
地図上で位置を確認したし、またそもそも【導きのコンパス】があるのだから、案内は必ずしも必要ではないだろう。だが見知らぬ拠点へ行くのだ。顔見知りがいた方が警戒されないし、また危険も減る。それで、すぐにアストールも頷いた。いい加減、彼も一度報告に戻らなければと思っていたのだろう。そして彼がそういうのであれば、カムイらにも異論はない。
「ただ、少しだけ問題が……」
少しだけ申し訳なさそうな顔をして、アストールは川で起こる〈侵攻〉現象についてアーキッドらに説明した。〈侵攻〉について聞くのは初めてだったらしく、話を聞くアーキッドらの表情は真剣だ。
「……要するに、川に近づかなきゃいいんだな。なら、やりようはあるぜ」
アストールの話を聞くと、アーキッドは自信ありげな様子でそう言った。そしてイスメルのほうに視線を向ける。
「そんなわけだ。イスメル、頼めるか?」
「八人となると少し手間は掛かりますが、まあそれが一番簡単でしょうね。わたしは構いませんよ。ただ、その代わりと言ってはなんですが……」
そう言ってイスメルは呉羽のほうに視線を向けた。心当たりのない彼女は不思議そうに小首をかしげる。
「クレハさん、とおっしゃいましたか。かなりの使い手とお見受けしました。わたしの弟子に稽古を付けていただけませんか?」
「は、はあ……。わたしは、構いませんが……」
「ちょ……! 師匠!?」
呉羽は簡単に了承したが、突然の話にカレンが驚きの声を上げる。そんな弟子に、イスメルはこう言い聞かせた。
「いい機会ですから、たまにはわたし以外の方とも稽古をしてみなさい。二刀流と一刀流では、ずいぶん勝手が違いますよ」
「はあ、もう……。それじゃあ、その、呉羽さん、よろしく」
「ああ、こちらこそよろしく」
こうして幾つかのことが立て続けに決まった。二つのパーティーが出会ったのだから、お互い聞きたいことはまだまだたくさんある。ただ、ひとまず川を渡り、明るいうちに動けるだけ動き、夜になってからゆっくり話そうということになった。
そうと決まれば動くのは速い。荷物もストレージアイテムに放り込めばいいだけなので、荷造りはすぐに終わった。
「それじゃあ、こっちです」
地図作りのために動き回っていたので、遺跡の地理に一番詳しいのはカムイだ。それで彼が先頭になって、九人は遺跡の東を流れる川を目指した。
この出会いをきっかけに、ゲームの攻略がまた大きく動くかもしれない。カムイはそんな予感がした。
今回はココまでです。
続きは気長にお待ちください。




