ゲームスタート3
「危うく死ぬところだったぜ……」
白く輝くオーラで身体を薄く覆ったカムイは、大げさな仕草で額の汗を拭った。とはいえ、彼の言葉は真に迫りすぎている。なにせゲームが始まってからまだ一時間も経っていないと言うのに、すでに三回も死にかけているのだから。
はあ、とカムイがため息を吐く。いくら最初から「デスゲームです」と警告されていたからと言っても、ちょいとばかし命の危険が多すぎやしないだろうか。彼がそう文句を言うと、すかさず脳内ヘルプさんが「ゲームの難易度については、苦情を受け付けておりません」と言ってくれた。もちろん、あの機械的な声で。こんなところにまで出張ってくるなんて、まったくヘルプさんは有能である。
「さて、と」
バカな想像は放っておいてカムイはようやく、そうゲームの舞台となるこの異世界に転位して来てからようやく、彼は辺りを見渡して周囲の状況を確認した。
この世界に来る前、初期設定のときに舞台となる異世界について質問したとき、ヘルプさんはこの世界のことを「滅んだ世界」と言っていた。瘴気に覆われ、知的生命体が死滅した世界だ、と。
「言葉通りの意味、だったんだな……」
カムイはポツリとそう呟いた。見渡す限り、彼の視界に映るのは広漠とした荒野のみ。植物の緑さえ存在しないその世界には、命の気配というものがまったく感じられない。地は全て枯れて朽ち果てているし、動物のものと思しき骨もすっかり細かくなっていて、元の姿を想像するのは不可能な状態だった。
ただそれだけなら、彼が元いた世界にも似たような風景はあっただろう。ここがそうであるからと言って、この世界の全てが死に絶えていると判断するべき根拠にはならない。しかしこの「滅んだ世界」にはそれを納得させるだけの、不可思議にして不気味な状況が広がっていた。
「黒い靄……、いや霧……?」
立ち込める白い霧は神秘的で清廉なイメージを人に与えるだろう。その霧を、真っ黒に穢したかのような光景が、カムイの目の前に広がっている。普通の霧と同じく、目先に焦点を合わせている分にはほとんど気にならない。
しかし遠くを見ようとすると、その不気味さが際立つ。世界が黒く覆われ、視界が利かない。荒涼として、物悲しい雰囲気だ。見上げた空は青くまた雲は白いが、黒い霧の天蓋に覆われてその清々しさもまた穢されている。生命の気配がないことも合わさって、この世界はまさに「滅んだ世界」だった。
「これが瘴気、なんだろうな……」
カムイはポツリとそう呟いた。確証はない。しかし確信はある。というより、それ以外に思い当たる節がなかった。
「瘴気、か……」
カムイは初期設定のときにヘルプから聞いた瘴気についての情報を思い出す。瘴気についてヘルプは「生命体の生存を脅かす、ある種のエネルギー」と説明していた。そして「瘴気が世界中に拡散したことで、知的生命体はその生存圏を失った」とも。それがどういう意味だったのか、今のカムイなら十分に理解することができる。
「確かに、あんな吐き気を抱えながら、まともな生活なんてできないよな……」
苦笑しつつ、どこかしみじみとした口調でカムイはそう言った。確かに世界中がこの状態なら、知的生命体は死滅するしかないだろう。
(ん……? ちょっと待てよ……)
そこまで考えると、カムイは脳裏に引っ掛かるものを覚えた。「瘴気によって知的生命体は死滅した」というのはいい。先程の彼自身の様子を鑑みても、それは大いに納得できる。しかしプレイヤーである彼がこの有様なのだ。では、他のプレイヤーはどうなのか。ちゃんと生き残ることができているのであろうか?
カムイは設定したユニークスキル【Absorption】と新たに身につけた能力を組み合わせることによって、この世界で最低限活動するための条件を揃えた。見込みが甘かったことは認めなければならないだろうが、しかしユニークスキルを設計する段階で瘴気のことを考慮に入れておいたのに、アブソープションだけでは足りなかったのだ。
全てのプレイヤーが、瘴気のことを考慮に入れてユニークスキルを設計していたとは思えない。ではそのようなプレイヤーが仮にカムイと同じ状況に放り込まれていたとして、彼は生き残ることができたのだろうか。
できない、と決め付けるのは早計だ。現にカムイだって死に掛けたその淵からなんとか這い上がって生き残ったのだ。そして同じだけのポテンシャルが他のプレイヤーにも与えられている。であれば、生き残る可能性は大いにあると言っていい。
(だけど100%じゃ、ないよな……)
恐らくゲーム開始後、早々に死んでしまったプレイヤーもいるだろう。いくらデスゲームだからと言って開始時点から殺しに来るなんて、もはやクソゲーとかそんなレベルではない。カムイは「クソッタレめ」と悪態をついた。
「そんなんでまともに攻略できんのかよ……」
このデスゲームがまともにゲームをする気がないことは、よく分かった。しかしゲームとして参加者を募った以上、運営側のオーバーロードは攻略を望んでいるはずだ。それでカムイは生き残るためにも、ヘルプから聞き出した情報をもう一度よく思い出して整理していく。
「あ……」
そしてカムイは思い出す。ヘルプが「全てのプレイヤーには、平均的な瘴気濃度の中で問題なく生活できる程度の耐性が与えられています」と言っていたことを。しかし彼は耐えることができなかった。ということは、ここの瘴気濃度は平均よりも(恐らくはかなり)高いということになる。
「要するに、運が悪かった、ってことか?」
ヘルプは「転位地点はランダム」とも言っていた。つまりカムイのように瘴気濃度が平均より高い場所に転位したプレイヤーもいれば、平均以下の地点に転位したプレイヤーもいるということだ。そうであるなら、開始早々に命の危機に陥ったプレイヤーの数は限られている、のかもしれない。
(なんか篩にかけられた気がするな……)
ムスッとして不機嫌になりながら、カムイは内心でそう愚痴る。プレイヤーを集めておいて、しかし初っ端から篩にかけるというのは、どうも不意打ちや騙し討ちに類するように思う。そう感じるのは、きっと彼だけではないだろう。篩で落とされたプレイヤーなどは特に。
「ま、いいや。オレは生き残ったわけだし~」
どこかやさぐれながら、彼はそう嘯く。そして気を取り直すと、彼は改めて自分の周囲を見渡した。すると彼は先程モンスターを倒した場所に、薄紅色の淡い輝きを放つ手のひら大の石を見つけた。
「なんだこれ……?」
カムイは不思議に思い、その石を拾い上げる。するとその瞬間、突然彼の視界に【System Message】なる画面が現れた。
《魔晶石を手に入れた! ポイントに変換しますか? Yes / No》
少し迷ってから、カムイは【Yes】を選択する。すると彼の手の中にあった魔晶石とやらは、まるでシャボン玉のようなエフェクトと共に消えた。そしてシステムメッセージの画面も一緒に消える。
「ふうん……。こうやってポイントを獲得していくのか……」
ポイントはゲームクリア後に願いを叶える際に必要になる。ポイントがある限り、ゲームをクリアしたプレイヤーは願いをいくらでも叶える事ができるのだ。つまりこのポイントを獲得することが、ゲームの主な目的と言っていいだろう。
さらにヘルプからの情報によれば、ポイントを使ってシステムからアイテムを購入することもできる。そして今見た限りでは、モンスターを倒して魔晶石を手に入れると、それをポイントに変換できるようだ。
「ようするにゲーム内通貨ってことか……」
カムイはそう理解した。「プレイヤー間でやり取りができる」ともヘルプは言っていたし、大よそこの理解で間違いはないだろう。また「基本的には、プレイヤーの行動とその結果が世界の再生に資するとシステムが判断した場合、自動的にポイントが与えられます」とも言っていた。これをクエストに対する報酬と考えれば、やはりゲーム内通貨と理解しておいて問題はなさそうだ。
「だけど、ちょっと分かんないな……」
この理論で行くと、「モンスターを倒す」ことは「世界の再生に資する」と判断されていることになる。その二つがどう結びつくのか、カムイにはいまいちよく分からない。
「ま、いいや」
そう言って、カムイはひとまず悩むのを止めた。この際、重要なのは理由ではなく結果である。モンスターを倒せばポイントが手に入る。それが分かっただけで、今は十分。彼はそう思うことにした。
「それで、一体何ポイント手に入ったんだ?」
次に気になるのは、やはりそれだった。そしてそれを確かめる手段も、おおよそ見当が付いている。こういう時はお決まりの「アレ」である。こういう時は、「アレ」と相場が決まっているのだ。それでカムイは自信満々にこう叫ぶ。
「ステータス、オープン!」
しーん……。何も起こらない。気まずい沈黙だ。誰か別の人がいたら、きっと白い目で見られていたに違いない。
そこへ脳内ヘルプさんがあの機械的な声でアドバイスをくれる。曰く「システムメニューです」と。
「……システムメニュー、オープン」
脳内ヘルプさんのアドバイスに従うと、今度こそメニュー画面が開いた。見れば、なるほど確かに【System menu】と銘打たれている。決して【Status】ではない。脳内ヘルプさんは正しかった。
気を取り直して、カムイはメニュー画面を確認していく。一通り目を通すと、彼は苦笑気味に口の端を歪めながらこう言った。
「……確かに、こりゃステータスじゃなくてシステムだわ」
そこにはプレイヤー【Kamui】のステータスは一切記載されていなかったのだ。普通のゲームでよくある、数値で表されるパラメーターのような、そういう情報が一切抜け落ちているのである。メニュー画面に記されているのは、確かにシステム的な項目だけだった。
「ユニークスキルにレベルがない、ってのは聞いてたけど……」
ユニークスキルは成長する。しかしそれが数値的に表されることはない。ヘルプはそう言っていた。そしてそれはどうやら、ユニークスキルに限った話ではないらしい。プレイヤーのレベルやステータスパラメーターといったもの全てが、どうやら数値として表示されることはないらしい。
「ずいぶん手抜きだこと……」
皮肉を込めてカムイはそう言った。やはりこのゲームの運営側は、まともにゲームをする気がない。少なくとも「プレイヤーを楽しませる」という意図は皆無だ。尤も、デスゲームである以上そんなことは当たり前ともいえるが。
(だけど、レベルアップはするはずだ……)
ユニークスキルは成長する。ヘルプはそう明言していた。つまり数値的に表示されないだけで、プレイヤーだって成長するのだ。
(これは、かなり意識的にレベル上げをしないとだな……)
これが普通のゲームであれば、プレイヤーは自分のレベルを数字で確認することができる。そしてそれは、レベル上げのモチベーションを維持する上で、ある種のカンフル剤として働く。成果が目に見えて分かる時、人間は「頑張ろう」と思うものなのだから。
しかしこのデスゲームの場合、プレイヤーは自分の頑張りを数字で確認することができない。つまりこのゲームの“レベル上げ”は、現実世界での訓練や鍛錬に近いものになるのだ。それを続けるためには、きっと強い意思が必要になるだろう。
(だけど、レベル上げは必要なんだ)
ゲーム攻略のために、そして生き残るために。カムイは強くならなければならない。そのためにレベル上げはどうしても必要だった。
なにより、他のプレイヤーの存在がある。
カムイはそれなりにサブカルチャーに親しんでいたから、デスゲームを題材にした作品について、多少は知識がある。そういう作品で決まって出てくる場面の一つは、「他のプレイヤーに襲われる」というシチュエーションだった。
これがフィクション作品の話なら、ただドキドキワクワクすれば言いだけの話だ。しかし今のカムイにとって、その可能性は決してフィクションではない。当然起こるべきものとして考えておかなければならないのだ。
特に、ポイントのことがある。プレイヤーは、願いを叶えたければポイントを溜めなければならない。またポイントは溜めただけ、願いを叶えることができる。となれば、ポイント欲しさに他人を襲うプレイヤーも出てくるだろう。PKでポイントを奪取できるのかは分からないが、カツアゲよろしく叩きのめして脅し、自分から差し出させて奪うことはできる。
そしてゲーム、特に複数人のプレイヤーが参加するMMORPGなどでは、高レベルプレイヤーと低レベルプレイヤーの格差はいっそ絶望的だ。カムイ自身はやったことがないのでよく分からないが、やっていた友人に言わせると「万が一は起こらない」だそうだ。
(怖い、な。それは……)
それをこのデスゲームに、そして自分自身に当てはめてみる。自分より圧倒的に強いプレイヤーが、自分の持つポイントを狙って、悪意を持って襲ってくるのだ。ある種、自然災害よりタチが悪いと言えるだろう。自然災害は誰かを特に狙うことはないのだから。それを想像した時、カムイははっきりと恐怖を覚えた。
もちろん、全てのプレイヤーがそうであると疑ってかかる必要はないだろう。しかしそういうプレイヤーは恐らく、いや必ず出てくる。そしてその時生き残るためにも、レベル上げ、つまりこの世界で強くなることはどうしても必要なのだ。
「しっかしそうなると、ポイントってのはほとんどお金と同じだな」
現実でも、お金を目的に強盗や殺人などの犯罪が起きていた。ポイントを巡るこの一連の構図は、それとよく似ているようにカムイは思った。
「で、オレの今の手持ちのポイントは一体お幾らなんだ?」
気分を変えるためなのか、少しおどけた声を出しながらカムイはそう言った。強くなることは必須だ。しかし幸いと言うべきか、見渡す範囲に他のプレイヤーの影はない。ボッチである。だがそのおかげで、他のプレイヤーを警戒する必要もなかった。
カムイはシステムメニューの画面を指でスクロールしていき、「所持ポイント」の項目をタップする。すると別画面が開き、そこには「104,300Pt」とあった。
「10万と4,300Pt、か……」
カムイは小さくそう呟く。ポイントの合計値の下には、ポイント獲得のログがあり、彼は次にそちらを見る。
《初期ボーナス 100,000Pt》
《瘴気を吸収して消費した! 3,500Pt》
《魔晶石をポイントに変換した! 800Pt》
合計すると、確かに104,300Ptである。この内、「瘴気を~」のログを見て、カムイは思わず「おお!」と声を上げた。これはつまり、アブソープションを使ったことでポイントを手に入れた、ということだ。しかも3,500Pt。ユニークスキルを使っただけでポイントが手に入るのなら、かなり楽にポイントを稼げるかもしれない。それを意図してユニークスキルを設計したわけではなったが、嬉しい誤算である。
一方でその下の「魔晶石を~」のログは、彼にとっていわば悲しい誤算だった。魔昌石はモンスターを倒して手に入れたものだから、つまりその分のポイントは800Ptということになる。
「800かぁ……」
そう呟き、カムイは苦笑する。さっきの戦闘は、彼にとってはかなりの激戦だった。その戦果として800Ptというのはどうなのだろうか。どれほどの価値なのかはまだよく分からないが、その上のログと比べても、どうも彼には少なく思えた。
少々の不満を抱えながら、続けてカムイは「ポイントを使用する」という項目をタップする。すると画面が切り替わり、まるでショッピングサイトの画面のように、幾つかのカテゴリーが現れた。尤も、普通のショッピングサイトよりもかなりシンプルなデザインだし、また普通なら「武器」や「防具」のカテゴリーはないだろうけど。
それらのカテゴリーの中から、カムイは「食料品」の項目を選んでタップする。すると沢山の食べ物が画像付きで出てきたが、その中でも彼は注目したのは「日替わり弁当A」だった。
「1,000Ptか……」
ちなみに「日替わり弁当B」は1,200Ptで、「日替わり弁当C」は1,500Ptだ。まあBとCはともかくとして、このゲームにおける一食分の基準がAの1,000Ptであるとすると、カムイがモンスターを倒して手に入れた戦果800Ptというのは、一食分にさえ満たないことになる。
「やれやれ、厳しいゲームだこと……」
カムイはそうぼやいた。命がけで戦って、一食分にすらならない。世知辛いデスゲームである。
このデスゲームのブラック加減を改めて思い知ったところで、カムイは次に「武器」の項目を開いてみる。するとそこには少し意外な数字が並んでいた。
「ショートソードが1,500Ptって……」
日替わり弁当Cと同じ値段である。驚きの安さだ。他の品物も眺めてみるが、やはり食品類と比べると価格が安く設定されているように感じる。少なくともリアルでは考えられない価格設定だ。そのアンバランスさが、カムイにはどうも歪に感じられた。
(食料品はリアルを、武器とか防具はゲームをそれぞれ基準にしている、のか……?)
カムイは漠然とそんな印象を受けた。なんにせよ食糧が、毎日の食べものが高いというのは厳しい条件である。その分を毎日稼がなければならないのだから。
(一日当り3,000Pt。これが生きていくうえでの最低ライン、か……)
当然、この他にもさらに出費はかさんでいくだろう。カムイにはアブソープションがあるからまだいいが、他のプレイヤーは結構キツイかもしれない。尤も、初期設定で戦闘に特化したユニークスキルを設定していれば、彼ほど命がけで戦う必要はないのかもしれないが。
ただその一方で、初期設定で貰った10万Ptというのは、結構な大金であることが分かる。どうやらヘルプさんは奮発してくれたようである。ヘルプさんが身銭を切っているわけもないのだろうけど。
(いや……)
そもそもこの10万Ptは、他のプレイヤーとの初期装備格差を解消するためのものだった。ということは他のプレイヤーは、少なくとも一部のプレイヤーは、この段階でかなりいい装備を持っているということになる。
「今のうちに装備を整えておくべきか?」
きっとそれが常識的な判断なのだろうが、しかしカムイは迷った。その理由は主に二つある。
一つは、得意とする武器のジャンルがないことだ。つまり、何を買えばいいのか分からない。そのため初期設定ではショートソードを選んだのだが、その剣は早々に砕けてしまった。ランクを上げれば耐久性はマシになるのだろうが、しかしそれでも使いこなせるかは別問題だ。扱いきれない武器を買っても、意味はないだろう。
二つ目は、今のままでもひとまずはモンスターと戦い、そして勝てたという事実だ。しかもアブソープションを全開にしてからは、まともにダメージを受けることさえなかった。それで特に防具が、本当に必要なのか疑問だった。
(アブソープションを全開にしたあの状態で逃げに徹すれば、まあなんとかなる、か……?)
少なくとも、さっき戦った程度のモンスターなら、いやもう少し強いモンスターでも逃げ切るだけなら簡単だろう。それくらい、カムイはアブソープションを全開したあの状態に手応えを感じていた。
「ちょっとテンションが高くなりすぎてた気もするけどなぁ……」
カムイは苦笑気味にそうぼやいた。コーヒーを飲みすぎてテンションが少し可笑しくなったことはあるが、アレはそれをさらに酷くしたような感じだった。オーラを薄く纏っている今はそんな事はないので、アレは全開にした時特有の副作用なのかもしれない。
「それはそうと、いい加減あの能力に名前付けるか……」
先程から「アブソープションを全開に~」と言っているが、実はそれは正確ではない。「アブソープションを全開にして瘴気を吸収し、それを全て例の輝く白いオーラに変換した状態」というのが、より正確な表現である。つまり今更だが、アブソープションと例の輝く白いオーラを纏うあの状態は、全く別のスキルなのである。
そして後者はカムイが先程自力で発現させた能力だ。そのためまだ名前がない。それでは不便だろうし、またこの能力はこの先彼の生命線になるであろう重要なものだ。早いうちに名前をつけておいた方がいいだろう。
「…………白夜叉…………」
少し考えてから、カムイは小さくそう呟いた。そして口の中で何度かその言葉を転がす。それから彼は小さく、そして満足げに頷いた。こうして彼の新たな能力の名前は【白夜叉】に決まった。【Absorption】と【白夜叉】。今後はこの二つの能力が、彼のゲーム攻略の柱になっていくはずだ。
新たな能力に名前をつけると、彼は開いていた防具のメニュー画面を消す。白夜叉の力を過信するわけではないが、なんせよ発現したばかりでカムイにさえ、いやカムイだからこそ未知数な部分が多い能力だ。装備を整えるのは、もう少し白夜叉の能力を把握してからでもいいだろう。
そう決めてから、カムイはもう一度食料品のメニューを開いた。ゲーム開始早々に嘔吐したせいで、腹の中が空っぽだった。それで何か食べようと思ったのだ。ちなみに、予算はモンスターを倒した分の800Pt。
「お、これなんか良さげだな」
予算を上限にして絞り込んでから、メニュー画面を上から下へスクロールしていくと、ちょうど良いものがあった。ゼリー飲料で、値段は180Pt。「栄養補給に」と書かれている。レモン味の物を選んでタップしてみると、さらに詳しい説明が出てくる。読んでみると、なるほど謳い文句通りにカロリーを含め栄養豊富らしい。一つ頷いてから、カムイは「購入する」のボタンをタップした。
最後に「確認」のボタンをタップすると彼の目の前で、魔昌石をポイントに変換した時のような、あのシャボン玉に似たエフェクトが現れる。そしてその中から現れたゼリー飲料を「おっと」と声を出しながらお手玉して掴む。
「お~」
何となく感動して声が出る。購入したゼリー飲料は、カムイがよく知る、元の世界で市販されていたものによく似ていた。キャップを外して飲んでみる。味は、ちょっと尖がってる感じで、お世辞にも美味しいとは思えなかった。
カムイは購入したゼリー飲料を一息で飲み干し、「ぷは~」と息を吐く。何でもいいから腹を膨れさせると、力が出るように感じるから不思議だ。そしてさらに不思議なことが彼の目の前で起こった。
空になったゼリー飲料の容器が、あのシャボン玉のエフェクトと一緒に消えていく。現れてから消えるまでつくづくファンタジーな仕様だな、とカムイは思った。
「さて、と。今後の方針を決めないとだな」
ゼリー飲料を飲み干して人心地付くと、カムイはシステムメニューの画面を消してそう呟いた。これからどう動き、このデスゲームを攻略していくのか。それを決めなければならない。
プレイヤーであるカムイの最終目的は、「この世界を再生してゲームをクリアする」こと。しかしゲームを開始してまだ半日も経っていないが、自分一人の力でこのゲームをクリアすることは不可能だと彼は判断していた。
なにせアブソープションで吸収したはずなのに、周囲の瘴気の量が全然減らないのだ。これで世界中の瘴気を吸収して回ろうと思ったら、世界を再生するまでに何万年かかるか分かったものではない。
一人ではこのデスゲームをクリアできない。そうなると、おのずと目先の方針は決まってくる。
「まずは他のプレイヤーを見つけること、かな」
方法論はさておき、まずはそれが第一目標だろう。ただどんなプレイヤーに出会うのか、それはカムイには分からないしまた選ぶこともできない。少し前にPKの可能性を考えていたこともあって、彼はそこはかとない怖さを感じた。
「レベル上げもしないとだな……」
自分の身を守るためにも、強くならなければならない。そう思って、彼はそう付け加えた。ただこのゲームでは、数字で表示されるレベルはないから、いわゆるゲーム的なレベル上げはできない。
「まずは場数を踏んで、実戦慣れする」
カムイはレベル上げの方針を、まずはそう掲げた。まずはモンスターを相手に経験を積む。またそうやってモンスターを倒せば魔晶石が、そしてポイントが手に入る。まさに一石二鳥といえた。
そしてその中で、アブソープションや白夜叉の能力を把握する。いや、把握するだけではない。成長させなければならない。この世界におけるレベル上げとは、つまりはそういうことなのだろうから。
「つまりやる事は一緒、か」
苦笑気味にカムイはそう呟いた。モンスターを倒して経験値を稼ぐ。なるほど、やっていることは確かに普通のゲームと同じである。しかし何度も繰り返すが、この世界ではプレイヤーはレベルアップしない。特定の条件を満たせば自動的に力が漲ってくることなどないのである。各プレイヤーは強くなるために、各々自分で努力し、また工夫しなければならないのだ。
「リアルすぎて不便なゲームだよ、まったく」
カムイはそうぼやいた。強くなるために努力し、また工夫する。それはリアルでのプロセスと同じだ。しかしそれが面倒で、ともすれば苦痛であるからこそ、ゲームにはいわゆるレベル上げが存在するのだ。つぎ込んだ時間分のリターンが確実に得られるように。誰だって報われない努力はしたくないのだから。
「このゲームは違うんだろうな」
そう言ってカムイは苦笑した。そうでなければ、分かりやすくレベル制を採用していただろう。レベル制でないにしても、パラメーター表示くらいは用意されていたはずだ。このゲームの運営側、オーバーロードとかいう存在は、プレイヤーに楽をさせるつもりがないらしい。
「だけど、まあ、なんとかなるだろ」
とはいえ、カムイは自分の成長について、それほど心配していない。ヘルプも言っていた通り、その分のポテンシャルがあることを実体験として知っているからだ。
(簡単だった、とは言えないけど……)
それでもあの短時間で、白夜叉という新たなスキルを身につけることができたのだ。そのポテンシャルの高さは凄まじいものがある。そのポテンシャルがあれば、努力しても成果に結びつかない、ということはないだろう。
「よし。当面の方針は決まったな」
そう言ってカムイは頷いた。他のプレイヤーを見つけること。そして場数を踏んで強くなること。この二つが、彼の当面の行動の方針となる。
確かにPKは怖いが、ゲームが始まったばかりの今であれば、いわゆる”レベル差”はまだほとんどないはずだ。他のプレイヤーに接触するなら、早い方がいいだろう。それに、明らかに瘴気濃度が平均よりも高いこの場所に一人でずっといることも、危険の度合いで言えば同じくらいではなかろうか。カムイはそう思った。
「とはいえ、現実問題どうするのか……」
カムイはそう言って困ったように苦笑を浮かべた。方針が固まったのなら、次はその方針に沿って行動しなければならない。モンスターとの戦闘は、移動していれば嫌でもしなければならないだろうからひとまずいいとして、問題はどうやって他のプレイヤーを見つけるのか、である。
闇雲に動いても意味はないだろう。それどころか危険ですらある。実際に行動に移る前に、まずは他のプレイヤーをどうやって見つけるのか、その方法論を考えなければならない。
ただ、どう考えても彼の自力ではどうしようもない。白夜叉のように、それ用のスキルを身につければいいのかもしれないが、確実性に欠けるし、それは最後の手段だろう。では、どうするのか。
「……システムメニュー、オープン」
少し考え込んでから、カムイはもう一度システムメニューを開いた。可能性があるとしたら、自力ではない部分、つまりこのシステムメニューしかない。彼はもう一度注意しながら、メニューのそれぞれの項目を調べていく。しかし、どうもそれ用のアシストは用意されていないらしい。
だがカムイはまだ諦めない。彼は次にポイント交換のアイテムショップ(カムイ命名)の画面を開いた。そして「マジックアイテム」のカテゴリーを選んでタップする。他のプレイヤーを探すためのマジックアイテムがないか、探すのだ。
「これはまた……、ファンタジーな……」
表示された一覧を見て、カムイはいっそ感心したようにそう呟いた。【炎の杖】や【ポーション】など、どこかで見たことのありそうなアイテムも数多い。おかしなもので、本物など見たこともないのに、彼はある種の懐かしささえ感じた。
「しっかし、多いな……」
一覧に表示されたマジックアイテムは多種多様だった。この中から、目的のアイテムを探すのは大変だろう。キーワードを指定して絞り込む必要がある。カムイは少し考えてから、「探す」と「プレイヤー」の二つをキーワードにして絞り込みをかけた。
「お、コレなんてイイんじゃね?」
そう言ってカムイが選んだのは、【尋ね人のコンパス】というマジックアイテムだ。しかし詳細な説明を表示させてみると、たちまち彼の顔が曇った。そこにはこう記されていたのである。
《事前に登録されたプレイヤーがいる方向を指し示す。登録には対象プレイヤーの同意が必要。コンパス一つにつき、一人まで登録できる》
「事前の登録が必要、って……」
もちろん、カムイに登録できるような知り合いのプレイヤーはいない。むしろ、これからそういうプレイヤーを探そうとしているのだ。【尋ね人のコンパス】は使えそうになかった。
「う~む……」
唸ってまた少し考え、カムイは「プレイヤー」のキーワードを消す。そしてもう一度絞り込みをかける。今度はさっきよりも多くのアイテムが残った。彼はその一つ一つを確認していく。
「コレなんかどうだ?」
次に彼が選んだのは【導きのコンパス】というアイテムだった。詳細な説明を見ていると、そこにはこう記されている。
《指定された条件を満たす場所を指し示す。コンパス一つにつき、一箇所まで登録できる》
「プレイヤーじゃないのか……」
カムイの声に少しだけ落胆が混じる。彼は少し迷ってからその画面を消した。そしてまた別のアイテムを探す。
カムイの脳裏にあるのは「一番近くにいるプレイヤーを指し示す」というような、いかにも今彼が必要としているアイテムだった。しかしどうも、そのようなアイテムはないらしい。
ショップ画面には「アイテムリクエスト」という、つまり「こういう商品が欲しい」というリクエストを出せる機能があったのだが、一つリクエストを出すだけで手数料が100万Ptもかかる。現状、利用は不可能だった。
「やっぱりこれしかない、か……」
そう言ってカムイがもう一度開いたのは、【導きのコンパス】のページだった。プレイヤーを指し示してくれるものではないが、うまく条件を指定してプレイヤーを探すのにも使えるだろう。
そう思い、カムイは幾らするのかを確認する。なんと1万Pt。たちまち彼の眉間にシワがよった。
「ぬぐぐぐぐ……」
1万Ptと言えば結構な大金だ。少なくとも今の彼はそう感じている。しかしこれがなければ他のプレイヤーを探すことはできない。必要経費と割り切り、買うことにした。
「へぇ……。結構それっぽい」
例のシャボン玉のエフェクトと共に現れた【導きのコンパス】を見て、カムイは感心したような声を出す。
それはなかなか凝った作りのマジックアイテムだった。金属とガラスでできていて、そのためか大きさのわりにずっしりと重い。全体に幾何学的な模様の装飾が施されているが、華美と言うよりは重厚なイメージだ。文字盤には「北」や「南」の文字はなく、ただ凝った針が一つ浮かんでいた。数字のない、長針だけの時計に似ている。
そのコンパスの、ガラス蓋に軽く押すようにして触れる。すると「条件を入力してください」というメッセージと一緒に、キーボードが現れた。カムイはコンパスを片手に持ったまま、少し考えてまずはこう入力する。
《他のプレイヤーのいる場所》
「いや、ダメだな……」
そう言って小さく頭を左右に振る。これでは、プレイヤーが移動したら意味がない。その周辺を活動範囲にしているならまだいいが、ただ通過しただけだったりすると、そのプレイヤーと出会うのはほとんど不可能だろう。そう思い、カムイは入力したものを消して白紙状態に戻した。
そして、もう一度条件を考え直す。プレイヤーがいそうな場所とは、どういう場所だろうか。
《瘴気濃度が平均以下の場所》
カムイは二度目の条件としてそう入力した。「全てのプレイヤーには平均的な瘴気濃度の中で問題なく生活できる程度の耐性が与えられている」。ヘルプはそう言っていた。ならば、プレイヤーがゲーム攻略のために拠点を設けるのは、瘴気濃度が平均以下の場所である可能性が高い。
(拠点にしている場所なら、例えプレイヤーが移動しても、出会える可能性は高いだろ。……ってそうか、最初から条件に「拠点」って単語を入れてやればいいんだ)
そう考え付き、カムイは条件をさらに追加する。
《瘴気濃度が平均以下で、プレイヤーが拠点としている場所》
入力した条件を読み直し、カムイは一つ頷く。これでいいだろう。
もちろん、コンパスが指し示すのがプレイヤーではなく場所である以上、絶対はない。だが今はこれに賭けるほかない。そう思い、カムイは確定ボタンを押した。
《確認中……。エラー。プレイヤーの拠点を確認できません。条件を変更してください》
「おおう……」
思わず、カムイは膝から崩れ落ちてがっくりとうな垂れた。ゲームはまだ始まったばかり。カムイもそうだが、どのプレイヤーも拠点を持つところまで、まだゲームを進めてはいなかったのだ。