再会の遺跡5
「それにしても、一体どれくらい時間がかかるんだろうな?」
呉羽がカムイにそう問い掛ける。彼女の顔に浮かぶ笑みは、少々意地悪だ。
考古学の専門家でも、遺跡調査が趣味の変人でもないカムイは、五日ほどでアストールの調査に付き合うのに飽きてしまった。それで単独行動をして遺跡の地図を作ることにしたのだが、さすがに数万人が暮らしていたと思われる都市だけあってこの遺跡は広い。地図を作るにはこの広い遺跡を隅々まで歩き回る必要があり、呉羽が言うとおり完成までに一体どれほどの時間がかかるのか、現状では予想も付かなかった。
しかしカムイにはその膨大な仕事に臆した様子はない。それどころかまるで意趣返しをするかのようにニヤリと意味ありげな笑みを呉羽に向けた。
「そのことなら、実はちょっと考えがある」
カムイはそう言うとシステムメニューの画面を開いた。そしてそこからアイテムリクエストのページに進む。どうやら何かをリクエストするつもりらしい。それが気になった呉羽は彼の隣からその画面を覗き込む。カムイがリクエストしようとしているのは、次のようなアイテムだった。
アイテム名【測量士の心得】
説明文【地図に記載される範囲を、目視した範囲に拡大する】
「なるほど、こういうことか……」
そう言って呉羽は苦笑しながら感心した。実際に歩き回らなければならないから、仕事量が増えて面倒になるのだ。目視するだけでいいのなら仕事量はかなり減る、はずである。カムイは呉羽に「そういうこと」と少し得意げに返事をすると、最後にもう一度内容を確認してからリクエストを出した。しかし彼の得意げな顔は長く続かない。エラーが出たのだ。
「げっ!?」
カムイの頭を【浄化の杖】の悲劇がよぎる。しかしどうやら、あの時とは少し様子が違うようだ。
《エラー! このままではアイテムを生成できません。内容を以下のように修正すれば生成は可能です。修正しますか?》
カムイはすぐに修正の内容を確認する。そこにはこう書かれていた。
アイテム名【測量士の眼鏡】
説明文【地図に記載される範囲を、直接目視した範囲に拡大する。装備していなければ効果は発揮されない】
焦る内心を落ち着けるように、カムイはそれを三回読み直した。そして大きな変更がないことを確認すると、大きく安堵の息を吐き「Yes」のボタンをタップした。今度こそ、無事にアイテムは生成された。
「ああもう……、心臓に悪い……」
「ああ、わたしもちょっとびっくりした」
そう言ってカムイは呉羽と力のない笑みを交わした。それからアイテムショップでリクエストした【測量士の心得】改め【測量士の眼鏡】を確認する。フレームは細身のシルバーで、デザインはいたってシンプルだ。ただその値段を見て、カムイは思わず眉間にシワを寄せた。
「5,000,000Ptって……」
500万Pt。それが【測量士の眼鏡】のお値段だった。ちなみに基本的にレンズに度は入っておらず、つまり伊達眼鏡の状態がデフォである。度を入れたい場合は購入時に設定できるようだ。この場合、サングラスではなく眼鏡だからなのか、追加料金はかからない。ただし、レンズに色を入れたい場合は別途オプション料金がかかる。
まあそれはそれとして。問題は値段だ。ぶっちゃけて言うと、手持ちが足りない。カムイが横目で呉羽のほうを窺うと、彼女はススッと目を逸らした。どうやら彼女の方も当てにはならないらしい。
「どうかしましたか?」
カムイと呉羽が黙ってしまっていると、そんな二人にアストールが声をかけた。カムイは彼に事情を説明して、開いたままになっていた【測量士の眼鏡】のページを見せる。そのページを確認したアストールは、「なるほど」と呟いて興味深げに一つ頷いた。
「それで、ポイントが足りないと?」
「ええ。ここのところ、出費が重なりまして……。メッセージ機能とか、リクエスト代とか、あと温泉代とか……」
カムイが出費の中に温泉代を加えると、アストールは勢いよく視線を逸らした。その反応を見て、カムイは少し驚く。彼のことだから笑って誤魔化すかと思ったのだが、意外と負い目に思っていたらしい。
意外だったので、コレ幸いとジト目で睨んで追い打ちをかけてみる。するとアストールは引き攣った笑みを浮かべながら、居心地悪そうに逸らした視線を彷徨わせた。それでもまだカムイはジト目をやめない。
「……あ、あれはちょっとやり過ぎだったかなぁ~、と反省している次第であります」
挙句、アストールはそんな言葉を口にする。それを聞いてカムイは思わず噴きだした。そして一度噴きだしてしまうと、もうジト目を続けることもできなくて、彼は声を上げて笑った。
笑う彼を見て、アストールもようやく視線を泳がせるのを止め、頬を掻きながら苦笑を浮かべた。そんな二人を見て、呉羽は首をかしげる。一体何のことなのか、話についていけないのだ。それでこう尋ねる。
「なあ、カムイ。何の話をしているんだ?」
「ああ、実はですね……」
一瞬で頬を引き攣らせたカムイの代わりに、アストールが身を乗り出す。彼は、それはそれは悪い笑みを浮かべていた。
「それでポイントが足りないって話なんですか!」
カムイは強引に話を戻し、二人の間に割り込んだ。アストールが意味ありげな、面白がるような視線を向けてくるが、カムイは無視する。なにがなんでも、呉羽に「ふとももむっちり」発言を知られるわけにはいかないのだ。もし知られてしまったら、次の稽古はボロ雑巾ではすまないだろう。
「ああ、そうでしたね。200万くらいなら私も出せますが、それで足りますか?」
一瞬迷うような素振りは見せたものの、「反省している」という言葉にウソはなかったらしい。アストールはカムイに応じて話題を戻した。
「200万って……。だ、大丈夫なんですか?」
アストールがあまりポイントに固執する性質ではないことは知っていたが、それでも200万Ptという大金をポンッと出すといわれ、逆にカムイの方がちょっと焦る。いくら稼ぎが良くなったからと言って、染み付いた金銭感覚はそう変わらないのだ。しかしそんな彼には構わず、アストールは開きっぱなしになっている【測量士の眼鏡】のページを見ながらこう言った。
「ええ。このアイテムは早目に買っておいた方がいいでしょうから。むしろ、なぜ今まで思いつかなかったのかと悔やんでいるくらいです」
もしあの小高い山に登ったときにこのアイテムがあったなら、とアストールは悔しがった。確かにあそこはとても見晴らしが良かったから、一気に広範囲を地図に記載できたことだろう。
そうでなくとも、この先攻略が進めば地図情報はますます重要になってくる。その情報を効率よく集めるためにも、【測量士の眼鏡】は早いうちに買っておいたほうがいい。アストールはそう言った。
「う~ん……。でも、足りないんですよねぇ……」
自分のポイントを確認しながら、カムイは申し訳無さそうにそう言った。仮にアストールから200万Pt出してもらったとしても、それでもまだ足りない。すると彼はひとつ頷いてからこう言った。
「では、少しポイントを稼ぎましょうか。半日もあれば……」
「いえ、わたしも出しますよ」
アストールがポイントの目途を立てているところへ呉羽が割り込む。彼女は突然話が変わってしまって、なんだか訳の分からなそうな顔をしていたが、そんなに大切な話でもないのだろうと自分で勝手に納得したようだ。改めて話題を戻して聞き募ることはせず、むしろ二人の話し合いに加わった。
「あ、じゃ、じゃあ、わたしも出します」
そこへリムも加わる。結局、四人で折半することになった。それも500万Ptを四人で分けるのではなく、リクエスト代も合わせて600万Ptを四分割することになった。一人辺りは150万Ptで、カムイはすでに100万Ptを支払っているので50万Ptだけ支払うことになる。そしてそれ位なら、彼の少なくなった手持ちでもなんとか足りた。
「なんか、すいません……。リクエスト代まで……」
リクエストによって生成されたアイテムがアイテムショップで売れると、そのアイテムをリクエストしたプレイヤーにポイントが入る。要するに、【測量士の眼鏡】を誰か他のプレイヤーが買うと、カムイにポイントが入るのだ。
一方で、いくらリクエスト代を折半して出したからと言っても、アストールたちにポイントが入ることはない。それはシステムに認識されないのだ。ポイントはあくまでもリクエストしたプレイヤー本人に入るのである。
だから、リクエスト代まで折半してもらったカムイは、その分かなり得をした事になる。それがなんだか申し訳なくて、彼は恐縮した。そんな彼にアストールは「気にしないでください」と笑いかける。呉羽とリムも、揃って頷いた。
(これはもう、温泉代をネタにできないな……)
カムイは内心でそう苦笑した。それに温泉代のことをネタにすれば、それは「ふとももむっちり」発言が暴露される危険性もつねに孕んでいる。要するに両刃の剣なのだ。ここらで手打ちにしておくのが賢明であろう。
閑話休題。ポイントはアストールが集めて彼が【測量士の眼鏡】を購入した。わざわざ彼が買ったのは、カムイにポイントを発生させるためである。ログを確認してみると獲得したポイントは5万Pt。さすがにこれを丸々懐にねじ込むのはカムイも気が引け、夕食は彼の奢りで豪勢にいくことになった。
「似合わないな」
購入した【測量士の眼鏡】を早速カムイが装備してみると、その姿を見た呉羽に指を刺して笑われた。笑われた彼は少々憮然として眼鏡を外し、そのまま呉羽にかけさせる。彼女の方も、人を笑えるほど似合ってはいなかった。
「わたしも、わたしも!」
そう言ってリムがねだったので彼女にも眼鏡をかけてみる。ただ彼女の場合、似合う似合わないの問題ではなく、ただただ不釣合いでチグハグだった。
ちなみにアストールも最後に試してみたのだが、順当と言うべきか、一番似合うのは彼だった。まさに学者といった風で、少しも違和感がない。ただ彼が装備しても仕方がないので、一回りしてから【測量士の眼鏡】はカムイの手元に戻った。ただ似合わないといわれたものをまたすぐにかける気にもなれず、彼はその眼鏡をとりあえずストレージアイテムにしまった。
「さて、少し遅くなってしまいましたね。そろそろ調査を……」
「その前に中庭のアレを浄化しましょう。カムイもそれは付き合えよ」
早く調査を始めたくてソワソワしているアストールに呉羽が釘を刺す。“神殿”の中庭で見つけた瘴気の塊は、毎朝一回浄化して状態をリセットしておくのが、四人で決めたルールだ。それで四人は拠点として使っている建物から外に出て“神殿”に向かった。
拠点として“神殿”を使わなかったのは、言うまでもなく例の瘴気の塊があるからだ。毎日浄化しているから危険はないのかもしれないが、それでもあまり気乗りはしない。要するに気分の問題だったが、わざわざ“神殿”を選ぶ必要もないと言うことで、四人はその隣にある建物を拠点として使っていた。
“神殿”に入ると、四人は壁画の間を通って中庭へ向かう。そこには相変わらず瘴気の塊が浮かんでいて、途切れることなく集束を続けている。この五日ほどで見慣れてしまった、いつも通りの光景だ。
「モンスターは……、出現しませんね」
四人は臨戦態勢を取りながら中庭に入ったが、モンスターは出てこない。それを確認して、彼らは少しだけ肩の力を抜いた。毎回、この瞬間が一番緊張する。今まででモンスターが出てきたのは最初の一回だけである。もしかしたら一日程度では十分な量の瘴気が溜まらないのかもしれない。カムイはそう思っている。
「それじゃあリムさん、お願いします」
「はい……!」
アストールに促されて、リムが少し緊張した面持ちで前に出る。その左右を呉羽とカムイが固めた。アストールは後方に残って、いつでも魔法を発動できるように魔力を練り上げる。特別そう決めたわけではないが、いつの間にかそうなっていた四人のフォーメーションだ。
「いきます……!」
そう言ってリムは【ミスリルロッド】を掲げて【浄化】の力を込める。浄化はほんの十秒ほどで終わった。リムが【ミスリルロッド】を下げると再び瘴気が集束を始めるが、その量はリセットされている。それでも気は抜かないまま、三人はゆっくりと下がってアストールと合流し、そのまま中庭から出た。
「それじゃあ、オレはこのままそこら辺ほっつき歩いてるんで」
壁画の間を抜けて“神殿”の外に出たところで、カムイは他の三人にそう言った。何か用事がある時はメッセージ機能で連絡を取り合うことを確認してから、彼はメンバーと別れて堀の外側へ向かった。
「カムイ、くれぐれも暴走しないように」
呉羽の冗談とは思えない、いや間違いなく本気の忠告に、カムイは苦笑しながら手を振って応じた。そんな彼の後ろでため息が聞こえたように思うのは、たぶん気のせいだろう。
「さて、と……」
アイテムショップで買った足場を使った即席の橋を渡り堀の外側へ出たカムイは、そこでまず預かった地図を開いて現状を確認した。この五日間、集中的に調査しただけあって、堀の内側は地図が完成している。ただその逆に、堀の外側はほとんど手付かずの状態だ。川辺から伸びる一本の“道”だけが、まるでここまで来た証のように地図には記載されている。
「それにしても……」
地図を見て、カムイはあることに改めて気付いた。それは堀で囲まれた範囲が、ほぼ完全な円形をしているということだ。そしてその真ん中に、例の“神殿”がある。さらに言うなら、ちょうど円の中心点に当る場所に例の水場がある。これは地図を拡大してみることで確認が可能だ。
「偶然、じゃないよなぁ……」
むしろそういう意図があってこのように設計された、と考えた方が自然だ。もっともそこにどんな目的があったのかはさっぱり分からない。「まあその辺のことはトールさんが考えればいいだろう」とカムイは彼に丸投げした。
(ああ、でも、もしかしたら……)
あの水場で瘴気が集束してしまうのは、もしかしたらこの位置関係に一因があるのかもしれない。カムイはふとそう思った。
(ま、オレが思いつくくらいだから、トールさんならもう勘付いてるだろ……)
何しろ魔法の無い世界から来たカムイと違い、アストールは完全にファンタジーの住人である。魔力だの瘴気だの、そこら辺のことに関してはカムイよりはるかに多くの知識と経験を持っている。専門家に素人が口出ししても邪魔になるだけだ。それに彼が今するべきはそういう事ではない。
カムイは頭を切り替えると、おもむろにストレージアイテムから眼鏡を取り出す。先ほど購入した【測量士の眼鏡】だ。それを装備して辺りを順繰りと見渡し、それからもう一度手に持った地図に目を落す。するとカムイが視認した範囲が地図に追加記載されていた。しかも比較的開けた場所だったこともあって、その範囲は結構広い。それを見て彼は思わず歓声を上げた。
「おお! こりゃいい」
リクエストした甲斐があったというものである。上機嫌になったカムイは、地図をストレージアイテムにしまい、それから軽い足取りで目の前のメインストリートを真っ直ぐに進んだ。
歩きながらカムイはせわしなく首を左右に振る。それはもちろんそうやって目に見える範囲を地図に記載するためだが、それ以外にももう一つ目的があった。探し物である。
「お、アレなんていいな」
そう言ってカムイが目をつけたのは、一軒の廃墟だった。廃墟とはいえ、周りの建物と比べると、まだきれいに建物の姿かたちが残っている。さらに三階建てで、上に登れば見晴らしが良さそうだった。きっと広い範囲を見渡すことができ、その範囲を地図に記載できることだろう。
とはいえ、カムイは呉羽のようにジャンプして一息で三階建ての屋上に上るなんてことはできない。彼女のアレは高い身体能力に加え、【草薙剣/天叢雲剣】や【青龍の外套】の力を駆使しているからこそ可能なのだ。それでカムイはまず建物の中に入る。上にあがるための階段などが残っていないかを調べるためだ。
「これは……、ヒドイな……」
建物の中に入ると、カムイはすぐにそう苦笑を漏らす。建物の中はガランとしていて何もなく、しかも一階から三階まで吹き抜けの状態になっていた。当然、階段などどこを見渡しても残っていない。
建物の内側を見渡していると、梁かそれとも二階の床の一部だったのか、焼け焦げて炭になった木材が残っていた。ただ見るからに脆そうで、ぶら下がったり足場にしたりはできそうにない。
(中から上るのは無理だな……)
カムイはそう結論し、外に出た。そして改めて目を付けた三階建ての建物を見上げた。やはりジャンプして上るには高すぎる。なにか方法を考える必要があるだろう。
「梯子でも買うか?」
そう思いカムイはアイテムショップで検索してみるが、三階建ての建物をカバーできるほど長い梯子はあいにくと見つからない。無いのならリクエストしようかとも思ったが、さすがに梯子のために100万Ptも使う気にはなれなかった。ただそうなると、また別の方法を考える必要がある。
次に彼の頭に浮かんだのは、鉤縄だった。かつて忍者が使ったとされる道具だが、カムイが鉤縄について知ったのは主にマンガなどサブカルチャーの中だ。とはいえ検索してみると、アイテムショップにはちゃんと鉤縄も用意されていた。
しかしカムイは見つけた鉤縄をすぐに買おうとはしなかった。素人どころか、触るのも初めてであるような人間が上手く使えるとは思えない。別に急いでいるわけでも競っているわけでもないのだから、ここで時間をかけて扱いに慣れるのもいいだろう。ただ、その前に少しやってみたいことがあった。
カムイは一つ頷いてからメニュー画面を閉じると、まずアブソープションの出力を上げた。おおよそ全力の七割ほどか。これくらいなら、まだ我を失って暴走することはない。そして白夜叉のオーラを白い炎のように揺らめかせた。次に増やしたオーラを、カムイは右手に集める。
(イメージしろ……)
カムイは自分にそう言い聞かせる。思い描くのは、“神殿”の中庭でモンスターと戦ったときに、手からオーラをロボットアームのように伸ばしたことだ。そうやって伸ばした“アーム”で、彼はモンスターの腕を掴んだ。それを思い出してふと思ったのだ。上手く使えば鉤縄の代わりになるのではないか、と。
(イメージしろ……)
カムイはもう一度自分にそう言い聞かせながら、あの時のことを思い出す。あの時はほとんど無意識のうちにやってしまったし、また無意識のうちにできたということは、それなりに成長している証でもあるのだろう。ただ無意識のうちにやってしまったからこそ再現するのが難しいというのは、そうおかしな話でもない。
やがて頭の中でイメージが固まると、カムイはおもむろに膝を曲げた。そして一瞬だけタメを作った後、勢い良く垂直に跳躍する。
「うお!?」
飛び上がった瞬間、カムイは驚きの声を上げた。自分で思っていた以上に、跳躍に高さがでたのだ。驚きつつも、彼は建物の平たい屋上目掛けて手を伸ばす。もちろんその手が直接届くわけではない。だがその手から伸びた“アーム”はしっかりと屋上に届き、そこを囲む欄干を掴んでいた。
屋上の欄干を掴んだことで、カムイの身体はまるで振り子のように建物の側へ引き寄せられる。彼は身体を折り曲げると、足の裏を建物の方へ向け、そして膝を使って柔らかくその壁に着地した。
「ふう……」
上手く身体が止まったところで、カムイは一つ息を吐いた。それから首を捻って下を見下ろす。
「結構高くジャンプしたなぁ……」
高さとしては、二階の真ん中くらいか。彼のすぐ横に、窓と思しき四角い穴が開いている。そうしょっちゅうジャンプしているわけではないが、今までにない高さだ。
「装備のおかげかな?」
それ以外に思い当たる節はない。カムイが足に装備しているブーツは【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーブーツ】という。結構いい値段のする高価な装備で、値段だけを比べるなら呉羽の四神シリーズにも匹敵する。
装備を更新して戦力が一番向上したのは、間違いなく呉羽だ。そのインパクトが強すぎて忘れていたが、カムイの買った装備だって十分に高価で高性能なのだ。そもそも呉羽のアレはユニークスキルとの相性も関係しているから、純粋に装備だけのおかげというわけではない。今もカムイのブーツは建物の外壁にあって、滑ることなくしっかりと彼の身体を支えている。さすがヘルプ軍曹が監修しただけのことはある。
「やっぱりいい装備、なんだよなぁ……」
どこかそれを確認するように、カムイは小さくそう呟いた。ちゃんとよい装備を選べたというのが、少しだけ誇らしい。そのせいか、彼の顔は嬉しそうだった。
それから彼は視線を上に戻す。顔からは笑みを消して集中力を高め、それからゆっくりと膝を伸ばして外壁に立つ。両足と“アーム”で身体がきちんと支えられているのを確かめてから、彼は慎重に外壁を歩いて登っていく。
その際、ロープを手繰り寄せる代わりに、オーラの量を操作して“アーム”を少しずつ短くしていく。そうしなければ上には登れない。こういう能力の使い方をするのは初めてだったので、カムイは必要以上に集中してさらにゆっくりと、しかし一歩ずつ確実に外壁を登っていく。やはり風化して脆くなっているのか、一歩歩くごとに壁に塗られていた漆喰がパラパラと落ちる。そしてついに左手が屋上の欄干を掴んだとき、彼は一つ大きく息を吐き、それから両腕の力を使って軽やかに欄干を越えた。
「到着、と……」
アブソープションの出力を下げて白夜叉のオーラを抑えながら、カムイは小さくそう呟いた。彼の声には、やり遂げた達成感が浮かんでいる。初めてなので時間はかかったかもしれないが、しかしこうして成功したのだ。上々の結果と言えるだろう。白夜叉の新たな利用法も見つかって、彼は手応えを感じていた。
三階建ての建物の平たい屋上に立つと、カムイはその見晴らしのいい場所からぐるりと四方を見渡す。高いだけあって、かなり遠くまで見渡すことができた。ストレージアイテムから地図を取り出して確認すると、狙い通りその広い範囲が新たに記載されている。それを見てカムイは満足げに一つ頷いた。
ただし広い範囲の、その全てが地図に記載されたわけではない。【測量士の眼鏡】の効果は「目視した範囲を地図に記載する」こと。つまり建物の影など、死角になっている部分は記載されない。それで地図には空白の部分が残り、まるでまだら模様のようになっていた。
とはいえ、それは想定済みである。完全ではないとは言え、地道に歩き回るよりはるかに簡単で効率的であることに変わりはない。もちろん完全に完成させられればそれに越したことはないが、しかし最低限全体の傾向が掴めればそれでいいのだ。そういう意味ではこのまだらが残る状態でも十分と言えた。
「さてさて、ではここで……」
リクエストした【測量士の眼鏡】が思った通りの力を発揮してくれ、カムイはすこぶる上機嫌だ。その上機嫌のまま、彼はシステムメニューを開いてアイテムショップへと進む。彼が検索したアイテムは「双眼鏡」だった。双眼鏡を使えば言うまでもなくより遠くまで見渡すことができる。そうやって一気に地図の記載範囲を増やしてしまおう、というのがカムイも目論みだった。
検索結果の一覧を見てみると、さすがに引っ掛かったアイテムの数は多く、また価格帯も幅広い。それでカムイは5,000Pt以下でさらに絞込みをかける。そして幾つかのアイテムを見比べたあと、掌サイズの双眼鏡を選んで購入した。ちなみにお値段4,980Pt。
(ショートソードより高い双眼鏡……。いや、この場合は逆か……?)
双眼鏡より安いショートソード。相変わらず、アイテムショップの値段の基準がいまいちよく分からない。とはいえ今に始まったことでもないので、カムイは今までどおり深く考えないことにした。
購入した双眼鏡をカムイは早速構える。【測量士の眼鏡】をかけた上から覗くことになるので少々違和感があるものの、狙い通りより遠くまで見渡すことができた。それから彼は手に持ったままの地図をもう一度確認する。
「……?」
地図を見たカムイは、眉間に小さくシワを寄せて怪訝そうな顔をした。地図に記載された範囲が、なにも変わっていないのだ。一体どういうことなのかと思った彼は、アイテムショップで【測量士の眼鏡】を検索し、その説明文をもう一度確かめる。そこにはこう書いてあった。
【地図に記載される範囲を、直接目視した範囲に拡大する。装備していなければ効果は発揮されない】
直接目視した範囲。そこには確かにそう書かれている。つまり双眼鏡などのアイテムを使うのはNGということだ。
「ヘルプさんに予防線張られてた……」
どこか呆然としながら、カムイはそう呟く。予防線を張ったのが本当にあのヘルプさんなのかは分からないが、まあそれはそれとして。
アテが外れたカムイは、購入してしまった双眼鏡を微妙な顔で見下ろし、そっとストレージアイテムにしまった。今後使うこともあるだろう、きっとたぶん。
(それにしても、双眼鏡がダメってことは……)
魔法はどうなのだろうか。例えばアストールの使う〈イーグル・アイ〉は視力を強化する魔法だ。双眼鏡のような道具はダメでも、これなら大丈夫かもしれない。
カムイは試してみたいと思ったが、生憎アストールは調査の真っ最中。そしてその調査こそがこの遺跡へ来た本来の目的であり、そういう意味では地図作りの方が蛇足だ。蛇足のために調査を中断させていては、本末転倒だろう。
一度戻って〈イーグル・アイ〉の魔法をかけてきてもらおうかとも思ったが、カムイはすぐにその案を否定した。〈イーグル・アイ〉の効果はせいぜい数分。往復だけで時間切れになってしまうだろうし、本格的に地図作りに利用しようと思えばアストールに付き合ってもらう必要がある。どのみち、〈イーグル・アイ〉は使えそうになかった。
(今回は諦めるか……)
心の中でそう呟くと、カムイは地図をストレージアイテムにしまった。そして屋上から降りるべく縁を囲む欄干に近づき、下を見下ろして固まった。当たり前だが、高い。ここから飛び降りるのは、白夜叉もあるしもしかしたら大丈夫なのかもしれないが、しかしどうしても恐怖は拭えない。
しかしその一方で頭をよぎる光景がある。同じような三階建ての建物から、呉羽が飛び降りたときのあの光景だ。装備や自分の能力に自信があったからなのだろうが、あの時彼女はまったく躊躇いを見せず、しかも軽やかに着地を決めて見せた。
(人間じゃねぇな……)
仲間のことを軽く人外扱いしつつ、さてどうするかとカムイは考える。そしてアブソープションの出力を上げ、白夜叉のオーラを再び白い炎のように揺らめかせ、それをまた右手に集めた。
カムイは欄干の上に上って身体を内側に向ける。次に膝を屈めて姿勢を低くし、オーラを集めた右手でしっかりと欄干を掴む。そしてそのままオーラを伸ばして“アーム”を形成し、ロープを伝うようにして建物の外壁を軽やかに蹴りながら下へ降りていく。上るときと違い、彼はほんの数秒で下まで降りた。
「ふう……」
無事に地面に降り立つと、カムイは大きく息を吐いた。そしてアブソープションの出力を下げる。エネルギーの供給量が減ったことで、“アーム”は形を維持できなくなりすぐに消えた。
下に戻ってくると、カムイはもう一度地図を取り出した。そして今自分がいる辺りを拡大してみる。そうやって見てみると、やはり空白部分が目立つ。地図と辺りを見比べながら、彼はメインストリートから横道に入る。そこは先ほどの屋上からは死角になっていた場所で、覗き込んでみるとすぐにそこが地図に記載された。
「う~ん……」
しかしカムイの表情は晴れない。当たり前だが、かつて大きな都市だったこの遺跡の構造は入り組んでいる。こうしてちょっと横道を覗き込んでみただけでも、また細い道が幾つも枝分かれしていた。死角も多く、【測量士の眼鏡】を使っても、思うように地図に記載はされない。これは思った以上に面倒な仕事になりそうだった。
「細かい部分は後回しだな、やっぱり……」
苦笑しながらカムイはそう呟く。やはりまずは、全体の雰囲気がつかめるように精度よりも範囲を優先して地図を作った方が良さそうだ。そう考えるとカムイは横道からメインストリートに戻った。
西へ伸びるメインストリートをカムイは真っ直ぐに歩く。最初は左右にわき目を振っていたのだが、面倒になったのか今はそれもしていない。気楽に広い通りをただ一人で闊歩していた彼だが、不意に目つきを鋭くしてアブソープションの出力を上げた。十歩ほど先で瘴気が集束を始めたのだ。モンスターが出現する前兆である。
(数は一つ、か……)
油断なく白夜叉のオーラを揺らめかせながら、カムイは周辺を警戒する。背後も確認してみたが、目の前の一つのほかに前兆は現れていない。今回はこの一体だけと見ていいだろう。
(試して、みるか……?)
ゴクリ、とカムイは生唾を飲んだ。彼には少し前から試してみたいと思っていたことが一つあった。それは「完全に出現する前にモンスターを倒してしまえないか」、ということだ。具体的にどうするのかと言うと、前兆として集束を始めた瘴気をアブソープションで吸収してしまうのである。その瘴気がなくなれば、おそらくモンスターは出現しない。
出現する前にモンスターを倒してしまえれば、戦闘による危険を全て回避することが出来る。白夜叉を使えるカムイにはあまり意味はないかもしれないが、しかしこれをリムに当てはめると話は随分違ってくる。
カムイに【Absorption】があるように、リムには【浄化】がある。彼女のそのユニークスキルは、こと戦闘に関して言えば心もとない。だがもしモンスターが出現する前兆の段階でその瘴気を浄化できれば、彼女は戦うことなく勝てるようになるのだ。それはかなり意味のあることと言えるだろう。
ただ、その思い付きをいきなりリムに試させるのは、さすがに躊躇する。それでまずは自分で試してみようと思ったのだ。幸い、カムイの【Absorption】ならリムの【浄化】と似たようなことができる。前兆の段階でちょっかい出せるかを確かめるだけなら、彼のユニークスキルでも十分だろう。
そう思い、カムイは駆け足で集束する瘴気に近づく。早くしなければモンスターが出現してしまう。彼は少し焦りながら手を伸ばし、そしてアブソープションの出力をさらに上げた。
「ぐおぉ!?」
その瞬間、カムイの身体に重い衝撃が走った。身体の芯に響く、まるで強烈なボディーブローを叩き込まれたかのような衝撃である。たまらず声を上げ、膝から崩れ落ちそうになるが、何とか堪えて彼は瘴気の吸収を続けた。
痛い。まるで身体をねじ切られるかのようだ。そして熱い。吸収したエネルギーが、まるでドロドロのマグマのようにとぐろを巻いている。それをカムイは歯を食いしばって耐えた。
そんな最低のコンディションのなか、カムイはふと口を小さく歪めた。笑みを、浮かべたのだ。頭がおかしくなったわけではない。この世界に来た直後のことを、不意に思い出したのである。
あの時、カムイは瘴気に対処しようとしてアブソープションを発動し、吸収したエネルギーを上手く制御できずにのた打ち回って苦しんだ。しかし今は苦しいながらもこうして二本の足で立ち、何とか耐えることができている。なんだかそれが成長の証のような気がして、嬉しかったのだ。
やがて吸収が終わる。集束していた瘴気は、しかしモンスターを生み出すことなくきれいに消えた。それでもしばらく周囲を警戒していたカムイは、モンスターが出現する気配がないことを確認すると、とうとう耐えかねたようにメインストリートの石畳の上で四つん這いになった。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
大きく肩で息をしながら、カムイはアブソープションの出力を下げる。やがて溜め込んだ過剰なエネルギーが白夜叉のオーラとして消費されると、ようやく痛みが引いて身体が楽になった。
「こりゃキツイ……」
石畳の上に仰向けに寝転がり、カムイはそう呟く。痛みは引いたが、倦怠感が消えない。戦闘による危険を回避するつもりだったのに、普通に戦うよりも明らかに大変だった。とはいえ、実験とはそういうものなのかも知れない。
「でも……」
それでも、モンスターが出現する前兆の段階で、集束する瘴気にちょっかい出せることは分かった。カムイの場合は吸収だったからこのザマだが、リムの【浄化】ならもっと上手くやれるだろう。その手応えを感じ、カムイは笑みを浮かべた。
尤も……。
「二度とやらない」
カムイはそう心に決めるのだった。




