再会の遺跡4
「おっと」
モンスターは倒されると、あとに魔昌石を残す。それは中庭に現れたこのモンスターも同じだった。モンスターが消えた後に宙に浮かぶようにして残った魔昌石を、アストールが〈ソーン・バインド〉で確保する。
「これは……、大きな魔昌石ですね……!」
感嘆の混じったアストールの声に、カムイは無言のまま頷きを返した。あのモンスターが残した魔昌石は、彼の言うとおり確かに大きい。カムイが今まで見てきた魔昌石は、片手で軽く握れる程度の大きさが多かった。だがこの魔昌石は、なんとダチョウの卵ほどの大きさがある。
さらに色が濃い。魔昌石は普通、薄紅色をしているのだが、この魔昌石は深紅だ。そのため、まるで巨大なルビーのようにさえ見えた。
「ふむ……。この魔昌石、私が貰っていいでしょうか? お土産としてロナンさんたちに見せて上げたいんです」
「え、ええ。オレは構いませんけど」
アストールの申し出に、カムイは少し驚きながらもそう同意の返事をした。この大きな魔昌石は一体何ポイントになるのか、確かに興味はある。ただ、ポイントなら浄化で稼げばいいのだ。それよりも初めて見るこの大きさの方が、今は価値があるだろう。
それにアストールは今までモンスターを倒しても、その分の稼ぎを受け取ってこなかった。だからこの魔昌石がその分だと思えば、それでちょうどいいだろう。
(……ってことは、温泉代はまた別問題だな)
カムイが意地悪くそう考えているうちに、呉羽とリムも賛成して、この大きな魔昌石はアストールの取り分ということになった。彼は嬉しそうにしながらいそいそと魔昌石を回収し、腰のストレージアイテムに片付ける。満足げに頷いた彼は、しかし視線を上げた次の瞬間、顔を強張らせた。
「これは……!?」
彼の目の前で、瘴気がまた少しずつ集束していく。アストールは反射的に身体を強張らせたが、しかし瘴気は静かに集束するだけで、モンスターが出現する気配はない。それを見て取ると、彼は集束する瘴気から視線を外さず、そのままゆっくりと後ろに下がった。そんな彼の近くに、他の三人が駆け寄る。
「トールさん、アレは……」
「ええ。どうやら先ほどのモンスターを倒して、それで集束現象が収まった、というわけではなさそうですね……」
カムイに応えるときも、アストールは視線を集束する瘴気から外さない。いつモンスターが出現してもいいように警戒しながら、彼は目の前の現象をつぶさに観察する。
集束現象が起こっている場所は、最初に瘴気の塊が浮かんでいたまさにその場所だ。ということはやはり、この場所そのものに何か瘴気を集束させる要因があると考えた方がいい。
先ほどのモンスターにしても、出現する前兆として瘴気が集束していたのではなく、もともと瘴気が集束していたところへプレイヤーという刺激が加わったことで出現した、と考えた方がいいだろう。そしてそうなると、対応の仕方も少し変わってくる。
「……リムさん、あの瘴気を浄化してみてもらえますか?」
「え!? あ、は、はい! わ、分かりました」
突然名前を呼ばれたリムは少し驚いた様子だったが、すぐに頷くと少し緊張した面持ちで【ミスリルロッド】を構えると集束を続ける瘴気へと近づいていく。そんな彼女に呉羽は「ちょっと待って」と声をかけると、そのすぐ隣に寄り添った。どうやら護衛のつもりらしい。
その後ろで、カムイとアストールもそれぞれ身構えて不測の事態に備える。ただ幸いにしてモンスターが出現することはなく、リムは静かに瘴気の浄化を終えた。
「あ……」
浄化を終えたリムが声を上げる。彼女は確かに瘴気を浄化したのだが、しかしその目の前でまた瘴気が集束を始めたのだ。それを見たリムは不安げな様子でアストールの方を振り返る。そんな彼女に、アストールは穏やかに微笑んで一つ頷きを返した。
「大丈夫ですよ。ありがとうございました」
アストールがそういうと、リムは安心したように表情を緩めた。そしてまた呉羽に付き添われながらカムイらのところへ戻ってくる。ただ、集束する瘴気はそのままだ。浄化できることは分かったものの、それでも対処療法でしかない。要するに、状況は何も変わっていない。
「どう、しますか?」
カムイがアストールにそう尋ねる。集束を続けるあの瘴気をそのままにしておくはまずい。そう思いはするのだが、しかしどうすればいいのか分からない。
「そうですね……。もう少し調べてみたいので、周辺の警戒をお願いできますか?」
そのお願いに、カムイら三人は揃って頷いた。アストールが調べている間、カムイらは彼の邪魔をしないよう少し離れたところで周囲を警戒する。ただ警戒とは言っても、今のところモンスターが現れる兆候はない。最も警戒するべき集束を続ける瘴気の塊も、リムが数十秒おきに浄化しているので、今のところ危険はないだろう。
そんなわけでカムイも少し気が緩む。そして気が緩んだせいなのか、彼は先ほどのモンスターのことを思い出していた。
(やっぱり、よく似てたよな……)
〈魔泉〉に現れた、あの巨大モンスターに。上半身だけの人型で、腕が伸び、さらに熱線を放つ。回復能力は持っていないように見えたが、もしかしたら程度の問題で気付かなかっただけかもしれない。
あまりにも似すぎていた、と言わざるを得ない。それこそ、ある種の関連性を疑ってしまうほどに。さらにこの種のモンスターに、カムイはこれまで二回しか遭遇したことがない。一度目は〈魔泉〉で、二度目がこの中庭だ。そしてそのどちらとも、普通のモンスターとは隔絶した戦闘能力を有していた。
(ある程度の量の瘴気がないと出現しないタイプなのか?)
そう考えれば、色々納得はできる。
(まるでボスだな)
そう思い、そしてカムイは苦笑する。「ボス」だなんて、まるでゲームだ。いや、確かにコレはデスゲームだから、「それらしくなってきた」とでも言うのが正しいのかもしれない。だがとてもそんな気分にはなれなかった。少なくともボスを倒してクリアできるほど、このデスゲームは温くないのだから。
さてカムイがそんなことを考えていたころ、アストールは集束を続ける瘴気の塊とその周辺を調べていた。瘴気の塊のすぐ下は、周りの地面よりも随分低くなっている。劣化によるくぼみではない。人の手によって掘られたものだ。中を覗き込んでみると、底には水が溜まっている。水路に流れているのと同じ真っ黒な水で、やはり水面からは瘴気が湯気のように立ち上っていた。どうやらこれが瘴気の出所らしい。
(雨水が溜まった……? いえ、どこからか引き込んでいるのでしょうね)
アストールはそう考える。なぜなら彼はコレをある種の水場ではないかと推測しているのだ。そして水場であるのなら、これだけ水路が発達した都市だ、水を引き込むための用水路が目に見えない場所に通されていたとしてもおかしくはない。
水場は正方形の一段高くなった縁に囲まれ、その内側は階段状に掘り込まれている。これがある場所も合わせて考えてみれば、もしかしたら何かしらの儀式や祭典に使われていたのかもしれない。ただ、ぱっと見た限りでは瘴気を集束させるための、仕掛けのようなものは見当たらない。
「ふむ……。とりあえずは放置で」
少し考え込んでから、アストールはそう結論を下した。そしてそれが聞こえたのだろう。カムイが「ええ!?」と声を上げて彼の方に視線を向けた。
「いいんですか、放置して?」
「ええ。というか、なんで集束するのかさっぱり分からないので、今は放置するしかない、というのが本音ですね」
あっけらかんとアストールはそう言った。だが原因が分からなくても打つ手はあるようにカムイには思える。
「その汚染された水が瘴気の出所なんですよね? だったら埋めるなり水路を塞ぐなりすれば……」
「それはダメです」
思いのほか強い口調でアストールはそう言った。確かにカムイの言った通りにすれば、もう瘴気が集束することも、その結果として強力なモンスターが出現することもなくなるだろう。しかし同時に、なぜこの場所で瘴気が集束していたのかについて調べることができなくなる。
「今はどこから手を付けたらいいのか分からない状態ですが、しかしコレが稀有な現象であることは明白です。潰してしまうには、あまりにも惜しい」
「珍しいことは分かりますが、そこまで重要なんですか? コレ」
少し怪訝な顔をしながら呉羽がそう尋ねる。するとアストールは「そうですね……」と呟き、少し考え込んでから逆にこう問い掛けた。
「……【浄化の杖】のことは、覚えていますか?」
「もちろんです。あの悲劇は忘れようがありません」
「いや、だから喜劇だろう、あれは……」
件の【浄化の杖】とは、カムイが呉羽曰く「物欲丸出し」でリクエストしたマジックアイテムだ。その名の通り瘴気を浄化する能力をカムイは設定したのだが、エラーが出てあえなく“おじゃん”となった。それが悲劇なのか喜劇なのかは、今はとりあえず関係がない。
「ご存知のように、アイテムショップには瘴気に直接作用するような類のアイテムがありません。そして【浄化の杖】のことからも分かるように、リクエストもできない。現状、瘴気を直接どうこうできるのは、プレイヤーのユニークスキルだけです」
カムイの【Absorption】やリムの【浄化】のように、確かに瘴気を直接どうこうする方法は存在する。だがそれらの方法はすべてユニークスキルが関係していて、汎用的とは言い難い。「もしそういうアイテムがアイテムショップにあれば」と考えたことのあるプレイヤーは、カムイを含め少なくないだろう。
アイテムショップは、プレイヤーにとってなくてはならないものだ。仮にユニークスキルがなかったとしても、プレイヤーが全滅することはおそらくない。しかしアイテムショップがなかったら、プレイヤーはまず間違いなく全滅する。それはこのデスゲームに参加しているプレイヤーならば誰もが同意するだろう。
プレイヤーにとってアイテムショップとはユニークスキル以上に重要な、まさにライフラインそのものなのである。そしてその偉大なるアイテムショップ唯一の欠点が、アストールの言うとおり「瘴気に直接作用するような類のアイテムがない」ことなのだ。
「その欠点をもしかしたらどうにかできるかもしれない可能性が、アレにはあるんです」
少し熱っぽく、アストールはそう話す。その視線の先には、集束を続ける瘴気の塊がある。確かにアレに、ユニークスキルは関係していない。ということはユニークスキル以外にも、瘴気を直接どうこうする方法がこの世界にはあるということだ。
「それを解明できれば、アイテムショップにはない、〈瘴気に直接作用するマジックアイテム〉を作ることができるかもしれません」
アストールのその言葉を聞いて、カムイはようやくその可能性に思い至った。無いなら作ればいい。言われて見れば当たり前のことである。アイテムショップになくて、リクエストもできないからと言って、決して実現不可能というわけではないのだ。リクエスト機能があまりにも便利すぎて、逆にそこを限界にしてしまっていた。
「もちろん、言葉で言うほど簡単にはいかないでしょう。ですからここでその可能性を、例えその一端でしかなかったとしても、潰してしまうわけにはいかないんです」
アストールはそう熱弁をふるう。その熱意にのまれ、カムイも呉羽も「集束が起こらないようにしよう」とは言えなくなってしまった。それに、〈瘴気に直接作用するマジックアイテム〉はゲームクリアに必要なようにも思えたのだ。
ただ集束が続いている限り、いつまた強力なモンスターが出現するか分からない。言葉通りに放置しておくのは、ちょっとリスクが高いように思えた。
それで一日に一回、あの瘴気の塊を浄化することになった。溜まった瘴気を浄化し、状態をリセットしてしまうのだ。一日程度なら仮にモンスターが出現してもそう強力な個体にはならないだろう、という判断だ。もちろん浄化のために中庭に入る時は、必ず四人一緒である。
「もし問題や不都合があった場合には、臨機応変に対応するということで」
アストールの言葉に、カムイら三人は一様に頷いた。場当たり的な気もするが、それも仕方がない。なにしろ前例がなく、実際のところどう対処するのが最善なのか分からないのだから。これから少しずつ経験とノウハウが蓄積され、どうすれば一番いいのか分かってくることだろう。
さてそれを決めると、四人はあらためて“神殿”の調査を再開する。彼らはもとの部屋には戻らず、そのまま回廊の屋根の下に入った。
回廊はたくさんの石柱によって支えられ、また形作られていた。しかもただ石柱の上に屋根を載せただけではなく、アーチ状になっている。高い建築技術があった証拠だ。
「おや、コレは何でしょう?」
そう言ってアストールが手を伸ばしたのは、石柱の上部に付いていた台座だ。その台座の上に黒い石が“デンッ”と鎮座していた。彼は手を伸ばし、その黒い石を取る。どうやら固定されていたわけではようで、その黒い石は簡単に彼の手の中に納まった。
「ふむ、見た目は黒曜石に似ていますね……」
手に持ったその黒い石をためつすがめつ観察しながら、アストールはそう言った。大きさは、だいたい直径15cmくらいだろうか。確かに黒くて光沢のあるその石は、かつて教科書で見た黒曜石によく似ている。
その黒曜石に似た黒い石には、無骨ではあるものの、カッティングされた跡や研磨された跡が見受けられた。つまりある程度加工されたものを、誰かが意図を持ってここに配置したのだ。わざわざ台座を用意していることからも、それは明白である。では、一体何の目的があったのか。
「場所のことも合わせて考えれば、『明かりを得るため』というのが妥当なところでしょうね」
アストールの言葉にカムイも頷く。要するに蝋燭代わりだ。ただこの黒い石はどう見ても蝋燭ではないし、そもそも可燃物ですらないだろう。仮に石炭のような可燃物であったとしても、それを裸のまま台座の上において燃やしていたというのは、いかにも非常識でちょっと考えにくい。
ではこの都市の人々は、この黒い石からどうやって明かりを得ていたのか。その答えはもう一つしかないように思えた。
「ふむ……」
アストールは小さくそう呟くと、手に持った黒い石へおもむろに魔力を込め始めた。するとその黒い石は、淡く光を放ち始めたのである。そしてさらにアストールが込める魔力の量を徐々に増やしていくと、それに応じて光は強くなっていった。
「トールさん、熱くないんですか? ソレ……」
カムイは思わずアストールにそう尋ねた。アイテムショップにはコレと似たようなマジックアイテムとして【光熱石】というものがあるが、アレは光と一緒に熱も出す。その熱は、素手ではちょっと触っていられないくらいの温度だ。では果してコレはどうなのか。
心配するカムイに、アストールは微笑を浮かべると無言のままその光る石を差し出した。カムイはソレをおっかなびっくり受け取る。手に持ったその光る石はほんのりと温かいだけで、まったく熱くない。彼は変に警戒していた自分がバカらしくなって、ため息と一緒に肩の力を抜いた。それから彼はあることに気付く。
「あれ、これまだ光ってる……」
カムイはこの光る石に、特別魔力を込めたりはしていない。なのに光は消えることなく輝き続けている。少し考えてみれば当たり前のことで、常時魔力を込め続けなければ光が消えてしまうようでは、蝋燭代わりとして使えるはずもない。
「間違いありませんね。コレは一種のマジックアイテムです。明かりを得るためのもので、蝋燭や松明の代わりとして使っていたのでしょう。交換しなくていい分、手間と費用を抑えられたのかもしれませんね。とりあえず、〈発光石〉とでも呼びましょうか」
カムイが持つ〈発光石〉を見ながら、少し興奮した様子でアストールがそう語る。そして彼はそのままの様子でさらにこう続けた。
「この世界には、やはり魔力が存在したんですね……!」
その言葉を聞いて、カムイはハッとした。こうして魔力に反応する道具を利用していたのだ。この世界に魔力が存在し、そのことを人々が認識していたことはまず間違いない。さらに〈発光石〉の使われ方からして、それが一部の人々によって秘匿されていたようには見えない。この世界、少なくともこの都市において、魔力は一般的な知識であったと考えるべきだ。
(この世界は、ファンタジーな世界だったのか……)
手に持った〈発光石〉を眺めながら、カムイはそんなことを考えた。魔力が存在するファンタジーな世界であったのなら、それを利用する術、すなわち魔法もまた存在していた可能性が高い。今のところ、その確証が得られているわけではないが、その可能性は限りなく高まったといっていいだろう。かねてから気にしていた事柄の大きな手がかりが得られて、アストールは嬉しそうだった。
なにしろ魔法が存在していたのであれば、迫り来る瘴気に対しても魔法的なアプローチや対策がなされたに違いない。それらが上手くいったということはないだろう。むしろ上手く行かなかったからこそ、この世界は滅びたのだ。だがその中で行われた試行錯誤の全てが無駄であったとは思わない。いや、今はどんな情報であろうと有益だ。果たしてどんなことが行われたのか。少し想像してみるだけでも、アストールの好奇心と知識欲は大いに刺激された。
(尤も、そういう情報がこの遺跡に残されているかは、また別問題ですけどね……)
先走る気持ちを宥めるようにして、アストールは心の中でそう呟き苦笑した。そういう情報が欲しいとは思っている。ただ、過剰な期待は禁物だ。それにもしかしたらそれ以上に価値のあるモノを見つけたかもしれない。集束を続ける瘴気の塊のほうに視線を向けて、彼はそう思った。
「……他にもまだ〈発光石〉が残っていますね」
瘴気の塊から視線を戻し、回廊の様子を眺めたアストールはそう言った。回廊にある石柱には、全てではないが一定間隔ごとに台座が取り付けられている。それらの台座は何も載っていない、空になっているものも多かったが、しかし中にはまだ〈発光石〉が残っているものもあった。
「せっかくですし、回収しておきましょう」
アストールの言葉に、カムイらは頷いた。さっきの大きな魔昌石とあわせ、いいお土産になるだろう。それに夜が真っ暗になるこの世界において、明かりを発するアイテムというのは結構貴重なのだ。
カムイも良く使う【光熱石】は使い捨てだし、LEDランタンも充電にはポイントが必要になる。その点〈発光石〉は何度でも使えて、しかも必要なのは魔力だけ。非常にコストパフォーマンスのいいアイテムといえた。
中庭を挟んで反対側の回廊からも回収してくると、手に入れた〈発光石〉は全部で7つになった。石柱に取り付けられていた台座の数と比べると、だいたい三割程度と言ったところか。結構残ってるもんだな、というのがカムイの感想である。
回収した〈発光石〉をストレージアイテムに片付けると、カムイら四人は次に回廊の先にあったとある部屋に入った。その部屋は中庭を挟んで“本堂”の反対側にある。中庭側とその反対側の壁には四角い窓が空いていて、そのおかげで部屋の中はそれなりに明るかった。
部屋の広さは、だいたい十畳ほどか。室内にレリーフなど装飾の類はなく、無骨で味気ないつくりになっている。もしかしたら倉庫だったのかもしれない。カムイはそう思った。ただ、めぼしいものは何も残っておらず、「ガランと広い」という印象である。
さて、そんな室内にとりわけ目を惹くものがあった。階段である。上り階段ではなく下り階段で、どうやら地下室があるらしい。
「財宝でも、あるのかな?」
「あるといいですねぇ」
カムイの軽口に楽しげな調子で応じながら、アストールが階段を下りていく。当たり前に地下室の中は真っ暗なようで、それを見た彼は【天元樹の杖】の先に小さな明かりを灯した。
「トールさん、それも魔法ですか?」
杖の先に浮かぶ小さな光体を指差しながら、呉羽がそう尋ねる。それに対しアストールは「そうです」と言って頷いた。
「〈ライト〉という、初歩的な支援魔法の一つです。ご覧のとおり明かりを灯す魔法ですが、少ないとはいえ常時魔力を込め続けなければならないので、あまり使い勝手は良くないですね」
夜間など長時間の使用には向かず、それで今までは使わなかったのだ、と彼は言う。それを聞いた呉羽が「なるほど」と納得した様子を見せたところで、アストールは気を取り直して地下室に足を踏み入れた。
「ぅぐっ!?」
しかし地下室に足を踏み入れた次の瞬間、アストールは口元を手で押さえながら血の気の引いた顔をして階段を駆け上ってきた。そしてそのまま部屋の外へ走って出て行く。その様子をカムイらは呆気に取られて見送った。
「ト、トールさん!?」
一拍の後、我に返ったリムが悲鳴を上げた。そしてただならぬ様子で出て行ったアストールの後を慌てて追おうとする。だが呉羽が両肩に手を置いて彼女を制した。リムは呉羽のことを不安げな眼差しで見上げるが、苦笑を浮かべる彼女に深刻な様子はない。大よその事情を察したのだ。
「大丈夫だよ、リムちゃん。たぶん……」
微妙な表情と口調でそう話す呉羽の様子を見て、カムイもようやく何が起こったのかを察した。そして力を抜いて少し待っていると、アストールが少々げっそりとした顔をしながら戻ってくる。
「トールさんっ、大丈夫ですか!?」
リムが声を上げてアストールに駆け寄る。そんな彼女にアストールはまだ血の気の戻らない顔に微笑を浮かべて「大丈夫ですよ」と応じた。
「やれやれ……、ひどい目に遭いました……。向上薬を飲んでいるので大丈夫だろうと思ったのですが……」
愚痴るようにそう言うと、アストールは「これ以上は言っても仕方がない」とばかりに頭を小さく左右に振った。そしてカムイのほうに視線を向けると少し困ったような顔をしつつこう言った。
「というわけでカムイ君、お願いしてもいいでしょうか?」
「了解です」
苦笑しながらそう軽く請け負うと、白夜叉のオーラを薄く身体に纏ったカムイは、特に警戒する素振りも見せずに階段を下りて地下室に足を踏み入れた。地下室の中は真っ暗で何も見えない。それで彼はつい先ほど手に入れたばかりの〈発光石〉をストレージアイテムのボディバックから取り出し、魔力を込めて明かりを灯した。
「なるほど、これはヒドイ……」
手に持った〈発光石〉を掲げながら地下室の中を見渡したカムイは呆れたようにそう呟いた。室内には濃密な黒い靄、つまり高濃度の瘴気が溜まっていたのである。〈発光石〉の明かりがあるにも関わらず室内の様子が判然としないほどだから、かなりの高濃度であることが窺える。もしかしたら、5.0を越えているかもしれない。アストールはこれの影響を受けてしまったのだ。きっと盛大にゲロ吐いたに違いない。
とはいえその高濃度瘴気も、白夜叉のオーラに守られたカムイには何ら痛痒を与えるものとはならなかった。それどころか逆にアブソープションの出力を上げ、地下室に溜まった瘴気を吸収していく。どうやらこれらの瘴気は長い時間をかけて溜まった、つまり近くに汚染源があるわけではないようで、ものの十数秒でカムイは室内の浄化を終えた。
「さて、と……」
浄化を終えた室内を、改めて見渡す。広さは六畳ほどか。上の部屋よりも一回り程度小さいように見える。やはり装飾の類は見当たらず、やはりここも倉庫か貯蔵庫だったのだろう、とカムイは思った。ただ上の部屋と同じくガランとしていて、価値のありそうなものは何も残っていない。
さてそんな地下室の中、カムイはあるモノに見入っていた。それは壁に殴り書きされた文字である。血のように赤い塗料で殴り書きされたその文字をどう読むのか、カムイは知らない。だが全てのプレイヤーに与えられた自動翻訳能力のおかげで、その意味を理解することは出来た。そしてそこに書かれていた言葉とは……。
「『クソったれ』、ですか……」
「トールさん」
いつの間にか隣に来ていたアストールが、壁に殴り書きされたその言葉を口にする。カムイが横目で彼の顔を窺うと、調子が戻ってきたのか血色もいい。そんな彼は穏やかな眼差しで壁の赤い文字を見つめている。
「どんな気持ちで、コレを書いたんでしょうね……?」
「クソったれ、ってそんな気持ちじゃなかったんですか?」
アストールの呟きに、カムイはそう応えた。全くの直感だが、不思議と間違っている気はしない。それはアストールも同じだったようで、彼は小さく苦笑を浮かべると「そうですね」と応じた。
書き殴られた壁の赤い文字を、カムイはじっと見つめる。乱暴に書き殴られた文字は、初めて見る彼の目から見ても、お世辞にも綺麗とは言えない。しかしそれが逆に、これを書いた人の息遣いや胸のうちを感じさせてくれるように彼は思った。
かつて、この世界には人がいた。カムイはそれを今までで一番強く、真に迫って感じていた。
― ‡ ―
遺跡の調査を始めてから五日が経った。この五日間、カムイらは堀の内側を集中てきに調べている。その理由は主に二つ。一つはここにある建物が他より大きく、それで重要な施設であったと想像され、そのためより多くの情報が残っていることが期待されるため。そしてもう一つは、この遺跡は大きく、闇雲に動き回っていては時間が無駄になるばかりだからだ。
調査とはいっても、実質的にそれを行っているのはアストール一人だ。カムイら三人も手伝ってはいるものの、その働きは助手の域を出ない。それでもそれなりに楽しく働いていたのだが、カムイはそろそろ何か別のことがしたくなってきた。要するに、飽きてきたのである。
とはいえ、一人だけ遊んでいるというのも気が引ける。呉羽を道連れにしようかもと思ったが、真面目な彼女のことだ、乗ってはこないだろう。どうしたものかと寝ながら考えていると、ふと妙案が浮かんだ。
「遺跡の地図を作ってこようと思うんですけど、どうでしょう?」
次の日の朝、朝食を食べているときにカムイがそう提案してみると、アストールは少し考え込んでからこう答えた。
「それは……、むしろお願いしたいくらいですが……。大丈夫ですか?」
少し申し訳無さそうにアストールがそう尋ねる。大きな都市であっただけあって、この遺跡は巨大だ。そして地図を作るにはその範囲をくまなく行き巡らなければならず、つまり相当の手間が掛かる。要するに、面倒くさいのだ。
さらに遺跡の中は総じて瘴気濃度が高い。カムイの場合は白夜叉があるので瘴気濃度の高さは問題にならないが、しかしモンスターが出現しやすい環境であることに変わりはない。モンスターに頻繁に襲われることを覚悟しなければならず、それが少なくとも調査の手伝いをしていたときよりも危険であることは言うまでもない。
「ええ、大丈夫です」
それらのことは、カムイも分かっている。それでも彼は気負いなく頷いてそう答えた。地図を作るとはいえ、別にどうしても完成させなければならないわけではない。極端なことを言えば何時切り上げてもいいわけで、面倒くさいからと言って躊躇う理由にはならない。
モンスターにしても、頻繁に襲われるとはいえ、個々の強さは遺跡の外とそう変わりない。油断は禁物だが、その程度なら全開した白夜叉の防御を破られることはまずないと思っていいだろう。それに無理して出現したモンスターを全て倒す必要もない。何なら高い身体能力に物言わせて逃げればいいのだ。
「それじゃあ、お願いしてもいいでしょうか?」
「ええ、任せておいて下さい」
こうしてカムイが外回りを受け持つことが決まった。彼は呉羽も誘ってみたのだが、彼女は少し考えてから首を横に振ってそれを断った。
「モンスターが出てきたら、トールさんとリムちゃんの二人だけじゃ危険だろう? わたしはコッチに残るよ」
堀の内側にも、モンスターは外側と変わらず出現する。それはこの五日間で確認済みだ。そのモンスターを警戒して、呉羽はアストールらに付き合うことにした。カムイも試しに誘ってみただけなので、それを聞くと「そうか」と言ってすぐに引き下がった。
「まあ、わたしとしてはカムイのほうも心配なんだけどな……。お前はすぐに暴走するから」
「う……。面目ない」
苦笑気味の呉羽にそう言われ、カムイは言葉に詰まった。反論しようにも心当たりがありすぎる。
「別行動するなら、すぐに連絡を取れるようにしておいた方がいいな」
そういう発想が浮かぶのは、携帯電話が普及した世界に住んでいた者ならではであろう。
「じゃあ、メッセージ機能を使えるようにしておくか」
カムイはそう言うと、すぐにアイテムショップから【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】を購入して使用する。お値段は100万Ptと決して安くないが、「そのうち必要になるだろう」とは思っていたので躊躇いはない。そしてメニューを開き、そこに【フレンドリスト】と【メッセージ】の項目が追加されたのを確認すると、彼は満足げに頷いた。
「わたしも買っておくか」
「メッセージ機能なら、私が使えますが……?」
「その、失礼ながらトールさんの場合は無視してしまいそうなので……」
呉羽が言いにくそうにそういうと、アストールは頬を引き攣らせて「ははは」と渇いた笑みを浮かべた。調査に熱中しすぎてメッセージの着信を無視する自分の姿が、容易に想像できたのだ。
ただ、アストールのことを一つ弁護しておくと、彼がメッセージの着信に無頓着になってしまった原因は、だいたいロナンにある。さすがに一時間に一回ということはなくなったが、彼が頻繁に送ってくるメッセージを無視しているうちに、そういうクセが付いてしまったのだ。
とはいえどんな理由があるにせよメッセージのやり取り、特に緊急時のやり取りにおいて彼がアテにならないことに変わりはない。それで呉羽もまた【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】を購入した。
ただ、フレンドリストとメッセージ機能を追加しただけでは、実際のメッセージの送受信はできるようにならない。メッセージのやり取りはフレンドリストに登録されたプレイヤーとだけ可能なのだ。それでカムイらは早速お互いをフレンドリストに登録した。
「むう……、わたしも買います! わたしもフレンドリストに入れてください!」
仲間外れにされたと思ったのか、リムは頬を膨らませながらそう言って三人の輪に加わった。こうして結局、彼らは全員で互いをフレンドリストに登録した。
「みんな一緒です!」
パーティーメンバー三人の名前が記載されたフレンドリストを見て、リムが笑顔を浮かべながら歓声を上げる。それがあまりにも微笑ましくて、呉羽は思わず彼女を抱きしめた。抱きしめられたリムは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐ嬉しそうに彼女に抱きつく。そして二人はそのまま楽しげにクルクルと回りながら即興のダンスを踊った。その様子は、まるで仲の良い姉妹のようだった。




