〈侵攻〉10
カムイたち四人が海辺の拠点に戻ってきたのは、出発してからちょうど一週間後の夕方のことだった。彼らが拠点に戻ってくると、そこにいるプレイヤーたちの顔には疲労と充実感が浮かんでいる。もしやと思い話を聞いてみると、やはり一時間ほど前に〈侵攻〉をしのいだばかりだと言う。
「そうでしたか……。お疲れ様です」
アストールがそう言って労わると、相手のプレイヤーは「いいってことよ」と清々しい笑みを浮かべてその場を後にする。彼の機嫌がいいのは、〈侵攻〉をしのげたこともあるのだろうが、きっとそれ以上にそこで多くのポイントを稼げたからだろう。
話を聞かせてくれたプレイヤーの背中を見送ると、カムイら四人は〈世界再生委員会〉が陣取る一画へと向かう。その途中、少しはなれたところに、地面に植えられた浄化樹の姿が見えた。
数は全部で二十本。一週間前と比べ、背丈に大きな変化はないように見える。ただ、それらの木々はそれぞれ元気よく緑色の葉を生い茂らせていて、その姿は鉢植えにしていたころよりも生命力に溢れているように見えた。
「や、お帰り~。無事だった? 怪我はない?」
四人が浄化樹の様子を見ていると、そんな彼らをガーベラが見つけて声をかけた。四人が声のしたほうを振り返れば、大きく手を振りながら明るい笑みを浮かべるガーベラの姿がある。そんな彼女の姿を見たら、「お帰り」と言われたからなのだろうか、カムイはなんだかホッとしたような、そんな気分になった。
「ただいま帰りました。ガーベラさんも、怪我などしていませんか? 先程まで〈侵攻〉を戦っていたと聞きましたが……」
「ええ、傷一つなくてスベスベのお肌よ」
リムちゃんには負けるけどねぇ~、と言ってガーベラはリムに抱きついて頬擦りする。その様子は、まるで大きなネコだ。自分より大きなネコにじゃれ付かれたリムはワタワタと慌てふためくが、本人は至ってご満悦の表情である。
ひとしきり撫で回して頬擦りして満足すると、ガーベラはようやくリムを解放した。ガーベラは晴々とした笑顔を浮かべているが、一方のリムは疲れ果てた様子である。そんな彼女を、今度は呉羽が抱きしめて慰める。その顔に大きく「役得」と書かれているのを、カムイは幻視した気がした。「あの、クレハさん、もう……」とか「えー、もうちょっと」とか聞こえてくるのは、きっと幻聴に違いない。
「……そういえば、浄化樹も順調に育っているみたいですね」
そう言ってカムイは無理やり話題を逸らす。ちなみにリムはまだ呉羽に捕獲されたままである。
「ええ。モンスターに伐採されてしまうこともなく、なんとか育ってくれているわ」
冗談めかした言葉だったが、そこには明らかにホッとしたものが含まれている。〈侵攻〉の際に素通りさせてしまったモンスターに、なにか悪さをされないか。それは鉢植えの浄化樹を地に下ろすにあたって、ガーベラが一番懸念していたことだ。
だが、彼女の言うとおりどうやら懸念していたような問題は起こらなかったらしい。あの浄化樹の無事な姿が、そのなによりの証拠である。これも戦力が充実したおかげと言えるであろう。出資者としては、嬉しい限りである。
「それはそうと、あなた達はこれからロナンさんのところへ行くの?」
ガーベラのその問い掛けに、アストールが代表して「そうです」と答える。すると彼女はごく自然な調子で「ならアタシも一緒に行くわ」と応じた。彼女も〈世界再生委員会〉のメンバーだから、案内役のつもりだったのかもしれない。
「ああ、皆さん。お帰りなさい」
〈世界再生委員会〉が陣取る一画。そこに立つ一番大きなテントにロナンはいた。ただ〈侵攻〉が終わったばかりで、その事後処理に忙しそうにしている。邪魔をするのも悪いかと思って戻ってきたことだけ知らせ、詳しい報告はまた明日にすることにして、五人はさっさとその場を辞した。その後ガーベラと別れ、〈騎士団〉のデリウスのところにも顔を出したが、こちらも同じく忙しそうにしており、挨拶だけになった。
「温泉に入ろう」
〈騎士団〉の天幕から外に出て少し歩くと、不意に呉羽がそんなことを言い出した。すると隣を歩いていたアストールが一つ頷いて賛成する。
「ああ、いいですねぇ、温泉。ここにいる皆さんも〈侵攻〉をしのいだばかりでお疲れでしょうし、とてもいいと思いますよ」
アストールがそう言うと、呉羽が目を輝かせた。どうやら【レンタル温泉施設】を買うことになりそうだが、カムイにことさら反対しようという気はもうない。「【全身クリーニング】で済ませればいい」という意見に変わりはないが、しかし呉羽はここ最近ずっとお風呂に入っておらず、むしろ今まで良く我慢したという気持ちの方が強かった。
「では、早速【レンタル温泉施設】を……」
「ああ、それならきっとカムイ君が買ってくれますよ。ねえ、カムイ君?」
「え゛!?」
思わずカムイは変な声を出した。そして慌てて呉羽とアストールのほうを見る。「良く我慢した」だなんて、そんな生暖かい気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。
「本当か、カムイ!? そうかカムイもついに温泉の偉大さと入浴文化の意義を理解してくれたんだな!」
そう言ってカムイに迫る呉羽は、さっきまで以上に目をキラキラと輝かせている。そんな彼女におされて思わずカムイは仰け反るが、しかしそれが「違う」と否定できなかった理由ではない。否定できなかったのはむしろ、彼女の後ろでそれはそれは悪い笑顔をしているアストールと目が合ってしまったからである。そして彼の唇が、音は出さずに小さく動く。
『太ももむっちり♡』
冷静になって考えてみれば、カムイがアストールの唇を読めるはずがない。それは彼が読唇術を会得していないからと言うよりも、そもそも二人の使っている言語が違うからだ。全てのプレイヤーに与えられている自動翻訳能力のおかげで意思の疎通に問題はないが、しかし根本のところで、二人は異なる言語を話しているのである。
だから普通に考えれば、読唇など出来るはずもない。いや、もしかしたらアストールはまったく別のことを話していたのかもしれない。しかしこの瞬間、二人の心は(たぶん)通じ合った。
「あ、あ~、うん、まあ、いや、う~ん……」
視線は泳ぎ、言葉は歯切れが悪い。しかし、逃げられない。アストールの浮かべる笑みがいっそ清々しくさえなった時、カムイはささやかな抵抗を放棄した。
「じゃ、じゃあ、そう、しよう、か……?」
こうして150万Ptという予想外の出費が確定し、拠点の外れに温泉施設が突如として姿を現すことになった。ずっと海辺の拠点にいたプレイヤーたちは何事かと困惑気味だが、山陰の拠点から来たプレイヤーたちは二度目と言うこともあって慣れたものである。中には戸惑うプレイヤーにこの施設について説明してやっている者もいた。
そういう、本来なら購入者がするべきであろう事柄をマルッと投げ捨てて、カムイはさっさと温泉の湯船に浸かって脱力していた。湯船の縁にもたれかかる彼は、「なんかもうどうでもいいや」と全身でアピールしている。
そうやってしばらく脱力しながら温泉に浸かっていると、やがて人数が多くなってきた。山陰の拠点でもそうだったが、海辺の拠点も女性プレイヤーよりも男性プレイヤーの方が数が多い。それで人数が増えてくると、少し手狭なように感じられた。
「む……」
「あ、ども……」
やがて隅っこで温泉に浸かっていたカムイの隣に、別のプレイヤーが腰を下ろす。少しだけ首を動かしてそちらに視線を向ければ、隣に座ったのはデリウスだった。彼はいつかと同じように、マナーを守って手ぬぐいを頭の上に載せて湯船に浸かっている。
「……忙しいんじゃ、ないんですか?」
なんとなしに、カムイがそう尋ねる。するとデリウスは僅かに苦笑しながらこう答えた。
「忙しいことは忙しい。だが、仕事が終わってからなどと言っていては、結局入りそびれてしまうだろうからな」
「そう、ですか……」
それっきり、二人の会話は途切れた。他のプレイヤーたちの楽しげな声は聞こえてくるが、カムイもデリウスも特に口を開こうとはしない。ただ、それがお互い苦痛にならないあたり、もしかしたら彼らには似通ったところがあるのかもしれない。
「……こうしていると……」
「……どうしたんですか?」
小さく言葉を呟いて、しかしすぐにまた口を閉じてしまったデリウスに、カムイは小さく首をかしげるようにしながら視線を向けてそう尋ねる。するとややあってから、彼は目を瞑ったままこう答えた。
「……いや、前は皆もいたのだな、と思い出して、な……」
それは間違いなく、〈魔泉〉の調査の際に死んでしまったテッドたちのことであろう。カムイはすぐにそれを察した。初めてこの温泉に入った時の、デリウスと並んでお湯に浸かっていた彼の快活な笑みが思い出される。あの時は、〈魔泉〉の調査があんな結果になろうとは思ってもいなかった。
「そうですね……」
カムイは、視線をデリウスから外して元に戻しながら、呟くようにしてそう言った。それっきり、また二人の会話は途切れる。その沈黙は、まるで黙祷のようだった。
その少し後、カムイは湯船から上がった。人数が多くなり、さすがにむさ苦しくなってきたのだ。アストールが篭っているサウナは、もっとむさ苦しいことになっているに違いない。是非ともスルーしたいところだ。
(フルーツ牛乳飲もう……)
鉄板と様式美は守らねばなるまい。なにしろ購入者であるカムイは、施設内のものを全て無料で利用できるのだ。これを最大限活用しない手はない。
(あとはアイス食べて、温泉饅頭食べて、マッサージチェアもはずせない……)
要するに、カムイも温泉を満喫するつもりだった。
一方そのころ女湯では、女性プレイヤーたちがのんびりとお湯に浸かっていた。全体数が少ないこともあって、男湯のようなむさ苦しさはない。また〈侵攻〉をしのいだ後であるためか、騒ぐような者もおらず、皆それぞれ静かに身体の疲れを癒していた。
「あ~、幸せ~」
脱力しきった声でそう呟いたのは、湯船の縁にしなだれかかるリーンだ。彼女は、綺麗好きだ。そんな彼女にとってゲーム開始以来、シャワーどころか水浴びさえできないこの状況は、少なからずストレスになっていた。
衛生面だけの話をするのなら、システムメニューにある【全身クリーニング】を使えば事足りる。しかし彼女のような人間にしてみれば、入浴やシャワーを浴びることそれ自体が趣味になっているのだ。それができないのは、なかなか辛い。そしてその辛さを、呉羽はしみじみと良く理解できた。
「あ~、それ良く分かります。温かいお湯に浸かると、ホッとするんですよねぇ~」
「そうなのよ~」
「でも、アイテムショップに【お風呂セット】というのがありますよ? 使わなかったんですか?」
呉羽はこの【お風呂セット】というものを何度か使ったことがあるが、これはこれで良いものだ。お値段も10,000Pt程度と、たまのご褒美と考えればそう高いものではない。しかしそれを聞いてリーンは苦笑を浮かべる。そんな彼女の代わりに事情を説明したのはガーベラだった。
「リンリンはギルドの会計係だからねぇ~。それに真面目な性格だし、例え個人的なポイントであっても無駄遣いはできなかったのよ」
「お風呂は無駄じゃない、と思いますが……」
そこは呉羽の譲れない一線である。
「不測の事態に備えようとするとどうしても、ね……。ポイントにはある程度余裕が欲しいから、それを確保しようとすると、どうしても個人的な嗜好品は優先順位を下げざるを得なくってね……」
リーンは嘆息するようにそう言った。だからこそ、というべきか。【レンタル温泉施設】をアイテムショップで見つけたときは、「いつか買いたい。いや買ってやる」と思ったものである。
その夢にまで見た温泉に、今こうして入っている。幸せである。どれくらい幸せかと言うと、「リンリン」の訂正を忘れるくらい幸せだった。
「そんなに喜んでくれると、リクエストした甲斐があったというものです」
幸せで蕩けてしまいそうなリーンの姿を見て、呉羽は得意げな笑みを浮かべながら何度も頷く。同好の士も見つかり、布教活動に手応えを感じているのだ。このままお風呂の魅力に引きずり込んでやる気が満々である。
「ガーベラさんも、お風呂は好きなんですか?」
そう尋ねたのはリムだ。呉羽の布教と洗脳は着実に成果を上げており、今ではリムもお風呂信者の一人になっていた。
「アタシ? 好きか嫌いかの二択なら、まあ好きね。でも、入れないなら入れないで、そんなに気にはならないかな」
プラント・ハンターという仕事柄、ガーベラは未開の地に足を踏み入れ、さらにそこでサバイバルをすることに慣れている。そういう場所では当然、お風呂に入ることもシャワーを浴びることも出来ない。身体を拭ければ上出来。そんな生活がともすれば数ヶ月も続くのだ。
そういう生活に慣れていたものだから、【全身クリーニング】が使える今の状況は、ガーベラにとってむしろ快適である。だからことさらお風呂に入りたいとは思わない、というのが彼女の本音だった。
「ダメですよ、そんなの!」
そんなガーベラに、呉羽が思いがけず大きな声を出して反応した。彼女は湯船から立ち上がり、かがみこむようにしながらガーベラに顔を近づける。
「いいですか? お風呂は命の洗濯なんです。『健全な精神は、健全な肉体に宿る』と言うとおり、心と身体は深くそして密接に関係しあっています。お風呂に入ることは、身体を清潔に保つだけではなく、心を清めることにも繋がるのです。お風呂に入らなくていいだなんてそんな事を言っていると、そのうち部屋の片付けもできないダメダメな女になってしまいますよ!」
「そ、そうねぇ~。あはははは~」
呉羽の剣幕と言うか、その熱の入りように、ガーベラは軽く引く。ちなみにどうしても視界に入るたわわな二つの果実を見て、「あらいい形」とか思っているのは表に出さない。
「と、とりあえず、落ち着いて、クレハちゃん。大きな声を出すと、周りの人もびっくりするわ」
ガーベラにそう指摘され、周囲の視線が自分に集まっていることに気付く。お風呂のことになると、どうも熱くなっていけない。
「あ……、どうもお騒がせしました」
周りに頭を下げてから、呉羽は湯船に静かに腰を下ろす。
「やはりこの世界に入浴文化を定着させるには、温泉テーマパークが必要だな……。そのためにはアイテムリクエストで……。あ、いや、メンテナンスのことも考えればやっぱり現地の素材で……。いやしかしそれでは人手と時間が……」
湯船に浸かり、真剣な顔でブツブツと呟く呉羽を見て、リーンとガーベラは顔を見合わせて苦笑した。
「若いっていいわねぇ」
「ホント。嫉妬しちゃうわ」
「じゃ、ヤケ酒に一杯呑む?」
「呑む呑む! ここでやっちゃう?」
「ここではさすがに、ね……。後で私のテントで呑みましょ」
なんだかんだ言ってこの二人も大概である。結局、彼女達のなかで最も純粋に温泉を楽しんだのは、余計なことは考えないリムだったのかも知れない。
ちなみにこの温泉イベントは、この先カムイらが拠点に戻ってくるたびの恒例イベントになる。その際の費用は四人の持ち回りで、カムイは例の発言をネタに一括負担させられることもなく、大きな安堵の息を吐いたという。
― ‡ ―
さて温泉を楽しんだ次の日の朝、カムイたち四人は〈世界再生委員会〉が陣取る一画へと向かった。そこにある一番大きなテントへ案内され中に入ると、そこにはすでにロナンとリーンが待っていた。さらに少し遅れてデリウスもやって来る。関係者が揃ったところでお茶が配られ、今回の探索についての報告が始まった。
「さて、こうしてわざわざ主要な関係者を集めたということは、何かあったのだと思いますが、何がありましたか?」
最初にズバリとそう聞いたのはロナンだった。それに答えるべく、アストールが立ち上がる。そしてまず、簡潔にこう言った。
「では結論から申し上げますが、私たちは遺跡を見つけました」
「遺跡……!?」
リーンが驚きの声を上げる。声こそ上げなかったものの、ロナンは顔つきがさっきまでよりも真剣なものになっているし、デリウスも顎に手を当てて興味深そうにしている。掴みは上々だった。
「そうです。これをご覧ください」
そう言ってアストールがロナンとデリウスの前に広げたのは、それぞれ二人から預かった地図だ。その地図には拠点から南へ向かって海岸沿いに新たに記載された範囲が増えている。その最南端を指差しながら、アストールは説明を続けた。
「ここに小高い山があります。私たちはその山頂から周辺の様子を観察しました」
アストールはそう言ってからさらに、今度は手書きの地図をテーブルの上に広げた。そこには蛇行する川や、そして件の遺跡について、山頂から観察できた限りのことが書き記されている。
「カムイ君、写真を」
「はい」
アストールに言われ、カムイは山頂から撮影してきた写真を展開してその場に並べる。周囲一帯の写真を全て並べたのだが、クライアントであるロナンらの興味を最も引き、彼らの目を釘付けにしたのは、やはりというか遺跡の写真だった。
「これは……、かなり大きな遺跡ですね……。少なくとも数万人規模が暮らす都市だったように見えます」
「立地に恵まれているな……。恐らくだが、かなり栄えたはずだ」
すぐ近くには大きな川があり、水には不足しない。さらにこの川は幅が広くて船の行き来にも不自由しない。大規模な交易が行われていた可能性は高い。また土地も肥沃であったはずで、周辺には広大な農地が広がっていたことだろう。
さらに三方を川に囲まれており、ここを外から攻めるのは難しい。河川がそのまま天然の堀となっているし、またこれだけ大きな都市なら、水を引いて人工の堀も備えていたに違いない。
軍事的にも商業的にも優位な条件をそろえ、さらに高い食料生産能力までも有する。かなりの好条件がそろった、恵まれた都市と言えるだろう。それがロナンやデリウス、そしてアストールの共通見解だった。
「〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉から依頼された仕事は、拠点周辺の探索とその範囲の地図を完成させることでしたが、こうして遺跡を発見できたのです。ここは、依頼内容を見直してもいいのではないでしょうか?」
「つまり、遺跡の調査に注力するべきだ、と?」
「私はそう考えます」
アストールがそう答えると、ロナンらは揃って思案げな表情を浮かべた。そもそもこの依頼の(表向きの)目的は情報収集である。しかも特にコレと言って求めている情報があるわけではない。いや、そもそもどんな情報を求めるべきか、それさえも分からないと言うべきか。それでこの世界に関する情報なら、とりあえず何でもいいから欲しい、というのが実情だった。
それならば荒野を闇雲に動き回るよりも、遺跡の調査を行った方が、得られる情報量は圧倒的に多いだろう。目的さえ達成されるのなら、アストールの言うとおり当初の依頼内容に拘泥する必要はない。
「この山から見た、この範囲の様子はどうでしたか?」
そう言ってロナンが指で示したのは、カムイたちが登った小高い山から見て、大体北から西にかけての範囲、つまり川の北側の範囲だった。
「見た限り、ただの荒野だったように思います。少なくとも、目に付く規模の遺跡や人工物はありませんでした」
アストールがそう答えると、ロナンは「そうですか」と言ってまた少し考え込んだ。そして隣に座るデリウスにこう話しかける。
「情報収集のためには、確かにこの遺跡を調査するほうが効率はいいように思います。どうでしょう、彼らにそれを依頼するというのは?」
「異論はない」
もともと彼の中で結論は出ていたのだろう。デリウスはそう即答した。それを聞いて一つ頷くと、ロナンは次にリーンのほうに顔を向ける。彼女は黙って頷いた。遺跡から手に入る情報は多岐に及ぶだろう。これを先送りにする理由はない。
「それでは皆さんへの依頼内容を変更させてもらいます。新たに発見された遺跡を調査し、その結果を随時報告してください」
「了解です」
そう応じるアストールはとても満足げだった。こうして誰に憚ることもなく、堂々と遺跡の調査ができるのが嬉しくて仕方がないのだ。もし当初の依頼を優先するように言われていたら、違約金払ってでも依頼を放棄し、遺跡の調査に向かっていたに違いない。カムイはそんなふうに思った。
さて、こうして依頼内容は変更されることになったのだが、この時少し問題になったのが、「報酬をどうするのか?」ということだった。
「遺跡の調査が終わるまで報酬は渡せない、というのはちょっと……」
渋い顔をしてそう言ったのはカムイだ。彼自身、にわか知識しかないが、しかし遺跡の調査と言うのは大変時間がかかる。まして今回調査するのは都市規模の遺跡だ。その調査を本当の意味で終えるためには、おそらく十年以上の時間がかかる。それを同じ報酬、つまり「貸し一つ」で済まされては割に合わない。
「私は、それでも構いませんが……」
「トールさんはちょっと黙っていてください」
アストールは遺跡の調査さえできれば満足であろうから、この件に関しては役に立たない。それでカムイが矢面に立つしかなかった。
「では、こうしましょう」
アストールとカムイの様子に苦笑しながら、ロナンは次のように提案した。
「前回依頼した『拠点周辺の探索』は、これにて完了ということにしましょう。報酬については、書面で証書を差し上げます。その代わり、遺跡調査は別の依頼ということにして、その報酬は報告のたびに要相談、ということでどうでしょう?」
デリウスさんもそれでいいですか、とロナンが尋ねると彼も腕を組んで黙ったまま一つ頷く。それを確認してからロナンはもう一度カムイに「どうでしょう?」と問い掛ける。
ロナンのその提案を聞いて、カムイは頭をフル回転させる。最初に依頼された仕事は、当然ながらまだ果たされていない。それでもロナンは「貸し一つ(利子付き)」という報酬を渡すと言っている。損得勘定で言えば、大いに得と言っていいだろう。
その一方で遺跡調査については報酬が明示されていない。「報酬は報告のたびに要相談」と言っているが、極端な話、「必要のない情報だ」と言われてしまえば報酬はもらえず、ただ働きになる。依頼者側に都合のいいやり方であるようにカムイには思えた。
とはいえ、ロナンやデリウスが横柄な態度を取るのであれば、カムイたちにも「遺跡から得られた情報を教えない」という選択肢がある。そして彼らは、その報酬がなければ生活していけない、というわけではない。それで、そう一方的に弱い立場にはならないだろう。尤もこの場合、アストールはさほど報酬に頓着しなさそうなので、またカムイが頑張って矢面に立つ必要があるかもしれないが。
加えて、この報酬の決め方であれば、遺跡を最後まで調査する必要がない。これ以上有益な情報が得られないと思ったら、あるいは状況が変化して遺跡調査どこではなくなったら、そこで調査を打ち切ることができる。
(なんだったら、調査はトールさんに任せるって手もあるしな)
遺跡調査が重要であることは、カムイも理解している。しかしアストールほどそれに心惹かれるかと言われれば話は別だ。それに彼に考古学の心得などない。もちろん手伝うつもりではいるが、自分が遺跡調査の役に立つとは思えなかった。
少なくとも、いつまでも遺跡調査のために拘束されていたくはない。動きたいときにはいつでも自由に動ける、そういう身分でいたい。それがカムイの偽らざる本音だ。そしてロナンの提案するような方法であれば、それも可能であろう。
「オレはそれでいいですけど……」
そう言ってカムイは左右を窺う。するとアストールらも揃って首を縦に振った。
「異議なしです」
「わたしもそれで構いません」
「えっと、大丈夫です!」
四人からそれぞれ承諾が得られると、ロナンは満足げに微笑んで一つ頷き、デリウスも腕を組んだまま無言で頷いた。
「それでは、そういうことで」
話がまとまったところで、リーンが証書と契約書の書面を作成する。それを待つ間、カムイは最初に出されたお茶を口に運んだ。お茶は冷めてしまっていて、あまり美味しくはない。それでもなんだかホッとする心持ちがした。
「それにしても、遺跡ですか……。私も行ってみたいものです」
リーンを待っていると、ふとロナンがそんなことを言い出した。それを聞いてアストールが「おや」という顔をする。
「遺跡に興味がおありですか?」
「ええ。埋もれた知識を探り出し、それを歴史と言う大きな時間軸の中に当てはめていくことで、そこに暮らしていた人たちの息遣いを感じる。ロマンです」
「分かりますか」
「分かりますとも」
ちなみにカムイにはさっぱり分からない。その後もロナンとアストールは遺跡や考古学関連の話で盛り上がり、二人はあっという間に意気投合してしまった。
「私も遺跡調査に参加できたらいいのですか……」
ロナンが心底悔しそうにそういうと、リーンがギョッとした顔をして頭を上げる。
「止めてください、ギルマス!」
「はは、なんでしたら君が私の代わりにギルドマスターになりますか?」
「ご冗談を。私ではメンバーが納得しませんよ」
「そんな事はないと思いますが……」
ロナンが粘る。どうやら遺跡に強く心惹かれているらしい。困り果てたリーンは、視線をデリウスに向けて助けを求めた。
「デリウスさんも何か言ってやってください」
「……ロナン殿に抜けられると、防衛戦の維持が難しくなりますな。拠点を危険にさらしていては、遺跡調査どころではない。今は自重されるがよろしいでしょう」
デリウスにそう言われると、ロナンは両手を上げて苦笑した。それを見てから、リーンは書面の作成に戻る。しかしまだ安心はできない。「朝起きたら置手紙が残されていた」などという事態はなんとしても回避しなければならない。
(頭が痛いわ……)
リーンの頭痛の種が増えた瞬間だった。
さて、書面の作成が終わると、関係者がそこへサインをして拇印を押していく。それら一連の作業が終わったところで、リーンがふとこんなことを聞いた。
「……ところで、どれくらいの頻度で報告に戻ってこられるおつもりですか?」
「それは調査を始めてみないことには……」
アストールはそう言って苦笑を浮かべた。とはいえリーンのほうにも事情がある。最初の依頼を含め、この依頼には「カムイら四人を拠点から遠ざけすぎない」という目的もあるのだ。適当な頻度で帰ってきてもらわないと、その目的が達せられない。
(それに、定期的に報告が聞ければギルマスも満足するかもしれないし……)
加えてそんな理由もある。なんだか情けなくもなるが、しかし切実な理由でもある。
「往復にも時間がかかりますし、出来れば腰をすえて調査したいと思っているので……」
「そう、ですか……。せめて、連絡手段があればいいのですが……」
とはいえ、この世界で遠方にいるプレイヤーと連絡を取り合うことは、決して簡単ではない。リーンの知る限り、そういうユニークスキルを持つプレイヤーはこの拠点にはいないし、またそのためのアイテムもショップに用意されてはいない。ようするに、まったく当てのない状態だった。
「伝書鳩を育てるには時間がかかりますし、手紙でやり取りをするくらいなら、私たちが往復した方が早いでしょうねぇ」
アストールもいい案が思いつかないらしい。余談だが、連絡手段と聞いて「伝書鳩」や「手紙」を思い浮かべる辺り、彼の出身世界の背景が垣間見えてくる。
「何かリクエストしてみましょうか?」
「すみませんが、お願いしてもいいでしょうか?」
カムイの提案にリーンがすぐさま応じる。どうやら、よほどロナンの出奔を警戒しているらしい。
「リクエストはいいですけど、買うのは自分で買ってくださいよ?」
一応そう釘を刺してから、カムイはシステムメニューから【アイテムリクエスト】の画面を起動する。そして少し考えてからこんなアイテムをリクエストした。
アイテム名【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】
説明文【システムメニューにフレンドリストとメッセージの機能を追加する。メッセージはフレンドリストに登録されたプレイヤーにのみ送ることができる】
「こんな感じでどうですか?」
アイテム名と説明文の記入を終えると、カムイはその画面をリーンに見せた。彼女はイスから立ち上がり、その画面を食い入るように見つめて文字を目で追う。何度か読み返した後、彼女はようやく「大丈夫だと思います」と言って腰を下ろした。
リーンの承諾が得られたところで、カムイはアイテム生成のボタンをタップした。この瞬間が一番緊張する。なまじ一度エラーを出しているので、どうしてもその時のことを思い出してしまうのだ。とはいえ、今回はエラーが出ることもなく、アイテムは無事に生成された。
生成されたアイテム、早速アイテムショップで探す。目的のアイテムはすぐに見つかったが、詳しく見てみると少しだけ仕様が変更されていた。生成されたアイテムの説明文には、こう記されていたのである。
説明文【システムメニューにフレンドリストとメッセージの機能を追加する。メッセージはフレンドリストに登録されたプレイヤーにのみ送ることができる。ただし、登録可能なのはフレンドリストを持っているプレイヤーのみ。メッセージ機能は一時間に一回のみ使用可能で、一度に送受信可能なのは500文字以下】
「登録制限と使用制限と字数制限が付いてる……」
システムの調整機能なのか、はたまたヘルプさんの仕業なのか、説明文にはカムイが書いた覚えのない項目が追加されていた。登録制限はともかくとして、使用制限と字数制限はかなり影響が大きい。
使えるのは一時間に一回で、500文字まで。簡単な報告ならば十分だろうが、しかしそれ以上のことには使えそうにない。いや、使えないことはないのだろうが、使い勝手は随分悪いことだろう。
どうやらこのゲームの主催者であるオーバーロードは、プレイヤーたちに自由な通信手段をあまり与えたくないらしい。そんな意図を、カムイは感じ取った。そしてそんな彼の感じ方を肯定する要素がもう一つ。
「1,000,000Pt……」
呻くようにして、リーンがそう呟く。100万Pt。それが【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】の値段だった。カムイなどは「こんなものか」とも思うのだが、彼を含めた四人は高額な装備を買いあさったこともあって、金銭感覚がちょっとおかしくなっている。現在この海辺の拠点にいるプレイヤーたちにとって、100万Ptというのは間違いなく高額な金額なのだ。
やはりオーバーロードはそう易々とプレイヤーに通信手段を持たせる気はないらしい。ただ逆の見方をすれば、それだけ通信手段というものが重要であるとも言える。ゲームクリアのためには、この先どうしても必要になるのかもしれない。カムイはそんなふうに思った。
まあそれはともかくとして。今は生成されたアイテムについてである。
「で、どうしますか?」
カムイがそう問い掛けると、リーンは苦渋の表情を浮かべた。ロナンのことがないにしても、今後のことを考えるとこの通信手段は欲しい。費用も、用意しようと思えば用意もできる。しかし100万Ptというのは、そう簡単に使ってしまっていい金額ではない。会計係と言う立場上、その思いは一層強い。悩み、そして今回は購入を見送る方向に傾いたとき、ロナンの声が響いた。
「買いましょう」
「ギルマス……! いえ、ですが……!」
「我々がアストールさんたちに期待しているのは、遺跡の調査だけではありません。いえ、むしろそれ以上に、いざというの時の移動手段の確保の方が重要です。ならばそのいざという時に、素早く連絡が取れないのは問題ではありませんか?」
ロナンの言葉を聞いてリーンは考え込む。彼の言うことにも一理あった。アストールの様子を見ていると、遺跡調査にのめり込んでなかなか拠点に帰ってこなくなる可能性は大いにある。そうでなくとも行き帰りのことを考えると、例えば一週間と言うような頻度で帰ってくることは無理だろう。そうなると、やはりいざというときのためにもすぐに連絡がつく状態にしておきたい。
幸い、ガーベラが〈世界再生委員会〉に加わったおかげで、毎日一定の収入が見込める状態にはなっている。厳しいことは厳しいが、なんとかやりくりは可能だろう。そう考え、リーンも最後にはロナンの説得に応じた。
「……ただし、用意できる予算は一個分だけです。それ以上はダメですよ」
「今は一つで十分でしょう。……デリウスさんはどうされますか?」
ロナンがそう尋ねると、デリウスは首を横に振った。「予算が足りないので今は見送る」と言う。
「そうですか……。ところで、この説明文を読む限り、我々だけが用意しておいても意味がないのですが……」
そう言ってロナンが意味ありげな視線をテーブルの向かい側に向ける。それを受けて、アストールは「心得ている」と言わんばかりに頷いた。それからロナンとアストールはそれぞれ一つずつ【システム機能拡張パック2.0(フレンドリスト&メッセージ機能)】を購入し、お互いをフレンドリストに登録する。これで一時間に一回、二人はお互いの間でメッセージのやり取りができるようになった。
「これで準備は万端ですね。いや~、楽しみです」
そう言うのは、アストールではなくロナンだ。何の、いや誰の準備が万端なのかはあえて問うまい。リーンが頭の痛そうな顔をしているのも、カムイは見てみぬ振りをした。
何はともかく、これで次の方針は決まった。
次は、遺跡調査である。
第二章 ―完―
というわけで。
第二章完でこざいます。
第三章は、また書き上げてから投稿するつもりです。
気長にお待ちくださいませ。




