〈侵攻〉8
――――思えば、遠くへ来たものだ。
海辺の拠点周辺の探索を始めたその日の夜、呉羽はLEDランタンの明かりを頼りに、広げた地図を眺めていた。この地図は、ゲーム開始当初に彼女が購入したものである。空白の部分の方がまだ圧倒的に多いが、それでもそこに記されているのは彼女の足跡そのものである。
「呉羽、地図なんて眺めてどうしたんだ?」
カムイの声がして、呉羽は視線をあげた。目が合うと、カムイは彼女の横に座ってその手元の地図を覗き込む。呉羽もまた再び地図の方に視線を向け、そしてこう応えた。
「いや。ずいぶん遠くまで来たと思ってな」
「遠くって……、まだ一日歩いただけじゃないか」
「海辺の拠点からじゃない。ココからの話だ」
苦笑しながら、呉羽は地図上のある一点を指差す。それを見てカムイは「ああ、なるほど」と納得の表情を見せた。呉羽が指差したのは二人が出会った地点、つまり彼女のゲーム開始地点だ。
「ココが最初の拠点ってことは、この辺が山陰の拠点か」
カムイの指が、地図上をススッと動く。地図上で見る限り、山陰の拠点は最初の拠点から見てだいたい東北東の方角にあった。その二つの拠点の間を、ほぼ真っ直ぐ、帯状に地図が記載されている。要するに、ここが二人の通った場所だ。迷うこともなく、こんなに真っ直ぐに山陰の拠点を目指すことができたのは、間違いなく【導きのコンパス】のおかげだった。
「そうすると、ここが〈魔泉〉だな……」
そう言って呉羽が指差したのは、山陰の拠点から見て、やや西よりではあるものの、ほぼ真北の場所だ。そこへ向かって山陰の拠点から一本、足跡の帯が伸びていた。しかしそれはどこかへ繋がることもなく、途中でブツリと途切れてしまっている。それがなんだか自分達の力不足そのもののような気がして、カムイと呉羽はお互い少しだけ黙り込んでしまった。
「…………だけどこうして見ると、やっぱり最初の拠点ってずいぶん孤立してたんだな」
カムイのその言葉に、呉羽は苦笑しながら頷く。最初の拠点から山陰の拠点に移動するまで、およそ半月かかった。これまでで最長の移動時間であり、それに比例して移動距離もまた最長である。それは地図を見れば一目瞭然だった。
「それにしても、これだけ距離があれば、最初の拠点が〈魔泉〉の影響を受けていたとは考えにくいな……」
山陰の拠点から海辺の拠点へ移動してくるまでの間で、結界が必要なくなったのは移動五日目のことだ。ちなみにその時の瘴気濃度は1.25である。〈魔泉〉から考えるとしても、およそ十日もあればその強力な影響下からは抜け出せるだろう。ならばそれよりもずっと遠い位置にある最初の拠点が、〈魔泉〉の影響を強く受けていたとは考えにくい。
「地形や風向きの影響で瘴気が集まりやすかった、とか?」
「あるいは、見えなかっただけで別の〈魔泉〉が近くにあったのかもな」
呉羽とカムイはそんなふうにお互いの推測を語った。とはいえ、当っていようが外れていようが大した意味はない。
「……というかさ、ふと思ったんだけど、なんで今更この地図使ってるんだ?」
ポイントは潤沢にあるのだ。こんな空白が圧倒的に多い地図ではなく、完全な世界地図をアイテムショップで購入すればいい。カムイはそう思ったのだが、しかし呉羽は首を横に振りながらこう言った。
「アイテムショップで【世界地図】を探してみろ」
言われたとおり、カムイはアイテムショップで「世界地図」を検索してみる。表示された検索結果は100件ほどだ。カムイはそのうちの一つを無造作に選んでタップした。
「さてさて、お値段は……?」
値段を確認するカムイ。その表情がだんだんと険しくなる。250,000,000Pt。それが表示されていたお値段だ。
「2億5000万!? 桁、間違ってないよな……!?」
カムイはもう一度値段を確認する。しかし間違ってはいない。この【世界地図】の値段は2億5000万Ptである。
カムイは慌てて検索結果を安い順に並べ替える。そして一番安い地図をタップし、その値段を確認。次の瞬間、脱力して大きなため息を吐いた。
「1億って……」
「これで分かっただろう? 高くて買えないんだ」
呉羽の言葉にカムイは無言のまま大きく頷いた。ちなみに一番高い【世界地図】は拡大や縮小ができるマジックアイテムで、お値段なんと100億Pt。さすがにこれは論外としても、検索結果は総じて億越えである。いくらカムイたちがポイントを稼げているとはいえ、これはさすがに手が届かない。つい最近散財しまくったわけでもあるし。
「だけど、なんでこんなに高いんだ?」
現代日本の価値観を持つカムイからしてみれば、世界地図が一億もするというのはひどいぼったくりである。しかも、他の商品であれば外観が写真で表示されているというのに、この世界地図に関して言えばそれもない。どうやら徹底して情報を与えないつもりらしい。たかが世界地図になんでそこまでとカムイなどは思うのだが、しかし似たような価値観を持つはずの呉羽は、意外にも首をかしげながらこう言った。
「そうか? 高いとは思うが、法外ではないと思うぞ」
「なんで?」
「この地図を全て埋める手間を考えてみろ」
そう言って呉羽は手に持った地図を掲げてみせる。それを見て、カムイはハッと気付いたような表情を浮かべた。そんな彼に一つ頷いてから、呉羽はこう続けた。
「歩き回るだけとはいえ、世界中だ。島や別の大陸だってあるだろうから、海を渡る必要もある。その手間や費用、危険を考えれば、100億というのはむしろ安いかもしれない」
その上、地図を完全に埋めようとする、つまり海の部分まで完全に網羅しようとしたら、一体どれほどの手間と時間がかかるのか。それを想像すると、確かに呉羽の言うとおり百億であっても安く思えてくる。
「地道に地図をうめていくしかない、か……」
「そうだな。それでもゲームクリアまでに完成させられるとは思わないが」
呉羽は苦笑気味にそう言った。というより、ゲームクリアのために世界地図を完成させる必要などないだろう。どうしても必要だというのなら、その時にはアイテムショップから買えばいいのだ。個人で買うのは無理でも、カンパを募れば1億くらいは何とかなるはずだ。
「それにしても、この世界ってやっぱり丸いのかな?」
世界地図の話をしたせいか、カムイはふとこの世界の形が気になった。彼がいた世界、つまり地球は丸い球体の惑星だった。しかしここは異世界、それもファンタジーな異世界である。ここが、「巨大な海ガメの背中に乗った四匹の像の背中に広がる平らな世界」であっても不思議はない。しかしそんなロマン溢れる彼の妄想を、呉羽がバッサリと切り捨てる。
「いや、ここも球体、つまり惑星だと思うぞ」
「……なんでそう言えるんだ?」
「ここを見ろ。商品名に【地球儀】って書いてある」
「おおう」
確かに世界地図で検索した商品の中に、【地球儀】のアイテムが混じっている。ちなみにお値段35億Pt。この世界のことを「地球」と呼ぶのか定かではないが、しかしわざわざ【地球儀】と銘打ってあるのだ。カムイや呉羽が思い浮かべる「地球儀」と同じ形状をしていることに間違いはないだろう。であるならば、大陸の形や数などはともかくとしても、この世界が球状の惑星であるのはほぼ確実と言っていい。
(それにしても、なんて言うか……)
あんまりな推定の仕方である。元の世界において、過去の先人たちがどうやって「地球は丸い」という結論を導き出したのか、カムイには分からない。だから「この世界は丸い」ことを証明しようと思っても、恐らくは無理であろうと思っている。そういう意味ではどんな形であれ「この世界は丸い」という結論に達しえたのは意味のあることだろう。少なくとも、世界の端っこから落っこちる心配はないと分かったわけだし。
しかし、「アイテムショップのラインナップに【地球儀】があるから、この世界は丸い」という論法は、やっぱりあんまりである。まるで答えから計算式を逆算するような、そんなやりくちだ。その一方で「正攻法でやれ」と言われても無理なのだが、しかし先人達の苦労をマルッと無視してしまったような後ろめたさがある。
(ま、アッチにいたころも先人の苦労なんて気にしてなかったけど)
そんなわけで、閑話休題。呉羽の持つ地図を覗き込んでいたカムイは、その端にあるものを見つけた。
「あ、縮尺が付いてる」
さらに地図を拡大したり縮小したりすると、それに合わせて縮尺の数字も変わった。それを見てカムイはあることを考えつく。
彼は呉羽から地図を借りてどんどん縮小していく。ある程度まで縮小されると、地図はそれ以上は縮小表示されなくなった。ということはこの状態で、世界地図の全体がこの用紙の上に表示されるはずである。
「それで、いまの縮尺は……、大体1cmにつき1,000kmだな」
「それが、どうしたんだ?」
「あとは、この用紙の横幅が分かれば、この世界の大よその大きさが分かる」
「おお!」
カムイの言葉を聞いて、呉羽は目を輝かせた。早速、地図の用紙を持ち上げてその横幅を、なぜか目測で計ろうとする。
「う~ん、41cm!」
「んなわけあるか。いや確かにそれっぽいけど。ちゃんとコレで測れ」
そう言ってカムイは呉羽にアイテムショップで購入した竹の50cm定規を差し出した。ちなみにお値段350Pt。ついさっきまで億とかそんな値段ばっかりだったから、ホッとする値段だ。
「どれどれ……」
呉羽が目を輝かせながら地図の用紙に定規を当てた。慎重に目盛りをあわせ、さらに用紙と定規がきっちり垂直になるようにして横幅を測る。
「ジャスト41cm! すごいぞ、わたし!」
「え、マジで? ドンピシャ?」
どうだ、と言わんばかりに鼻息荒く胸を張る呉羽から地図と定規を受け取り、カムイも自分で測ってその横幅を確かめる。確かにジャスト41cm。偶然とはいえ、呉羽は目測でピタリと言い当ててしまった。
(偶然だよな? 偶然だよな?)
呉羽だからかなのか、何だか偶然ではないような気もしてしまうが、それはそれとして。
「左右5mmが余白として、そうすると地図の横幅はだいたい40cmか」
地図の縮尺が1cmにつき1,000kmだから、この惑星の円周はだいたい40,000kmということになる。
「地球の円周はどれくらいなんだ?」
「確か40,000kmくらいだったはず。ってことは、この惑星は大体地球と同じサイズってことか……」
「おぉ!」
その結論を聞いて、呉羽が感嘆の声を上げた。そして、にこにことした表情のままこう続ける。
「ふふ、こうやって謎を解いていくのは楽しいな」
「謎解きにしてはずいぶん邪道だけどな」
カムイは苦笑しながらそう応じた。何しろ、アイテムショップのラインナップからこの世界が球状の惑星であることを導き出し、地図の縮尺を利用して世界の大きさを算出したのだ。いまどき、小学生が書いたミステリーだってもう少し捻るだろう。とはいえ、いま重要なのは課程ではなく結果である。
「…………さて、そろそろ寝るか」
この世界は地球とほぼ同じサイズの惑星。その答えが出たところで、カムイはおもむろにそう言った。二人ともすでに【簡易結界一人用】は購入済みで、その中には寝袋の用意もしてある。あとは横になって寝るだけだった。
「うむ、そうだな。……ところで、明日の朝も稽古はするんだろう?」
「無理にとは言わないけど、時間があればやりたいな」
「よし、じゃあ早起きしないとだな。……ふっふっふ、モンスター相手じゃ弱すぎて新調した装備の具合を確かめられなかったからかな。お前相手にそれをやるとしよう」
呉羽が不穏な笑い声を漏らすのを聞いて、カムイは呆れたように肩をすくめた。不穏ではすまないことを思い知らされるのは、翌朝のことである。
― ‡ ―
「あはははは! すごい、すごいぞコレ!」
呉羽が歓声を上げてはしゃぎまくる。彼女は今、カムイと朝稽古の真っ最中だ。昨晩、「新調した装備の具合を確かめる」と言っていた通り、彼女は完全武装でこの稽古に臨んでいる。そしてその結果は、彼女自身の予想を超えて凄まじいものだった。
地面をトンッと軽く蹴る。それだけで呉羽の身体が一気に加速する。まるで背中にブースターでも背負っているかのようだ。そして軽やかに、しかし猛烈なスピードでカムイの懐に入り込む。
今までであれば、呉羽はこんなスピードは出せなかったし、また出せたとしても止まれずにそのまま体当たりするような格好になっていただろう。しかし彼女は低い姿勢で大きく右足を踏み込むと、その一歩だけで速度を完全に殺し、そしてそのエネルギーを掌底に乗せて下から突き上げるようにして放つ。
「ぐっ……!」
カムイは腕を交差させて、かろうじてそれを防いだ。しかしその衝撃は相当重く、彼の身体の中にずしりと響く。アブソープションを全開にして白夜叉のオーラを白い炎のように揺らめかせているのにコレである。もし生身で受けていたら、内蔵が破裂していたかもしれないような威力だ。
しかも掌底は下から突き上げるようにして放たれていたので、それを受けたカムイの身体は僅かに浮き上がって足の指先が地面から離れた。それで、ほんの一瞬ではあったものの、彼の身体は宙に浮かんで身動きが取れなくなる。
「はああああああ!」
その隙を、呉羽は見逃さない。彼女は脚をムチのようにしならせながら、カムイの脇腹目掛けて強烈な蹴りを放つ。カムイはガードもできず、それをまともに受けた。
「がっ……!」
苦しげに空気を吐きながら、カムイは吹っ飛ばされた。それでも何とか足から着地し、膝を柔らかく曲げて衝撃を吸収。さらに一呼吸置くこともせず、そのまま曲げた膝を伸ばして前に出る。彼だからこそできる、ある種獣じみた動きだ。
カムイはすぐに間合いを詰めると、呉羽の顔面目掛けて拳を突き出す。稽古を始めた当初は「格上とはいえ、女の顔を殴るなんて」という躊躇いもあったが、今ではまったく気にもしていない。躊躇う以前の問題として、ちゃんと殴れたことさえないのだ。
そして今回も、呉羽は小さく首をかしげるようにして、あっさりとカムイの拳をかわした。さらに身体を捻るようにしながら、左手で鞘に収まったままの愛刀を掴んで、そのままその柄尻をカムイのみぞおち目掛けて突き出す。
(ヤバッ……!)
カムイは咄嗟に後ろに跳んだ。今までであれば、その動きに呉羽は付いて来られなかった。あまりにも動きが出鱈目なのと、付いていくための急な加速ができなかったためだ。しかし装備を新調した呉羽は今までの彼女ではない。彼女は軽く地面を蹴るだけでその加速を得てカムイに追いすがり、愛刀の柄尻を狙い通り彼のみぞおちに叩き込んだ。
「ぐへ……!」
みぞおちに強力な打撃を叩き込まれたカムイは、情けない声を出して尻餅をついた。しかしすぐに立ち上がると、声を上げながらまた呉羽に向かっていく。急加速からの急停止。慣性や身体への負担を無視したような、出鱈目でまるで稲妻のような動き。その動きに、なんと呉羽は遅れることなく付いていく。
今までの呉羽であれば、こういうカムイの動きについていくことはできなかった。だから呉羽は彼の動きに付き合うのではなく、むしろ足を止め、カウンターを狙うような戦い方が多かった。
しかし今、呉羽はカムイの出鱈目な動きに真っ向から喰らい付き、そして凌駕さえしている。同じような動きができるのなら、技術のある方が圧倒的に有利なのだ。
「くっ……!」
「あははは! すごいすごい! こんなに動けるのは初めてだ!」
呉羽を振り切れず、カムイが焦ったような声を漏らす。一方の呉羽は歓声を上げてどこまでも楽しげだ。そして激しく動き回る中でカムイと目が合うと、彼女は悪戯っぽく笑いながらこう言った。
「どうした、カムイ。動きが悪いぞ?」
「これでいつも通りの全力だ、よ!」
そう叫びながら、カムイは繰り出された拳を、後ろに倒れ込むようにしてかわし、同時に右足を蹴り上げて呉羽の脇腹を狙う。その蹴りはあっさり回避されたものの、それは織り込み済み。カムイはそこから、左足で無理やり地面を蹴って飛び上がり、さらに身体を捻って回し蹴りを放つ。
苦し紛れの出鱈目な攻撃だが、それだけに普通であれば対応することは難しい。有効打になるかはともかく、当てるだけならそう難しくは無いだろう。ただ、カムイはこれも当るとは思っていない。呉羽は彼の動きに慣れている。恐らくはかさわれるだろう。だから牽制になって少し時間が稼げればいい。彼はそう思っていた。思っていたのだが、呉羽の動きは彼の予想を上回る。
「これは……」
「すごい……」
少し離れたところから二人の稽古の様子を見ていたリムとアストールが感嘆の声を上げる。呉羽はなんと、カムイの蹴りに合わせて自分の身体を回転させ、そして同じようにして回し蹴りを放っていた。離れてみているリムとアストールには、まるで糸が寄り合わされていくかのように、二人の身体が絡まっていくように見えた。
「なぁ!?」
体勢を崩しているカムイに、そういう全体の動きは分からない。彼に分かったのは、ただ足に手応えがないことと、顔面目掛けて呉羽の戦靴が迫ってくることだけだ。この体勢でこれを回避することはできない。彼は反射的に顔の前で腕を交差させ、その攻撃をガードした。
「ぐ……!」
重い衝撃に、カムイはうめき声を漏らす。吹っ飛ばされた彼は、受身も取れずに地面に叩きつけられたが、白夜叉のおかげでダメージはない。すぐに起き上がるが、それを見計らっていたかのように呉羽が間合いを詰める。彼女は軽く地面を蹴るだけで爆発的な加速を得、カムイの懐に潜り込んで右の拳を振りかぶる。
「上手く受けろよ!」
そう声をかけるが早いか、呉羽は最後の一歩を踏み込んで拳をカムイの顔面目掛けて真っ直ぐに突き出す。カムイはそれを、また腕を交差させて防いだ。声をかけてもらったおかげで、上手く受けることができた。さらに受けると同時に後ろに跳んで衝撃を殺す。着地してから追撃を警戒しつつ呉羽の姿を探すと、彼女は拳を振りぬいた姿勢のままカムイのほうを見ていた。
「いい反応だ。けど、これで本当に全力か? わたしはもう少しギアを上げられそうだぞ?」
そう言った瞬間、呉羽の姿が消えた。本当に消えたわけではなく、速度を上げた彼女の動きについていけずに見失ったのだ。
反射的にカムイは動いた。どこへどう動くべきかなど分からない。だが動かずにいることが一番危険だ。それだけは直感的に分かる。だからひとまず全力で前に出て、動きながら呉羽の姿を探した。
「どうした、カムイ? 振り切れていないぞ」
「っ!?」
呉羽の声がすぐ隣でした。カムイは急停止してそのまま横に跳ぶが、しかしその出鱈目な動きにも呉羽はなんなく付いてくる。それどころかカムイより速く動き、後から動いたのに彼を追い抜き、そして着地地点で彼を待ち構える。
「ちっ!?」
跳躍してしまったため、カムイの足は地についておらず、そのため方向転換ができない。その不安定な姿勢から、しかし彼は攻撃に転じた。身体を捻ってほとんど無理やりに蹴りを繰り出す。その蹴りを呉羽は左手の籠手で受けた。
「あそこから攻撃してくるとはな。相変わらず出鱈目だよ、お前は」
そう呟いてから、呉羽は右の拳を握り、踏み込むと同時に真っ直ぐ突き出す。狙いはカムイの胸の辺り。彼は腕を交差させ、間一髪でそれを防いだ。
「ぐっ……!」
重い衝撃に息が詰まる。それでもなんとか、カムイは両足で着地した。そんな彼に呉羽の追撃が迫る。しかしそれは彼も警戒している。着地と同時に大きく横へ跳び、呉羽の追撃をかわした。
(このまま動き回っても……)
このまま動き回っても、また追いつかれて振り切ることはできないだろう。認めたくは無いが、装備を新調した呉羽はカムイよりも速い。その上、彼女は技術もあわせ持つ。今までは機動力で上回っていたため、ひとまず動き回ればイニシアティブを握れたが、その考え方はもう改めなければならない。戦い方を変える必要があった。
一番いいのはカウンターだろう。しかし、恐らくカムイがカウンターを狙っても呉羽には通用するまい。若干情けなくなりながらも、カムイはなるべく冷静にそう分析する。ならば、どうするか。
(腕を掴んで動きを止める!)
動きを止めてしまえば、あとは至近距離での削り合いだ。それに腕を掴めるような距離なら、刀を振り回すのも不便だろう。ここまで条件が揃えば、アブソープションと白夜叉を使うカムイの方が有利だ。
小さく頷いてそう決めると、カムイは動きを止めた。そして小さく腰を落とし、全神経を集中させて呉羽の動きを追う。足を止めた彼を見て、呉羽は一瞬「おや?」という顔をしたが、すぐに面白がるような笑みを浮かべた。
呉羽はトンッと軽やかに地面を蹴ると、爆発的な加速で一気にカムイとの間合いを詰める。そしてまるで彼を試すかのように右の拳を振りかぶり、何の小細工もせず、ただ真っ直ぐに彼の顔面目掛けて繰り出した。
(ここっ!)
頭の血管が切れそうになるくらい集中していたカムイは、繰り出された呉羽の拳をしっかりと捕捉していた。彼は半歩ほど踏み出しながら左手を伸ばし、彼女の右腕をコートの上から掴もうとする。しかしその瞬間、風が渦巻いて彼の手を弾いた。
「なっ!?」
カムイが驚愕の声を上げる。それと同時に呉羽は改心の笑みを浮かべた。そして止められることのなかった彼女の拳が、そのまま真っ直ぐにカムイの頬に叩き込まれる。
「ぐべらっ!?」
ヘンな声を出しながら、カムイは吹っ飛ばされた。何度か地面の上を転がってから、彼はようやく立ち上がる。追撃はない。呉羽は少し得意げな顔をしながら、腕を組んで立っている。それを見て、警戒しつつもカムイはようやく一息ついた。
「勘弁してくれ……。装備変えただけでこんなに違うのかよ……」
この世の理不尽に耐えるような口調で、カムイはそう呟いた。呉羽の方が強いのは以前からだが、それにしても一方的過ぎる。装備を新調する前は、何とか喰らいつけていたのだ。それが、今は文字通り手も足もでない。呉羽はまだ愛刀を抜いてさえいないと言うのに。
「これは……、凄まじいですね。装備を整えただけで、こうも違いますか」
カムイと呉羽の稽古の様子を少し離れたところから見学していたアストールは、ほとんど感嘆さえしながらそう呟いた。二人の稽古の様子は、これまでに何度も見てきた。だからこそ分かるが、今日の様子はいつもと随分違う。
カムイの調子が悪いわけではない。むしろ、彼はいつもよりよく動いているように見える。しかし呑み込んでしまうほどに、呉羽が圧倒的なのだ。その理由は、考える必要もなく新調した装備だろう。
「でも、カムイさんも装備を新しくしましたよね?」
隣で一緒に稽古を見学していたリムが、アストールを見上げながらそう尋ねる。装備を新調したのは呉羽だけではない。彼女の言うとおり、カムイも全身の装備を新しくしている。いつもより動きが良く見えるのは、恐らくはそのおかげもあるのだろう。しかし呉羽はさらにその上を行く。
「新しくした装備との相性が良かった、のでしょうね」
リムの頭を撫でながら、アストールはそう答えた。相性と言うのはつまり、呉羽のユニークスキルである【草薙剣/天叢雲剣】との相性だ。その能力は、「草薙を名乗らば地を支配し、天叢雲を名乗らば天を支配す」というもの。
「……つまり、見方を変えれば、呉羽さんのユニークスキルは〈風〉と〈土〉の、二つの属性を持っていると言えます」
属性と言う考え方が自然と出てくるのは、アストールだからこそと言えるだろう。彼は属性が非常に重要な要素であった世界から来たのだ。
まあそれはともかくとして。アストールは自分の考えをさらにこう語る。
「呉羽さんが購入した新たな装備は、【白虎の腰巻】、【玄武の具足】、【青龍の外套】、【朱雀の簪】の四つ。この内【玄武の具足】と【青龍の外套】は、それぞれ〈土〉と〈風〉の属性を持っています。それがユニークスキルと相乗効果を発揮したのかも知れません」
その結果が、この一方的な蹂躙とも言える有様だ。もちろん新調した装備が高性能であったことも関係しているのだろうが、それならカムイの装備もグレード的にはそう変わらない。ユニークスキルとの相性こそがそれ以上に重要、ということなのだろう。相性の良い装備さえ選んでいれば、仮に質で劣っていたとしても、もしかしたらそれを挽回し、凌駕できるかもしれない。
「次に何か装備品を買うことがあったら、ユニークスキルとの相性も考えなければいけませんね」
アストールはそう言って話を締めくくった。そして彼の話が終わるのを待っていたわけではないだろうが、小休止していたカムイと呉羽の稽古が再開される。
「さて、もう身体は温まっただろう? そろそろコレを使わせてもらうぞ」
にやり、と凶悪な笑み(カムイの主観)を浮かべ、呉羽は剣帯に吊るした愛刀【草薙剣/天叢雲剣】を鞘からゆっくりと引き抜いた。その白刃を見て、カムイは頬を引き攣らせながら冷や汗を流す。
さっきまででさえ、手も足もでなかったのだ。どう頑張っても攻め崩せるイメージが浮かばない。それどころかフルボッコにされる未来しか想像できなかった。その未来を回避するべく、カムイは下手な説得を試みる
「あの、呉羽さん? 新調した装備の具合を確かめるのが目的なんだし、今日はソレ、ナシにしときませんかね?」
「ほう、まだ無駄口を叩く余裕があるか。ならもう少し厳しくしても大丈夫だな」
逆効果であった。そして言うが早いか、呉羽は愛刀を横に構えながら、爆発的加速をもってカムイとの間合いを詰める。カムイもすぐさま後方に跳躍して最初の一撃はかわしたが、彼女はすぐに追撃を放つ。
「〈風切り〉!」
呉羽の愛刀が生み出す風の刃がカムイに襲い掛かる。風の動きなどで大まかな気配などは察することができるが、しかし〈風切り〉の刃はそもそも不可視。跳躍の途中であったこともあり、回避は難しい。両腕を交差させてガードしたが、その腕をまるで鉄パイプで殴られたかのような強烈な衝撃が襲う。白夜叉のオーラを纏っているにも関わらずこの威力。生身なら一刀両断されかねない。
(くっそ……。〈風切り〉も威力が上がってやがる……!)
声には出さず、カムイはそう悪態をついた。これも、アストールが言っていたように装備との相性がいいからだろう。同じように手応えを感じているのか、呉羽の浮かべる笑みがますます深くなった。そして爛々と輝く眼をカムイに向け、彼女はまた地面を蹴って間合いを詰める。
「ハァ!」
突進してくる呉羽に向かって、カムイは〈咆撃〉を放つ。通じるとはまったく思わない。それでも牽制くらいにはなるはず。彼のその思惑は、しかし無残にも打ち砕かれた。
「はぁ!?」
呉羽は、〈咆撃〉の衝撃波をかわすことも切り捨てることもしなかった。まるで無視したのである。だがダメージはおろか影響を受けた様子もない。彼女は何事もなかったかのように突っ込んでくる。
この時のカムイにはゆっくり考えているだけの余裕はなかったが、コレは呉羽が新調したコート、つまり【青龍の外套】の力だった。【青龍の外套】には、風属性の自動防御能力がある。完全にオートにしている場合は気休め程度の能力しかないが、この自動防御は装備者の意思で強化できる。ちなみに飛躍的に強化された呉羽の機動力は、【玄武の具足】の力によるものである。
つまり、カムイの放った〈咆撃〉はこの自動防御に弾かれたのだ。さらに〈咆撃〉は衝撃波であるため、風属性の防御能力とは相性が悪い。そのため呉羽はそよ風程度のものしか感じなかったに違いない。いや、彼女は疾走していた状態であったから、それさえも気付いていたのか怪しい。ようするに、カムイの攻撃はまったく無意味だったのだ。
「呆けている暇はないぞ、カムイ!」
〈咆撃〉を無視して間合いを詰めた呉羽が、立ち尽くすカムイにそう声をかけながら愛刀を振るう。その白刃をカムイは間一髪で避けた。しかし、二の太刀、三の太刀まではかわしきれない。その上、呉羽の攻撃はさらに続く。銀色の軌跡が幾筋もきらめき、そのたびにカムイの身体に赤い筋を残した。
「……っ!」
カムイは顔を歪めながら舌打ちをした。アブソープションのおかげで傷はすぐに回復できるが、さっきから攻撃を受けっ放しである。もちろん回避を心がけてはいるのだが、呉羽の攻撃は速くてまた手数が多い。だいたい、一つ攻撃をかわす間に二つ攻撃を受けているような感じだ。致命傷がないのは呉羽が手加減してくれているからにすぎない。
このままではジリ貧である。しかし大きく距離を取るのも悪手だろう。攻撃範囲は呉羽の方が圧倒的に広いし、また距離はすぐに詰められる。
(だったら……!)
カムイは逆に距離をつめた。刀の間合いから無手の間合いへ、距離を縮めたのだ。これが功を奏したようで、呉羽は少し刀を振るいにくそうにした。それを好機と見て、カムイは低い位置からボディーブロー気味にパンチを繰り出す。
「ぐっ!?」
しかしそのパンチはまたしても風に弾かれた。顔を歪めるカムイに対し、呉羽が悪戯っぽい笑みを浮かべる。どうやら【青龍の外套】の自動防御能力を強化して彼の攻撃を防いだらしい。
カムイは続けて蹴りも交えながら連打を繰り出すが、その全てが風に弾かれてしまう。その結果に彼は愕然とした。攻撃がまったく通じないのだ。勝てたためしはないとはいえ、これでは本当に勝ちようがない。
「隙あり!」
動揺したせいか、カムイの動きが雑になる。その隙を呉羽は見逃さなかった。彼女はカムイのみぞおち目掛けて掌底を打ち出す。カムイはガードもできず、まともにそれを受けた。
「ぐへっ……!」
情けない声を吐きながら、カムイは後ろに突き飛ばされた。尻餅をついても勢いは殺せず、そのままゴロゴロと地面を転がる。彼がようやく起き上がって呉羽のほうに視線を向けると、その先で彼女は愛刀を大上段に振り上げていた。
「ははっ、新しい装備はいいな。こんなこともできるぞ!」
呉羽がそういうと、振り上げられた白刃が風を纏い始めた。その風は高速で渦巻き、やがて紫電を帯び始める。ソレを見て、カムイは血の気が引くのを感じた。
「お、おい呉羽! それはマジでやばいって!?」
しかし彼の叫びは、呉羽には届かない。新しい装備の具合が良すぎてはっちゃけてしまっているのだ。そして彼女は心底楽しそうな笑みを浮かべたまま、こう叫んで白刃を振り下ろした。
「〈雷刃・建御雷〉!」
振り下ろされた白刃からカムイ目掛けて紫電が走る。彼はそれを回避、できなかった。
「あぎゃあああああああ!?」
雷に撃たれたカムイは絶叫を上げる。そして意識を失い、そのまま地面に倒れた。




