〈侵攻〉7
ガーベラを手伝って浄化樹を地に下ろした後、カムイら四人はそのまま少し拠点から離れて、瘴気の浄化作業を行った。呉羽が瘴気を集め、リムがそれを浄化する。そしてカムイとアストールが二人の魔力を補充する。いつも通りの役割分担で四人は夕方近くまで浄化作業を行い、そしてまた大量のポイントを獲得した。
【瘴気を浄化した!(1/4) 1,902,302Pt】
【浄化樹が瘴気を吸収した!(1/2) 13,023Pt】
メニュー画面に表示されたそのログを確認して、カムイは一つ頷く。この辺りの瘴気濃度はあまり高くないせいか、浄化によって獲得したポイントは山陰の拠点にいた頃よりも多少少ない。しかしそれでも200万Pt近く稼げているし、出資した浄化樹の方からも配当を得られている。ようするに、彼らの攻略は順調だった。
拠点に戻ると、辺りはすでに薄暗くなっていた。呉羽が以前に購入しておいたLEDランタンの明かりをつけ、それを囲みながら四人は夕食を食べる。ちなみにカムイは、ちょっと豪勢に【日替わり弁当C】だ。
「少しいいでしょうか?」
夕食を食べ終わり寛いでいると、ふとアストールがそう言った。三人の視線が集まると、彼は続けてこう言った。
「私たちは、この拠点周辺の探索の依頼を請け負いました。何度かここへ戻ってくることはあるでしょうが、これからしばらく私たちは四人だけで行動することになります。今までのように、多くのプレイヤーが守ってくれるということはありません。
まあ、〈魔泉〉のような危険地帯に行くわけではないので、それほど心配する必要はないのかもしれませんが、それでも用心するに越したことはないでしょう。それで、ここできちんと装備を整えておくのはどうでしょう?」
アストールの提案に、他の三人はすぐに頷いた。思えば、大量のポイントを稼げるようになってから新たに買った装備と言えば、リムが使っている【ミスリルロッド】くらいなものだ。他の三人に至っては装備を更新することもなく、安物を使い続けている。
ただ別の見方をすれば、それは更新する必要がなかった、ということでもある。通常のモンスターを相手にするだけなら、今のままでも問題はない。また、これまで四人は移動の中核だったこともあり、護衛されていることが多かった。その間は彼らが直接戦うことはほとんどなく、高価な装備品は必要なかったのだ。
しかしこれから先は、今までのような護衛はない。モンスターに遭遇したら、彼ら自身が戦わなければならないのだ。もちろん、戦闘能力に不安があるわけではない。前述したとおり、通常のモンスターだけなら今のままでも大丈夫だろう。
とはいえ、前人未到の地域へ探索に行くのだ。準備は万全に整えておきたい。最近1,000万Pt近くを出資したとはいえ、今まで装備の更新を控えていたおかげか、ポイントにはまだまだ余裕がある。それでここは奮発して高性能な装備を整えることにして、四人はそれぞれ自分のシステムメニューを開いた。
まずアストールだが、彼は【天元樹の杖】と【エストレア・コート】、そして【流浪者のブーツ】を購入した。お値段は合計でおよそ883万Pt。
【天元樹の杖】は、長さが2m近くもある大きな木製の杖だ。継ぎ目のない一本の枝から作られており、一番下には彫り物細工が施された金属製の石突が付けられている。上部は大きく三日月型に歪曲しており、さらに所々から本物の瑞々しい葉が生えていた。
【エストレア・コート】は白いロングコートだ。デザインとしては、フード付きのダッフルコートに似ている。さらにこのコートにはシルバーの装飾が付いたベルトが付属していて、それを締めるとアクセントになっていた。
【流浪者のブーツ】は、動きやすい皮製のブーツだ。色は濃いブラウン。ハイカットで、くるぶしの辺りまでしっかりと覆うことができる。留め具は紐とベルトの併用だが、紐だけでも十分に履くことができた。
「トールさんはこの三つだけでいいんですか?」
「ええ、これで十分でしょう」
「アクセサリーのようなものありますけど……」
そう言ってカムイはトールのメニュー画面を覗き込む。マジックアイテムの中には、彼のような魔法使いが使うのにいいアクセサリー類も豊富にある。
「恥ずかしながら、本業の方ではあまりやくに立てていませんから」
最近は〈トランスファー〉と〈ソーン・バインド〉しか使ってませんからねぇ、とアストールは遠くを見ながら呟いた。
「い、いえ、そんなこと無いですよ!?」
「いいんです。求められる場面で力を振るうのが、支援魔法使いの本分ですから」
そう言ってアストールはさらに黄昏れ、カムイはますます焦った。
「そ、そういえば、この〈天元樹〉って、どんな木なんでしょうね!?」
カムイは必死になって話題を逸らしたが、あまり上手ではない。とはいえ、アストールのほうもそれにうまく乗ってくれたので、結果として話題を変えることが出来た。
「さて、私も天元樹というのは聞いたことがありませんね。世界樹ならあるんですが……」
「トールさんの世界って、世界樹あったんですか?」
「伝説を聞いたことがあるだけですよ。実物を見たことはありません。……それにしても、天元樹、ですか。この杖も結構いい値段がしましたし、やっぱりどこかの世界にある特別な木なんでしょうね」
「今度、ガーベラさんに聞いてみましょうか?」
「そうですね、そうしましょう」
アストールの調子もすっかり元に戻り、カムイは安堵の息を吐くのだった。
次にリムだが、彼女は【聖女の法衣】に【星屑の腕輪】を二つ、そして【虹の雫の髪飾り】を選んだ。ロッドは【ミスリルロッド】を引き続き使うことにして、今回は更新を見送った。決して、誰かさんがしきりに釘バットを勧めたためではない。お値段は合計で約1023万Pt。
【聖女の法衣】は上下がセットになっていた。上はワンピースのように丈が長いが、大きくスリットが入っている。下は短いズボンで、さらに長いタイツが付いていた。基調となっている色は黒だが、全体に金糸や銀糸で刺繍がされているため、地味な印象は受けない。上品で荘厳な雰囲気に仕上がっている。
二つ購入した【星屑の腕輪】は細いミスリル製の腕輪で、一つ青い宝石が付いている。光に照らしてみると、中に星を散らしたような輝きがあり、これが名前の由来と思われた。チェーンでサイズを調整できたので、リムの細い腕にもしっかりとフィットしている。
【虹の雫の髪飾り】にも、宝石が一つ付いていた。こちらは名前の通り虹を思わせるマーブル模様の宝石だ。これが空を思わせる群青色の、バレッタ型のメタルフレームにあしらわれている。
「ど、どうでしょうか……?」
新たに買った装備を身につけて、リムが少し心配そうに感想を尋ねる。真っ先に歓声を上げたのは呉羽だった。
「うん、似合ってる。可愛いよ、リムちゃん!」
可愛いと言われ、リムの顔が綻んだ。そんな彼女の手には、まだ【虹の雫の髪飾り】が握られている。どうやら、自分では付けにくかったようだ。それに気付いた呉羽が、笑顔を浮かべながらリムを呼ぶ。
「リムちゃん、コッチにおいで。バレッタつけてあげる」
「あ、はい。お願いします」
リムは素直に呉羽のとこにやって来て、彼女の前にちょこんと座った。そんなリムの髪を呉羽は櫛で丁寧に梳く。彼女の髪はサラサラでさわり心地がいい。呉羽は梳いた髪をまとめ、少し編み込んでから最後に【虹の雫の髪飾り】で止めた。
「よし、できた。ほら、見てごらん?」
「わぁ……! ありがとうございます、クレハさん!」
綺麗にまとめられた髪を手鏡で見て、リムは歓声を上げた。その様子を見て、呉羽も満足げに微笑み、彼女の頭を撫でる。
「髪は女の命。大切にしないとな」
「はい!」
「そのためにはシャンプーとトリートメントだ! また温泉をレンタルするぞ~!」
「そこに繋がるのか!?」
思わずツッコミをいれるカムイだった。
そんな入浴文化布教に余念の無い呉羽が選んだのは、【白虎の腰巻】に【玄武の具足】、【青龍の外套】と【朱雀の簪】である。どうやら四神のシリーズで統一することにしたらしい。お値段は合計で、1203万Pt弱。四人の中では最も高額になった。
【白虎の腰巻】は、「白虎の毛皮から作った」という腰巻である。ストールのようなデザインで、実際ストールとしても使える。ただ、呉羽は首より腰に巻くのがお気に入りで、片方を長くして斜めに巻いていた。
【玄武の具足】は、「玄武の甲羅から作った」という具足一式である。幾つか種類があってその中から選ぶことができるのだが、呉羽は胸当てと籠手、そして戦靴を選んだ。ちなみに戦靴はロングブーツに装甲を取り付けたようなデザインになっている。色は呉羽曰く「伽羅色」で、さらに深くて落ち着いた光沢がある。ひし形を重ねたような紋様が浮かんでいて、それが亀の甲羅を連想させた。
【青龍の外套】のデザインは、濃紺でロングのトレンチコートだ。襟もついているし、袖口は折り返されて二重になっている。最大の特徴は、要所要所に取り付けられた鱗のような装甲だ。説明によると青龍の鱗であるらしく、コレが荒々しい全体の雰囲気を決定付けている。なお、呉羽はこの外套の上から剣帯を腰に巻き、そこに【草薙剣/天叢雲剣】を吊るした。
【朱雀の簪】は、「朱雀の爪と羽を用いて作られた」という簪だ。鋭くて細長い爪に、鮮やかな赤い風切羽が一枚あしらわれている。後ろでお団子状にまとめた髪に挿してみると、その羽は淡い燐光を放って呉羽を喜ばせた。
「つまり、白虎の毛皮をはいで腰巻を作り、玄武の甲羅をひっぺ返して具足を作り、青龍の鱗をはいで外套を作り、朱雀の爪を切ってさらに羽を毟り取って簪を作った、ってことか……。罰当たりだな」
「変ことを言うな。だいたい、一つ一つに加護が付いているんだ。罰当たりなはずないだろう」
「加護じゃなくて呪いだったりして」
「四神というからには、神様なのですよね……? 不本意な形で自分の遺骸が利用されていたら、怨念が篭る可能性はあると思いますよ……?」
「え……?」
アストールの話を聞いてリムが一歩呉羽から距離を取る。それを見て呉羽は大いに焦った。
「みょ、妙なこと言わないでください!? リ、リムちゃんも大丈夫だから! 呪いとかないから!」
カムイとアストールに脅され、リムには怖がられ、呉羽はちょっぴり涙目だ。ちなみに呪いだの怨念だの、そんなものは全く無かった。
最後にカムイだが、彼は【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーシリーズ】から、まずズボンとブーツ、グローブ、そして半袖のシャツを選んだ。
【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーパンツ】は迷彩柄の長ズボンだ。足首のところに紐がついていて、絞ることができるようになっている。機能性の高いズボンで、少しゴツいベルトもセットになっていた。
【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーブーツ】は、黒のロングブーツだ。防水使用で、悪路にもよく耐える。一方で非常に履きやすく、ズボンを中に入れてやれば、どんな激しい運動にも対応できる。
【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーシャツ】は、黒の半袖のシャツだ。防刃繊維で編まれたシャツで、身体にぴったりとしたデザインをしている。それでも締め付けられるような感じはしない。
【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーグローブ】は、シャツと同じく黒の防刃繊維で編まれた、ハーフフィンガーのグローブだ。ガードが付けられているが、それも金属製ではなく、そのためしっかりした作りながらも、伸縮性があってしなやかだ。
「う~む……」
特に悩むことなく四つの装備を選んだカムイだが、しかしそこで手が止まった。メニュー画面を睨みつけるようにしながら何度もスクロールするが、しかしどれも選ぼうとしない。
「どうしたんだ?」
「いや、上着を買おうと思ったんだけど……」
呉羽が声をかけるが、カムイの歯切れは悪い。
「ならジャケットを買えばいいじゃないか。ほら、ちゃんとミリタリージャケットがある」
「いや、できればポンチョが欲しいんだ」
しかし残念ながら、【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーシリーズ】のなかにミリタリーポンチョはない。だが、今までポンチョを愛用してきたせいか、カムイはどうしてもポンチョが欲しかった。しかし同時に、【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーシリーズ】で揃えたい。悩ましいところだった。
「でもミリタリーシリーズにポンチョはないんだろう?」
「ないんだなぁ~」
「ならジャケットにするか、ポンチョだけは別のを買えばいいんじゃないのか?」
「いや、【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーシリーズ】のポンチョが欲しい。丈は短め、袖なしで、フード付きのヤツ」
「ずいぶん具体的だな……」
カムイのこだわりが理解できなくて、呉羽は呆れたようにため息を吐いた。そんな彼女を尻目に、カムイはどうしたものかと頭を悩ませる。そして、唐突に閃いた。
「そうだ、【アイテムリクエスト】!」
そう、無いのならリクエストしてしまえばいいのである。リクエストには100万Ptも掛かるが、この装備はこの先ずっと使うもの。妥協はしたくなかった。それでカムイは迷うことなく【アイテムリクエスト】の画面を開いた。
アイテム名【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーポンチョ】
説明文【ヘルプ軍曹監修のミリタリーポンチョ。丈は短く、袖なしで、フードが付いている】
「これ、ヘルプ軍曹監修にする意味があるのか……?」
「ある!」
疑わしげな呉羽に、カムイは力を込めてそう断言した。そして確定ボタンをタップする。すると、今までに見たことのない《しばらくお待ちください……》のメッセージが表示された。グルグル回るアイコンを眺めながら、言われたとおりしばらく待っていると、アイテムは無事に生成されてラインナップに追加された。
「よし!」
カムイは思わずガッツポーズをして、そして意気揚々と生成されたばかりの【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーポンチョ】を購入する。彼が指定したとおり、丈は短く、袖なしで、フードが付いている。灰色の迷彩柄で、右の鎖骨の辺りに縦に三つ並んだボタンがアクセントになっている。
このポンチョを合わせて、カムイは全部で五つの装備品を購入した。その合計金額は、およそ1196万Pt(リクエスト手数料込み)だ。
「いや~、買いましたね~」
四人全員が装備品を選び終えると、辺りはすっかり真っ暗になっていた。四人が買ったのは、品目も多いが、それ以上に高価な装備ばかりである。合計で4,000万Pt以上を使っている。ガーベラへの出資分を合わせれば、ここ最近だけで8,000万以上のポイントを使った事になる。いささか、使いすぎたかもしれない。
「いえいえ、必要経費ですよ。生き残るための、ね」
確かにポイントは願いを叶えるために必要なものだ。しかし、そのためにはまずこのゲームをクリアしなければならない。だが、現状クリアに向けた見通しはまったく立たない状況だ。
そういう状況だから、ポイントを後生大事に抱え込んでいてもあまり意味はない。むしろ生き残るため、必要なものには惜しみなく使うべき。アストールはそう言った。
「もちろん、無駄遣いはダメですけどね」
「だってさ、呉羽」
「なぜわたしに振る? 言っておくが、お風呂は無駄じゃないからな」
すまし顔で呉羽はそう答えた。
購入した装備品の具合を確かめるのは次の日にするとして、この日はもう休むことにした。四人はそれぞれ【簡易結界(一人用)】を購入し、そこに寝袋を敷いて横になる。明日からは拠点周辺の探索である。
そして翌朝、四人は朝食を食べて身支度を整えると、出発の挨拶をするために〈世界再生委員会〉が陣取っている一画へロナンを訪ねた。四人はまず、例の一番大きなテントに案内され、そこで少し待つとロナンがリーンを伴って現れた。
「いや~、お待たせしました」
「いえ、こちらこそお呼びたてしてすみません」
アストールがそう応じると、ロナンは笑顔を見せて頷いた。そしてテーブルを挟んで向かい側に座る。
「これから探索に出かけられるのですか?」
「ええ。この後、デリウスさんのところにも顔を出してから、探索を始めようと思っています」
「そうですか。本来なら自分たちでやるべき事なのですが、面倒事を押し付けてしまって申し訳ありません。よろしくお願いします」
「お気になさらず。この借りはいずれきちんと返してもらいますから。もちろん、利子付きで」
「はは、お手柔らかに」
清々しい笑顔を見せるアストールに対し、ロナンは苦笑しながらそう応じた。二人の会話が一段落したところで、リーンが口を開いてこう尋ねた。
「それで、今回はどれほどで戻ってこられる予定ですか?」
依頼されたのは、この拠点を中心にしておよそ半径50km(海を除く)の範囲の探索だ。基本的に歩き回るだけの仕事だが、その範囲は広大と言ってよく、終えるには相応の時間がかかるだろう。その間ずっと拠点を離れている必要はなく、むしろ報告も兼ねて何度か戻って来てもらいたい、というのが依頼主側の要望だった。
「状況を見ながらになると思いますが、まあ一週間以内には一度戻ってくるつもりです」
アストールがそう答えると、リーンは「そうですか」といって一つ頷いた。それからもう少し雑談をして、四人はテントの外に出た。次は〈騎士団〉が陣取っている一画へ向かうのだが、その前に彼らは顔見知りの姿を見つけた。ガーベラである。
「ガーベラさん!」
呉羽が名前を呼ぶと、彼女の視線が四人の方を向く。そしてその姿を見つけると、ガーベラは笑顔を浮かべた。
「久しぶり~、でもないか。もしかして、これから依頼の探索?」
「ええ。〈騎士団〉のほうに顔を出してからですけど」
「そっか~。本当はアタシも行きたかったんだけどねぇ~。ほら、前人未到の場所に足を踏み入れるって、ワクワクしない?」
「あ、分かります。可能性に胸が躍るというか……」
呉羽がそう答えると、ガーベラは「そうそう!」と言って手を叩き、満面の笑みを浮かべた。
「そうなのよ! リムちゃんはどう?」
「えっと、わたしはちょっと心配かな、って……」
「うん、まあこういうのは人それぞれだからね」
そう言うと、ガーベラは膝を屈めてリムと視線を合わせ、その頭を優しく撫でる。
「アストールさんも、呉羽ちゃんも、カムイ君もいるから大丈夫よ」
「……はい!」
ガーベラの優しい口調に安心したのか、リムは笑顔を見せて元気良く頷いた。それを見てガーベラも微笑を浮かべる。そしてもう一度リムの頭を撫でてから立ち上がった彼女に、今度はカムイがこう尋ねた。
「そうだ、ガーベラさん。〈天元樹〉って植物に心当たりはありませんか?」
「〈天元樹〉? …………ごめん、ちょっと聞いたことないわね。それがどうかしたの?」
「いえ、実はトールさんの杖の素材が、天元樹って言うらしいんです」
「ほうほう、これがねぇ……」
カムイの話を聞くと、ガーベラは興味深げにアストールの杖を観察し始めた。手触りを確かめたり、匂いをかいだり、葉の裏側をめくって見たりする。その様子は本職の研究者のようだった。
「う~ん、似たような木は幾つか知ってるけど、きっとどれもハズレでしょうね。そもそも、この杖ってマジックアイテムの類でしょう?」
ガーベラの問い掛けに、アストールは「そうです」といって頷く。それを聞くと彼女は投げやり気味に両手を上げた。
「それだともう、アタシの専門外よ。他のプレイヤーに聞いた話だと、そういうマジックアイテムに使われるような植物は、それ自体が特別な力を持っている場合が多いの。アタシのいた世界には魔法なんてなかったから、完全に管轄外。お手上げよ」
そういう植物についての知識を何も持っていないのだ。分かるはずもなかった。それを聞いてカムイやアストールも苦笑を浮かべる。
「ははあ、それじゃあ仕方ないですね」
「ええ……。……あ、でも待って。ちょっとくらいなら調べるアテがあるかも」
そういうと、ガーベラはおもむろに【植物創造】のメニュー画面を起動する。そして創造する植物の名前の欄に「天元樹」と入力した。
「説明文は書かなくていいんですか?」
「ええ。どこかの世界に実在する植物なら、別にいいの」
その場合、説明文は創った後に、自動的に追加される。むしろ、説明文の内容が異なると、同名の植物がどこかに存在していても、それとは別の植物と見なされてしまう。それで、名前が分かっている植物を創りたいときには、むしろ説明文は書かない方が確実なのだ。
天元樹の名前を入力すると、ガーベラは作業を次に進める。苗木の状態で創造することにして、確定ボタンをタップすると、必要になるポイントが算出されて表示された。その額を見てガーベラは目を疑った。
「一、十、百、千、万………。1,000,000,000,000,000Pt!?」
一千兆Pt。どっかの国の借金みたいな額である。予想をはるかに超える額で、ガーベラは一瞬血の気が引くのを感じた。もちろん彼女の手持ちのポイントでは全然足りないし、カムイら四人のポイントを合わせても同じだ。
「天元樹……。一体どんな木なのよ……?」
ほとんど呻くようにしてガーベラはそう呟いた。【植物創造】の能力で創造可能であることは分かったが、しかしコストが桁違いすぎて実際に創造することはほとんど不可能であろう。
「浄化樹でさえ、一本200万くらいなのに……。一体どれだけの力を秘めているというの……?」
もはや天元樹が一本あれば、それだけでこの世界を再生することができるかもしれない。ガーベラは半ば本気でそう思った。そして同じようなことをカムイも思った。そして彼の視線がススッと動いてアストールの持つ杖へと向けられる。
「トールさん。その杖、葉っぱ生えてますよね?」
「生えてますね」
「葉っぱ、生ですよね」
「生ですね」
「……植えたら、育ちませんかね?」
「いやいやいやいや、さすがに無理でしょう」
「ですよねー」
言ってみただけである。そもそもそれで天元樹が育つのなら、【植物創造】のコストで一千兆Ptもかかるまい。
ちなみに、そのあとで試しに〈世界樹〉についても【植物創造】で試してみた。その際、同じように説明文を入力しなかったのだが、するとエラーが出た。どうやら、〈世界樹〉と呼ばれる樹木は複数の世界に数種類存在するらしい。「一つに絞ってください」とのことだったので、「アストール出身の世界に存在する、世界樹」と説明文に書き加えた。すると今度はエラーがでることなくコストの算出が行われた。
「世界樹は……、1,000,000,000,000Ptか……。まあ、天元樹よりは安いわね」
それでも一兆Ptである。これまた、天元樹と同じく実際に創造するのはほぼ不可能と言わざるを得ない。なお、これでアストールの世界に世界樹が存在することが立証されたわけだが、それはそれとして。
「天元樹に世界樹、かぁ……。興味深いわ……。いつか創ってみたいものね」
ガーベラは研究者のような顔つきでそう言う。だが、重ねて言うが、実際にこれらの樹木を創造するのは実質的に不可能であろう。ゲームクリアの報酬として貰うのであれば手に入るかもしれないが、ゲーム攻略のために役立てるのは無理だ。
だがもしも。もしも創造することができたのなら、それはゲームクリアにむけた、いわば「万能の回答」になるかもしれない。
(ま、無理だろうけど……)
そんなことを想像するくらいは許されるだろう。カムイはそう思った。
さて、ガーベラと分かれると、四人は〈騎士団〉のところへ向かった。大きな天幕の中でデリウスと面会すると、アストールはこれらか周辺の探索に出かけることと、一週間以内には一度戻ってくるつもりであることを伝えた。
「そうか。心配はいらないと思うが、気をつけて行ってきてくれ」
「ええ。デリウスさんのほうも、〈侵攻〉の対処で大変だとは思いますが、どうぞご無事で」
アストールがそう言うと、デリウスは「ああ」と応じた。それから彼はふと視線を彷徨わせる。その様子は何か言いたげで、アストールは静かに彼の次の言葉をまった。
「……いつぞやは、すまなかった。リムさんもだが、その、役立たず扱いをしてしまって」
視線をそらし、どこかバツが悪そうにしながら、デリウスはそう言った。それを聞いて、アストールとリムは目を丸くする。予想外の言葉だったのだ。
「……そのくせ、一方的に力を借りた。〈魔泉〉の調査を行えたのも、この拠点にこうして合流できたのも、君たちの尽力のおかげだ。
あの時の発言は撤回する。君たちは役立たずなどではなかった。無礼な言葉を許して欲しい」
すまなかった、と言ってデリウスは折り目正しく頭を下げて謝罪した。彼から謝罪されたことがよほど意外だったのか、アストールとリムは揃って反応に困って言葉が出てこない。部外者のカムイと呉羽も同様だ。そんな中でも、さすがは年長者というべきか。アストールが真っ先に再起動した。
「…………特に私のことですが、一人では何もできなかったのは事実ですよ。ですがこうして仲間を得て、どうにか力を役立てることができるようになりました。
これは私に限った話ではないと思います。プレイヤーが互いに力を合わせれば、きっともっと大きなことができます。〈騎士団〉には、そのポテンシャルがあると思いますよ。ぜひその力を生かしてください」
「……そうだな。多様な人材を揃えることも組織の力、か」
薄く自嘲の笑みを浮かべながらデリウスはそう言った。目先の戦力優先で、そういう人材ばかり集めてきたという自覚があったのだろう。
「リムさんは何かありますか?」
「え!? え、ええっと…………。が、頑張ってください?」
突然話を振られたリムが、あたふたしながらそう言う。その様子を見て、アストールは優しげに微笑んで彼女の頭を撫で、デリウスは苦笑を浮かべながら頷き、そしてこう言った。
「ああ、頑張るとしよう。我々は大人なのだから」
そう答えたデリウスの視線がチラリと動く。その先にいるのはカムイだ。デリウスに頭突きをかまして「大人のクセにっ!」と言い捨てたのは彼である。その言葉は、彼が思う以上にデリウスにとって大きかったのかもしれない。
ただ、カムイ本人にしてみれば、イライラして当り散らしただけの言葉だ。それを持ち出されてしまったような気がして面白くないし、またムズ痒いような感じがして落ち着かない。そのせいで、ムスッとした仏頂面になってしまった。
さらに二言三言言葉を交わしてから、カムイらは〈騎士団〉の天幕を辞した。これからいよいよ、依頼された拠点周辺の探索が始まるのである。
「まずは……、海岸線に沿って南に向かい、地図をうめていくとしましょう」
呉羽から借りた地図とアイテムショップで購入した【コンパス】を見比べながら、アストールは最初に向かう方角を決めた。ちなみに【コンパス】はマジックアイテムだ。カムイの知るコンパスと同じく北を指す道具なのだが、わざわざマジックアイテムになっているということは、この世界のコンパスは北を指してはくれないのかもしれない。彼はそんなふうに思った。
閑話休題。基本的に歩き回るだけの仕事とはいえ、闇雲に動き回っているだけでは時間がかかりすぎる。それである程度計画的に動く必要があるわけだが、海岸線に沿って動くというのは、探索範囲の縁をうめるという意味でもちょうどいいだろう。
拠点を出発してからおよそ一時間。四人は海岸線を南に歩いていた。これまでのところ、特筆すべき事柄は何もない。というより、この辺りはまだ拠点から日帰りできる範囲なので、彼ら四人が来るのは初めてだが、決して「前人未到」ではないのだ。
実際、ロナンから預かった地図には、このあたりの地形がすでに記されている。すでに最低でも一度は探索済み、ということだ。それで早く前人未到の地へ足を踏み入れるべく、進める限り今日は一日こうして南へ向かうつもりだった。
海岸線に沿って進む四人だが、ただし砂浜を、つまり海のすぐ傍を歩いているわけではない。海が見える位置にはいるものの、実際の海岸線からは少し離れた位置にいる。その方が歩きやすいからだ。それでも地図には、きちんと複雑な海岸線の形状が一歩ごとに記載されていく。どうやら本当に歩いた場所だけが記載されていく、というわけでは無さそうだ。
「……それにしても、装備を更新した意味がほとんどありませんねぇ」
アストールが苦笑しながらそう呟く。彼の視線の先では、歪な人型のモンスターが五体、〈ソーン・バインド〉で拘束されている。そしてそれらのモンスターを、カムイと呉羽が二体ずつ、リムが一体受け持ってあっという間に倒してしまう。戦闘時間はものの十数秒。以前と変わらずあまりにも圧倒的で、その反面購入した高価な装備の恩恵はほとんど感じられない。
「何事も無く、無事に済むのが一番ですよ」
「そうですね。手を抜くのも何か違いますし」
魔昌石を回収して戻ってきた呉羽の言葉に、アストールは小さく頷きながらそう応じた。高価な装備は劣勢を切り抜けるためのものではない。むしろ、劣勢に陥らないためのものだ。それが果たされているのだから、不満を持つのは筋違いだろう。
「皆さん、疲れていませんか?」
「オレは大丈夫ですよ」
「わたしも大丈夫です。あ、でもリムちゃんは……」
「わ、わたしだって大丈夫ですよ! これくらいで疲れたりしません!」
リムは頬を膨らませながらそう主張するが、彼女を見る呉羽とカムイの目は生暖かくて悪戯っぽい。どうやらロクでもないことを考えているらしい。
「疲れたのなら、おんぶしてもらったらどうだ? トールさんに」
「はにゃ!?」
「それがいいかもな。無茶は禁物だ」
呉羽の言葉にカムイが便乗する。言葉は気遣いにみちているが、二人の態度からは隠し切れない悪戯心が漏れ出している。尤もそれに気付くだけの余裕は、今のリムにはない。彼女は顔を真っ赤にして、ソワソワと視線を彷徨わせる。そして彷徨わせていた視線が、不意にアストールのそれとぶつかった。
「私は、構いませんよ?」
そう優しげに微笑みかけられ、リムはさらに顔を赤くする。彼女はしばらく悩んでいたようだったが、やがてツンッと視線を逸らしてこう言った。
「こ、子供扱いしないでくださいっ! そ、それよりも早く行きましょう!」
顔を赤くしたまま、リムはさっさと歩き始めた。その様子は背伸びをしているようで微笑ましい。そんな彼女の背中を、三人はのんびりと追う。
お仕事は始まったばかりである。
本文中の
《しばらくお待ちください……》は、実は
《し、しばらくお待ちください……》だったりしますww




