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世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
〈侵攻〉

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〈侵攻〉6

〈侵攻〉が終わっても、〈世界再生委員会〉の幹部であるリーンの仕事は終わらない。戦果の確認やポイントの分配など、行うべき仕事は多い。さらに今回は〈騎士団〉を始め、新たに海辺の拠点にやって来たプレイヤーたちもいる。初回であったこともあるのだろうが、そのせいか今回の戦後処理にはいつもより時間がかかった。


(回数を重ねれば、慣れて時間も短縮できるんでしょうけど……)


 なんにしても疲れた、とリーンはため息を吐く。彼女がそれらの仕事を終えたときには、すでに日はとっぷりと暮れていた。彼女は重い足取りで自分のテントへ向かう。まだ夕食も食べていない。


(とりあえず何か食べて、今日はもう寝よう……)


 本当は一杯飲みたいところだが、お酒は一人で飲んでも楽しくない。そんなことを考えながら自分のテントに入ったリーンを、思いがけない声が出迎えた。


「お帰り、リンリン。お先に失礼してるわ」


「ベラ!? あなた、どうして……?」


「いい大人が子供の前でグダ巻くのもどうかと思って、ね」


 人様のテントに勝手に上がりこんでいたガーベラは、そう言って明るく笑いながらお酒の入っているコップを掲げて見せた。それを見て、リーンも思わず顔を綻ばせる。そして予定を変更し、彼女も一杯楽しむことにするのだった。


「……ベラは、今回も端っこにいたの?」


 他愛もない話をしながらお酒を飲み、ほろ酔い気分になってきたところでリーンはガーベラにそう尋ねた。


「そうよ。アストールさんたちと臨時のパーティーを組ませてもらってね。おかげで稼がせてもらったわぁ~」


「そう、良かったわね」


 ガーベラは具体的な数字は出さなかったものの、その様子から今までにない額を稼ぐことができたのだろうとリーンは予想した。彼女はこの気のいい友人がポイント不足であくせくしているのを近くで見てきたから、安堵する気持ちもまた強い。また浄化樹の数も一気に十本まで増えていたから、これでガーベラの状況も少しはよくなるだろう。外から新たなプレイヤーたちが来てくれたおかげである。


「それで、様子はどうだった?」


 表情を少しだけ真剣なものにしてリーンはそう尋ねる。そこにはいつものような諦めではなく、今までにない期待が込められていた。そしてその期待は裏切られない。


「すごいわ。素通りする数が、一気に減った。さすがに全撃破は無理だったけど、それでも八割近くのモンスターを倒せたはずよ」


 若干興奮した様子で、ガーベラはそう話す。彼女は戦いながら、どれくらいのモンスターが防衛線を素通りしていくのかにも注意していたのだが、その数は見事なまでに減っていた。


「端っこでこれなんだから、特に左翼なんてもっとすごいんじゃないの?」


「ええ。〈騎士団〉が受け持ってくれた範囲の撃破率は、ほぼ100%よ。初めての〈侵攻〉なのに、さすがだわ」


 リーンはそう言って、表情を緩めて笑顔を見せる。〈侵攻〉後に彼女がこのような表情を見せるのは初めてのことだ。それくらい、外からプレイヤーが来たこと、つまり戦力が充実したことの効果は絶大だった。


 これまでは防衛線全体で半分以上のモンスターを素通りさせてしまっていた。その結果、拠点周辺の土地は汚染され続け、プレイヤーたちは徐々に追い詰められていた。「援軍の来ない篭城戦」という表現からも、その絶望的な状況が窺える。


 しかし今回、概算ではあるが八割以上のモンスターを倒すことができた。撃破率が四割近くも向上した計算になる。さらに回数を重ねれば、今後の撃破率はさらに向上するだろう。希望の持てる戦果、と言っていい。


「これでどうにか、現状維持の目途が立ったわ」


 リーンはそう言って安堵の表情を見せた。現状維持の目途が立てば、そこから少しずつ状況を好転させていくことができる。要するに、ようやくゲームクリアに向けて動き始めることができるのだ。


「アタシもそろそろ、浄化樹を地に下ろそうかしら?」


 ガーベラもまた、明るい声でそう展望を語った。〈侵攻〉の際、防衛線を素通りするモンスターの数は大きく減った。次のステップに進むには、いい頃合かもしれない。


「ところで、ベラはこのまま、アストールさんたちとパーティーを組むの?」


 リーンがそう言って話題を変える。今までガーベラはソロだったわけだが、今日は彼らと臨時パーティーを組むことができた。手応えがあったのであればそのまま正式なメンバーに、という話になってもおかしくはない。


「あ~、どうかしらねぇ~」


 しかしガーベラは苦笑して答えをぼかした。そんな友人を見て、リーンは怪訝な顔をする。


「どうしたの。なにか不満でもあった?」


「まさか。不満なんてないわ。ただ、アタシはここから動けないからねぇ~。あの四人は、たぶんここでじっとなんてしていられないわ」


 その言葉に、リーンは不思議とすぐに共感することができた。ゲームクリアのために、あの四人にはできることが多くある。そんな彼らを、ここに縛り付けてしまうのは忍びない。そんなガーベラの気持ちを、リーンはよく理解できた。


「そうね……。彼らは、少しここを離れた方がいいかもしれない……」


 リーンの声に、僅かばかりの険が混じったことを、ガーベラは聞き逃さない。少しだけ語気を鋭くし追及した。


「どういうこと?」


「……彼らは大量のポイントを保有しているわ。それを、嫉むわけではないのでしょうけど、利用することを考えているプレイヤーは少なくないわ。〈世界再生委員会〉の内部でも、ね」


 どこか自嘲気味に、リーンはそう呟いた。それを聞いてガーベラも「あ~、なるほど」と納得の表情を浮かべる。実のところ、その恩恵を最も受けているのは彼女だろう。その自覚があったので、彼女はあまり偉そうなことはいえなかった。


「だけど、明確なビジョンもないままにポイントを強請っていたら、それは寄生であり依存よ。あまりにも一方的な関係だわ。健全じゃない」


「リンリンは真面目ね」


 少し呆れたように、ガーベラはそう言った。しかしその言葉にはしっかりと温かみがあり、聞いていて嫌味がない。


 リーンは〈世界再生委員会〉の幹部にして会計係である。その彼女がカムイらのもつ大量のポイントを、つまり潤沢な資金を欲しくないわけがない。しかし一方的にポイントを強請るような真似をすれば、彼らはきっとここから出て行ってしまうだろう。そうなればここにいるプレイヤーたちは移動の、撤退の手段を失う。それは最悪の結果だ。


「だけど、全てのプレイヤーがそれを理解しているわけじゃないんでしょう?」


「ええ。今のところ、懇親会のこともあって彼らに対する心象は好意的よ。だけど大量のポイントを持つ彼らは明らかに浮いている。この先どうなるかは分からない」


 人の心ほど予測しにくいものはないもの、とリーンはこぼした。その言葉にガーベラは苦笑しながら頷いて同意する。


「なにか、手を打つ必要があるかもしれないわねぇ……」


 拠点にいるプレイヤーたちとの間に軋轢を起こさせず、しかしカムイら四人をここに留めておけるような、そんな方策を考える必要がある。


「まあ、難しいことは後で考えましょう。せっかく飲んでいるんだし、ね?」


「はは、そうね。こんなときまで仕事してたら、せっかくのお酒が不味くなっちゃうわ」


「そうそう。お酒は楽しく飲まなくっちゃね」


 カンパ~イ、と言って二人は意味もなく互いのコップを触れさせた。


「……そういえば、クレハちゃんなんだけどね」


「クレハちゃんって……、確かあの黒い髪の娘よね? あの子がどうかしたの?」


「リンリンのこと、本当にリンリンだと思っているみたいよ?」


 それを聞いて、リーンが咽る。


「はぁあ!? そ、それってつまり、私のプレイヤーネームが【Lean(リーン)】じゃなくて【RinRin(リンリン)】だと思っているってこと!?」


「そういうこと」


 ガーベラがニヤニヤしながらそう答えると、リーンは額に手を当てて嘆息した。


「勘弁してよ……。なんでそんな勘違いを……」


「いや~、どうもアタシが“リンリン”って呼んでるのを聞いて、それが名前だと思ったみたいなのよねぇ~」


「ベラのせいじゃない!? と、というか、アストールさんとカムイ君は? あの二人にはちゃんと【Lean(リーン)】と名乗ったはずよ?」


「愛称を使っていると思っているのか、それとも面白がって放置しているのか。どっちにしても訂正する気配はないわね」


「ああ、もう……」


 呻きながらリーンはコップの中身を飲み干す。ヤケ酒である。


「いいじゃない、“リンリン”。可愛くって」


「三十過ぎて可愛いだなんて、イタイだけよ」


 ムスッとした顔で唇を尖らせながらリーンはそう応じた。そんな彼女のコップにガーベラは苦笑しながらお酒を注ぐ。女二人の飲み会はもう少し続いた。



 ― ‡ ―



 カムイらが初めての〈侵攻〉を凌いだ次の日のお昼頃、お昼ご飯を食べていた彼ら四人のところへガーベラがやって来た。曰く「リンリンに頼まれて呼びに来た」のだそうだ。特に断る理由もなかったので、四人は彼女の後について〈世界再生委員会〉のテントが張ってある一画へと向かった。


「ようこそ。呼び出してしまって、申し訳ありません。どうぞ座ってください」


 一番大きな天幕の中に入ると、そこにはロナンとリーン、そしてデリウスがいた。ロナンに勧められて、カムイら四人はイスに座る。テーブルを挟んで三人の向かい側だ。ちなみにガーベラはその横で立ったままだった。


「昨日はお疲れ様でした。初めての〈侵攻〉はいかがでしたか?」


「驚きました。あんなにたくさんのモンスターを見たのは初めてです」


 にこやかな表情でそう答えたのはアストールだ。それを聞いてロナンは「それは良かった」と笑顔を浮かべる。それから彼は少し表情を引き締めてこう言った。


「今日は、皆さんに少しお願いがあって、こうしてご足労頂きました」


「一体なんでしょうか?」


 アストールがそう尋ねると、ロナンは隣に座るリーンにチラリと視線を向ける。彼女は一つ頷くと、説明を引き継いでこう言った。


「外部から〈騎士団〉をはじめとするプレイヤーの方々がいらしたことで、この拠点の防衛力は劇的に向上しました。それは昨日の防衛戦の結果にもはっきり現れています。敵撃破率は八割以上。さらに今後、経験を積むことで撃破率はさらに向上するものと見込まれます。


 この結果を持って、私たちは現状維持の目途が立ったと判断しました。よってこれから考えるべきは、ゲームクリアに向けた具体的な方策となります。しかし我々には、あまりにも情報が足りていません。そこであなた方には、拠点周辺の偵察を行ってきてもらいたいのです」


 そう言ってリーンは一枚の地図を取り出した。アイテムショップで買えるもので、呉羽も同じものを持っている。最初は白紙だが、この地図を持った状態で移動すると、移動した範囲が地図に記載されていくのだ。ちなみに拡大や縮小も可能である。


「この地図は、〈世界再生委員会〉で購入したものです。現在この地図に記載されている範囲は、おおよそこの拠点から日帰りできる範囲と考えていただいて結構です。このさらに外側の範囲を埋めてきてもらいたい、というのが皆さんへの依頼内容です」


 リーンの話を聞くと、アストールは「ふむ」と頷いて少しの間考え込んだ。それからおもむろに口を開いてこう言った。


「幾つかお尋ねしたいことがあるのですが、いいでしょうか?」


 リーンが「どうぞ」と答えると、アストールは「ありがとうございます」と言ってから質問を始めた。


「まず一つ目ですが、デリウスさんがここにいるということは、この依頼には〈騎士団〉も一枚噛んでいる、と考えていいのでしょうか?」


「そうだ。我々の地図も同じようにして持っていってもらいたいと考えている」


 デリウスがそう答えるのを聞いて、アストールは「なるほど」と応じた。地図をもう一枚持っていくだけなら、大した負担にはならない。


「次に二つ目ですが、どの程度の範囲を考えておられるのでしょうか? 『この世界をくまなく巡れ』というような規模の話になると、さすがに尻込みしてしまうのですが」


 アストールは冗談めかしてそう尋ねた。その下手な冗談にロナンは少しだけ笑ったが、リーンとデリウスは少しも笑わない。


「範囲としては、この拠点を中心に半径50km程度、徒歩であれば片道一日~二日程度の距離ですね、それくらいを想定しています。もちろん、海は含みません。時間がかかることが予想されますので、何度か途中経過を報告しに来ていただければ、と思います」


 そう答えたのはリーンだ。この範囲を一度に探索しつくすのは無理があるから、何度か海辺の拠点に戻ってくることになるだろう。そういう時に途中経過の報告に来てくれればいい、と彼女は言った。


「……なるほど。それで、三つ目です。私たちに頼もうと思った理由はなんですか?」


 アストールはそう尋ねる。それに答えたのもリーンだった。


「現状維持の目途が立ったとはいえ、戦力的にはギリギリです。防衛の中核となる〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉からメンバーを出すわけにはいきません。また探索がメインになるので、モンスターを倒しているだけでは、その間十分なポイントを得られないことが考えられます。


 それで、『抜けても防衛戦への影響が小さく、短時間で十分なポイントを得られる』ことを条件に選考を行った結果、あなた方が最適であると判断しました」


「加えて、瘴気濃度のこともある」


 リーンに続くようにして、デリウスがそう付け加える。瘴気濃度が高いために探索が十分に行えないのでは意味がない。それで高濃度瘴気のなかでも行動する術をもつカムイら四人が選ばれたのだ、と彼は言った。


「なるほど……。では最後ですが、我々のメリットは何でしょうか?」


 アストールは声の調子を変えずにそう尋ねた。クエストにしろ仕事にしろ、人に何かを頼むのであれば、それに見合う報酬があってしかるべきだ。そして多くの場合、金銭ポイントがその報酬となる。


 しかし〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉が、カムイら四人が納得できるだけのポイントを用意できるかは疑問だ。例えば100万Ptを提示されたとしても、彼らにしてみれば一日分未満でしかない。ならば面倒な依頼など受けず、自分たちでポイントを稼いでいた方がいい。


 リーンは彼らが一日にどれほど稼げるのか、具体的な数字は知らない。しかしガーベラからも話を聞いていたので、彼らを納得させるだけのポイントを用意することが難しいのは分かっていた。


 それで、アストールからメリットについて尋ねられた彼女は、思わず眉間にシワを寄せて口ごもった。その質問を予想はしていたものの、しかし答えは用意できていなかったのだ。


「……では、“借り”というのはどうでしょうか?」


 黙ってしまったリーンの代わりに、ロナンが穏やかな声でそう答えた。テーブルの向かい側に座る四人の視線が彼に集まる。彼は一つ頷いてからさらにこう続けた。


「恥ずかしながら、あなた方に報酬としてお支払いするだけのポイントを、私たちは持ち合わせていません。ですから今はその分を“借りて”おきます。いずれ返しますので、今はこれで納得していただけませんか?」


「“返す”というのは、どのような形で返していただけるのでしょうか?」


「妥当と思えるならば、どのような形でも。ポイントを望まれるのならポイントを、人手が欲しいのなら人手を。その時の我々に可能なことならば、最大限応じましょう」


「なるほど。私たちにしてみれば、“貸し一つ”と言うわけですね……。デリウスさんも同じ条件でよろしいのでしょうか?」


「ああ、構わん」


 少しぶっきらぼうに、デリウスはそう答えた。それを聞いてアストールはもう一度「なるほど」と言って頷き、そして今度は視線をカムイたちのほうに向けた。


「と、言うことらしいのですが、どうでしょうか?」


「どうでしょうか、と言われても……。少し曖昧過ぎませんか? その、報酬が“借り”というのは」


 少し困ったような顔をしながらそう言ったのはカムイだった。借り、カムイたちにしてみれば貸し、というのは酷くつかみどころのない言葉だ。極端な話し、返してくれるかはロナンやデリウスの胸一つである。「妥当ではない」とか、適当な理由をつけて踏み倒されるかもしれない。そんな不確かなものが報酬というのは、やっぱり納得できない部分があった。


「トールさんは、どう思っているんですか?」


 カムイの次に呉羽がそう尋ねる。それに対し、アストールはこう答えた。


「カムイ君の言うとおり、報酬が“貸し一つ”というのは、確かに不確かで曖昧です。ですがゲームクリアのためには、ここでじっとしていても仕方がありません。どうしても動く必要がありますし、それなら拠点周辺の探索から始めるというのは妥当なところでしょう。


 ですから、これは私たちが自分達のために動くのであって、この依頼はそのついでと考えれば、それで〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉に貸しを作れるのは、悪い話ではないと思いますよ」


 アストールにそう言われ、カムイは少し考え込む。彼の言うことも分かる。ただ、なんだかいいように使われているような気がして、それが少し気に入らない。こういう部分を理性で抑えられないのは、まだ自分が子供だからだろうか。そんなふうに思い、カムイはちょっと悔しい気分になった。


 ふと、カムイが視線を上げると、アストールと目があった。すると彼は悪戯っぽい笑みを浮かべる。それを見て、カムイは彼の言葉を思い出した。


『恩は売れるときに売っておくものですよ。いずれ利子つきで返してもらうとしましょう』


 その言葉を思い出して、カムイは何だか身体の力が抜けたような気がした。


「……借りを返してもらうときには、もちろん利子付きですよね?」


「はは、あんまりぼったくらないで下さいね」


 カムイの問い掛けに、ロナンはそう答えた。冗談めかしてはいるものの、肯定の返答だ。それを聞いてカムイは腹を決めた。


「オレは、この依頼を受けてもいいです」


「わたしも特に異論はありません」


「トールさんがそう言うのなら……」


 カムイに続いて呉羽とリムも賛成の意思を示す。それを聞いてアストールは笑みを浮かべながら一つ頷くと、ロナンのほうに向き直って四人の総意を答えた。


「聞いての通りです。この依頼、お受けしましょう」


 アストールのその言葉を聞いて、ロナンも笑みを浮かべた。リーンは安堵したように息を一つ吐き、デリウスも満足げに一つ頷く。


 その後、この依頼に関しての契約書が作成された。契約書は三通作成され、〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉、そしてカムイらのそれぞれで一通ずつ保管する。名前は、ロナンがギルドマスターの、デリウスが団長の肩書きで署名し、カムイたちは全員が契約書に名前を書いた。ちなみに、判子などという気の利いたものはないので、全員指に朱をつけて拇印を押した。


(知らない文字なのに読める……。不思議な感覚だ……)


 契約書に目を通しながら、カムイはそんなことを思った。契約書の書面を書いたのはリーンであり、几帳面で綺麗な文字というのは何となく分かる。ただ出身世界が違うので、当然その文字はカムイの知る漢字やひらがな、あるいはアルファベットやハングルなどとはまったく似つかない。恐らく、文法なども違うのだろう。


 しかし、それでも読める。いや、発音が分かるわけではないから、読めるというのとは少し違う。文面を目で追えば、その内容がちゃんと理解できるのだ。それは今までにない感覚だ。


(そういえば、ヘルプさんが言ってたな……)


《全てのプレイヤーには自動翻訳能力が与えられています。それで話している言葉が分からない、ということはありません》


 思えば、アストールやリムも、話している言語は彼らの世界の言語であるはずなのだ。それでもコミュニケーションに支障はない。そのため逆にこれまで自動翻訳能力を意識することはなかったのだが、このとき初めてカムイはこの能力の恩恵を強く意識した。


 契約書の作成が終わると、アストールがロナンやデリウスと握手をしてこの会談は終わった。それからカムイら四人は二枚の地図を受け取ってからテントの外に出た。出発はいつでもいいと言われたので、これからゆっくりと準備をするつもりである。


「……そういえば、ガーベラさんはどうするんですか? その、〈侵攻〉の時とか」


 カムイたちと一緒に外に出てきたガーベラに、呉羽が躊躇いがちにそう尋ねた。四人がこの拠点を離れれば、次の〈侵攻〉の時にガーベラはまた一人で戦わなければならない。呉羽はそれを心配していた。


「ああ、それなら大丈夫よ。アタシ、リンリンに頼んで〈世界再生委員会〉に入れてもらったの。さっき貴方たち呼びに行ったのが最初のお仕事ってわけ」


 ガーベラは明るい声でそう答えた。それを聞いて、アストールが「おや?」という顔をする。


「もしや、浄化樹を地に下ろすことにしたのですか?」


「そうよ。大正解」


 戦力が充実したことで、〈侵攻〉の際に防衛線を素通りするモンスターの数は大幅に減った。それで、ガーベラは浄化樹を地に下ろすことにしたのだと言う。


 ただ、それだけならばガーベラが〈世界再生委員会〉に入る理由にはならない。彼女がそこに入ることにしたのは、地に下ろした浄化樹を守るためである。モンスターから、ではない。プレイヤーから、である。他のプレイヤーたちから余計なちょっかいを出されないようにするために、彼女は〈世界再生委員会〉というギルドの看板を利用することにしたのだ。寄らば大樹の陰、というわけである。


 そのためにガーベラは毎日、浄化樹によって得られるポイントのうち、いくらかを〈世界再生委員会〉に納めることになっている。ギルドのメンバーに、「一方的に利用されている」と思わせないための配慮だ。言ってみれば、ガーベラは彼らを用心棒として雇ったわけである。


「……地に下ろすのであれば、数を増やしましょうか? あと十本くらい」


「数を増やせるのであれば、アタシとしては大歓迎だけど……。これから色々と準備もあるんでしょう、大丈夫なの?」


 アストールの提案を聞いて、ガーベラは少し困ったような顔をしながらそう言った。前回と同じサイズで考えるなら、浄化樹をあと十本増やすためには、また2,000万近いポイントが必要になる。しかしアストールは穏やかな表情のまま一つ頷いてこう言った。


「大丈夫ですよ。厳密に日程が決まっているわけではありませんし、足りなさそうならまた稼ぎます」


 アストールの言葉に、カムイたち三人も頷いて同意した。浄化樹の数が多いほど、吸収できる瘴気の量は増え、その結果得られる配当も多くなる。特に反対する理由はなかった。


「そう? じゃあ、お願いしようかしら」


 四人が乗り気なのを見て、ガーベラも笑顔を見せながらそう言った。ただ、すぐに新たな浄化樹を創造するのではなく、まずは鉢植えを地に下ろすその予定の場所まで持っていく。とはいえ、そう遠くではない。〈世界再生委員会〉が陣取る一画から、内陸側におよそ100m程度の距離である。


 全部の鉢植えをそこまで持ってくると、次にガーベラは【植物創造(プラント・クリエト)】のメニュー画面を開いて新たな浄化樹を十本創造する。もちろん、そのためのポイントは全てカムイたちの負担(出資)だ。


 次にこれを鉢植えと一緒に土に植えるのだが、ここで呉羽のユニークスキル【草薙剣/天叢雲剣】が役に立った。草薙剣は「地を支配する」。その力を使って、地面をフカフカに耕してくれたのだ。能力の無駄遣いのような気もするが、役に立っているのだから固いことは言いっこなしである。


 地面がフカフカになると、ガーベラはスコップをレンタルして穴を掘って、そこに浄化樹の苗木や鉢植えを植えていく。カムイや呉羽、それにリムもその作業を手伝い、アストールは少し離れたところからそれを見守っていた。


「やってるわね」


 四人の作業を見守るアストールの隣に、小柄な別の人影が立つ。リーンだ。彼女もまたガーベラたち四人の作業を眺め、そして優しげに目を細めた。


「……一つ、お伺いしてもいいですか?」


 ふとアストールが隣に立つリーンにそう問い掛ける。彼の視線は作業する四人のほうに向いたままだ。そしてリーンもまた、同じように視線を彼に向けることなく、前を向いたままこう応じる。


「何でしょうか?」


「先ほどのあの依頼は、やはり私たちをここから遠ざけるための、いえ遠ざけすぎないためのものですか?」


 突出して大量のポイントを持つパーティー。それが他のプレイヤーたちの目にどう写るのか、アストールにはおおよそ察しが付く。利用しようと考えるならばまだいい。羨み嫉むのは自然な反応であろうし、中には憎む者さえいるかもしれない。


 しかもそういう感情を抱くのは、強力なユニークスキルを持ったプレイヤーたちなのだ。ふとしたはずみに衝突でもすれば、流血沙汰ではすまない。そしてその場合、不利な立場になるのは人数の少ないアストールたちだ。


 だからこそ、これまでアストールは徹底的に下手に出ていた。資金力をひけらかすことなく、むしろ大量のポイントを全体のために使った。山陰の拠点からここへ移動してくる間にポイントを支給してきたことや、ここへ来たその日の晩に懇親会を開いたことなどである。そうやって自分達の印象を良いものにして、軋轢が起こらないように努めていたのだ。


 しかし決定的な格差がそれで解消されるわけではない以上、どうしたって限界はある。擦り寄ってくるプレイヤーや目の敵にしてくるプレイヤー。そういう者たちが現れるのは、時間の問題だった。そしてそういう者たちを相手にするのは、アストールはともかく、まだ十代のあの三人は相当のストレスであろう。


 その時どうするのか。無理にここに留まる必要もない、というのがアストールの出した結論だった。幸いこの海辺の拠点の状況は、プレイヤーの数が増えたこともあり、山陰の拠点のときほど切羽詰ってはいない。アストールたちが抜けても、大きな影響はないだろう。


 どこへ行くかについては、かつてカムイに語ったように幾つか案がある。それを実行に移すときが来たのかもしれない。そう思っていた矢先の、あの依頼だった。


「距離を置いて存在感を薄めたいが、しかし完全に出て行かれるのは、いざという時の移動手段がなくなるので困る。それをどう両立するのか。なかなか上手い策だと思いますよ」


「……依頼の目的は、あくまでも拠点周辺の情報収集です。地図が白紙のままでは、計画を立てるのもままなりませんから」


 リーンは事務的な声でそう言った。アストールの指摘はほぼ図星である。しかし彼女の立場でそれを認めるわけにはいかなかった。だから決してウソではない建前で押し通す。


「そうですか。しかしどうにも擦れた見方をしてしまう。嫌な大人になったものです」


 リーンの心のうちは大よそ察していたのだろう。アストールは穏やかに苦笑を浮かべながらそう言った。それを聞いて、リーンは内心で安堵の息を吐く。


「……お互い様、ですよ。それだけ世間にもまれた、ということだと思います」


「そうですね」


 アストールが苦笑気味にそう応じるのを聞いて、リーンもまた苦笑を浮かべた。


「わたしも、一つお尋ねしていいでしょうか?」


 やはり視線を合わせないまま、今度はリーンがそう尋ねる。アストールも視線は動かさずにこう応じた。


「何でしょうか?」


「依頼の件ですが、そこまで裏を読んでいたのであれば、なぜ受けたのですか? それも、報酬を“借り”などという曖昧なもののままにしておいて」


 アストールたちが損をするものではないとはいえ、あの依頼はおもに〈世界再生委員会〉や〈騎士団〉の側の都合によるものだ。裏の事情が読めていて、さらにここを離れることも想定していたのであれば、わざわざ受ける必要もなかったように思う。


「周辺の情報が欲しいのは私たちも同じですし、歩き回るだけで〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉に貸しが作れるなら、それなりにいい話だと思ったのは本当です。あとは……、浄化樹のことですかね」


 浄化樹は、今までアストールが考えてもいなかった、世界再生に向けたアプローチである。ガーベラの【植物創造(プラント・クリエト)】を含めて、彼はこれに強い興味を持っていた。


「ここを離れるにしても、もう少し浄化樹の植樹を軌道に乗せてからの方がいいかも知れない、と思ったんです。他の拠点に行くときにその様子を、“シャシン”でしたか、それに撮っていって見せてあげられれば、また別の可能性が生まれてくるかもしれませんし」


 アストールの言葉に、リーンは頷いた。浄化樹のことを高く評価しているのは、彼女も同じだ。その植樹に協力してくれるというのであれば、〈世界再生委員会〉の幹部としても、またガーベラの友人としても、それは喜ばしいことである。しかしアストールの話は、喜ばしいことばかりでもない。


「……やはり、いずれはここを離れるおつもりですか?」


「ええ、いずれは。ただ、ここでできることもまだ多くあるというのも、分かっているつもりです」


 それを聞いて、リーンは少しだけ安心した。この拠点の居心地が極端に悪くならない限り、アストールらが早々にここを離れてしまうことはないだろう。少なくとも、彼女はそのように理解した。そしてそれが分かれば今は十分だった。


「ああ、終わったようですね」


「そのようですね」


 二人の視線の先では、二十本の浄化樹が地面に植えられて、十本ずつ二列に整然と並んでいる。その光景は世界再生の小さな一歩のように思えた。



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