ゲームスタート2
好奇心、猫を殺す
孤独、人を殺す
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《それではこれからプレイヤー【Kamui】を異世界に転送します。あなたのご活躍を期待しています》
お世話になったヘルプさんの、相変わらず機械的なその声が響くと、カムイは白い光に包まれた。その瞬間、彼はエレベーターが上昇するときのような浮遊感を覚え、さらに意識がふっと遠のく。
だがそれも3秒に満たない短い時間のこと。すぐに彼は足の裏が地面に触れるのを感じ、次にエレベーターが止まるときのようなある種の重苦しさを覚えた。とはいえ、気になるほどでもない。彼はゆっくりと目を開けた。
カムイが目を開けたとき、彼の身体はまだ白い光に包まれていた。身体は動かず、視界もまだ利かない。どうやらまだ転位が完了していないらしい。そう思い、彼ははやる心を抑えながら転位の完了を待った。
やがて徐々に光が弱くなり、そしてついに完全に消える。その瞬間、猛烈な吐き気がカムイを襲った。
「が……!? おえぇ……!」
カムイは四つん這いになって倒れこみ、右手で口元を押さえる。しかし吐き気を抑えることはできず、彼はついに胃の中のモノを吐き出した。ただ、もともと大層なものは入っておらず、出てくるのは胃液ばかりである。
一度吐いたにも関わらず、カムイの吐き気は一向に収まらなかった。彼は四つん這いのまま荒い息をして、何とか頭を働かせる。
(これが……、「瘴気」ってやつなのか……!?)
ヘルプから聞いていた瘴気という存在。この猛烈な吐き気の原因として、それ以外に思い当たる節はない。
(だったら……)
カムイの脳裏に現状の打開策が閃く。瘴気がゲーム攻略の上で障害になるであろう事は織り込み済み。その対策も、あの初期設定で出来る限り講じてきた。少なくとも、彼はそのつもりでいる。
「アブ、ソープ、ション……、発、動……」
瘴気への対策も兼ねて考えたユニークスキルを、ヘルプに教えてもらった方法で発動させる。そして次の瞬間、カムイはつもりがつもりでしかなかったこと、つまり自分の見込みが甘かったことを思い知らされた。
「がああああああぁぁあ!!?」
カムイが悲鳴を上げる。彼が設定した自身のユニークスキル【Absorption】は確かに発動した。そしてそのスキルは規定された能力に従い、周りの瘴気を集めて吸収し、マスターであるカムイの力としている。そしてそれこそが、瘴気と合わせて彼に二重の苦痛を味わわせていた。
能力が強力すぎる、つまりカムイに注ぎ込まれていく力が強大すぎるのだ。彼の身体の中でとぐろを巻くその力は、まるで沸騰したマグマのようだった。膨大で今にも爆発しそうなそのエネルギーが、方向性を与えられない、つまり使って消費されないために彼の身体の中にたまり続けていく。
「停止! 停止!」
カムイはほとんど反射的にそう叫んだ。すると彼の願いどおり、アブソープションのスキルが停止し、瘴気の吸収が止まった。しかし彼の身体の中に膨大なエネルギーが注ぎ込まれたことに変わりはない。そのエネルギーは変わることなく彼の中にあり、そして彼を苦しめ続けている。
まるで、身体の中で火山の噴火が立て続けに起こっているかのようだ。身体の内側から殴られたかのような衝撃が続き、さらに節々には絶え間なく激痛が走っている。皮膚にちょっとでも傷が付けば、そこから全てのエネルギーが噴出して身体が破裂してしまいそうだった。
(このままじゃ……)
痛みと吐き気で朦朧とする意識の中、カムイはなんとか頭を働かせて思考する。このままでは死ぬ。死んでしまう。頭はうまく働かないが、それだけははっきりと分かった。
(そう、か。死ぬ、のか……)
死が目の前に迫る現実は、むしろ彼を冷静にした。死とは彼にとって忌避するものではない。むしろ彼は、このゲームが始まる前の間ずっと、死にたいと願いしかし死ぬことすらできずにいたのだ。
その頃の彼にとって、死とはむしろ救済だった。そればかりを願っていた、と言っていい。そしてその価値観は、ゲームが始まったばかりの今もまったく変わっていない。最悪死ぬだけなら、いっそ救われる。彼はそんなふうにさえ思っていた。
死ぬことは、怖くない。それは今も同じだ。だけどあの頃とは少しだけ違う。今の彼は、決して死にたいとは思っていなかった。
カムイには叶えたい願いがある。しかしその願いが叶いそうになかったからこそ、彼はずっと死にたいと思っていたのだ。だがこのデスゲームをクリアすればその願いは叶う。少なくともその可能性がある。その可能性を、ゲームが始まったばかりの今ここで捨ててしまうのは、やっぱり惜しかった。
(何とか、まず、この“力”を外に出さないと……)
そうすれば、身体は今よりは楽になる。吐き気は消えないだろうが、しかし吐き気だけならまだなんとかなる。ただそのためにはどうすればいいのか。
(イメージ、しろ……)
意識が朦朧とする中、カムイは自分にそう言い聞かせる。彼が魔法を使うコツを尋ねたとき、ヘルプさんは「イメージを明確に持つことです」と答えた。彼は今、魔法を使おうとしているわけではないが、彼の内側で暴れるこの力は間違いなくファンタジー的なものだ。ならばその力を制御するために、魔法を制御する方法論は有効なはず。彼はそう考えた。
彼が真っ先に思いついたのは、この力を口から吐き出すイメージだ。さっき嘔吐しただけあって、それをイメージするのは簡単だった。腹の奥からせり上がり、食道を通ってそして口から外へ……。
「があぁ!?」
カムイはイメージ通りに、身体の中に溜まったエネルギーを口から外に吐き出すことには成功する。しかしその結果は彼のイメージを斜め上に突き抜けていた。吐き出されたエネルギーの量が、やはり膨大だったのだ。
多量のエネルギーを吐き出したことで、その反作用が働いたのだ。その衝撃が四つん這いになっていたカムイの頭が、そしてそれにつられて身体が、跳ねる。ある意味、ロケットがエンジンを吹かして飛翔するのと同じ現象だ。
カムイは吹き飛ばされてもんどり打って引っくり返り、腰と続けて後頭部を地面にしたたか打ちつけた。しかし、むしろこれでよかったと言わねばなるまい。もし無理に踏ん張っていたら、衝撃の負荷が全て頚部に掛かり、骨が折れていたに違いない。
尤も、そのような事は今の彼に分かるはずもない。彼は蹲りながら打ちつけた腰と後頭部を摩ってその痛みに耐える。ただ、ともかく身体の中のエネルギーを外に吐き出すことには成功したらしい。力はまだ身体の中に残っているのを感じるが、しかしその勢いは明らかに弱くなっていた。
(よし……、次は……、うえぇ……)
全身の激しい痛みはなくなったが、しかしその反面、それによって誤魔化されていた強烈な吐き気が再び彼を襲う。次はこの吐き気を、つまり瘴気を何とかしなければならない。
(アブソープションで……、いや、ダメだ……)
それでは同じことの繰り返しになる。別の方策が、それも早急に必要だった。しかし彼にはもう使える手札がない。
(手札がないなら……)
手持ちの手札がないのなら、新たな手札を生み出すしかない。ヘルプさんは「ゲーム開始後、システム的にスキルを増やすことはできません。ただし、全てのプレイヤーにはその分のポテンシャルが与えられています」と言っていた。ならこの危機を脱するための、スキルに相当する力を身につけるだけのポテンシャルが、カムイにも与えられているはずである。
(そのポテンシャルに、賭けるしかない……!)
イメージしろ、とカムイは再び自分に言い聞かせる。生み出すべきはこの世界で生き残るための能力。瘴気を防ぎ、この世界の危険を排除して身を守り、アブソープションで取り込んだ力を消費して発動する、彼の新たな能力だ。
カムイの脳裏にまず閃いたのは、先程この世界に転位してきたときに彼の身体を包んでいたあの白い光だ。あの光に包まれていたとき、彼は瘴気の影響を受けていなかった。それで、彼はその状態をイメージして再現しようとする。しかし上手くいかない。
(身体の中の力が……)
アブソープションで取り込んだ力。その力が思うように動いてくれない。まさにとぐろを巻いたまま、彼の意思など知らぬ素振りで居座っている。
カムイはアブソープションのスキルを使って瘴気を吸収した。そうやって彼の中に取り込まれた力は本当にマグマのようだった。ドロリとしていて動きが鈍く、触れるもの全てを燃やし尽くすような、凶悪で膨大なエネルギー。けれども彼がいま新たに発現させようとしている能力の、その燃料とできるのはこれしかない。何とかして制御して見せるしかないのだ。
(ま、失敗してもどうせ死ぬだけだ)
薄く笑いながら、彼は心の中でそう呟いた。そして目を瞑り、三度「イメージしろ」と自分に言い聞かせる。
今度のイメージは、とぐろを巻いているそのエネルギーをちょっとずつ引き出し、動かして回転させていくイメージだ。吐き気を堪え、四つん這いになりながら、カムイはそのイメージを鮮明にしていく。
能力を決めるとき、「自分の力にする」と設定しただけあって、意識さえすればそのエネルギーを動かすことは比較的簡単だった。しかしまだ届かない。まだカムイの新たな能力は発現してはいない。
(何が足りない……!?)
吐き気が酷くなる。さらには悪寒も覚え始めた。いよいよ限界が近そうである。もし意識を失えば、もう二度と目覚めることはないだろう。焦る気持ちを無理やり押さえ、彼は何が足りないのかを必死に考える。
(そうだ……、この力を外に出さないと……)
はたと、彼はそのことに思い至る。身体の内側でぐるぐる回していても効果がないのは当たり前だ。カムイがイメージしているのはそういう能力ではないのだから。
(この力を全身に行き巡らせて……、そこからちょっとずつ外に出していく……。そのためには……)
カムイはイメージを固めて方法論を構築する。そして彼はまた目を閉じ、まずは自分の心臓に意識を集中した。次にそこから全身に送り出されていく血液をイメージする。そして心臓にあの回転させておいたエネルギーを流し込み、そこから送り出される血液に混ぜ込み、そうやって全身へと巡らせていく。
全身へと送られた力は枝分かれする血管と一緒に細分化され、そして毛細血管から滲み出て一つ一つの細胞へと吸収されていく。そして最後にはさらにそこから外へとちょっとずつ放出されていく。
「ぐぅ……!」
全身から一斉にエネルギーが放出されるとき、カムイは身体が圧迫されるように感じた。口から吐き出したときと同じく、やはり反作用を受けているのだ。しかし耐えられないほどではない。彼は歯を食いしばり、発現させるべき能力を脳裏に鮮明に描いた。
全身をくまなく覆う、白い霧のような光。瘴気を防ぎ、この世界で彼が生き残るための力。アブソープションだけでは足りなかった、その欠点を補うための新たな能力。
イメージしろ、イメージしろ、イメージしろ……。
カムイは目を瞑りながら、何度も自分にそう言い聞かせた。その言葉を繰り返すたびに、彼が脳裏に描くイメージは鮮明になっていく。そして何十回目かに「イメージしろ」と唱えたとき、彼は悪寒が治まり、すぅっと吐き気が消えていくのを感じた。
カムイはゆっくりと目を開ける。彼の目にまず入ったのは、地面に付いた自分の手だった。そしてその手は彼がイメージしたのと同じ、白い霧のような光だ。白くて細かい粒子が淡く輝きながら、彼の手を優しく包み込んでたゆたっている。
「はは、は……」
思わず、笑い声がこぼれた。カムイは身体を起こして膝立ちの状態になると、輝く白い霧に覆われた両手を目の高さに掲げる。改めてまじまじと輝く白い霧がたゆたう様子を見て、彼は一気に溢れんばかりの笑みを浮かべた。
「成功し、た……!?」
思わず彼は両手を握り締め、控えめながらも喜びを表現した。そして笑みを浮かべたまま、今度は立ち上がって身体を見下ろし、全身の具合を確かめる。
カムイがイメージした通り、輝く白い霧は彼の全身をくまなく包み込んでたゆたっている。重さはまったくない。まるで本当の霧のようだ。さっきまで感じていた全身の圧迫感もなく、むしろふわりとした開放感がある。身体が軽くなったようだった。さらに春の日差しを浴びたときのように、全身がほのかに温かい。
「すううぅぅぅ……、はあぁぁぁ……」
カムイは深く深呼吸してみたが、先程までのような吐き気を覚えることは全くない。むしろすこぶる気分は爽快だった。本当にこの輝く白い霧が瘴気を防いでくれているのだ。発現した能力が本当にイメージした通りの力を持っていることを確かめると、彼は「よし、よし」と言って満足げに何度も頷いた。
「でもこれ、なんか霧って感じじゃないよな……」
輝く白い霧に覆われた自分の手を眺めながら、カムイはそう呟いた。霧というよりは、もっと神秘的で荘厳なものを感じる。だから霧というよりはむしろ、〈オーラ〉とでも呼ぶべきであるように彼は思った。
「オーラ……。うん、いいな」
相応しい言葉が見つかり、カムイは満足げにもう一つ頷いた。そして今度は身体の内側に意識を向ける。アブソープションで取り込んだあのマグマのような力は、心臓を起点に血液と混ぜ合わされ、順調に全身へと巡らされている。そして血管を通りながら細分化され、全身の隅々へと行き巡ったその力は、身体の外へと滲み出るようにして放出され、オーラとなって彼の身体を包み込んでいる。
その一連の流れを一度鮮明にイメージして発現させたおかげなのか、身体の中のエネルギーの流れはカムイの意志を離れても、再びとぐろを巻いたりはしなかった。血液の流れと同じように、このエネルギーの流れもまた自律的になっている。いちいち気にしなくてもいいのはありがたかった。
ただ体内で循環している血液と違い、このエネルギーは少しずつ体外へと放出されている。そのため体内のエネルギーは少しずつ減っており、いつかはこのオーラも消えてしまうだろう。
「ま、そん時はまたアブソープションを使えばいいさ」
カムイは気楽な調子でそう言った。エネルギーが無くなるのなら、また補給してやればいいのである。つまり彼はアブソープションの能力と組み合わせることで、このオーラを半永久的に使い続けることができるのだ。
もっとも、そうでなければ瘴気に犯されてたちまち身動き取れなくなってしまうだろう。それではゲームの攻略どころの話ではない。つまり今ようやく、カムイはゲームを開始するための必要条件を揃えたのである。
「ようやくゲームを始められる……!?」
ようやく一息付こうとしたカムイ。しかし時々刻々と進む状況は、彼にそれを許さない。彼が一瞬気を抜いたその瞬間、まるで鈍器で殴られたかのような鈍い衝撃が彼の背中を襲った。
「ガッ……!?」
不意打ちをくらったカムイは、前のめりになってたたらを踏む。しかし何とか堪え、倒れることはなかった。
(なんだ!?)
カムイは慌てて背後を振り返る。するとそこへ黒いムチのようなものが左右から立て続けに襲い掛かった。
「くっ……!」
カムイは反射的に両腕で頭を庇う。ガードは何とか間に合った。連続した衝撃が彼の身体の左右に叩き込まれる。重い衝撃だ。彼は身体をふらつかせたが、しかし足を踏ん張って何とか堪えた。
左右からの殴打が収まると、カムイはさらなる攻撃を警戒しつつ両腕を下げた。そしてゆっくりと視線を上げる。その視線の先で彼が見たのは、想像もしていなかった、しかしある意味で予想通りの存在だった。
そこにいたのは全身真っ黒で不気味な存在だ。まるで影が起き上がって動き始めたかのような、そんな見た目である。そんな真っ黒な体躯の中、目と思しき二つの赤い光点が禍々しい光を放っている。
その影のフォルムは人型だった。身長は170センチ程度か。ただし「人に似た形」をしているだけであって、間違っても「人の形」ではない。足の指は凶悪な鉤爪状態で、一方だらりと伸ばされた、身長と同じほどの長さもあるその長い腕には指そのものがない。細くなった腕の先端は霞がかかったようにぼやけていて、その腕の全体的な様はムチか触手を連想させた。
「モン、ス、ター……?」
カムイは半ば呆然としながらその単語を呟く。その単語は、彼が持つ知識の中で、目の前の存在を端的に表現する単語であるように思えた。
モンスターといえば、あらゆるゲームでお馴染みの存在と言えるだろう。しかしこうして直接相対し、さらには襲い掛かられたことは、もちろんカムイにとって始めての経験である。「ようやくゲームらしくなってきた」と言えるかもしれないが、もちろんこの時の彼にそんなことを考える余裕はない。
「ギィ、ギギ……」
カムイの呟きが聞こえたのか、モンスターは耳障りな声を発しながらその赤い目を彼に向けた。一瞬、その顔が僅かにブレる。それはまるでモンスターが嗤ったかのようで、ないはずの口が「ニイィ」と大きな三日月の形に歪められたようにカムイには見えた。
その次の瞬間、モンスターはだらりと伸ばしていた両腕を大きく振りかぶる。そしてまさにムチを振るうようにしてその長い腕を振るった。
カムイとモンスターの間には大きな間合いがあった。だからモンスターの腕が長かろうとも、ただ振るっただけでカムイに届くことはないはずだった。しかしその振るわれた腕が“グンッ”と伸びる。そして伸びた腕は、確実にカムイをその間合いに捕らえている。
「危な!?」
反射的にカムイは後ろに飛び下がる。誰も居なくなったその場所を、黒い影が通り抜け、そして地面を強かに打ちつけた。ドゴッという鈍い音が響き、その場に転がっていた石が粉砕される。思いがけず強力なその威力に、カムイは冷や汗が流れるのを感じた。
(あんな威力でボコスカ殴られてたのか……)
しかしその割にはダメージが少ないようにカムイは思った。あれだけ何度も打ち据えられたにも関わらず、痛みはもう引いているし、身体の動きにも違和感はない。それどころかむしろ身体はよく動く。実際、今だって後ろに飛び下がったわけだが、そうやって取った距離は目算で3メートル以上。異常な身体能力と言っていいだろう。何か、特別な力でも働いているかのようだった。
(これが、このオーラの力なのか……?)
それ以外、彼に思い当たる節はない。確かに彼はこの能力をイメージするときに「この世界の危険を排除して身を守る」ことを条件に入れた。そのイメージはしっかりとこの能力の中に反映されているようだ。
カムイがまた一つ自分の能力に手応えを感じていると、その視線の先でモンスターが動いた。少し前かがみになって身をかがめたかと思うと、そのまま一気に前に出てきたのである。
「ギギィィィイイイ!!」
モンスターの、鉤爪状の鋭い足の指が地面をしっかりと捕らえる。そしてそのまま、モンスターは身を乗り出すようにして加速しながらカムイに迫った。そして身体を大きく捻るようにして、そのムチのような両腕を振るう。
カムイは、今度は横に大きく跳んでその攻撃をかわした。若干、動きすぎる自分の身体に振り回されているようにも思うが、今はそんなことを気にしている場合ではない。今はまず、この状況を脱することが最優先だった。
(このモンスターを倒せばいいんだろうけど……!)
頭を狙うように振るわれた腕を、カムイは低く屈んでかわす。「武器が欲しい」と彼は思った。そしてハッとしてそれに思い至る。
(そうだ、初期設定で選んだショートソード!)
すっかり忘れていた武器の存在を、カムイはこの時ようやく思い出した。そしてまた振るわれる腕を大きく動いてかわしながら、彼は自分の腰周りを探る。
「あった!」
歓声を上げ、カムイは腰に吊るしてあったショートソードを引き抜く。彼が初めて目にするその本物の剣は、刃渡りがだいたい40センチくらいのシンプルなデザインをしていた。
そのショートソードをカムイは右手に持って構える。不恰好な、素人丸出しの構えだ。しかしそれを指摘する第三者はこの場にはいないし、また彼自身にもそんなことを気にする余裕はない。ムチのようにしなって襲い掛かってくる二本の腕を、今度は避けようとはせずにしっかりと見据え、タイミングを合わせてショートソードを左右に振るって打ち払った。
(よし……、戦える!)
重い手応えに、カムイは自信を深めた。そしてさらにもう二度三度と、ムチのように振るわれるモンスターの腕をショートソードで打ち払う。そうやってタイミングを計りながら、彼は攻めに転じる好機を待った。
「今だっ!!」
モンスターの腕を大きく打ち払う。その時、モンスターが体勢を崩した、ように見えた。それを待っていたスキと判断し、カムイはオーラのおかげなのか向上している身体能力にまかせて一気にモンスターの懐に入り込む。そしてショートソードをその黒くて靄っぽい身体に突き立て、ようとした。
「ぐがっ……!?」
あと少しでショートソードの切っ先がモンスターに届こうかと言うまさにその時、カムイは突然腹部に重い衝撃を受けた。そして身体をくの字に折り曲げながら彼は吹き飛ばされる。着地にも失敗した彼はそのままもんどり返って地面の上で一回転し、それからようやく起き上がった。
「やばっ……!」
そこへすかさず、モンスターの追撃が来る。カムイはそれを反射的にショートソードで打ち払、えなかった。
バギィィィン……、と耳障りな金属音を立ててカムイの持っていたショートソードが砕け散る。砕け散ったその欠片がやたらとゆっくり宙を舞う。その様子を、彼は呆然とした眼差しで見つめた。
「がっ……!?」
カムイの視界が突然ブレる。同時に、頬に鈍い衝撃。ショートソードで受け損なった一撃が叩き込まれたのだ。彼はまた地面に倒れこんだ。そこへまたモンスターの追撃が迫り来る。彼はそれをそのまま地面を転がりながら避けた。
「クソッ……! 初期装備でファーストエンカウントの敵を倒せないってどういうことだよ!?」
ようやく身体を起こして膝立ちになると、カムイは口元を拭いながらそう叫んだ。きちんとパワーバランスを考えてデザインされたゲームならありえないことだ。「クソッタレめ」と口汚い言葉を吐きながら、カムイは刀身が折れて柄だけになったショートソードを投げ捨てる。
カムイは攻撃の手を止めたモンスターを睨みつける。するとモンスターはその赤い両目を彼に向けて、また「ギギギィ……」と耳障りな声を発した。それが、彼には嗤い声に聞こえてならない。
(馬鹿にしやがって……!)
彼の頭に血が上る。しかしここまで一方的にやられているのも事実だ。そのことを思い出すと、彼は少しだけ冷静になった。
(認めよう……)
怒りを抑え、彼はそう自分に言い聞かせる。敵は強く、自分は弱い。まずはそこを認めなければ、現状の打開はできない。
(で、だったらどうするよ!?)
再び激しく振るわれるモンスターの腕を避け、あるいは防御しながら、カムイはまた必死に頭を働かせる。
(逃げるか!?)
確かにそれも一つの手段だ。今の身体能力なら、逃げ切れる可能性も高いだろう。しかしカムイはその選択肢を切り捨てる。ゲームは始まったばかりなのだ。それなのにファーストエンカウントで逃げを選んでいたら、この先逃げ癖が付いてしまう。
(それは、マズイだろ……!)
なら、倒すしかない。カムイはそう決めて腹を据えた。どうせ、負けても死ぬだけである。それなら彼にとってはさほどのリスクではない。
(けど、実際問題どうするよ……!?)
ショートソードは失ってしまった。今のカムイは丸腰である。さらに言えばプレイヤースキル的な部分も、今は当てにならない。彼は戦闘技術はおろか、武道さえまともに習ったことはないのだ。実際、先程からモンスターの攻撃を回避しようとしているのだが、実際に回避できているのは半分程度に留まっている。
残り半分の攻撃は受けてしまっているのだが、それでもまだカムイが戦闘不能になっていないのは彼が纏う白いオーラのおかげだった。今はまだなんとか耐えることができている。しかしこれがずっと続けば、いずれは撲殺されてしまうだろう。
(このままじゃ手詰まり……! かと言って何とかできるだけのプレイヤースキルもない。だったら……)
だったらもう、後は力押しで何とかするしかない。カムイはそう腹を括ると、モンスターの攻撃が当ってしまうのも構わずに足を止めた。そして叫ぶ。
「アブソープション、発動!」
カムイは自身のユニークスキルを発動させる。この異世界に来てから二度目の発動だ。その効果はすぐに現れた。彼の身体の中に、またあのマグマのようなエネルギーが溜まっていく。
「ぐうぅ……!」
全身が押しつぶされそうな、それでいて内側から爆発してしまいそうな、そんな感覚がカムイを襲う。しかしそれも二度目。覚悟していたこともあって、彼は一度目のように悶絶してしまうことはなかった。
(イメージしろ……!)
彼はまた自分にそう言い聞かせる。そして全身を巡るエネルギーの量を、そして身体の外に放出して白いオーラに変換するエネルギーの量を増やしていく。それに伴って、彼の身体を包むオーラの量も増えていった。
吸収量と放出量が釣合ったとき、カムイはゆっくりと目を開けた。彼が自分の身体を見てみると、白いオーラの量は先程までの十数倍にもなっていた。その飛躍的に増大したオーラが、まるで白い炎のように揺らめく。
敵の攻撃はまだ続いていた。ムチのようにしなる腕が、連続してカムイに叩き付けられている。しかしオーラの量が増えてからは、彼はその攻撃に何ら痛痒を感じない。当ってもまったく痛くないのだ。まるで防弾ガラス越しにその光景を見ているかのように、危機感を覚えない。
無駄な攻撃を続けるモンスターを、カムイはしばらくの間冷たく見据えていた。やがて彼は右手を伸ばし、ムチのように振るわれるモンスターの腕を無造作に掴んだ。そしてそのまま身体をひねるようにして右手を引き、モンスターを無理やりに引き寄せる。
腕をとられたモンスターは体勢を崩してたたらを踏んだが、しかし足を踏ん張って何とか堪えた。そして腕を取り戻そうとしてカムイに対抗する。まるで綱引きのような状態になった。
ただ力比べは長くは続かなかった。カムイは捻った体をそのまま半回転させ、さらに左手でもモンスターの腕を掴む。そして彼は力任せにその腕を、引っ張るのではなく、引き千切った。
「ギィィィィイイイ!!?」
モンスターが初めて悲鳴を上げる。それを聞いてカムイは酷薄な笑みを浮かべた。暴気が、彼の中で抑えがたく膨らんでいく。彼の浮かべる笑みはどこか獣じみていて、そして間違いなく狂喜で歪んでいた。
「アアアアアアア!!」
右手の中にある、引き千切ったモンスターの腕を握りつぶして、カムイが吼える。握りつぶされたその腕は、まるで黒い霧のように解けてそのまま宙に消えた。それに気付くことさえなく、彼は暴気と狂気が浮かぶ目で敵を見据える。そして左手を放して右足を踏み込み、爆発的な加速を得てモンスターに迫った。
モンスターは残ったもう一方の腕を振るってカムイを迎撃する。彼はその攻撃をきちんと捉えていた。回避できたかはともかく、ガードすることは簡単だったろう。しかし彼はそのモンスターの攻撃をまったく無視した。その攻撃は彼に当ったが、纏う白いオーラに弾かれ、彼の足を止めることはできない。
「ダァァァラァァァアアアア!!」
叫び声を上げながらカムイは左足を踏み込んで速度を殺す。そして握り締めた右手を振りかぶり、速度分のエネルギーを上乗せして振りぬいた。
思いのほか、しっかりとした手応え。カムイの右手はモンスターのちょうど胸の辺りに叩き込まれた。威力は十分で、その一撃はモンスターを仰向けに吹っ飛ばし、そのまま地面にたたきつけた。
「まだだぁァァアア!」
すかさず追撃をかけるカムイ。彼は起き上がろうとするモンスターの頭を勢いよく踏みつけて再び地面に押し倒す。そして馬乗りになってマウントポジションを取り、声を上げながら何度もモンスターの顔を殴った。狂気に歪む、獰猛な笑みを浮かべながら。
「ギ、ギギィ……」
「耳障りなんだよ!」
少しだけ起き上がったモンスターの頭を、カムイは左手で掴んでまた地面に押し付ける。暴れて抵抗するのが伝わってくるが、押さえつける腕はビクともしない。彼は嗜虐的な笑みを浮かべると、左手にさらに力を込めた。
「ギ、ギィィ……」
モンスターが苦しげなうめき声を漏らす。それを聞いてカムイは不機嫌そうに顔をしかめた。
「耳障りだって、言ってるだろうが!?」
そう叫ぶとカムイはさらに左手に力を入れた。そして同時にモンスターの肩に右手をかける。そして左手と同じように力任せに握り締め、さらにそのまま右腕を引き寄せ、つまりモンスターの身体を、まるで紙をそうするかのように引き千切った。
「ギィィィィィイイイイ!!?」
カムイの左手の中、少しくぐもったモンスターの断末魔の叫び声が響いた。やがてその身体は、引き千切られた左腕がそうであったように、解けて黒い霧のようになり、そのまま宙に溶けて消えていく。その光景を、カムイは肩で荒い息をしながら眺めていた。
「アブソープション……、停止……」
少し疲れた声でカムイはそう呟いた。その言葉に従って、瘴気を吸収して彼の力としていたユニークスキルが停止する。するとエネルギーが入ってこなくなる代わりに、彼の中で荒れ狂っていた暴気もまた急速に鎮火していった。
「勝て、た……」
疲れてはいたものの、ある種の達成感を滲ませながらカムイはそう呟く。勝てた。逃げることなく、勝てた。死ぬことなく、勝てた。そして「勝った」という実績は、小さくとも確かな自信を彼に与えてくれる。
「ったく、なんてゲームだ。ファーストエンカウントで、いやそれ以前にこの世界に来ただけで死に掛けるなんて」
顔をしかめながら、カムイはそう愚痴る。この短時間のうちに二度も死に掛けたのだ。いくら事前にデスゲームだと警告されていたからと言っても、これは難易度が高すぎやしないだろうか。
(だけど……)
だけど、手も足もでないわけじゃない。攻略は可能だし、恐らくはそのためのポテンシャルも与えられている。あの輝く白いオーラを発現させ、そしてモンスターとの戦闘を経験したカムイはその確信を深めていた。
カムイは一つ頷く。そんな彼の身体から、オーラが消えていく。アブソープションで溜め込んだエネルギーが尽きたのだ。
「あ」
間抜けなその声を、上げる間もあればこそ。彼はまた猛烈な吐き気に襲われて屈みこんだ。
「うえぇぇぇ……」
蹲って口元を押さえる。今度は何とか吐かずにすんだ。吐くものがなかったとも言うけれど。




