〈侵攻〉5
「それにしても、アナタたちってばものすんごい稼いでるのねぇ。お姉さんちょっと羨ましいわ~」
ガーベラは半ば呆れながらそう言って苦笑を浮かべる。その隣ではリムが【植物創造】のメニュー画面を操作して、ポイントの負担を肩代わりしていた。こんな小さな女の子が自分よりもはるかに稼いでいて、しかもそのポイントにこうして頼りきっている。いい大人を自負しているガーベラとしては、悔しいやら悲しいやらありがたいやらで、なんだか複雑だった。
ガーベラたちが今やっているのは、新たな浄化樹の創造、ではない。【植物創造】には創造した植物の成長を制御する能力もあり、その能力を使って創った浄化樹の成長を促しているのだ。
『早目に根をきちんと伸ばしてしまいたいの。それにほら、まだ一人当たり500万Ptの出資してもらってないし』
悪びれることなくそう言ってポイントを強請ったのはガーベラ自身だ。女は三十路を過ぎたら図太くないと生きていけないのである。ただ自分が強請ったこととはいえ、数十万単位のポイントを(そしてその前には数百万単位のポイントを)簡単に出資されてしまうと、どうしても格差を目の当りにせざるを得ない。
(くっ……、これが若さなのね……!)
ガーベラは内心でそう戦慄した、ことにした。そもそもこのゲームの中では、年長者がもつ持つアドバンテージは現実世界ほど顕著ではない。よほど幼くない限り、プレイヤーは横一列の状態からスタートしたのだ。年少のプレイヤーだからと侮ることはできないと、彼女自身よく分かっていた。
ただ、リムのシミ一つないプリップリのお肌が羨ましいのは本当だ。ほっぺをつついたらさぞ柔らかいことだろう。
「ガーベラさん、終わりました。……って、なんでほっぺたつっつくんですかぁ?」
「ゴメン、つい。ああ、でもプニプニでクセになるわぁ~」
謝りつつも、ガーベラはどこか恍惚とした表情を浮かべてつつくのをやめない。
「ホントですよね~」
いつの間にか呉羽まで便乗して、ガーベラの反対側から同じようにリムのほっぺをつつく。左右からホッペをつつかれたリムの顔はおかしく歪んで、カムイは思わず笑いをかみ殺す。
「もうっ、カムイさんも笑わないで!」
かみ殺せていなかった。リムはプンプン怒るが、左右からほっぺをつつかれているせいで全く怖くない。まあ、それがなくても怖くないが。それどころか怒った姿が可愛らしかったようで、ガーベラはうっとりとした表情を浮かべながらさらにリムのほっぺをつつく。そこへまた呉羽が面白がって便乗するので、リムの顔は加速度的に歪んでいって、カムイはついに声を上げて笑ってしまった。
「二人とも止めてくださいっ! 止めてくださいってば! もうっ、本当に怒りますよ!?」
リムが本気で嫌がり始めたところで、ようやく二人はほっぺをつつくのをやめた。解放されたリムは「むぅ~」と唸って不機嫌な顔をするが、呉羽が「ごめん、ごめん」と謝って後ろから抱きしめ頭を撫でてやると、すぐ嬉しげに頬を緩めていた。チョロイ、もとい素直なお子様で大変結構である。
「さて、っと……」
リムのほっぺを堪能して気を紛らわしたところで、ガーベラは放置していた【植物創造】のメニュー画面に改めて向かいなおす。浄化樹の成長のために使うポイントは、一本につき15万Ptずつ。さらにアイテムショップからじょうろに入った水を買って鉢に注いだ。
「よしっ。これでひとまず終了ね」
空になったじょうろがシャボン玉のエフェクトに包まれて消えると、ガーベラは満足そうにそう言った。そして彼女の作業が終わったのを見計らって、アストールがこう提案する。
「少し、休憩しませんか?」
その提案に、他の四人もすぐに頷いた。そしてアストールとカムイが飲み物を、呉羽とリムがお菓子を用意する。ちなみに飲み物はコーヒーが四つとミルクが一つで、お菓子はクッキーとチョコレートだ。
「いや~、アタシの分まで悪いわねぇ~」
そうは言っていたものの、ガーベラに遠慮する様子はない。ただそれが嫌味に感じられないのは、彼女の持つ明るさのおかげだろう。
「う~ん、コーヒーなんて久しぶり。コッチに来てからは初めてね」
「そうなんですか?」
「うん。コーヒー飲むならお酒のほうがいいから」
あまりにも正直すぎるその理由に、カムイは思わず呆れ顔になった。そんな彼には構わず、ガーベラはクッキーに手を伸ばす。
「それにしても、休憩にお茶とお菓子が付くなんて、やっぱりアナタたち、相当稼いでいるのね」
「四人で力を合わせた結果ですよ。少なくとも、私ひとりの力ではとてもとても……」
そう言ってアストールは苦笑した。同じことは他の三人にも言える。カムイと呉羽は単独でもそれなりに稼げるだろうが、しかし今ほど稼ぐのははっきり無理であると分かる。それくらい、この四人の能力はかみ合っているのだ。
「やっぱりソロは厳しいかぁ~。でもアタシのユニークスキルって、ほかとどう組み合わせればいいのか、ちょっと見当が付かないのよねぇ~」
「出資してもらうのが一番じゃないですか?」
「まあ、今のところそれしかないわよね」
最大の問題は、出資のアテが今のところ、カムイら四人のほかにはないと言うことである。それに出資というのは「協力」というよりは「契約」だ。これをもってソロからの脱却というのは難しい。
「は~、どこかにイイ男いないかしら?」
「それはまた話が違うと思いますが……」
「こりゃ失敬」
呉羽が困惑顔を見せると、ガーベラはそう言って肩をすくめた。
「それにしても、これだけ稼いでいるなら、【アイテムリクエスト】の機能も使ってみたことあるんじゃないの?」
「ええ、何度か」
「じゃあ、もしかして【瘴気濃度計】とか【瘴気耐性向上薬】をリクエストしたのって……?」
「ええ、私たちです」
アストールがそう答えると、ガーベラは「やっぱり!」と言って目を輝かせながら手を叩いた。
「向上薬はまだ使ったことないけど、濃度計はリンリンたちが重宝しているわ。それにこういうアイテムのおかげで、他の場所でもみんな頑張っているんだって分かった。嬉しかったし、心強かったわ」
「はは、恐縮です」
少し照れくさそうにしながらも、アストールはそう言って嬉しそうに笑った。嬉しいのはカムイも同じである。どういう形であれ、それらのアイテムが他のプレイヤーの役に立っているのであれば、リクエストした甲斐があったというものだ。さらに購入してもらって、ポイントという形で帰ってくれれば言うことはない。
「ということは、【レンタル温泉施設】をリクエストしたのも……」
「はいはい、わたしです!」
呉羽が元気よく手を上げる。それを見てガーベラは「うんうん」と嬉しそうに頷く。
「リンリンが入りたがっていたわ。そのうち買うんじゃないかしら」
「おお! ここにも同志が!」
思いがけない情報に呉羽が喜ぶ。それを聞いてカムイはまた呆れた表情を浮かべる。確かに温泉には入れれば気持ちはいい。それは認めよう。しかしそのために150万Ptも使うのはいかがなものか。それなら【全身クリーニング】でいいではないかと思うのは、あるいは彼が男であるからかもしれない。
「温泉、また入りたいです」
現に、リムもそう言っている。彼女は以前、お風呂に否定的であったはずなのだが、温泉に入って以来、その魅力に目覚めたらしい。呉羽による布教と洗脳の成果は着実に上がっている。
「ところで、アタシもリクエストしたいアイテムがあるんだけど、良かったら代わりにしてくれない?」
「ふむ、どんなアイテムでしょうか?」
アストールが少し真剣な表情になってそう尋ねる。そんな彼にガーベラはまるでおねだりするようにこう言った。
「100年もののウィスキーが欲しいの。できれば樽で。探したんだけど、アイテムショップには無くって……」
「却下」
「却下ですね」
「却下っ」
「却下ですっ」
四人の声が見事に揃った。これが有用なアイテムであるのなら、ガーベラの代わりにリクエストするのもやぶさかではない。だが、いくらなんでもコレはない。
「いやん、リムちゃんまで」
提案は四人から断固拒否されたわけだが、ガーベラに堪えた様子はまるでない。というより、最初から冗談だったのだろう。「いけずぅ~」と言いながらリムにじゃれ付くその姿は、まるで大きなネコだった。
「……と、まあ冗談はさておき」
存分にじゃれ付いて満足したらしいガーベラは、リムから離れると居住いを正した。しかしそんな彼女にカムイや呉羽はまだ疑わしい視線を向けている。
「本当に冗談だったんですか?」
「もちろん。あ、でもリクエストしてくれるならよろしく」
「しませんよ」
「あら残念。……それで、アタシがリクエストしてほしいアイテムなんだけどね、【浄化樹の種】をリクエストして欲しいの。苗木でもいいんだけど……」
それを聞いて、カムイたちは首をかしげた。そもそもガーベラは自分のユニークスキルを使って浄化樹の種やその苗木を創ることができる。ならば、わざわざ100万Ptもかけてそれをリクエストする必要はないように思えた。
「ここでアタシだけが育てていても、あんまり意味はないのよ。特に、ゲームクリアに関してはね」
浄化樹は瘴気を吸収して成長する。その特性は、確かに世界の再生に資するものだ。しかし樹木である以上、一度地に下ろしてしまえばそう簡単に動かすことはできないし、また一本当りの吸収量も決して十分とはいえない。〈魔泉〉のような存在もあるのだから、なおさらだ。
「だからもっと世界中のいろんな場所で、たくさん育てる必要があるのよ」
しかしそのためには現実的な問題として、浄化樹の種か苗木を世界中に配布しなければならない。そのためのツールとしてガーベラが目を付けたのが、全てのプレイヤーが共通して使うことのできるシステムのアイテムショップだったのだ。
「リクエストが成功してアイテムショップのラインナップに追加できれば、全てのプレイヤーが種を買えるようになるわ。目に留まれば、興味を持ってくれるプレイヤーは必ずいるはずよ」
もちろん、興味を持ったからと言っても、買って育ててくれるわけではない。そこまで余裕のあるプレイヤーはまだ少ないはず、というのがガーベラの見立てだ。しかしその存在を知っていれば、いずれ「買ってみようか」という気になるかもしれない。
「なんにしても、長い時間がかかるわ。だからこそ、公開だけは早目にしておきたいの」
ダメかしら、とガーベラは尋ねる。彼女の話を聞いたカムイは、思わず「う~ん」と唸った。彼の脳裏に甦るのは、【浄化の杖】をリクエストして失敗したあの悪夢である。彼はそのことをガーベラに話し、さらにこう自分の予測を語った。
「もともとのラインナップにも、瘴気を直接どうにかするアイテムは載っていません。だからたぶん、そういうアイテムはNGなんじゃないかと思うんですよね……」
カムイの話を聞くと、ガーベラは「なるほど……」と言って少し考え込んだ。彼の経験に基づけば、確かに【浄化樹の種】のリクエストが失敗する可能性は高い。彼女自身はそれでもやってみたいと思うのだが、しかし自分のポイントを使うわけではない。他人のポイントで、「失敗する可能性の高いリクエストをやってくれ」とは図太い彼女でもさすがにいえなかった。
「う~ん、そっかぁ~。残念だけど、ま、また別の方法を考えるわ」
結局、ガーベラは提案を撤回した。いずれ十分なポイントが貯まったら自分でリクエストしてみようと思うが、それがいつになるかは見当も付かない。もう少し別の方法を考えた方がいいかもしれない、と彼女は思った。
休憩が終わると、空になった食器類がシャボン玉のエフェクトと一緒に消える。それを見届けてから、五人はおもむろに立ち上がった。カムイら四人はこれから拠点から少し離れて、ポイントを稼ぎに行くという。それを聞いて、ガーベラは付いていこうかと思ったが、しかし自重した。
(アタシが付いて行っても、たぶんやる事はないしね……)
四人の稼ぎ方が、単純にモンスターを倒すだけではないことは容易に想像が付く。そんな悠長なやり方をしていて、あれほどのポイントを稼げるはずがない。であるなら何か独特のやり方があるはずで、そこにガーベラが混じる余地はないだろう。
(ソロ脱却のチャンスなんだろうけど)
ガーベラが「一緒に行きたい」と言えば、彼らはたぶん受け入れてくれるだろう。しかしそれで彼らの稼ぎの効率が落ちてしまっては申し訳が立たない。それに彼らには十分に稼いでもらった方がガーベラにとっても都合がいい。その分をまた出資してくれるかもしれないからだ。
「しょうがない。もう少しお一人様で頑張りますか」
明るい口調でそう言うと、ガーベラもまた拠点を離れてモンスターを探しに向かった。
「ホント、どこかにいい男いないかしらねぇ~」
そんなことを口走りながら。
― ‡ ―
ガーベラにポイントを出資して浄化樹の鉢植えを十本まで増やした、その次の日のことである。その日のお昼頃に、「カンカンカン!」という甲高い鐘の音が響いた。警鐘である。その途端、拠点にいるプレイヤーたちの顔つきが変わって一斉に動き出し、辺りは突然騒然とした雰囲気になった。
「トールさん、コレって……」
「恐らく、〈侵攻〉でしょう」
アストールが険しい顔をしてそう述べる。〈侵攻〉の頻度について、ロナンは「だいたい三日に一度」と言っていた。カムイたちがこの拠点に来てから今日で三日目だから、タイミングは合っている。
「あ、ガーベラさん!」
リムがガーベラの姿を見つけて大きく手を振る。その可愛らしい姿を見てガーベラは一瞬頬を緩めたが、しかしすぐに真剣な表情に戻って彼らのところに駆け寄った。
「ガーベラさん、コレって……」
「〈侵攻〉よ」
簡潔なその答えに、四人は「やっぱり」と揃って頷いた。それからアストールがこう尋ねる。
「〈騎士団〉と〈世界再生委員会〉はどう動きますか?」
「〈世界再生委員会〉はいつも通り拠点の正面を担当。リンリンによると〈騎士団〉は少し距離を取って、海に対して左翼として展開するそうよ」
最も重要な場所は、これまで通り〈世界再生委員会〉が受け持つ。〈騎士団〉はこれが初めてということもあり、多少取りこぼしをしても大丈夫な場所を選んだようだ。〈騎士団〉に所属してはいないがカムイたちと一緒に来たプレイヤーの多くも、デリウスらの近くで〈侵攻〉を迎え撃つ構えだと言う。
「あなた達はどうするの?」
「……ガーベラさんは、どうするつもりですか?」
「アタシ? アタシはいつも通り端っこで稼がせてもらうつもりだけど」
ただ、左翼には〈騎士団〉がいるので、右翼のほうに向かうつもりだという。ちなみに右翼のほうには、海辺の拠点にもともといたプレイヤーのうち、〈世界再生委員会〉に所属していないプレイヤーたちが集まっている。
「初めてのことで勝手がよく分かりません。ご一緒してもいいですか?」
そう言ってからアストールは視線だけで三人に確認を取る。特に反対する理由もなく、カムイたちはすぐに頷いた。それを見てガーベラも頷く。
「臨時パーティーね。分かったわ。それじゃあ早速だけどこっちよ。ついて来て」
そう言うが早いか、ガーベラは小走りになって海岸の砂浜のほうへ向かう。カムイたち四人も急いでその後を追った。
浜辺につくと、戦いはすでに始まっていた。海から上がってくる無数のモンスターを、プレイヤーたちが次々に討ち取っていく。ユニークスキルなのだろう、派手な光や稲妻、火炎弾などが次々に放たれてはそのたびにモンスターを薙ぎ倒す。その眺めは圧倒的で壮観だったが、しかし海から上がってくるモンスターの波は途切れない。やがてプレイヤー側の対処能力が飽和し、素通りするモンスターが現れ始めた。
「凄まじい数だな、これは……」
無数のモンスターを見て、呉羽がそう声を上げた。その数に、カムイも思わず唾を飲む。アストールは視線を厳しくし、リムは不安そうに彼の服の裾を掴んだ。ちなみにモンスターの種類は、いつぞやと同じく二本足の魚頭で、手にはやはり三叉の槍を持っている。
「モンスターは、はっきり言って弱いわ。向こうから積極的に襲い掛かってくることも少ない。ただ、飛ばしすぎには注意して。数時間は戦い続けなきゃいけないから。
それと、全部を倒すのはどうせ無理だから。取りこぼしが素通りしていっても気にしないで。それよりは目の前の敵に集中よ。
最後にフレンドリーファイア、つまり同士討ちだけは絶対にしちゃダメよ。今までにはそれで犠牲者も出てるから、それだけは気をつけて」
「了解です!」
ガーベラの話を聞き終えると、待ちかねたといわんばかりに呉羽が飛び出した。向かうのは他のプレイヤーがカバー仕切れていない、防衛線(右翼)の一番端っこだ。腰に差した愛刀【草薙剣/天叢雲剣】の柄に手を添え、姿勢を低くしてモンスターの大群に挑んでいく。そしてあと数メートルで先頭のモンスターを間合いに捉えるというところで、呉羽は勢いよく愛刀を鞘から走らせた。居合い抜きである。
「〈風刃乱舞〉!」
草薙剣/天叢雲剣の白刃が空を切った。すると同時に風の刃が離れた位置にいるモンスターたちに襲い掛かる。風の刃を飛ばしたわけではない。天叢雲剣の力を使ってより高度に周辺の大気を制御し、モンスターがいる場所に直接風の刃を、それも複数生み出して攻撃しているのである。
『タメが必要だし、無差別攻撃だから、使い勝手はそんなによくない』
呉羽はかつてそう言っていたが、大群を相手にするこの状況で、〈風刃乱舞〉は凶悪なまでの力を発揮した。最初の一振りで、実に二十体以上のモンスターが身体を風の刃に切り裂かれて瘴気に還っていく。
「二の太刀、〈風斬り〉!」
居合い抜きで振りぬいた愛刀を、呉羽は手首を返して身体の横に持ってくる。そして今度は身体を捻りながら横一文字に大きく振りぬき、巨大な風の刃を飛ばす。射線上にいるモンスターは次々に身体を上下に真っ二つにされ、そのまま瘴気へと還った。
二振りで三十体以上のモンスターを仕留めると、呉羽は次に前に出て大群の中に飛び込んだ。そしてその中で思うままに白刃をきらめかせる。魚頭のモンスターも間合いに入ってきた彼女目掛けて三叉の槍を繰り出すが、全然かすりもしない。彼女はまるで舞を踊るかのような滑らかさで、しかし嵐のような激しさを伴いつつ、次々にモンスターを切り捨てていく。
「〈風刃円舞〉!」
しかも、ただ刀を振るっているだけではない。彼女が刀を一振りするたびに、斬線が三つ四つとその周辺で走って敵を切り裂いていく。刀を振るう動作をトリガーにして、風の刃を周辺にばら撒いているのである。
まだまだばら撒くだけでその狙いはあまり正確ではないのだが、なにしろモンスターは周囲無数にいる。精密に狙うよりは、手数優先でばら撒く方が効果的だった。それで呉羽の周辺はすぐに魔昌石でいっぱいになる。
「リムちゃん、魔昌石を回収してくれ! カムイ、何をしている、さっさと来い!」
「は、はいっ!」
「すぐ行く!」
呉羽から指示を出され、リムとカムイは動き始めた。アストールとガーベラに何も言わなかったのは、年上の二人に指示を出すのは呉羽の気が引けたからかもしれない。ただ優秀な大人である二人は、すぐに自分の役割を理解し行動に移った。
「私はリムさんの援護をしながら、全体の監視をします。呉羽さんとカムイ君は、自由にさせていた方が戦いやすいでしょう」
「それじゃあ、アタシはリムちゃんの護衛をしながら一緒に魔昌石の回収ね。ポイントの分配は、合計の頭割りでいい?」
要するに裏方だ。派手さはないが、大人の仕事である。
「了解です。では行きましょう」
二人は頷き合うと、行動を開始した。リムは大量の魔昌石を一心不乱に回収しているが、その分周囲への警戒が疎かになっている。そんな彼女に近づくモンスターを、アストールが片っ端から〈ソーン・バインド〉で拘束していく。そして拘束されたモンスターをガーベラが仕留めていくのだ。
彼女の動きは、決して大げさではないものの、しかし警戒を忘れず、流れるように淀みなく、そして無駄がない。明らかに専門の訓練を受けた者の動きである。さらに彼女はモンスターを倒しながら同時に魔昌石も器用に回収していく。そこからは幾度も〈侵攻〉を戦い抜いてきたその経験値が読み取れた。
(こりゃ、ラクでいいわ)
ガーベラは内心でそう呟いた。何しろ彼女が相手にするモンスターは全て拘束された状態だ。警戒は緩めないが、攻撃されるも心配もなく、動かない敵を一方的に倒していく。それは戦闘というよりはむしろ作業だった。
(ま、余裕がある分、リムちゃんから目を離さないようにしないとね)
アストールも注意はしているだろうが、リムの一番近くにいるのはガーベラだ。魔昌石の回収に一生懸命になっているリムが、うっかり敵に囲まれたり離れてしまったりしないよう気をつけなければならない。それもまた、大人の仕事だろう。
一方その頃、カムイもモンスターの大群を目の前にしていた。彼がいるのは呉羽の少し後ろで、彼女よりもさらに外側だ。カムイはすでに【Absorption】を発動させて、白夜叉のオーラを白い炎のように揺らめかせている。湧き立つ戦意で気分は昂揚し、知らずしらずのうちに彼は獣のように獰猛な笑みを浮かべていた。
「さあて、行きますか」
遮二無二暴れまわりたくなるのを堪えながら、カムイはそう呟いた。そして目の前に迫ったモンスターに、口から衝撃波を放つ。〈咆撃〉である。放たれた衝撃波は数体のモンスターをまとめて吹き飛ばし、そのまま瘴気へと還した。
「おお!」
今まで〈咆撃〉だけでモンスターを倒せたことはなかったのだが、今回は一撃で、しかも複数の敵を倒すことができた。その思いがけない戦果に、カムイは歓声を上げて気分を良くする。ただ、彼の頭には冷静な部分もちゃんと残っていて、これは自分が強くなったわけではなくて、ガーベラの言うとおりモンスターが弱いのだと理解していた。
「ま、役に立つならそれでいいさ!」
喜色を滲ませながらそういうと、カムイはさらに二度三度と立て続けに〈咆撃〉を放ってモンスターを吹き飛ばす。やがて砂浜に転がる魔昌石の数が多くなると、カムイは少し離れたところにいるリムに声をかけた。
「リム、コッチも頼む!」
「あ、はい!」
リムの返事を聞くと、カムイは次の獲物に向かっていく。今度は、〈咆撃〉は放たない。その分のエネルギーを右手に集中させ、その部分のオーラの量を増やす。
(イメージしろ!)
久方ぶりに、カムイはそう自分に言い聞かせる。彼がイメージしたのは、右手から伸びる一本の細くて長い剣だ。カムイはそれを、身体を捻りながら横に振り回す。伝わってくるのは、重い手応えだ。
「ちっ!」
カムイは楽しげな表情で舌打ちした。イメージしたとおりに、白夜叉のオーラを細長く伸ばすことには成功した。刃渡りは五メートル以上もあるだろう。しかしその切れ味は最悪だった。細長く伸ばされた白夜叉のオーラは、モンスターを切り捨てるのではなく打ち据えて薙ぎ払っている。
剣と言うより、これではほとんどムチである。当初のイメージとは程遠い。それでも威力は十分だったようで、この一振りで多数のモンスターを仕留めている。
「もう一丁!」
そう叫んで、カムイはまた腕を振るう。まだ思うように敵を切り裂くことができない。イメージ通りにできるようになるまで、彼は何度も何度も練習を繰り返す。
ただそうしているうちに、だんだんとカムイは身体が疼くようになってきた。それでも、「まだイメージ通りに出来ていないから」と彼は自分に言い聞かせてその疼きを抑える。そして何十回目かにイメージ通りにモンスターを切り裂くことができると、カムイはもう抑えきれないと言わんばかりに弾かれたように飛び出した。
「あああああああああ!」
雄叫びのような笑い声を上げながら、カムイはアブソープションを全開にする。吸収するエネルギー量が増えたことで、彼の身体を覆う白夜叉のオーラもまたその量を増やす。そして同時に、獣じみた衝動がますます強くなる。その衝動に身を任せながら、カムイはモンスターの大群の真っ只中に飛び込んだ。
「あああぁぁあぁああぁぁぁあああ!!?」
叫んでいるのか、それとも笑っているのか。判然としない声を上げながらカムイは暴れまわる。殴り伏せ、蹴り飛ばし、爪でかき裂き、手刀で切り伏せる。モンスターの攻撃は全て無視だ。三叉の槍で突かれたところで、蚊に刺されたほどの痛みもない。逆に頭を握りつぶしてしとめた。
「――ハァッ!」
群がってくるモンスターを、咆撃でまとめて吹き飛ばす。囲まれそうになれば、オーラを細剣状に伸ばして振り回し、一掃した。獲物は数限りなくいる。カムイはまでる羊の群れに飛び込んだ獅子のように、傲慢な理不尽さをもって暴れまわった。
その一方的な蹂躙劇は、湧き上がるカムイの破壊衝動を確かに満たしてくれている。しかしその一方で、彼はある種の窮屈さを感じ始めていた。
「ああ、もう……!」
不機嫌な声で、カムイはそう吐き捨てる。その間にも彼は動きを止めない。近づいてきたモンスターの頭を拳で爆ぜ飛ばし、さらに一歩踏み込んで別のモンスターを手刀で切り捨てる。そのまま回し蹴りで二体まとめて倒し、足を突くと同時に咆撃を放つ。肘撃ちや掌底も混ぜながら、彼は激しく動いてモンスターを倒していく。
しかし動けば動くほど、彼はより強く窮屈さを感じるようになっていく。なぜ窮屈なのか、彼自身も良く分からない。呉羽との稽古の成果も出ているのだろう。身体はむしろ良く動く。しかしどこかで、思うように動けていない。だんだんとイライラが募った。
「くそっ……、なんで腕が二本しかないんだよっ!?」
口から出てきたのは、そんな馬鹿馬鹿しい悪態だった。腕が二本しかないのは当たり前だ。それが人間の形なのだから。しかしカムイは自分の言葉に一瞬驚き、そして納得したように獰猛な笑みを浮かべた。
三本目の腕が欲しいと思ったことはないだろうか。今のカムイはまさにそういう気持ちだった。だから窮屈だったのだ。だから思うように動けなかったのだ。だからイライラしていたのだ。
三本目の腕があれば、全て解決する。
「あああぁああぁぁぁぁあああああ!!?」
右肩のあたりのオーラを、粘土のように引き出して伸ばしていく。同時にアブソープションで吸収したエネルギーをそちらへ優先的に回す。そのせいで身体の他の部分を覆うオーラの量が少なくなるが、気にしない。
「ギギィ!」
動きを止めたカムイ目掛けて、魚頭のモンスターが二体、それぞれ三叉の槍を突き出してくる。彼はそれを避けようともしなかった。槍は彼の脇腹の辺りに当った。多少の痛みはあるが、刺さってはいない。
カムイはそれを無視して、二体のモンスターの頭にそれぞれ左右の手を置いた。力を込めるが、しかし握りつぶせない。だがそれで良かった。全開にされているアブソープションが、モンスターから瘴気を奪い取っていく。
「ギィィィィィィイイ!?」
二体のモンスターが揃って耳障りな悲鳴を上げた。それを聞いて、カムイは僅かに顔をしかめる。こればかりは、何度聞いても慣れることがない。
「うるさいんだよっ!?」
カムイがそう叫ぶと同時に、二体のモンスターは瘴気を奪い尽くされて消えた。そして十分なエネルギーを吸収できたのか、カムイの身体を覆うオーラの量が戻った。さらに余剰エネルギーもあり、カムイはそれを三本目の腕に注ぎこんでいく。
やがて、カムイの三本目の腕が完成した。もちろん、血の通った本物の腕ではない。白夜叉のオーラで形成された、擬似的な腕だ。
カムイが作り出した三本目の腕は巨大だった。その長さは、おそらく彼の身長ほどもある。そんなものが肩の辺りから生えているから、見た目にはさらに巨大に感じた。
そして同時に、歪である。まるで子供が粘土をこねて作ったようだ。人の腕というよりは、ロボットアームに似ている。しかしカムイにとってはそれで十分だった。
にたり、とカムイは狂気に染まった獰猛な笑みを浮かべた。そして三本目の腕を出鱈目に振り回す。数体のモンスターが薙ぎ飛ばされて、そのまま瘴気へと還った。
「あーハハッハッハッハぁぁぁぁアアア!?」
今度こそ、カムイは狂ったように哄笑を上げた。そして敵目掛けて突撃し、一方的な蹂躙を繰り返す。敵を、三本目の腕を振り回して薙ぎ払い、〈咆撃〉を放って吹き飛ばす。それらをかいくぐって近づいてきたら、手刀で切り裂いたり、引き倒して踏みつけて倒したりした。
ただ、三本目の腕を使っていると、エネルギーの消費量が桁違いに多かった。三本目の腕には大量のオーラがつぎ込まれており、それを維持するため同じく大量のエネルギーが必要なのだ。カムイはすでにアブソープションを全開にしているが、しかしそれでも供給量が消費量に追いついていない。
「だったら、こうすれば良いよなぁぁぁああああ!?」
狂ったように叫びながら、カムイは三本目の腕を伸ばして二体のモンスターを無造作に掴む。そしてアブソープションの力でそれらのモンスターから瘴気を奪う。その光景は、まるで白い大蛇がモンスターを喰っているかのようだった。
大量の瘴気を効率よく吸収したことで、エネルギー量にまた余裕ができた。そしてまた、カムイは蹂躙を再開する。三本目の腕を振り回してモンスターを薙ぎ払い、時々思い出したようにつまみ食いをする。体内のエネルギー量が増えると、彼の暴気も増した。抗うでも抑えるでもなく、彼はその衝動に身を任せる。獲物は無数だ。終わりは見えず、それが愉快でたまらない。
「あーはっはっはっはアぁア!?」
哄笑を上げながら、カムイは暴れまわる。三本目の腕を手に入れたことで、さっきまで感じていた不自由さがない。それを使ってまるで逆立ちするように自分の身体を持ち上げ、敵の数が多いところへ跳ねるようにして飛ぶ。そんな動きさえ可能だった。
「あァ……」
カムイの狂気の中に陶酔が、獰猛な笑みの中に恍惚の気色が混じる。わけの分からない全能感があった。まるで世界の中心に自分がいるような、そんな感覚である。今ならなんでもできそうな気がした。
その全能感が、彼の戦い方をさらに苛烈にしていく。その戦いぶりは、はたから見れば狂気の沙汰にしか思えない。リムなどは魔昌石を拾う手を止めて、カムイの様子を恐ろしげに見ている。
実際、カムイは狂っていた。理性が薄れて暴気に支配され、まともな状態ではない。その状態の彼を見て、呉羽は盛大に舌打ちした。狂い方がいつもより激しい。ならば、いつもより痛烈にぶっ叩いてやらねばなるまい。
「〈土槍・円殺陣〉!」
呉羽が【草薙剣/天叢雲剣】の切っ先を砂浜に突き刺す。すると、彼女を中心にした円状の範囲から、鋭い土の槍が突き出してきて、周辺にいるモンスターを次々に突き刺して一掃していく。自分の周辺に空白地帯を作って時間を稼ぐと、呉羽は愛刀を腰の横に持ってきて力を溜め、そして横一文字に振りぬいた。
「〈風切り〉!」
放たれた巨大な風の刃が道を作る。その道を、呉羽は一気に駆け抜けてカムイのところへ向かう。狂気にまみれた笑みを浮かべて遮二無二暴れまわる彼は、気配を消して接近する呉羽にまったく気付かない。
「このぉぉぉぉおお、馬鹿者がぁああああ!!!」
背後からカムイに近づいた彼女は、勢い良く跳躍してその後頭部目掛けて刀を振るう。峰打ちだが、そのために手加減は全くなしだ。重い手応えと同時に、カムイの身体が前のめりに吹っ飛ぶ。倒れ込んだ彼に、呉羽は叫んだ。
「頭を冷やせっ!!」
「冷やす前に頭無くなるわっ!?」
起き上がったカムイが、そう叫び返す。目ン球飛び出るくらい痛かった。しかし彼のその抗議を、呉羽は冷たい目で見据えて切り捨てる。
「『呑まれるな』って、何度も言ってるよな?」
「お、おう……」
青筋を浮かべた呉羽の怒気におされ、冷や汗を流しながらカムイはそう答える。ちなみに、その間も三本目の腕はつまみ食いに忙しい。エネルギーを補充しないと維持できないからだが、その様子は大蛇が獲物を捕食していくようにしか見えない。
その様子を見て、呉羽は一つ大きなため息を吐いた。ただ、カムイの様子を見る限り理性を失ってはいなさそうなので、ひとまず三本目の腕の挙動については無視する。そしておもむろに「カチリ」と音を鳴らしながら愛刀の刃を返し、周囲に風の刃をばら撒いてモンスターを切り裂く。彼女も結構大概であった。
「まったく。味方を巻き込まなかったから良かったようなものの……。あんな戦い方をされたら、おっかなくて近づけないし、万が一のときにもフォローできないじゃないか。カムイだって死ぬまで戦いたいわけじゃなんだろう?」
「そ、それはもちろん」
死ぬことは怖くない。カムイのその感覚は、ゲーム開始以来変わることなく、今もそのままだ。しかしだからと言って、決して死にたいわけではない。
「だったら、自分のことや仲間のこともちゃんと考えて戦え。あんな戦い方していたら、お前そのうち自滅するぞ」
怖い顔でそう脅され、カムイはコクコクと頷いた。それを見て満足したのか、呉羽は息を吐いて表情を緩める。そしてカムイから視線を外して海のほうに目を向けた。そこでは相変わらず、大量のモンスターが次々に上陸している。まだまだ〈侵攻〉が終わる気配はない。
「ずいぶん倒したはずなのに全然減らないな……。もうひとふんばり、か……」
「ひとふんばりで済めばいいけどな」
カムイがそういうと、呉羽は渋い顔をした。そして渋い顔のまま、また愛刀を鳴らして風の刃をばら撒きモンスターを切り捨てる。カムイも右手で脇をすり抜けようとしていたモンスターの頭を掴み、そのまま握りつぶした。なお、三本目の腕は相変わらず捕食を続けている。
「さて、わたしは向こうに戻るよ。……分かっていると思うが、もう呑まれるなよ」
「あいよ。……それと、疲れたら下がって休めよ」
「そっちこそ。とは言っても、カムイには無用の心配か」
カムイはゲームが始まって以来、体力の限界を迎えたことはない。アブソープションのおかげである。
「それにしても、終わりが見えないってのは結構キツイな」
「ああ。集中力がもつか、心配だ」
集中力が散漫になってきたら、例え疲れていなくても下がって休む。二人はそれだけ確認すると、また別々に分かれて戦いを続けた。
結局、この日の〈侵攻〉は日暮れまで、およそ六時間に渡って続くのだった。