〈侵攻〉4
「なんだ、カムイ。まだ拗ねているのか?」
「拗ねてねーし」
明らかに不機嫌な顔でそう答えるカムイの様子は、どこからどう見ても拗ねている。そんな彼を見て、呉羽は「仕方ないなぁ」と言わんばかりに苦笑を浮かべた。その様子は、へそを曲げた弟を見守る姉のようだ。ちなみに二人は同い年なのだが、生年月日の関係で呉羽の方が少しだけお姉さんだった。
二人がいるのは、急遽設けられた懇親会の会場の端っこだ。たくさんのかがり火が焚かれた会場は明るい。そして久しぶりの御馳走をタダで飲み食いできるとあって、参加しているプレイヤーたちの表情はさらに明るかった。
会場の真ん中には、本日のメインディッシュとして子牛の丸焼きが饗せられ、その他にもリクエストされた様々な世界の料理が並んでいる。お酒も用意されていて、ビールやワインなど比較的メジャーなものは樽で購入された。これらは全て、カムイら四人のポイントによってまかなわれている。
予想外の出費で、カムイの機嫌が悪いのもそのせいだった。腹いせに山盛りの納豆を用意してやったのだが、後悔も反省もしていない。むしろ、「“くさや”にするべきだったか」とさえ思っている。
「ったく……、ハイエナどもめ……」
「こら、そんなことを言うもんじゃないぞ。トールさんも言ってたじゃないか。『何事も最初が肝心です』って」
そう言って、呉羽は悪態をつくカムイを嗜める。それを言われると、カムイも弱い。この懇親会の費用の全額負担を申し出たのはアストールだったが、確かに彼の言うことも理解は出来るのだ。
『プレイヤーの集団が二つですからね。どうしたって最初はギクシャクするでしょうし、派閥だってできるでしょう。だけどそれを、対立にするわけにはいかないんです。それだけは避けなければならない。そのためには最初が肝心なんです』
互いに警戒したまま、その距離感が固定化してしまう前に、互いを良く知り合って打ち解けあう。子供っぽい言い方をするなら、「仲良くなる」ことがこの懇親会の目的だった。そう言ってしまうとなんだか陳腐な気もするが、仲良くするのが難しいのはどの世界も一緒であろう。デスゲームが宣言されているこの世界では特にそうなのかもしれない、とカムイなどは思っている。
『それに、これは私たちのためにもなります。ここで自腹を切って懇親会を開いておけば、他の方々からの印象が良くなりますからね。印象や信用がお金で、いえポイントで買えるのなら、これほど安い買い物はありませんよ』
茶目っ気を混ぜながら、アストールはそう言った。そして「何事も最初が肝心です」と付け加える。たしかに最初の印象というのは色濃く残るもの。それをポイントで操作できるのなら安いのかもしれない。
「トールさんは凄いな。わたしたちよりずっと先を見ている」
「ああ、そうだな」
カムイはそう、少しぶっきらぼうに答えた。目先のことだけを考えるなら、他人のために、それも見返りが期待できないのにポイントを使うなんて愚の骨頂だろう。しかしアストールは違う。彼はもっと先のこと、恐らくはゲームクリアを見据えて動いている。カムイはそう感じていた。
『個人でどれだけ動いても、このゲームはクリアできないでしょうね』
かつてアストールはそう言っていた。大きな犠牲を出してしまった、あの〈魔泉〉調査後のことである。彼がそう感じたのは、なにも〈魔泉〉だけが原因ではないだろう。それが決定打になったことは間違いないのだろうが、ゲームが始まって以来の総括として、彼はその結論を出したのである。
例えば、リムのユニークスキルである【浄化】。これは瘴気を浄化してマナへと変換する能力である。一見して瘴気に汚染されたこの世界を再生する切り札のように思えるが、しかしリム一人ではほとんど何もできなかったと言っていい。
現在ではカムイ、呉羽、アストールの三人と協力して大量の瘴気を浄化できるようになったが、それでも世界全体から見れば微々たるものと言わざるを得ない。いや、〈魔泉〉がそれを上回る瘴気を吐き出し続けている以上、無意味であるとさえ言わなければならないだろう。
四人が本気を出して朝から晩まで一日中瘴気を浄化し続けたとして、それで稼げるポイントは合計でおよそ1,800万Pt。一人当たりにしても450万Ptである。これは山陰の拠点にいたときの数字だが、これほど効率よくポイントを稼げているパーティーは他にはないだろう。
しかしそれでも、ゲームクリアの観点から見れば無意味と言わざるを得ない。それがプレイヤーたちの現状なのである。そしてその現状をふまえて、アストールは次のように結論した。
『悔しいですが、私たちは無力です。今は力を蓄える時。個人個人もそうですが、なによりプレイヤー側全体として力を蓄えなければなりません。そうしなければ、ゲームクリアはおぼつかないでしょう』
だからこそ自腹を切ってまで、山陰の拠点にいた全てのプレイヤーをここまで連れて来たし、またこうして懇親会を開いている。もちろんそれができたのは、現実問題としてそれが可能なだけの余裕があったからなのだが、それでもアストールの視点は他より一段高いと言えた。そして他のプレイヤーが自分のことで手一杯なこの状況で、それは非常に特異なことなのである。
加えて、ポイントというのは単なるお金の代わりではない。ポイントはゲームクリア後に、願いを叶えるために必要なものだ。しかもたくさんのポイントがあれば、それだけ多くの、あるいは大きな願いをかなえることができる。
だから言ってみれば、アストールは自分の願いを放棄して他のプレイヤーのためにポイントを使っているに等しい。もちろんカムイら他の三人もポイントの負担はしているが、それはアストールに説得されたからだ。彼がいなかったら、同じようにしていたかは怪しい。ゲームクリアのためと理解しつつも、彼と同じようにできるプレイヤーが果して何人いるだろうか。
カムイはふとアストールの姿を探した。彼はグラスを片手に何人かのプレイヤーとにこやかに話をしている。改めて会場を見渡せば、あちこちで見知った顔と見知らぬ顔が楽しげに談笑している姿があった。
確かにコレは、ポイントでは買えない。そう思うと、スッとカムイの中の不満が薄らいだ。
「……腹、減ったな。なんか食うか」
「うむ、そうしよう」
そう言葉を交わしてから、カムイと呉羽は連れ立って料理のところへ向かった。そしてナイフやフォークと一緒に用意されている取り皿を一枚取る。ちなみにこれらの食器は【レンタルパーティーセット】というアイテムだ。レンタル品なので、時間が経つと勝手に回収される。洗う必要もないので大変便利だ。
「納豆は……、減ってないな」
「お前な、わたしのときは散々言ったくせに自分で買うなよ」
「いや、嫌がらせだから」
「なお悪い」
納豆がまったく減っていないことを確認しつつ、カムイと呉羽は思いおもいの料理を皿に盛っていく。そんな彼らに、後ろから声をかけるプレイヤーがいた。
「失礼。カムイ君と、クレハさん、かしら?」
「ええ、そうですけど……」
二人に話しかけてきたのは、〈世界再生委員会〉の班長であるリーンだった。彼女の隣にはもう一人、別の女性プレイヤーがいる。
「ほら、ベラ。この二人よ」
「アタシはガーベラ。よろしくね。今夜はおかげで楽しませてもらってるわ」
そう言ってガーベラは快活な笑みを浮かべると、手に持ったグラスを軽く掲げた。それに合わせて、グラスの中の琥珀色の液体が小さく揺れる。
「それは何よりです」
「久しぶりのタダ酒だからね~。浴びるほど飲ませてもらうつもり。それで潰れるまえに奢ってくれた人にお礼を言っておこうと思ったわけ」
「は、はあ……。そう、でしたか……」
明け透けなガーベラの物言いに、カムイも呉羽も反応に困る。それで結局、二人ともただ曖昧に笑った。若者二人を困惑させたガーベラは構わず上機嫌だったが、その横ではリーンがため息を吐いて頭を抱えている。
「まったく……。素面のときはもう少しまともだから、許してあげて」
「あ~、ずるい。リンリンてば自分だってタダ酒嬉しいくせにぃ」
「そ、それは……」
にやにやした顔のガーベラにそう指摘され、リーンはあからさまにうろたえた。図星だったのだろう、彼女の頬に朱がさす。その様子は、リンリンという愛称も相まって、なんだか可愛らしい。もっとも、それを口にしないだけの分別はカムイにもあったが。
「リンリンさん……、可愛い……」
しかしどうやら呉羽には無かったようである。年下の、しかも同性から「可愛い」と言われてリーンはさらにうろたえた。しかし優秀な彼女はそこで爆発したりせず、落ち着いて話題を逸らす。ただ、「リンリン」の訂正を忘れていたから、やっぱり内心では動揺していたのかもしれない。
「そ、それにしても、こうして懇親会を開けているのが奇跡のようだわ。ベラから話を聞いたときは、思わず最悪の事態を想定しちゃったもの」
そう言ってリーンは、ガーベラから「別のプレイヤー集団が近づいてきている」と報告を受けたときの心境を語った。彼女は責任ある立場にいるから、そうやって最悪の事態を想定してしまうのは無理からぬことなのかもしれない。これがデスゲームであることは、すべてのプレイヤーが知っているのだから。
「じゃあ、もしかしてオレたちを見つけたプレイヤーって、ガーベラさんだったんですか?」
「ええ、そうよ。モンスターを探していたら、妙な風の気配を感じてね。それを探っていたら、あなた達がいたというわけ」
「え……? も、もしかしてアレに気付いたんですか?」
驚いたような声でそう言ったのは、あの時索敵を行っていた呉羽である。その声を聞いて、ガーベラも彼女に驚いたような視線を向けた。
「え、じゃあ、あの時の風は……?」
「はい、わたしです」
「そっかぁ~。いや~、奇遇なこともあるもんねぇ~」
ガーベラはそう言いながら芝居がかった仕草で何度も頷いた。お酒が入っているせいもあるのだろうが、それが妙に様になっていて嫌味にならない。
「ねえねえ、二人のこと、もっと聞かせてよ」
おもわぬところに接点があったためか、ガーベラは二人のことを気に入ったようだった。リーンは他にも挨拶回りがあるとかで、少し言葉を交わしてからその場を離れたが、彼女は残って雑談に興じる。陽気な彼女と話すのは結構楽しく、カムイも呉羽も話すつもりのなかったことまで結構話してしまった。
「そっかぁ。二人とも偉いね。この先のこととか、他のプレイヤーのこととかもちゃんと考えていて」
「そんな、オレたちなんて……」
「すごいのはトールさんですよ」
カムイと呉羽はそう言って謙遜したが、ガーベラは穏やかな笑みを浮かべながら首を横に振る。そして優しげな口調で諭すようにしながらこう言った。
「二人は、言われたことをちゃんと理解して、納得して、行動したんでしょう? それができる人、実は少ないのよ。大人であっても、ね」
だからそれができる二人は偉い、とガーベラは言った。
「アタシなんて、偉そうなこと言ってるけど自分のことで手一杯。挙句に年下の子のポイントでタダ酒飲ませてもらってる有様よ」
そう言ってガーベラは笑った。言葉は自虐的だが、その笑みは快活で陽気だ。そしてカムイの首に腕を回して絡む。
「ほれほれ、飲め飲め、若者よ~」
完全に酔っ払いの行動である。そんなガーベラから逃れようと、カムイは慌てて話題を変えた。
「と、ところでガーベラさんのユニークスキルって何なんですか?」
「お、それ聞いちゃう? スリーサイズの次くらいにお姉さんの重要情報よ?」
「スリーサイズの方が重要なんですか……?」
「当然よ!」
そう言ってガーベラは豊かな胸を張った。そして呉羽が少し面白く無さそうな顔をしているのを見つけ、「ふふん?」と意味深な笑みを浮かべてからカムイを解放すると、気楽な口調でこう言った。
「ま、二人からも色々教えてもらったしね。こうしてタダ酒も飲ませてもらってるわけだし、ここは一つお姉さんの秘密を教えてあげましょうか。
ただし! 教えてあげるのはスリーサイズかユニークスキル、どちらか一方よ。さあ、選びなさい!」
「え、じゃあスリー……」
「ユニークスキルでお願いします!」
カムイの声を遮るようにして、呉羽は大声でそう言った。その際、足を踏んづけて彼を黙らせることも忘れない。カムイは「冗談じゃんか」と抗議するが、呉羽はそれもジト目で睨んで黙らせた。
そんな二人を楽しげに眺めながら、ガーベラは自分のユニークスキルについて話し始める。
「私のユニークスキルはね、【植物創造】っていうの」
ガーベラはスキル名を教えて、その能力を説明する。カムイと呉羽は揃って「凄い」といったが、ガーベラは苦笑しながら「そんなことないわよ」と言って否定した。実際、この能力のために彼女は今までソロだったと言っても過言ではない。
「まあ、なんとかボチボチやってるわ。〈浄化樹〉の方も、なんとかコンスタントに稼げるようになってきたしね」
話が暗くなってしまったと思ったのか、ガーベラはことさら明るい声でそう言った。それを聞いてカムイと呉羽も小さく笑みを浮かべた。
「その、浄化樹というのを見せてもらえませんか?」
「それはいい。コッチに来てからというもの緑を見る機会がなくて」
カムイと呉羽がそうねだるが、ガーベラの返事は芳しくない。
「う~ん、明日でもいい?」
そう言ってガーベラは申し訳無さそうにするが、しかし瞳に浮かぶ光は悪戯っぽい。そして彼女はこう続けた。
「お酒、もう少し飲みたいの」
― ‡ ―
そんなわけで次の日、カムイら四人は連れ立って〈世界再生委員会〉のテントが立ち並ぶ一画に来ていた。昨晩は懇親会で遅くまで騒いでいたが、今はその喧騒も遠く、一帯は落ち着いた雰囲気である。ちなみに、順当に残った大量の納豆は、全てカムイと呉羽で消費することになった。「しばらく納豆は見たくない」とは両者の談である。
「浄化樹、ですか……。楽しみですね。リムさんの【浄化】と同じような能力を持っているのでしょうか?」
アストールが楽しげな表情でそう話す。本当はカムイと呉羽の二人だけで来る予定だったのだが、浄化樹の話をしたところ彼も興味を持ったため、こうして四人で見物に行くことにしたのだ。
「トールさんは、デリウスさんに呼ばれたりしてないんですか?」
「ええ。今日の会談はどちらかと言うと、〈騎士団〉と〈世界再生委員会〉の話し合いですからね。私がいてもしょうがありません」
とはいえ、この二つはそれぞれ二つのプレイヤー集団の最大派閥だ。その間で行われる話し合いは、どうしたってここにいる全てのプレイヤーに関係してくる。昨晩の懇親会では、プレイヤーたちはずいぶん打ち解けた様子だったが、この話し合いがこじれれば関係は一気に険悪なものとなりかねない。デリウスとロナンには、ぜひとも上手いこと話を纏めてもらいたいものである。
「お~い、こっちこっち!」
カムイたちの姿を見つけたガーベラが大きく手を振る。四人が近づいてくると、彼女は片手を上げて気楽な調子で挨拶をした。
「おはよう。昨晩はどーも」
「おはようございます」
挨拶をすませると、五人はさっそく浄化樹の鉢植えのところへ向かう。緑が生い茂るその姿が見えてくると、呉羽とリムが揃って歓声を上げて駆け寄る。
「うわぁ……!」
「すごい……」
この世界に来てから始めて目にする本物の植物に、呉羽とリムは目を輝かせる。カムイも近づいて葉っぱに触ってみる。浄化樹の葉っぱは意外と柔らかくて、葉っぱに触った指を鼻に近づけてみると、ほのかに青臭い匂いがした。
「〈浄化樹〉という名前ですから瘴気を浄化しているのだと思いますが、具体的にはどうしているのですか?」
カムイら三人が浄化樹の鉢植えに群がっているその後ろでは、アストールがガーベラに質問をしていた。ガーベラも興味を持ってもらえたことが嬉しいのか、彼の質問に丁寧に答えていく。
「浄化というよりはむしろ吸収ね。浄化樹は瘴気を吸収して成長しているの」
吸収樹にしなかったのは語呂が悪いのと、初めて耳にした時の印象を考えてのことだと言う。「浄化の方が、なんか高尚なことをやっている感じがするでしょ?」と言って、ガーベラは片目を瞑り茶目っ気を見せながら笑った。
「浄化樹はガーベラさんのユニークスキルで創造したものと聞きました。初めからこのサイズで創ったのですか?」
次にアストールがそう尋ねると、ガーベラは苦笑いしながら首を横に振った。
「最初はむしろ、もっと大きなサイズ、だいたい樹齢五十年くらいを狙ってたんだけどねぇ……。ポイントが全然足りなくって断念したの。それで、とりあえず種を創って、残りのポイントをつぎ込んでここまで成長させた、ってわけ」
「ポイント、ですか……。もしかしてガーベラさんのユニークスキルは、ポイントを消費して使うものなんですか?」
「そうよ。初期設定のときにヘルプ教授と交渉してね。アタシ、魔力とか良く分かんないからそういう仕様にしてもらったの」
今はちょっと後悔しているわ、とガーベラは嘆息気味に続けた。アストールが「どうしてですか?」と尋ねると、彼女は腕を組みながらこう答える。
「魔力と違って、ポイントは自然回復しないからねぇ。おかげでアタシは慢性的なポイント不足よ」
「それでも、その発想は秀逸だと思いますよ。少なくとも、ポイントを魔力の代わりに使うだなんて、そんな発想は私にはありませんでした」
苦笑を浮かべながら嘆くガーベラに、アストールは大真面目な顔をしてそう言った。それを聞くとガーベラは少しくすぐったそうな顔をして「ありがと」と言った。
「……それにしても、瘴気を吸収して成長する木、ですか。リムさんの【浄化】とは違いますが、カムイ君の【Absorption】に似ていますね」
もちろん、カムイのアブソープションに比べればその力は弱い。しかしその力を、途切れることなくずっと使い続けられるのは、大きなメリットである。それに力が弱いのなら数を増やせばいいのだ。もちろんそのためには相応のポイントが必要になるのだろうが、それが可能な点もメリットの一つと言えるだろう。
「ふむ……」
アストールは一つ頷くと、懐から【瘴気濃度計】を取り出す。そしてそれを浄化樹の葉に近づける。すると値が勢いよく下がり始め、最終的に0.12を指した。言うまでもなく、今までで最も低い数値である。
それを確認すると、次にアストールは浄化樹の鉢植えから少し離れる。すると【瘴気濃度計】の数値は上昇をはじめ、今度は0.73を示した。それ見て、彼はまた一つ頷く。1.0以下ではあるが、要するにこの海辺の拠点の瘴気濃度ということであり、つまり浄化樹の力がここまでは及んでいないと言うことだ。
「確かに浄化樹は瘴気を吸収していますね。ただ、その範囲は決して広くはない」
「辛口な評価ね……。ま、反論の余地も無いけど」
肩をすくめながらガーベラはそう言った。そんな彼女に、アストールは何事か少し考え込んでから、また質問を投げかける。
「ガーベラさん、この鉢植えの土は普通の土ですか?」
「ええ、そうよ。スコップでその辺の土を掘って、植木鉢に入れたの。それがどうかした?」
「いえ、ちょっとした思い付きですが……」
そう言ってアストールは鉢植えに近づくと、そこから手で少量の土を取る。そしてその土を【瘴気濃度計】のセンサーの部分に押し付ける。すると数値はぐんぐん下がり、最終的にほとんど0.0に近い値になった。最低値の更新で、つまりこの土にはほとんど瘴気が含まれていないと言うことになる。
「トールさん、これは……」
「どうやら浄化樹は根からも瘴気を吸収しているようですね」
土を鉢に戻しながらアストールはそう言った。それをカムイたちは「へぇ~」と声を上げる。その中にはなぜかガーベラまで混じっていて、カムイは思わず「アンタ、自分で創ったんだろ」とツッコんでしまった。
「いや~、そこまで細かく設定してなくってね。でもまあ、考えてみれば当たり前か」
植物の根というのは、水分や養分を吸収するためのものである。なら瘴気を吸収して成長する、つまり瘴気を養分とできる浄化樹の根が、それを吸収しているのは至極当然のことと言えた。
「それじゃあ、この鉢植えを地面に直接植え替えれば、もっとたくさんの瘴気を吸収してくれるんじゃ……?」
「その可能性は大いにありますね」
呉羽の呟きをアストールは大きく頷いて肯定した。そして四人の視線がガーベラに集中する。「どうしてそうしないのか?」という無言の問い掛けに、彼女は肩をすくめて苦笑を浮かべながらこう答えた。
「アタシもそれを考えなかったわけじゃないんだけどねぇ~。そう簡単な話じゃないのよ」
「例の〈侵攻〉というヤツですか?」
アストールがそう尋ねると、ガーベラは一つ頷いて肯定する。一方、昨日の会談に出ていない呉羽とリムは、聞きなれない単語に首をかしげた。
「トールさん、その〈侵攻〉ってなんですか?」
「海から大量のモンスターが上がってくる現象よ。正確な数は分からないけど、まあ十万くらいはいるでしょうね」
そう答えたのはガーベラだった。その十万と言う数に、呉羽とリムは驚く。そして恐るおそるこう尋ねる。
「そんな数、全部倒せるんですか?」
「まさか。倒せるわけないわ。コッチも防衛線張って頑張ってはいるけど、まあ半分以上は素通りね」
ガーベラはさばさばとした口調でそう答えた。そしてそれが、浄化樹を地に下ろせない理由だと言う。
「地に下ろすなら、この先のことも考えて、どうしても拠点から少し離れたところになるわ。でもそれだと、素通りしたモンスターに何されるかちょっと怖くってね」
瘴気を振りまくモンスターと、瘴気を吸収する浄化樹は、どう考えても相容れない存在だ。海から上ってくるモンスターは、プレイヤーに対してはあまり積極的に攻撃を仕掛けてこない。だからこそ素通りと言う現象が起こるのだが、しかし浄化樹も無視してくれるとは限らない。寄って集って伐採でもされたら、今までの努力が水の泡だ。それが怖くて、まだ地に下ろせていないのだとガーベラは言う。
「幸い、リンリンたちが頑張ってくれているおかげで、プレイヤーたちが普段寝起きしている範囲には侵入されずにすんでるわ。鉢植えしておけば動かすのも簡単だし、まずは数を増やそうと思って現在ポイントを溜めているというわけよ」
ガーベラは苦笑に自嘲を混ぜ込んだような口調で、そう自分の現状を語った。
「では、増やしましょう」
ガーベラの話を聞いたアストールは、穏やかな、しかし思いのほか強い口調でそう言った。その言葉に対する反応は様々だ。カムイは眉をひそめて「げっ」と言う顔をし、呉羽とリムは「その手があったか」と感心する。そして当のガーベラは苦笑を深くした。
「そう簡単に増やせるなら、苦労はないわよ」
「ポイントなら私が出します。だから増やしましょう、浄化樹」
アストールがそう言うと、ガーベラは目を大きく開き、数秒の間言葉を失った。やがて彼の言葉の意味を理解すると、少し躊躇ってから遠慮がちにこう尋ねる。
「……えっと、ポイント、大丈夫なの? 昨日の懇親会もあなた達の奢りだったんでしょう? こういうのもなんだけど、結構かかるわよ?」
「ひとまず、500万までなら今すぐ用意できます」
ガーベラの心配をよそに、アストールは涼しい顔をしてそう答える。それを聞いて、ガーベラは満面の笑みを浮かべた。
「気前のいいパトロンゲット! 500万あれば、あのサイズの鉢植えを最低でも二本は増やせるわ!」
「はは、喜んでもらえて光栄です。ただ、私としてはパトロンではなく出資者のつもりなんですが……」
「ええ~、ケチ臭い」
パトロンではなく出資者と聞いて、ガーベラが露骨に嫌そうな顔をした。とはいえ、それさえも交渉の一環、つまり演技であると気付いているアストールは、にっこりとした笑顔を浮かべたまま一歩も退かずに応戦する。
「まあそう言わずに。配当が出るのであれば、私としても他の出資者の方を紹介しやすくなります。あ、ちなみに心当たりは今のところ三人ほど……」
言うまでもなく、アストールの言う三人とはカムイと呉羽とリムのことだ。三人もそれぞれ500万ずつ出資してくれるとしたら、ガーベラは一気に2,000万Ptという巨額のポイントを集めることができる。これだけあれば、今ある鉢植えと同じサイズの浄化樹を八本、いや十本ぐらい増やすことができるかもしれない。
2,000万Ptもつぎ込んでたったの十本、と思うかもしれない。しかし忘れてはいけない。浄化樹は瘴気を吸収し、それによってプレイヤーにはポイントが発生するのだ。今ある鉢植えでだいたい一日に付き1万Pt得られるから、これが十本あれば一日10万Ptを得られる計算になる。
これなら、200日で2,000万Ptを回収できる。さらにその後も、浄化樹は瘴気を吸収してポイントを生み出し続けるだろう。それを考えれば、2,000万という初期投資は決して高くはない。
これが貸し付けで、しかも法外な金利を課されるのであれば躊躇もするが、しかしこれは出資である。渡すものが配当である以上、それは収益の範囲で決めることができる。要するに、ガーベラが一方的に損をすることを絶対にないのだ。
(一日10万Pt……。仮に配当が五割だとしても、5万は手元に残る。考えるまでもないわね……)
頭の中で素早くそう計算し、ガーベラは腹を決めた。浄化樹の場合、数こそ力なのだ。数を増やすほど、得られるポイントも増える。そしてポイントが溜まれば、また浄化樹を増やすことができる。この循環を生み出すためにも、2,000万Ptの初期投資と言うチャンスを逃す手はない。
「う~ん……。ま、いいわ。じゃあ、出資ということで」
腹は決めたものの、いちおうわざとらしく悩むフリをしてからガーベラは出資の話を受けた。そして具体的な条件を定めて契約書を書こうと思ったのだが、ここでアストールが意外なことを言った。
「私のポイントで、ガーベラさんのユニークスキルを使えないでしょうか?」
「えっと……。それってつまり、一旦ポイントを譲渡してから、ってことじゃないわよね?」
「はい。直接使えないか、と言う意味です」
「それは……、ちょっと分からないわ」
反射的に否定しそうになったが、ガーベラは少し考えてから「分からない」と答えた。やってみたことはおろか、考えたことすらなかったからだ。というより、【植物創造】はユニークスキル。本人以外は使えないと考える方が自然だ。
「創造する植物の設定や最終的な決定はガーベラさんにしかできないんですから、十分ユニークといえますよ。なんにしても、まずは試してみましょう」
アストールは気楽な調子でそう言った。できなかったとしても、誰が損をするわけでもない。その時は普通に、ポイントを一旦譲渡すればよい。
「そうね、やってみましょうか」
明るい声でそう言うと、ガーベラは早速【植物創造】のメニュー画面を開く。そして手早く各項目を書き込んで設定をしていく。創るモノが決まっているので、彼女の手が止まることはない。
「あれ、また新しいのを創るんですか?」
メニュー画面を覗き込んでいたカムイがそう尋ねる。それを聞いて、ガーベラは一旦手を止めて彼の方を見た。
「そうよ。どうかした?」
「いえ。挿し木してそれを成長させれば、少しは安く済むんじゃないかと……」
「お、挿し木のことを知ってるとはねぇ~。でも今回はダメね」
まだ木が小さいから枝を切りたくないのだ、とガーベラは言う。「十本分も枝を切ったら丸裸になっちゃうわ」と彼女は笑った。
「さて、これで設定はいいんだけど……」
設定を終えると、ガーベラは苦笑気味にそう言ってメニュー画面を四人に見せた。色々と書き込まれた項目の一番下に、必要となるポイントが記されている。その額、187万Pt。現在のガーベラの保有ポイントでは足りず、そのためなのかそこだけ赤字で記されていた。
「見たところ、他のプレイヤーがポイントを支払うような機能は無さそうですね……」
呉羽がメニュー画面を覗き込みながらそう言う。その横でアストールは「そうですね……」と小さく呟き、それからおもむろに赤字で記された「1,870,000Pt」の部分を指でタップした。するとその項目の下に【Astor】の名前が記された欄が追加される。そして同時に彼の目の前にはメニュー画面が現れ、そこにはこう書かれていた。
《いくら負担しますか?》
アストールは迷わずに全額負担を選択。するとガーベラのメニュー画面の【Astor】の欄に「1,870,000Pt」と記され、一方今まで赤字だった部分は黒字で「0Pt」になった。そして最後に「実行しますか? Yes / No」の選択肢が現れる。
「驚いたわ……。まさか本当にできるなんて……」
半信半疑、いやまさかできるとは思っていなかったガーベラが、目を見開いてそう呟く。それから彼女はアストールに促されて「Yes」のボタンをタップした。すると空中にシャボン玉のエフェクトが現れ、その中から一本の若木が現れる。高さが1メートル程度の浄化樹で、根っこは粗布にくるまれていた。
新たな浄化樹を無事に創り終えると、カムイたちは次にその木を鉢に植えた。ちなみにその鉢を購入したのもアストールだ。作業が終わり、二つの浄化樹の鉢植えが並べられたのを見て、ガーベラは感慨深げに何度も頷いていた。
「さて……」
小さくそう呟いてから、アストールはシステムメニューを開く。そしてポイント獲得のログを確認する。その最新の項目にはこう書かれていた。
《浄化樹が瘴気を吸収した!(1/2) 12Pt》
それを見て、アストールは満足げに頷いた。そしてカムイたちを呼んでそのログを見せる。それを見ると、カムイたちは眼を輝かせ、一方でガーベラは苦笑を浮かべた。
「どうやら契約書を書く必要はないみたいね」
このログを見る限り、ポイントの分配はシステムが自動的にやってくれるようだ。そのため誤魔化しようがなく、わざわざ契約書を交わす必要もない。
(ま、システムが勝手にやってくれるのなら、後々にもめる心配もないってことよね。なら、コッチの方がいいか)
いつの時代、そしてどの世界であっても、お金が絡むと問題が起こりやすい。それを回避するために契約書を交わすのだが、しかし司法が機能しているとは言い難い今の状況では、どれほど実効性があるのかは疑わしい。そして実効性が疑われれば、もはや契約は成立しない。
だがこうしてシステム的に分配が決定されてしまえば、プレイヤーには文句の言いようがない。ある意味で絶対の強制力を持っているといえるだろう。しかし同時にこれはメリットでもある。
特に今の場合、出資者側には配当がシステム的に保証されていることになるし、ガーベラも煩雑で拗れやすいポイントの問題をシステムに丸投げすることができる。今後のことを考えれば、契約書を交わすよりも楽で有効な方法と言えた。
この後、カムイたちはそれぞれポイントを出して浄化樹を合計で九本創った。合計で十本になった浄化樹の鉢植えは、五本ずつ二列に並べられていて、その眺めはなかなか壮観である。
「あとは、この鉢植えをいつ地に下ろせるか、ですね」
並べられた鉢植えを眺めながら、アストールがそう呟く。彼はもう先のことを見ている。それがカムイには眩しく思えた。
「目安は次の〈侵攻〉ね……。人数が増えたことで、迎撃の効率がどれだけ上がるのか。その結果次第では、もしかしたら近いうちに地に下ろせるかもしれないわ」
ガーベラがそう言うと、アストールも真剣な顔をして頷く。そして、それからふっと表情を緩め、どこか茶目っ気の混じる声でこう言った。
「では、デリウスさんとロナンさんに頑張ってもらいましょう」
迎撃の中心となるのは、間違いなく〈世界再生委員会〉と〈騎士団〉だ。取りこぼしをどれだけ少なくできるかは、彼らの活躍にかかっている。
逆を言えば、アストール一人にできることは限られている。どれだけ先を見据えていようとも、一人のプレイヤーの力では、たいしたことはできないのだ。そのことを思い出して、カムイは少し安心したような、しかしどこか悔しいような、そんな気分になった。




