〈侵攻〉3
リーンと楽しく飲んでから幾日かが過ぎた。この日、ガーベラは拠点から少し足を伸ばし、その周辺へ偵察に出ていた。この前日にも〈侵攻〉があったのだが、〈侵攻〉では多くのモンスターが、防衛線をすり抜けて内陸側へ入り込んでいる。ということはそれだけまた大地が瘴気で汚染されてしまったということだ。その様子を確認しに行くのである。
(ま、それだけが理由じゃないけどね~)
ガーベラは内心でそう気楽な声をだす。瘴気濃度が上がるからなのだろう。〈侵攻〉のあとはモンスターが出やすい。それを倒してポイントを稼ぐことも、彼女の目的の一つである。
(これも世界のタメってヤツよ)
ポイントは、ある行動が「世界の再生に資する」と判断された場合に発生する。つまりモンスターを倒すことは「世界の再生に資する」のだ。この建前がある以上、どこからも文句など出ない。まあ、文句を言うヤツなどそもそもいないわけだが。
(それに……)
それに、こうやってモンスターを倒すことは拠点を守ることにも繋がる。モンスターを倒すことで、多少では有るが瘴気濃度を下げることができるのだ。要するに〈侵攻〉の取りこぼしを挽回していると思えばいい。
ただし、全てを挽回できるわけではない。リーンも言っていた通り、全体的な傾向として拠点周辺の瘴気濃度は少しずつ上がり続けている。それでもやらないよりはましだろう。少なくとも、タイムリミットまでの時間を引き延ばすことはできる。そう思い、ガーベラは〈侵攻〉のあとの偵察をルーティーンにしていた。
「ポイントも稼げて一石二鳥!」
人のためになり、自分のためにもなる。これをやらない手はない。
そうやって歩いていると、突然ガーベラの目の前で地面から立ち上る瘴気が寄り集まり、一つの形になっていく。モンスターが出現する前兆だ。さらに後ろに二つ、同じような気配をガーベラは捕捉する。どうやらいきなり囲まれたらしい。
しかしガーベラは慌てることなく、姿勢を低くしてその場から少し移動する。モンスターは完全に出現しきるまで攻撃することができない。攻撃しても当らず、すり抜けてしまうのだ。しかし同時に、出現しきるまでは攻撃されることもない。
だからそれまでの時間を利用して、ガーベラは位置取りを変える。これで囲まれた状態からは抜け出せた。少しはマシな状態で戦闘を始められるだろう。
三体の出現中のモンスターが全て視界に入るよう立ち位置を調整してから、ガーベラは腰に差したサバイバルナイフともう一本のナイフを抜いて両手に構える。そして彼女は姿勢を低くしてその時を待った。
「ギギィィィィィ!」
出現と同時に、一番近い位置にいるモンスターが奇妙な叫び声を上げてガーベラに襲い掛かる。リザードマン、とでも言うべきか。太い尻尾と蛇に似た頭を持つ二足歩行のモンスターで、手には剣のような得物を持っている。もちろん赤い目以外は全て真っ黒で、まるで影が起き上がって動いているように思えた。
「おっと」
ガーベラは小刻みなサイドステップでモンスターの攻撃をかわす。そして勢い余って前のめりになり、たたらを踏むモンスターの後頭部に逆手に持ったナイフを突き刺す。確かな手応えを感じてからナイフを引き抜くと、後ろでモンスターの倒れる気配がした。
それを確かめることも無く、ガーベラは正面を見据える。あと二体、同じようなモンスターがいる。これらのモンスターは〈侵攻〉で海から上がってくる個体よりも強い。油断は禁物だ。
「なんだか、懐かしいわねぇ~」
戦闘中だというのに、ガーベラは小さくそう呟いて苦笑した。このリザードマンに似た動物(もちろんこんな真っ黒でない)を、彼女はもといた世界で見たことがある。その動物はトカゲの仲間で基本的に四足歩行なのだが、後ろ足が発達していて短時間なら二足歩行も可能、という特性を持っていた。ガーベラが見つけた新種の爬虫類で、コイツの命名権はオークションで高値が付いた。
「ギギィ!」
モンスターが上げる奇妙な鳴き声で、ガーベラは意識を戦闘に集中させる。あの新種を見つけたときに比べればこんな状況まだヌルい。あの時は群れで襲われて死にかけたのだ。フラッシュグレネードが無かったら、多分本当に死んでいただろう。
(アレに比べたらこの二体くらい、ってね……!)
そんなことを考えるガーベラに、二体のモンスターが同時に襲い掛かった。それを見て彼女は姿勢を低くしたまま前に出る。そして敵の間合いに入ったところで素早くサイドステップ。攻撃をかわしてそのまま片方のモンスターの足を刈る。敵が体勢を崩したところにガーベラは体ごと体当たりして、二体のモンスターを互いにぶつかり合わせた。
「ギギ!?」
モンスターの困惑したような声。それを聞きながら、ガーベラはサバイバルナイフを低い位置からモンスターに突き刺した。さらに一拍遅れてから、逆手に持った左手のナイフを今度は上から突き刺す。そして手応えを確認してから素早く後ろに下がって間合いを取る。それとほぼ同時に、ナイフを刺されたモンスターの身体が解けて瘴気へと還っていく。薄紅色の魔昌石が、ポトリと地面に落ちた。
倒されたモンスターが瘴気へと還ったことで、一瞬だけ残りの一体とガーベラの間に目隠しができた。その隙を、彼女は見逃さない。敵がどんな姿勢でいるのか目には見えないが、しかし彼女にはそれが、なぜかなんとなく分かった。それで、左手に持っていたナイフを素早く投擲する。
投擲したナイフが瘴気の目隠しを突き破るのと同時に、ガーベラは姿勢を低くして地面を這うようにしながら前に出た。目隠しになっていた瘴気が拡散して向こう側の様子が見えるようになると、思ったとおりナイフはモンスターの目に突き刺さっていた。そのせいでモンスターはのた打ち回り、接近してくるガーベラを迎え撃つどころではない。それで彼女は簡単に敵の懐に潜り込むと、腕をムチの様にしならせ、大振りなサバイバルナイフで下から斜めに大きく切り上げる。
「ギィ……!」
短い断末魔。この深くて大きな傷が決定打となった。身体を切り裂かれたモンスターは後ろへ倒れ込む前に瘴気へと還り、魔昌石と刺さっていたナイフが立て続けに地面に落ちた。
「ふう……」
ガーベラは一つ息を吐くと、二本のナイフをそれぞれ腰に吊るした鞘に戻した。そして地面に転がっている三つの魔昌石を回収してポイントに変換する。
「これでよし、っと」
ポイント変換が終わってから、ガーベラは次の獲物を求めて周辺を見渡した。同時に気配を探るが、どうやらモンスターはいないらしい。それを確認すると、彼女はその場から移動した。「同じ場所にいてもモンスターは出現しにくい」というのも、プレイヤーたちが培ってきた経験則である。
それから歩くと、ガーベラは妙な気配を感じた。まるで、風がまとわり付くような、そんな感覚を覚えたのだ。「風が吹いただけ」と言われれば納得してしまいそうな、普段であれば気にも留めない瑣末な気配だが、彼女はこれがどうにも気になった。なんだかただの風ではないような気がしたのだ。
少し迷ってから、ガーベラはこの風の気配を探り始めた。気配の探知といい、こういう場合の直感といい、この世界に来てからの彼女は妙に冴えている。それを信じることにしたのだ。
探れば探るほど、風の気配が明確になっていく。さっきまでなぜ瑣末なものと感じていたのか、不思議なくらいだ。その気付きは、騙し絵のトリックに気付いたときのそれに似ている。
「さあて。何かしらね、これは」
警戒しつつも、ガーベラの中には期待もあった。この気配は、今までに感じたことがないものだ。ということは、まったく新しい何かである可能性が高い。プラント・ハンターをやっていたガーベラは新しいものが大好きなのだ。お金になるものなら尚いい。
「これは……!」
気配を探っていたガーベラの顔が、突然真剣なものになった。そして手近な物陰に身を隠す。そしてそこからそっと顔を出し、ベストのポケットから小さな望遠鏡を取り出して覗き込む。そこに映る光景を見て、ガーベラは思わず息を呑んだ。
「プレイヤー……!」
彼女が気配を感じ取り、そして今まさに視認したもの。それはプレイヤーだった。それも一人や二人ではない。五十人程度の集団である。
「どうしようかしら……」
物陰に身を隠しながら、ガーベラは難しい顔をして思案する。最大の問題はあの集団が友好的であるか否かだ。五十人という数は、海辺の拠点にいるプレイヤー数には及ばないものの、同じ程度の規模と言える。この集団がもし丸ごと敵だった場合、最悪二つの集団は血みどろの殺し合いを演じることになるだろう。
(敵と決め付けるのは早計だけど……)
もちろんガーベラだって彼らが友好的であってほしいと思っている。行き詰まり、徐々に追い詰められている海辺の拠点にとって、この五十人と言う戦力は喉から手が出るほど欲しいものだ。
しかし最悪の未来を否定するだけの判断材料を、今のガーベラは持ち合わせていない。そして希望的観測をもとに動くと、大抵痛い目に遭うことを彼女は知っている。彼女は楽観的な人間だが、同時にリアリストでもあるのだ。
(アタシ一人で接触するのは危険ね……。ここは一旦拠点に戻って、リンリンかロナンさんに教え……)
そこまで考え、ガーベラはあることに気付いた。最初に探っていた、あの風についてである。あの風は、あの集団にいる誰かのものではないだろうか。もしそうなら、その誰かはすでにガーベラのことを捕捉している可能性が高い。そのことに思い至り、彼女は血の気が引くのを感じた。
(もしそうなら……)
もしそうなら、ガーベラが何かしらの動きを見せたその瞬間に攻撃されるかもしれない。例の集団とはまだ距離が離れているが、この程度の距離、例えば長距離狙撃用のユニークスキルならばあって無いようなもの。いきなり攻撃されなかったとしても、ガーベラが海辺の拠点まで戻れば、彼らにその位置を知られてしまう。
(ま、どっちにしても今更ね……)
攻撃されるならば今この瞬間にされてもおかしくはない。拠点の位置にしても、ここまで接近されれば知られるのは時間の問題だろう。大方、【導きのコンパス】でも使っているのだろうし。
(ならやっぱり、彼らのことをリンリンたちに教えるのが最善かなぁ……)
ガーベラはそう冷静に結論を下した。攻撃されたとしたら、その時はその時だ。そして身を隠していた物影から離れて、拠点の方へと急ぐ。
ありがたいことに攻撃はなかった。ただし、例の風の気配は相変わらずまとわり付いている。つまり捕捉されっぱなしということ。そのことに苦笑しつつも、ガーベラは気にしないで拠点に急いだ。
― ‡ ―
「あ、対象が動き始めました。離れていきます」
呉羽がそう報告する。彼女は自身のユニークスキル【草薙剣/天叢雲剣】の力で周辺を探り、索敵の真似事をしていたのだが、先程動く反応を一つ見つけたのだ。詳しく探ってみると、どうもプレイヤーらしい。そこまで調べた呉羽はまずはそのことをアストールに告げ、そして彼から言われてデリウスにも報告した。
『本当か!?』
プレイヤーらしき反応を見つけたという報告に、デリウスは珍しく喜色を見せる。プレイヤーがいるということは、この近くに拠点がある可能性が高い。長かった拠点移動の旅にも、ようやく終わりが見えてきたのだ。
『肝心なのはむしろここからです。他の集団と初めて接触するのですから。最初に躓くと、後々までこじれてしまうかもしれません』
そう言って浮き立つプレイヤーたちを冷静に諌めたのはアストールだった。【導きのコンパス】に入力した条件は「ここ(山陰の拠点)から一番近く、プレイヤー数が五十人以上で、さらに五十人を受け入れられる拠点」というもの。よって、目指す拠点には五十人以上のプレイヤーがいるのは確実と思っていい。彼らと揉めるようなことは、特に殺し合いになるようなことは絶対に避けなければならない。それでは何のためにここまで来たのか分からないからだ。
『その通りだな。それでクレハさん、見つけたプレイヤーの様子はどうだ?』
『コッチを窺っているような感じはしますね。詳しい様子は分かりませんが……』
呉羽がそう答えたところで、彼女が捕捉していた反応が動き出す。接近してくるのではなく離れていくのを確認してから、彼女は冒頭の報告を述べた。
「警戒させてしまったか?」
「そうかもしれませんね」
デリウスとアストールがそう言葉を交わした。見ず知らずの、しかも五十人近いプレイヤーの集団だ。警戒するなと言う方が無理だろう。むしろ、いきなり攻撃を仕掛けてこなかった分、冷静な対応だとアストールは思っている。
「それで、方向はどっちだ?」
「えっと、あっちです」
そう言って呉羽が指差した方向は、【導きのコンパス】が指し示す方角と同じだった。それを確認して、デリウスは例のプレイヤーが拠点へ報告に戻ったのだと確信する。ということは、このまま進んでいけば向こうから接触してくる可能性が高い。それも、拠点の主だった人物が。
「むしろ好都合だな。むこうが意見を纏められるように、ゆっくり進むとしよう」
「こちら側の方々にも、事情を説明しておいた方が良いでしょう」
アストールのその言葉に、デリウスは黙ったまま頷いた。コッチがあちら側の暴発を警戒しているように、アッチだってこちら側の暴発を警戒しているに違いない。そしてどちらか一方でも暴発してしまったら、あとは血みどろの殺し合いになるだけだ。そしてそれを収拾できたとしても責任問題が残る。暴発させてしまった側の立場が極端に悪くなるのは容易に想像できた。
デリウスがプレイヤーたちを集めて説明を行っているのを少し離れたところから見守りながら、アストールはおもむろに【瘴気濃度計】を取り出して数値を確認する。現在の数値は1.12。それを見て、彼は少しだけ眉間にシワを寄せた。
「どうかしたんですか?」
アストールが難しい顔をしているのを見て、カムイが彼に話しかける。ちなみに呉羽はリムとお話中だ。
「これを見てください」
そう言ってアストールは【瘴気濃度計】をカムイに見せる。それを見て、しかし彼は首をかしげた。アストールが何を言いたいのか、よく分からなかったのだ。
「決して細かく数値を計っていたわけではありませんが、旅の途中、ずっと瘴気濃度の数値は記録してきましたよね?」
「え、ええ。でもそれがどうしたんですか?」
「一番低かった数値で、確か1.08。つまりここに来るまでの間、一度も1.0を下回ることはありませんでした」
「あ……」
カムイはようやくアストールの言わんとすることを理解した。瘴気濃度1.0というのは、ゲーム開始時の平均値である。平均値と言うことは、それより高いところもあれば低いところもあって当然のはず。それなのに、旅の途中に測定してきた数値は全て1.0を超えている。つまり平均より低い場所がなかった。確率的にありえないわけではないのだろうが、やはりおかしいと言うべきであろう。
「私たちが移動してきた距離は、この世界全体から見れば微々たるものでしかないでしょうから、確かなことはいえません。これからいく場所は、瘴気濃度がもっと低いかもしれませんし。ですが、このゲーム開始以来、瘴気濃度が世界規模で上がり続けていることは、覚悟しておいたほうがいいかもしれません」
アストールのその言葉に、カムイは神妙な顔をして頷いた。考えてみれば、〈魔泉〉という大量の瘴気を噴出し続ける存在があるのだ。時間と共に瘴気の全体量が増え、その濃度が上昇するのは当たり前のことである。
(だけど、それってつまり……)
それはつまり、時間は無制限に残されているわけではない、という残酷な現実を示している。今すぐにどうこうと言うことはないだろう。プレイヤー側だって、瘴気への耐性は増している。しかしそれでも、あまりに悠長に構えていては、ゲームクリアどころかゲームオーバーになりかねない。そのことを、カムイは改めて思い知らされた気がした。
さて、プレイヤーたちに「絶対に軽率な行動はしないように」とよくよく言い聞かせてから、デリウスは移動を再開させる。いつ向こう側のプレイヤーたちと接触してもいいように、彼自身が先頭に立っていた。その背中に緊張の気配が漂っているのは、決して気のせいではないだろう。
そして十分ほど歩いたところで、ついにプレイヤーの一団がデリウスらの前に現れた。人数は十人。全員が手練れのように見える。警戒しているのか、それとも舐められないようにという配慮なのか、おそらくは両方なのだろう。
彼らの姿を認めると、デリウスは指揮下にいるプレイヤーたちに足を止めさせる。そして〈騎士団〉の幹部二人だけを伴い、やって来た一団の方へ向かう。すると、その一団も一旦足を止めて三人だけが前に出てくる。そして互いに警戒と期待を抱きつつ、間合いを探るようにしながらファーストコンタクトが始まった。
「まさかこんなに早く、外からお客さんが来るとは思っていませんでした。望外の幸運です」
「この世界は厳しい。それを理解されている方とこうして出会うことができ、嬉しく思います」
「失礼、先に名乗るべきでしたね。私は〈世界再生委員会〉のギルマスで、【Ronan】といいます。この先にある拠点の……、まあ、まとめ役みたいなものです」
「そうでしたか。私は〈騎士団〉の団長で【Derius】といいます。後ろにいるプレイヤーたちは全員が〈騎士団〉のメンバーではありませんが、移動に際しては私の指揮下に入ってもらっています」
そう言葉を交わしてから、ロナンとデリウスは握手を交わした。ひとまずは友好的な出だし、と言っていいだろう。二人のそれぞれ両脇にいるプレイヤーたちも、どこかホッとしたような表情をしている。
「お聞きしたいこと、お話したいことがたくさんあります」
「私もです」
それならば落ち着けるところで話をしようということになった。山陰の拠点からやって来たおよそ五十人のプレイヤーは、ロナンらの案内で海辺の拠点へと案内される。ただ、デリウスはプレイヤーたちを拠点にはいれず、その外れで待機させた。無用な混乱を警戒してのことだ。
会談の場となったのは、〈世界再生委員会〉が使っている一番大きなテントだった。そこへ案内される前に、デリウスはアストールとカムイを呼んだ。一緒に来てくれ、ということらしい。
「トールさんはともかく、なんでオレまで……?」
不満と言うよりは怪訝な顔をして、カムイは首をかしげた。アストールは〈騎士団〉のメンバーではないが、旅の間中プレイヤーたちにポイントを支給していた関係で、今では一目置かれる存在になっている。また彼自身、非常に頭がキレるので、今ではデリウスの相談役のようなポジションになっていた。
そんなアストールだから、この重要な会談の場に呼ばれるのは分かる。しかしカムイは、言ってみればアストールのお供でしかない。そんな彼を、どうしてわざわざ呼ぶのか。その疑問に答えたのは、他でもないアストールだった。
「あの、確かシャシンでしたか。〈魔泉〉の様子を見せられるのがカムイ君だけだからでしょう」
「ああ、なるほど……」
アストールの言葉にカムイは納得する。〈魔泉〉の存在は大きな情報だ。それを信じてもらうためには、その様子を実際に見せるのが効果的である。そしてそれができるのは、〈魔泉〉の写真を保存してあるカムイだけだ。そもそも彼だって、そのつもりで写真を撮っておいたのだ。
「どうぞ、ご着席ください。今、飲み物を用意します」
案内されたテントに入ると、ロナンに勧められてデリウスらは着席する。彼がこの場に連れて来たのは、アストールとカムイ、そして〈騎士団〉の幹部の二人で、合計五人。ロナンの側の同じく五人で、十人は机を挟んで向かい合うようにして座った。
「まずは自己紹介といきましょう」
最初にロナンがそう言って自分の左右にいる四人を紹介した。右にいる二人は〈世界再生委員会〉の班長で、左にいるもう二人はそれぞれ委員会に所属していないパーティーのリーダーであるという。それに倣ってデリウスも自分が連れて来た四人を紹介する。全員の自己紹介が終わったところで、タイミングよく紅茶が運ばれてきた。
「さて、まずは何から話したものか……」
出された紅茶を一口啜ってから、デリウスは思案するようにそう呟いた。そして少し考え込んでから、おもむろにこう言った。
「まずはこれを見てもらった方がいいでしょう。カムイ君、アレを」
デリウスに促され、カムイはシステムメニューを開く。そしてアルバムに収められている写真を拡大してロナンら五人に見せた。何枚もの写真がまるでホログラムのように宙に浮いて展開される様子はまるでSF映画のようで、どちらかと言えばファンタジーの香りが漂うこの場では、著しく場違いに見える。しかし写真を見た側は、そんなことを気にする余裕はない様子だった。
「これは……」
そう声を漏らしたのは、リーンと名乗った〈世界再生委員会〉の班長だった。彼女は並べられた写真を食い入るように見つめる。彼女を含め、写真を見るロナン側の五人の表情は揃って険しい。
「我々は、これを〈魔泉〉と呼んでいます。ご覧のとおり、瘴気の噴出し口です」
デリウスが簡潔にそういうと、写真に見入っていた五人からはうめき声が漏れた。詳しい説明などされずとも、彼らはもう気付いてしまったのだ。この〈魔泉〉と呼ばれる存在がいかに厄介で危険な存在なのか、そして自分達プレイヤーの置かれている状況が考えていた以上に逼迫していることに。
それからデリウスは、このゲームが始まってから今までのことを説明する。特に、〈魔泉〉の調査に向かった際のことは、地図やそこに記入された瘴気濃度の数値、途中に出現したモンスターのことなども含めてかなり詳しく話す。ロナンは最後まで彼の話を遮ることなく、真剣な表情をしながら聞き入った。
「…………そうでしたか。重大な情報の提供を感謝します。それにしても、その〈魔泉〉に現れたという巨大なモンスターは、どうやら普通のモンスターとは桁が、いえ次元が違うようですね」
「はい。時間制限があったとは言え、竜化したケイレブは間違いなく〈騎士団〉の中で最強の存在でした。攻守ともに、です。それなのに攻撃は効果が無く、一方で敵の攻撃には耐えることができなかった。悔しいですが、あの化け物を倒す方法について想像さえできないのが現状です」
自分の無力と無能さに腹が立ちます、とデリウスはこぼした。そんな彼を、ロナンが労しげな顔をしながら慰める。
「それでもデリウス殿はこれだけの情報をまとめ、さらにお仲間方を率いてここまで来られたではありませんか。これは偉業です。私は貴方を尊敬します」
ロナンにそう言われると、デリウスは無言のまま、しかし小さく頭を下げた。彼が今まで抱えてきた重圧や気苦労は、恐らく同じく組織のトップに立つロナンにしか分かるまい。その彼から言葉をかけてもらえて、デリウスも少しは気が楽になったようだった。
「さて、次は私たちですね」
そう言ってロナンは表情を引き締める。彼の正面に座るデリウスも、背筋を伸ばして聞く姿勢を取った。一拍置き、冷めてしまった紅茶を一口啜って喉を潤してから、ロナンは海辺の拠点の現状について放し始めた。
「私たちの状況も、決して芳しくはありません。いえ、むしろ徐々に追い詰められているというべきでしょう。それは今こうして〈魔泉〉のことを知る以前からのことです。……ここにいるリーンの言葉ですが、我々は『援軍の来るアテのない篭城戦』を戦っているのです」
そしてロナンは〈侵攻〉のことを説明する。それを聞くと、デリウスの顔は徐々に険しくなっていった。十万を超えるモンスターというのは、今だかつてない規模の話である。〈魔泉〉の周辺でさえ、それだけの数が現れることはなかった。
「……それだけの数を相手に、これまでよくぞ戦い抜いてこられた」
「褒められた話ではありませんよ。恥ずかしながら、素通りさせてしまった数の方が多いでしょうから」
そう言って、ロナンは苦笑しながら首を振った。そしてしみじみとした口調でデリウスにこう告げる。
「あなた方が来てくださって、本当に良かった」
「来るはずのない援軍が来た、ということですかな?」
「もちろんそれもあります。ですがそれより大きいのは移動手段です。いざという時には撤退を選択できる。指揮官にとって、これほどありがたいことはありません」
その言葉を聞いて、カムイは「ああ、なるほど」と妙に納得してしまった。先程ロナンは自分達の戦いを「援軍の来るアテのない篭城戦」と表現した。それはただ単に守勢に追い込まれて打って出る手段がないと、そういうことだけを言っているわけではないのだ。ここ以外のどこへも行けない、行く手段がない現状のことを、彼は「篭城戦」と表現していたのである。
納得する一方で、カムイは「移動手段」に深く関わる一人として、「あまりアテにされても困る」とも思っていた。この海辺の拠点にいるプレイヤーの数はおよそ七十名。そこへ移動してきた五十名を加えると、その規模はおよそ一二〇名となる。その規模を守る結界を展開するのは大変だろう。
もっとも、それは主に呉羽の仕事であるからカムイはあまり心配していない。彼が一番心配しているのはポイントのことだ。もしも一二〇人に一日1,5000Ptを支給するなどということになったら……。
(一日180万Pt! 破産するわい!)
実際のところ、その程度ならまだ破産はしないのだが、それはそれである。その時は今度こそ自己負担にしてもらおう。カムイはそう決意するのだった。
「……さて、お互いの情報交換はこの程度でいいでしょう。まずはそれぞれ情報を持ち帰り、この先のことはまた明日以降に話し合うということでいかがでしょう?」
ここで新たに知った情報を整理し、今後の方針を決める時間が必要だ。それで、ロナンの提案にデリウスも頷いた。二人が合意したことで会談はお開きとなったのだが、その時アストールがおもむろに手を上げた。
「少し、いいでしょうか?」
「はい、何でしょうか?」
ロナンがそう応じると、アストールに視線が集まる。それから彼は、ゆっくりとこう話し始めた。
「今日は喜ばしい日です。二つのプレイヤー集団がこうして出会うことができたのですから。そしてこの先、我々は協力していかなければなりません。そのためには、プレイヤーたちが互いに知り合い、打ち解けあうことが何よりも肝要です。それで今晩、懇親会を開くというのはどうでしょうか?」
「懇親会、ですか……」
アストールの提案を聞くと、ロナンはそう小さくそう呟いた。それから、小さく視線を動かしてリーンのほうを見る。彼女は険しい顔をして考え込み、そして力なく首を横に振った。
「懇親会が有効で、いえ重要であることは認めます。……ですが残念ながら、我々にはその予算がありません」
無い袖はふれない。リーンは申し訳無さそうにしながらも、はっきりとそう言った。各プレイヤーから参加費とでも言って徴収すれば間に合うかもしれないが、しかしそれでは逆に反発を招くだろう。懐事情がギリギリで余裕がないのは、どのプレイヤーも同じなのだから。
「ああ、それならばご心配なく。懇親会の費用は全て私たちが負担します」
「ええ!?」
カムイが思わず声を上げる。アストールがここで言う「私たち」が、「山陰の拠点にいたプレイヤーたち」を指すわけではないことは明白だ。彼の言う「私たち」とは、つまりパーティーを組んでいるカムイら四人のことである。
「ちょ……、トールさん……!?」
「全ての方にご参加いただけるよう、皆さんには懇親会のことを広く伝えていただきたいのです」
思わぬ話の展開に焦るカムイを、アストールは華麗にスルーした。そして懇親会の意義を十分に理解しているロナンやリーンなどもその流れに乗る。
「それでしたら、簡単なことです。皆さん娯楽に餓えていますから、喜んで参加されると思いますよ」
「いや、だから……!」
「私たちのほうは、デリウスさんにお願いしてもいいでしょうか?」
「ちょ……、話を……!」
「承知した」
一番のネックだった費用をアストールらが丸抱えするとあって、話はトントン拍子に進んだ。約一名の抵抗は考慮されないどころか、無視されてなかったことにされる。こうして懇親会を開くことが“全会一致”で可決されたのだった。
「大人ってヒドい……」
そして少年はまた一つ大人への階段を上った。多額の費用と一緒に。




