〈侵攻〉2
――――海とは本来、恵み豊かな存在である。
そう考えるのは、なにも【Gerbera】一人だけではないだろう。「母なる~」とか、「大いなる~」とか、海の枕詞にはそんな、大きくて包容力があり、何もかも受け入れて包み込んでくれるようなイメージがある。他の世界出身のプレイヤーからも話を聞いてみたが、やはり皆似たような認識だった。
そして実際に、海とはそういう存在である。海がまことに生命の起源であるのかは判然としないが、しかし海が多くの生命を育みまた支えてきたことは事実である。歴史を振り返ってみても、知的生命体はまさに海に依存していたと言っていい。
さらに科学の発達した世界ならば、海が気候や気温に与える大きな影響についても研究されていることだろう。このように海とは知的生命体にとって、いやその惑星で生きる全ての生命体にとって、不可欠にして一方的に依存する恵み豊かな存在なのである。
しかしながら、どうやらデスゲームの舞台となっているこの世界は違うらしい。この世界の海は、災厄をもたらす。むしろ、海が恵ではなく災厄をもたらすようになったからこそ、この世界は滅びたのかもしれない。ガーベラはそんなふうにさえ考えていた。
それで、海がもたらす災厄とは一体なんなのか。一言でいえば、モンスターである。それも大量の。最低でも数万体。ともすれば十万を越える数の、そんな軍勢規模のモンスターが海から現れて襲ってくるのである。それを、この海辺の拠点にいるプレイヤーたちは〈侵攻〉と呼んでいた。
魚頭のモンスターが突き出す三叉の槍を、ガーベラは左手で逆手に持ったナイフで逸らす。そして低い姿勢のままさらに踏み込んで間合いを詰める。魚頭モンスターは小柄だ。身を屈めた彼女のちょうど視線の高さに、モンスターの首がある。その首筋目掛けて、彼女は右手に持った大振りなサバイバルナイフを一振りした。
「ギィ……」
短い断末魔の叫び。致命傷を負った魚頭のモンスターは、淡く紅に輝く魔昌石だけ残してその身体を瘴気へと還す。しかしガーベラはその魔昌石を拾うこともなく、すぐさま次の行動に移った。前と後ろに一つずつ、新たなモンスターの気配を感じ取っていたのである。
解けて瘴気に戻っていくモンスターの身体。それを目くらましにして、また三叉の槍が突き出される。そして後ろからも同じく攻撃の気配。ガーベラはそれらの攻撃を、サイドステップで回避した。
回避しながらガーベラは左手のナイフを手放し、その手で後ろから繰り出された三叉の槍を無造作に掴む。突き出されたその勢いを利用して、モンスターを引きずるような形になりながらも、そのままさらに前へと繰り出す。その槍の穂先にいるのは、前から襲い掛かってきたもう一体の魚頭のモンスターである。強制的に起こされた同士討ちによって、そのモンスターは致命傷を負ったのだった。
ガーベラの動きはまだ止まらない。前から襲ってきた一体を仕留めると、左手で掴んだ槍を、バックステップしながらグイっと持ち上げる。するとそれに引きずられて魚頭のモンスターの槍を持つ手が上にあがり、その腹部ががら空きになった。ガーベラは右手のサバイバルナイフをクルリと回転させて逆手に持ちなおすと、その腹に鋭い切っ先を突き刺す。
「ギィ……」
確かな手応えと、短いうめき声。モンスターを確実に仕留めたことを確信すると、ガーベラはようやく槍から手を放した。
そしてまた、気配を探る。周囲には馬鹿らしいほど多くのモンスターがいるが、直近に襲い掛かってくる個体はいない。それを確認してから、ガーベラは急いで三つの魔昌石を拾い上げてポイントに変換する。
モンスターを倒すことばかりに気をとられていると、肝心のポイントがまったく手に入らなくてあとで泣きを見ることになるのだ。「後で拾おう」などと考えていても、実際に拾えることはまずない。他の誰かが拾ってしまうのだ。そのくせガーベラが同じことをしようとすると、「盗むな」といちゃもんを付けられる。前に一度そういうことがあってから、彼女は確実に自分が倒したモンスターの魔昌石しか拾わなくなった。揉め事になれば、ソロでやっている彼女の方が、確実に立場が弱いからだ。
この世界には、法もそれを守らせる警察機構も存在しない。弱肉強食であり、強い者が我を通す。そんな世界で、それでも最低限の秩序が守られている一因は、皮肉なことにこの〈侵攻〉だ。明確すぎる目の前の脅威が、逆にプレイヤーたちを結束させるのに一役買っているのである。加えて大量のモンスターがやって来ることにより、潤沢なポイントを得られることも関係しているに違いない。
(金持ち喧嘩せず、とはちょっと違うか)
魔昌石一つに拘わって喧嘩するより、目の前のモンスターをぶっ飛ばした方が稼ぎはいい、ということなのだろう。そしてそれは、ガーベラにも当てはまる。結局、真面目に戦うのが一番なのだ。拠点から排斥されないためにも、そしてより多くの稼ぎを得るためにも。
「さて、頑張りますか」
砂浜に落としたナイフを左手に持ちなおし、ガーベラは小さくそう呟いた。そんな彼女から百メートル以上離れた場所で、大きな爆発が立て続けに起こる。きっとプレイヤーの誰かがユニークスキルでも使ったのだろう。アレで少なくとも数十体は倒しているはずだ。羨ましい火力である。
「ユニークスキルの選択、間違えちゃったかな……」
苦笑を浮かべながら、そう悔やむ。とはいえ過ぎた選択を後悔し、無いものねだりをしていても仕方がない。ため息を一つ吐いてから、ガーベラは気持ちを引き締めて顔つきを鋭くし、また別の獲物を定めて襲い掛かる。
(しかしまあ本当に数が多い)
敵の無防備な背中をナイフで切り裂きながら、ガーベラは心の中で嘆息する。魚頭のモンスターは、個々の戦闘能力に特筆するべき点はない。はっきり言ってザコである。油断していても勝てる。そういう相手だ。
しかし、その数はまったく別だ。このゲームが始まって以来、すでに両手両足の指の数以上の〈侵攻〉があったが、ただの一度として、全てのモンスターを倒せたことはない。それくらい、敵の数は多いのだ。
(日が暮れる前までに終わればいいけれど……)
これまでの経験則上、〈侵攻〉は海から上がってくるモンスターが途切れたところでようやく終わる。ただそのモンスターの波がいつ途切れるのか、それはその時々によって異なる。場合によっては、日暮れを過ぎてもなお〈侵攻〉が途切れなかったこともあるのだ。
日が暮れれば、あたりは完全な暗闇に覆われる。そんな中で戦うのは難しいし、なによりプレイヤーだって疲労する。これまでにはそのせいで死者だって出ているのだ。
いつまで続くのか分からない敵の攻撃は、慣れてしまったとはいえストレスだ。蓄積される疲労とストレスにジリジリと焦れながら、ガーベラはひたすら両手のナイフを振るい続けた。
― ‡ ―
「あ~、疲れた……」
ガーベラは肩をほぐすように腕を回しながら拠点の中を歩く。大量のモンスターを倒したことで十分なポイントも稼げたのか、拠点にいるプレイヤーたちの表情は明るい。中にはお酒を飲んでいる者もいるようで、陽気な笑い声も聞こえてくる。
結局、〈侵攻〉の波が途切れたのは日が完全に沈む直前だった。辺りが真っ暗になる前に戦闘が終わったおかげで、プレイヤー側に大きな被害は出ていない。プレイヤーたちの機嫌がいいのもその辺りが理由だろう。
「お疲れ、ベラ。怪我はない?」
拠点の中を歩くガーベラに声を掛けたのは、一人の女性プレイヤーだった。年の頃は三十過ぎで、これもガーベラと同じ。身長は160cm弱といったところで、こちらはガーベラよりも少し低かった。くすんだ象牙色の髪の毛をセミロングにしている。ちなみにガーベラは赤褐色の髪を一括りにして背中に流していた。
彼女の出で立ちはまるで軍人のようで、今もロングコートに似た丈の長い上着を隙なく着込んでいる。さらにその上から腰に剣帯を巻いており、そこに一本剣、それも無骨な実戦向きのものを下げていた。普段は凛としていて切れ味抜群の雰囲気を身に纏っているのだが、今は〈侵攻〉の直後であるためか表情にも疲れが滲んでいる。
「あ、リンリン。お疲れ~」
ゲーム開始時以来の友人の顔を見て、ガーベラはぱっと顔をほころばせた。その一方、リンリンと呼ばれた女性はため息を吐いて頭痛を堪えるような顔をする。
「何度も言っているでしょう。私の名前は【Lean】よ。そのリンリンというのは止めて」
「いいじゃない、“リンリン”。可愛くって」
「植物を愛でるあなたの方がよっぽど可愛いわよ」
「あらやだ、可愛いだなんて。ひょっとしてリンリン、アタシのこと口説いてる?」
「口説くにしてもあなたはお断りよ。……それより、これから私のテントで飲まない?」
ガーベラのくだらない冗談をバッサリ切り捨てると、リーンは少し表情を緩めて彼女のことを誘った。彼女のこういう、決して堅苦しいだけではないところが、ガーベラは好きなのだ。
「行く行く。アレの様子も見たいしね」
そう言って笑顔を浮かべると、ガーベラは頭の後ろで手を組みながらリーンと並んで歩く。二人が向かったのはこの海辺の拠点にあるプレイヤーの集団組織(要するにギルド)のなかで最も大きな組織、〈世界再生委員会〉のテント群だ。〈世界再生委員会〉にはギルドマスターの下に二人の班長がいるのだが、リーンはその班長の一人だった。
二人はすぐにリーンのテントに向かうのではなく、幾つかのテントが並ぶその端っこへと足を伸ばす。そこに置いてあるのは、一本の鉢植えである。しかも結構大きい。それは真っ直ぐに伸びた一本の広葉樹であり、高さは1メートル以上もあった。
「よしよし。今日も元気ね~」
ガーベラはその鉢植えの様子を見て異常がないことを確かめると、そう言って満足げな笑みを浮かべる。その様子を、リーンが少し後ろから小さく苦笑を浮かべて見守っていた。
この木は名前を〈浄化樹〉という。「瘴気を吸収して成長する」という特異な性質を持った樹木で、当然この世界にもともとあったものではない。ガーベラが自身のユニークスキル【植物創造】によって創りだした植物である。
ガーベラはもといた世界でプラント・ハンターをやっていた。辺境の星の、さらにそのまた辺境部で、新種の植物を探して歩き回る生活を送っていたのだ。実際のところ対象となるのは植物だけではなく、動物にしろ虫にしろ菌類にしろ、まだ人類に知られていない新種ならば全てが彼女の獲物であり、またご飯のタネだった。
で、そんな生活をしていたものだから、初期設定のときこの世界について、「瘴気に覆われて滅んだ」とヘルプ教授から聞いたとき、彼女が真っ先に気にしたのは植物のことだった。
『植物はどうなの? 森や草原は残ってるの?』
《残念ながらほとんど残っていない。むしろ森や草原、つまりは植物全般が全滅したからこそ、そこの世界は滅んだとも言える》
それを聞いて、ガーベラは考え込んだ。植物がない世界。そんな世界で生きていくことは確かに不可能だ。人間を含め動物というのは、基本的に食物の全てを植物に依存しているのだから。だから彼女が次に尋ねたのはプレイヤーの食物についてであり、それに関してはアイテムショップなるシステムが用意されているので、ひとまずは心配いらないということだった。
食べ物の心配が解決すると、ガーベラの思考は次に、ゲームのクリア目標である「世界の再生」に移る。どんな状態になれば世界は再生されたと判断されるのか、その基準を尋ねてみるが、しかしヘルプ教授の返答はそっけない。
《それはゲームが始まってから自分で考えるように》
とはいえ、自然環境が全く回復していないのに、「世界は再生された」とは判断されないだろう。そうすると世界再生のためには、少なくとも二つの目標を達成する必要がある。一つは世界を覆っている瘴気を取り除くこと。そしてもう一つは自然環境を回復することだ。
その両方の目標を達成するためのツールとしてガーベラが設定したユニークスキルこそが、【植物創造】だった。その能力は「任意の性質を持つ植物を創造し、さらにその成長を制御する」というもの。本当は植物一般に対する制御能力も付けたかったのだが、「容量がたりん」とヘルプ教授に言われて泣くなく断念した。
とはいえこの能力、決して無制限に使えるわけではなかった。この能力を使用するためには、何かしらの対価が必要だったのである。
『対価って、何が必要なのよ?』
《特にコレと決まっているわけではない。要するに、自分にとって価値のあるものを支払わなければならない、ということなのだ。魔力を消費して能力を使う、というのが一般的だな》
『魔力、ねぇ……』
その単語に、ガーベラは少々胡散臭そうな反応を返した。彼女のいた世界に魔法なんてものは存在しない。だから魔力なんていわれても、彼女はいまいちピンとこない。そしてそういう不確実なものを、自分のユニークスキルの中核に据えるのは、リスクが高すぎるように思えた。
『ねえ……。その対価って、ポイントじゃダメかな?』
少し考えてから、ガーベラはそう尋ねた。するとヘルプ教授は「ほう」と感心したような声を漏らす。そしてこう続けた。
《もちろん可能だ》
『じゃあ、そういうことで』
ガーベラは明るい声でそう言った。こうして【植物創造】はポイントを消費して使用する能力としてデザインされたのである。
次に彼女が取り掛かったのは初期装備の設定である。ただシステムから貰える装備は、プラント・ハンターの彼女が現在身につけている装備に比べはるかに劣る。それで彼女は早々に初期装備の設定を切り上げ、現在の装備のままゲームの舞台となる異世界へ向かうことにした。
そして一通り初期設定を終えて見直しを行っていたとき、ガーベラはあることに気が付いた。ゲームが始まったとき、初期ポイントは当然0Ptである。しかしそれでは彼女はユニークスキルを使えない。それは困ると思い、彼女はヘルプ教授とある交渉をした。
『ねえ、ヘルプ教授。初期装備として持っていくものを削る代わりに、その分をポイントにしてもらうことって、できる?』
《もちろん、可能だ》
まるで出来のいい生徒を褒めるときのような口調で、ヘルプ教授はそう答える。ヘルプ教授は声だけなのに、その口元が笑みを浮かべているように思うのはガーベラの気のせいか。まあそれはともかくとして、彼女は早速、ゲームに持っていく装備の取捨選択を始めた。
結局、補給が必要になる装備は全てポイントに変えてしまうことにした。麻酔銃、フラッシュグレネード、護身用の拳銃、暗視スコープ、小型ドローン、衛星とリンクさせて使う複合情報端末やそのための携帯中継器など。ガーベラは半分以上の装備を次々にポイントに変換していく。もとの世界に帰ってきたときには、これらの装備も一緒に返してくれるということなので、大した葛藤もない。
その結果、ガーベラはゲームが始まる前の段階で、なんと136万Ptものポイントを手に入れることに成功した。ただし、その代償は大きい。充実していた彼女の装備は、初期設定でもらえるものより多少マシ、という程度にまでグレードダウンしていた。
大振りなサバイバルナイフと予備にしていた柄のついたナイフ、防刃仕様のインナーと迷彩服、ポケットがたくさん付いたベストとそこに入っている細々とした道具類、そしてミリタリー仕様のブーツ。それがガーベラの初期装備になった。
さらにガーベラはゲームの開始地点についても交渉を行った。彼女が上げた条件は「初期濃度が平均以下で周辺の濃度も行動できなくなるほど高くなく、一年を通じて温暖な気候であり、他のプレイヤーが五十人以上いる場所」だった。
ヘルプ教授は特に交換条件を求めることもなく、ガーベラが求めたとおりの場所に彼女を転位させた。それが、今彼女がいる海辺の拠点である。
ゲームが始まるとガーベラは早速行動を開始した。彼女がまず行ったのは、他のプレイヤーたちへの挨拶回りである。ご挨拶はコミュニケーションの基本だし、今後のためにも早い段階で顔つなぎはしておいた方がいい。
さらに言えば、これはデスゲームなのだ。下手に人間関係をこじらせないためにもきちんと挨拶をして、「自分は敵ではない」とアピールしておく必要があった。余談だが、ガーベラはこの時にリーンと出会い、以来友人として付き合っている。
挨拶回りを終えたガーベラは、次に周辺の偵察に出かけた。そしてこの時、ガーベラは初めてモンスターと遭遇する。驚きはしたものの、覚悟もしていた。加えて彼女は、本職ほどではないにしろ、戦闘訓練を受けている。危なげなくファーストエンカウントを切り抜けた。
偵察してみて分かったことは、この世界の状況が思っていた以上に悪いということだ。灰色の世界、とでも言うべきか。緑などどこにも見当たらない。空気中に漂う瘴気は気分を滅入らせる。さらに海はまるで重油に汚染されたかのように真っ黒だった。そしてその状況は今に至るまで少しも改善されていない。
(こりゃ大変だ……)
ほとんど散歩のような偵察を終えると、ガーベラはいっそ感心さえしながら心の中でそう嘆息した。よくもまあ、これほど徹底的に世界を滅ぼしたものである。生命体が生息可能な惑星は、宇宙でも希少な存在だと言うのに。
(それで今後の方針だけど、まあ初期設定のときに考えていた通りかなぁ)
第一に瘴気を何とかすること。第二にこの世界に植物を復活させること。この二つをガーベラは今後の方針として定めた。そしてこの二つの目標を達成するための方策が、彼女の頭の中にはすでにあった。
『【植物創造】、メニューオープン』
ガーベラの【植物創造】は特殊なユニークスキルである。少なくとも、戦闘には全く向かない。それは確かにデメリットだが、同時にメリットでもあった。こうして専用のメニュー画面を設けることで、使い勝手と操作性は格段に向上している。創り出す植物の特性を文字にして書き連ねることができるだけでも、大変にありがたい。全てを頭の中でやろうとしても、そうそう上手く行くものではないだろう。人のイメージとはあやふやなものなのだから。
開いた【植物創造】のメニュー画面に、ガーベラは必要な項目を入力していく。そして彼女が最初に創造した植物こそ、例の〈浄化樹〉だったのである。
ガーベラは浄化樹に「瘴気を吸収して成長する」という特性を持たせた。それによって瘴気を取り除き、同時に緑をこの星に根付かせる。それが彼女の狙いだった。
一時期世界は浄化樹ばかりになってしまうかもしれないが、瘴気が取り除かれれば浄化樹は勝手に枯れる。そのあとには健全な空気と大地が残るだろうから、そこにまた別の植物を植えればいい。いや、種が生き残っていれば勝手に生えてくるかもしれない。ゲーム開始当初、彼女はそんなふうに展望を描いていた。
『さてさて、クリアまでに一体何年掛かかるのかしらねぇ~』
もちろん、この全てを一人で行うのは不可能だろう。しかし明確なビジョンと方法論を持っておくことは重要だ。その二つがあってこそ、人は組織された集団として行動することができるのだから。
とはいえ、ガーベラはすぐさま自分の見込みの甘さを思い知らされることになった。彼女は浄化樹を、少なくとも彼女自身が思っていたような形では、創造できなかったのである。
当初、ガーベラは浄化樹を一本の立派な樹木として創造するつもりでいた。しかしそうしようとすると、手持ちの136万Ptでは足りなかったのである。
これには彼女も焦った。そして少し考えてから、〈浄化樹〉ではなく〈浄化樹の種〉を創造することにした。幸い、自分で創った植物であれば成長をコントロールしてやることができる。種から木に成長させてやれば結果的に変わらない。彼女はそう考えたのだ。
浄化樹の種は無事に創ることができた。使用したのは35万Pt。ゲーム開始時であることを考えれば、馬鹿馬鹿しいくらいの高額である。試しに小麦を創るのに必要なポイントを確認してみたところ、たったの10Ptだった。もしかしたら全くの新種であることと、「瘴気を吸収して成長する」という特性が、必要なポイントを押し上げていたのかもしれない。
ガーベラは創った種を、当初はそのまま地面に植えるつもりでいた。しかしすぐに考え直す。手持ちのポイントでどこまで成長させられるのか、分からなかったからだ。十分に成長させられなかったために枯れてしまっては目も当てられない。それで最初は鉢植えにして、ある程度成長させてから地面に植え替えることにした。ちなみに、鉢はアイテムショップから購入した。
(急激な成長はさせない方がいい、かな……?)
プラント・ハンターであったガーベラは、当然植物について詳しい。彼女は自分の持つ知識に基づき、残りの100万Ptを一気につぎ込むのではなく、10万Ptずつ十日間かけて浄化樹を成長させることにした。
この世界には植物の陰さえ見当たらない。そんな世界で植物の世話をするガーベラの存在は、すぐに拠点にいるプレイヤーたちの注目を集めるようになった。いい意味でも、そして悪い意味でも。
良かったことと言えば、ガーベラのしていることに多くのプレイヤーが興味を持ってくれたことか。そのおかげで彼女は自分の持つ展望を彼らに話すことが出来た。中には興味を持ってくれたプレイヤーもいる。ただそれでも、彼女に協力しようとするプレイヤーはいなかった。その余裕がなかったのである。
ゲームが始まって一週間ほどが経過した頃、海から大量のモンスターが現れた。初めての〈侵攻〉である。初めて見るモンスターの大群に、プレイヤーたちは慌てふためいた。組織だった防衛ができず、瞬く間に乱戦になり、多くの負傷者がでた。死者も出てしまったが、これは焦った者たちが大火力のユニークスキルをやたら滅多ら放ったためのフレンドリーファイアが原因だった。
そしてこの〈侵攻〉を皮切りに、少なくとも三日に一回は〈侵攻〉が起こるようになった。頻発する〈侵攻〉。そうなるとこれをどう防ぐのかが、プレイヤーたちの主な関心事となる。結果として、パーティーなどを組む際には戦闘能力が重要視されるようになった。
さて、ガーベラである。【植物創造】というユニークスキルを選んだ彼女は、戦闘能力に関してはどうしても他のプレイヤーに見劣りがする。さらに悪いことに、拠点にいる全てのプレイヤーが彼女のユニークスキルのことを知っていた。そのためガーベラは、決してのけ者にされているわけではないものの、今日に至るまでソロを脱却できていない。
『悪いな、ガーベラ。お前とはパーティーを組めない』
何度そう言われたのか分からない。リーンとは何度かコンビを組んで戦ったこともあるが、しかし彼女が〈世界再生委員会〉に入ってからはそれもない。ずっとソロだった、と言っても過言ではないだろう。
『ごめん、ベラ。私……』
『気にしない、気にしない。リンリンはそれが必要だと思ったんでしょう? なら、胸を張って。ね?』
申し訳無さそうにするリーンを、ガーベラはそう言って送り出した。そしてその選択は正解だったと今でも思っている。彼女は〈世界再生委員会〉のナンバー3となり、〈侵攻〉の際にはその手腕を発揮して防衛の中核を担っている。
こうしてガーベラはまたソロに戻ったわけだが、〈侵攻〉が続くにつれて拠点にいるプレイヤーたちの雰囲気はだんだんと重苦しいものになっていった。これが消耗戦であり、自分達が徐々に追い詰められていることに、彼らは気が付いたのである。
『まずいわね……』
ガーベラは渋い顔をしてそう呟いた。彼女が気にしているのは拠点全体のことではない。ガーベラが気にしているのは彼女自身のことで、さらに言えば彼女が育てる浄化樹のことだった。
追い詰められた人間と言うのは、どこかにはけ口を求めるものだ。そしてそれは、弱い立場の人間に向かいやすい。ガーベラ自身が狙われるのであればまだ対処や予防のしようがあるが、浄化樹を狙われたら打つ手がない。腹いせに燃やされでもしたら、これまでの努力が水の泡になってしまう。
そこでガーベラは先手を打つことにした。リーンという伝手を頼って〈世界再生委員会〉のギルドマスターであるロナンに面会し、彼らが陣取っている一画の端っこに、浄化樹の鉢植えを置かせてくれるように頼んだのである。
『ガーベラさんがどうやってこの世界を再生しようとしているのか、僕も知っています。確かにあの樹には、いいえ、貴女の能力には、それだけの可能性がある。置くだけでいいのなら、いくらでも置いていて構いません』
『ありがとうございます』
『それでガーベラさん。いっそこの機会に、貴女もウチに入りませんか? 貴女の能力は世界を再生するために有用と僕は考えています』
そう言ってロナンはガーベラを〈世界再生委員会〉に誘った。しかし彼女はすぐに首を横に振る。その理由を彼女はこう語った。
『〈世界再生委員会〉は〈侵攻〉を防ぐための中核。そこに余計な負担をかけるわけにはいきません』
ガーベラの能力を使うためには、ポイントが必要になる。しかしポイントとはつまり軍資金だ。今の〈世界再生委員会〉には、浄化樹を増やして育成するだけの余裕はないはず。ガーベラがそう指摘すると、ロナンは苦笑しながらそれを肯定した。
『……その状態で余計なことに手を出すと、ギリギリで持ちこたえている戦線が崩壊しますよ。この先〈世界再生委員会〉に余裕ができて、本格的に浄化樹の植樹に乗り出すときが来たら、その時は心置きなく入会させてもらいます』
『参りましたね……。ますます貴女が欲しくなりました。他に取られてしまう前にウチにお迎えできるよう、微力を尽くすとしましょうか』
残念ながらその約束は今のところまだ果たされていないが、ロナンのおかげでガーベラは浄化樹の安全を確保することができた。さらにリーンが何かと気にかけてくれている。夜は彼女のテントで休むことがほとんどだ。そのおかげか他のプレイヤーに襲われることもなく、ガーベラはひとまず今日まで無事に生きてきた。
― ‡ ―
(さて、と……。今日の成果は、っと……)
後ろにリーンを待たせながら、ガーベラはシステムメニューを開いてポイント獲得のログを確認する。最新のログはこうなっていた。
【浄化樹が瘴気を吸収した! 10,023Pt】
このログからして、浄化樹が世界の再生に寄与していることは明白である。ガーベラが思い描いた展望は決して間違ってはいなかった。今はまだ、一日に1万Pt程度しか得られていない。だが樹がもっと成長し、さらにその数が増えれば、より多くの瘴気が吸収されそれに比例して得られるポイントも増えるはずである。
(それこそ、何時になることやら……)
ガーベラはそっと苦笑した。ただ彼女は楽観的で、あまり状況を悲観していない。そういう前向きなところは、間違いなく彼女の強みだった。
「ホクホク顔ね。どれくらい儲かったの?」
鉢植えの様子を見て戻ってきたガーベラに、リーンがそう声をかける。彼女とロナンには、浄化樹によって何もしなくても毎日一定のポイントが得られることはすでに話してある。ただ今のところ、もとを取るまで時間がかかりすぎるということで、未だに数を増やすところまでは至っていない。
「1万ちょっと。最近ようやく、コンスタントに1万を越えるようになってきたわ」
「そう。それじゃあ、飲みましょうか?」
「飲もう飲もう! 結局お昼は抜いたようなものだから、ポイントには余裕があるんだ、アタシ」
「私も……。指揮してるとなかなか抜けられないのよねぇ……」
そんな話をしながら、二人はリーンのテントへと向かう。テントの中にはラグが敷かれていて、そのまま座っても地面の冷たさはそれほど感じない。ちなみに土禁。最初ブーツを履いたまま入ろうとしたら、「汚い、土禁!」と怒られてしまった。あの時のリーンの顔は鬼のように怖かった。本人には言わないけど。
「じゃ、カンパ~イ!」
ガーベラとリーンはそれぞれ【日替わり弁当A】とお酒を購入し、小さなテントの中、向かい合って乾杯した。ちなみに二人が買ったのは〈タルタム〉という、リーンの世界にあったお酒だ。完全に工場で生産される合成酒で、味がそこそこな代わりに度数が高い。これをジュースなどで割りながら飲むのだ。
「くぅ~、たまんない! もうこれがないと生きていけないわぁ……」
「同感……。でも、お酒くらい好きに飲みたいのに、ポイントが貯まらないのよねぇ……」
リーンは〈世界再生委員会〉の会計係でもある。どこもお財布事情は厳しいらしい。
ガーベラとリーンはしばらく他愛もない話に興じる。二人はそれぞれ別の世界の出身だが、どちらの世界にも魔法は存在しなかったし、また科学技術のレベルもどうやら近い。それで、なんだか職場の違う女友達のような感覚で、彼女達はおしゃべりを楽しんだ。相手は異世界人で、ここは異世界であるから、守秘義務を気にする必要もない。
「それでさぁ、その上官がまたサイアクなのよ。艦隊のゴミ箱あさって『ジャガイモが34kg無駄になっていた』とかさ。そんなの調べて大真面目に報告書書かなきゃいけないコッチの身にもなってよ」
「あ~、いるよねぇ、能力無いくせに細かいことばっかり気にする上司。そんなんだから禿げるんだってぇの。いやむしろ禿げろ!」
「ははは、そうね。そういえばアイツもバーコードだったわ。一回風に吹かれて笑うの堪えるのが大変だったもの」
「いっそスキンヘッドにすれば潔いのに」
「それだけの思い切りがあるなら、部下にゴミ箱あさりなんかさせないわよ。だから燻ってストレス溜めて髪の毛薄くなってるの!」
「あ~、納得~」
相当に酔っている、いや鬱憤が溜まっているらしい。異世界のことなのに恐ろしい執念なのである。
ひとしきり愚痴ってスッキリしたのか、ふとリーンが少しだけ表情を引き締めた。そしてガーベラにこう尋ねる。
「今日の〈侵攻〉、どうだった?」
「いつも通り、よ」
「そう……。じゃあ、実質的に私たちの負けね……」
ため息を吐きながら、リーンは暗い顔でそう言った。そしてガーベラも、苦笑を浮かべてはいるが、この友人の言葉を否定しない。
モンスターとは普通、プレイヤーを見れば遮二無二襲い掛かり殺しに来る存在だ。しかし〈侵攻〉で海から上がってくるモンスターは、どうもそうではないらしいことを、二人は経験則的に知っていた。
それらモンスターは、寄って集ってプレイヤーを襲うという事をあまりしない。それどころか、近づきすぎさえしなければ襲われることさえない。そういう意味では、〈侵攻〉をやり過ごすことも可能ではあるのだ。
しかし、それをするわけにはいかなかった。それは単に稼ぎの問題だけではない。そこには、それら〈侵攻〉で現れるモンスターの特性、いや目的とでも言うべきものが関係している。
それらのモンスターの目的、それは「大地を汚染すること」である。
海から上陸してきたモンスターは、撃退されること無くそのまま進み続けた場合、ある程度のところで力尽きて地面に倒れ込む。そしてその身体は解けて瘴気へと還るのだが、その瘴気は空中へ拡散するのではなく地面に注ぎ込まれるのだ。
その結果どうなるのかと言うと、まず単純に地面に含まれる瘴気の量が増える。そしてどうやら、地面と大気で瘴気濃度の差が大きくなると、地面の方から瘴気が噴出してくるようなのだ。そして最終的には、あたり一面の瘴気濃度が高くなることになる。
そしてそのようにして瘴気濃度が高くなり続ければ、将来的にプレイヤーたちはこの辺一帯から追い払われることになるだろう。近くに拠点とできそうなまた別の場所があるのか、それさえも分からないというのに。
「ウチでもっと広範囲をカバーできれば……」
「だめよ、リンリン。今だって結構ギリギリなんでしょう?」
「そうだけど……、でもやるしか……」
「リンリンたちの防衛線が抜かれたらこの拠点が汚染されることになるわ。少なくともココが無事なのは、間違いなくリンリンたちのおかげなんだから」
ガーベラは言い聞かせるようにそういう。〈侵攻〉を防ぐためのプレイヤーたちの防衛線は長大だ。この拠点にはおよそ七十名程度がいるのだが、その数で数百メートルにも及ぶ範囲をカバーしている。
当然、防衛線は穴だらけだ。毎回、決して少なくない数のモンスターが防衛線を突破している。特にガーベラがいるような端っこでは、かなり多くのモンスターをなす術なく素通りさせてしまっているのが現状だ。
そんな中で、それでもこの拠点への侵入を防げているのは、その防衛をリーンら〈世界再生委員会〉が担っているからだ。さらに彼らが多くの敵を引き付けてくれるおかげで、他の場所の圧力が減るという効果もある。
要するに〈世界再生委員会〉が崩れれば、防衛線全体が破綻しかねないのである。そのような危険を冒すわけにはいかない。それはリーンも、いや彼女こそが誰よりも深く理解している。
しかし同時に、このまま大地の汚染が続けば、最終的にプレイヤーたちはこの拠点を捨てなければならなくなるだろう。優秀な士官であるリーンには、その未来がどうしても見えてしまうのだ。
「まるで篭城戦ね……。しかも援軍の来るアテはない。絶望的だわ……」
リーンはため息を吐くと、コップの中のお酒を飲み干す。ガーベラはそこに新しいお酒を注いでやった。
「まあまあ。とりあえず周辺を巡回して、モンスター倒して魔昌石を回収すれば、多少は濃度も下がるんでしょう?」
「ええ。それは【瘴気濃度計】で確かめているから間違いないわ」
「ならやりようはあるということ。しばらくはそれでしのぐしかないわ」
「でも所詮は対処療法よ。全体的な傾向として、濃度は上がり続けている。それが問題なのよ」
人手が欲しいわぁ~、とリーンは愚痴る。結局のところ、ここにいるプレイヤーの数が少ないのが最大の問題なのだ。つまり援軍が来れば事態は好転する。尤も、そのアテがないからこそ手詰まり状態なわけだが。
「他のプレイヤーたちも他所で頑張っているわ。【瘴気濃度計】や【瘴気耐性向上薬】がその証拠よ」
「ええ、そうね……」
ガーベラが名前を挙げた二つのアイテムは、最近アイテムショップのラインナップに加わったものだ。つまり誰かが【アイテムリクエスト】の機能を使ってリクエストしたアイテムなのである。リクエストにはただそれだけで100万Ptもかかる。ということは、それだけの余裕のあるプレイヤーがすでにいる、ということに他ならない。
他のプレイヤーたちも頑張っている。そう思えば、確かに励まされる。たとえ、目先の問題は何も解決されないとしても。
「そうそう。そういえばまた新しいアイテムが加わっていたのよ」
そう言ってリーンは話題を変え、システムメニューを開く。そしてあるアイテムを選んで、その画面をガーベラに見せる。
「なになに……、【レンタル温泉施設】? って150万もするの!? だれがこんなのリクエストしたのよ……」
ガーベラが呆れた声を出す。しかしリーンはうっとりした声でこう言った。
「いつか買いたいわぁ~」
「あ~、リンリン綺麗好きだもんねぇ~。このテントも土禁だし。じゃ、いつか温泉に入れるように頑張りましょうか」
女二人の酒盛りはもうしばらく続く。