〈侵攻〉1
「自分だけが苦しい」などと思うものではない
“ここ”ではない“どこか”には、
“ここ”にはない、新たな苦難があるのだから
― ‡ ―
――――〈魔泉〉
それは瘴気の噴出し口である。魔泉は常に大量の瘴気を吐き出し続けており、この世界を滅ぼしたまさに元凶といえた。
このデスゲームのクリア目標は、「世界の再生」である。その基準や方向性は未だに不明だが、しかし魔泉をどうにかしないことには世界の再生はおぼつかない。それで魔泉の調査を行い、その実態について情報を得ることが必要だった。
その調査を〈騎士団〉の団長デリウスが企画し、そしてカムイら四人もそれに協力した。魔泉に向かうまでの移動手段を提供したのである。
調査からは、多くの成果を得ることができた。魔泉それ自体には近づくことはできなかったが、行程中の瘴気濃度の推移や、モンスターの強化、そしてなによりあの巨大モンスターの出現など、得られた情報は多くそして貴重だ。
しかしながら、成功したとは言い難い。調査隊に参加した全二八名のプレイヤーのうち、七名が命を落としたのだ。これは魔泉の調査を主導した〈騎士団〉のみならず、拠点全体の戦力と言う観点から見ても、甚大な被害と言うほかなかった。
今のままでは魔泉には手が出せない。それが今回の調査で判明した最も大きな情報だろう。そしてそれが分かったからには、これ以上この山陰の拠点にいる理由はない。デリウスは次なる一手として、この拠点にいる全てのプレイヤーを別の拠点に移動させ、そこにいるプレイヤーたちと合流することを計画した。
とはいえ、これは言葉で言うほど簡単な話ではない。単純な移動もそうだが、それ以前の話として合意を得ることが難しい。拠点にいる全てのプレイヤーが〈騎士団〉に所属しているわけではないからだ。デリウスから拠点移動の話を聞かされると、難色を示すプレイヤーが次々と声を上げた。
「移動中はポイントを思うように稼げないんだろう? それじゃあ飢え死にしてしまう!」
「別の拠点ってどこだよ!? そこに行くまでに何日掛かるんだ!?」
「〈騎士団〉ばっかり優遇されるんじゃないのか!?」
それらの言葉を端っこで聞いていたカムイは思わず眉をひそめる。不安があるのは仕方がないだろう。しかしそれにしても、彼らの言い分は自分勝手すぎないだろうか。だから次のデリウスの言葉には、少々面白くないものの、胸のすく思いがしたのを認めなければならない。
「ここに残りたいのなら残ればいい。我々は行く。これは決定事項だ」
「そんな……! 無責任じゃないか!?」
「無責任? 〈騎士団〉の団員でもない君達に対して、私たちがどんな責任を負っているというのだ」
デリウスは冷然とそう言い返した。これはあくまでも提案なのだ。〈騎士団〉はここを離れて別の拠点へ向かう。同行したいというのであれば、連れて行ってもいい。ただしその場合、少なくとも移動中はデリウスの指示に従ってもらう。そういう提案だ。別に強制しているわけではない。連れて行ったほうが良いとは思っているが、しかし嫌がる者を無理やりにと言うわけにもいかないのだから。
「それがイヤならここに残ればいい。決定の責任は各自が負うべきだ」
そう言われ、〈騎士団〉に参加していないプレイヤーたちは黙るしかなかった。このままこの拠点に残っていても、ゲームクリアに向けた展望は描けない。それは彼らも分かっている。行き詰まりを感じているのは彼らも同じなのだ。
だからブレイクスルーを起こすために拠点を移動するべき。それも分かる。しかしどこに向かうのか、どれくらいでたどり着けるのか、どんな道を進むのか、ほぼ一切が不明なのだ。不安を感じるのも、無理はないといえた。
重苦しい空気がその場に漂う。拠点の移動は不安が大きい。しかしここに残ってもドン詰まりが目に見えている。果たしてどちらがマシなのか。プレイヤーたちは分かっているはずなのだが、しかしなかなか決断できずにいた。
「まあまあ、デリウスさんも落ち着いて」
「私は十分落ち着いている」
アストールは穏やかな笑みを浮かべてデリウスを宥めると、彼は心外そうにそう応じた。そんな彼にアストールは「そうですね」と笑いかけてから、悩むプレイヤーたちにこう提案した。
「もしデリウスさんの提案に乗ってくださるのでしたら、皆さんには一日当たり15,000Ptを支給しましょう。これなら移動中ポイントを思うように稼げなくても心配はないはずです。これでどうでしょうか?」
アストールがそう提案すると、プレイヤーたちの表情が明るくなった。それぞれ隣に座っている者たちとなにやら話し合っている。やがて「そういうことなら」と全員が〈騎士団〉の指揮下で拠点移動に同行することに同意した。
しかしこの話の流れに焦った者がいる。カムイだ。彼は話し合いが終わるとアストールを捕まえてこう問いただした。
「トールさん、どういうことですか!?」
「勝手に決めてしまったことは、申し訳なく思います。ですが、彼らをここに置いて行くわけにもいきません」
「それは、そうですけど……」
「それに、恩は売れるときに売っておくものですよ。いずれ利子つきで返してもらうとしましょう」
にやり、といつもとは違う笑みを浮かべてアストールはそう言う。その笑みにカムイは思わずつばを飲む。アストールにこういう策士の一面があることを、彼はつい最近になって知った。
「……ポイント、足りなくなりませんか?」
「その時はデリウスさんに言って時間を取ってもらいましょう。半日もあれば、十分なポイントを稼げますよ」
こともなさげにアストールはそう言った。自分達の食い扶持のためだ。他のプレイヤーたちも反対などしないだろう。
さて、こうして拠点の移動が決定したわけだが、だからと言ってすぐに移動が始まったわけではなかった。およそ五十名のプレイヤーが一緒に行動するのだ。秩序を保って移動するには、ある程度組織化する必要がある。
さらに魔泉の調査のときよりも、張って維持するべき結界は大きくなる。その結界をどれだけの時間もたせられるのかなど、あらかじめ演習を行って確かめておくべきこともあった。
そういった一連の作業を統括するのはもちろんデリウスだったが、彼の指示で一週間程度、拠点移動のための準備期間が設けられた。もちろんこの間には、全員が参加する予行演習も行われることになっていた。
「そうは言っても、オレたちのやることは変わらないな」
「ああ。わたしたちの役割は結界の展開と維持。〈魔泉〉の調査のときと同じだ」
カムイと呉羽はそう言葉を交わす。その役割に関して言えば、彼ら四人はすでに十分に慣れていると言っていい。結界の規模は大きくなるものの、極端に瘴気濃度が高くなることはないと考えられる。特に問題となる要素は見当たらなかった。
(仮に問題があるとすれば……)
仮に問題があるとすれば、それは移動そのものや道中の戦闘に関してであろう。ただそちらを上手くやるのはカムイたちではなくデリウスの仕事だ。苦労なら彼がすればいい、とカムイは少々意地悪気に考えていた。
「他に、オレたちがやっておくべきことは……」
カムイは少し考え込む。移動中、四人はプレイヤーたちにポイントを支給することになっている。ならば今のうちから、稼げるだけポイントを稼いで置いたほうがいい。ただ、それはもうすでに行っている。さらに他に何かないだろうかとカムイは考え、そしておもむろにシステムメニューを開いて【アイテムリクエスト】のページを表示した。
アイテム名【システム機能拡張パック1.0(カメラ&アルバム機能)】
説明文【システムメニューにカメラとアルバムの機能を追加する】
カムイがリクエストしたのは厳密に言えばアイテムではなかった。彼がリクエストしたのは、システムメニューの機能の拡張である。ただ、またしてもエラーが出ては堪ったものではないので、一旦アイテムショップで購入できる形にしたのだ。
それが功を奏したのか、【システム機能拡張パックⅠ(カメラ&アルバム機能)】は無事にアイテムショップのラインナップに追加された。お値段は25,000Pt。決して安くはないが、法外というわけでもないだろう。カムイはそう思った。
早速、カムイはリクエストしたばかりのアイテムを購入し、そしてすぐさま使用する。するとほとんどタイムラグなしに、「システムメニューにカメラとアルバムの機能が追加されました」というメッセージが現れた。それを見てから最初のページに戻ってみると、確かに【カメラ】と【アルバム】の機能が追加されていた。
「よしよし……」
カムイは小さく頷くと、まずは【カメラ】の機能を起動してみる。すると一瞬画面がブラックアウトし、そして彼の足もとの映像が映し出された。カムイが頭を上げてみると、カメラの映像も上を向く。どうやら彼の視界とリンクしているらしかった。
次にカムイは画面の右の端にある、白い丸ボタンのアイコンをタップする。すると「カシャ」と懐かしい機械音がした。【カメラ】を閉じて【アルバム】を開いてみると、そこにはちゃんと今さっき撮った写真が保存されていた。それを確認すると、彼は次にその試し取りした写真を削除する。削除機能の動作も良好だ。
(おおよそスマホと同じ。イメージ通りだ)
一連の動作がイメージしたとおりに行えることを確認すると、カムイは満足げに一つ頷いた。そして彼は次にアストールに話しかける。
「トールさん、ちょっと【瘴気濃度計】を貸してもらえませんか?」
「構いませんが、どうかしましたか?」
「ちょっと調べものです」
カムイがそう答えるとアストールは穏やかな笑みを浮かべて【瘴気濃度計】を差し出す。そして「心配はないと思いますが、お気をつけて」と言って彼を送り出した。
カムイがまず向かったのは、以前アストールに案内してもらった湧き水が湧き出している場所である。そこに到着すると、彼はおもむろに【瘴気濃度計】を瘴気で汚染された黒い水の中に差し込んだ。すると数値がどんどん上がっていく。
「10.18か……。やっぱり相当高いな」
数値の上昇が止まってから目盛りを読み、カムイは難しい表情を浮かべた。瘴気濃度10.18。今までで最高の数値である。魔泉にかなり接近した時でさえ、濃度の数値は6.23だった。今回の数値はそれよりもはるかに高い。
一方は気中でもう一方は水中という、条件の差があるから単純に比較はできないものの、水の中にはかなり多くの瘴気が溶け込んでいると見て間違いない。これを浄化するのは難儀だろう。ただそれにしては、水面から瘴気が立ち上ったりはしていない。実はそれほど瘴気量は多くないのかと考え、しかしカムイはすぐにそれを否定した。
「この場合は逆、だろうな……」
つまり、さらに多くの瘴気を受け入れる余地が残っている、ということだ。ということは、ここよりもさらに汚染されている川や水源もあるかもしれない。そのことに気付き、カムイはげんなりとした気分になった。
「けどまあ、そう悪いことばかりでもない、か……」
少なくとも、ここの水は多量の瘴気を含んだ状態で安定している。別の見方をすれば、「瘴気を水の中に封じ込めている」とも言える。ということはつまり、大量の瘴気を一箇所に集めて封じ込めておくことも可能、ということだ。この情報は世界を再生する上で役に立つ、かもしれない。
「とりあえず、これで水に含まれている瘴気の濃度は分かった。後は……」
そう呟くと、カムイは【瘴気濃度計】をストレージアイテムであるボティバックに片付け、そして視線を上にあげた。彼が見据えるのは、一番高い山の頂。かつて呉羽と一緒に瘴気が噴き出る魔泉を見た場所である。
カムイは小さく頷くと、そこを目指して山を登り始めた。途中、何度かモンスターに襲われたが、彼は危なげなくこれを撃退していく。一人で戦うのは久しぶりだが、彼の動きはゲーム開始時と比べて見違えるようだった。
荒々しいのは相変わらずだが、しかし理性を失ってはいない。白夜叉のオーラを激しく揺らめかせても、あの獣じみた衝動に飲み込まれることはなかった。呉羽と繰り返している、毎日の稽古の成果だ。
そしてしばらくすると、カムイは山頂に到着した。【瘴気濃度計】を取り出して確認してみると、目盛りは2.06を指している。ここはもう山陰ではなく、瘴気から守ってくれるものは何もないのだ。
カムイが視線を上げてみると、そこには相変わらず大量の瘴気を噴出し続ける魔泉があった。彼が魔泉の様子を見たのは、七名の死者を出した調査以来、これが初めてである。そのせいか、彼の脳裏にはあの時のことが止めどなく思い出された。
吹き荒れる瘴気。襲い来る大型のモンスター。そして魔泉からはあの巨大なモンスターが現れた。ケイレブがドラゴンに変身して戦うが、しかし捕まってあの熱線を撃ち込まれて死んだ。そうだ、あの熱線はここまで届いたのだ。
「……っ」
カムイは顔を歪める。味方を逃がすため、殿に残ったテッド。その背中が忘れられない。いや、忘れたくもないし、忘れてはならないのだ。あの背中は彼が残してくれた貴重な遺産なのだから。
カムイは一度目を瞑り、そして目を開くとシステムメニューを開いて【カメラ】を起動した。そして彼は魔泉の写真を撮る。画面の拡大もできたので、拡大した写真も何枚か撮った。写真を撮り終わると、【アルバム】を開いてちゃんと撮れていることを確認し、彼は一つ頷いた。
「これで……」
これで、多くのプレイヤーに魔泉の存在を伝えることができる。魔泉はこのゲームをクリアする上での最大の障害だ。今は手も足もでないが、多くのプレイヤーがその存在を知り、そして力を合わせればきっと……。
「I’ll be back」
カムイは決意を込めてその言葉を口にした。また戻ってくる。必ず、ここへ。敵を討つなんていうつもりはない。ただこのゲームをクリアするために、ここへ戻ってくるのだ。彼は一人、固くそう誓った。
カムイが山を降りて拠点に戻ると、アストールがメニュー画面を開き、さらに呉羽とリムが左右からその画面を覗き込んでいた。
「あ、カムイさん。おかえりなさい」
リムがカムイに気付いてそう声を掛ける。それに軽く手を上げて「ただいま」と応じると、さらに彼はこう尋ねた。
「三人揃ってどうしたんだ?」
「今、トールさんが新しいアイテムをリクエストしていたんです」
リムがそう答えるのを聞いて、カムイは「へえ」と声を漏らした。「新しいアイテム」と聞けば俄然興味もわいてくる。彼はアストールに近づくと、その肩越しにメニュー画面を覗き込んだ。
「何をリクエストしたんです?」
「そう、大したものではありませんよ」
アストールは謙遜してそう答えると、カムイが見やすいようにメニュー画面を少し動かしてくれた。どうやらちょうどリクエストするアイテムの説明文を書き終えたところらしく、そこにはこう書かれていた。
アイテム名【簡易瘴気耐性向上薬】
説明文【服用後一時間、使用者の瘴気耐性を二倍に引き上げる】
「これは……」
「ええ。以前にカムイ君がリクエストしたのと同種のアイテムです。実は拠点移動のことで、デリウスさんから相談を受けましてね……」
移動中に想定するべき最悪の事態とは、つまり結界が維持できなくなることだ。その時、プレイヤーたちは高濃度の瘴気の中に放り出されることになる。その時の保険として有効なのが、【瘴気耐性向上薬】である。
カムイがリクエストした【瘴気耐性向上薬】は「服用後一時間、使用者の瘴気耐性を五倍に引き上げる」というものだ。これをリクエストした時には、まだプレイヤーがどの程度の瘴気濃度なら耐えられるのかはっきりとは分からなかった。なにより〈魔泉〉の調査のためにリクエストしたのであって、そのため倍率は高めに設定されている。
ただ、拠点移動ではなにも〈魔泉〉に向かおうというのではない。それで、瘴気濃度が極端に高くなることはないだろうと予想されていた。デリウスが目安として考えた数値は2.50、つまり平均値の2.5倍だ。調査のときにこの数値を超えたのは、二日目のことである。つまり魔泉に近づくことさえしなければ、この2.50という数値を超えることはないだろうと彼は考えたのだ。
さらに、これも調査のときの話だが、現在プレイヤーが余裕を持って耐えられる瘴気濃度は1.32であることが判明している。ということは、耐性を五倍ではなく二倍に引き上げてやれば、2.50という数値は十分に超えることができる。
そして五倍ではなく二倍であれば、お値段の方ももう少し抑え気味になるだろう。各プレイヤーに自費で買わせるものだから、安ければそのほうが賛同も得やすい。そう思い、デリウスはアストールに新たなアイテムのリクエストを依頼したのである。
「……ったく、自分でリクエストすればいいのに」
アストールから一通りの事情を聞くと、カムイはそう言って気に入らなさげに鼻をならした。彼は相手がデリウスになると、どうも対応や評価が辛くなるようだ。アストールもそれには気付いていたが、しかし殊更指摘しようとも思わず、ただ小さく苦笑して年下の仲間を宥めた。
「まあまあ。私にもメリットのあることですから」
リクエストして新たに生成されたアイテムは、全てのプレイヤーがアイテムショップから買うことができる。リクエストを出すにはそれだけで100万Ptも必要になるから、一見すると最初にリクエストするプレイヤーが大損しているように見えるが、実はそうではない。リクエストされたアイテムを他のプレイヤーが購入すると、リクエストしたプレイヤーにポイントが入るのだ。もらえるポイントは、大よそではあるが価格の1%程度であるように思う。
今回アストールがリクエストした【簡易瘴気耐性向上薬】は有用なアイテムだから、この先多くのプレイヤーが購入するだろう。そうすればその分アストールも多くの配当が得られるわけで、長い目で見れば大いに黒字、かもしれない。
そう言われれば、確かに納得できないこともない。ただ、カムイはまだ面白く無さそうな顔をしていた。アストールはそれを見て忍び笑いを漏らすと、素知らぬふりをしてリクエストを出した。
「無事に生成されましたね。これでよし、っと……」
誰かさんのときのようにエラーが出ることもなく、【簡易瘴気耐性向上薬】は無事に生成されてアイテムショップのラインナップに加わった。確認してみるとお値段は一本につき2万Pt。デリウスの思惑通り、値段も抑えられている。プレイヤーたちの懐にもきっと優しいことだろう。ちなみに色はレモン色だった。
こんなふうにして、拠点移動の準備は進んでいく。そしてついに一週間の準備期間は終わり、山陰の拠点を旅立つ日を迎えた。出立の準備を整えたプレイヤーたちを前にして、いつぞやと同じくデリウスが簡単な説明を行った。
「さて諸君。これから我々はこの山陰の拠点から旅立って、別の拠点を目指して移動を開始する。【導きのコンパス】を使用するので、道に迷う心配はない。ただし、本隊からはぐれてしまった場合はその限りではないので、十分に注意して欲しい。まあ、すき好んで結界の外に出るヤツがいるとも思わんがな。
向かう拠点としては、『ここから一番近く、プレイヤー数が五十人以上で、さらに五十人を受け入れられる拠点』と設定してある。ただ諸君も承知の通り、どんな拠点なのか、どれほどの時間がかかるのか、どんな場所を通るのか、ほぼ一切のことが不明だ。そのため行き当たりばったりになる部分もあるだろう。落ち着いて、こちらの指示に従って行動して欲しい。以上だ」
そう言ってデリウスは話を終えた。魔泉調査のときもそうだったが、「こういう要所要所で演説をしたがるなんて目立ちたがり屋だな」とカムイなどは思っている。ただ、アストールに言わせれば彼の話は簡潔で要点が纏められており、なにより短い。「本当の演説好きに話させたら、こんなものではすまない」とは彼の談だ。なにより多数の人間が集団行動をするのだ。意識を統一するためにも、こういう演説は必要といえた。
「いいじゃないか。わたしが通っていた学校の校長先生なんて、朝礼で下手でつまらない話を延々と話し続けるんだぞ。まったくためになんかならない。せめて座らせてくれれば寝れたのに」
「そういえばウチの学校もそうだったなぁ……」
もとの世界のそんなことを思い出し、呉羽とカムイは揃ってため息を吐いた。どの世界にも同じような人種はいるらしい。実に迷惑なことだった。
まあそれはともかくとして。デリウスの出立前の“演説”が終わると、一行はすぐに移動を開始した。この辺りはまだ瘴気濃度が低いので、まだ結界を張る必要はない。それでカムイたち四人は後ろから付いていったのだが、ふとアストールが立ち止まって無人になった拠点に目を向けた。
「…………」
数秒の間、彼は無言で山陰の拠点を眺め続ける。高濃度の瘴気に周囲を覆われて実質的に閉じ込められ、そのため攻略に行き詰まりを感じていたとはいえ、彼がここで数ヶ月を過ごしていたことは事実なのだ。あるいは寂しいのかもしれない、とカムイは思った。
(オレはどうなんだろう?)
ふとカムイはそう思った。そして今の自分の気持ちを考えてみるが、寂しい感じはしない。ここで過ごした時間が短いからなのかもしれない、と彼は思った。
「すみません。さあ、行きましょう」
拠点だった場所に背を向け、アストールはそう言った。カムイたちは、余計なことは言わずにただ頷きだけを返した。
しばらく進むと、「そろそろ無理」という申告者が出た。デリウスは一つ頷くと、【瘴気濃度計】を取り出して数値を確認する。目盛りの数値は1.29。魔泉の調査のときよりも数値が低いが、あの時は〈騎士団〉の中でも精鋭揃いだったので、それに及ばないのはある意味で仕方がない。デリウスも特に気にすることなく、カムイら四人に結界の展開を指示するのだった。
「ではリムさん、どうぞ」
「……はい、お願いします」
アストールがしゃがみこんで背中を差し出すと、リムは少し躊躇いつつも彼の肩に手をおいてその背中に負ぶさった。彼女の表情は酷く不本意だが、その頬はほんのりと赤く染まっている。きっと一分もすれば不本意な表情はなりをひそめて、頬が緩んでくるに違いない。
展開した結界を維持しながら、総勢およそ五〇名のプレイヤーは高濃度の瘴気の中を歩いていく。途中、モンスターに襲われることが何度もあったが、軽い怪我をする程度で全て撃退している。
魔泉の調査に加わっていたプレイヤーが半数近くもいるのだ。防衛力という意味では、すでに戦力過剰と言っていい。だからデリウスが苦労したのは「いかにモンスターを撃退するのか」ではなく、「どのようなローテーションを組んで、どうやってそれを回すのか」という部分だった。
『閉所での戦闘には不慣れな者の方が多い。〈騎士団〉が中心になってモンスターを撃退できれば、それが一番効率がいい。だが、それでは不満が溜まるだろうな……』
デリウスがそんなことを呟きながら悩んでいたことを、アストールはよく知っている。魔泉調査の準備をしていた頃からだが、彼はよくデリウスから意見を求められたり相談を受けたりしていたのだ。
ユニークスキルの関係で、アストールは戦闘能力がさほど高くない。そのため一時期は低く見られていたが、最近になって非常に頭が切れることを認めるようになったらしい。加えて、彼が〈騎士団〉のメンバーではなかったことも、相談のハードルを下げる一因だったのかもしれない。
まあそれはともかくとしても、デリウスが今回の拠点移動で最も配慮しなければならなかったのは、特に〈騎士団〉のメンバーではないプレイヤーたちの不満を溜めないことだった。結界を必要とする以上、プレイヤーたちはどうしても一塊になって集団行動する必要がある。だが、不満が高まればそれは難しくなるだろう。効率を下げてでも、不満を溜めないことを優先するべきだった。
日が翳ってくると、デリウスはすぐに野営の指示を出した。するとプレイヤーたちが次々にアストールのところへ集まってくる。約束されていた15,000Ptを受け取るためだ。その様子を、カムイは少々不満げに眺めた。
プレイヤーたちは自分の意思でこのデスゲームに参加したはず。なら、自分が必要とするポイントは自己責任で賄うべきだ。それができないのなら、この拠点移動についてくるべきではなかった。
口には出さないものの、カムイは腹の奥ではそんなことを考えている。そして、そのことに十分気付いているのだろう。アストールは彼の不満げな顔を見ると、ふっと苦笑を浮かべるのだった。
さて、状況が少し変わったのは五日目のことである。デリウスが瘴気濃度を測定すると、目盛りは1.25を指した。つまり結界を展開せずとも体調に影響が出ない程度まで、瘴気濃度が下がったのである。
「あの拠点の周囲の瘴気濃度が高かったのは、間違いなく魔泉の影響……。瘴気濃度が下がってきたということは……」
「ええ。魔泉の影響範囲を離脱したと見て間違いないでしょう」
カムイの言葉をアストールが肯定する。もちろん、この世に瘴気がある限り魔泉の影響は少なからず受けていることになるのだが、結界を必要としなくなったのは大きい。モンスターを撃退する際に結界の外に出てしまわないよう注意しなくてもよくなったし、なにより心理的な発奮作用が大きかった。“檻”からの脱出を知ったプレイヤーたちは一気に沸き立ったのである。
「えっと、じゃあわたしも降りていいですよね……?」
ホッとした様子で、しかしどこか残念そうな声でそう言ったのは、アストールの背中におんぶされているリムだ。結界を維持する必要がないのなら、彼女がおんぶされている理由もない。しかしアストールの答えは非情(?)だった。
「いえ、私たちはポイントを稼ぐ必要があるので。リムさんはこのままでお願いします」
プレイヤーたちに支給するポイントを稼ぐために、瘴気の浄化を続ける必要があるのだ。しかし他の三名はともかく、リムは浄化を行いながらだと、非常にゆっくりとしかあるけない。だからこそアストールにおんぶされていたわけで、そしてこの先もおんぶされる必要があるのだ。
「窮屈かもしれませんが、よろしくお願いしますね」
「……はい、分かりました」
不満げな声をしつつも、まんざらでもない顔をしてリムはそう応える。彼らが目指す拠点にたどり着くまでには、さらにあと数日を要するのだった。




