ゲームスタート14
「諸君。我々はこれより、魔泉の調査遠征に向かう」
居並ぶ〈騎士団〉のメンバー二三名とカムイら四人を前にして、デリウスはそう宣言を行う。最初に移動実験をしてから一週間。ついに準備が整い、魔泉調査隊は出発の時を迎えたのである。
「計画としては、往路に二日、調査に一日、復路に二日で、合計五日の予定だ。ただ日数は増えることもあるので、そのつもりでいて欲しい。念のため、倍の十日を想定してポイントを用意してある。多少予定が狂ったからと言って、大げさに動揺する必要はない。落ち着いて行動してくれ」
ついでに言えば、カムイら四人がいる。常に瘴気を浄化し続けている彼らは、大量のポイントを稼ぐことができるだろう。事前の融資は断ったものの、ポイントが足りなくなったために目の前で死なれるのは、さすがに目覚めが悪い。
それでいざという時はもちろん融通するつもりでいた。ことポイントに関しては、心配ないと言っていいだろう。移動中にどこかの誰かが「温泉に入りたい」とか言い出さなければ。
「知ってのとおり、道中は瘴気濃度が高く結界の外に出ることはできない。いつもに比べれば動きにくくて不自由だ。危険も想定される。困難な任務になるだろう。しかしこの世界を救うためには必要なことだ。各員が訓練の成果を発揮し、任務成功のために尽力することを期待する」
デリウスの挨拶が終わると、調査隊はさっそく移動を開始した。まずは慎重に瘴気濃度を計りながら、結界を使わなくても行ける所まで移動する。
「団長、そろそろ限界っス」
ある程度進んだところで、〈騎士団〉のメンバーの一人がそう自己申告をした。我慢すればもう少し耐えられるのだろうが、今はそれをするべきときではない。無理に我慢をさせて消耗を強いるよりは、さっさと結界を展開するべきだった。
「瘴気濃度1.32……。事前に調べておいた通りだな」
デリウスはアストールから借りた【瘴気濃度計】の目盛りを確認する。1.32だから、だいたい平均の三割増し程度の濃度である。ゲーム開始時と比べ、確かにプレイヤーの瘴気耐性は向上しているのだ。【瘴気濃度計】を使うことで、その成長が目に見える。
(1.32か……。ってことはだ……)
カムイは素早く頭をめぐらせる。彼がリクエストした【瘴気耐性向上薬】は、服用後一時間の間、使用者の瘴気耐性を五倍に引き上げる。ということは、単純計算で瘴気濃度が6.60(平均値の6.6倍)までなら、この薬を使用することで結界の外でも活動できるようになる、はずだ。
(6.6倍か……。オレは白夜叉があるからいいとしても……)
魔泉の周辺は特に瘴気濃度が高いことが予想される。果たして6.6倍で済むのか。カムイは一抹の不安を拭いきれなかった。
結界を張り、内部に吹き込む瘴気を浄化しながら進むことおよそ一時間。すでに、山陰からは完全に外れている。デリウスが結界の外に【瘴気濃度計】を突き出してみると、目盛りは2.13を指した。山陰の拠点は確かに高濃度の瘴気に覆われて孤立しているのだ。
「よし、進もう」
地図に数値を記入すると、デリウスは移動の再開を指示する。その指示に従って調査隊はまた歩き出した。時折モンスターが襲ってくるものの、全て〈騎士団〉のメンバーが片付けてくれる。事前にさんざん演習を繰り返しただけあって、彼らの手並みは鮮やかだ。最初の頃のように動きにくそうな様子は、もう微塵も見られない。
「ここまでは順調ですね」
「ええ。さすがによく訓練されています」
カムイとアストールはそう言葉を交わす。遠征は始まったばかりだが、ここまでのところ危なげなはない。
「呉羽、キツくなったらすぐに言えよ」
この遠征で最も重要な役割を負っているのは呉羽だ。彼女は結界を張って安全圏を確保し続けるという役割を負っている。そのため彼女は移動中、常に能力を使い続けなければならず、その負担は誰よりも大きい。また呉羽に万が一のことがあれば調査隊は全滅しかねず、それで彼女は調査隊のアキレス腱といえた。
「わたしは大丈夫だ。それより、リムちゃんのほうを気にしてやってくれ」
気負いのない口調で呉羽はそう答える。無理をしている様子は感じられない。演習を繰り返したのは〈騎士団〉のメンバーだけではないのだ。
「リムのことなら、トールさんに任せるよ」
「トールさんだって後ろに目が付いているわけじゃないんだから、カムイも注意しておかないとだろう?」
現在、リムはアストールにおんぶされながら瘴気を浄化し続けている。アストールは気配り上手な大人だが、背中に負っているわけだから確かに顔色の変化などには気付きにくいかもしれない。
「だっこしてやればいいのにな」
「それは……。乙女心というヤツだよ」
「お姫様だっこなんてされたら、かえって嬉しいんじゃないのか。リムも」
「それは……、そうかも……」
カムイと呉羽の二人がこんな話に興じられているのも、遠征が順調に進んでいるからこそと言えるだろう。
「カムイさん! そろそろリムさんの魔力が……」
「すぐ行きます!」
呉羽に「じゃあな」と一言告げてから、カムイはアストールのもとへ向かった。そしてアブソープションを発動してマナを吸収する。アストールはリムをおんぶしているために両手が塞がっているので、カムイは彼の肩に手を置いた。するとアストールが支援魔法の一つである〈トランスファー〉を使用して彼から魔力を受け取り、さらにその魔力をリムへ受け渡す。もはやルーティーンと化した一連の流れだ。そしてルーティーンが守られているということは、予想外の事態が起こっていないと言うことでもある。
「そろそろ暗くなってきたな……。今日はここで野営だ!」
デリウスがそう言うと、調査隊のメンバーはそれぞれアイテムショップから【簡易結界一人用(寝袋付き)】を購入してその中に篭る。それを確認してから、呉羽は結界を解除した。こうして遠征一日目が終わった。
次の日、移動を再開する前に、デリウスは瘴気濃度を測定する。【瘴気濃度計】の示す目盛りは2.19。濃度は徐々に高くはなっているものの、大きな変化はないといえる。この濃度なら問題はないだろうとデリウスは思っていたし、また彼から結果を聞いたアストールやカムイなどもそう思っていた。
状況が急激に変化し始めたのは、やはりと言うか魔泉にずいぶん接近してからだった。その異常にまず気付いたのは呉羽である。
「むう……。圧力がいきなり強くなってきた……!」
その報告を受けたデリウスは一旦移動を止めて瘴気濃度を測定する。すると濃度は3.07もあった。その一時間ほど前に測定した時の数値は2.21だったので、かなり急激に濃度が高くなったと言える。
「だからといってここで立ち止まるわけには行かない。進むぞ」
表情を険しくしながらも、デリウスは前進することを決めた。それを聞いて、調査隊のメンバーたちも表情を引き締める。魔泉に近づくと瘴気濃度が高くなるというのはあらかじめ予想されていたことで、メンバーの動揺は少ない。
「クレハさん。結界の内部に回す瘴気の量を多くしてください。少しは負担が減るはずです」
「それだと、リムちゃんの負担が増えるんじゃないですか?」
「わたしなら大丈夫です!」
アストールの背中からリムが元気良くそう答えるのを聞くと、呉羽は一つ頷いてから言われた通りにした。リムが浄化するべき瘴気の量が増えたことで、彼女の消費する魔力量も増えている。それで魔力の補充を担当するカムイも、アストールとリムに張り付いていなければならなくなった。
さらに、変化は別の分部にも現れた。モンスターである。モンスターが襲ってくる頻度が多くなったのだ。さらに個々の個体も強力になっている。ゾウを超える大きさのモンスターも珍しくなくなってきた。
「それが分かっただけも調査に来たかいがあったというものだ……! 迎撃! 四人には絶対に近づけるな!」
デリウスがそう声を張り上げると、〈騎士団〉のメンバーは「おお!」と応じる。多少時間はかかったものの、大型のモンスターも危なげなく倒すことができた。怪我をした者もいるが、許容範囲内である。その後、魔昌石をポイントに変換してから、デリウスがそのログを確認すると、予想通り拠点の周辺のモンスターよりも獲得ポイントが多いことが判明した。
「やはりモンスターが強力になって来ているな……」
少し考えてから、デリウスは一つのパーティーをカムイら四人の護衛にして、その守りを固めさせた。これもまた、あらかじめ考えておいた対応である。ちなみに護衛についたのはテッドの率いるパーティーだった。
「よろしくお願いします、テッドさん」
「おう、任せておけ。オレのユニークスキルは防御特化なんだ。お前さんたちにはかすり傷一つ付けさせねぇよ」
そう言って明るい笑みを浮かべながら、テッドは力強く請け負った。ただ、魔泉に近づくに連れて状況が厳しくなっていくことに変わりはない。その結果は移動速度の低下という形で如実に現れた。戦闘回数が増え、さらに一回当りの戦闘時間も長くなっているのだ。当然の結果といえた。
「計画では二日目までに魔泉にたどり着く予定だったのだが……。仕方がない。予定外ではあるが想定内だ」
そう言ってデリウスは、魔泉にたどり着く前に二日目の野営を決めた。計画に遅延が出たことになるが、彼の言うとおりこれも想定されていたことだ。それにこのペースであれば明日の昼前には魔泉にたどり着けるはずだった。
そして三日目。調査隊は魔泉にかなり接近した。結界の中は穏やかだが、外では強風が吹き荒れている。気圧の差による風ではない。魔泉から噴出す大量の瘴気が気流を生み出しているのだ。
「瘴気濃度6.23か……」
結界の外に突き出した【瘴気濃度計】の目盛りを確認すると、デリウスは難しい顔をしながらそう呟いた。魔泉に接近したことで、瘴気濃度は爆発的に上昇している。魔泉の縁まではあともう少しだけ距離があるのが、さらに濃度が高くなることは容易に想像できた。
「……本隊はここで結界を維持しつつ待機。四つのパーティーのうち、二つはここに残ってクレハさんらの護衛を担当し、もう二つは【瘴気耐性向上薬】を使用してから結果の外に出て魔泉の調査を行う」
少し考えてから、デリウスはそう指示を出した。全員で魔泉に近づくのはリスクが大きいと判断したのだ。特に結界を維持している四人に万が一のことがあれば、調査隊は濃度6.23以上という非常に高濃度の瘴気の中に放り出されることになる。全滅は必至と言っていいだろう。
組分けとしては、テッドのパーティーともう一つが本隊として結界を維持するカムイら四人を守り、デリウスのパーティーともう一つが結界の外に出て魔泉の調査を行なうことになった。
「結界の外は瘴気の濃度が非常に高い状態だ。【瘴気耐性向上薬】の効果が切れればまず間違いなく耐えられない。薬の効果は一時間だ。メンバーの一人に時間を確認させておけ。それ以前の問題になるが、耐え切れるかも定かではない。吐き気などを覚えた場合は、速やかに後退して本隊と合流しろ。個人で動くな。必ずパーティーの単位で動け」
そう指示を出すと、デリウスは自分を含め二パーティー十二人に【瘴気耐性向上薬】の服用を命じ、結界の外に飛び出した。結界のすぐ外の瘴気濃度は、カムイが基準として考えた6.60以下だ。それでデリウスら十二人は、結界の外に出てすぐに不調を訴えるということはなかった。
「問題はどこまで近づけるか、だな……」
隣に立つテッドの呟きに、カムイは無言のまま頷いた。彼がテッドの様子を窺うと、さすがに緊張しているのか目つきを鋭くして厳しい顔をしている。魔泉にどれだけ近づけるかで、調査の結果も違ってくるだろう。
(思うように近づけなかったら、もう一回リクエストだな)
ただ、カムイはどこまで近づけるかに関して、それほど心配はしていない。【瘴気耐性向上薬】で足りないのなら、もっと強力な薬をリクエストすればいいのだ。もちろん相応のポイントが必要になるが、せっかくここまで来たのだ、出来る限りの成果を得たいと彼も思っていた。
(【瘴気耐性向上薬EX】とかどうだろう? 倍率は10で)
カムイのネーミングセンスはいいとして。外に出た十二人は、【瘴気耐性向上薬】が確かに効いていて、身体に異常がないことを確認してから魔泉に向かって歩き始めた。
結論から言えば、彼らが魔泉に到着することはなかった。魔泉まであと50メートル程度ということまで接近した時、突然魔泉に異変が現れたのである。
「魔泉が……!」
見たままを言うのであれば、魔泉が徐々に細くなっていく。しかしそれが、魔泉の勢いが弱くなったことを示しているわけではないことは明らかだ。魔泉では瘴気が竜巻のように噴出していたが、その瘴気が竜巻の中心線に向かって徐々に集束し始めたのである。
「なんだ……!? 何が起こる……!?」
その答えはすぐに与えられた。というより、瘴気が集束して生まれるものなど、一つしかない。
「ギィィィィィィイイイイ!!!」
すなわち、モンスターである。ただし、魔泉から現れたそのモンスターは、普通のモンスターではなかった。
「でかい……!」
現れたモンスターは山の如き巨体だった。高さは100メートルほどもあるだろうか。しかもそれが全身ではない。
モンスターのタイプは人型。頭があり、胴体があって、そこから二本の腕が生えている。ただ、魔泉から覗かせている上半身だけで、下半身を確認することはできない。もし足があるのなら、モンスターの身長は200メートル近いことになる。
その巨大なモンスターの不吉に光る大きな赤い目が、魔泉に接近するデリウスら十二人を捕らえる。モンスターは両手を組むと、その巨大な拳をゆっくりと振り上げた。
「後退! 結界内に戻れ!」
それを見て、デリウスら十二人には全力で後退を開始した。その後ろでモンスターが両手を組んで作った拳を勢い良く地面に叩き付ける。その瞬間、まるで地震のように地面が振動した。
「おっと……」
幸い、カムイらのいる本隊は魔泉から多少離れていたこともあり、振動はそれほど大きくはなかった。デリウスらも転んだりした者はいたものの、直撃を受けることはなく、全員無事に結界まで戻ってきた。
「門番……、いえ守護者とでも言うべきでしょうか」
「そうですね……」
アストールとカムイが巨大モンスターに厳しい視線を向けながらそう言葉を交わす。ほかに適当な言葉があるとすれば「ボス」とでも言うべきか。なんにせよ、これまでのモンスターとは一線を画す存在であることに間違いはない。
「その姿を見られただけでも収穫というもの……! それに、対策を講じてこなかったわけではないぞ!」
デリウスもまた、巨大モンスターを見上げながらそう叫んだ。彼の表情は厳しいものの、まだ意気は挫かれていない。
「ケイレブ!」
「おおよ! やっとオレの出番だな!」
デリウスに名前を呼ばれて返事をしたのは、赤毛で長身の青年だった。耳にはピアス、首にはチョーカーをつけていて、全体的な見た目はなんだかチャラい。その、ケイレブと呼ばれた彼は膝を曲げて腰を落とし、右手の拳を地面に向けた。すると、彼の身体から赤いオーラが立ち上り始める。
「これは……、竜の魔力……!?」
アストールのその呟きが聞こえたのか、ケイレブはにやりと得意げな笑みを浮かべた。そして、叫ぶ。
「【ドラゴン・ソウル】、発動!!」
次の瞬間、赤いオーラが爆発的に増え、それと同時にケイレブが勢い良く跳躍して結界の外に出た。カムイが慌てて視線で彼を追うと、そこにいたのは翼を広げて悠然と空を飛ぶ、一匹の赤い竜だった。
「ケイレブのユニークスキル【ドラゴン・ソウル】! 見ての通りドラゴンにその姿を変え、あらゆる能力を劇的に向上させるスキルだ! さらにヘルプたんと交渉して一日に一度、それも十分間しか使えない代わりにスキル自体を強化してある! これなら……!」
大きさだけを比較すれば、ドラゴンは巨大モンスターの三分の一程度である。ただ、翼を広げた際の横幅は、モンスターの肩幅を超えている。大きさだけなら、十分に匹敵するといっていいだろう。
そのためなのか、能力を説明するデリウスの声にも自信がみなぎっていた。カムイは「ヘルプたん」にも興味引かれたが、しかしやはり初めて見るドラゴンに視線は釘付けだ。プレイヤーたちの視線を一身に集めながら、ケイレブが化けた赤いドラゴンは翼の皮膜に風を受け、力強く巨大モンスターへと向かっていく。
「ギギィ!」
低く、巨大で、やっぱり耳障りなモンスターの叫び声。空を飛ぶケイレブが気に入らないのか、巨大モンスターは腕を振り回しながら彼を捕まえようとする。しかしそんなモンスターを嘲笑うかのように、ケイレブは悠々とその腕をかわしながら空を飛んだ。
そしてケイレブは腕をかわして空を飛びながら、口元に炎を溜めていく。それを見てカムイは「まさか」と思い目を見張った。そして彼の予想あるいは期待は、見事に当る。
――――〈竜の息吹〉。
ドラゴンに化けたケイレブの口から、炎が吐き出される。その炎は巨大モンスターの右腕を焼き尽くして消し飛ばす。それを見て、調査隊のメンバーたちは歓声を上げた。
「いける……! 勝てるぞ!」
デリウスが喜色を浮かべながらそう叫ぶ。調査隊の誰もが同じことを思っていただろう。しかしその期待は裏切られることになる。
「ギィィィィィイイイイイイイ!!」
巨大モンスターが身をよじりながら悲鳴を上げる。そしてなんと、魔泉から瘴気を吸収し始めたのである。唖然とするプレイヤーたちの目の前で、失った右腕がまたたく間に再生されていく。
「ギギィ!」
右腕を完全に再生させた巨大モンスターは、ケイレブを捕まえようとして再び腕を伸ばす。彼はそれを、高度を上げることで回避した。しかしここでまた予想外のことが起こる。モンスターの腕が、長く伸びたのである。
長く伸びた巨大モンスターの腕を、ケイレブは素早く飛び回りながら回避する。しかし彼には時間がなかった。【ドラゴン・ソウル】を使えるのは、一日に十分だけ。早く決着を付ける必要があった。
空を飛びながら、彼は再び口もとに炎を溜めていく。中途半端に攻撃しても、また再生されるだけだろう。一撃で倒す。彼はそのつもりで力を溜めた。
しかしそのためなのか、ケイレブの飛び方が単調になる。そしてついて翼を掴まれてしまった。そしてそのまま地面に叩き付けられる。
「ケイレブ!」
地響きと振動の中、デリウスが叫ぶ。幸い、彼は無事だった。そしてその目はまだ戦意を失っていない。口もとの炎もそのままである。
巨大モンスターが彼の両の翼を掴んだ。そしてそのまま持ち上げ、まるで脅すかのように顔を近づける。その瞬間、ケイレブは二度目の、そしてさっきよりも強力なブレスを放った。モンスターの顔が、ブレスの炎に包まれる。
「やったか!?」
デリウスが叫ぶ。ブレスが消えるとそこには……。
そこには、モンスターの巨大な頭部がそのままあった。煙のようなものが上がってはいるが、瘴気を吸収したのであろう、それもすぐに収まった。
「ギギギ……」
嘲笑うかのようなモンスターの声。三日月の口が歪にゆがんだ。ケイレブは必死に身をよじってモンスターの手から逃れようとするが、しかしその拘束を振りほどけない。
「ギギィ……」
おもむろに巨大モンスターが身体を逸らせる。その口元には、炎が見えた。
「まさか……!」
ウソであってくれ。調査隊の誰もがそう思っただろう。しかしその期待は裏切られ、彼らの予感は的中する。
「ギィィィィィィ!!」
雄叫びを上げながら、巨大モンスターはケイレブ目掛けて炎を吐いた。いやそれは炎というより、一筋の熱線だった。ビームのようだ、とカムイは呆然とする頭の片すみで考える。
巨大モンスターの吐いた熱線は、ケイレブのブレスよりはるかに強力だった。その熱線は【ドラゴン・ソウル】によって強化されているはずの彼の身体を、まるで紙切れのように突き破って貫通した。
さらにそれだけでは留まらない。ケイレブの身体を貫通した熱線は、そのまま一直線に進み続けた。そして小高い山の斜面にぶつかって炸裂する。その山の反対側には、瘴気から守られた山陰の拠点がある。
「あ、ああ……」
はたしてそれは誰のうめき声だったのか。モンスターが熱線を吐き出し終えると、そこにはドラゴンの翼しか残っていなかった。胴体や首は、全て吹き飛ばされてしまったのである。そしてその残った翼を、モンスターは用なしと言わんばかりに投げ捨てる。その翼は、地面に落ちる前にエフェクトに包まれて消えた。
プレイヤーが一人、死んだのだ。カムイはそのことを呆然としながら悟った。これはデスゲーム。死の可能性があるゲーム。決して忘れていたわけではない。しかしまざまざとそれを思い知らされてしまった。
「う、ああ……、うあああああああ!!!」
メンバーの一人が悲鳴を上げる。その悲鳴はすぐに伝播した。何人かが錯乱した恐慌状態に陥り、巨大モンスターに背を向けて逃げ出す。
「バカ! 結界の外に出るな!」
デリウスがそう怒鳴るが、彼らは足を止めない。幸い彼らは【瘴気耐性向上薬】を飲んでいたようで、結界の外に出てもすぐに倒れることはなかった。
「団長! どうすんだ、このままじゃ……!?」
「……っ! 撤退する! あのバカどもを回収するぞ!」
デリウスが撤退を指示すると、メンバーは一斉に動き始めた。しかしその後ろで、巨大モンスターが再び身体を逸らせる。その口元には紛れもなく炎があった。熱線の二射目。その標的は、言うまでもない。
(なんとか防がないと……!)
防がなければ、全滅する。それを避けるために、カムイは必死に頭を働かせた。思い浮かべているのは、一射目の熱線である。
(着弾と視認は同時じゃなかった。つまりアレはレーザーじゃない。熱風もあったから炎ってことに間違いはないんだろう。だったら……)
「呉羽ぁぁぁあ! 結界は解除していい! 全力で真空の断層を作れ!」
それを聞いて呉羽はすぐさま頷いた。そして頷いた彼女を見て、次にデリウスが声を張り上げる。
「耐性向上薬を飲んでいない奴はすぐに飲め! 瘴気に巻かれて死ぬぞ!」
薬の服用は何とか間に合った。そして呉羽はカムイに言われたとおりに天叢雲剣の力を駆使して、全力で熱線の射線上に真空の断層を作った。
次の瞬間、モンスターの口からケイレブを屠った熱線が放たれる。呉羽の作り出した真空の断層は、その熱線を受け止めて防ぐ。しかしやはり、その威力は桁違いだった。
「ぐ、ぐぐ……」
呉羽は歯を食いしばりながら耐える。熱線それ自体は防いでいるものの、高温の熱風がプレイヤーたちの肌を焼く。結界がなくなったことで熱風がもろに来るのだ。
直撃を受けたら死ぬ。カムイはまたそう思った。しかし、何もできない。それが悔しい。
「もう……、無理……」
「呉羽!」
真空の盾が突き破られる。崩れ落ちる呉羽を、カムイは反射的に庇った。そしてそんな彼を、さらに誰かが庇う。
「【鉄壁なる城砦】!!」
次の瞬間、展開された金色の障壁がモンスターの熱線を受け止めた。カムイが視線を上げてみると、そこにいたのはテッドだった。
「早く行け! 殿はオレがやる!」
最初に真空の盾で防いでいたおかげなのか、テッドが展開した金色の障壁は熱線を防ぎきった。しかし第三射が来るか分からない。速やかな撤退が急務だった。
「殿なんて! テッドさんも!」
「そうしたいところだけどよ。そうもいかねぇんだよ」
振り下ろされる巨大モンスターの拳を、金色の障壁で防ぎながらテッドはそう言った。厳しい視線でテッドが見据える先には、新たに現れたと思しき大型のモンスターが多数いる。巨大モンスターはもちろん、これらのモンスターも抑えておかなければ撤退はおぼつかない。それに、撤退中に熱線の第三射を撃たれたら、今度は防ぎきれるか分からない。
「さっさと行け! 言ったろ? オレのスキルは防御特化だって」
「オレも残ります! そうすればテッドさんだって……!」
「バカ野郎! オメェが欠けたら結界を維持できねぇだろうが!?」
テッドが目を怒らせてカムイを怒鳴る。その剣幕にカムイは言葉を失った。
「おいクレハ! このバカをさっさと引きずって行け!」
「……行くぞ、カムイ」
「けど、テッドさんが……!」
カムイがそう言ってグズると、呉羽は無言で彼の胸倉を掴んで引き寄せ、そして豪快に頭突きをぶちかます。実際、カムイは白夜叉を展開しているから呉羽の方が痛いばかりなのだが、痛み以上に頭突きをされたことが彼には大きな衝撃だった。
「この、馬鹿者が!! いつまでゲーム気分でいるつもりだ!? これはヴァーチャルじゃない、リアルだ! ここが、今のわたし達の現実なんだ!」
「……っ!」
その言葉は、頭突き以上に衝撃的だった。確かに今まで、カムイはこの世界での出来事を、デスゲームとはいえゲームとしてしか捉えていなかった。しかし呉羽は言う。「これはゲームじゃない。現実なんだ」と。その言葉はまるで剣で刺し込まれたかのように、カムイの心の奥底に響いた。残酷なまでの痛みと共に。
「行くぞ」
何もいえなくなったカムイの手を引いて、呉羽が走り出す。撤退する仲間達のあとを追って。テッドに背を向けながら。
「クレハ」
不意に、テッドが呉羽の名前を呼ぶ。そしてさらにこう言った。
「お前、いい女になるぜ」
「あたり、まえ、です……!」
応える呉羽の声は涙声で、カムイと繋いだ手は震えている。その手を握るカムイは、自分が情けなくて仕方がなかった。
「早く行け!」
「はい!」
テッドに言われ、呉羽はカムイの手を引いて再び走り出した。カムイは走りながら後ろを振り返る。そこにはテッドの大きな背中があった。その背中は、まるで彼の遺言のようだった。
カムイと呉羽はデリウスらと合流すると、結界は展開せずにそのまま走り続けた。【瘴気耐性向上薬】の効果はまだ続いている。この間に、少しでも距離を稼ぐのだ。
――――ドォォォォオオオオン……!
不意に後ろで大きな爆発音が響く。その爆発音を聞いて、誰かが「ああ……」と悲痛な声を漏らした。
このデスゲームに参加した以上、テッドにだって叶えたい願いがあったはずなのだ。しかしそれを擲ってまで、彼はカムイたちを逃がしてくれた。その心に何を思っていたのか、今はもう知る術もない。
(死んでもいいなんて思ってるヤツが生き残って、テッドさんみたいな人が死ぬ。クソ性質の悪い冗談だ……!)
カムイは頑なに歯を食いしばった。テッドとはそれほど親しかったわけではない。それでもその喪失は大きく、そして拭いがたいものだった。
やがて、デリウスの指示が出て再び結界が展開された。調査隊のメンバーたちは意気消沈としつつも、しかし秩序を保って拠点を目指す。
途中、彼らは死体を見つけた。錯乱して飛び出していってしまった者たちの一人だ。【瘴気耐性向上薬】の効果が切れて、瘴気に呑まれて死んだらしい。飛び出していったメンバーは他にもいたが、彼らの姿はここにはない。しかし、生存は絶望的だろう。それはこの場にいる全員が悟っていた。
デリウスは死んでしまったメンバーに短く黙祷を捧げると、彼の装備を剥ぎ取り始めた。カムイは思わず声を上げようとしたが、しかしその前にアストールから制させる。結局、拳を握り締めながらその光景を見守った。
(死んでしまったとはいえ、仲間からさえ剥ぎ取るなんて……)
不思議と、それを強欲とは思わなかった。ただひたすら凄惨で、泥臭い。その光景が「ここは現実なんだ」と頭を殴りつけてくるかのようだった。
結局、無事に拠点に戻ることができたのは、調査隊メンバー全28名中21名。テッドやケイレブを含め7名が未帰還で、その全員が死亡したと結論された。実に、全体の四分の一である。これで山陰の拠点にいるプレイヤー数は、56名から49名になった。魔泉の調査を主導した〈騎士団〉のみならず、拠点全体の戦力と言う観点から見ても、甚大な被害と言うほかない。
魔泉の調査そのものには、多くの成果があったといっていい。魔泉それ自体には近づくことはできなかったが、行程中の瘴気濃度の推移や、モンスターの強化、そしてなによりあの巨大モンスターの出現など、得られた情報は多くそして貴重だ。ただそれらの情報が犠牲になった七名の命に匹敵するのかと言われれば、そんなことは決してない。成果はあったものの、失ったものの方が多い。それが今回の調査だった。
「これから……、どうしましょうか?」
沈んだ空気の中、カムイはアストールにそう尋ねた。しかしアストールもまた、沈痛な顔をして頭を左右に振るばかり。一発逆転の名案など、あるはずもないのだった。
「今は、落ち着くのを待ちましょう。今は時間が必要なんです。たぶん、全ての人に」
アストールの優しいその言葉に、カムイは小さく頷いた。
さて、魔泉の調査から帰還したその次の日から、カムイら四人は早くも瘴気の浄化を再開した。「少し休もう」という意見は、四人のうちの誰からも出なかった。おそらく四人とも頭の片すみではそれを考えていたはずだ。しかし休んでいればどうしても調査中のことを、死んでしまった人たちのことを思い出す。それがイヤで、誰も休もうとは言わなかったのだ。
そして帰還から三日後の夕方、彼らが拠点に引き返してくると、ある人物が彼らを待っていた。〈騎士団〉のメンバーの一人で、調査隊にも参加していたプレイヤーだ。彼はデリウスが意気消沈していることを伝え、何とか立ち直らせて欲しいと彼らに頼んだ。
「……できるかは分かりませんが、ひとまず様子を見に行きましょう」
少し考えてからそう応えたのはアストールだ。不確定な言葉とは裏腹に、彼の目には強い決意が浮かんでいる。
魔泉を守るあの巨大モンスター相手に、現在のところ有効な手立てはない。よってさらなる魔泉の調査は不可能で、ならばこれ以上この拠点にいる意味はない。くしくもこの調査によって、高濃度の瘴気の中を多数のプレイヤーを連れて移動する手段には目途がついた。
今こそ、この拠点を捨てて他の場所へ移動するべきとき。アストールはそう考えていた。しかしそのためには、およそ五十名のプレイヤーをまとめるリーダーが必要になる。そしてそのリーダーたり得るのは、〈騎士団〉の団長デリウスを他においていない。なんとしても彼には立ち直ってもらわなければならなかった。
四人は〈騎士団〉が所有する天幕の一つに案内された。中に入ると、アルコールの匂いが鼻につく。見渡せば空の酒瓶が散乱し、その中に力なく座り込むデリウスの姿があった。
彼のその姿を見たとき、カムイの内に湧き上がってきたのは、失望よりまず先に怒りだった。そして彼の脳裏にテッドのあの背中がフラッシュバックする。それはまさに、火に注がれる油だった。
「なに飲んだくれてんだよ!?」
その言葉と同時に、カムイはデリウスを殴りつけた。そして胸倉を掴んで倒れた彼を乱暴に起こし、濁ったその目を覗き込んで睨みつける。
「救うんじゃなかったのかよ、この世界を!?」
「こんな世界……、どうやって救えというんだ!?」
デリウスが叫ぶ。そして彼もまたカムイの胸倉を掴んだ。
「何も分かっていない子供が勝手なことを……!」
そう言われた瞬間、カムイの怒りがさらに大きく燃え盛った。その怒りそのままに、彼は身体を大きく仰け反らせてデリウスに頭突きをかました。
「分かるッ! 今のオレたちにあの化け物を倒す手段はない! だけど、まだゲームオーバーじゃない! そんなことも分からないのかよッ、大人のくせにッ!」
カムイは吐き捨てるようにしてそう言った。こんな情けない男のためにテッドが死んだのかと思うと、心底不快だった。そんな、大きく上下する彼の肩に、誰かがそっと手を置く。振り返ると、そこにいたのはアストールだ。
「デリウスさん。確かにここにいても、できることはもう何もないでしょう。ですが他の場所へ行けば、他のプレイヤーと合流すれば、また道は開けるかもしれません。いえ、我々の持つ魔泉の情報が、新たな道を開く鍵になるかもしれないんです。この情報を少しでも役立てることが、死んでしまった方々に報いることだとは思いませんか?
カムイ君から聞きましたが、この世界には540万人以上のプレイヤーがいるそうです。これだけのプレイヤーがいれば、今は想像さえできないようなことさえきっとできます。きっとこの世界だって救えます。諦めてしまうのは、まだ早いと思いませんか?」
アストールの問い掛けに、デリウスは俯いたまま答えない。その姿があまりにも情けなくて、カムイは顔を歪めて舌打ちする。もう一発ぶん殴ってやろうかと思ったが、アストールが彼の肩に置いた手に力を込めてそれを止めた。
「待っていますよ。そして信じています。あなたが立ち上がるのを」
最後にそう言葉を掛けると、アストールは他の三人を促して天幕から出た。カムイはまだムカムカとしていたが、アストールの穏やかな笑みを見ると、不思議と気持ちが落ち着いた。
「さ、私たちも夕食にしましょう」
その言葉に三人は揃って頷いた。
― ‡ ―
デリウスが四人を訪ねてきたのは、その二日後の晩のことだ。彼は四人のもとへ来るなり、いきなりこう切り出した。
「ここにいるプレイヤーを他の拠点に移動させる。ついては君達の協力が欲しい」
「具体的には、どうするのですか?」
アストールが嬉しそうにしながらそう尋ねる。その隣ではカムイが胡散臭げな顔をしているが、デリウスは歯牙に掛けた様子もない。
「具体的なことはまだ何も決めていない。君達の協力を得ること。これが最初の一歩だ」
傲然とした様子で、デリウスはそう言った。その言葉に、アストールはまた嬉しそうにしながら頷いた。
「私たちでよければ、協力させてもらいます。……いいですか?」
その言葉に、リムは嬉しそうに、呉羽は真剣な面持ちで、そしてカムイは面白く無さそうにしながら、それぞれ頷いた。
「感謝する」
そういい残し、デリウスはその場を後にした。
「なんだよ、飲んだくれてたくせに……」
「立ち直ったんだ。喜ばしいことじゃないか」
悪態を吐くカムイに、呉羽が苦笑しながらそう応じる。
「きっと、これは彼なりの謝罪と感謝と、そして宣言ですよ。『もう諦めない』という、ね」
アストールは穏やかな表情をしながらそう言った。だとしたら、彼は相当な捻くれ者だ。
――――分かりにくいだろ?
ふと風が、テッドの声を運んできたような気がして、カムイは思わず周囲を見渡した。当然、彼の姿はどこにもない。
しかしそれでも、あの背中はカムイの中に残り続けるだろう。それは何物にも変えがたい、彼の財産だった。
第一章 ―完―
というわけで。いかがでしたでしょうか。
作者的には、最後のほうで主人公をあんまり活躍させられなかったのが残念かな、と思っています。
第二章をいつはじめられるかは分かりませんが、どうぞ気長にお待ちくださいませ。




