〈魔泉〉攻略中16
キファに依頼した三つのマナ結晶体が仕上がると、ロロイヤは術式を施して〈次元孔修復装置〉を完成させた。魔道具が用意できたら、次は実験である。やることはほぼ前回と一緒だが、今回の実験は比較的瘴気濃度が高い場所で行われた。
「よし。始めろ」
ロロイヤにそう言われ、カムイは無言で一つ頷いた。そして一つ深呼吸してから、おもむろに魔力を込め始める。前回とは違い、〈次元孔修復装置〉がぼんやりと光を放つことはない。しかし木箱に詰めてある魔昌石は、にわかに輝き始めた。
「ふむ。瘴気の影響はほぼないな。術式に仕込んでおいたシールドが上手い具合に働いているか……」
ロロイヤは実験の様子を見守りながらそう呟いた。ここは瘴気濃度が1.0を超えている。ここで瘴気の影響を受けないのであれば、本番でも瘴気の影響は考えなくていいだろう。懸念事項が一つ減ったと思っていい。
その後、ロロイヤの指示でカムイは込める魔力の量を増やした。それに呼応するように魔昌石の輝きが強くなり、そして燐光を放ち始め、そのまま光になって消えていく。そうやって魔道具が正常に動作することを確かめ、実験は終わった。
そして実験の後は反省会である。ただ、今日の反省会は雰囲気が違う。少し空気がピリピリとしていた。
積層結界は無事に展開できたし、持続時間の問題もほぼ解決した。【ラプラスの棺】を展開し、その内部を浄化することで瘴気濃度を下げられることも確認している。この時、地面から瘴気が滲み出てきてモンスターが出現してしまうが、メンバーの戦力で十分に対処可能だ。そして胆となる〈次元孔修復装置〉も完成した。
本番が近い。メンバーたちはそれを感じ取っていたのである。そしてその直感を肯定するかのように、ロロイヤが口を開いてこう言った。
「準備は整った。他に事前実験をして確かめて置くべき事はない。いや、これ以上は事前実験では確かめられないと言うべきだな」
予行練習ができればそれに越したことはないだろう。つまり実際に次元孔を塞いでみるのだ。しかし今回の場合、それは本番と同義だ。そうである以上、どうしてもぶっつけ本番になる部分が出てきてしまう。状況ゆえの限界だった。
「次が本番だ。確認しておこう。降りるヤツはいるか?」
ロロイヤはそう言ってメンバーを見渡した。手を上げるメンバーは一人もいない。全員、すでに覚悟は決まっていた。それを見てロロイヤは満足げに一つ頷き、それからこう言葉を続けた。
「よろしい。では本番の手順を確認するぞ」
そう言ってロロイヤは手順を説明し始めた。いつ、誰が、何をするのかを、細かく説明していく。メンバーはそれを真剣に聞いた。もちろん臨機応変に動かなければいけない部分もあるが、それでも自分がどんな役割を負っているのかをあらかじめ知っておくのは重要だ。
ロロイヤが説明した内容を、キュリアズが紙に書いてまとめていく。本番の手順書だ。それを眺めて不備や不足がないかを確認する。質疑応答などを行っていると、時間は瞬く間に過ぎた。
「それで、肝心のいつ本番を決行するかだが……」
「ああ、それについては少し時間が欲しい」
そう口を挟んだのはアーキッドだった。彼が「時間が欲しい」といったのは、別に本番に向けた準備を気にしてのことではない。彼が気にしていたのは、魔昌石の買取りに関してのことだった。
「特にプレイヤーショップでやってるキャンペーンは、いきなり『明日からもう買取りはしません』ってわけにはいかないからな。掲示板で終了を告知して、メッセージを送れるヤツには送っといたほうがいいだろう。アラベスクとロナンのほうにも買取りを終えるって伝えといた方がいいだろ」
彼の言う事はもっともだったので、本番は五日後ということになった。三日後に〈ゲートキーパー〉がまた再出現する予定なのでそれを倒し、また四日後にも〈侵攻〉が起こる予定なのでその分を買取ってから、というわけだ。
こうして具体的なスケジュールが決まったわけだが、カムイたちの生活はあまり変わらなかった。本番に向けた準備はしているが、いまさら用意しなければいけないものはないし、消耗品の類はアイテムショップでいつでも買える。それであまり代わり映えのしない日常が過ぎていった。
それでもメンバーたちは全員、多かれ少なかれ本番のことを意識していた。そういう意味では、この五日間という時間を取った事はいい方向に働いたといえる。勢いに流されるようにして本番に雪崩れ込むのではなく、各自が精神状態を含めしっかりと準備することができた。
要するに、「腹は決まった」と言うヤツだ。もともと覚悟は決まっていたが、時間を置くことで冷静になったのだ。そして冷静になり、それでも本番に加わることにした。メンバーは心身ともにベストコンディションだった。
そして本番前夜。カムイはリビングにいた。プレイヤーショップを覗いてみると、また魔昌石が出品されている。120個で10万Pt。買取りキャンペーンは今日までだ。彼は小さく笑うとそれを購入して、部屋の隅に山済みされている【魔昌石専用ストレージボックス】に納めた。
「カムイ? 眠れないの?」
「寝るにはまだ早いよ」
話しかけてきたカレンに、カムイは苦笑しながらそう答えた。他のメンバーもまだ寝てはいない。アーキッドやフレクに至っては、「英気を養うため」といって今ごろ遊戯室で遊んでいるはずだ。
「じゃあ、緊張しているのか?」
カレンと一緒に顔を出した呉羽がそう尋ねる。カムイは少し考えこんでからこう答えた。
「緊張は……、してない、と思う。でも、気負ってはいる、かな」
それを聞くと、呉羽は小さく笑いながら「そうか」と言ってカムイの隣に座った。カレンもその反対側に座る。三人で並んで座っていると、不意に呉羽がこう呟いた。
「それにしても、なんだか夢みたいだよ。あの〈魔泉〉を塞ぐだなんて……」
「そう、だな」
彼女の気持ちが、カムイには分かった。二人にとって〈魔泉〉の存在は、悪い意味で大きすぎる。何度も〈ゲートキーパー〉を倒し、極大型を乱獲し、調査を繰り返し、こうして塞ぐための準備を整えても、その存在は心の中でしこりのようになっているのだ。
「二人は、〈魔泉〉と因縁があるんだっけ?」
「因縁って言うか……、まあ苦い思い出ではあるな」
カムイはカレンにそう答えた。デリウスたちと行った〈魔泉〉の調査の失敗は、この世界に来てから味わった最初の、そして今のところ最大の挫折だ。この経験は、良し悪しはともかくとして、その後の彼の行動のいわば根っこになっている。
「それはわたしたちだけじゃないよ。トールさんやリムちゃんはもちろん、デリウスさんやフレクさんも、みんな似たようなものを抱えているんじゃないかな」
呉羽の言葉にカムイは頷いた。その通りだと彼も思う。だからこそ、ここまできたのだ。誰かが何とかしてくれるのを待つのではなく、自分の手でケリを付けたいと思ったからこそ彼は、そして彼らはここにいる。
「じゃあ、ロロイヤさんに感謝しないとね」
カレンがそう言うと、カムイはたちまち渋い顔になった。思っているだけでは現実は変わらない。ケリを付けるための具体的な方策を示してくれたのは、確かにロロイヤだった。もちろん彼だけでは〈魔泉〉を塞ぐ事はできないだろう。しかし彼抜きでも〈魔泉〉を塞ぐことはできないに違いない。
いわばロロイヤはカムイたちの想いを形にしてくれたのだ。あるいは道を示してくれたとも言える。本人にそのつもりがあったのかはともかくとして、彼がしたのはつまりそういうことだった。
それは確かに、感謝されるに値する事柄だろう。だがカムイはやっぱりロロイヤに素直に感謝するのはシャクだった。
なにせ彼ときたら、やる事なす事すべて私情と欲望が丸出しなのだ。「興味があるから〈魔泉〉もついでに塞いでやる」というスタンスを崩そうともしない。まったく尊敬できない態度だ。もう少し何とかならないものか、と眉をひそめてしまう。
『だから感謝なんてしなくていい』
そう誘導されているのが、一番気に食わない。結局ロロイヤにとって、他人の感謝など二の次三の次なのだ。そんな奴に感謝するなんて、感謝のし甲斐がないと言うものだ。それでカムイは肩をすくめながらこう言った。
「感謝ならあとでキファさんにするよ。『おかげさまで作戦は成功しました』ってね」
それを聞いてカレンと呉羽は揃っておかしそうにクスクスと笑った。とはいえ、キファに世話になったのは事実だ。それこそ「貰うものは貰っているし、礼なんていらないのに」と彼女は言うだろう。だが彼女がいなくても、今回の作戦は計画倒れに終わっていただろう。それもまた確かだ。
「あははっ。じゃあさ、ちゃんと作戦を成功させて、キファさんにお礼言いにいこうね」
カレンがそう言うと、カムイと呉羽は揃って頷いた。それから、ふと呉羽が真剣な顔になる。彼女はカムイにこう言った。
「カムイ、明日は気をつけろよ」
「そりゃ、気をつけるけど……。どうしたんだ、いきなり?」
明日の作戦は「次元境界壁修復作戦」である。決して何かを討伐したり攻略したりするわけではない。つまり、戦闘は想定していないのだ。カムイはその点、気楽なモノだとさえ思っていた。しかし呉羽はそれを「甘い」と言う。
「賭けてもいい。絶対、何か起こる」
呉羽はそう言い切った。北の城砦のときも、〈ゲートキーパー〉を初めて討伐した時も、想定外のことが起こった。となれば〈魔泉〉を塞ぐという大事業、何か起こらない方がおかしい。
確証の無い話だ。しかしなんだか妙に説得力がある。そのせいでカムイも笑い飛ばすわけにいかず、彼は腕を組んで「う~ん」と唸った。カレンも同じなのか、笑うに笑えないような顔をしている。
「じゃあ、まあ、〈ゲートキーパー〉が出てくるかも、くらいのことは想定しておこうか」
カムイがそう言うと、呉羽とカレンも頷いた。想定しておけば、実際にはそれが外れてもまずい事は何もない。一番まずいのは想定していないのに〈ゲートキーパー〉が出てきてしまうことだ。
「呉羽も気をつけろよ」
「うん、分かっている」
「あれ、あたしは?」
カレンが口を尖らせる。心配してもらえなかったことが不満らしい。そんな彼女の方を見て、カムイと呉羽はなぜか苦笑を浮かべた。
「いや、だって、カレンはイスメルさんと一緒だろ?」
カムイがそう言うと、呉羽も苦笑しながら頷く。ある意味、そこは世界で一番安全なポジションだ。そのことを一番良く分かっているのは、他ならぬカレン自身である。だがそれでもやっぱり不満らしい。彼女は頬を膨らませた。
「そうですけどぉ~。それでも心配くらいしろ~」
口を尖らせながら、カレンはカムイをクッションでボフボフと叩いた。全然痛くないので、カムイは「はいはい、気をつけて」とあしらう。その適当な感じが気に入らなかったのか、彼女はますます不満げな顔をした。しかし次の瞬間、何を思いついたのか、彼女は不意に悪戯っぽい笑みを浮かべた。そしてこう詰め寄る。
「〈ゲートキーパー〉が出てくることを想定するなら、カムイはあのレーションを飲まないとよね?」
そう言われて、カムイは心底嫌そうに顔をしかめた。カレンが言っているのは【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】のことだが、このレーションはものすごく不味いのだ。間違ってもすき好んで飲みたいものではない。
だがこれまで彼は十日に一度、〈ゲートキーパー〉を討伐する際にはこのレーションを服用してきた。まかり間違っても、また〈魔泉〉に落とされるわけにはいかないからだ。命がかかっているのだから、「不味いからヤダ」とか子供みたいなことを言っている場合ではなかったのである。
なら明日の作戦も〈ゲートキーパー〉の出現を想定しているのだから同様であろう。実際には出てこないかもしれないが、しかし仮に出てきた場合、その時点でレーションを飲むというのは現実的ではない。
であれば、最初から飲んでおくしかない。どちらにしても、明日の作戦では大量の魔力が必要になるのだ。〈ゲートキーパー〉が出現しなかったとしても、レーションが無駄になるわけではない。
「明日は、飲んで、おきましょうねぇ……?」
ガシリとカムイの肩を掴み、カレンはそう言った。顔は笑っているが、目が笑っていない。カムイは内心で悲鳴を上げ、視線で呉羽に助けを求めるが、薄情にも彼女は露骨に視線を逸らしていた。
「むしろ今すぐ飲め」と迫るカレンを、カムイはなんとか宥める。ちなみにレーションは飲む約束をさせられた。がっくりとうな垂れる彼を見て機嫌が直ったのか、カレンはおかしそうに声を出して笑った。そしてひとしきり笑った後、彼女は呉羽の方を見てこう尋ねる。
「そういえば、呉羽は何を賭けるの?」
「え?」
「さっき言ってたじゃない。『賭けてもいい』って」
「いや、それは言葉の綾という奴で……」
「面白そうだし、本当に何か賭けてみれば?」
カムイがニヤニヤしながらそう言う。その顔を見て、呉羽は「これは道連れにしようとしている顔だ!」と確信する。しかしあれよあれよいう間に話は進んでいき、結局彼女の意思とは関係のないところで賭けをすることになってしまった。
「じゃあ、もし〈ゲートキーパー〉が出現しなかったら、呉羽はメイドのコスプレをするってことで」
「う、うぅ~~」
半ば強引に決められてしまい、呉羽は納得がいかないのと恥ずかしいので顔を赤くした。とはいえ、ゴネても話は覆りそうにない。できる事と言えば、道連れに犠牲者を一人増やすことくらいである。
「じゃ、じゃあ、カレンも一緒にやるんだぞ!?」
「ええ!? いや、あたしは……」
「ダメ! はい決まり!」
赤い顔をしたまま、呉羽は強引に押し切った。カレンが「ええ~」と声を上げているが、呉羽はテコでも動かぬ構えである。結局、言い出しっぺとして退くに退けず、カレンも〈ゲートキーパー〉が出現しなかった場合にはコスプレをすることになった。
こうして一人は激マズのレーションを飲むことになり、一人は条件付とはいえメイドのコスプレをすることになり、最後の一人はそれに巻き込まれた。大切な作戦の前夜に一体何をやっているのか。頭を抱えたくなる。
(でもまあ、らしいか……)
カムイはそう思って苦笑する。少なくとも、緊張して眠れないよりはいい。
― ‡ ―
そして次の日。朝食を食べ終え、それから少し時間をおいてから、カムイたちは【オーバーゲート】で〈魔泉〉のすぐ近くまで跳んだ。そこから二手に分かれ、カムイの側とミラルダの側がそれぞれ〈魔泉〉を挟んで向かい合うようにして配置に付く。大雑把に位置を説明すると、ミラルダたちが〈魔泉〉の北側に、カムイたちが〈魔泉〉の南側にそれぞれ陣取っている。
位置を決めると、カムイたちは早速準備を始めた。アストールとロロイヤが〈積層結界展開機〉を設置する。噴出す瘴気のために何も見えないが、対岸ではミラルダたちも準備を行っているに違いない。
準備の様子を見ながら、カムイはストレージアイテムから【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】を取り出し一気にそれを呷った。そしてすかさずミネラルウォーターで流し込む。それでもまだ味が口の中に残っているようで、カムイは苦虫を噛み潰したみたいに顔をしかめた。
すき好んで飲みたいものでは断じてない。ただ、ともかくこれで約束は果たした。後は〈ゲートキーパー〉が出てこなければ、カレンと呉羽のメイドコスプレを拝めるわけである。だからというわけではないが、カムイは「頑張ろう」と気合を入れた。
「ではカムイ君、お願いします」
「はい」
アストールに促され、カムイは磨き上げられた美しい結晶体の前に立った。ただすぐに魔力をこめるような事はしない。彼にも準備が必要なのだ。
まず【Absorption】と〈オドの実〉の出力を上げる。そうやって得た膨大なエネルギーを〈白夜叉〉のオーラに変換し、次にそのオーラを樹の根のようにして地面に広げていく。広く、そして浅く。念入りに“根”を広げてから、カムイはロロイヤに声をかけた。
「準備完了」
「よし。ではイスメル、カレン。向こうの様子を見てきてくれ。準備ができていたら、そのまま作戦開始だ」
「分かりました」
「行ってきます」
イスメルとカレンが【ペルセス】の背に跨って飛び立つ。カムイは集中力を高めたまま、合図を待った。そして数分後、その瞬間が来た。
(…………!)
噴き上げ、渦巻く瘴気の中で、まるで灯台のように光が輝く。待っていた合図だ。カムイはその光を見据えながら、タイミングを図った。光がゆっくりと点滅する。そして三度目に一際強い光を放ち、それと同時にカムイとミラルダはそれぞれ〈積層結界展開機〉に魔力をこめた。
積層結界が展開される。結界が安定すると瘴気は噴出さなくなり、それに伴って強風も止んだ。瘴気はまだ大量に漂っているが、それでも対岸にいるミラルダたちの様子を見ることができるようになった。彼らの様子を視認できるというのは、作戦を続ける上で重要な要素だ。
「よし、次。キュリー、棺を展開しろ」
「了解。……囲い、括り、閉じ込めろ、【ラプラスの棺】!」
自身のユニークスキルである【祭儀術式目録】を開き、キュリアズは【ラプラスの棺】を発動する。すぐさまドーム状の結界が〈魔泉〉の周囲を覆い、その内側と外側を隔てた。それを確認してからロロイヤが次の指示を出す。
「リム、クレハ。瘴気を浄化しろ」
「は、はい!」
「始めます」
呉羽が【草薙剣/天叢雲剣】を構えて風を操り、結界内の瘴気をかき集める。その瘴気をリムが浄化していく。結界内の瘴気濃度は、瞬く間に下がっていった。
こうして浄化を行うのは、本来〈次元孔修復装置〉が瘴気の影響を受けないようにするためだった。それで、〈次元孔修復装置〉が思ったほど瘴気の影響を受けなかったことを考えれば、そのために瘴気を浄化する必要はないと言える。
しかし話し合った結果、こうして浄化は行うことになった。理由は至極単純。モンスターの出現率が段違いに下がるからだ。当然、モンスターは出現しない方が作戦は遂行しやすい。それで事前実験の場合と同じく、結界内の瘴気は片っ端から浄化することにしたのである。
リムと呉羽は順調に瘴気を浄化していく。その様子を見ながら、ロロイヤは次の指示を出した。
「よし、アストール、アーキッド。魔昌石を投入しろ」
「分かりました。始めます」
「んじゃま、いっちょ派手にやるか」
そう言ってアストールとアーキッドの二人は、カムイを挟んで〈魔泉〉の縁に立った。そしてストレージアイテムから【魔昌石専用ストレージボックス】を取り出す。そしてその中身を積層結界によってふさがれた〈魔泉〉へ投下していく。“ガラガラ”とも“ジャラジャラ”とも聞こえる音が響いた。
「よし。向こうも始めたな」
目を細めて対岸を観察していたロロイヤがそう呟く。対岸ではデリウスとフレクが二人と同じように【魔昌石専用ストレージボックス】を取り出して魔昌石を投下していく。ただ、向こうの二人は護衛が本業だ。割り当てられている【魔昌石専用ストレージボックス】の数は、アストールやアーキッドの半分以下だった。
魔昌石の投下を行っているのは地上の四人だけではない。上空にいるカレンも、【ペルセス】に跨ったまま【魔昌石専用ストレージボックス】を取り出して中身を空けている。積層結界によってふさがれた〈魔泉〉は、急速に魔昌石で埋まりつつあった。これまでに魔昌石を買い集めまくった成果である。
「ちっ、出てきたか」
ただ、予想通りというか、事はそう易々とは運ばない。浄化が進んだことで地面から瘴気が滲み出し始めたのだ。そしてその瘴気はモンスターへと姿を変える。もっとも、瘴気を浄化しない場合はもっとたくさん出てくることになる。避けられない障害と言えた。
【ラプラスの棺】のおかげで外からモンスターが侵入してくる心配はない。だが、こうして内側に出現してしまっては倒す以外にどうしようもない。
「向こうも動き始めたな。こちらも迎撃しろ。……ああ、それとアストール。そろそろリムと呉羽の魔力を回復させろ。それから使用した【祭儀術式目録】のストックも回復させておけ」
「ってことは、迎撃はオレ一人かよ」
「大の大人が泣き言を言うな。回復が終わるまでだ。それにワシも動くし、モンスターが近づけばクレハも対処に当たる」
そう言いつつ、ロロイヤは〈光彩の杖〉を振るって魔法陣を描き、そこから無数の閃光を放って近づいていたモンスターを撃ち払った。そして地面に落ちた魔昌石を拾い上げて〈魔泉〉へ放り投げる。アーキッドも同じようにしていた。
やがて魔力とストックの回復が終わり、キュリアズもモンスターの迎撃に加わった。そして彼女と交代するようにして、アーキッドが魔昌石の投下を再開する。イスメルは上空で飛行タイプのモンスターを片付け、その魔昌石はそのまま下へ落ちていく。その後ろでカレンは変わらず【魔昌石専用ストレージボックス】を逆さまにして、積層結界の上に魔昌石を敷き詰めていた。
「アードさん、あとはこっちで引き受けます」
「ああ、頼むぜ」
しばらくするとカレンが近づいてきて、残っていた【魔昌石専用ストレージボックス】をアーキッドから受け取った。そして上空から比較的まだ浅い場所を探し、そこに魔昌石を降らせて平らにならしていく。
やがて積層結界で蓋をしているとはいえ、〈魔泉〉は魔昌石でほぼ完全に埋まった。集めに集めた魔昌石は、しかしそれでもまだ余って、カレンはさらに上空から降らせていく。最終的に、小高い山のように積みあがった。
「まったく、何て量だ……」
呆れたようにアーキッドが呟く。一体、何百万個あるのだろうか。もしかしたら、一千万個に届くかもしれない。何にしても、きっと数えるのもバカバカしいくらいの量があるに違いない。
自分たちで集めたものだが、正直これほどの量だとは思っていなかった。すべて【魔昌石専用ストレージボックス】に入れていたからだ。それを改めて目にして、そこにつぎ込んだ何億というポイントよりも、目の前に迫るこの量のほうに彼は慄いた。
「よし、魔昌石の準備は終わったな。カレン、〈次元孔修復装置〉を設置しろ!」
ロロイヤの指示に、カレンはイスメルの後ろで【ペルセス】に跨ったまま頷いた。そして【ペルセス】がゆっくりと下へ、魔昌石の敷き詰められた〈魔泉〉へ降りていく。カレンは【ペルセス】から下りると、魔昌石を踏みしめる。
一面の魔昌石。踏みしめたその触感は、正直石を踏んだときと大して変わらなかった。けれどもその光景はなかなかの絶景である。
ともあれ、感慨に浸っている暇はない。魔昌石の量が多すぎて、こうして敷き詰めるまでに結構時間がかかってしまった。カムイはともかく、このままではミラルダの方は魔力の残量が心もとなくなってくる。
カレンはまずストレージアイテムからスコップを取り出した。そして適当な深さの穴を掘る。次にストレージアイテムからほぼ等身大の大きさのマナ結晶体を取り出した。それが〈次元孔修復装置〉だ。片方の先端にはワイヤーが取り付けられている。そしてその逆側を下にして掘った穴の中に入れ、魔昌石を戻して結晶体の半分ほどを埋めた。それからワイヤーの先端を持ち、一旦彼女は【ペルセス】の背に戻った。
「師匠、お願いします」
「はい」
弟子に答え、イスメルは軽く【ペルセス】の手綱を引いた。白い天馬は軽く浮き上がると、そのまま滑るようにしてカムイの方へ向かう。そして〈次元孔修復装置〉に繋がるワイヤーの先端を彼に渡した。
「はい、カムイ。まだ魔力を込めちゃダメよ?」
「分かってるよ」
カムイのその返事を聞いてから、カレンはさらにあと二つの〈次元孔修復装置〉も同様にした。三本のワイヤーをカムイに持たせてから、カレンはイスメルと一緒に【ペルセス】に跨って上空へ退避する。
それを見てロロイヤは頷いた。ここから先はぶっつけ本番。少なくとも小規模にしか事前実験はできていない。失敗してしまう可能性もあるだろう。しかしそれでも彼は気負いなくこう言った。
「よし、では始めるぞ。カムイ、〈次元孔修復装置〉に魔力を込めろ」
「了解」
短くそう答え、カムイは手に持ったワイヤーに魔力を込めた。魔力はワイヤーを伝って〈次元孔修復装置〉へと流れ込み、そこに書き込まれた術式を発動させる。変化はそうすぐには現れない。けれども五分、十分と魔力を込め続けると、やがてじわじわと敷き詰めた魔昌石が輝きを放ち始めた。
「カムイ、魔力はどうだ?」
「余裕です」
カムイははっきりとそう答えた。実際、魔力にはまだ余裕がある。以前のように纏うオーラが半減してしまうこともない。
これは〈積層結界展開機〉とそれを支える台座、そして〈次元孔修復装置〉に【使用魔力軽減】のギフトが仕込まれていること、入念にオーラの“根”を広げておいたこと、事前に【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】を飲んでおいたことが要因だ。
そうやって確保した潤沢な魔力が、〈次元孔修復装置〉を介して魔昌石に注ぎ込まれていく。それらのエネルギーは〈次元孔修復装置〉に書き込まれた術式に従って魔昌石を励起状態へと近づけていき、それに伴って放たれる光は輝きを増した。
「そろそろか……」
ロロイヤがそう呟く。彼の声は十分に平静を保っていたが、しかし若干の興奮が隠しようもなく混じっていた。だがそれに気付く者はいない。一番近くにいたカムイでさえ、目の前の光景に釘付けになっていた。
大量の魔昌石が、それこそ〈魔泉〉に敷き詰められ、それでもなお余って小山のようになっている魔昌石のその全てが、光を放って輝いている。圧倒的な光景だった。カレンとイスメルそれにルペはこの光景を上空から見ているが、これは地上から見た方がその圧力をより感じられるかもしれない。カムイはふとそう思った。
あと少しで、魔昌石は燐光を放ち始めるだろう。事前実験で確認したように。つまり臨界点の一歩手前だった。しかしこんな地表付近で励起させても意味はない。事前実験のときのように励起されたエネルギーは空気中に霧散し、最終的に熱に変わるだけ。それでは次元孔を修復する事はできない。
要するに、励起されたこのエネルギーを次元孔のところまで持っていかなければならない。そのためにロロイヤはごく単純な方法を考えていた。つまり、落すのだ。ただし、落すにしても準備が要る。
「イスメル、棺を取っ払え!」
その指示にイスメルは無言のまま頷いた。そして手綱を引いて【ペルセス】を走らせる。白き天馬は【ラプラスの棺】の内側をなぞるように駆けた。同時にイスメルは剣を振るって結界を切り裂いていく。天馬が結界内を一周した時、【ラプラスの棺】は音を立てて崩れた。それを見てロロイヤは叫ぶ。
「カレン、合図を出せ!」
「はい!」
ロロイヤが大声で指示を出し、カレンも大声でそれに応えた。そしてストレージアイテムから小さなロッドを取り出す。先端についているのは不釣合いに大きな宝玉で、それは込められた魔力に応じて光を放つ。
つまり、ごく単純な魔道具だ。そして最初に積層結界を展開するときに、カムイとミラルダのタイミングを合わせるために使った魔道具だ。その魔道具をもう一度同じ目的で使用する。ただし、その結果は真逆のものとなるだろう。
二度、ゆっくりと光が点滅する。そして三度目に一際強い光が輝いた。それに合わせてカムイとミラルダは〈積層結界展開機〉に供給していた魔力をカットする。すると当然、エネルギー供給を断たれた積層結界は瞬く間に消失した。
「持ってけえ!!」
支えを失った膨大な量の魔昌石は、一瞬の浮遊の後に落下運動を開始した。その瞬間にカムイはワイヤーを通して、三つの〈次元孔修復装置〉に大量の魔力を叩き付ける。〈積層結界展開機〉に供給していた分を全てまわし、その上で身に纏っていた白夜叉のオーラが半減どころか三分の一程度にまで減る、それほどの量の魔力だ。つまり、臨界点一歩手前の魔昌石を完全に励起するためのトリガーである。
その膨大な魔力を叩き込んだ後、カムイは素早くワイヤーを手放した。持っていても引きずられることはないが、しかし三つの〈次元孔修復装置〉を引っこ抜いてしまう。それだと励起が止まってしまう可能性が高く、つまり文字通り大量の魔昌石を〈魔泉〉に捨てるだけになってしまう。それは愚かな行為だ。
だからワイヤーを手放し、三つの〈次元孔修復装置〉ごと大量の魔昌石を落す。カムイは事前にそう説明されており、そして説明されたとおりに行った。ただし、その結果何が起こるのかは説明されていない。というより、ロロイヤでさえ何が起こるのかはっきりとは分からない。
「さあ、どうなる……!?」
ロロイヤが狂気を滲ませながらそう呟く。何事も起こらずに次元孔が復元される、というのであれば一番良い。しかしそうはならないだろう、と呉羽だけではなく全てのメンバーが思っていた。
だから、というわけではないだろう。むしろこの場合は「勘が当った」と言うべきか。
――――ギギギィィィィィィイイイイイイ!!
地獄の底から、不吉なその雄叫びが低く響いた。




