〈魔泉〉攻略中14
その日、〈廃都の拠点〉に工房を構えるキファのもとへ不意の来客があった。カムイとアストール、それにロロイヤとキュリアズの四人が尋ねてきたのである。工房で彼らを出迎えると、キファは意外そうな表情を見せた。
「おや、わざわざ……。どんなご用件で?」
「依頼をしに来た」
ロロイヤが端的にそう答えると、キファは「ふうん?」と呟いて呟いてから一つ頷いた。単純な依頼ならメッセージで事足りる。それにも関わらずこうして直接出向いてきたという事は、つまりメッセージでは説明しきれない事情があるということだ。それを察し、キファは彼らを工房の中へ招き入れた。
「まあ、適当に座ってくれ。今、コーヒーを淹れる」
客人にイスを勧めてから、キファはドリップでコーヒーを淹れた。お湯を用意して粉を蒸らしてやると、たちまち香ばしい香りが部屋いっぱいに広がる。その香りに、キファは顔を綻ばせた。
キファが人数分のコーヒーを淹れて持っていくと、テーブルの上にはお茶菓子が用意されていた。コーヒー配ってイスに座り、お茶菓子の一つを適当につまむと、彼女は早速本題に入った。
「それで、依頼というのは?」
「ふむ、実はな……」
ロロイヤはまず、〈魔泉〉を塞ぐ計画を進めていることを伝え、それらか昨日行った事前実験について大まかに説明する。そして明らかになった問題点を改めて指摘し、その上で積層結界を展開する魔道具の素体として使う、精製したマナ結晶体の製作を依頼したいと告げた。
「〈魔泉〉を塞ぐ、か……。そのために魔昌石の買取りをしているというのは知っていたけど、こうして改めて聞くとなんだか途方もないねぇ」
飲みかけのマグカップをテーブルの上に置き、キファはそう言って肩をすくめた。壮大な話だ。壮大すぎて、なんだか現実感がない。そもそも彼女は〈魔泉〉をじかに見たこともないのだ。なんだか御伽噺のようにさえ感じられて、彼女はちょっと遠くを見てしまった。
「途方も無いのは認めるがな。挑めば足がかりくらいは見えてくるものだ。……それで、頼めるか?」
「まあ、話を聞く限り、そう難しい仕事でもなさそうだ。やらせてもらうよ」
残っていたコーヒーを飲み干してから、彼女は頭を切り替えてそう応えた。なにはともあれ仕事である。話を聞く限り、不可能なことは求められていない。なによりロロイヤたちは気前のいい顧客だ。断る理由はなかった。
キファが依頼を受けることを伝えると、ロロイヤは「うむ」と言って一つ頷いた。そして二人は早速実務的な話を始める。
「それで、形状やサイズはどのくらいにすればいい?」
「それは、コイツを参考にしてくれ」
そう言ってロロイヤはストレージアイテムから〈魔神の双眸〉の片方を取り出し、テーブルの上に置いた。魔道具とは言っても、見た目はただの魔昌石。それでその巨大な魔昌石を見て、キファは「おお」と感嘆の声を漏らした。
「これが噂に聞く〈ゲートキーパー〉の魔昌石か……! 流石に大きいねぇ……。コレ一つで幾らくらいになるんだい?」
「だいたい、5,000万くらいですね」
「5,000万! いやはや……、今の私には夢のような金額だよ……」
カムイから具体的な数字を聞いて、キファは感嘆するのを通り越して、もはや呆れたようにそう言った。カムイたちにとっては決して「夢のような金額」ではないのだが、この場合、一般的なプレイヤーの金銭感覚に近いのは間違いなくキファの方だろう。
そもそもカムイたち四人が瘴気を浄化して稼げるのが、今のところ一日でだいたい1,000万Pt弱。〈魔泉〉近くの、瘴気が大量にある場所でそれくらいなのだ。それを考えても5,000万Ptというのは、十分すぎるほどに高額だった。
まあ、それはそれとして。魔昌石と金額の大きさにちょっとおかしなテンションになりつつあったキファだったが、キュリアズがこれ見よがしに咳払いをすると、慌てて体裁を取り繕った。
「おさわりは禁止です」
「い、いやだなぁ。そんなことするわけないじゃないか」
釘を刺され、キファは大げさに肩をすくめて見せた。どうにも疑わしい限りである。ちなみに〈魔神の双眸〉は言うまでもなく魔道具だが、一方で巨大魔昌石を加工せずそのまま素体として使っている。それでシステムの設定いかんでは触っただけでポイントに変換することができてしまう。つまり「巨大魔昌石誤変換事件」の再現だ。「おさわり禁止」にはそういう事情があった。
「そ、それにしても、マナ結晶体もやっぱりこのくらいのサイズがないとマズイのかい?」
「ああ。術式が膨大かつ複雑でな。素体にもある程度の大きさがないと、全てを記述することができんのだ」
ロロイヤがそう説明する。術式の記述に失敗すれば、当然魔道具としての能力は発揮できない。しかも術式の上書きや削除はできないので、素体を再利用することもできない。つまりゴミの出来上がりである。魔昌石であればポイントに変換できるが、マナの結晶体であればそうもいかない。まあ【ギフト】は付加できるだろうから、その場合はキファに引き取ってもらうことになるだろう。
「なるほど、了解だ。ただこのサイズで、しかも二つ作るとなると、結構な量のマナ結晶が必要だよ?」
「問題ない。アストール」
名前を呼ばれたアストールが「はい」と返事をする。そしてストレージアイテムから麻袋を八つ取り出して床に置いた。一つ一つの麻袋はパンパンに膨らんでいて、中にはもちろん砂状のマナ結晶が詰まっている。カムイたちが昨日用意したものだ。
「これだけあれば足りるだろう。足りなければ言え。また用意する。リムたちがな」
「いやいや、これで十分さ」
苦笑しつつ、キファはそう応えた。むしろこれだけの量があればたぶん余るだろう。それでキファの希望もあり、余った分については彼女の報酬に含めることになった。「また頼もうと思ってたから、ちょうど良かった」と言って彼女は笑った。
「それで、【ギフト】のほうはどうするんだい?」
「さっきも話したが積層結界は消費魔力量が膨大でな。それを軽減するような【ギフト】を頼む」
昨日行った事前実験では、〈魔神の双眸〉の消費魔力量が多すぎて、積層結界を維持できなくなった。しかし術式の改良や見直しでは、消費魔力量の大幅な抑制は見込めない。1,000Jの仕事をするには、1,000J以上のエネルギーが必要なのである。それで少々裏技的ではあるが、キファのユニークスキル【ギフト】を使おうということになり、彼らは今ここにいるのだ。
「了解だ。……それにしても、カムイ君でもダメだったのかい?」
「いや、息切れしたのはミラルダの方だ」
カムイの方は〈オドの実〉の力もあって何とかやりくりできていた。一方のミラルダは確かに膨大な魔力を持ってはいるものの、しかしそれはあくまでも一定量である。例えて言うならカムイは発電機だが、ミラルダは大容量バッテリーなのだ。使っていればそのうち無くなるのは自明だった。
ミラルダの魔力量を増やすのは難しい。回復するにも限界がある。要するに、彼女の魔力量でなんとか間に合う程度にまで魔道具の消費魔力量を抑えないことには、〈魔泉〉を塞ぐという計画自体が立ち行かなくなるのだ。
「なるほど、それは責任重大だ。ふむ、結晶体には【使用魔力軽減】のギフトでも付加するとして……。それで間に合うかな……?」
キファはそう呟きながら思案するように首をかしげた。彼女がいまいち確信を持てないのは、実際のところ本番でどれくらいの時間がかかるのか分からないからだ。予想外のアクシデントなどで実験時間が延びれば、ミラルダの魔力に限りがある以上、最終的に魔力が足りなくなる事は十分に考えられる。
「……これだけ大きな結晶体だ。実際に使うときには、台座か何かで固定してから使うんだろう?」
「まあ、そうだな」
「なら、台座の方にも【使用魔力軽減】のギフトを付加しておけば、効果が二重になってより確実だと思うんだけど、どうかな?」
キファはそう提案した。ちなみに彼女のユニークスキル【ギフト】は、自分の作品でなければ付加することはできない。つまり台座の方にもギフトを付加するということは、台座も彼女が作成するということ。当然、その分の報酬も支払うことになる。彼女もなかなか商売上手だ。一方、ロロイヤは少し渋い顔をしてこう応えた。
「……【ギフト】は手間を掛けた分だけ強力になるのだろう? 手抜きは困るぞ」
「もちろん、仕事として請け負ったからには手は抜かないさ。台座の方が私好みの仕事に思えたのは認めるがね。ただ実際問題、【使用魔力軽減】のギフトでどれくらい抑制できるかはやってみるまで分からないし、最終的にどれくらい魔力が必要になるかも分からない。なら、打てる手はすべて打っておくべきじゃないのかい?」
「分かった、分かった。では台座の方も頼む。ただ凝りすぎるなよ」
不承不承と言ったふうではあるが、ロロイヤもキファの言い分の正しさを認め、台座の作成も彼女に依頼することになった。というか、ロロイヤに釘を刺させるのだからキファも大概である。カムイは心の中でキファの危険職人度をまた一つ繰り上げるのだった。
「了解だ。二つとも、いや合計で四つか。ともかく全部きっちりと仕上げるよ」
一方のキファは商談が上手くいってご満悦の様子だ。大口の契約をまとめることができて、晴々とした笑顔を浮かべている。そんな彼女の様子に苦笑しつつ、ロロイヤはこう話を進めた。
「それで予算というか報酬の話だが。800万でいいか?」
「ああ、それで構わないよ。ただ、前払いで300万欲しい」
台座を作るための素材の費用だと、キファはいう。「そんなに掛かるもんなのかなぁ」とカムイなどは思ったが、ロロイヤは即決で「分かった」と言い頷いた。最終的に掛かる費用が同じなら、前払いか後払いかは気にしないのだろう。そもそも、費用は全てパーティーの資金から出るわけだし。
話が決まったところで、ロロイヤは前金の300万Ptをキファに支払う。それを受け取ると、彼女は「毎度あり」と言って満面の笑みを浮かべた。その様子にもう一度苦笑してから、ロロイヤはこう尋ねる。
「それで、時間はどれくらいかかる?」
「一週間、いや十日ほどもらいたい。まあ、出来上がったら連絡するよ」
メッセージ機能はこういうときに便利だね、とキファは肩をすくめて苦笑した。現在、彼女がメッセージを送るのは専らカムイたちだけだ。フレンドリストにも数人分の名前しかない。
ただその一方で、彼ら相手にキファがずいぶんと稼いでいるのも事実だ。またマナ結晶という、得難い素材も融通してもらっている。彼女にとってメッセージ機能は、仕事上なくてはならないものになっていた。もっとも、だからと言って時間制限を解除するつもりはまだ無いが。
その後、さらに二、三言葉を交わしてから、ロロイヤたちはキファの工房を辞した。彼らの背中を見送ってから、キファは気分を切り替えるようにして「さて、と」と呟く。大口の仕事を受託して浮かれるのはここまで。請け負ったからには、仕事はきっちりとこなさなければならない。そうすることで顧客の信用度が高まり、それが次なる仕事の依頼に結びつくのだ。
「じゃあ、まずは台座からかな……」
台座から手を付けることにしたのは、そちらの方が彼女好みの仕事だったから、という理由だけではない。魔道具の本体となるマナ結晶体はかなりの大きさになる。あらかじめ台座を用意しておいた方が作業がしやすいだろう、という判断だった。
ともあれ、まずは肉体労働だ。ロロイヤたちが置いていった、マナ結晶の詰まった八つの麻袋。これを部屋の真ん中に置きっ放しにしていては邪魔になる。キファはまずこれらの麻袋を工房の隅に移動させることから取り掛かるのだった。
「……っと、結構重いね。腰を痛めないようにしないと……」
若干、年齢の感じられる呟きをこぼしながら。
― ‡ ―
キファとの話し合いが滞りなく進んだおかげで、カムイたちが【HOME】へ帰ってきたとき、お昼までまだ数時間の余裕があった。昼食までダラダラして過ごすのも時間の無駄だろうということで、彼らは極大型の乱獲を行うことにした。なお、ロロイヤは【悠久なる狭間の庵】で作業があるため、彼を除いたメンバーだ。
昼食をはさみ、乱獲を続ける。全部で十体の極大型を倒し、合計で約5,000万Ptほど稼いだところで、アーキッドのところへロナンからメッセージで連絡が入った。曰く「〈侵攻〉が収まったので、魔昌石を買取りに来て欲しい」。
「ふむ、今日は少し早めじゃのう」
メッセージを横から覗き込み、ミラルダがそう呟いた。〈侵攻〉は三日に一度のペースで起きてはいるが、しかし起きる時間や規模は毎回異なる。それで連絡が来るのが夜になることもあれば、こうして午後になることもあった。
まあ時間はともかく、こうして連絡が来たからには早く買取りにいかねばならない。そうしないと〈海辺の拠点〉のプレイヤーの方々は本日分の稼ぎを得られないのだ。ポイントの分配をするまで、彼らの〈侵攻〉は終わらないのである。それで乱獲を一時中断して〈海辺の拠点〉へ向かおうとしたとき、不意にイスメルが声を上げた。
「ちょっと待ってください。わたしにもメッセージが……。これは……、ガーベラからですね」
そう言って彼女はメッセージを開き内容を確認した。そこには「ちょっと頼みたいことがあるからカレンと一緒にコッチに来て欲しい」とある。ガーベラの頼み事に心当りがなく、二人は揃って首をかしげた。
とはいえイスメルにとってガーベラは、この世界に緑を生み出してくれた大恩人である。その彼女に「来い」と言われては、行かないわけにはいかない。そしてイスメルがその気なら、カレンに否やはなかった。
「じゃあ、とりあえず一緒に行くか?」
アーキッドがそう尋ねると、イスメルとカレンは頷いて同意した。というかたぶん、ガーベラもそのつもりだったのだろう。なぜ二人を呼び出したのかは分からないが、それも向こうへ行けば分かることだ。
そして、そのワケが気になったのだろう。ミラルダが自分も行くと言い出し、それならいっそ全員で行くかということになった。庵に引き篭もっているロロイヤには、一応メッセージを飛ばしておく。もっとも彼の場合、送り主のアーキッドに指摘されるまで気付かなそうだが。
「それでは行きます……。大いなる門、不滅なる扉よ。我の前に道を開け。【オーバーゲート】!」
転位系の祭儀術式を用いて、カムイたちは〈海辺の拠点〉へ向かった。到着すると、彼らは二手に分かれる。アーキッドたちは魔昌石を買取りに海岸の方へ、イスメルたちはガーベラがいるであろう浄化樹林のほうへそれぞれ向かう。カムイはわざわざイスメルとカレンを呼び出した理由が気になったので、浄化樹林のほうへ付いていった。
「あ、来た来た。待ってたわよ」
姿を見せたイスメルたちを、ガーベラは大きく手を振りながら答えた。その際、彼女の豊かな胸部装甲が上下に揺れて、カムイは慌てて視線をそらした。後ろから寒々しい気配がしたからである。
カレンと呉羽に挟まれて冷や汗を流しているカムイの事は放っておき、イスメルはガーベラに近づいて握手を交わす。そして早速本題に入り、こう尋ねた。
「それでガーベラ。わたしとカレンをわざわざを名指しで呼び出したのはどうしてですか? 浄化樹への出資なら、望むだけしますが……」
「あはは。まあ、出資も頼もうと思ったんだけどね。それだけじゃないのよ」
そう言うと、ガーベラは【植物創造】のメニュー画面を開いて手早く操作を行った。そして「ちょっとコレを見て」と言って画面をイスメルたちに見せる。そこにはこんなことが書かれていた。
名前【浄化藻】
説明【瘴気を吸収して成長・増殖する植物プランクトン。淡水・海水の両方で生育が可能】 50,000Pt/cc
「コレって、前に見せてもらった……」
カレンと呉羽のところから逃げてきたカムイが画面を覗き込んでそう呟く。その呟きにガーベラは「そうよ」と言って応えた。
この浄化藻はガーベラがつい最近考え付いたもの、ではない。彼女が前々から暖めていたアイディアの一つだ。カムイたちもキュリアズが【オーバーゲート】を使えるようになったころに、一度その話を聞いている。
ただその時には、諸々の事情を鑑みて「創るのはまだ当分先になるだろう」と話していたはず。その浄化藻を今になって創ろうとしているということは、その間にあった状況の変化が一つ大きな理由となっているのだろう。カムイはそう考え、思いついた心当たりを口にした。
「もしかして温室関係ですか?」
「うん。まあ正解」
正解といいつつも、ガーベラの言葉は歯切れが悪い。正しくはあるが完全ではない、といった感じだ。とはいえカムイたちは今さっき来たばかり。その彼らに全ての事情など分かるはずがない。それでガーベラに無言で説明を催促すると、彼女は小さく肩をすくめてからこう話し始めた。
「温室関係というのは本当だよ。ただもちろん、この浄化藻を温室で育てるわけじゃない。そんな必要はないからね。必要なのは、浄化した後の水よ」
そう言われて、カムイたちはようやく“ピンッ”と来た。温室で育てているのは、いわゆる普通の植物だ。それらの植物を育てるためには水が欠かせない。だがこの世界の水は全て瘴気に汚染されているので、それを植物に与えても、育つどころか枯れてしまうだろう。綺麗な、少なくとも瘴気に汚染されていない水が必要だった。
「今まではアイテムショップで買った水をあげていたのよ」とガーベラは言う。アイテムショップから購入する水は決して高いものではない。ただ温室はさらに増やす予定だし、この先のことも考えれば、水もこの世界にあるものを使った方がいい。そこで浄化藻を使おうという話になったらしい。
浄化藻は「瘴気を吸収して成長・増殖する植物プランクトン」だ。これを水槽か何かに溜めた水の中で増殖させれば、瘴気を吸収しつくして後には綺麗な水が残るはず。ちょっと緑がかっているかもしれないが、飲むわけではない。植物にあげる分には問題ないだろう、というのがガーベラたちの思惑だった。
「コッチに来て見て」
そう言って手招きするガーベラについていくと、彼女はイスメルたちを井戸のところへ案内した。そこには二つの大きな水槽があった。一つは浄化樹林に水をやるためのもので、濡れてはいるが今は空だ。もう一つは新しく、恐らく浄化藻を育成するために用意したのだろう。ただ、水を入れた形跡はない。カムイは首をかしげてこう尋ねた。
「どうして水を入れないんですか? 浄化藻だって、創る量を少なくすれば、そんなに高くないのに」
「まあ、そうなんだけどねぇ……」
ガーベラの返事は歯切れが悪い。彼女は苦笑を浮かべながら頭を掻いた。そしてこんなふうに事情を説明し始めた。
「魔昌石買取りのおかげで、ギルドの資金には多少の余裕ができたわ。それを使って新しい温室を建てようという計画があったんだけど、反対意見が出ちゃってね」
反対派は言う。曰く、「温室はコストに見合わない」。事実、温室はまだ実験段階で、投資に見合う利益の回収は、まだ目途すら立たない。つまり赤字経営である。温室の意義は分かるものの、一つあれば十分で、そんなお荷物は二つもいらない、というのが反対派の主張だった。
「まあ確かにその通りなんだけどね。でもケチくさいと思わない?」
「全くです!」
ガーベラが愚痴るとイスメルが全力で同意した。緑を愛する者にとって、それ以上のものなどないのだ。放っておくとイスメルが温室の費用を全額負担しそうな勢いだったので、カレンは慌ててこう口を挟んだ。
「そ、それでガーベラさん。その反対意見が、あたし達を呼び出したことにどう繋がるんですか?」
「ああ、そうだったわね。どんなにケチくさくても、反対意見は無視できないわ。そもそも、ソッチのほうが多数派だしね」
ロナンやリーンは新しい温室に賛成しているが、しかし無理に通せば〈世界再生委員会〉が内部で割れてしまう。こうなると新しい温室を建てる方法は一つ。つまりガーベラが自分で資金を調達するしかない。
「……ってことは、その分を出資して欲しい、ってことですか?」
「それでもお姉さんはいいんだけどね。でもそれだと君たちにメリットがないのよねぇ……。だからおすすめは浄化藻のほうよ」
カムイの質問に、ガーベラはそう答えた。ただ浄化藻で稼ぐためには、水槽などという小さいものではなく、湖や河川、あるいは海でそれを増殖させる必要がある。しかしながら以前、彼女は「そういうことはまだやらない予定だ」と言っていたはずだ。〈海辺の拠点〉のすぐ近くには海があるが、そこで浄化藻を増やすと〈侵攻〉が起こらなくなる可能性があるからである。
「そこでイスメルさんの出番ってわけよ!」
そう言ってガーベラが豊かな胸を張る。要するに、イスメルには拠点から遠く離れた海域に浄化藻を散布してきて欲しい、ということだ。それならそうすぐに影響が出ることはないだろう。カレンが一緒に呼び出されたのは、瘴気濃度が高い場所があるのを警戒してのことである。
「じゃが浄化藻が増え続ければ、いずれ影響が出て、〈侵攻〉が起こらなくなるのではないかえ?」
「そうでしょうね。でも、その頃になってまだ〈侵攻〉に依存しているようじゃあ、この拠点に先なんてないわ」
ミラルダの問い掛けに、ガーベラは突き放すようにそう答えた。その通りだとは思うが、しかしそれでいいのだろうか。まあ、ロナンやリーンも承知しているというし、そうであるならばこれ以上カムイたちが口を挟むことではない。
ともかく、出資してもらって浄化藻を創り、それをイスメルとカレンに遠方の海へ散布してきてもらう、というのがガーベラの用件だった。二人以外のメンバーもこうしてやってきたわけだが、出資者が増えるのだからむしろ大歓迎である。そして浄化藻で稼いだ分を温室につぎ込む、というわけだ。ガーベラは皮算用を熱く語った。
(そんなに稼げるもんかなぁ……?)
カムイはふとそう疑問に思った。浄化藻は増殖するから、稼げる額は徐々に増えていくだろう。加えて、瘴気に汚染された水は膨大だ。最終的に稼げる額は天文学的な数字になると考えられる。ただ、今すぐに稼げる分については、あまりアテにはならないような気がした。
(ま、いいか)
カムイは内心で肩をすくめ、疑問を口に出す事はしなかった。どの道、稼ぎが少なくて苦労するのはガーベラだ。カムイたちはあくまで出資者。そこまで責任を持つ必要はないだろう。
その後、説明が終わり、イスメルやカレンを含めメンバーが納得したところで、早速【浄化藻】の創造が行われた。カムイ、呉羽、カレン、イスメル、ミラルダ、リム、キキ、ルペの八人がそれぞれ1,000万Ptずつ出資し、合計で1.6Lの浄化藻を創生する。ちなみに他のメンバーは海岸の方で魔昌石の買取り交渉中だ。
創造した浄化藻を、カムイは目の前に掲げてみる。ペットボトルのような容れ物に入ったそれは、濃い緑茶のような色をしていた。臭いを嗅いでみると、藻だけあって少々生臭い。決していい匂いとはいえなかった。
「じゃ、イスメルさん。よろしくね」
「お任せください」
ガーベラが浄化藻の入った容れ物を手渡すと、イスメルは【ペルセス】の上からそう力強く請け負った。彼女の後ろには、いつものようにカレンが座っている。そんな彼女にカムイはこう声を掛けた。
「カレン、地図は持ったか?」
「ええ、持ったわ。目印のない海上じゃ、迷子になっちゃうものね」
帰ってこれなくなっちゃったら困るわ、と言ってカレンは苦笑を浮かべた。これから彼女たちは遠方の海上へ繰り出すのだ。当然、見渡す限り海ばかりで、目印になるものは何もない。何も見ないで自力で帰ってくるのは困難だろう。
ただ、アイテムショップには【導きのコンパス】があるし、資金は言うまでもなく潤沢にある。地図がなくても帰ってくることはできるだろう。だからカムイが気にしているのはそういうことではなかった。
「いや、この機会に地図の記載範囲を増やしておこうと思っただけなんだけど……。あ、あと【測量士の眼鏡】をかけて行った方がいいな」
「…………そうね」
カムイが差し出した【測量士の眼鏡】を、カレンは乱暴に受け取った。彼女の目はジトッとしていて、声も平坦で冷ややかだ。カムイは「アレ?」と思い内心で慌てるが、カレンはそんな彼を無視してイスメルにこう声をかけた。
「それじゃあ師匠、行きましょう」
「……そうですね。ではミラルダ、アードたちにも説明しておいて下さい」
「うむ、任せておけ」
ミラルダがそう応えると、イスメルは手綱を引いて【ペルセス】を飛翔させた。後ろに跨るカレンはツンッとしたすまし顔で、カムイの方を見ようともしない。ここまであからさまに避けられれば、さすがにカムイも何かまずいことをしてしまったと気付く。二人の姿が見えなくなると、彼は残ったメンバーにこう尋ねた。
「えっと、なにか、しちゃいましたかね……?」
「それが分からぬからお主はバカなのじゃ」
ミラルダが呆れたような声でそう答えた。呉羽をはじめ、他の女性メンバーも大きく頷いている。彼女達の目は冷ややかだ。カムイは訳が分からなくて混乱するが、しかし誰も彼がどんなことをやらかしてしまったのか、肝心な部分を教えてくれない。彼はますます混乱した。
「呉羽……」
「リムちゃん、ちょっとあっちに行こうか?」
「はい!」
挙句、この扱いである。呉羽は露骨にカムイのことを無視すると、リムの手を引いてどこかへ行ってしまった。他のメンバーもさっさと散らばってしまい、カムイは彼女たちを呼び止めようとした中途半端な姿勢のまま立ち尽くした。
「何が悪かったんでしょうか……?」
女性陣の背中を見送り、カムイは唯一残ったガーベラにそう尋ねた。彼女は「そうねぇ」と呟いてもったいぶった様子を見せ、チラリと横目で空の水槽を窺う。それからカムイにこう言った。
「教えてあげても良いけど、もう100万くらい浄化藻に出資してくれない? 水槽で使う分を取って置くの、忘れちゃったのよ」
「まあ……、いいですけど……」
頬を引き攣らせながら、カムイはそう答えた。これが「100万よこせ」というのであれば断固拒否するところだが、出資であるなら追加の100万Ptくらいはやぶさかではない。すぐに支払って20ml分の浄化藻を創った。
「まいどあり~♪ あ、ついでに水槽に水入れてくれない?」
「ハイ……」
カムイは肩を落としてそう答えた。幸い、井戸はポンプ式だったので、水を汲むのはそれほど大変ではない。彼はポンプのレバーを上下に動かし、空の水槽に汚染された真っ黒い水を溜めていく。
四分の一ほど溜まったところで、ガーベラが先ほど創った浄化藻を水槽に入れた。見た目には何も変わらないが、ともかくこれで待ってさえいえれば水槽の中の水が浄化されるはずである。それから彼女は水槽の縁に浅く腰掛けると、レバーを動かすカムイにこう話し始めた。
「……つまりね、カレンちゃんは心配して欲しかったのよ。それなのに君は地図の記載範囲がどうのと、そんな素振りがまったくない。だから拗ねて怒ちゃったのよ」
「心配、ですか……?」
「そうよ。心配じゃないの?」
「いえ、まったく」
カムイはそう即答した。仮に瘴気濃度が高い場所があったとしても、【守護紋】を持つカレンにはまったく関係ない。モンスターに襲われたとしてもイスメルがいるし、そもそも二人は【ペルセス】に乗っているのだ。そのスピードについてこられるモンスターなどほとんどいない。
帰りに方角が分からなくなり迷ってしまったとしても、【導きのコンパス】を購入して使えば何も問題はない。心配する要素がなにも思い浮かばなくて、カムイは難しい顔をして首をかしげた。そんな彼の様子に苦笑しながら、ガーベラはさらにこう言った。
「それでも心配して欲しいの。それが女心ってもんよ」
「はあ、そんなもんですか……?」
「というかね。このままだとカレンちゃん、帰ってきてもあの調子よ?」
「そ、それは困ります。どうすればいいですか?」
「もう100万、と言いたいところだけど。まあ、カンベンしといてあげるわ。ええっと、まずはね……」
それからカムイはガーベラのアドバイスに従い、謝罪と無事に帰ってくることを祈るメッセージをカレンに送った。返信はなかったものの、これでカレンの機嫌はかなり良くなっているはずだとガーベラは言う。カムイはそれを信じるしかなかった。
さらに帰ってきた二人をカムイは真っ先に迎え、無事に帰ってきたことを喜ぶ。その上でもう一度出発前のことを謝ると、カレンは思いのほか簡単に許してくれた。やっぱりメッセージを送っておいたのが良かったのかもしれない。少し離れたところで得意げな顔をしたガーベラがサムズアップしているのを見て、カムイは小さく頭を下げた。
その後、カムイたちはアラベスクから連絡が来るまで、【HOME】を展開してのんびりと過ごした。〈廃都の拠点〉からも魔昌石を買取ると、今日の稼ぎだけでは赤字になってしまうのだが、まあたまにはいいだろう。
ちなみに数日後。カムイはプレイヤーショップでこんなものを見つけた。
アイテム名【浄化藻】 500,000Pt
説明文【瘴気を吸収して成長・増殖する植物プランクトン。淡水・海水の両方で生育が可能。10Lのポリタンク入り】
出品者は言うまでもなくガーベラ。つまり水槽で増殖させた浄化藻をポリタンクにつめて出品したのだ。恐らくだが、彼女は最初からこうやって稼ぐつもりだったのだろう。
ただ、これだと真似をされる可能性がある。つまり購入したプレイヤーが同じように水槽などで浄化藻を増殖させ、それをプレイヤーショップに出品するという可能性だ。ガーベラはそれを見越して長期的な収入源も確保するべく、カムイたちに出資を募りさらに遠方の海への浄化藻の散布を依頼したのである。
(いろいろ考えてるなぁ……)
その全ては温室のため。そう考えると、ガーベラにもロロイヤやキファに似た一面があるのかも知れない。カムイはそう思い、ちょっとだけ渋い顔をした。
今回はここまでです。
続きは気長にお待ちください。




