〈魔泉〉攻略中12
カムイたちが魔昌石の買取りを始めてからおよそ一ヶ月が経過した。これまでに彼らが集めた魔昌石は、だいたい7億2,000万Pt分になる。リビングの隅のほうには、満杯になった【魔昌石専用ストレージボックス】が七つ、積み上げられていた。
もちろん彼らが自分たちでモンスターを倒し、これら全ての魔昌石を集めたわけではない。その分も多少はあるが、ここにある魔昌石のほとんど全ては買取りによって集めたものだった。
魔昌石の買取りは、おおよそ順調と言っていい。〈海辺の拠点〉からは一度の〈侵攻〉ごとにおよそ4,500万Pt分を、〈廃都の拠点〉からは一日約1,200万Pt分を、それぞれコンスタントに買取ることができている。(ただし後者には、三日に一度の割合で休養日がある)。
メインの買取り先は、言うまでもなくこの二つの拠点だ。ただそのほかにも、彼らは掲示板とプレイヤーショップを駆使して魔昌石を集めていた。魔昌石の買取りキャンペーンである。
このキャンペーンが上手くいっているのかは、ちょっと判断に迷う。毎日プレイヤーショップに新たな出品はされていて、それを購入する事はできている。ただしそうやって集めた魔昌石の量は、この一ヶ月でおよそ3,000万Pt分にとどまる。〈侵攻〉の一回分にも満たないのだ。
「ま、最悪無視されてまったくゼロってことも覚悟してたからな。それに比べればずいぶんマシさ」
そう言ってアーキッドは肩をすくめた。テコ入れ策として何人かにキャンペーンのことを伝えるダイレクトメッセージを送ったりもしたのだが、あまり反応は芳しくない。プレイヤーショップに出品するという、つまりいつ買ってもらえるのか分からないというところがネックなのだろうか。彼はそんなふうに考えていた。
まあ、それはそれとして。魔昌石は集まってきている。「集めろ」と指示したロロイヤ本人でさえ、どの程度集めればいいのか分かっていないという根本的な問題を抱えつつも、とりあえず集まってはきているのだ。少なくとも、その目途は十分に立った。ならば、そろそろ次の段階に進むべきである。
「そろそろ、いかにして〈魔泉〉を塞ぐのか、その実務的な部分を考えようじゃないか」
ある日の夕食のときのことである。ロロイヤが唐突にそんなことを言い出した。彼の語り口調はまるで歌うようであり、そして狂気にまみれている。耐性のないお子様なら涙目になること請け合いだが、悲しいことにメンバーは慣れきってしまっている。一番純真なリムでさえ、ちょっと驚いたような顔をしてから食事に戻ってしまった。教育の成果である。……朱に染まって赤くなっただけかもしれないが。
「……それで、実務的な部分というのは?」
ロロイヤの狂言に慣れたとはいえ、その言葉の中身までは無視できなかったのだろう。口の中のものを飲み込んでから、キュリアズがそう尋ねた。反応が返ってきたことに満足したのか、ロロイヤは一つ頷くとこう話し始めた。
「第一に考えるべきは、『いかにして〈魔泉〉を魔昌石で満たすのか?』だな」
「普通に放り込めばいいのではないか?」
「馬鹿者。それではただ魔昌石を世界の外側へ捨てているだけだ」
気軽な調子で答えたフレクに、ロロイヤはあざけりと言うよりは呆れを含んだ声でそう応じた。いくら〈魔泉〉つまり次元孔と魔昌石が似通った魔導特性を持つからといって、ただ投げ込んだだけで次元の境界壁が修復されるはずがない。その程度の事は想像してもらいたいものである。
「……実務的な話とやらをするまえに、一つ確認しておきたいことがある。魔昌石を使って〈魔泉〉を塞ぐって話だったが、その目途がついたのか?」
「ああ。具体的な方策はまだだが、少なくともできるという確証は得た」
確証、という言葉をロロイヤは使った。つまり数式をこねくり回すなりして、「確たる証を得た」ということだ。「できるかも」という可能性の段階から「理論的には可能」という段階に移ったのである。
「穴のままにしておけば、ゴミを捨てるのにちょうど良さそうだけどな、アレ」
「そのうち空から降ってくるんじゃないんですか?」
確かそんな寓話があったことを思い出し、カムイは呆れ交じりにそう口を挟んだ。そんな彼らを無視し、ロロイヤが話をこう進める。
「魔昌石を使えば〈魔泉〉は塞げる。だが、ただ放り込むだけではダメだ。いわば、一旦埋め立てるような形にして、そこから改めて境界壁の復元、あるいは修復のための術式を発動させる必要がある」
「……かといって、普通に放り込んでも“溜まらない”。何かしらの支えが必要、ということか」
「そうなるな」
顎を撫でるようにして呟いたデリウスの言葉を、ロロイヤは軽く頷いて肯定した。「何かしらの支え」というが、それはつまり〈魔泉〉に物理的な蓋をするということにほかならない。恒久的ではなく一時的なものでいいにしても、それ自体かなり難易度の高いミッションである。
「問題となるのは、当然瘴気ですね……」
アストールが考えこむようにしてそう呟く。噴出してくる瘴気の圧力はかなりのものだ。普通に蓋をしても吹き飛ばされてしまう可能性が高い。また完全に蓋をできたとして、その下では瘴気が溜まることになる。極大型のモンスターが出現する可能性も考慮しなければならないだろう。
「あとは、〈魔泉〉の大きさも問題だな」
ロロイヤがそう付け加えた。魔泉の直径は、最低でも100m以上ある。瘴気がなかったとしても、カムイたちだけでそこに蓋をするのは難事だろう。
「別に、完全に塞ぐ必要はないんだろう? だったら、目の細かい網を張るってのはどうだ?」
そう提案したのはアーキッドだ。網なら気体である瘴気を遮ることはない。圧力は幾分軽減されるだろうし、なにより瘴気が溜まらない。極大型モンスターの出現は防げるだろう。
また網ならばアイテムショップで買うことできる。サイズや強度の問題はあるだろうが、適当なモノがないのならリクエストすればいいのだ。カムイたちの資金力があれば、現実的な選択肢と言えるだろう。
ただ、今回はそれではダメらしい。ロロイヤがそのことを、二番目の実務的問題点を挙げてこう説明する。
「作業中、特に境界壁の復元は、瘴気の影響を排除してやりたい。網では、瘴気を防げないから却下だ」
「瘴気の影響があると、どう具合が悪いのじゃ?」
「術式が誤動作する可能性がある」
ミラルダの質問に、ロロイヤがそう答える。しかし誤動作と言われて首をかしげる者がいた。カレンである。
「あれ、でも〈探求の宝玉〉は誤動作したことありませんよ?」
「使用する術式が違う。境界壁を復元する場合、いわゆるこの世界の法則に対しダイレクトに働きかけ、また利用する必要がある。だがそこに干渉してくるからこそ、瘴気は瘴気なのだ」
「ええっと……、つまり、復元用の魔道具は、瘴気と相性が悪い……?」
「まあ、そういうことだ」
そう言ってロロイヤは一つ頷いた。「瘴気と相性が悪いので魔道具が誤作動を起こす」というのは、まあ理解できない話ではない。ただ、誤動作というのは確かに問題だが、しかし何がどう問題なのか、よく分からない。そのせいなのか、ルペが眉間に小さくシワを寄せながらこう尋ねた。
「誤作動すると、どうなるの?」
「集めた魔昌石が無駄になるくらいなまだマシだな。最悪、塞ぐどころか孔が広がりかねん。そうなったら、少なくとも地上にいるメンバーは全滅だな」
カムイ以外は、とロロイヤは肩をすくめて付け足した。名前を出された彼としては苦笑するしかない。確かにカムイは一度堕ちているから、生き残れる可能性は高いだろう。ただ、一人生き残ったところで何の意味もない。
しかもその場合、どれほど孔が広がってしまうのかも、予想が付かない。ほんの数メートルで済むのか、それとも数百メートルなのか、あるいは数キロメートルなのか、もしかしてそれ以上なのか。さっぱり分からん、と言ってロロイヤは肩をすくめた。そしてさらにこう付け加える。
「最悪、この世界全てが崩落するかも知れんなぁ」
「……っ!?」
指摘されて初めてその可能性に思い至り、カムイは思わず唾を飲み込んだ。彼のほかにも顔を強張らせているメンバーが何人かいる。一つ間違えば自分たちが世界を滅ぼしてしまうかもしれないのだ。萎縮してしまっても仕方がない。しかしそんな若人の葛藤など歯牙にもかけず、ロロイヤはさっさと話を進めていく。
「まあそんなわけで、だ。瘴気の影響をなるべく排除し、その上で魔昌石を放り込み埋め立てる。そんな形にしなければならんということだ」
「そうなると、やっぱり〈魔泉〉を一度完全に塞いだ上で、その上に魔昌石を、って感じにするしかないな」
アーキッドが無精髭の生えた顎先を撫でながらそう呟いた。ただ、前述したとおり一時的であっても〈魔泉〉を完全に塞ぐのはかなり難しい。今のところそれが可能なのはキュリアズの【ラプラスの棺】だけだが、それでも一分程度しかもたず、しかも極大型モンスターが出現してしまう。それに【ラプラスの棺】はドーム状で、〈魔泉〉を上から覆うようにして展開される。魔昌石を溜めるための支えにはならない。
「仮に他のプレイヤーの力を借りたとしても、土木工事的な方法で〈魔泉〉を塞ぐ事はできないだろう」
デリウスの言葉にメンバーは異論なく頷いた。それほど大規模な土木工事がたった十日で終わるとは思えない。そして十日で終わらなければ〈ゲートキーパー〉が出現し、全てを薙ぎ払ってしまうだろう。
「では、新たな結界を用意する必要がありますね」
イスメルは断定的にそう言った。魔法的な結界で〈魔泉〉を一時的に塞ぐ。確かに取りうる選択肢はソレしかないように思える。ただ日々の乱獲に参加しているメンバーは揃って首をかしげた。そんな彼らを代表するように、キキがこう質問する。
「疑問。もつの?」
前述したとおり、【ラプラスの棺】は一分程度しかもたない。そして当たり前だが、一分程度ではまったく時間が足りない。キュリアズの世界において間違いなく最高峰とされる封印用結界でさえその程度なのだ。「新たな結界を用意する」と口でいうのは簡単だが、それもまた相当難しい。
「【ラプラスの棺】が崩壊するのは、恐らく術式が瘴気によって侵食されるからだ。もたせるためにはそこを改良するか、あるいは発想の転換が必要だな」
「じゃあ、積層構造にするってのはどうですか? 私の世界には、確かそういう結界があったんですけど……」
そう提案したのは呉羽だった。つまり崩壊して破られることを前提にして、結界を十重二十重に重ねておくのだ。これならば外側の結界が破られても内側の結界でカバーすることができる。
「面白いアイディアだな。だが、すべて破られてしまっては意味がないぞ?」
「だから、外側の結界が残っているうちに、内側に新しい結界を追加していくんです」
「力技だな」
そう言いつつも、ロロイヤはどこか楽しげな様子を見せた。この場合、結界は張って終わりではないから、維持するための魔力が必要になる。ただこの方法なら、外側の結界が崩壊していくスピードと、内側に新しい結界を追加していくスピードがつりあえば、理論的には魔力が続く限り〈魔泉〉を塞ぐ事が可能だ。
「極大型が出現しないかなど、確認するべき事は多いが……。ふむ、やってみる価値はありそうだな」
ロロイヤがそういうと、メンバーの雰囲気が少しだけ明るくなった。そのことに気付いて口元を小さくほころばせながら、アーキッドはさらに話を進めた。
「じゃあまあその方向でやってもらうとして……。結界は単純に〈魔泉〉の口を塞げばいいのか?」
「いや、できれば結界は内側に張りたい。その方が大量の魔昌石を扱いやすいし、なにより境界に近い」
「ですが積層構造の結界を内側に張るとなると、術者も内側に潜る必要があるのではありませんか?」
そう指摘したのはキュリアズだった。発動したら放置しておける【ラプラスの棺】とは違い、積層構造の結界は新たな層を追加するために魔力を込め続ける必要がある。そのためには術者が結界のすぐ近くにいる必要があるのだが、しかし〈魔泉〉の内側にはそのための足場がない。
そうなると、送り込む人員は限られてくる。つまり空を飛ぶことができるメンバーだ。カムイたちの視線は自然とルペとイスメルに集まった。
「いやいや、アタシ結界なんて張れないよ!?」
「魔道具を使うにしても、それほど大規模な結界です。二人だけでは魔力が足りないでしょうね。カムイを連れて行けば何とかなるかもしれませんが……」
今度はカムイに視線が集中する。【ペルセス】は二人まで乗れるから、確かに三人目として彼を連れて行く事は可能だ。ただ、それで問題が解決するわけではない。
「結界を張れば、瘴気はシャットアウトされるんでしょう? それだと魔力が持ちませんよ。吸収するエネルギーがないんですから」
カムイは苦笑しながらそう答えた。彼のユニークスキル【Absorption】は、「無尽蔵のエネルギーを供給する能力」ではない。自分の周囲にあるエネルギーを吸収する能力だ。これまで彼の魔力が無尽蔵に思えたのは、つまり瘴気が無尽蔵に存在していたからにすぎない。結界を張ればその瘴気が途絶えることになる。要するにエネルギー不足だ。その状態ではいくらカムイでも結界を維持できない。
「それに、魔昌石をそこに溜めるんですよね? 頭の上から魔昌石が降ってくるのはちょっと……」
〈魔泉〉の内側に結界を張り、それを支えとして魔昌石を溜めるのであれば、確かにそういうことになる。それどころか大量の魔昌石によって生き埋めになってしまう可能性すらある。
「その辺は上手くやれと言いたいところだが……」
「無茶言うな。そうじゃなくて、結界を窪ませるっていうのはどうだ?」
ロロイヤの暴言に顔をしかめつつ、カムイはそう提案した。つまり結界をお椀型(逆ドーム型)にするのだ。そうすれば〈魔泉〉の縁から結界を張り、なおかつある程度深い位置で瘴気を堰き止めることができる。また魔昌石を放り込むのにもちょうどいいだろう。
「ふむ。その分、表面積が増えるから魔力の消費量も増えるが……、まあできなくはないな。少し考えてみるか」
ロロイヤがそう前向きな考えを示したことで、結界については大まかな方向性が決まった。つまりお椀型で、積層構造を持ち、外側の結界が破られても内側に新しい結界を張って全体を維持できるような、そんな結界である。
ただこの結界が上手く実現できたとしても、それで全ての問題が解決するわけではない。そのことをフレクがこう指摘した。
「瘴気を結界で堰き止めたとしても、それで周囲の瘴気がなくなるわけでないぞ。やはり影響を受けるのではないのか?」
彼の言うとおり、〈魔泉〉から瘴気が噴出さなくなったとしても、周囲には今までに噴出した大量の瘴気が漂っている。次元の境界壁を修復する魔道具が瘴気の影響を受けやすいというのであれば、そちらの瘴気も無視はできないだろう。
「それなら、わたしが空気の断層で結界を張るので、内側を浄化してもらえればそれで大丈夫だと思います」
そう話したのは呉羽だった。彼女が提案したのは、デリウスらと最初に魔泉の調査に向かったときや、〈山陰の拠点〉のプレイヤーたちを〈海辺の拠点〉に移住させたときに使った方法だ。
今はカレンがいるので最近は全然使っていなかったが、使えなくなったわけではない。むしろ、あの頃よりずっと大規模かつ精密に使えるはずだ。ただロロイヤはあまり乗り気ではないらしく、少し険しい顔をしてこう言った。
「それだとクレハがかかりきりになってしまう。ただでさえ人手が少ないのだ。何が起きるかも分からんし、お前さんにはむしろ他のメンバーの護衛に回ってもらいたい」
逆に言えば「瘴気の遮断にかかりきりになっている呉羽にまで護衛を付ける余裕はない」ということだ。最悪、どこかの拠点からプレイヤーを雇うという方法もある。だがなるべくここにいる十三人だけで事に臨もうとするのなら、呉羽の戦闘能力が使えなくなるのは痛手だ。
「でしたら、【ラプラスの棺】はどうでしょう?」
次にそう提案したのはキュリアズだった。つまり空気の断層の代わりに、魔法的な障壁で瘴気を遮断しようというのだ。内側に残った瘴気は、やはりリムが浄化することになる。動く必要がないのだから、固定式の結界を使うというのも確かに一つの手だろう。
それにこの方法なら、【ラプラスの棺】を使った後、キュリアズは自由に動くことができる。それに空気の断層と違い、堅固な障壁があるわけだから、外からモンスターが侵入してくることもない。内側に篭ることで封印用の結界を防壁の代わりに使うという、なかなか斬新な発想の転換である。
とはいえ、【ラプラスの棺】を使うとなると、どうしても気になることが一つ。それをキキがこう尋ねた。
「疑問。もつの?」
【ラプラスの棺】は瘴気に侵食されることで崩壊してしまう。極大型のモンスターを乱獲するとき、カムイたちはいつもそれを見ている。積層結界で瘴気を堰き止めてあればいつもよりはもつのかもしれないが、しかしどうしても不安は残る。キュリアズ自身、完全な自信は持てないようで、難しい顔をしてしまった。
「それは……」
「そのへんのことも含め、事前に予備実験が必要だな」
言葉を探すキュリアズを遮るようにして、ロロイヤがそう言った。時間的な制約があるわけでもないのに、ぶっつけ本番で臨む必要はない。諸々の動作確認や問題点の洗い出しをするためにも、事前に確認テストをするのは道理にかなっている。
「瘴気を堰き止める積層結界は、それ用の魔道具をワシが用意しよう。まあ、これから考えて作るわけだがな。それができたら、一度予備実験をやるぞ」
そう言ってロロイヤは強引に決めてしまったが、他のメンバーからも特に異論は出なかったので、予備実験はやる事になった。色々と思うところはあるが、それでもぶっつけ本番よりはマシ、ということだ。
それ以上の事は予備実験の結果が出てから改めて話し合うということになり、それでこの場はお開きになった。ロロイヤが慌しく部屋へ戻っていくのを見送ると、カムイは力を抜いて身体をソファーに預けた。「ふう」と息を吐いていると、そこへ二人の少女が近づいてくる。カレンと呉羽だ。
「カムイ、疲れたの?」
「だってロロイヤだぞ? またどんな無茶を言い出すのかと思って……」
「カムイは本当にロロイヤさんが苦手だなぁ」
呉羽が苦笑しながらしみじみとそう言う。カムイは「苦手なわけじゃない」と反論したが、それが強がりである事は一目瞭然で、二人の少女は「はいはい」と言って本気にはしなかった。
「それにしても、瘴気を堰き止めるための魔道具か……。それって要するに、〈魔泉〉を封印するための魔道具ってことだろう? 本当に作れるのかな、そんなの……」
呉羽はさっきまでの話し合いを思い出して首をかしげた。封印とはいえ、もちろん恒久的なものではない。魔力を込め続ける限りにおいて発動される、いわば一時的なものだ。しかしそうだとしても、彼女にはなんだか夢物語のように思えた。
「積層結界、っていうアイディアを出したのは呉羽じゃない」
「いや、そうなんだけど……」
カレンの指摘に、呉羽は苦笑を浮かべた。ただ、カレンも呉羽の言いたい事は分かるのだ。〈魔泉〉から噴出す瘴気を堰き止めるだなんて、たとえそれが一時的であっても普通ならば不可能に思えるだろう。
ただその一方で、〈ゲートキーパー〉の討伐や極大型の乱獲、それに何度か行われた調査を通じ、〈魔泉〉はもうすでにアンタッチャブルな存在ではなくなっている。特にカレンは調査の実働を担っていることもあり、メンバーの中でもその認識が強い。あるいは無知ゆえの蛮勇なのかもしれないが、「何とかなるんじゃないの?」と気楽に考えている面があった。
もっともだからといって、呉羽の気持ちが理解でいないわけではない。彼女やカムイ、それにデリウスたちもそうだが、彼らは〈魔泉〉と因縁がある。かつて何もできずに敗走させられたその経験は、今も彼らの心の奥底にこびりついているのだ。
(まあ、なるようになるでしょ)
カレンはそう思っている。同情などしないし、ことさら鼓舞するつもりもない。トラウマを抱えていようができる事はできるし、できないのであればできるようにする。今回の話はそういうことなんだろう、と彼女は思っていた。
そしてそのために努力と苦労をするのは、第一にロロイヤだ。予備実験に使う魔道具が完成するまでは、カムイたちは特にやることはない。それで今はこれ以上考えても仕方がないと思い、カレンは話題を代えた。
「……ところで、ロロイヤさんが、その積層結界の魔道具を作ったら、それを発動させるのって、たぶんカムイよね?」
「まあ、たぶんそうなるだろうな」
「大丈夫なの? 気になったんだけど、エネルギー足りる?」
空気の断層を使うにしろ、あるいは【ラプラスの棺】を使うにしろ、実験中は〈魔泉〉周辺の瘴気濃度をほとんどゼロにまで下げるのだ。つまり瘴気がほぼ無い状態になる。吸収するエネルギーがなければ、いくらカムイでも積層結界を維持することはできないだろう。だが彼の返答は楽観的だった。
「まあ、空を飛んでいるわけじゃないし、たぶん大丈夫だろ」
瘴気濃度をほとんどゼロにまで下げるとは言っても、それは大気中の話。地中にはまだ大量の瘴気が残っているのだ。地に足が付いていれば、それを吸収できる。エネルギーは十分に持つだろうとカムイは考えていた。
それに、瘴気は除去するわけではなく浄化するのだ。つまり瘴気の代わりにマナが生み出されることになる。マナもまたエネルギーの一種であるから、吸収して使うことが可能だ。
「それに、いざとなればミラルダさんもいるから。大丈夫、大丈夫」
「他力本願ねぇ……」
気楽な調子のカムイにカレンはちょっと呆れたが、すぐにおかしくなって苦笑を浮かべた。つられるようにしてカムイと呉羽も笑う。ひとしきり笑ってから、カムイは「それにしても」と言って話題を変えた。
「この世界って、やっぱり基本的にファンタジーだよな」
「どうしたの? 改まって」
「いや、〈魔泉〉を塞ぐっていうなら、普通はコンクリートみたいので蓋を作って、それをクレーンで吊り上げて、ボンっと載せるって感じだろ?」
「そうね。あたし達の世界の常識で言えば、そうかもね」
そう言ってカレンは頷いた。二人の出身世界には〈魔泉〉がないのでどうしても仮定の話になってしまうが、魔法を使わずに〈魔泉〉を塞ごうとすれば、確かにそういう方法以外はちょっと考えられない。
「それがコッチじゃ、次元の境界壁の修復だの、積層結界だの、そんな話になるんだからなぁ」
付いていけない、とカムイは大げさに肩をすくめた。しかしそれを聞いて、呉羽は若干眉間にシワを寄せる。そしてこう言った。
「でも、魔法陣のときもそうだったけど、カムイはちゃんと話に付いていけてるじゃないか」
確かにそういうこともあった。今日の話も、まあなんとか付いていくことはできた。そのためなのか呉羽やアストールは、カムイのことを「魔法関係の知識を豊富に持っている」と勘違いしているふしがある。
しかし彼の持っている知識など、付け焼刃と呼ぶのもおこがましい、すべて妄想や空想の産物である。どれだけ設定が練られていようとも、所詮は作り物。底は浅い。本格的な話になれば、すぐにボロが出るだろう。
呉羽は出身世界がもとから結構ファンタジーだから、それなりの知識と経験を持ち合わせている。積層結界を提案したのがいい例だ。だがカムイやカレンには、そういうものが少しも無いのだ。そのことには多少なりとも危機感を覚える。
「やっぱり、ちゃんと勉強したほうがいいかなぁ……?」
「カムイは、魔法が使いたいのか?」
「そういうわけじゃないけど……」
そう言ってカムイは苦笑した。そしてカレンの方に視線を向ける。「カレンはどう思う?」と尋ねると、彼女はこう答えた。
「そうねぇ……。あたしも、魔法は別に使えなくていいかな。どうしても必要なら、それ用のマジックアイテムを買えば事足りそうだし」
それを聞いてカムイも頷く。カムイの〈白夜叉〉やカレンの〈伸閃〉は魔力を使っているから、広義の意味で魔法と言えなくもない。ただ、いわゆる〈ファイアーボール〉的な魔法は、二人とも特に覚える必要性を感じていなかった。ちなみにこの点については呉羽も同様である。
「でも、知識を持っておくのはいいことだと思うわ。知っていれば対処できる事もあるかも知れないものね」
カレンのその言葉にカムイと呉羽は頷いた。実際に自分で使うのかはともかくとして、知識というのはもっていれば武器になる。そしてカムイが懸念しているのもその点だ。つまり彼らは魔法というものについて、あまりにも無知なのだ。
無知は罪、ということはないだろう。しかし「知ろうと思えば知ることができる環境にあるのに、それをしないのは罪だ」と、どこかで聞いたことがある。この場合「罪」というのはずいぶん抽象的な言い方だが、しかしそれが自分や仲間の命を危険にさらすことに繋がるのであれば、それを無視し続けるのはやはり罪なのだろう。
「まあ、ちょっとした魔法なら斬っちゃえばいいわけだから、そんなに大げさに考えなくてもいいのかも知れないけどね」
「え?」
「え?」
「え、な、なに? あたし、ヘンなこと言った?」
「……いや、順調にイスメルさんの薫陶を受けてるな、と」
「それは喜べば良いのか、危機感を抱けばいいのか、迷うわね……」
カムイの言葉にカレンは苦笑を浮かべてそう応えた。ちなみに呉羽は「薫陶じゃなくて影響じゃないのかなぁ? 朱に染まれば赤くなる的な意味で」と思っていたが、それを言えばカレンが精神的ダメージを被るだろうと考え、口には出さないでおいた。代わりに彼女はこう尋ねて話を元に戻す。
「それで、魔法のことだけど、どうする? ロロイヤさんから教えてもらうか?」
「いや、アイツから教わることには命の危険を感じる」
カムイが大真面目な顔をしてそう言うと、呉羽とカレンは揃って苦笑を浮かべた。確かに魔法理論や魔道具理論について、メンバーの中で最も豊富な知識を持っているのはロロイヤだろう。だがしかし、カムイは彼の人格面についてこれっぽっちも信用していなかった。
気付いたら人体実験の被験者にされていた、何て事になりかねないとカムイは本気で思っている。いや、アイツならやる。「実地教育だ」とか「体験学習だ」とか嘯いてやるに決まっている。その様子があまりにも鮮明に想像できて、彼は思わず身震いをした。
「そうなると、あとはキュリーさんかな……」
「アストールさんはどう? ロロイヤさんと一緒にいろいろやってるみたいだし、人に教えるのも上手そうじゃない?」
呉羽とカレンがそれぞれ候補を口にする。カムイも納得の人選だ。今度、折を見て頼んでみようという話になった。ただ頼むとはいっても、二人にとっては完全な野暮用。彼らには彼らでやる事があるだろうし、あまり手を煩わせるのもよくない。基本的には自分たちで自習するのが筋だろうと思い、彼らはアイテムショップで魔法関係の参考書や教本を探した。
「それにしても……」
アイテムショップを物色していると、カムイは突然あることに気付き、ちょっとげんなりとした声を出した。それを聞いた呉羽とカレンも視線を上げる。「どうした?」と尋ねてくる彼女たちに、カムイは苦笑を浮かべながらこう答えた。
「いや、そういえばコレって勉強なんだなぁ、って思って……」
まさかゲームの中でまで勉強をすることになるとは思わなかった、とカムイは大げさに肩をすくめた。彼としては冗談のつもりだったのだが、しかし応える二人の声と表情は真剣だった。
「勉強かぁ……。このゲームをクリアしてもとの世界に帰ったとして、わたしはちゃんと学校の勉強についていけるんだろうか……」
「そうよね……。コッチにきてから勉強なんてまともにしてないし……」
余裕がなかったり、時間がなかったりしたのも事実だが、ともかく机に向かって勉強するという事をほとんどしてこなかった。コッチに来る前に勉強したことなど、もう忘れてしまっている。もとの世界に帰ってからの学校生活のことを想像し、二人は深刻げに顔を険しくした。
デスゲームの参加者募集があったのが平日だったのか、彼らはもうよく覚えていない。ただ、長期休暇の最中ではなかった。ということは、もとの世界に帰って少なくとも数日後には学校があるのだ。
――――授業についていけるだろうか?
――――いや、ムリだ。
そう断言できてしまうくらい、この世界に来てからはなにも勉強していない。古典なんてもう“パッパラパ~”である。五段活用? 日本語に活用なんてあったけ? で、そんな状態は間違いなく成績を直撃するだろう。
「いきなり成績が落ちたりしたら……!」
一体何を想像したのか、呉羽の顔から血の気が失せる。彼女は末っ子として可愛がられていたらしいが、決して甘やかされていたわけではない。藤咲家は名家として格式があるし、それにともない習い事も幾つかしていた。しつけはむしろ世間一般よりも厳しかったのだ。それなのに正当な理由もなく成績が落ちたら、きっと大目玉ではすまない。
「こっちの勉強も、必要かも知れん……!」
「そうね、おバカになって戻るわけにはいかないもの……!」
「いや、べつにそんなしなくても……」
「ダメよ! っていうか、カムイはもっと深刻じゃない!」
カムイはもとの世界で一年以上も植物状態だった。当然、その間学校には行っていない。その分、勉強は遅れているのだ。いや、遅れているだけではなく、その間ずっと勉強それ自体をしていない。その分ブランクが長いのだ。ただ単に彼の植物状態を治せばそれでハッピーエンドというわけではないことに、カレンはこのとき気がついた。
「やるわよ! 勉強会よ!」
「うん、やろう!」
「ええ~、マジで……?」
一体どういう話の流れなのか。魔法についてだけでなく、学校の勉強まですることになってしまった。どうしてこうなった、とカムイはため息を吐くのだった。




