〈魔泉〉攻略中10
〈魔泉〉を塞げるかもしれない。ロロイヤからその可能性を示唆された翌日、カムイたちは【オーバーゲート】を使って〈海辺の拠点〉に来ていた。〈魔泉〉を塞ぐために必要な大量の魔昌石。それを確保するためである。
もちろん、〈海辺の拠点〉に大量の魔昌石が保管されているわけではない。だがここでは定期的にモンスターの大量発生現象、すなわち〈侵攻〉が起こる。この時に得られる大量の魔昌石を買取れないか。それがカムイたちの作戦だった。そしてそのための交渉が、今まさに〈世界再生委員会〉のテントで行われていた。
「そうですか……。〈魔泉〉を……」
アーキッドから大まかな話を聞き、ロナンはそう呟いた。彼はデリウスやアーキッドとは違い、〈魔泉〉を直接見たことはない。それどころかこのデスゲームが始まって以来、ここ〈海辺の拠点〉を離れてこの世界を旅したことさえなかった。
もちろん、遊んでいたわけでは決してない。むしろここで生き残るために、必死に足掻いてきた。その甲斐もあり、現在のところこの拠点の状況はずいぶん安定している。一時期はここを放棄することも考えていたくらいだから、その頃に比べれば将来に希望を持てる状況だ。
ただその一方で、自分が何も知らないと感じることが多い。辺境の小さな拠点にこだわり大局を見誤っているのではないか。そう不安になる。だから、というのは変なのかも知れない。しかし不思議と「そうだ」という確信がある。アーキッドたちが自分を、〈世界再生委員会〉を頼ってきたとき、ロナンは確かに安堵を感じていた。
「ま、爺さん曰く『まだ可能性の段階』らしいけどな」
「それでも、可能性があるだけ大したものです。それに、信頼なさっているのでしょう? ロロイヤさんのことを」
ロナンがそう尋ねると、アーキッドは何も答えずただ肩をすくめた。しかしその顔には笑みが浮かんでいる。実質、肯定したようなものだ。普段の彼なら憎まれ口の一つでも叩くだろうに、今日は珍しくずいぶんと素直だった。
その理由は、この場にロロイヤがいないからだ。彼は今、【悠久なる狭間の庵】の中で〈魔泉〉のデータの解析に勤しんでいる。それで今日交渉に来たのは、アーキッドとデリウスとキュリアズの三人だけだった。ちなみにアストールは散々悩んだ結果、今日はロロイヤのほうを手伝うことにしたらしく、交渉の席には来ていない。
「……まあそんなわけで、大量の魔昌石が必要になる。ポイントじゃなくて、魔昌石がな。ついてはソレを〈世界再生委員会〉から買取らせてもらいたい」
浮かべた笑みをそのままに、アーキッドはいよいよ本題に入った。それに対し、ロナンは一つ頷いてから穏やかな口調でこう応える。
「このゲームを攻略する上で、それが大変に重要だということは分かります。魔昌石の売却も、やぶさかではありません。ですが、魔昌石は私たちの収入源でもあります。ギルドメンバーが納得する価格でなければ、お譲りはできません」
意訳するなら、「正確な価格は分からないんだから、その上で納得させるには相応の価格を提示してもらわないと」といったところか。要するにキュリアズが懸念したとおり、足元を見てきたのだ。
〈魔泉〉を塞げるかもしれないというその可能性の重大さは認識しているが、それはそれ、これはこれ、ということなのだろう。ロナンにも〈世界再生委員会〉のギルドマスターという立場があるのである。
とはいえそう来るのは予想通り。アーキッドはニヤリと笑うと、自分のストレージアイテムからあるモノを取り出し、それをテーブルの上に置いた。昨日リクエストした【魔昌石専用ストレージボックス】である。
「コイツは魔昌石専用のストレージアイテムだ。1億Pt分の魔昌石を収納できる。蓋の上にメーターが付いているだろう? これで大まかに何ポイント分の魔昌石が入っているのか確認できる」
「……なるほど。これなら参考にはなりますね」
「だろ? 実際に何ポイントで買取るかはその都度交渉するつもりだが、おおよそ二割増し程度を考えている」
どうだ、と視線で尋ねられ、ロナンは横目で隣に座るリーンを窺った。すると彼女は少し考えてから「四割」と口にする。なかなか強気の数字だ。大量の魔昌石を得られる場所がそうはないことを承知しているのだろう。そしてそれは確かに正しい推測だった。
しかし他にアテがないかといえば、そうでもない。なにしろアーキッドはロナンやリーンよりもはるかに広い範囲を歩き回り、大勢のプレイヤーと誼を得ている。急いでいるわけでもないことも合わせて考えれば、ここで弱気になる理由はなかった。それでアーキッドはわざとらしく肩をすくめてこう答える。
「四割は高すぎる。二割でもずいぶん譲歩してるんだぜ?」
「ですが、数万個単位の魔昌石を確保できる場所が、そうそうあるとは思えません」
「確かにそうだな。だが、アテがないわけじゃないんだぜ?」
そう言ってアーキッドはニヤリと笑った。彼の脳裏に真っ先に浮かんだのは、ディーチェが歌う〈誘引の歌〉だ。モンスターの出現率を大幅に引き上げるこの歌なら、大量の魔昌石を集めることも難しくはない。しかも人為的にそれを行えるから、数の上では〈侵攻〉に及ばないとしても、より確実で利便性が高いと言える。
そのほかに、プレイヤーショップを利用するという手もある。つまり【掲示板】に「魔昌石、買い取ります」とでも書き込み、魔昌石をプレイヤーショップに出品してもらうのだ。上手くいけば世界中のプレイヤーから買取りができるわけで、そうなれば数万個程度などすぐに確保できるだろう。まあ、上手くいったら、そしてその分の資金がちゃんとあれば、の話だが。
なんにしても、〈海辺の拠点〉が唯一の選択肢、というわけではないのだ。そのことをほのめかされ、リーンは「うっ」と言葉を詰まらせる。そんな彼女を見て、ロナンは苦笑を浮かべながらこう助け舟を出した。
「あまり、ウチの金庫番をイジめないでください」
「イジめてるつもりはないんだがなぁ」
心外だ、と言わんばかりにアーキッドは肩をすくめた。ミラルダがいれば「滲み出る人徳じゃのう」とでも言って茶化しただろう。ただ、この場に彼女はいない。代わりというわけではないだろうが、次に口を開いたのはデリウスだった。
「まあ、基準となる額はどのみち曖昧なのだ。ならばその部分で、双方が納得できるよう、多少の譲歩は必要ではないのか?」
【魔昌石専用ストレージボックス】に付いているのがカウンターではなくメーターである以上、そこに入っている魔昌石が一体何ポイント分なのか、正確に判別することはできない。当然、売る側と買う側で主張する基準額に差が出てくるだろう。そこでなら多少譲歩してもいいのではないか、と彼は言っているのだ。
デリウスが譲歩を提案したのは、もちろんこの交渉を円滑に進めるためだが、それ以上にかつてギルドを率いていた経験を通して、組織の資金繰りの苦しさをよく知っていたからだった。金庫番たるリーンがその分野でどれだけ苦労しているか、彼にとっては想像に難くない。施しをするつもりはないが、これくらいの譲歩ならしてもいいだろう。
(それに……)
それに、これはいわば「貸し一つ」というヤツだ。今後、〈世界再生委員会〉の力を借りることがあるかも知れない。そういう時、幹部に貸しがあれば話はスムーズに進むだろう。これはそのための“投資”である。そしてそんなデリウスの思惑に気付いたのか、アーキッドはニヤリと笑みを浮かべてこう言った。
「ま、デリウスの旦那がそう言うなら譲歩もやぶさかじゃない。ただ、当然コッチも納得できる額にしてもらうからな?」
「ええ、それはもちろん。では、その額の二割増しで買い取り、ということで」
「ああ、よろしく頼む」
そう言ってアーキッドとロナンは立ち上がって、テーブル越しに握手を交わした。イスに座りなおしてお茶を一口啜ると、ロナンはふと思いついたかのように「そうだ」と言ってアーキッドにこう頼んだ。
「良ければ、このストレージボックスを貸してもらえませんか?」
そう言ってロナンが指差したのは、テーブルの上に置かれた【魔昌石専用ストレージボックス】である。アーキッドたちに魔昌石を売却するとなると、当然ポイントに変換してしまうことはできない。そのまま保管しておかなければならないのだが、しかしその数は数万個だ。普通に置きっ放しにしていては邪魔になる。
そこで【魔昌石専用ストレージボックス】だ。回収してきてすぐにここへ収めてしまえば邪魔にはならない。また買取るときにも、ボックスごと引取ればいいから、取引も簡単になるだろう。それでアーキッドも気楽な調子で「いいぜ」と答えた。
「良かった。では、お借りしますね。……それはそうと、この話は〈世界再生委員会〉だけなのですか?」
「そのつもりだ」
「……他の方々も『一枚噛みたい』と言ってきた場合は、どうしましょうか?」
つまり他のプレイヤーも魔昌石を売却したいと考えた場合、ということだ。最終的に得られるポイントが増えるのだから、それを知ったプレイヤーが「自分たちも」と考えるのはある意味当然だろう。
「その場合の判断はそっちで決めてくれ。なんだったらストレージボックスを幾つか用意してもいいが、ココで俺らが取引をするのは、あくまでも〈世界再生委員会〉だけに限定させてもらう」
アーキッドは淀みなくそう答えた。これはあらかじめ用意しておいた返答である。いちいち個人のプレイヤーまで相手するのは面倒くさい。そういう煩雑な部分は拠点の最大手ギルドに丸投げしてしまおう。それが彼らの方針だった。
「そう、ですか……。ふぅむ……」
アーキッドの思惑を察したのか、ロナンは少し困ったように苦笑した。魔昌石の取引にギルド外から参画希望があった場合、それを断るのは難しい。断れば当然、不満がたまるからだ。「自分たちだけ甘い汁吸いやがって」と思われるのは、想像に難くない。
ただでさえ、〈世界再生委員会〉は拠点の最大ギルドとして下からの突け上げが多いのだ。〈海辺の拠点〉にいるプレイヤーはおよそ百五十人。この小さなコミュニティーの中で、不必要に不満の火種を増やすことはできない。
一方で、決して面倒ばかりというわけではない。〈世界再生委員会〉が中心となって取りまとめを行えば、それだけギルドの影響力は強くなる。加えて、手数料として中間マージンを取ることもできるだろう。それなりに役得もあるのだ。ただ、やりすぎれば当然反発を招く。匙加減が重要だ。
「ではリーン。その場合はよろしくお願いしますね」
少し考えた末、ロナンも部下に丸投げすることにした。いきなり仕事を増やされたリーンはギョッとした顔をするが、ロナンは胡散臭いほど爽やかな笑みを浮かべて彼女の肩を叩く。リーンは諦めたかのように深々とため息を吐いた。普段の二人のやり取りがしのばれる光景だ。
「……そうそう、こっちらからも一つ聞きたいんだが、買取りはシクでもいいか?」
今度はアーキッドがそう尋ねた。シクとは【Sikh通貨】のことだ。アーキッドらはパーティーの資金をポイントではなくシクで管理している。それで魔昌石の買取りもシクでできるのならそちらの方が都合が良かった。
加えて、買取りにシクが使えれば、【Sikh通貨】を買うときにリクエストしたキキにポイントが入る。リクエストボーナスは1%程度だが、魔昌石の買取りは一回数千万単位で資金が動くので、配当金もそれなりだ。ただ残念なことに、そういうアーキッドの思惑通りにはならなかった。
「それは困ります。ウチのメンバーが納得しません」
そう答えたのはリーンだった。その隣ではロナンも苦笑を浮かべつつ頷いている。【Sikh通貨】は1Sh=1Ptで使用できるが、しかしポイントに変換する場合は1Sh→0.8Ptになる。つまりポイントに比べシクは価値が低いのだ。
その価値の差が問題になる最大の局面は、ゲームクリア後に願い事をかなえるときだろう。その際、シクは使えないからポイントに変換することになる。その時には否が応でも目減りしてしまうのだ。
もちろんそれは、現時点で遠い将来のことだ。しかし「価値が低いと分かっているものを無理やり押し付けられるのは気に入らない」というのが当然の心理だろう。どうしてもシクを使うなら五割増しにしてもらわないとメンバーを納得させられない、とリーンは言った。
「了解だ、ポイントでやろう」
おどけるようにして肩をすくめながら、アーキッドはそう答えた。それから彼らはさらに細かい事柄を詰めていく。そしてアーキッドは最後にこう尋ねた。
「それで、次に〈侵攻〉が起こるのはいつ頃だ?」
「恐らくは明日です」
「了解だ。それじゃあ落ち着いたらメッセージで連絡をくれ。すぐに【オーバーゲート】で駆けつける」
そう言って握手を交わしてから、アーキッドたちはテントを後にした。そしてカムイたちと合流するべく浄化樹林のほうへ向かう。彼らが待っていたのは浄化樹林の端。そこには真新しい、ガラス製の温室が建てられていた。彼らはこの温室を見学していたのだ。案内をしているのは、もちろんガーベラである。
「よう、お待ちどうさん」
「おお、アード。話し合いは終わったのかえ?」
アーキッドがカムイたちに声を掛けると、まずミラルダが気付いて振り向きそう尋ねた。そんな彼女にアーキッドは軽く手を振ってこう答える。
「ああ。上手いことまとまったぜ」
「魔昌石の買取りの話なんですってね。助かるわ~。資金は幾らあっても足りないもの、ホントに」
アーキッドの報告を聞いて一番喜んだのはガーベラだった。そして彼女は視線を温室の方に向け、それから苦笑を浮かべる。どうやらこの温室を建てるのに少なくない資金が必要だったようだ。
耐久性を考えたのだろう。温室はいわゆるビニールハウスではなく、前述したとおり全面ガラス張りだ。瘴気が入ってくるのを防ぐためなのだろう、フレームとガラスの間に隙間ができないようきっちりと目張りがしてあった。
ただ、人が出入りすればそれに伴ってどうしても瘴気は中に入ってしまう。そこで入り口には風除室が付いていて、そこには浄化樹の植木が置かれていた。さらに浄化樹の植木は風除室だけでなく、温室の中とその周囲にも置かれている。将来的には温室の周りの浄化樹はすべて地に下ろすつもりだという。すべては温室内の瘴気濃度を可能な限り低く保つためだった。
さて、そんな温室の中で育てられているのは、トマトやキュウリなどの野菜だった。ちなみにどういう野菜が選ばれているかというと、第一にそのまま食べることができ、第二にプランタで育てることができるもの、だ。調理は面倒くさいし、いきなり地に下ろして栽培するのはリスクが高い、という判断だった。
プランタに入れてある土は、アイテムショップから購入した。まずは瘴気が絶対に含まれていないものを選んだのだ。将来的には浄化樹林の土を使う計画だが、まずはハードルを下げて実験を行うことにしたのである。
なお、浄化樹林の土だが、実は温室にも使われている。温室を建てる前にそこの地面を掘り返し、土を浄化樹林のものと入れ替えたのだ。これも温室内の瘴気濃度を少しでも下げるための工夫である。
さて肝心の野菜だが、育成は順調な様子だった。中にはもうすでに食べられそうになっている物もある。ただこれにはちょっと理由があって、これらの野菜はすべてガーベラがユニークスキルで促成栽培しているのだ。瘴気の影響を受ける時間をなるべく短くしようというわけだが、当然自然な方法とはいい難い。
その上、コストがかかる。現在のところこの温室は完全に赤字で、しかも今のところ黒字に転ずる見込みはなかった。リーンが最初に四割増しを主張したのも、このあたりの事情が関係しているのかもしれない。
「アタシはコストに見合って画期的だと思うんだけどねぇ」
そう言ってガーベラは苦笑した。この瘴気に汚染された世界で、作物を育てて収穫したのだ。確かに画期的と言っていい。ただコストに見合うかと言われれば、そこは人によって意見が分かれるだろう。
なんにしても、この実験はまだ始まったばかり。今はまだデータを収集している段階だ。今後の攻略につなげていくためにも頓挫せずに頑張ってもらいたい、とカムイは少々無責任に思った。
「それでね、実験を続けるためにはやっぱりポイントが必要なのよ。ちょっと出資してくれない?」
カムイの内心を見透かしたわけではないだろうが、ガーベラはワザとらしく科を作って彼らにそう頼み込んだ。彼らが稼ぎまくっていることを承知した上でのお願いである。「お金はあるところから取る」。その鉄則に則ったイイ判断と言えるだろう。
「まあ、いいぜ」
出資のお願いに、そう言ってまず答えたのはアーキッドだった。彼を皮切りにして、他のメンバーも続々と出資に応じていく。もちろん、カムイも応じた。ガーベラは歓声を上げ、早速【植物創造】の操作画面を起動する。
ガーベラのユニークスキル【植物創造】は、ポイントを使って(シクが使用不可)任意の植物を創造する能力だ。他のプレイヤーからポイントを出してもらうことも可能で、彼女はこれを指して「出資」と言っていた。
浄化樹のように、瘴気を糧にして成長する植物に出資すれば配当も付くので、そう悪い話ではない。そして今回、創造するのはもちろん浄化樹だ。ちなみにイスメルが所持金を全部突っ込もうとしたので、慌ててカレンが止めていた。
「それじゃあ、一人ずつお願いね」
さてそうやっている間に、カムイとキュリアズは【オーバーゲート】の魔力チャージを行う。アストールはいないが、〈魔法符:トランスファー〉を束で用意してあるので問題はない。それに、いざとなったらミラルダもいる。
「ありがと~、また来てね~!」
全員が出資を終えると、カムイたちは【オーバーゲート】を使って〈海辺の拠点〉を離れた。それをガーベラが満面の笑みを浮かべて見送る。彼女の隣には浄化樹の苗木が二十本ほど並べられている。笑顔にもなろうというものだった。
「大いなる門、不滅なる扉よ。我の前に道を開け。【オーバーゲート】!」
キュリアズが【祭儀術式目録】を開き、【オーバーゲート】を発動する。次に赴く先は〈廃都の拠点〉。目的はここと同じく魔昌石の大量買付けである。ディーチェと〈誘引の歌〉をアテにしてのことだ。
「取引先を一つに絞る必要はないし、なにより二箇所から調達できれば、それだけ早く大量に集まるからな」
アーキッドはそう言ってニヤリと笑った。必要な魔昌石の量について、ロロイヤからは「とにかく大量に」としか言われていない。ならば可能な限り大量に集めてやろう、と彼は思っていた。今こそ、築き上げてきた人脈の偉力を発揮するときである。
〈廃都の拠点〉に到着すると、アーキッドはアラベスクのところへ向かった。先ほどと同じく、デリウスとキュリアズが同行する。先にメッセージで連絡しておいたおかげで、部屋に入るとすぐに交渉が始まった。
「魔昌石を使って〈魔泉〉を塞ぐ、か……。壮大なことを考えるものだな」
「無謀と言ってくれていいんだぜ?」
交渉に先立つ一通りの説明を終えると、アラベスクとアーキッドはそんなふうに言葉を交わした。確かに無謀に思える。少なくともアラベスクが把握している、この拠点の戦力を基準に考えるなら。
しかしアーキッドらはすでに〈魔泉〉に挑んでおり、しかも戦果を上げている。〈魔泉〉の攻略がこの世界を再生する上で非常に重要になってくることは、今更説明されるまでもない。そのための協力なら、アラベスクもやぶさかではなかった。
「いや、そちらなりに根拠と勝算があるのだろう? 無謀などとは言わぬさ。武運長久を祈るだけだ。……それで、魔昌石の買取りについてだな」
「ああ。ディーチェと〈誘引の歌〉のおかげでずいぶん稼いでるだろ? その分の魔昌石を買取らせてもらいたい」
そう言ってアーキッドは身を乗り出した。いよいよ本格的な交渉が始まろうとしたところで、彼の横から少し躊躇いがちにこう声が上がった。
「……横からすまないが、そんなに稼げるものなのか? その〈誘引の歌〉というものは」
そう疑問を口にしたのはデリウスだった。彼はディーチェや〈誘引の歌〉については何も知らないから疑問に思うのも無理はない。アーキッドはそんな彼に、〈誘引の歌〉の偉力について分かりやすくこう説明した。
「ディーチェはもともと別の拠点にいたんだけどな。〈誘引の歌〉でモンスターを狩りまくってたら、その辺一帯の瘴気が枯渇しちまったそうだ」
もちろん、現在は元に戻っているだろう。しかしそれでも、一時的には稼ぎに影響が出るほど、瘴気が少なくなったのである。それで、そこにいたプレイヤーたちはアーキッドらを頼り、ここ〈廃都の拠点〉へ移住してきたのだ。ちょうどカムイが〈オドの実〉を作るために、〈廃都の拠点〉を目指していたときの話である。
その旅の最中、アーキッドたちも〈誘引の歌〉の力を体験していた。モンスターの密度は〈侵攻〉に勝るとも劣らないだろう。モンスターを倒した後、宙に溶けていくはずの瘴気が、しかしすぐさま再びモンスターを形成したときには(カムイが)驚きの声を上げたものである。そして同時に納得もした。これなら確かに瘴気が枯渇もする、と。
「それは……、凄まじいな」
デリウスは半ば呆れたようにそう呟いた。キュリアズも驚いた様子だ。この世界においてプレイヤーは基本的に瘴気の量が多くて困ったことになる。それなのに瘴気が枯渇して困るというのは、それほど大量のモンスターが出現するというのは、ちょっと尋常な話ではない。
「しかしそれでは、この拠点の周囲でも瘴気が枯渇しているのではありませんか?」
キュリアズがそう指摘する。その疑問は尤もだった。ただ、結論から言えば心配は無用である。その理由をアラベスクがこう説明した。
「近くにため池があるのだ。恐らくは灌漑設備の一部だったのだろうな。〈誘引の歌〉を使った狩りは、基本的にそこで行っている。川から水が流れ込んでいるのでな、瘴気が枯渇する心配はまずない」
「具体的にはどの程度稼げる?」
「そうだな……。午前と午後の二部制で、一度に参加するのはおおよそ六十人程度。一人当たりの稼ぎが、だいたい10万といったところか」
すると全体で考えた場合、一日当りの稼ぎは1,200万Pt程度ということになる。ちなみに〈世界再生委員会〉は、一回の〈侵攻〉でだいたい3,000万Pt程度を稼ぐ。〈侵攻〉は三日に一回なので、それを考慮すると一日当りの稼ぎはなんと、〈誘引の歌〉を使った場合の方が多くなる計算だ。
ただ、この試算では休みが考慮されていない。連日ディーチェに歌わせ続けるわけにも行かず、実際には三日ごとに彼女の休日が設けられていた。それを計算に入れると三日分の稼ぎは約2,400万Ptであり、〈世界再生委員会〉のそれには一歩及ばないという結果になる。
そうだとしても、目の色を変えるには十分な稼ぎである。そしてそれだけ稼いでいるということは、それだけ大量の魔昌石を集めているということ。〈海辺の拠点〉に並ぶ取引先として不足はない。
「能力は使い方しだい、か……」
感心した様子で、デリウスはそう呟いた。彼が納得したところで、アーキッドは本題に入る。そこから先の交渉は、おおよそロナンらとのものと同じ流れで進んだ。買取額もほぼ同じ条件でまとまり、【魔昌石専用ストレージボックス】も貸し出すことになった。
後の細かい調整はすべてアラベスクに丸投げである。ちなみに、やっぱりシクは使えなかった。ただこれで話が全てまとまったわけではなく、アラベスクは最後に一つ、こんな条件を追加した。
「売却益はプレイヤーで頭割りにするとして、ディーチェにも特別報酬を支払ってやってもらいたい。彼女が中心になるわけだし、負担も大きいからな」
「いいぜ。どれくらいだ?」
「一回につき10万でどうだ?」
その金額を聞いたとき、アーキッドやデリウスは少し意外そうな顔をした。多かったからではない。予想に反して少なかったからだ。ディーチェがいなければ成立しないことを考えれば、10万Ptというのは安すぎる。
「構わないが、そんなんでいいのか?」
「ああ。買取りは二割増しだろう? だとすると、一人当りの取り分は数万程度しか増えん。そんな中でディーチェだけ何十万も特別報酬を貰っていては、それを嫉む輩が現れる。今後のことを考えるとうまくない」
「世知辛いな」
「だがそんなものだ。なに、彼女は彼女で結構稼いでいる。心配は要らんさ」
アラベスクはそう言って苦笑を浮かべた。なお、ディーチェがどうやって稼いでいるかと言うと、もちろん〈誘引の歌〉を歌うことで彼女はポイントを稼いでいる。ただし、いわゆる手数料を貰っているというわけではない。
〈誘引の歌〉にはモンスターの出現率を飛躍的に上昇させる効果がある。しかし大量のモンスターを出現させるのに、大気中の瘴気だけでは足りない。それで不足分を補うために地中や水中から瘴気が噴出してくるのだが、その時にポイントが発生するのだ。これがなかなか効率がよく、実際最も稼いでいるのはディーチェだった。
「ただ、ずっと歌いっぱなしなのでな。魔力が足りなくなるらしい。回復を早めるマジックアイテムは買ったらしいのだが……」
顎を撫でながらそう呟くと、アラベスクはふと気付いたかのように視線を上げ、アーキッドのほうを見た。そしてこう特別報酬の追加を要求する。
「そうだな……。10万で少ないというのなら、例の〈魔法符:魔力回復用〉を10枚ほど付けてもらおうか。これでディーチェも助かるはずだ」
「いいぜ。ついでにのど飴もつけてやろう」
アーキッドがそう応じると、アラベスクは小さく笑みを浮かべた。そして二人は握手を交わす。それからアーキッドは最後にこう尋ねた。
「それで、いつから買取りができる?」
「明日からだ。今日中に調整する」
「了解だ。それじゃあ、一日の狩りが終わったらメッセージで連絡してくれ」
「そうさせてもらおう」
そう言葉を交わしてから、二人はそれぞれ手を放した。アラベスクと分かれると、アーキッドたちは別行動していたメンバーと合流し、【オーバーゲート】を使ってもう一度〈海辺の拠点〉に戻る。
実はメッセージが来ていて、「【魔昌石専用ストレージボックス】をさらに二つ貸して欲しい」と頼まれたのだ。ロナンが〈世界再生委員会〉以外のプレイヤーにも話をしたところ、彼らも魔昌石の売買に加わりたいということになったらしい。
細かい調整はロナン(というよりリーン)がやってくれるし、買取れる魔昌石の量が増えるならアーキッドたちとしても大歓迎だ。彼らは意気揚々と〈海辺の拠点〉へ引き返した。そんな彼らをリーンが出迎える。この短い時間の間に、彼女は幾分やつれたように見えた。
「恨みますよ、アーキッドさん……」
開口一番、彼女はそう言った。どうやら他のプレイヤーたちとの調整に難儀したらしい。それでもこの短時間で話をまとめたその手腕は流石である。
「おいおい、仕事を押し付けたのは俺じゃなくてロナンの旦那だぜ?」
そう言って苦笑しつつ、アーキッドはその場で【魔昌石専用ストレージボックス】を二つ購入し、リーンに手渡した。彼女はそれを嘆息しつつ受け取る。その姿にアーキッドは中間管理職の悲哀を見た気がした。
リーンと別れると、【オーバーゲート】の魔力をチャージしている間に、アーキッドはガーベラの姿を探した。そして彼女を見つけるとワインのボトルを一本手渡し、さらにこう告げた。
「これでリーンと一杯やってくれ」
ガーベラは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに事情を察したのだろう。ウィンクしながらご機嫌な様子で「了解♪」と応えた。リーンに直接手渡せば良さそうなものだが、彼女は職業倫理の意識が高いので、たぶんこういうものは受け取らないだろうと思ったのだ。それに、どうせガーベラと二人で飲むのだろうから、結果的には同じことである。
さて〈海辺の拠点〉での用事を終えると、アーキッドたちは【オーバーゲート】を使って〈魔泉〉の近く、例の小高い丘の陰に帰還した。そして手早く【HOME】を展開し、リビングのソファーに身体を預けて一息つく。それからアーキッドは今日の交渉の成果を他のメンバーに説明した。
「…………というわけで、おおよそ満足のいく結果だな」
最後にそう締めくくった彼の顔には、言葉通り達成感が浮かんでいた。これで〈海辺の拠点〉と〈廃都の拠点〉の二箇所から三日間で6,000万Pt弱、一日当りにすれば2,000万Pt弱に相当する量の魔昌石を得ることができる。買取額はおおよそ二割増しを想定しているので、一日当りに必要な予算はだいたい2,400万Ptといったところか。場合によってはさらに増えることあるだろう。
ただ、こうして改めて数字を見てみると、アーキッドたちにはまだ資金面でかなりの余裕があることが分かる。なにしろ彼らは一日に1億Pt以上を稼げるのだ。今日の交渉で決まった買取りのための予算や、乱獲の必要経費を差っ引いたとしても、まだおおいに黒字の状態だ。この資金面での体力を有効活用しない手はないだろう。
アーキッドはメンバーの同意を得てから、【掲示板】と【プレイヤーショップ】を使って魔昌石を買いつけることにした。つまり掲示板に「魔昌石買い取ります!」と言った具合に広告を出し、それを見たプレイヤーの方々にプレイヤーショップへ魔昌石を出品してもらうのだ。
とはいえ、例えば「魔昌石1個10,000Pt」といった具合に足元を見た法外な値段で買うわけにはいかない。不特定多数のプレイヤーから買い付けるのだからこそ、明確な基準が必要だ。その基準をまずは定める必要があった。
「魔昌石一個当りの平均って、何ポイントくらいだっけか?」
「そうじゃな……、だいたい600~800Pt程度ではないのかえ?」
ミラルダがそう答えると、他のメンバーも頷いて同意した。厳密に統計をとったわけではないが、これまでの経験則からして確かにそれくらいが相場である。ちなみに〈侵攻〉で現れるモンスターの場合、得られるポイントは平均より低く、大体500~600Pt程度だった。
「んじゃまあ、間を取って1個700Ptってことにして、二割増しだから840Ptだな。でもまあ一個ずつ買い付けるのは面倒だから……」
アーキッドは腕を組むと、少し視線を上げて難しい顔をした。そしてややあってから「120個で10万Pt、ってのはどうだ?」と提案する。厳密に計算すれば100,800Ptなのだが、端数は切り捨てても問題ないだろう。反対意見が出なかったので、彼は早速掲示板にこう書き込んだ。
126 プレイヤーネーム:【ARKID】
魔昌石買取りキャンペーン!
プレイヤーショップに魔昌石を出品してくれ。
魔昌石120個につき100,000Ptで買取るぜ!
127 プレイヤーネーム:【ARKID】
上記の比率を守らない場合は買取らないからな。
注意してくれよ?
128 プレイヤーネーム:【ARKID】
あと、魔昌石の数が少なすぎても買取らないからな。
最低でも60個以上でよろしく!
「……ちょっとキャラ違くありません?」
「気にすんな。みんなペルソナ被ってるもんさ」
カムイの感想に、アーキッドは笑いながらそう答えた。「ペルソナというより、そこはネコじゃないのかな」とカムイは思ったが、口には出さない。ただ、匿名ならともかく本名が出ているのに、ペルソナ被って大丈夫なのかなとは思った。
まあ、それはそれとして。ともかくこれで考え付く手はすべて打った。集まりが悪いようならまた何か考えなければいけないが、しばらくは様子見である。上手くいってほしいとは思う。「でもそうなるとオレ達の取り分は減るんだよな」と思い、カムイは少しだけ苦笑した。




