〈魔泉〉攻略中9
「帰ったか。待っていたぞ」
〈魔泉〉の調査から戻ったイスメルとカレンを、ロロイヤはそう言って出迎えた。どうやら待ちかねたらしい。その目は「早くブツをよこせ」と言っている。カレンはすぐに〈巻上機付き探求の宝玉〉を取り出すと、それを彼に手渡した。
その魔道具を受け取ると、ロロイヤはすぐに二人への関心を失った。魔道具から宝玉を取り外し、巻上機はストレージアイテムに仕舞う。宝玉の状態を入念に確認すると、彼は満足げに「ふむ」と頷いた。
「ご苦労だったな。また頼むかも知れん。その時は頼む」
ロロイヤはそれだけ言い残し、足早にその場を後にしようとする。その背中にアーキッドがこう声を掛けた。
「爺さん。時間もあるし、これから極大型の乱獲をするつもりなんだが?」
「ワシ抜きでやれ。ワシはコイツの解析をやる。戦力的には問題ないはずだ」
ロロイヤはにべもない。だがその返答を予想していたアーキッドは、怒るでもなくただ苦笑を浮かべた。ロロイヤの言うとおり、戦力的には何の問題もない。ただ乱獲を始めれば【HOME】は撤収することになる。そこの部屋当然使えない。
「解析は一日で終わるのか?」
「やってみなければ分からんが、まあ恐らくは無理だろうな」
「ってことは、数日はかかるんだろう? その間中、爺さんに合わせてコッチも待機、ってわけにはいかないぜ」
「それならば問題ない」
そう言ってロロイヤは右手につけた腕輪を見せた。それこそが彼のユニークスキル【悠久なる狭間の庵】だ。その能力を一言で言うと、「亜空間に設けられた彼のための工房」である。宝玉が収集してきたデータの解析は、そこで行うつもりだった。
余談になるが、これまでにロロイヤが製作してきた魔道具はすべて、この【悠久なる狭間の庵】で作られてきた。それを他のメンバーがあまり意識していないのは、彼がいつも自分の部屋でその能力を使っていたからだろう。つまり人前ではあまり使っていなかったので、半分忘れられていたのだ。
まあそれはともかくとして。他のメンバーが極大型の乱獲に勤しんでいる間、ロロイヤは収集してきた〈魔泉〉のデータ解析を行うことになった。他のメンバーがすぐ近くの小高い丘へ向かうのを見送ると、ロロイヤは【悠久なる狭間の庵】を発動する。目の前に現れた空間の歪みに、彼は躊躇うことなく足を踏み入れた。
庵の中は、整理整頓されているとは言い難い。仕事に使う機器や素材、あるいは完成品が所狭しと並べられ、あるいは放置されている。もっとも、ロロイヤとしては不便や使いにくさを感じているわけではないので、殊更ここを片付けようとは思わなかった。
(うっかりとヘンなモノに触って、呪われでもしたらたまらんからな)
苦笑混じりに、ロロイヤは胸中でそう呟いた。あり得ないとは言い切れないのが、ここの怖さだろう。まあ、彼は少しも気にしていないが。まるで我が家のような気楽さで、彼は奥の作業台へ向かった。
作業台の上と周囲は、比較的片付いている。そして作業台の上には、一つの魔道具が鎮座していた。〈宝玉の台座〉と名付けられた魔道具だ。ロロイヤはその上に〈探求の宝玉〉を置く。そして小さく笑みを作り、ロロイヤはこう呟いた。
「さて、深淵を覗かせてもらうとしようか」
台座に魔力を込める。その瞬間、まるでホログラムのように幾つもの幾何学模様が投影される。その一つ一つが意味を持つ、いわば魔法陣だ。これこそが〈探求の宝玉〉が収集してきた〈魔泉〉のデータである。
「おお……」
ロロイヤの口から思わず感嘆の声がもれた。どれほど意味のあるデータが集まっているのか、それは解析してみないことには分からない。しかし彼は確かに深淵の一端をその掌中に収めたのだ。
口の端がつりあがる。ああまったく、これだから止められない。神の御業を暴くかのようなこの所業。例えば敬虔な宗教家などからすれば、その目には背徳的で冒涜的に映るのかもしれない。
しかしそれでも、この世の深淵は彼の興味を駆り立てる。ましてこの世界は“世界の外側”にも繋がっているのだ。それを調べつくし、そして自らの手で応用する。一体どれほどの未知と可能性が隠されているのか。本当に、興味は尽きない。
「血が騒ぐな。これも若返ったせいか?」
若々しくなった自分の手を見下ろしながら、ロロイヤは薄く笑ってそう呟いた。元いた世界では寿命に勝てず、彼は自分の知的欲求を完全に満たすことはできなかった。しかしこの世界ならば、元の世界とは比べ物にならない時間を研究に費やせるだろう。最初は異世界というものに興味があっただけだが、最近では「この世界に来て本当に良かった」と彼は思うようになっていた。
本当の事を言えば、ここで〈魔泉〉を塞いでしまうのは惜しい、とロロイヤは思っている。せっかく、世界の外側へ確実に繋がっている場所を見つけたのだ。保全して心ゆくまで調べたいという気持ちは確かにある。
ただ、だからと言って、それで世界が瘴気に沈んでは困るのだ。より正確に言えば、ロロイヤ自身でさえ活動できない世界になっては困る。それでは思う存分、この世の深淵を覗き込むことができなくなってしまう。
(ゲームのクリアだの、願い事をかなえるだの、あまり興味はないが……)
ともかく自分が生きて研究を行えるだけの環境は整えなければならない。〈魔泉〉が複数あるのはほぼ確実だし、調べるだけというのもつまらない。ならばまずは研究を行うための環境整備を優先し、合わせて腕試し的に応用を考えてみるのも悪くはないだろう。ロロイヤは今のところ、そんなふうに考えていた。
まあそれはそれでいいとして。作業台の上、〈宝玉の台座〉によってホログラムのように映し出されている〈魔泉〉のデータ。ロロイヤはまず手初めにそれらのデータを台座にコピーする。
たった一回の調査で〈魔泉〉のデータを揃えられたとは思えない。この先何度も調査は必要で、そうやって収集されたデータはすべて、こうして〈宝玉の台座〉に蓄積されていくのだ。
ちなみにだが、こうやってデータを蓄積するシステムは、実のところロロイヤが自力で考え出したわけではなかった。カムイやカレンが話していた、「こんぴゅーたー」や「すまほ」なるものを参考にしているのだ。ルペではないが、異世界の話というのは実に興味深くて、それもまたこの世界に来た成果の一つだとロロイヤは思っている。
「さて……」
データを完全にコピーし終えると、ロロイヤはそう呟いてイスに座った。そして浮かび上がる魔法陣を動かしつつ、その内容をじっくりと確認していく。もちろんそれだけで全体像をつかめるはずもないが、しかしどうやらこの魔法陣は立体的に展開されているものらしい。予想していたとはいえ、かなりの複雑さだ。
さらにロロイヤは手をかざすとそこに小さな魔法陣を展開し、それをホログラムのように浮かぶ魔法陣に近づけ、その反応を観察する。思ったとおり、空間に関する魔法陣が最も反応が強い。それを見て彼はニヤリと笑った。
「予想通り。得意分野だ」
魔道具職人としてのロロイヤは何でも作る、いわゆるオールランダーだ。しかしそのなかで特に得意とする、あるいは専門とする分野はなにかと聞かれれば、彼は間違いなく「空間に関する分野」と答えるだろう。空間だの次元だの、その手の話は大好物で大歓迎だった。
そういう意味でも、今回の調査はロロイヤにとって楽しみなものだ。彼に限って言えばほぼ趣味の延長だが、しかし実益を兼ねる。他のメンバーも協力的でよく働いてくれるし、資金も豊富。研究を行う環境としては理想的といえた。
ただしその分、結果が求められるのだが。しかしロロイヤには自信があった。いや、自信というよりもはや自負だ。「自分以外の何者がコレを解明できるのか」という自負である。傲慢なようにも思えるが、彼にはそれだけの能力があり、しかもそれを自覚している。それゆえの自負なのだ。
「なるほどな。面白い反応をする」
そう言ってロロイヤは楽しそうに笑った。彼は幾つかの魔法陣を反応させ、その結果を記録していく。一通り反応をまとめたところで彼はそれを一瞥し、ひとまず脇において別の資料を取り出した。それは〈探求の宝玉〉の資料である。
今回、確かに〈魔泉〉の情報を得ることができた。ただ、あくまでもごく一部であり、まだまだデータは足りない。手持ちのデータだけでは研究は捗らず、より多くのデータを収集してくる必要がある。そのための魔道具も作らなければならないのだ。
しかも、〈探求の宝玉〉と同じであってはいけない。それでは同じデータを収集してくるだけだからだ。設計を見直し、違うデータを収集してきてもらわなければならない。異なるデータを比較してこそ、研究は前へ進むのだ。
次にどんなデータが収集できるのか。それはまだまだ手探りの状態だ。つまりほとんどあてずっぽう。それでもある程度アタリを付けて設計する。そのへんがロロイヤの腕の見せ所だ。
「これでいいか。ただ……」
大まかな設計を終えると、しかしロロイヤは顔を曇らせた。設計するのは良いが、素材が心もとないのだ。〈探求の宝玉〉にはキファが精製したマナの結晶体を使っている。マナの結晶体はまだ手持ちがあるが、これからの調査のことを考えると足りなくなるのは目に見えていた。
「早目に補充しておくか」
ロロイヤはそう呟いた。ただマナの結晶体は、補充しようと思ってすぐにできるものではない。コレについてはまた、メンバーに要請を出す必要があるだろう。というわけで素材の補充は後回しにしつつ、彼は次の調査に使う〈探求の宝玉Ver2〉の作成に取り掛かるのだった。
― ‡ ―
ロロイヤが【HOME】に戻ってきたのは、辺りが真っ暗になってからのことだった。時間を忘れて研究に没頭し、一日二日くらいは帰ってこなくてもおかしくはない、とカムイなどは思っていたので、ちょっと拍子抜けしたくらいである。ただ、彼がおもむろにこう切り出すのを聞いて合点がいった。
「〈探求の宝玉〉の設定を変えたものを新たに作ったので、また〈魔泉〉でデータ収集をしてきてもらいたい」
「なんだ、爺さん。今日収集してきた分の解析はもう終わったのか?」
軽く驚いた様子で、アーキッドはロロイヤにそう尋ねた。データの解析には数日はかかる見込みだった。それが予想外に捗って一日で終わってしまったのだろうか。彼はそう思ったのだが、しかしロロイヤは首を横に振ってこう答える。
「いや、まだ終わっていない。むしろ、解析を進めるためにより多くのデータが必要なのだ」
「その理論でいくと、データばっかり増えていきそうだがな」
そう言って苦笑してから、アーキッドはイスメルとカレンの方に視線を向けた。その視線を受けて彼女たちは小さく頷く。データ収集の方法は今日と変わらないというし、それならば大した手間でもない。わざわざ断るほどの理由もなかった。
「では明日また頼む。……それと、精製したマナの結晶体が手持ちの分では恐らく足りん。キファに幾つか頼んでおいてくれ」
「……分かった」
次に視線を向けられ、カムイは不承ながらもそう応えた。キファのことはフレンドリストに登録してある。頼むのにはメッセージを使えばいいし、実際のやり取りにはまたプレイヤーショップを使えばいい。
精製する前のマナ結晶は少し前に結構な量をキファに融通してあるので、連絡さえすればすぐに出品してくれるだろう。「面倒事はすぐに済ませるべし」とばかりに、カムイは早速キファにメッセージを送った。
《To:【Kiefer】》
《ロロイヤから依頼です。精製したマナの結晶体をまた幾つか売ってください。ブツのやり取りはまたプレイヤーショップで》
ありがたいことに返事はすぐに来た。
《From:【Kiefer】》
《了解だ。すぐに出品する》
そのメッセージを読んでからロロイヤに内容を伝えると、彼はすぐにプレイヤーショップのページを開いた。キファがメッセージで伝えてきたように、すでにマナの結晶体が出品されている。彼はすぐにそれを購入した。
淡い青紫色の、透明感のある硬質な結晶。それが精製されたマナの結晶体だ。キファが出品してくれたのは、手のひらサイズのモノが五つ。ちなみにお値段は30,000Pt。少し高い気がしたが、まあこんなものだろうとカムイは思うことにした。
購入したマナの結晶体を、ロロイヤはストレージアイテムに仕舞う。その様子を見ながら、カムイはキファにお礼のメッセージを送っておこうと思った。ただし、一時間後に。キファ側の問題で、今はメッセージを送れないのだ。
その後、明日の予定が簡単に話し合われた。大まかには今日と同じで、つまりまずイスメルとカレンが〈魔泉〉へデータ収集に向かい、その後〈探求の宝玉〉をロロイヤに渡してから極大型の乱獲、という流れだ。もちろんロロイヤは乱獲には参加しない。なお、この後にまたキファからメッセージが来て、「精製前のマナ結晶が欲しい」と言われたので、イスメルとカレンを待っている間にそれを用意することになった。
それからしばらくの間、「極大型を乱獲しつつ〈魔泉〉のデータを収集する」という方向でカムイたちは動いた。収集したデータの解析がどれほど進んでいるのか、カムイには分からない。秘密にされているわけではなく、説明されてもちんぷんかんぷんなのだ。彼にはその分野の知識が何もないので当たり前だった。
「順調と言えるのかは分からんがな。まあ、少しずつ分かってきてはいる」
カムイに理解できたのはそれくらいだった。ただアストールなどは興奮した様子だったので、それなりに進んではいるようだ。
とはいえそれが難事であることに間違いはない。思うような結果は出ていないようで、珍しくロロイヤは愚痴るようにこうこぼした。
「ただまあ、ブレイクスルーが欲しくはあるな。何か別の比較対象があるといいのだが……」
「別の比較対象、ですか……。瘴気関係と言うと、川沿いの遺跡にあった魔法陣とかですか?」
アストールがそう言うと、ロロイヤは「ふむ」と思案気に呟いた。それから次にカムイたちのほうへ視線を向け、「何かないか」とアイディアをせっつく。カムイは困ったように顔をしかめると、後ろ頭を掻きながらこう応えた。
「何かって言われてもな……。それこそ後は、魔昌石とか、マナの結晶体くらいしかないんじゃないのか?」
「ふむ。そういえば、魔昌石とマナの結晶体の比較はまだしていなかったな」
なかなか面白い結果が出るかも知れん、とロロイヤは小さく笑いながら呟いた。そしてすぐに立ち上がり、二階の自分の部屋へ向かう。その背中をカムイたちは半ば呆れ気味に見送った。これが本当にブレイクスルーに繋がるとは、この時はまだ誰も考えてさえいなかった。
ロロイヤが興奮した様子で【HOME】のリビングに入ってきたのは、第四次〈ゲートキーパー〉討伐戦を終え、二つ目の巨大魔昌石を回収したその次の日のことだった。彼はそこにいたメンバーを見渡すと、ソファーにも座らず開口一番にこう言った。
「興味深い可能性が出てきたぞ」
「どうしたんだ、爺さん」
「結論から言う。〈魔泉〉を塞げるかもしれん」
休日と言うこともありリビングの空気は弛緩していたのだが、彼のその一言でそんな雰囲気は吹き飛んだ。アーキッドは視線を鋭くし、だらだらしていたカムイもソファーに座りなおす。それを見てロロイヤは満足げに笑みを浮かべた。
「詳しく聞かせてもらおうか。……っと、その前に手の空いているメンバーを全員呼んで来た方がいいな。イスメルもな」
「えぇぇ、師匠もですかぁ……?」
アーキッドに「イスメルを呼んで来い」と言われ、カレンはゲンナリとした顔をした。休日の今日はイスメルの世話もしなくていいはずだったのに、急遽彼女を部屋から引きずりださなければならなくなってしまった。深々とため息を吐くカレンの肩を、カムイと呉羽が左右から叩いて慰める。もちろん、手伝う気はサラサラないが。
「それで、〈魔泉〉を塞げるという話らしいが?」
メンバーがリビングに揃うと、デリウスがまず最初にそう口火を切った。「〈魔泉〉を塞げる」と聞けば平静ではいられないらしく、珍しく少しソワソワした様子だ。そんな彼に対し、ロロイヤは楽しげな笑みを浮かべながらこう答える。
「まだ可能性の段階だがな。さて、何から説明したものか……」
そう答えてから、ロロイヤは少し考え込む。そしてこう話し始めた。
「重要になってくるのは魔昌石だ。……皮肉なものさ。鍵はずっと目の前にあったのに、それに気付けなかった」
少々自嘲気味に、ロロイヤはそう言った。彼も含め多くのプレイヤーにとって、魔昌石とは「ポイントに交換できる戦利品」だ。ポイントに交換してこそ意味のあるモノで、それ以上の価値を求めはしない。それが普通だった。
そういう意味では、魔昌石に「魔道具の素材」という価値を見出したロロイヤは変態的、いや先駆的であったといえるだろう。しかしそんな彼でさえ、魔昌石が持つ本当の価値に自力では気付けなかったのである。
「順を追って話すぞ。まずは瘴気だ。ルクト・オクスの話を勘案するに、瘴気とは『世界の外側から流入してくる一種のエネルギーであり、同時に複数の法則を内在させたある種の概念物質』であるといえる。そしてこの『複数の法則』というものがいわば異物となり、この世界は滅んだ」
ロロイヤの説明にメンバーは頷く。少し耳慣れない言葉も出てきたが、今の説明はこれまでに得た知識をまとめたもの。質問は出ず、彼はさらに説明を続けた。
「次にモンスターだ。モンスターは瘴気で構成されている。……いや、違うな。モンスターは瘴気そのものだ。異物となった、この世界のものとは異なる法則が姿を持ったモノ。仮説だが、恐らくモンスターとはそういう存在だ。そしてモンスターを倒すことで魔昌石が手に入る」
モンスターに関する仮説はともかく、ここで「魔昌石」という単語が出てきた。ついさっき「重要だ」と言われたこともあり、カムイたちは集中力を高めた。
「モンスターから手に入るということは、魔昌石は瘴気からできているはずだ。しかし魔昌石は瘴気ではない。リムの【浄化】の能力が利かないからな」
「は、はい」
リムは突然自分の名前が出てきてびっくりした様子だったが、それでもロロイヤの話を肯定するように何度も頷いた。彼の言うとおり、魔昌石に対して【浄化】の力を使ってもそれをマナに変換することはできない。これは確認済みの事実だ。つまり瘴気が瘴気でないモノへ変質してしまったのだ。
「最初は、このゲームを成立させるために、システムが介入しているのだろうと思っていた。モンスターと言う存在を含めて、な。だがそれは違った。キファに見せてもらったこのブローチがそれを証明している」
そう言ってロロイヤは一枚の写真をメンバーに示して見せた。キファが廃都で見つけたという、古びたブローチの写真だ。そのブローチには小さな薄紅色の石、つまり魔昌石が一つ、あしらわれている。
「このブローチが作られたのは、このゲームが始まる前。つまりシステムが存在していなかった頃だ。何かしらの要因でこの世界に瘴気が現れ、そして瘴気はモンスターに変質し、そのモンスターを倒すことでこの魔昌石はこの世界に生れ落ちた。ということは、だ。この一連の流れと言うか反応は、システムに依存していない、瘴気にとってはごく自然な振る舞いと言える」
別の言い方をすれば、人為的に、あるいは強制的に起こされた反応ではない、ということだ。少なくともこの世界では、起きて当たり前の反応なのだ。その当たり前の反応の末に、瘴気は瘴気でないモノに変質している。
「この際、瘴気が変質していくその仕組みは重要ではない。興味はあるがね。解明しようと思えば、途方もない時間がかかるだろう。それよりも今重要なのは、こうして生み出された魔昌石にどのような意味が、そして特性があるのかということだ」
仮に魔昌石がシステムによって生み出されたのであれば、それは「ゲームのための換金アイテム」という位置づけで良かっただろう。しかし実際には違う。魔昌石はこの世界で生まれる、いわば天然モノ。しかも瘴気が変質したものであることを考えると、世界に対してどんな意味を持っているのか、その重要性は否が応でも増す。
さて少し話はそれるが、「瘴気が変質したモノ」と言えば、魔昌石の他にもう一つある。そう、〈マナ〉だ。その共通点を持つという意味で、マナの結晶体は魔昌石と比較して検討するのに格好のサンプルだった。
「魔昌石とマナの結晶体を比較してみたところ、面白いことが分かった。双方がよく似た魔導特性を示したのだ。そしてこの魔導特性こそが、いわゆる“この世界独自の法則”と言うやつなのではないか、少なくともソレと関わりがあるのではないかと、ワシは考えている」
「……そう考える根拠は?」
「その魔導特性を魔法陣化して〈魔泉〉のデータと反応させてみたところ、顕著な共鳴反応を示した。詳しく調べてみたところ、データの方にもよく似た魔導特性が組み込まれていることが分かった」
現在せっせと収集している〈魔泉〉のデータは、この世界独自の法則と極めて深い関わりがある、とロロイヤは思っている。ただこの場合、関わりがなかったとしても問題はない。重要なのは〈魔泉〉のデータと魔昌石が似たような魔導特性を示した、という点だ。そしてさらにもう一つ大切な点がある。それをロロイヤはこう説明した。
「そしてこの魔導特性だが、空間系の術式にも強い反応を示した。……以上を勘案するに、この魔導特性は少なくとも〈魔泉〉における空間や次元に関わるもので、その特性を備える魔昌石を使えば〈魔泉〉を、次元孔を塞げるのではないか、と考えたわけだ」
ここまで説明したところで、ロロイヤは「ふう」と息を吐いた。そして温くなったお茶を飲み干す。どうやらここで説明は一区切りのようだ。ただカムイを含め、メンバーの幾人かは説明された内容をきちんと理解できているか怪しい。そんな彼らのためではないだろうが、イスメルがロロイヤの説明をこんなふうにまとめた。
「……つまり、〈魔泉〉のデータと魔昌石に同じ特性が見られたので、それを使えば〈魔泉〉を塞げるかもしれない、ということですか?」
「ざっくり言えばそうなるな」
そう言ってロロイヤは頷いた。「似たような性質を持っているので、埋め立てに使えるかもしれない」。なるほど、そう言われれば分かりやすい。ようやく得心がいき、カムイは小さく頷いた。そして彼がそうしていると、次にイスメルがこう質問をする。
「……先ほどの話を聞いた限りでは、その特性はマナの結晶体も持っているはず。そちらではダメなのですか?」
「いや、ダメではないだろう。ただ、〈魔泉〉を塞ぐとなれば、相当な量が必要になる。量を集めることを考えるなら、マナの結晶体より魔昌石のほうが効率的だ」
「なぜに?」
「マナの結晶はリムにしか生み出せない。精製できるのも、今のところキファだけだ。だが魔昌石なら他のプレイヤーから買うことができる。潤沢な資金を持つ我々なら、相当量であっても集めることは難しくあるまい」
キキの直球な問い掛けに、ロロイヤはそう答えた。そして小さく苦笑を浮かべてから、さらにこう続けた。
「……これは何の根拠もない、ただの私見なのだがな。たぶん、魔昌石というのは“かさぶた”なんだ」
「かさぶた? どういうことですか?」
アストールがそう尋ねると、ロロイヤは少し考え込んだ。そしてゆっくりと、まるで自分に言い聞かせるようにしながらこう話し始めた。
「……さっきも言ったように、瘴気は複数の法則を内在させている。そしてそのために、いわば毒性を持っている。だが魔昌石は無毒だし、マナに至っては『有用』だ。ということは少なくとも、複数の法則は内在させていないことになる」
ロロイヤのその説明に、メンバーは揃って頷く。それを見てから、彼はさらにこう説明を続けた。
「瘴気を、無毒化したんだ。まるで、この世界そのものが一種のフィルターのように振舞っているように見える。つまり、この世界には瘴気を無毒化するための機構が備わっているのだ。そしてその機構によって精製されたものが魔昌石だ。魔昌石は最終的な生成物なのかもしれない。だがそれさえも機構の一部なのだとしたら? 〈魔泉〉と魔昌石の魔導特性が似通っているのも、偶然ではないのかもしれん。だとしたら、わざわざあつらえてくれたのだ。それを使うのが筋というものだろうよ」
そう言ってロロイヤは小さく笑った。この世界は確かに滅んでしまった。文明を築く知的生命体は絶滅している。だがそれでも、この世界はまだ完全には死んでいない。自浄作用、あるいは防衛機能とでも言うべきものは、しぶとく今も活動を続けている。それこそが再生の可能性なのではないか。ロロイヤはそう思った。
まあ、それはそれとして。魔昌石をうまく使えば〈魔泉〉を塞げるかもしれない。それが今話し合っている事柄のメインテーマである。もちろんまだ可能性の話で、「やっぱり無理でした」となることも十分に考えられる。
だがそれでも、可能性があるのだ。ロロイヤから説明してもらい、一応根拠があることもわかった。最初から難事であることは分かっている。そこに光明が差したのだ。賭けてみる価値はある。メンバーがそう思うには十分だった。
「それで、何が必要だ?」
まるで彼の方が何事かを強請っているかのように、アーキッドはロロイヤにそう尋ねた。彼の口元には笑みが浮かんでいる。ヘラヘラとした笑みではない。凄みのある、見る者に圧力を感じさせる笑みだ。それだけ、彼も本気と言うことである。
「さらなる調査が必要だ。それはまあワシがやるとして、お前たちには別のことをやってもらいたい」
「それは?」
「魔昌石を集めろ」
ソレがなければ話にならん、とロロイヤは言った。確かに、いざ〈魔泉〉を塞ごうとした時に、そのための魔昌石がなければ話にならない。しかしその一方で「魔昌石を集めるのはまだ早いのでは?」という気もする。それをフレクが率直にこう指摘した。
「早いのではないか? 無駄になるかもしれんのだろう?」
「百個、二百個集めるのはワケが違う。あの〈魔泉〉を埋め立てるのだぞ? 今から準備を始めなければ時間がかかってどうしようもあるまいよ」
こういうことはスピーディーにやらねばな、と言ってロロイヤはニヤリと笑った。それにどのみち、ロロイヤが調査やデータの解析をやっている間、他のメンバーはやる事がないのだ。なら先を見越して魔昌石を集めておいてもいいだろう。
「じゃが、それほど大量の魔昌石をどうやって集めるのじゃ?」
「先ほども言ったが、他のプレイヤーから買えばいい」
ミラルダの質問に、ロロイヤはそう答えた。ポイントを出して他のプレイヤーから魔昌石を買うというのは本末転倒なように思えるが、実はそうではない。特に極大型のモンスターが残す魔昌石は、大きさのわりに獲得ポイントが多い。だから量を考えた場合、極大型の魔昌石一つと、それに相当するポイントを稼ぐのに必要な普通のモンスターの魔昌石では、後者の方が量が多いのだ。
別の言い方をすれば、極大型の魔昌石の方が質がいい。ただ今の場合、必要なのは質よりも量だ。それで極大型を乱獲し、そうやって稼いだポイントで普通の魔昌石を買い集めればいい、とロロイヤは言った。
「でもさ、そんなにたくさんの魔昌石、どこから買うの?」
そう尋ねたのはルペだ。そもそも大量の魔昌石がなければ、それを買うことはできない。しかしロロイヤはもちろん、他のメンバーにも心当たりがあるようだ。ルペが首をかしげていると、メンバーを代表する形でデリウスがその心当たりを明かした。
「〈侵攻〉、か……」
それを聞いてロロイヤがニヤリと笑う。〈侵攻〉とは〈海辺の拠点〉でおよそ三日に一度の頻度で起こる、モンスターの大量発生現象だ。その数は十万を越えるとされている。それだけ大量のモンスターを倒せば、当然大量の魔昌石がドロップする。これを買い取れば、質を量に変換できる。
「買い取り価格はどうするのですか?」
今度はキュリアズがそう尋ねた。魔昌石そのものが必要である以上、それをポイントに変換することはできない。しかしポイントに変換しなければ価値を知ることができない。つまり幾らで買取るのが適正なのか分からない。
もちろん買取る以上、多少色を付けなければならないだろう。しかしはっきりとした価値が分からなければ、双方が納得する価格で買取ることは困難だ。
「どんぶり勘定で、というわけにはいかんか……」
「それでは誰も納得しないでしょう。というより、確実に足元を見られます」
キュリアズの言うことは尤もだった。いくら資金に余裕があるとはいえ、ぼったくられるのは面白くない。それに買取りを円滑に進めるためにも、やはり客観的な基準があった方がいいだろう。
「それ用のアイテムをリクエストする、ってのは?」
そう提案したのはカムイだ。要するに、魔昌石の価値が分からないから困るのだ。ならポイント変換しなくても価値が分かるようなアイテムをリクエストすればいい。少々脳筋的な発想ではあるが、筋は通っている。
ただ、大量の魔昌石を一個一個鑑定していては、時間がいくらあっても足りない。ある程度まとまった量を、一気に鑑定する必要がある。そのことを考え合わせながらメンバーで話し合い、そして次のようなアイテムをリクエストした。
アイテム名【魔昌石専用ストレージボックス】
説明文【魔昌石専用のストレージボックス。1億Pt分の魔昌石を収納できる。カウンターが付いていて、何ポイント分溜まったのか確認できる】
ストレージボックスにしたのは、大量の魔昌石を邪魔にならないよう片付けて置くためだ。さらに「戦闘中、魔昌石が山積みされていては邪魔になる」というデリウスやキュリアズの意見も参考にしている。ボックスごと貸し出し、そこに収めていけば邪魔にはならないだろう。魔昌石専用にしたのは、その方が安く済むであろうからだ。
さらに価値を知ることが目的なので、個数や重量、容積ではなく、ポイントそのもので上限を設定した。カウンターが付いているので、何ポイント分溜まっているのかもすぐに確認できる。
「よし、こんなんでいいだろう。やってくれ」
「了解です」
カムイはリクエストを申請する。すると内容が少しだけ訂正された。
アイテム名【魔昌石専用ストレージボックス】
説明文【魔昌石専用のストレージボックス。1億Pt分の魔昌石を収納できる。メーターが付いていて、どの程度まで収納してあるのか確認できる】
なぜカウンターをメーターに変更したのか、その基準が良く分からない。正確に測定できてしまうのはNGということなのだろうか。何にせよ、メーターが付いているのであれば大まかにはわかるだろう。
訂正内容をそのまま受け入れると、アイテムは無事に生成された。アイテムショップで確認してみると、お値段は250万Pt。結構高い。ただ、普通のストレージアイテムで代用しようとすれば、恐らくもっと高くなるのだろう。
早速、アーキッドがパーティーの資金で【魔昌石専用ストレージボックス】を一つ購入する。テーブルの上に置かれたそれは、宝箱風の四角い木箱。これなら重ねておいて置けるので、片付けておくのにも便利だろう。表面の光沢には深みがあり、落ち着いた雰囲気だ。なお、メーターは蓋の上についている。
「ちょいと試してみようぜ」
そう言ってアーキッドが取り出したのは、昨日カムイが引っこ抜いた〈ゲートキーパー〉の魔昌石だ。彼はそれを買ったばかりの【魔昌石専用ストレージボックス】に納める。カムイは「入るのか?」と思ったが、巨大な魔昌石はスルスルとボックスの中に収まった。それから蓋を閉めてメーターを確認する。
「5,000万ちょい、か」
アーキッドがそう呟く。最初に倒した〈ゲートキーパー〉の魔昌石は1億2,000万Ptを超えていた。しかし今回はおよそ5,000万Pt。かなり差がある。その差は恐らく、第何形態のときに倒したかによるのだろう。強くなれば強くなるほど、得られるポイントも高額になる。道理と言えば道理だ。
ちなみにずっと保管したままになっていた〈キーパー〉の魔昌石も同じようにしてみたのだが、その価値はおよそ1,000万Ptだった。「苦労したのに」と思う一方で、「こんなものか」という気もする。どちらにしても気になっていた疑問が一つ解消されたのは事実だった。
まあ、なにはともあれ。準備は整った。明日は交渉である。




