〈魔泉〉攻略中3
カムイとアーキッドがリビングで「真面目な話」をしていたころ、カレンと呉羽とリムはキッチンでお菓子作りを始めていた。作るのはクッキーとバナナケーキとプリンだ。食べる人数が多いので、それなりに量を作る予定だった。
「あ、三日月……」
クッキーを作るための道具を準備していると、カレンはその中に三日月の型を見つけた。彼女はそれをなんとなく目の高さに掲げてみる。するとその様子を見ていた呉羽が彼女にこう尋ねた。
「カレンは三日月が好きなのか?」
「うん、まあ、そうね。好きといえば、好きかな」
少しだけ苦笑を浮かべ、カレンはそう答えた。正確には憧れていたのだ。アニメに出てくるような、いかにもな三日月の端っこに腰掛けて、足をぶらぶらさせるあれに。もちろん現実の空にあんな三日月はでてこない。それでも憧れは心のどこかに残っているようで、カレンは今でも満月よりは三日月が好きなタチだった。
「呉羽が好きなのは菖蒲の花だっけ?」
「うん。あと、藤の花も好きだな」
「あ~、藤咲だもんね。やっぱり、家にあったりしたの?」
「立派な藤棚があったよ。我が家で花見と言えば、桜じゃなくて藤だったくらいさ」
「そうなんだ。ちょっと見てみたいな……。リムちゃんは、好きなお花とかあるの?」
「えっと、ユリとスイセンが好きです。教会の庭に咲いていて……」
三人はおしゃべりを楽しみつつ、同時に手も動かしてお菓子作りを進めていく。キッチンからは楽しげな声が絶えなかった。
さて、三人がお菓子作りとおしゃべりを楽しんでいた頃、リビングでは「真面目な話」が続いていた。「ちょー不味い」と噂の【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】をいつ試供してみるのか、その話し合いが終わると、カムイは次の話題を口にする。それは蒸し返されたくないという心理も働いているのだが、それはそれとして。
「ところで、ロナンさんとは他にどんな話をしたんですか?」
「〈ゲートキーパー〉と〈魔泉〉に関連したことは大体話したな。極大型のことを話したらずいぶん羨ましがってたぜ」
羨ましがっていたのは、間違いなく稼ぎのことだろう。一日で1億Pt以上も稼げると聞けば、目の色を変えてもおかしくはない。当然のように「一枚かませて欲しい」と頼まれたらしいが、アーキッドは断ったという。
「便利なアトラクション係の代わりをさせられるのも面白くないからな」
肩をすくめてアーキッドはそう言った。その言葉にカムイも一つ頷く。極大型を乱獲するためにはどうしても彼らの能力が必要になるのだ。いくらか手数料を貰うのだとしても、そこだけ便利に使われるのはやはり面白くない。
幸いにしてロナンはすぐに引き下がったと言う。その場にいた〈世界再生委員会〉のメンバーにも口止めしていたというので、乱獲の話が〈海辺の拠点〉のプレイヤーに広がることはないだろう。もっとも、口の軽いメンバーがもう話してしまっているかもしれないが。まあ、その時はその時だ。
「情報は随時【掲示板】に上げていくからそっちを確認してくれって話して、後はそうだな、資金の管理がちょっと面倒くさいなんて話もしたな」
この世界でお金に相当するものは、今のところポイントしかない。そしてこのポイントは要するに電子マネーであり、つまり実体がない。プレイヤー一人ひとりがシステムで管理しているお金、それがポイントだ。
ポイントがすべて自分のものであれば、管理するのは簡単だ。しかしそうではない場合もある。つまりパーティーやギルドの資金として取り分けてある場合だ。
この場合、帳簿の上では個人のポイントと別々に管理してあるとしても、システム上では合計して管理されることになる。アーキッドとロナンは「そういう部分が面倒くさい」という話をしたわけだ。
もっとも、アーキッドは面倒くさいだけかもしれないが、ロナンはもっと深刻な事態を心配しているに違いない。つまり資金の持ち逃げや私的流用だ。それをやられてしまったら、〈世界再生委員会〉というギルドそのものが立ち行かなくなってしまうだろう。資金の管理は組織の運営の中核となる問題なのだ。
もちろん、現時点でも幾つかの手は打っているに違いない。複数人で管理したり、定期的にポイントの残高を確認したりと、できる事は結構ある。それに〈世界再生委員会〉で財務を取り仕切っているリーンは信頼できるプレイヤーだ。実際、これまでポイントに関わる不正が起こったという話は聞いていない。
ただ、財布が同じでは管理が面倒なのは事実だ。それで「なんとかしたいな」とアーキッドとロナンは愚痴混じりに話したのだという。そんな話をリビングでしていたら、誰かがアーキッドの肩を叩いた。傍で聞いていたキキである。アーキッドが振り向くと、彼女はドヤ顔でシステムメニューの画面を示した。
「こんなものをリクエストしてみた」
正確に言えば、【アイテムリクエスト】で必要な項目を書き込み、すぐに申請できる状態にした、である。アーキッドとカムイは「どれどれ」と言ってキキが示した画面を覗き込む。そこにはこんなことが書かれていた。
アイテム名【Sikh通貨】
説明文【通貨。単位はSh。1Pt=1Shで購入でき、1Sh=1Ptで使用でき、これはゲームクリア後に願い事をかなえる際にも適用される。Sh→Ptへの交換も可能。シクがポイントと同じくシステム上で管理・運用できるが、現金化も可能。その場合、1 Sh硬貨、10 Sh硬貨、100 Sh硬貨、1,000Sh紙幣、10,000 Sh紙幣を使うことができる。硬貨・紙幣はマジックアイテムであり、本物同士を接触させて魔力を流すと共鳴反応を起こす】
「つまり現金化もできる、もう一つの通貨か」
考えたな、とアーキッドは感心した様子で呟いた。今までは、ポイントという電子マネーがあり、さらに使い道がアイテムショップやプレイヤーショップなど、システム内に限定されることから、わざわざ別の通貨を持つ必要はなかった。現金などなおのことである。
しかしギルドやパーティーの資金を管理するという点から考えると、確かにポイントとは別の通貨があれば、つまり財布を全く別にできるならば、管理は容易になるにちがいない。それにこの先プレイヤーではない、つまりシステムを使えない住民が増えれば、彼らにも使える現金の需要は高まるはずだ。まあ、これについては何時になるか分からないが。
さて、お金と言えば、大切なのは信頼性である。つまり「確かに額面どおりの価値が保証されている」ということと、「偽造されない、間違いなく本物」ということの二つが重要になってくる。この二つが揺らげば、その時、そのお金はお金として成り立たなくなるのだ。
その二つを【Sikh通貨】はシステムの力で解決している。まず、「1Sh=1Ptで使用できる」ことで価値が保証されている。願い事をかなえる際や、アイテムショップで使えるのでプレイヤーが欲しがる、というわけだ。
次に特に現金についてだが、「本物同士を接触させて魔力を流すと共鳴反応を起こす」ことで真贋の判定が容易に行える。もちろん広く使われるようになれば偽のお金は出てくるだろうが、誰でも簡単に真贋の判定ができるというのは大きな抑止力になるはずだ。
「よく思いついたなぁ、こんなの」
「ん、早い者勝ち」
感心するカムイに、キキはやはりドヤ顔でそう答えた。はて「早い者勝ち」とはどういう意味だろうか。それを考え、カムイははたと気がついた。
リクエストされたアイテムは、プレイヤーが購入する度におよそ1%がリクエストしたプレイヤーに分配される。そして今回キキがリクエストしたのはお金だ。将来プレイヤーが少数派になった時、お金の主流となるのはポイントではなく現金化されたこの【Sikh通貨】になるだろう。
世界中で【Sikh通貨】が使われるのだ。相当な量の【Sikh通貨】が流通することになる。それらは全てアイテムショップで購入されるわけで、そして購入される度に1%がキキに分配されるのだ。
文字通り、巨額の配当金と言っていい。寝ているだけでウハウハだ。もちろん通貨がこれ一つと決まったわけではないが、しかし一つあるならそれを使おうと思うのが自然な心理だろう。
それに新たな通貨をリクエストするためには100万Ptが必要なのだ。加えてその新たな通貨で稼ぐためには、それを流通させなければならない。それを考えれば、最初の一つ目が圧倒的に有利なのだ。それでキキは「早い者勝ち」と言ったのである。【若返りの秘薬】もそうだが、どうも彼女はこういうことに鼻が利くようだ。
(ユニークスキルからして【PrimeLoan】だもんなぁ……)
金の稼ぎ方を知っている、とでも言えばいいのだろうか。なんだか一人だけ別のゲームをしているかのようである。カムイは呆れるのを通り越して、なんだか感心してしまった。
まあそれはそれとして。【Sikh通貨】でウハウハに稼げるのは相当先になるだろう。今は現金化することで資金の管理がしやすくなる、という点だ。そのメリットを認めたアーキッドは軽い調子でリムにこういった。
「よし、やれ」
「ラジャー」
ポチッとわざわざ擬音を口に出しながら、キキはリクエストを申請した。すると、一部訂正されたらしく確認を求められた。次のような内容である。
アイテム名【Sikh通貨】
説明文【通貨。単位はSh。1Pt=1Shで購入でき、1Sh=1Ptで使用できるが、シクでSikh通貨を購入することはできない。Sh→Ptへの交換レートは0.8で、ゲームクリア後に願い事をかなえる際にも同様のレートとなる。シクはポイントと同じくシステム上で管理・運用できるが、現金化も可能。その場合、1 Sh硬貨、10 Sh硬貨、100 Sh硬貨、1,000Sh紙幣、10,000 Sh紙幣を使うことができる。硬貨・紙幣はマジックアイテムであり、本物同士を接触させて魔力を流すと共鳴反応を起こす】
シクからポイントへの交換レートが0.8に定められている。つまりその分、シクの価値が下がっているのだ。そしてそれを見てキキは露骨に悔しそうな顔をした。どうやら何か企んでいたらしい。どうせよからぬことだろうと思いつつ、カムイは彼女にこう尋ねた。
「キキ、何を企んでたんだ?」
「シクを一対一でポイントに交換できれば、そのポイントでまたシクを買うことができる」
それを聞いてカムイはキキが何を狙っていたのかを悟った。アイテムショップを介してシクとポイントを交換すれば、その際に1%の配当金が生まれる。交換レートが1:1なら交換は永遠に続けることができ、つまり理論上無限の配当金が得られる、という寸法だ。よくまあそんなところまで頭が回るもんだな、とカムイは思った。
しかし今回、交換レートが0.8とされたことで予防線が張られてしまった。交換を行えば配当金は得られるだろうが、しかし目減りしてしまった分には及ばない。「シクでSikh通貨を購入することはできない」の部分も、同様の目的があるのだろう。こうしてキキの悪巧みはあえなく潰えてしまったのである。
「むう、ケチ」
「いや、真面目に攻略しろ、ってことじゃないのか?」
カムイが不満げな顔をするキキをそう宥めると、彼女はもう一度「むう」と唸ってからリクエストを完了させた。訂正内容を丸ごと受け入れたのだから、エラーはでない。アイテムは無事に生成された。
「せっかくだし、いろいろ試してみようぜ」
そう言って、アーキッドは早速10,000Shを購入する。それから【低級ポーション】を一つだけ購入してみると、支払い画面に今まではなかった欄が二つ現れた。一つはポイントであり、もう一つはシクだ。アーキッドはシクを選択し、そこに「1,000」と打ち込む。すると確かにポイントではなくシクでアイテムを購入することができた。
「なるほどなぁ」
購入したばかりの【低級ポーション】を目の前に掲げ、アーキッドは感心したようにそう呟いた。それからシステムメニューのトップ画面に戻ってポイントの残高を確認してみると、ポイントの欄の下にもう一つ欄が追加されていて、そこには【9,000Sh】と表示されている。
「へぇ、こんなふうになるんですね」
横から覗き込むカムイの呟きに頷きながら、アーキッドはふと思案する。現金化できるという話だが、さてどうやるのか。彼は少し考えてから、おもむろにシクの欄を軽くタップする。すると「いくら現金化しますか?」というメッセージが現れた。どうやら現金化はこうやって行うらしい。
アーキッドはまた少し考えてから、【1,000Sh】と打ち込み確定ボタンをタップする。するとシャボン玉のエフェクトと一緒に、一枚の1,000Sh紙幣が現れた。紙幣にはシリアス方向にデフォルメされたキキの肖像が描かれている。
余談だが、シクの硬貨や紙幣にはすべてキキの肖像が、それぞれ違うデザインで描かれている。手抜きなのか凝っているのか、よく分からないところだ。ただその肖像のせいで【Sikh通貨】は別命「ロリ通貨」と呼ばれることになるとかならないとか。
ちなみに、キキ曰く「貧乳はステータスだが、断じてロリではない!」。まあ、なんにせよあまり重要ではない話だ。
閑話休題。アーキッドは1,000Sh紙幣をためつすがめつ眺め、感心したように「ほぉう」と呟いた。そしてもう一度、今度は100Shを現金化する。現れたのは、小さな硬貨。銀色だが、おそらく銀ではないのだろう。マジックアイテムと言う話だし、摩訶不思議なレアメタルでも使われているのかもしれない。カムイはそう思った。
100Sh硬貨もためつすがめつじっくりと眺めてから、アーキッドは次に1,000Sh紙幣の上に100Sh硬貨を重ねておいた。そしてそのまま指で挟むようにして持ち、少量の魔力を込める。すると紙幣と硬貨の両方から虹色の光が漏れ出し、さらに涼やかな鈴に似た音が響いた。
「これが共鳴反応……」
「そうみたいだな。コイツは分かりやすい」
アーキッドはそう言ってしばらく共鳴反応を眺めていたが、やがて満足したのか魔力を止めた。すると共鳴反応もすぐに収まる。確かにコレならば真贋の鑑定は容易だろう。機械的に、一度にたくさんに鑑定を行えないのが欠点だが、しかし鑑定が容易であることそれ自体が偽造を防ぐ抑止力となるはずだ。
「さて、後はコイツをどうやってシステムに戻すのか、だが……」
アーキッドはそう呟くと、開きっぱなしになっていたシステムメニューを見た。そしておもむろに1,000Sh紙幣をメニュー画面に近づける。すると1,000Sh紙幣は現れたときと同じようにシャボン玉のエフェクトに包まれ、そして今度は消えた。
もちろん、なくなってしまったわけではない。プリペイドカードに現金を入金するかのように、システムに入金されたのだ。その証拠にシクの残高が【8,900Sh】になっている。それを確認して一つ頷くと、アーキッドは同じように100Sh硬貨もシステムに入金して戻した。
「なるほど、なるほど。ま、なかなか便利そうだな。せっかくだし、俺らもパーティーの資金の管理はシクでやるか。キキに配当金も入るしな」
アーキッドが悪戯っぽくそういうと、キキは「むっふん」とドヤ顔で薄い胸を張った。それから彼女はアーキッドに頼んでこれまでに知り合ったプレイヤーのなかでも、パナッシュやアラベスクといった、リーダー格の者たちにメッセージを送ってもらう。つまり【Sikh通貨】の宣伝だ。「これで配当金がガッポガッポ」とキキはご満悦だった。
なお、もろもろ判明するのは少し先になるが、【Sikh通貨】導入の影響は結構広範に及んだ。例えばプレイヤーショップでは金額を設定する際、ポイントだけではなくシクでも設定できるようになった。購入する際には、指定された通貨で支払いを行うことになる。だから例えば、シクで価格が設定されている場合、ポイントでの支払いは出来ない。
またリクエストされたアイテムをシクで購入した場合、リクエストしたプレイヤーへの配当金もシクで支払われる。ちなみにこれを確認したのはカムイだ。彼自身はシクを購入する気はなかったのだが、強制的にシクを押し付けられてちょっと遠い目をしていた。
まあ、それはそれとして。外を見れば、まだ土砂降りの雨が続いている。いつ止むのかは分からない。こういう時、天気予報がないと不便だ。ただ、分からないことを考えていても仕方がない。アーキッドも「ま、のんびりしようぜ」と言うので、カムイもソファーに身体を預けてダラダラすることにした。
そうこうしていると、お昼前頃になってカレンたち三人がキッチンから戻ってきた。お菓子は、今は焼いたり冷やしたりしているそうだ。どうやら食べられるのはもう少し後になりそうだった。
「せっかくじゃし、お茶会でもせぬか?」
ミラルダがそう提案し、他のメンバーも賛成したので、お菓子が食べられるようになったらお茶会を開くことになった。
お菓子を食べて、お茶を飲んで、おしゃべりをしてというわけだが、「それならいつもやってるじゃん」と言ってはいけない。なにしろ今回のお菓子は手作り、つまり特別製だ。さらにカムイにとっては彼女たちの手作りお菓子なわけで、さらに特別といえる。そして特別だからこそ悩ましくもあった。
(褒め言葉を用意しておかないと……)
美味しい、だけでは「適当だ」と怒られてしまうかもしれない。それも褒め言葉は三パターンほど必要だろう。なにせ手作りお菓子は三種類あるのだから。確かバナナケーキとクッキーとプリンだったはずだ。では、それぞれに相応しい褒め言葉とは……?
面倒と言えば面倒だ。けれども嫌な気はしない。むしろ、期待されているなら応えたい。いや、超えたい。そもそも「期待されているなら」なんて、浮かれてしまっているような気もするけれど。
浮かれたっていいじゃないか。だって付き合っているんだから。カムイはそう開き直った。
― ‡ ―
雨のために休養日となった日の、その翌日。瘴気のために快晴とはならないものの雨は上がっていた。ただ、土砂降りの雨が夜遅くまで続いたせいか、地面はひどくぬかるんでいる。
この状態でいつものように極大型モンスターの乱獲を行えば、盛大に泥が跳ねてしまうだろう。当然、プレイヤーは泥まみれになる。ミラルダなどはそれがイヤらしく、狐耳を垂れさせながら「今日も休みにせんかのう」と控えめに主張したが、そう休んでばかりもいられないと言うことで乱獲は決行された。
ちなみにミラルダ以外の女性陣だが、キュリアズは「泥まみれになるのは、もとの世界の任務で慣れています」と苦笑し、リムは「【全身クリーニング】を使えば問題なしです!」と胸を張り、ルペに至っては「アタシは飛んでるから、あんまり関係ないかなぁ」と無頓着だった。
まあそれはそれとして。準備が整ったプレイヤーは、一旦リビングに集合する。全員が集まったところで【簡易瘴気耐性向上薬Ⅱ改】を配布するのだが、カレンとイスメルの姿が足りない。またあのダメエルフがグズグズとしているのである。
ちなみにカレンがアストールに援護を求めていたが、「いやぁ、私では力不足なので」とすげなく断られていた。「絶対面倒臭いだけですよねぇ!?」とカレンは詰め寄ったが、彼はのらりくらりとかわすだけで、結局力は貸してくれなかったそうだ。
さて、そうやってイスメルを待っている間、アーキッドがさも今思いついたといわんばかりに「そうだ」と言って手を打った。それからカムイに胡散臭いほど清々しい笑顔を向ける。
ソレを見てカムイはわずかに頬を引き攣らせた。イヤな予感がひしひしとする。そして全然嬉しくないことに、彼のその予感は見事に的中した。
「少年。コレを試しておかなくっちゃ、なぁ?」
そう言ってアーキッドが取り出したのは、【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】だった。このレーションは装備している【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーシリーズ】の種類に応じてユニークスキルを強化してくれるアイテムだ。
もともとは〈ゲートキーパー〉討伐のためにリクエストしたアイテムだが、しかしいきなり本番で使うのは少々リスキー。それで事前に一度、実戦で使って試しておこうという話を昨日していた。
それはカムイも覚えている。覚えていながら黙っていたのは、この【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】が「ちょー不味い」らしいからだ。できればスルーしたかったのだが、しかしそうは問屋がおろさない。そもそも、こんな面白そうなイベントをアーキッドが見逃すはずがないのだ。
さあさあさあ、とアーキッドがレーションをカムイに押し付ける。彼はそれはそれは楽しそうな笑顔を浮かべていた。そしてその向こうに、ルクトが同じような笑顔を浮かべているのをカムイは幻視する。
いや、ルクトがこの状況を見物しているのをカムイは確信していた。あんな悪戯を仕掛けておいて、その結果を見物しないなんてありえない。彼が心の中で「くそう」と悪態をついたのは、果してどちらに対してだったのか。
とはいえ、確かに【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】を試してみると約束したのだ。それを反故にするのは躊躇われた。それでしぶしぶアーキッドからレーションを受け取ったのだが、それでもまだ踏ん切りが付かないらしく、カムイは顔をしかめてなかなかそれを飲もうとしない。そんな彼をキキが囃し立てた。
「わーい、カムイ君のちょっといいトコ見てみたい~!」
「…………っ!」
囃し立てるその声に追い詰められ、カムイはついにそのレーションを呷った。ゼリー状のソレを、パックを握りつぶすようにしながら一気に啜る。そして次の瞬間、あまりの不味さにむせた。
エグいニガいシブい、そしてやけに生臭い。言葉にすればそれだけなのだが、しかし拷問に使えそうな不味さである。三食コレだけとか言われたら、国家機密だってゲロってしまいそうだ。
およそ人間の食べ物ではない。いや、こんなモノ、ゴキブリだって食わないだろう。カムイはそう思った。
ともかく、かつて経験したことのない不味さだ。カムイは思わず吐き出しそうになったが、しかし最初から「ちょー不味い」と覚悟していたこともあり、彼はなんとかそれを胃袋に落とし込んだ。ようやく口の中が空になると、彼は目の端に涙をためながらゼェゼェと荒い息をした。
まだ口の中にレーションの味が残っている。呼気はなんだか生臭い気がした。気持ち悪くて、吐き気がする。そう思ったら本当に胃の中のソレが逆流してきそうになって、カムイは慌てて口を手で押さえた。
「………ぅ!」
「カ、カムイ? どうした!?」
そう言って呉羽がかけより、カムイの背中を摩った。そして呉羽が水の入ったペットボトルを差し出すと、彼はそれを勢いよく飲み干す。口内から胃袋にかけて気持ち悪い感じはまだ残っているが、それでも吐き気はだいぶ収まった。そのことに安堵し、カムイは青い顔をしながら口元を拭ってこう呟いた。
「酷い目にあった……」
「カムイ、大丈夫なのか……?」
背中を摩りながら、呉羽がそう尋ねる。そんな彼女にカムイは一つ頷きを返した。そして【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】のパックを持っていたはずの手を見る。空になったことで消えてしまったのか、そこには何もない。ただなんにしても、「ちょー不味い」のうたい文句に偽りなし、だった。
「やあやあ少年、ご苦労さん」
適当な感じで労わってくるアーキッドを、カムイは不満げに睨み付けた。しかし彼はヘラヘラと笑うばかりで、一向に堪えた様子はない。ソレを見て、カムイは「何を言っても無駄だ」と諦めため息を吐いた。と、そこへ……。
「さあ師匠! 行・き・ま・す・よ!」
「パ、パキラァァァァアアアア!」
まるで恋人から引き剥がされたかのように、イスメルが絶叫を上げる。ただし彼女が呼んでいるのは恋人の名前ではなく、ただの観葉植物だ。そしてそんな彼女を、カレンが肩を怒らせながらズルズルと引きずっている。そして二階の踊り場にイスメルを投げ出すと、彼女は疲れた様子で額の汗を拭った。見慣れてしまった、朝お馴染みの光景である。
「……って、カムイ!? どうしたの、顔色が悪いわよ!?」
カムイの様子に気づき、カレンは慌てて階段を駆け下りる。そんな彼女にカムイは力のない笑みを見せ、そしてこう答えた。
「大丈夫、たぶん……。ちょっと、劇物を飲んだだけだから……」
「全然大丈夫そうに聞こえないんだけど、それ」
カレンはそう言って眉間にシワを寄せたが、しかし大丈夫であることは伝わったのだろう。彼女は怪訝な顔をしつつも落ち着きを取り戻した。
説明はひとまず後にすることにして、【簡易瘴気耐性向上薬Ⅱ改】が必要なメンバーがそれを服用すると、カムイたちは外へ出て〈魔泉〉に臨む小高い丘へ向かった。その道すがら、劇物の正体といかに不味かったかを説明してやると、カレンは頬を引き攣らせる。
「そ、それは災難だったわね」
「ホントだよ。もう飲みたくない」
心底うんざりした、という様子でカムイはそう応えた。しかし現実は非常である。カレンはそれをこう指摘する。
「でも、そのレーションって、〈ゲートキーパー〉戦で使うためのモノなんでしょ? なら何度か使わなきゃなんじゃない?」
「それに、あのレーションはユニークスキルを強化してくれるんだろう? また〈魔泉〉に落とされたりしないためにも、使ったほうがいいんじゃないかなぁ……」
カレンと呉羽にそう言われ、カムイは「むむ……」と唸った。身の安全や作戦の成功率のことを考えれば、【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】を使った方がいいのは分かる。そう、頭では理解しているのだ。だがあまりの不味さに、舌と精神がそれを拒否している。
「しょうがないなぁ。それじゃあ、口直しに何か作ってあげるわ」
「あ、なら、わたしも手伝うよ」
カムイが煮え切らないのをみて、カレンと呉羽はそう言った。昨日食べたお菓子は、既製品にはない手作りの味がした。手作りなのだから手作りの味がするのは当たり前だが、同時になんだかとても懐かしい感じがしたのだ。作ってくれるのはお菓子だけではないのだろうけど、彼女達の手作り料理を食べられるのは魅力的だった。
「いいのか?」
カムイがそう尋ねると、二人は屈託のない笑顔で頷いた。それで彼は「じゃあ、頼む」と二人にお願いする。彼女たちは「任せといて!」と力強く請け負ってくれた。
こうしてカムイはあの「ちょー不味い」レーションを、定期的に飲むことになってしまった。ルクトが「してやったり」と意地の悪い笑みを浮かべているのが、目に浮かぶようである。
ただ怪我の功名というか、同時にカレンと呉羽から手料理を作ってもらう約束もとりつけることができた。「差し引きはむしろプラス」と考えてしまうのは、あるいは惚気の一種かもしれない。
(そう言えば……)
そう言えば、ルクトは「嫁さんが料理下手でねぇ」とこぼしていた。料理上手な彼女たちから手料理をご馳走してもらうのは、そんな彼へのあてつけと言えるかもしれない。彼が悔しがる様子を想像して、カムイはようやく溜飲を下げるのだった。
さて、「ちょー不味い」ために飲んで終わりな雰囲気になっていたが、呉羽も言ったとおり、【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】はそもそもユニークスキルを強化するためのアイテムだ。つまり実際にユニークスキルを使用して、その具合を確かめるまでが実験である。それでカムイは丘の上に着くと、最前線に陣取って【Absorption】と〈オドの実〉を発動させた。
(う~ん……、よく分からん)
ユニークスキルを使いつつも、カムイは内心で首をかしげていた。正直なところ、普段とあまり差がないように感じる。まあブーストしているとはいえ7%程度。一割にも満たないブースト率だ。
その程度でははっきりと分かるほどの強化には繋がらないのかもしれない。そんなことを考えつつ、カムイは〈白夜叉〉のオーラで半身像を形成した。そしてカムイの準備が整ったのを見て、キュリアズは【祭儀術式目録】を構える。
「……いきます。囲い、括り、閉じ込めろ、【ラプラスの棺】!」
次の瞬間、〈魔泉〉がドーム状の結界に覆われた。その内部に瘴気が勢いよく溜まっていく。そしておよそ一分後、結界は崩れ落ち、その中から極大型のモンスターが現れる。そのモンスターは鹿に似ていて、禍々しく巨大な二つの角を持っていた。
「ギィィィィイイイイイ!」
まるで自らの生誕を祝うかのように、モンスターは耳障りな雄叫びを上げる。そしてプレイヤーが陣取る丘を目掛けて猛然と駆け出した。その不吉な赤い目には、殺戮と破壊の衝動が宿っている。
「まずは一人でやらせてください」
モンスターから視線をそらさずにカムイがそう言うと、傍にいたフレクやデリウスは一つ頷いてから構えを解いて彼の後ろに下がった。カムイは集中力を高めつつ、さらに多くのエネルギーを集めながらモンスターを待ち受ける。
「ギィィィイイイイ!」
「おおおおおおおお!」
カムイの操る半身像と鹿のモンスターは真正面からぶつかった。突っ込んできたモンスターを、カムイの半身像がその角を掴んで止めたのだ。このまま掴んでいれば、いずれ全ての瘴気を奪いつくされモンスターは消えるだろう。それが分かっているのか、モンスターは嫌がるように嘶いた。
「ギ、ギギィ!」
その瞬間、モンスターの二つの巨大な角が帯電した。「あっ」と思う間もあればこそ。すぐさま雷が放たれ、半身像とカムイを直撃する。しかしその一撃は、彼を止めるには足りなかった。
「こん、のぉぉおおお!」
カムイは雷を無視して半身像を操る。もちろんダメージは受けていたが、しかしそのほとんどは半身像がくらったもの。そのダメージも供給される潤沢なエネルギーによって瞬く間に回復していく。結果としてモンスターの攻撃は、彼になんら痛痒を与えるものとはならなかった。
それどころか、ダメージ以上に供給されたエネルギーが半身像をさらに強化する。半身像は一回り厚みを増し、そしてその身体に相応しい怪力を発揮した。角を掴んだままモンスターの身体を持ち上げ、そのまま勢いよく地面に叩き付けたのだ。
地響きがなり、地面がグラグラと揺れる。地面がぬかるんでいたせいで、周囲には盛大に泥が跳ねた。
起き上がろうともがくモンスターを、半身像が押さえつける。カムイはその身体の上に立つと両腕に“グローブ”を形成し、その鋭い爪を容赦なく突き立てた。そしてモンスターの心臓、すなわち魔昌石を掴むとそれを一気に引きずり出した。
「ギィィィィィイイイ!?」
モンスターが絶叫を上げる。そして次の瞬間、その身体から力が抜け、モンスターはそのまま瘴気へと還った。カムイが引っこ抜いた大振りな魔昌石も、シャボン玉のエフェクトに包まれてポイントに変換される。カムイが「ふう」と息を吐いて半身像を消すと、アーキッドが後ろから彼にこう声をかけた。
「本番は、魔昌石は要回収だぜ、少年」
「分かってますよ」
カムイが口を尖らせてそう反論すると、彼は「ならいい」と言って小さく笑った。それから、今度はこう尋ねる。
「それで、ユニークスキルの具合はどうだ?」
「……いつもより、やりやすい気はします」
たぶん、とカムイは少し自信なさげに付け足した。いつもよりスムーズに能力が使えたような気もするが、しかしはっきり「そうだ」と言えるほど顕著な差があったわけではない。
なにより【Absorption】で吸収できるエネルギー量は、周辺の瘴気濃度によって影響を受ける。前日雨が降ったことで、この周辺の瘴気濃度は高い状態になっており、つまりエネルギーが吸収しやすい状態なのだ。能力を使いやすく感じたのは、その影響もあるだろう。
「まあ、7%だしな。そんなもんか」
カムイの返答は頼りなかったが、しかしアーキッドは気にせずそう言った。【ヘルプ軍曹監修・ミリタリーレーション】はアイテムショップで購入したモノ。品質は完璧に保証されている。利くのは間違いない。もともと保険であるし、最低限プラスの効果があれば十分だ。それに効果を増すための手もないわけではない。
「装備増やすとかそういう相談は後でするとして……。キュリー、準備は?」
「いつでもいけます」
アーキッドが振り返ってキュリアズの方を見ると、彼女はすでに準備を整えておりいつでも【ラプラスの棺】を発動できる状態だった。考察や検討は後回しにするとして、今は乱獲に勤しむべきだろう。アーキッドはそう考え、二度目のアタックに取り掛かるのだった。
ヘルプ軍曹「嫁の手料理の味」
というわけで。今回はここまでです。
続きは気長にお待ちください。