壮大な回り道9
カムイとアストールが【HOME】に近づくと、まず聞こえてきたのは激しい剣戟の音だった。何事かと思い歩を早めると、二人はちょうどカレンと呉羽が剣を振るって戦うその場面に遭遇したのである。
「仲間、割れ……?」
「……だと、思いますか?」
思わないので、カムイは険しい顔をして沈黙した。どうして二人が戦っているのか、その正確な理由は分からない。ただ自分のこの夜逃げじみた行動が、二人の決闘の契機になってしまったのだろうということは容易に想像できた。
「何にしても、いい機会ではありませんか?」
アストールにそう言われ、カムイは少し嫌な顔をした。つまり彼は「ちょうど二人がいることだし、このままここで話をしたらどうですか?」と言っているのだ。カムイにしてみればずいぶんと急な話だし、なによりそのためにはあそこへ飛び込んで二人の決闘を止めさせなければならない。気後れを感じるのは無理からぬことだった。
「しかし、このままというわけにも行かないでしょう?」
「それはまあ、そうですね……?」
そう答えつつカムイが二人の方へ視線を向けると、その時ちょうどカレンの双剣が砕けた。それを見た瞬間、カムイは反射的に飛び出した。同時に【Absorption】と〈オドの実〉の出力を最大へ引き上げる。そしてそんな彼にアストールが〈アクセル〉の支援魔法をかけた。
一歩目から一気に加速し、二歩目でトップスピードに乗る。〈瞬転〉もかくやという速度でカムイは走る。そして走りながら両手に“グローブ”を形成。今まさに決着が付かんとしているカレンと呉羽の決闘に乱入し、両手の“グローブ”で二人の頭をガシリと掴む。普段ならこんなに簡単にはいかないのだろうが、この時の二人はお互いのことにだけ意識を集中していたので、乱入も頭を掴むのも簡単だった。
「え、ちょ……!?」
「なぬ、うぅ……!?」
乱入には気付かなかったが、しかし頭を掴まれればさすがに気付く。しかしこのタイミングで気付いてももう遅い。カムイはそのまま引き攣った顔をする二人の頭同士を、より正確には顔同士を、ぶつけた。
いちおう言い訳をさせてもらえば、これでも手加減しているのだ。いや手加減と言うよりは、止めきれずにぶつけてしまったと言った方が正しい。ようするに勢いがつきすぎていたのだ。あの加速の勢いそのままに本気で二人の顔をぶつけていたら、彼女達の頭は今ごろ潰れたトマトになっていたに違いない。
「ふのぉぉぉぉおおおお!?」
「ぬあぁぁぁぁぁあああ!?」
乙女としていろいろ問題ありげな呻き声を上げながら、カレンと呉羽は顔面を押さえてのたうち回る。赤いモノがたれているのは、もしかしたら鼻血でも出たのだろうか。そうだとしたら、いよいよ酷い絵面になりそうだ。
(ホントにもう、許してもらえないかもしれないなぁ……)
内心でそんな弱音を吐きつつ、カムイは腰のストレージアイテムから【中級ポーション】を二本取り出し、それをのたうち回る二人に差し出す。二人はまるでゾンビのように地面を這いつつポーションを受け取り、そして一気に飲み干した。なお、その時顔を見てしまったのだが、やっぱり鼻血が出てた。
「カム、イ……? え、なんで……?」
「ちょ……、どうして、ここに……?」
ポーションを飲み干して痛みが引いたのだろう。二人は鼻血を拭いながら立ち上がり、ここにいないはずのカムイに怪訝な顔を向けた。そんな彼女たちに、カムイは険しい顔をしてこう告げる。
「今から、わりと最低なことを言います……」
そしてカムイは勢いよく土下座した。
「二人とも好きです! 片方なんて、選べません!!」
カムイがそう叫んだ後の二人の反応は、まず沈黙だった。なにを言われたのか良く分からず、反応が遅れたのだ。二人揃ってポカンとした顔をしていたのだが、土下座して地面と睨めっこしていたカムイはそれを見ていない。そして数秒が経過し、彼が何を言ったのか理解してくると、カレンと呉羽の二人は揃って顔をしかめた。
「……ちょっと、呉羽。聞いた?」
「うむ、聞いたぞ。ようやく『好きだ』と言ってもらえたな」
「そりゃ、まあ、それはあたしも嬉しいけど……。でもその後があり得なくない?」
「『選べない』とはっきり口にしていたな。いっそ清々しくもあるが、やはり優柔不断なのはいただけない」
「そもそもさ、『二人とも好きです。でも選べません』ってつまり二股? なに、堂々と二股かけたいの?」
「まだ付き合っているわけじゃないから二股ではないと思うが……。いや、でもこのまま行けば将来的にはそうなるのか……?」
「二股が違うなら、ハーレムにしたいってことなの? マンガとかラノベの読みすぎじゃない? 今どきアニメだってそこまで露骨じゃないわよ?」
「ハーレムかぁ……。ドロドロの女の戦いとか、ちょっと自信ないぞ、わたしは」
「あたしだってイヤよ。ただでさえここ最近ストレスで胃がキリキリしてたのに。穴が開くわよ。ポーションで治るのかしら?」
「【エリクサー】を買ってもらうといい。きっと治る」
「まあストレスの原因には呉羽も絡んでるんだけどね」
「それは……、まことに申し訳ない」
「いいわよ。呉羽だって苦しかったんだろうし。それでおあいこよ」
「カレン……。ありがとう」
「どういたしまして。……それで、そこで土下座してる夜逃げ男のことだけど」
「厳密には、夜逃げではない気もするが……」
「いいのよ、夜逃げで。あんな書置きだけで逃げ出すなんて、みっともない」
「うん。やっぱり、ちゃんと言葉にして伝えて欲しかった。わたし達の仲はあんなメモ書き一枚で切れてしまうものなのかと思ったよ」
「そうよ! 何にもなしで、いきなり出て行っちゃって。あたし達がどんな思いをしたか、分かる?」
「目の前が真っ暗になったようだったよ。足もとがグラグラして、身体がスーッと冷えていくんだ」
「あたしは頭ン中、真っ白になったわ。訳がわかんなくて、悔しくて、悲しくて、叫びたかったわ。それなのにカムイは……! ホントにみっともない」
「そうだな、みっともないのは確かだ」
「みっともないと言いつつ、嬉しそうな顔してるわよ、呉羽」
「そりゃ、嬉しいさ。こうして戻って来てくれたんだから。カレンは、嬉しくないのか?」
「う、嬉しいわよ。嬉しいに、決まってるじゃない……。あ~あ、もう。これが惚れた弱みかぁ」
「ほ、惚れた……、弱、み……。や、やけに堂々との、惚気るじゃないか、カレン。か、顔が真っ赤、だぞ?」
「だってあたしはもう告白したもん。誰かさんは酔いつぶれて、忘れちゃってるみたいですけどぉ~」
「うぅ……。だ、だって、あれは……」
「カムイだってばっちり覚えてるんだから、今更恥ずかしがる必要なんてないわよ」
「や、止めてくれぇ!」
「ほら、早く呉羽も言いたいこと言っちゃいなさい。言葉にして、伝えたいんでしょ?」
「うぅ~。……わ、わたしもカムイのことがす、好きです! もう誤魔化せない、認めてください!」
「……いや、なんでそこであたしに頭下げるかなぁ。ま、土下座男に告白しても格好がつかないか」
「お願いします!」
「ああ、なんかもう収集が付かなくなってきたなぁ……」
カムイに土下座され、呉羽に頭を下げられ、カレンは空を仰いだ。どうしてこうなったのか。呆れればいいのか、嘆けばいいのか。カレンはとりあえず苦笑して二人の頭を上げさせた。
「さ、改めて話をしましょ? きっと言わなきゃいけない事がたくさんあるわ」
こうして三人は、ようやく話し合いへとたどり着いたのである。なんとも壮大に回り道をしたものだ、とカレンは思う。けれどもその回り道はきっと必要なものだったのだ、とも彼女は思った。
さて、それから三人は【HOME】へと戻り、彼らの恋模様を見物していた出歯亀どもを蹴散らしつつカムイの部屋へと戦略的撤退を行った。さらにこれから行われる秘密のお話を盗聴されることを警戒して【シークレットウォール】を購入。彼らの将来に関わる重要なお話は、その中で行われることになった。
ちなみに、カレンと呉羽は【全身クリーニング】を使って汗と埃と鼻血を綺麗さっぱり清めてある。こうして乙女の尊厳は保たれたのだった。
「……まず、言っておかなくちゃいけない事があるの」
最初に口火を切ったのはカレンだった。彼女は神妙な面持ちでそう切り出し、そしてさらにこう言葉を続けた。
「呉羽にはもう話したんだけど、正樹、貴方とあたしの婚約は白紙撤回されているわ。これはあたし達の両親が決めたことよ」
「……そっか。まあ、普通に考えればそうだよな。一年も植物状態だと思われてたわけだし」
「あたしは、イヤだって言ったんだけどね……。ともかく、黙っていて、ごめんなさい」
そう言ってカレンは頭を下げた。それを見てカムイはすぐに首を横に振る。
「いや、もういいよ。それより、オレのほうこそ悪かった。話し合おうともしないで、あんなことしちゃって……」
「わたしも……、あれ、わたしが謝らなきゃいけないことはないような……?」
「話が拗れた一因は、呉羽が酔った挙句にキスまでして、しかもそれをなかったことにしたからじゃない?」
「う……。その節は大変ご迷惑をお掛けしました……」
こうして三者三様に謝罪がなされた。みんなにちょっとずつ悪いところがあった。三人がそれぞれその事を認め合い、納得して折り合ったのだ。それはこの先の話し合いを落ち着いて行うためにとても大切なことで、そしてそういう流れに出来たのは、最初に自分の非を認めて謝罪したカレンのおかげと言っていい。
それから三人は色々な話をした。もとの世界の思い出話など、色恋沙汰とは直接関係のない話のほうが多かったが、それでもたぶんそれは彼らにとって必要なことだったのだ。彼らの話し合いは、結構長く続いた。
― ‡ ―
「さぁて、今ごろあいつらは何話してんのかねぇ」
「後で思い出したら悶絶したくなるようなことであろうよ。若いうちはよくある事じゃ」
人の悪い笑みを浮かべつつもしかしどこか優しい口調で、ミラルダはアーキッドにそう応じた。彼らがいるのは【HOME】のリビング。カムイたち三人はつい先ほど階段を駆け上って行ったばかりで、キキやミラルダがその後をひそかに追ったのだが、三人は【シークレットウォール】を使ったらしく、戦果ゼロの出歯亀組が少々落胆気味に戻ってきたところである。
「大丈夫、でしょうか……。またカムイさんが出て行ったりとか、そんなことにならないといいんですけど……」
不安げな様子を見せながらそう呟いたのはリムだ。突然カムイが出て行ってしまったことが、相当ショックだったようだ。幸い彼はすぐに戻ってきたが、しかし今はまだ話し合いの真っ最中。その結果いかんによってはもしかしたら、と気をもんでいるようだった。
「なあに、大丈夫じゃよ」
そんなリムの頭を、ミラルダが優しくなでる。それでもまた心配げな顔をするのでにっこりと微笑んでやると、ようやく少し安心したのかリムはようやく表情をゆるめた。
(子供じゃのう)
リムの頭を撫でながら、ミラルダは心の中でそう呟いた。彼女のいう「子供」とは、リムだけを指しているのではない。むしろこの場合、彼女が子ども扱いしているのはカムイたち三人の方だった。
本当にやる事なす事、突拍子がない。カムイの置手紙を見たときなど、呆れるより先に感心してしまった。カレンと呉羽の決闘もそうだが、よくもまああんな恥ずかしいことを躊躇いもせずにやれるものだと思う。そして落ち着いた頃合にふと思い出して、顔を真っ赤にして悶絶しジタバタしながら転げまわるに違いない。その様子を見物してやるのが、ミラルダは今から楽しみだった。
(それもまあ、話し合いの結果次第なのじゃろうが……)
先ほどリムに「大丈夫だ」と言ったとおり、ミラルダは三人の話し合いについて、それほど心配はしていない。もちろん色恋沙汰に関わる話し合いだ。物別れに終わる可能性はある。ただ、それぞれ感情のぶつけ合いをやり終えた後だから、頭も冷えてそれなりに冷静な話し合いができるのではないか。それがミラルダの見立てだった。
そもそも、カレンも呉羽もカムイも、三人全員が遠慮ばかりしている。似たような文化背景の世界から来たという話だから、あるいはそれが彼らの国民性なのかもしれないが、ミラルダの目から見ると一種滑稽なほどだ。
そしてそんな彼らだから、今行われている話し合いの中でも、きっとお互いに遠慮していることだろう。そうやって行き着く落し所であれば、大体の予想は付く。穏当で、三人がそれなりに幸せになれる結論を、彼らはきっと得ることだろう。
(物語としては、ちと物足りんのう)
ミラルダは内心でそう呟き苦笑した。彼女が知る色恋沙汰には、いわゆる愛憎劇と呼ぶべきものも数多くある。そして、これが女の業と呼ぶべきものなのかもしれないが、話として聞く分にはそちらの方が面白い。
もっとも、ミラルダはそういう恋愛がしたいわけではまったくない。そしてそういう恋愛をしてほしいわけでもない。むしろもっと単純に、分かりやすく幸せになってほしいと思っている。
そういう意味では、望みどおりのところへ落ち着いてくれそうで、ミラルダは大よそ満足だった。小さな不満があるとすれば、話し合いの現場を出歯亀できなかったことか。後で根掘り葉掘り聞きだしてやろう、と彼女は決めた。
(それにしても……)
リムがカムイたちの心配をしているその横で、自分は出歯亀できなかったことを嘆いているとは。なんという落差か。あの三人もそうだが、若人たちの純真さが眩しい。これが歳を取るということなのか、とミラルダは慄いた。
(い、いや、出歯亀できんで一番悔しがっておったのはキキじゃし……)
その言い訳もかなり苦しい。このままではますます墓穴を掘りそうなので、ミラルダはこの件についてこれ以上考えるのを止めた。大人の対応である。
「それはそうとアストールよ。カムイの様子はどうだったのじゃ?」
内心のあれこれはおくびも表に出さず、ミラルダはアストールにそう尋ねた。精神衛生を保つための話題転換だったわけだが、彼とカムイの間でどんなやり取りがあったのか興味があるのは事実だ。なお、そうやって興味を持つこと自体が出歯亀根性の延長ではないか、という議論を彼女は受け付けていない。
「そうですねぇ……。カムイ君も最初は、かなり思いつめた様子でした」
まずそう言ってから、アストールはカムイを説得した時の様子を語り始めた。本人のプライバシーを守るために所々はぼかしつつ、それでも全体の流れは分かるように説明する。彼の話を聞き終えると、聴衆の顔には生暖かいものが浮かんでいた。
「なんつうか、男の子だねぇ……」
どこかムズ痒そうな顔をしながら、アーキッドはそう呟いた。そして彼と同じような顔をしながら、デリウスとフレクが頷く。出身世界は違えども、男連中には揃いも揃って似たような経験でもあるのかもしれない。
一方でミラルダやキュリアズは、どこか呆れた様子である。カムイに呆れているのはもちろんだが、それを殴って止めたアストールにも、そしてその話を聞いてムズ痒そうな顔をしている男連中にも、呆れているのだ。「男は幾つになっても子供」。あるいはそんなことを思っているのかもしれない。
「夕日をバックにしての殴り合いじゃなかった……。しょぼーん……」
さてそんな中で露骨に肩を落としている者が約一名。キキだ。とうやらお約束の展開にばっちりはまらなかったことが不満らしい。というかそもそも朝の早い時間に、それも瘴気にまみれたこの世界で、「夕日をバックに殴りあい」など出来るはずがないのだが。加えてそれを演じる側も力不足だ。
「カムイ君と殴り合いなんてしたら、連れ戻すどころじゃありませんよ。死んでしまいます」
アストールは苦笑しながらキキにそう言った。それでも決着の一撃は杖のフルスイングによる物理攻撃だから、テンプレはかなり踏襲しているはずだ。それにキキとて本気で不満がっているわけではない。ただネタを探すことに一生懸命なだけである。
「むう。それじゃあ第二弾はカムイ対フレクでよろしく」
「うむ、心得た」
キキの依頼を、フレクはそう言って受諾した。重々しい顔をしてはいるが、その口の端はまるで笑い出したいのを堪えているかのように歪んでいる。こう見えて案外、彼もノリがいいようだ。
こうして本人不在の中、第二弾のキャスティングが完了してしまったわけだが、それに異を唱えるメンバーは一人もいなかった。楽しみにしたからと言うよりは、面倒くさかったからだ。それどころか「こうやって面倒事を起こしたんだから、カムイもちょっとは苦労すればいい」と思っていたとかいなかったとか。まあ余談である。
「それはそうと、アストールの杖は折れてしまったのだろう?」
「ええ。最後の一撃で。一応回収はしてありますが、もう使えないでしょうね」
「では、新しい杖を用意せねばならんな」
そのデリウスの言葉にアストールは頷いた。この先、極大型モンスターを乱獲したり、再出現した〈ゲートキーパー〉と戦ったりするためには、どうしても新しい杖が必要になる。早目に用意しておくに越したことはない。
「それじゃあ、新しい杖の費用は必要経費ってことにしとくから、買ったら値段を教えてくれ」
アーキッドがそう言うと、アストールは少し驚いた様子を見せた。今回の騒動はパーティーの作戦行動と何の関わりもない。むしろ今日の予定が丸々全部潰れてしまったのだから、むしろ不利益を被らせてしまっている。
それにカムイを引き止めたのは、結局のところアストールのエゴだ。幸い、手持ちの資金はそれなりにある。だから掛かった費用については、すべて自腹でまかなうつもりでいた。しかしアーキッドは「必要経費にしていい」という。
「いいんですか?」
「ああ。〈ゲートキーパー〉討伐戦の準備で、ずいぶんと世話になったからな。これくらいはいいだろ」
「そうですね……。私たちもさんざんお世話になりましたし……」
苦笑しつつそう言ったのはキュリアズだ。他のメンバーも同意見らしく、反対意見を口にする者はいない。全てのメンバーがリビングに集まっているわけではなかったが、一度決めてしまえば殊更反対する者もいないと思われた。
「分かりました。ありがとうございます」
「おう。ま、気にすんな」
あまり頑固に固辞するのもかえって失礼かと思い、アストールは礼を言って頭を下げた。そんな彼にアーキッドが気楽な調子で応じる。そこへミラルダがこう口を挟んだ。
「必要経費と言うのであれば、カレンの双剣の分も含めてやったらどうじゃ?」
「あ~、そう言えばダメになったんだっけか。もうこの際だから、今回の騒動にかかった分は全部必要経費ってことにしてしまうか」
なんとなく投げやりな感じではあったが、やはり反対意見は出なかったのでそういうことで話はまとまった。ただ現在パーティー用の資金として取り分けている分では足りないと思われるので、次の極大型モンスターの乱獲後にかかった費用を補填するという形になった。
「それでアストールよ。どんな杖を買うつもりなのじゃ?」
「あ、はいはい! わたしが選んであげます!」
元気よくそう申し出たのはリムだ。彼女はアストールの返事も聞かないまま、早速アイテムショップのページを開いて杖を物色し始める。そこへキキも加わり、二人は楽しげに笑いながら品定めをしていく。他のメンバーはその様子を微笑ましげに見守った。
「どれ、双剣のほうも目星を付けておいてやろうかのう。キュリー、どれがよいと思う?」
「わたしよりもイスメルさんに聞いた方がいいと思いますが……」
「アレは部屋に引き篭もっておる。朝に無理やり連れ出されて、拗ねておるのじゃ」
「それは、また、なんといいますか……」
玄関で見たときにはそんな様子は少しもなかったというのに。あるいは強がっていたのだろうか。相変わらず、色々とがっかりなダメエルフである。ちなみに彼女を朝無理やり連れ出したアストールは「ははは……」と苦笑いしながら盛大に視線を泳がせていた。
とはいえあの時点でカムイに追いつくためには、イスメルと【ペルセス】の力を借りる他なかったのだから仕方がない。まあ今日は一日休みだし、部屋で観葉植物に癒されれば明日には彼女の機嫌も直るだろう。
ちなみにロロイヤも現在リビングにはいない。彼は朝降りてきて事の次第を聞き、今日は一日休みになりそうだと知ると、ただ「そうか」とだけ言ってさっさと部屋へ戻ってしまったのである。今ごろは、イスメルとはまた違った方向で、彼もまた休日を満喫しているに違いない。
まあそれはそれとして。さすがに本人や師匠がいないと、どんな得物がいいのかは判断がし辛く、ミラルダとキュリアズは早々に双剣の品定めを諦めた。そして彼女達の話題はファッションのほうへシフトしていく。どうやらミラルダが露出度の高い服を、キュリアズに着せようと画策しているらしい。ファッションの話になってからはルペも混じったらしく、三人で姦しくアレコレと話している。
なんだかもう、カムイたちについての話を続ける雰囲気ではない。どのみちここで外野が騒いだところで、野次馬以上の意味はないのだ。下世話な妄想を膨らませているよりは、優雅に休日を楽しんだほうが健全だろう。そう思い、アーキッドは最近購入したボトルを取り出した。それを見てデリウスが苦笑を浮かべる。
「こんな朝っぱらから酒か?」
「この上なく優雅で贅沢な休日の過ごし方だろう? こんな日は飲むに限るさ」
「まあ、否定はせんがね」
「どうだい、お三方。一緒に一杯」
そう言ってアーキッドが人数分のグラスを並べる。誘われた側の反応は三者三様だ。デリウスは苦笑し、フレクは相好を崩し、アストールは恐縮した風だ。それでも結局は三人ともグラスに手を伸ばした。突然の休日で、やる事がなかったのだ。
琥珀色の蒸留酒は芳醇な香りを漂わせる。わずかに口に含めば、華やかながらもどこかクセのある味だ。初めて飲んだときには、この味が薬っぽく思えて、全然美味しくはなかった。
今は逆に、こういうお酒じゃないと飲んだ気がしない。ワインも好きだが、お酒として楽しむなら断然コッチだ。いずれ樽で買ってやりたい、というのが最近のアーキッドの目論見だった。
「さて、と。時間があるうちにやっておくか」
そう言ってアーキッドはおもむろにシステムメニューを開いた。用があるのは、最近追加したばかりの【掲示板機能】である。〈魔泉〉と〈ゲートキーパー〉についての情報はすでに書き込んであるのだが、極大型のモンスターについても情報を追加しておこうと思ったのだ。
彼はまず、二つあるスレッドのうち、4.1の方を開いた。彼が立てたスレッドであり、〈魔泉〉と〈ゲートキーパー〉についての情報もこちらに載せられている。確認してみると、他のプレイヤーの書き込みはまだ少ない。
【掲示板機能】を追加しているプレイヤーがまだ少ないのか、それとも見るだけで書き込みをするプレイヤーが少ないのか。いずれにしても、これなら新しいスレッドを立てる必要はないな、とアーキッドは思った。
「さてさてお三方。酒代代わりに知恵を貸してくれ」
そう言ってアーキッドはグラスを傾ける三人に悪戯っぽい笑みを向けた。飲ませてから代金を請求するのは一種詐欺のような気もするが、しかし三人は苦笑を浮かべるだけで気にはしない。冗談だと分かっているし、暇つぶしにちょうどいいと思ったのだ。
それから四人はあれこれ相談しつつ、極大型モンスターに関する情報をまとめて掲示板に書き込んだ。とんでもなく稼げるという情報も載せておいたが、しかしそれが他のプレイヤーの役に立つのかは未知数である。まあそのまま役には立たなくても、別の形で応用してもらえれば、こうして情報を共有した甲斐があったといえるだろう。
それとアストールの杖だが、結局以前と同じ【天元樹の杖】を購入することになった。リムとキキが選んではいたのだが、リムが選んだのは翼の飾りとピンクの柄が特徴的な少女趣味全開の杖で、一方キキが選んだのはてっぺんにしゃれこうべがついたおどろおどろしい杖。どちらもアストールの趣味からは大きく離れており、かといって彼が独自に新しい杖を選べば二人の好意を無碍にすることにもなりかねず、結局一番無難な「同じ杖」という選択肢に落ち着いたのである。
さて、一方のカムイたちであるが、三人がリビングへ降りてきたのは、夕方近くになってからのことだった。
― ‡ ―
「…………っ」
「…………ッ」
「…………ぅ」
カムイとカレンと呉羽の話し合いは佳境を迎えていた。お互いの気持ちを確認し合い、他愛もないことも含めてたくさんのことを語り合った。そしてだんだんと三人がそれぞれ同じ答えを意識し始めると、彼らの言葉数はだんだんと減っていった。話すべきことはすべて話した。後は最後の一言を誰が口にするのか、間合いの探り合いにも似た沈黙が続いている。
その沈黙の中、カムイは胃の痛い思いをしていた。空気が重い。ひたすらプレッシャーを感じる。それでも雰囲気が悪いわけではないことが唯一の救いか。何にしても、行動を起こすには気力と決意と覚悟が必要だった。
思い返してみれば、今日のカムイはほとんど良いところがない。格好悪くてみっともなく、醜態ばかりをさらした。思い上がって空回りし、二人だけでなくメンバーの全員に迷惑をかけた。
ここで一つくらい良いところを見せなければ、こんな自分を好いて告白してくれた二人に顔向けができない。そう自分に言い聞かせ、カムイは自らを奮い立たせた。そして痛くなるくらいに両手を握りしめ、その痛みでプレッシャーを振り払い、そしてとうとう口を開いた。
「……呉羽、カレン」
「……うん」
「……なに?」
二人の視線がカムイに向けられる。潤んだ彼女達の眼には、それぞれ期待と不安が等しく浮かんでいる。自分はその期待に応えられるのだろうか。自分の言葉は二人を傷つけたりはしないのだろうか。カムイは恐ろしくすらある。
しかしそれでも。言葉にしなければ伝わらない。そしてそれを、二人もまた望んでいる。だからちゃんと言おう。カムイはそう決めた。
「……二人のことはどっちも好きだよ。比べられないし、比べたくもない。二人じゃなくて、三人でいたい。我儘だと思うけど、うん、やっぱりそれがオレの正直な気持ちだ。だから、そんなオレだけど、それでも良かったら……、付き合ってください」
そう言ってカムイは頭を下げた。そうしたのは無意識の行動だったが、そのおかげで二人の顔を見ないで済んだのはありがたかった。
「……やっと、やっとカムイから言ってくれた」
短い沈黙の後、万感の想いを込めた呉羽の声が響いた。声音には涙が滲んでいて、けれども満面の笑みを浮かべていることがはっきりと分かるような、そんな声である。
「ホント、調子良いんだから……」
続いて、カレンのどこか呆れた声が響く。ただ付き合いの長いカムイは、それが照れ隠しであることが何となく分かった。
ともかく二人から肯定的な言葉をもらえて、カムイは内心で安堵の息を吐く。この土壇場で全てが引っくり返る可能性も考えていたから、ちょっと泣きたいような気分にもなった。けれども彼はまだ顔を上げない。
「カムイ……? いつまで頭を下げているんだ?」
「まだ、返事を貰っていない」
カムイがそう答えると、呉羽とカレンがわずかに苦笑する気配がした。そして二人はそれぞれカムイの左右の手を取る。その手の温かさに、彼は思わず顔を上げた。三人は、いや一人と二人が見つめあう。
「本音を言えば、一対一を夢見ていたよ。だけどわたしはカレンのことも好きなんだ。だから三人でっていうのが、やっぱり一番幸せになれる方法だと思う。ふ、ふつつか者ですが、よろしくお願いします」
「あたしも一対一が普通だと思ってたかな。まあ、今でも思ってるけど。正直に言えば、やっぱり三人でっていうのは抵抗があるわ。あたしの中の常識がNGを出してるの。だけどね、この世界に来てから常識を投げ捨てることに慣れてしまったのよ。だからたぶんそのうち慣れるし、幸せになれるわ。ううん、幸せになるわ。つまり、その、だから……、よ、よろしく」
「……ありがとう。ホントに、ありがとう」
カムイはもう一度頭を下げて二人に礼を言った。彼の声も涙ぐんでいる。鼻をすするとちょっと粗野な音がしたが、誰も気分を悪くしたりはしなかった。
ようやく、結論が出たのだ。それも悲しい結論ではない。みんなで幸せになろうという、前向きな結論だ。いがみ合って物別れに終わり、本当に離ればなれになってしまう可能性もあったことを考えれば、それはまるで奇跡のように思えた。
葛藤も回り道も衝突も、すべてはこのためにあったのかもしれない。カムイはそんなふうに思った。彼だけではなく、呉羽もカレンも似たようなことを思っていた。彼らは一夫一婦制の世界から来た。それが常識で、それが倫理だった。そんな彼らが三人でお付き合いするという飛び切りの非常識を受け入れるためには、この壮大な回り道がきっと必要だったのだ。
「それでね、カムイ。お願いがあるの」
三人でお付き合いすることが決まったそのすぐ後に、カレンが赤い顔をしてそんなことを言い出した。何事かと思いカムイが無言で続きを促すと、彼女は恥ずかしそうにして視線をそらしつつこう言った。
「キス、して欲しいの」
一瞬、カムイの思考が停止する。そして何を頼まれたのか理解すると、途端に彼の顔もまるで茹でタコのように赤くなった。彼が絶句していると、躊躇っているとでも思ったのか、カレンはさらに顔を赤くしながら自爆気味にキスをねだる理由をこう説明する。
「だ、だって、あたしまだキスしてないもん! く、呉羽はもう済ませたのに!」
「あ、あれは酔った勢いというやつで……!」
「でも、ちゃんと覚えてる。呉羽も、カムイも」
だから自分も、とカレンはねだった。少し不安げな顔で上目使いに見上げてくる彼女は、かつてないほど可愛く見える。あるいはこの瞬間こそが、初めてカムイがカレンにときめいた瞬間だったのかもしれない。
「だ、だからね、その、ん……」
ほとんどやけくそ気味になりながら、カレンは目を瞑って唇を突き出した。ここで悪戯したら、たぶん一生許してもらえないだろう。カムイは頭の片すみでそんなことを考える。ちらりと呉羽のほうへ視線をやると、彼女はたおやかに微笑んで小さく頷いた。
それからカムイはカレンの唇に自分の唇を触れさせた。触れ合うだけの、簡単なキス。けれどもありったけの想いをのせたキスだ。
やがてキスに満足すると、カレンは唇を離した。そして自分の唇に指を当てながら、蕩けそうな笑みを浮かべる。これが彼女のファーストキスだった。
それからカムイは呉羽にねだられて、彼女ともキスをした。彼女の場合も、酔った勢いに任せないキスは、これが初めてである。
ここまでは、とても甘い雰囲気だった。そう、ここまでは。
「でもやっぱり、節度というか、ルールは必要よね」
突然、素面に戻ったような顔をして、カレンがそう言い出した。突然の変わり身にカムイは呆けるが、しかしそんな彼を尻目に呉羽もまた彼女の言葉に「うんうん」と頷く。
「そうだな。節度は大切だ」
「あたしも、三人でっていうのは現状での最善だと思うわ。だけど、コレってやっぱり例外だと思うのよ」
「その通り。先例にしてはいけない」
「歯止めは大事よね。際限なく増えていくなんて、破滅と破綻への第一歩だわ」
「花は水をあげないと枯れてしまうんだ、分かるだろう?」
「つまりね、三人目は絶対なしよ」
「わたしも、ハーレムはイヤかなぁ……」
「もしそれを破ったら……」
「破ったら……」
カレンと呉羽は妙に圧力のある笑顔を浮かべながらカムイに迫る。そして反射的に腰を浮かせかけた彼の肩を、二人でほぼ同時にガシリと掴んだ。彼女達の圧力と肩の痛みにカムイは冷や汗を流し、そして……。
― ‡ ―
「で、どうなったんだ!?」
酔っ払いがカムイに絡む。夕方、カムイたちがリビングに降りてくると、そこにはすっかりと出来上がったアーキッドたちがいた。酔っていたのは男連中だけだが、酔っているヤツがいるだけで場の雰囲気は適当になる。今朝のことへの謝罪もなんだかグダグダな感じになり、カムイは緊張していたのがなんだかバカらしくなってしまった。
そうして油断したのがいけなかったのか、彼は酔っ払いどもにあっさりと捕まってしまった。ちなみにカレンと呉羽はミラルダのところへ避難している。もっとも、避難と言うよりは女郎蜘蛛の巣に自ら飛び込んだというべきかも知れないが。まあそれはともかく、根掘り葉掘り聞かれて冒頭に至る、というわけだ。
「破ったら、『斬りおとして、焼き払ってやる』だそうで……」
「ナニを!?」
酔っ払いどもが揃って大爆笑する。カムイはもう無我の境地だ。ちなみにナニを斬りおとして焼き払うのか、彼は恐ろしくて聞いていない。まあ、想像が付くからこそ恐ろしいのだが。
「まあ、なにはともかく、丸く収まってくれて良かったぜ。……コイツを見つけたときは、どうなることかと思ったからな」
ひとしきり笑ったアーキッドが、そう言って取り出したのは一枚のメモ用紙だった。つまりカムイが残していった書置きである。アーキッドがちゃっかりと回収していたのだ。彼が手に持ったそのメモ用紙をヒラヒラと振って見せると、カムイの顔は瞬く間にわなないた。
「ちょ……! それぇ!? 返してくださいよ!?」
「ほい、ミラルダ。パス」
思わずカムイはアーキッドに掴みかかるが、しかし彼は酔っ払いにあるまじき素早さでメモをミラルダに渡してしまう。メモを受け取った彼女は、あろうことかそれを大きく露出した胸の谷間にしまいこんだ。それから挑発するかのように、あるいはからかうかのように、腕で胸を強調してみせる。そして妖艶な流し目をカムイに向けてこう言った。
「どうじゃ、取ってみるかえ?」
もちろん、彼にそんな度胸があるはずもない。ついでに言えば、ものすごい形相で睨んでくるカレンと呉羽がおっかない。彼はおおいに動揺しつつ、メモの回収を断念するのであった。
(なんにしてもまあ……)
長い、長い一日だった。夜逃げじみた逃避行から始まり、アストールにボコられ、呉羽とカレンの決闘を止め、土下座して、三人で話し合い、そして晴れて彼女たちとお付き合いをすることになった。
一日の半分、いや三分の二くらいは醜態を曝し続け、黒歴史を量産した挙句にその遺物を人手に渡してしまった。この先もそれをネタにして弄られることだろう。だが、その果てにたどり着いた結末は最良である。
(まあ、終わりよければ全て良し、ってことで……)
カムイは内心でそう呟く。それで納得してしまえるのも、あるいは「惚れた弱み」というやつなのかも知れなかった。
第八章― 完 ―
そんなわけで。
第八章、いかがでしたでしょうか?
今回はあんまり、思うようには行かなかったです。
恋愛モノはやっぱり難しい。
次は〈魔泉〉にアタック! のつもりです。
どうぞ気長にお待ちください。




