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世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
壮大な回り道
107/127

壮大な回り道8


「カムイ君、お水です。どうぞ」


「どうもです……」


 カムイはそう言ってアストールから水の入ったペットボトルを受け取った。そしてまずは口をすすぐ。ペッ、と口の中の水を吐き出し、それから改めてペットボトルの水を飲む。半分ほどを飲み干したところで、カムイはようやく一息ついた。


 アストールの一撃で意識を刈り取られたカムイは、実はその後すぐに跳ね起きていた。なぜかと言うと、瘴気のためだ。意識を失えば、スキルも使えなくなる。つまり〈白夜叉〉の効果が消えるのだ。


 そのせいでカムイは高濃度瘴気の影響をもろに受けた。跳ね起きたのも、強烈な吐き気に襲われたからである。ただカムイは嘔吐しなかった。意地でこらえ、飲み込んだのだ。そのせいで口の中がかなり酸っぱいことになり、最悪の目覚めと合わせて思いっきり顔をしかめていたところにアストールから水を渡された、というのが気絶してからここまでの流れだった。


「落ち着きましたか?」


「はい、ありがとうございました」


 カムイはアストールにそう答え、それからペットボトルを差し出したのだが、彼が手を振ったのでそのまま自分のストレージアイテムにしまった。それから何となく話題がなくて、二人は揃って黙り込む。なんとなく居心地が悪くて視線を動かすと、カムイはあるものを見つけた。


「杖、折れちゃいましたね……」


 真ん中から折れてしまったアストールの杖を見て、カムイは少し申し訳なさそうにそう呟いた。彼が使っていた杖は【天元樹の杖】といい、たしか1,000万Pt以上もする高価なものだ。もともとは瑞々しい葉が生えた不思議な杖だったのだが、折れてしまったせいなのか、今はその葉もすべて枯れてしまっている。当たり前だが、もう使い物にはならないだろう。


 アストールの杖が折れてしまったのは、その杖でカムイの頭を強打したからだ。決して彼が石頭だったというわけではない。それだけ強烈に痛打した、ということだ。身体能力を強化する支援魔法〈アクセル〉の面目躍如と言えるだろう。


 それほどの強打にも関わらずカムイが気絶するだけで済んだのは、薄くなっていたとはいえ〈白夜叉〉のおかげだろう。出来ていたたんこぶも、現在進行形で治癒が進んでいる。こちらはユニークスキル【Absorption(アブソープション)】の力だ。


 まあそれはそれとして。折れてしまった杖を見下ろすアストールの顔には、しかし晴れやかな笑顔が浮かんでいる。そしてカムイにこう応えた。


「それでカムイ君を引き止められたのですから、安いものですよ」


 それを聞いてカムイは苦笑を浮かべた。実際のところ、彼が今すぐに全力疾走してこの場を離れれば、アストールは追ってこられないだろう。仮に追いすがってきたとしても、杖を失った彼は戦闘能力が格段に低下している。カムイの頭も冷えたことだし、諸々の手札もネタバレしている。今度こそ彼を捕まえることは不可能だ。


 ただカムイにはもう、その気はなかった。格下と、少なくとも正面切って戦えば確実に勝てると侮っていたアストール相手に、しかし完敗してしまった。そのことで心が折れたというか、それこそ頭が冷えたのだ。


 ただその一点において、アストールの目的は完全に達成されたと言っていい。そしてそのためならば、いくら高額とはいえ杖の一本程度、決して高くはないと彼は本気で思っていた。……まあ、そこには現在尋常じゃなく稼げていて、カムイがいればそれが継続できるという事情も関係しているのだろうが。


「……それで、改めて聞かせてもらえませんか。どうして、こんなことを? やっぱり、クレハさんとカレンさんが関係しているんですか?」


「そう、ですけど……。あの、そんなに分かりやすかったですか……?」


「ええ、それはもう」


 アストールがそう言ってにんまり微笑むと、カムイは思わず手で顔を覆い空を仰いだ。彼とやりあう前にも同じような会話をしたが、冷静になってしまった今では恥ずかしさが段違いだった。


 アストールの話では、ほぼ全てのメンバーにバレバレの状況であったという。ここ数日一体どんな目で見られて、いや見守られていたのかと思うと、ちょっとのた打ち回りたくなってくる。


 それこそ逃げ出したい気分だ。「穴があったら入りたい」とはこういう事を言うのだろう。カムイはものすごく納得した。そしてそんな彼を見てこのままでは話が進まないと思ったのだろう。アストールはズバリとこう切り込んだ。


「お二人から告白でもされましたか?」


「まあ、そんな感じ、です……」


 そんな感じというか、まさしくそうなのだが。それをはっきりと認めるのもなんだか気恥ずかしくて、カムイは少しだけ言葉を濁した。そんな彼にアストールはさらにこう尋ねる。


「まずそもそものところを聞きたいんですが、カムイ君は二人のことが好きなんですか?」


「好きか嫌いかなら、そりゃ、好きですけど……」


 カムイはまた言葉を濁す。それは彼の精神的逃げの態度の現われだった。しかし事ここに至ってしまっているのだ。アストールに彼を逃がしてやる気はない。彼はさらにこう踏み込む。


「では一人の女性として、お付き合いする相手としてはどうなんです?」


「それは……」


 誤解や曲解を許さないその問い掛けに、カムイは言葉を詰まらせた。いや、答えを言いよどんだというべきか。つまり彼は返答をちゃんと持ち合わせていたのだ。


 カムイだって年頃の男の子だ。異性とお付き合いをしてみたいという願望や欲求は、当然のように持ち合わせている。その相手として呉羽やカレンのことを思い浮かべるというのは、彼にとってごく自然なことだ。いや、その二人以外には考えられない、といった方が正しい。


 それこそ一生を添い遂げるような意味で二人のことを愛しているのかと言われれば、その実感はまだない。だが彼女達のことを好ましく思っているのは事実だ。もしこの世界にカレンと呉羽のうちのどちらか一人しかいなくて、その一人から告白されたならば、カムイも悩むことなく返事が出来ただろう。もちろん「OK」の返事を。


 そのへんの心情を、カムイは何一つ言葉にはしなかった。もちろん気恥ずかしかったからだ。ただそれでも二人のことを憎からず思っていることは、アストールにバッチリと伝わったらしい。彼はにんまりとした笑みを浮かべてしみじみと頷いた。


「なるほど、なるほど。それでお二人には、どう答えたんです?」


「それは……、その……」


「……なるほど。答えられなくて、それで、ということですか」


 呆れた様子でアストールがそう言うと、カムイは「う……」と言葉を詰まらせた。まったくの図星なのだが、しかし彼にも言い分というものがある。彼はすこし拗ねたようでこう弁解を始めた。


「仕方ないじゃないですか。だって……」


 事情を話すことをさんざん渋ったカムイだったが、しかし一度話し始めると言葉はつっかえつっかえでも途切れることなく出てきた。同じことを繰り返していたり、内容が前後したりするが、それでもアストールはカムイの話を辛抱強く聞く。そして一通り聞き終えると、彼は苦笑しながらこう言った。


「馬鹿ですねぇ……」


 その身も蓋もない感想にカムイはまた「う……」と言葉を詰まらせた。実際、馬鹿なことをしたという自覚はあるので言い返せない。そんな彼に、アストールは苦笑したままさらにこう尋ねた。


「話し合おうといわれたのでしょう。どうして、話し合う前にこんなことを?」


「それは……。だって結局、どちらかを選ぶとか、そういう話の流れになるんじゃないかと思って……」


「馬鹿ですねぇ……」


 もう一度、アストールはそう言った。ただし今度は、微笑ましいものを生暖かく見守るような雰囲気だ。正直なところ、カムイにとってはこちらのほうが居心地が悪い。それを誤魔化すために彼はこう文句を言った。


「馬鹿馬鹿言わないでくださいよ」


「これは失礼」


 口を尖らせるカムイに、アストールはそうおどけたように応えた。とはいえ彼の雰囲気は相変わらずで、どこまで本気か分かったものではない。カムイが少し拗ねたような顔をすると、彼はますます笑みを深めた。そしてさらにこう言葉を続ける。


「ですが、話し合いをしなかったのは、やっぱりうまくないと思いますよ」


「う……。それは、まあ、はい……」


「それに結論が分かりきっていると考えるのも、ちょっと傲慢に思えます」


「それは! そんな、つもりじゃ……」


 そう言い訳するカムイに、アストールは一つ頷いた。彼にそういうつもりがないことは、アストールも分かっている。ただ本人にそのつもりがなくても、はたからはそう見えることは良くあるのだ。


(まあカムイ君の場合は、傲慢と言うよりは優しいんでしょうね……)


 アストールはそんなふうに思った。彼の目から見ても、呉羽とカレンがカムイに懸想しているのは明らかだ。もし一人を選べば、もう一人は深く悲しむだろう。それが分かるから、悲しませたくないと思ってしまう。優柔不断と言われても仕方がないが、その根底にあるのは確かに優しさだった。


 けれどもそれは、独りよがりの優しさだ。分かった気になって、思いやった気になって先走り、結局呉羽やカレンの気持ちを無視してしまっている。いや、二人の気持ちだけではない。カムイは彼自身の気持ちさえ無視して押し殺してしまっている。アストールはそんなふうに感じた。


「結局、どうなることがカムイ君にとっては理想的なんですか?」


「それは……、その、三人で、前みたいに……」


「ですが話を聞く限り、それはもう無理だと、自分でも分かっているのでしょう?」


 アストールがそう尋ねると、カムイは少し険しい顔をしながら一つ頷いた。そんな彼に対し、アストールはさらにこう尋ねる。


「ではそれを踏まえて、カムイ君はどうしたいんですか?」


「それは……」


 カムイが言いよどむ。その様子は答えを持っていないと言うよりは、答えそれ自体を言いよどんでいるようにアストールには見えた。そのことに彼は少しだけ安心する。そしてこう言葉を続けた。


「カムイ君は、もっと我儘を言っていいと思いますよ」


「我儘、ですか……?」


「ええ。それを譲らないのはまた話が違いますが……、自分の我儘な願望を正直に言うことも、時には大切だと思いますよ。言ってもらわなきゃ分からないことの方が多いんですから」


 そう話すアストールの口調は、少し自嘲気味だった。恐らく、過去に何かあったのだろう。あるいはその過去こそが、彼がこのデスゲームに参加した理由なのかもしれない。ただカムイは自分のことで頭がいっぱいで、そのことには気付かなかった。


(我儘な、願望……)


 言われてみて、カムイははたと気付く。そういえば、「こうしたい」というものを自分はあまり考えていなかった、と。


 昔みたいな関係に戻りたい、とは思っていた。ただ同時に、それがもう不可能であることも分かっていた。願望というよりは幻想だ。ではカレンと呉羽のことをひとまず脇に置き、実現可能な範囲でカムイが抱く「我儘な願望」とは一体何か。


「……っ!?」


 真面目に考えていたカムイは、直後自分の頭に浮かんできたその願望に思わず顔を赤くした。本当に、どうしようもなく自分勝手で、カムイにばかり都合のいい、我儘な願望。そんな願望しか出てこない自分が、いっそみっともなくすらある。話すことなく黙っておいた方が良さそうな気がするが、しかしそんな彼の内心をアストールは斟酌してはくれない。


「……それを、まずはお二人に言ってみてはどうですか?」


 アストールにそう勧められ、しかしカムイは非常にしょっぱい顔をした。こんな願望を二人に告げた日には、一体どんなことになるのやら。殺されてしまうかもしれない、とカムイは本気で思った。


「土下座したら許してもらえるでしょうかね……?」


「その、ドゲザ、というのは?」


「この場合は……、最上級の謝罪、ですかね」


「そうまでして許してもらわなければいけないようなことなんですか……?」


 怪訝な顔をするアストールに、カムイはどこか引き攣った顔で頷きを返す。それを見て彼は「おやまあ……」と呆れたように呟いた。ともあれ伝えたい言葉があるのなら、伝えておくべきなのだ。伝えたくても伝えられない、そんな日が来る前に。その後悔とも信念とも言うべき想いを、彼はこんなふうに言葉にする。


「それでも、伝えておかなければ後悔するんじゃないんですか?」


「…………」


 アストールの問い掛けに、カムイは少々気まずげな顔をして視線をそらした。それをアストールは肯定だと解釈する。それで一つ頷いてから、彼はさらにこう言葉を続けた。


「それじゃあ、帰りましょうか?」


「そう、ですね……」


 まだ少し戸惑いながらも、カムイはそう答えた。逃げようと思えば逃げられるだろう。【Absorption(アブソープション)】と〈オドの実〉を全開にしてこの場から離れるのだ。彼が本気で逃げれば、アストールは追って来られない。


 しかしカムイにもうその気はなかった。呉羽とカレンに、こんなみっともない自分を好きだと言ってくれたあの二人に、伝えなければいけない事があるのだ。そこから逃げるわけにはいかない。


(もう愛想尽かされてるかもしれないけど……。まあそれも含めて土下座かなぁ……)


 内心でそう呟き、カムイは苦笑した。そしてゆっくりと、しかししっかりとした足取りで歩き出す。向かう先は、もちろん【HOME(ホーム)】だ。そんな彼の後に、アストールが静かに続く。彼の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。



 ― ‡ ―



「「はあはあはあ……」」


 二人の少女、カレンと呉羽は肩で荒い呼吸をしていた。お互い相手の出方を窺いながら、それぞれ乱れた呼吸を整える。ただ二人とも、すぐに動けるだけの余力は残してある。気は抜かず、集中力は高めたまま。構えは解かず、隙も見せない。


 彼女たちの戦いは続いていた。どれくらい戦っているのか、二人とも時間の感覚は曖昧だ。一時間も戦っているような気もすれば、ほんの十分くらいのような気もする。それだけ高い集中力を維持し続けているのだ。「これこそ恋する乙女の底力」と言ったら、カムイは一体どんな顔をするだろうか。


 優勢なのは、やはり呉羽のほうだ。しかし優勢なだけでもある。粘るカレンを振り払えずにいる。そもそもイスメルから手ほどきを受けるカレンにとって、格上との戦いはそれこそ日常茶飯事だ。


 つまり慣れている。その辺の事情はアストールと似ていると言っていいだろう。相手が自分より強いからと言って、諦めることも心が折れることもない。そんな柔な稽古はしていないのだ。


 実際、カレンの眼は劣勢に追い詰められている者の眼ではない。アレは粘り強く勝ち筋を探る眼だ。油断すればたちまち趨勢をひっくり返されてしまうだろう。呉羽は気を引き締めた。ただそれでも、気はせる。


(カムイは、今どのあたりだ……?)


 呉羽はふとそんなことを考えた。この世界に道路はない。しかもカムイがどこへ向かったのか、それさえもはっきりとは分からない。〈魔泉〉に近づく真似はしないだろうからその反対方向なのだろうが、それにしたって範囲は広すぎる。


 アストールの足止めもあまり長い時間は期待できない。少なくとも呉羽はそう考えている。早くしなければカムイはどんどんと離れて行ってしまい、見つけて追いつくのはますます難しくなる。下手をすれば二度と会えないかもしれないのだ。それが彼女の心を焦らせた。


 その一瞬の隙をついて、カレンが仕掛ける。彼女はまだ拙いながらも〈瞬転〉を使った高速移動で一気に間合いを潰し呉羽の懐へ潜り込む。しかし呉羽もそう簡単にやられたりはしない。


「くっ」


 わずかに顔を歪め、呉羽はひとまずカムイのことを頭の片すみに追いやった。そして突っ込んでくるカレン目掛けて愛刀【草薙剣/天叢雲剣】を振り下ろす。その鋭い一撃を、カレンは双剣を交差させて防いだ。


「はあああああ!」


 裂帛の声を上げながら、カレンは身体のバネを使いつつ、交差していた双剣をそれぞれ左右に大きく振るって呉羽の愛刀を弾く。さらに身体を伸ばしたその勢いを利用して蹴りを放つ。


 こういう泥臭いながらも戦い慣れが感じられる攻撃も、イスメルとの稽古の成果と言っていい。ただし彼女から習ったわけではなく、カムイの戦闘スタイルを参考にしたものだ。双剣士としてどうなのかとも思うが、師匠であるイスメルが何も言わないのだからそれでいいのだろう。


 呉羽は片手を愛刀から放し、その腕を折り曲げるようにしてなんとかカレンの蹴りを防御した。ただし衝撃そのものまでは防げない。脇腹がきしむのを感じ、彼女は「ぐっ」と呻き声を漏らして顔をしかめた。


 いつもよりダメージが大きい。防具を身につけていないからだ。これまで装備品に頼って戦っていたつもりはないが、高価なものを揃えただけあって、やはり思う以上にその恩恵は大きかったらしい。


 しかしだからと言って、呉羽は身支度を整えなかったことを後悔したりはしていなかった。なにしろカレンは軽装なのだ。装備を整えていては、装備品の力で勝ったように見えてしまう。自らの力で正々堂々と戦いそして勝ってこそ、カムイの隣に場所を得ることができる。この戦いの意味を、呉羽はそんなふうに解釈していた。


 さてカレンの蹴りを防御したことで、呉羽は少なからず体勢を崩していた。それを好機と見たカレンは鋭く踏み込み、フェイントを織り交ぜつつ双剣を連続して振るう。しかし呉羽はその全てを愛刀で払いのけた。彼女の眼に動揺した様子はない。むしろその眼は冷徹にカレンを見据えていた。


(手数はこっちの方が多いのに……っ)


 カレンは内心である種の理不尽さを噛み締めた。分かっていたことだが、戦闘能力はもちろんのこと、純粋な剣腕でも彼女は呉羽に及ばない。もちろん最初に模擬戦をした時と比べれば、その差は縮まっている。ただ彼女が成長しているように、呉羽もまた強くなっているのだ。実際、ここまでずっと劣勢である。そしてこの先も、少なくともこの戦いの間中、それは変わらないだろう。


(それでも……!)


 諦めるわけにはいかない。いや、諦められない。その想いがカレンを動かす。しかし彼女自身が認めるように、想いはあっても実力が追いつかない。やがて双剣は空を切ることが多くなり、ついに呉羽が反撃に移った。


 白刃がカレンを下から襲う。彼女は咄嗟のバックステップでその一閃を回避した。そしてそのまま一旦後退して距離を取る。それを追うようにして呉羽は〈風切り〉を放った。


「こん、の……!」


 迫り来る風の刃に対し、カレンは左手の双剣を振るった。刃にしっかりと魔力がのせられたその一閃で、彼女は呉羽の〈風切り〉を切り払う。しかしその一撃はただの牽制だった。そのすぐ後ろに、呉羽が距離をつめて迫って来ていたのである。


「〈風刃乱舞〉!」


 腰だめの状態から居合い気味に、呉羽は愛刀を振るう。白刃は空を切るが、しかし生み出された無数の風の刃がカレンに襲い掛かる。彼女は反射的に双剣を振るってその内の幾つかは切り払ったが、すべてに対処することはできない。残った風の刃は彼女の身体を滅多打ちにした。


「ぐぅ……!」


 カレンはうめき声を漏らす。顔にも当ったようで、口の中に血の味がした。ただ、これでも手加減されている。本来なら滅多打ちではなく滅多切りにされているところだ。殺すつもりはない、ということだろう。


 ただその一方で、カレンは呉羽がギアを一つ上げてきたのを感じていた。つまり力づくで叩き潰しにかかってきた、ということだ。ごり押しされればカレンの勝ち目はさらに薄くなる。それは二人の共通認識だ。しかし、そこにしか付け入る隙はないように彼女は思った。


 カレンは双剣を振るって〈伸閃〉を放つ。まずは縦に一閃。呉羽が身体を捻ってそれを回避すると、今度は横にもう一閃。【草薙剣/天叢雲剣】によって難なく防がれるが、カレンの連撃はまだ止まらない。次は足元を刈るように、低い斬撃を放つ。それを呉羽はほぼ反射的にジャンプしてかわした。


「ちっ……」


 攻撃を回避したはずの呉羽は、しかし空中で顔をしかめた。思わずジャンプしてしまったが、地に足がついていない状態では動きが大きく制限される。そこを狙い、カレンは横薙ぎに〈伸閃〉を放った。


 迫り来る不可視の残撃を、呉羽は空中で身体を捻り背面飛びに似た感じで回避する。しかもそれだけではなく、さらに彼女は愛刀を振るって反撃を試みた。振るわれた白刃の切っ先が地面に触れる。その瞬間を見極め、彼女は愛刀に力を込めた。


(〈風切り〉!?)


 カレンがまず警戒したのは風の刃を飛ばす剣技。しかしその予想は外れた。呉羽が使った剣技は〈地走り〉。三つの斬撃が地面を削りつつ、ヘビのように不規則な軌道を描いてカレンに襲い掛かる。


 その攻撃に対しカレンは一瞬だけ思案し、そして真正面から突っ込んだ。決して自暴自棄になったわけではない。彼女はタイミングを見極めると、幅跳びの要領で大きく跳躍した。空中で膝を抱え地面からの距離を稼ぐ彼女の下を、〈地走り〉の斬撃が通り過ぎていく。


 攻撃を回避した彼女はしかし表情を緩めることなく、むしろ腕を交差させて双剣を構え、着地と同時に〈伸閃〉を放った。そして地面を蹴って前に出る。そんな彼女を、呉羽は愛刀を正面に構えて待ち受けた。


「はああああああ!」


「やああああああ!」


 二人の少女の裂帛の声が重なる。双方の白刃がかみ合って火花を散らす。激しい剣舞が始まった。


「ぐぅ……!」


 うめき声を上げるのはカレンの方だ。呉羽の振るう白刃そのものはちゃんと防いでいる。しかし彼女が〈風刃円舞〉によって撒き散らす風の刃には対処の手が回らない。それでも一部ならば対応は可能だろう。すべては無理でも、一部でも防げばその分ダメージは緩和されるはずだ。


 しかしカレンはその一部さえも防ごうとはしない。当れば致命傷となる【草薙剣/天叢雲剣】の白刃だけは回避するなり防ぐなりするが、〈風刃円舞〉で巻き散らかされる風の刃はすべて無視した。そうやってひねり出した余力を、彼女はすべて攻撃に回す。ほとんど捨て身と言っていい。


「カレン、もう止めろ! そんな無茶を続けたら……!」


 さすがに見ていられないと思ったのか、彼女の双剣を受け止めつつ呉羽はそう叫んだ。しかしその忠告も無視して、カレンは双剣を振るった。形振り構わないその姿に、呉羽は顔を歪める。それを見てカレンは胸の奥がちくりと痛んだ。


 卑怯なマネをしている、という自覚はある。こうして捨て身の攻撃ができているのは、そもそも呉羽が手加減してくれているからである。さきほどの〈風刃乱舞〉もそうだが、手加減せずに〈風刃円舞〉を使われていたら、カレンは今ごろバラバラの惨殺死体になっていたに違いない。


 呉羽はカムイのことを諦めてはくれないだろう。しかしだからと言って彼女もカレンを殺したいわけではない。だから決して退きはしないだろうが、しかしその一方で致命傷を与えないように気を配っている。


 油断と言うよりは、優しさだ。その優しさに、カレンは最大限付け込んでいる。今のこの戦いに限った話でない。今までずっと、そうやって呉羽には遠慮をさせてきた。ずいぶんと卑怯なマネだ。


(それでも……!)


 それでも傍にいたいと、自分を選んで欲しいと、そう願ってしまったのだ。


「やああああああ!」


 カレンは叫びながら剣を振るう。それを見て、呉羽は痛ましげに顔を歪めた。しかし彼女もまた、ここで退くという選択肢を持ち合わせない。鋭く愛刀を振り下ろした。カレンはその白刃を避けるが、放たれた無数の風の刃が彼女に襲い掛かりその身体を打ちのめす。威力は抑えられているが、技のキレそのものに陰りはない。


(失敗、しちゃったかなぁ……)


 満身創痍の中、カレンは胸中でそう呟き苦笑した。最初に婚約白紙撤回の話を呉羽に伝えたことだ。あれでもう彼女は遠慮しなくなってしまった。自責を感じることもなくなり、今こうしてカレンの前に立ち塞がっている。


 中途半端だな、とカレンは自分のことを思う。さんざん遠慮させて卑怯なマネをしてきたというのに、今更、それもこの重大な局面でそれを明かしてしまった。そのまま隠しておけば、この戦いももうちょっと楽だったかもしれないのに。やっていることがチグハグで、一貫性に欠け、中途半端だ。


(でも仕方ないか……)


 妙にさっぱりとした気分で、カレンは心の中でそう呟いた。そう、仕方がない。カレンだって呉羽のことは嫌いではない。むしろ、仲のいい友達だと思っている。その友達があんな辛そうな顔をしていたのだ。もしかしたら離ればなれになるかもしれないあのタイミング。そんな顔のままカムイを追わせるだなんて、友達甲斐がないではないか。


 それを貸しと思うつもりはない。贖罪のつもりでいて、実際にはただの自己満足だ。あそこできちんと告げたからこそ、カレンは開き直ることができたのだ。彼女にとってあの告白は、卑怯な自分を直視するために必要な儀式だったのである。


 さてそうしている間にも、カレンと呉羽の激しい剣舞は続いている。見かけの上では互角だったその剣舞は、徐々に呉羽のほうへ趨勢の天秤が傾いていく。カレンは捨て身で互角の状態を維持していたのだが、しかし捨て身であるがゆえにダメージの蓄積が早いのだ。そして蓄積されたダメージは動きを鈍らせる。当然の結果だった。


「ぐぅぅ……!」


 うめき声を上げながら、カレンは徐々に下がり始めた。それを見て呉羽は前に出てさらに圧力をかける。彼女の顔にははっきりと気遣いの色が浮かんでいる。「カレンのためにも早く終わらせる」。そう考えているのだと、良く分かった。


 完全な格下扱いだ。しかしカレンはそれを悔しいとは思わなかった。実際、それだけの実力差がある。だがそんなことは最初から分かっていた。呉羽が強いことも、自分が弱いことも、そして二人とも諦められないことも。全部、そんなことは最初から織り込み済みなのだ。


 カレンが一歩下がれば、呉羽も一歩踏み込む。二歩下がれば、三歩踏み込んで圧力をかける。カレンは徐々に踏みとどまれなくなり、双剣を振るうたびに彼女は後ろへと下がっていく。そう、彼女が思い描いたシナリオ通りに。


(ここっ!)


 そして最後のタイミングを見極め、カレンは後ろへ大きく跳躍した。追って来い、と強く心に念じながら。しかし……。


「これが、カレンの切り札、か……」


 どこか感心した様子で、呉羽はそう呟いた。着地したカレンは、呉羽との間合いが開いていることに、つまり彼女が自分を追って来なかったことを悟り、悔しげに顔を歪ませる。それからため息を吐いて肩をすくめ、呉羽にこう尋ねた。


「いつ気付いたの?」


「何時と言うのなら、ついさっきだな。ただ何かあるとは、ずっと思っていた。カレンの眼は、諦めたようにも自棄になったようにも見えなかったから」


「そっか……。嬉しいような悔しいような……。ちょっと複雑だわ」


「わたしも一つ聞いていいか?」


「なに?」


「いつから、これを考えていたんだ?」


「最初から、よ」


 カレンがそう答えると、呉羽は驚いたように目を見開き、それから小さく苦笑して頭を振った。


「無茶をするなぁ」


「こうでもしなきゃ、勝てないと思ったのよ。まあ、結果的にダメだった見たいだけど」


 そう言いつつも、カレンの声に卑下したところはない。少なくとも勝つために、諦めないために全力を尽くした。彼女にはその自負がある。もっとも、それが眼に現れそこから策に勘付かれたというのであれば、それはもう皮肉としか言いようがない。


 カレンの切り札と言うべき策。それを一言で説明するなら「誘導」だ。


 呉羽に対し正面からぶつかった場合、自分にほぼ勝ち目がないことをカレンはちゃんと自覚していた。ユニークスキル、剣術の技量、実戦経験、そして才能。そのどれを取っても、カレンは呉羽に及ばない。それが客観的事実であることを、彼女は認めざるを得なかったのだ。


 しかしだからと言って、それが諦めることにはつながらない。むしろそれを認めたからこそ、彼女は細くとも勝利への筋道を見つけることができたのだ。


 呉羽と戦った場合、自分は劣勢となるだろう。しかし劣勢となれば、ごく自然に後ろへ下がることができる。呉羽は下がる自分を間違いなく追って来るだろう。であるならばそのまま誘導してしまえばいい。そう、【HOME(ホーム)】の領域の外、高濃度の瘴気が渦巻く死の世界へ。


「わたしにコレがあるように、カレンにもユニークスキルがある。普段お世話になっているのに、忘れていたよ」


 呉羽は自分の愛刀【草薙剣/天叢雲剣】を示しながらそう言った。できればそのまま忘れていて欲しかった、というのがカレンの素直な感想である。


 カレンのユニークスキルは【守護紋】といい、その能力は【自分を含めマーキングした対象を瘴気の影響から完全に守る】というもの。つまり彼女は【HOME(ホーム)】の領域の外へ出ても高濃度瘴気の影響を受けないのだ。呉羽にもマーキングはしてあるが、それは彼女の意思で解除できる。実際、すでに解除済みだった。


 後退を繰り返し、呉羽を【HOME(ホーム)】の領域の外へ誘導する。高濃度瘴気のただなかへ連れ出してしまえば、どれだけ戦闘能力が高くても意味はない。逆転は容易い。それがカレンの切り札と言うべき策だった。


 ただ後退は自然に行わなければ勘付かれてしまう。劣勢は演技ではないとはいえ、あからさまに下がれば不審に思われる。後退に説得力を持たせるためには、ある程度ダメージを受ける必要があった。


 カレンが手加減されていたとは言え風の刃をほとんど無視していたのは、そういう事情もあったのだ。痛いが死ぬ事のない攻撃と言うのは、彼女の策にとってむしろ都合が良かったのである。


 しかしその逆転の秘策も、こうしてあえなく潰えてしまった。今カレンは【HOME(ホーム)】の領域の外にいるが、しかし呉羽はまだ内側にいる。二人の間には何もないように見えて、実際には壁がある。策は勘付かれ、彼女はカレンを追ってその外へは出なかった。そして一度勘付かれた以上、この策はもう使えない。かといってこれ以外に逆転の策はない。カレンは完全に手詰まりの状態へ追い込まれた。


(まいったなぁ……)


 嘆息しつつ、それでもカレンは双剣を構えた。もはや勝ち筋は見出せない。それでも彼女は最後まで足掻くつもりだった。無駄でもいい、滑稽でもいい。ただ自分から諦めることだけはしたくなかった。


「カレン……、もう、止めにしないか……?」


 策が破れてなお戦おうとするカレンを見て、呉羽は少し辛そうにしながらそう言った。それに対し、カレンは柳眉を跳ね上げる。


「馬鹿にしないで!」


「馬鹿になんてしていない! だけどいくらカレンにその気があっても、もう武器がついてきていないんだ。頼むから、もう止めてくれ……」


 そういわれて初めて、カレンは自分の双剣を見た。きちんと手入れしていたはずのその武器は、しかし無数に刃こぼれ片方はヒビさえ入っている。おそよ実用に耐える状態ではない。それが自分と自分の想いの姿であるようにカレンには思えた。


「……それでも、それでもあたしは戦うわ。例え武器がなくなったって、戦う術がある限りあたしは諦めない!」


「……なら、わたしはその全てを砕いてカムイを追う」


「……なんで、呉羽が泣くのよ。バカ」


「バカは、カレンのほうだ」


 そう言って、二人の少女は最後に微笑みあった。先に動いたのはカレン。痛む身体に鞭打ち、彼女は鋭く前に出た。そして【HOME(ホーム)】の領域の中へと突撃する。〈伸閃〉は使えない。双剣にはもう、うまく魔力が込められないのだ。そんな彼女を、呉羽は愛刀を正面に構えて待ち受けた。


「やあああああ!」


 カレンが双剣を振るう。まずは左。そして次に右。その連撃を呉羽は愛刀で切り払う。すでに限界を迎えていた双剣はそれに耐え切れず、片方は折れ、もう片方は砕けた。しかしそれでも、カレンは止まらない。宣言したとおり、折られた、そして砕かれた双剣を呉羽に向かって突き出した。


「はあああああ!」


 声を上げつつ、呉羽は姿勢を低くして鋭く踏み込んだ。同時に愛刀を逆手に持ちかえる。狙うのは柄尻によるみぞおちへの一撃。一撃でカレンの意識を刈り取り、しかし必要以上のダメージを負わせることなくこの戦いを終わらせるための、そんな一撃だ。


 時間が引き延ばされる。二人の視線がゆっくりと擦れた。二人とも表情は厳しいが、目の奥には相手を讃えあう賞賛の色が浮かんでいる。この瞬間、二人はお互いの何かを分かり合えた気がした。


 そして近づく決着の瞬間(とき)


 その瞬間、白い影が乱入した。


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