壮大な回り道6
(どすりゃいいんだよ……)
途方に暮れたように、あるいは不貞腐れたように、カムイは心の中でそう呟いた。彼の視線の先では、デリウスとフレクが極大型のモンスターを相手に大立ち回りを繰り広げ、さらに呉羽が愛刀を構えてチャンスを虎視眈々と狙っている。今日は〈ゲートキーパー〉を討伐してから七日目。再出現はいまだ確認されず、カムイたちは今日も今日とて極大型の乱獲に勤しんでいた。
昨日の夜、カムイはカレンから告白された。返事はまだしていない。「まだいい」と本人に言われたからだ。けれどもそれは決して、彼を甘やかすためではない。むしろ逆で、呉羽のことも含めてちゃんと考えろといわれたのだ。
一晩、考えた。答えはまだ出ていない。というより、考えすらもうまくまとまらなかった。色々な考えや想い、感情や思い出が次々に湧いて来ては消えていき、そのたびに頭はかき乱されて混乱する。「コレはダメだ、一度寝よう」と思ったころには、もう部屋の外が白んでいた。
寝不足である。ただカムイの場合、大きな支障はない。彼のユニークスキル【Absorption】の能力は、【周囲に存在するエネルギーを集めて吸収し、自分の力とする】というもの。周囲には瘴気と言う名のエネルギーが潤沢に存在しており、それを〈オドの実〉を介して吸収しているので、一晩くらいの徹夜ならゴリ押しで何とかなってしまうのだ。
さらに言えば、極大型の乱獲において、カムイのポジションは魔力の回復係。つまり後方だ。この狩りは戦闘訓練をかねているので何度かは前に出るが、それでも前衛職のメンバーと比べればその負担はかなり軽い。
負担が軽い分、いろいろと考える余裕がある。考えなければならないのは、やはりカレンや呉羽のことだ。どうすればいいのか、そして自分は一体どうしたいのか、そんな疑問ばかりが頭の中でグルグルと回る。けれども一向に答えはでない。
「はあ……」
「どうかしたんですか、カムイ君」
カムイがため息を吐いたのを見て、アストールが彼にそう話しかけた。一瞬、カムイは彼に相談しようかとも思ったが、しかしすぐに苦笑を浮かべて「なんでもないです」と答える。これは自分で考えなきゃいけないことだと思ったのだ。
「そうですか。でも、相談ならいつでも乗りますから、遠慮しないでくださいね」
「……ありがとうございます」
柔らかい笑みを浮かべるアストールに、カムイはなんとかそれだけを返した。なんだか見透かされてしまっている気がする。だが深刻になっている時にそれっぽい言葉をかけられて、それを深読みしてしまうのはよくあることだ。それで彼はそれを気のせいということにして済ませた。
ともあれ、これ以上痛い腹をさぐられるのもカンベンだ。カムイはそのまま会話を打ち切って、視線を前線へ向けた。ちょうど極大型のモンスターを倒した後らしく、メンバーたちは笑顔を浮かべて拳をぶつけ合ったりしている。そしてその中にカレンと呉羽の姿もあった。
「はい、呉羽。どうぞ」
「カ、カレンか……。う、うん、ありがとう……」
カレンが呉羽にスポーツドリンクを手渡している。呉羽はどこかぎこちない様子だが、カレンは昨夜告白して吹っ切れたのかその表情は清々しい。二人は、多少よそよそしい感じはするものの、ここ数日のそれに比べればかなり自然だ。
いや、あえてこう言うおう。カムイはこう思ったのだ。二人とも前みたいだ、と。
普通に考えるなら以前と同じであるはずがない。彼女たちは彼女たちなりに葛藤を抱え、悩んで考え、その中でああして振舞っているのだ。自分のことで頭がいっぱいだったせいもあるのだろうが、「前みたい」というカムイの感想は、彼女達のそういう内心を無視して上っ面しか見ていないがためのモノと言えた。
「……ちょっと体動かしたくなったんで、前に出てきます」
「はい、お気をつけて」
そう言ったアストールに一つ頷きを返し、カムイは小走りになって前衛メンバーのなかに加わった。彼が前に来たので、フレクが後ろへ下がる。キュリアズとミラルダが【祭儀術式目録】のチャージをしている間に、カムイは【Absorption】と〈オドの実〉の出力を上げて〈白夜叉〉のオーラ量を増やす。そして半身像を形作った。
「……いきます」
前衛の準備が整ったのを見て取り、キュリアズが【ラプラスの棺】を発動する。カムイたちが見据える先でドーム状の結界が〈魔泉〉を塞ぎ、そして内部にたまった大量の瘴気がモンスターを生み出す。
「ギィィィィィイイイイ!」
耳障りな雄叫びにカムイは顔をしかめた。考えはまとまらない。頭の中は、まるでジグゾーパズルをぶちまけたみたいだ。そのせいでイライラする。分かっている。すべて自分のせいだ。だからこれは八つ当たりだ。
「とりあえずぶちのめす」
カムイは小さくそう呟き、そして半身像を操って極大型のモンスターを迎え撃った。
さて、この日もまた午前に十体、午後に十体の極大型モンスターを狩った。別に一日二十体までとルールを作ったわけではないのだが、諸々を勘案するとコレくらいがちょうどいいのだ。
稼いだポイントを分配し夕食を食べ終えると、カムイは早々に部屋へ引っ込んだ。アーキッドに「どうした?」と聞かれたが、彼は「寝不足気味で」と答える。ウソではなかったが、誤魔化した感が強い。一人になってから少し罪悪感が湧いた。
部屋に戻り、カムイはベッドの上に倒れこむ。なんだか無性に疲れた気がする。徹夜したから睡眠が足りていないのは事実だが、しかしそれ以上に精神的なもの、つまり気疲れだろう。考え続けて疲れてしまったのだ。
(それでもまだ結論出てないし……)
結論が出ないどころか、考えがまとまる気配すらない。考え始めたとたんに思考はグルグルと回り、整然とされていくどころか混沌としていく。こんな経験は彼にとっても初めてだった。
(でもちゃんと考えなきゃ……)
カムイは自分にそう言い聞かせた。そうやって考え続けた結果、昨夜は徹夜になったわけだが。しかし考えないわけにもいかない。答えを出さずにやり過ごせるとは、さすがに彼ももう思ってはいなかった。
(ここはシンプルに考えよう……)
つまり「自分の望みはなんのか?」ということだ。カレンと付き合いたいのか、それとも呉羽と付き合いたいのか、あるいはそのほかのことが望みなのか。そこがはっきりしないことには、答えなど出るはずもない。
(そもそも、オレって二人のことが好きなのかな……)
その答えはすぐに出る。「好き」か「嫌い」かで問われれば、答えはもちろん「好き」だ。そこだけは間違えようがない。
カレンとはもうずいぶん長い付き合いになる。しょっちゅうケンカもしたが、幼馴染なんてそんなものだろう。お互いにお互いの黒歴史を知りすぎているのが難点だが、それも含めてかなり気安い仲だ。彼女のこの世界に、いやこのパーティーにいてくれたことで、ホームシック的な寂しさはかなり和らいでいる。つまり、そういう仲だ。
また、カレンは植物状態になったカムイを毎日見舞いに来てくれた。死を願うような絶望的な状況の中で、その時間は言葉通り一縷の希望だった。それがなければあの一年間で彼の人間性はもっと鬱屈としたものになっていただろう。カレンには彼女が思う以上に大きなものを救ってもらったのだ。
そして何より、彼女はこのデスゲームに参加した。カムイを助けるためだ。それが彼には嬉しかった。「そんなことしなくていいのに」と思いつつ、しかし思い出せば頬は緩む。いい意味で知った気になって分かっていなかったような、そんな気分だ。そんな相手を嫌いになれるはずがない。
一方の呉羽だ。彼女とはこの世界で出会ったので、知り合ってからの時間はカレンよりもずいぶん短い。けれども一緒に過ごした時間の密度は相当なものだ。その経験はもとの世界で過ごした十六年分よりも濃いかもしれない。
長い距離を一緒に旅し、何度も肩を並べて戦った。今は十人以上のパーティーにいるが、一番自然に隣に立つのはやはり呉羽だ。それだけではない。彼女のおかげでカムイは今日まで生きぬいてこられた。彼はそう思っているし、それはたぶん客観的な事実だ。そして彼女にとっても自分がそういう存在であればいいとカムイは思っている。
「温泉テーマパークがこの世界を救うのだ」と本気で考えているような温泉狂で、リクエストしてまで温泉に入ろうとした時には本当に脱力した。今となってはいい思い出だ。瘴気ばかりの、気が滅入りそうなこの世界で、それでも鬱々とせずに笑うことができたのは、彼女が一緒にいたからかもしれない。
ちょっと天然で、心配になるくらい真っ直ぐで、でも脆い一面もある。そういえば、何度も泣かせてしまった。彼女を泣かせたくないと思って、ずいぶんと努力したものだ。そのおかげで今がある、というのはあながち間違ってはいないだろう。
「…………」
二人のことを考えれば考えるほど悩ましくなる。というか、少し論点がずれてしまっている。つまりこの場合重要なのは、カレンと呉羽に女性として好意を抱いているのか、お付き合いしたいと思っているのか、極端にして究極的なことを言えば愛しているのか、ということだ。
「…………」
気恥ずかしさから、カムイはわずかに顔をしかめた。答えは「Yes」だ。確かに彼は惹かれている。それも困ったことに、二人両方に。
カレンは婚約者だ。それほど真剣に考えていなかったのは事実だが、その言葉が意味する関係を意識したことがないといえば嘘になる。カムイがクラスの男友達連中ほど男女交際に興味がなかったのは、今になって思えばそもそもカレンが居たからなのだろう。
つまり心のどこかでは、すでに付き合っている気になっていたのだ。そんな気になっていたのだから惹かれていたのはいい訳が出来ないし、その気持ちはこの世界で再開してからずっと強くなり続けている。そう、カムイに自覚させてしまうほどには。
一方でカムイは呉羽にも惹かれている。惹かれ始めたのは、たぶん〈山陰の拠点〉に向かう前、まだ二人きりだったころだ。「わたしを一人にしないで」。そう言われ、涙を流しながら抱きついてきた彼女を見て、「ああ、コイツも女の子なんだな」と意識してしまったのだ。
呉羽は決して軽い女ではなかったが、カムイの知る女子たちと比べても感情表現がおおらかだった。嬉しければ抱きついていくる。そのくせ、ルペと温泉にはいったときには、水着姿をみられるのを恥ずかしがっていた。その上、酔っていたとはいえキスまでしてしまった。ちなみにファーストキスだ。カムイも健全な男の子だということを、彼女には意識してもらいたいところだ。
「おおぅ……!」
カムイは小さくうめき声を上げ、枕に顔を押し付けた。ここまで来ると、本当にもう言い訳ができない。カムイはカレンと呉羽に惹かれている。彼女達のことが好きなのだ。それをはっきり自覚してしまって、カムイは顔が熱くほてるのを感じた。
その一方で、彼が覚えるのは罪悪感だ。彼はカレンと呉羽の両方に惹かれている。一夫一婦制の社会で生まれ育った彼にとって、それは立派な不倫行為に思えた。だがそれでも、どちらがより好きなのか、決めることはできない。いや、それを考えること自体、二人に悪いような気さえした。
(比べて優劣つけるようなモンじゃないだろ……)
そう、思うのだ。そもそも人間なのだから、違っていて当然なのだ。そしてその違いは多様性であって優劣ではない。二人とも十分に魅力的だ。どちらを選ぶのかと言うのは、おこがましい話に思えた。
だが現実問題として、今カムイが置かれているのはそういう状況だ。心を決めろといわれている。そして彼自身、決めなければいけないと思っている。そうしなければ、三人の関係は崩れ去っていくだけだ。その危機感が彼を駆り立て、そして混乱させる。悪循環だった。
「……寝よう」
現実逃避気味に、カムイはそう呟いた。問題の先送りでしかないことは分かっているが、しかし働かない頭でこれ以上考えてもろくな結論はでないだろう。彼はそう言い訳して、今日はもう寝てしまうことにした。
システムメニューで【全身クリーニング】を使い明かりを消してから、のそのそとベッドにもぐりこむ。昨夜は徹夜しただけあって、一度そう意識すると強い眠気が襲ってきた。それに身を任せると、意識が徐々に沈んでいく。
(また前みたいにできたら……)
意識が徐々に遠のく中、カムイはふとそう思った。そして完全にまぶたを閉じる。彼の寝息が聞こえてくるまでに、そう時間はかからなかった。
そして翌朝、つまり〈ゲートキーパー〉を討伐してから八日目。昨日早く寝たためなのか、カムイは早い時間に目を覚ました。窓から外の様子を見てみると、漂う瘴気のせいもあってかなり暗く感じる。彼は身支度を整えてからリビングに向かったが、そこにはまだ誰もいなかった。
「…………」
静かなリビングの中、カムイは腰のストレージアイテムからメモ帳とボールペンを取り出す。そしてサラサラと何事かを書き記すと、そのメモ用紙を一枚テーブルの上に置いた。彼自身はリビングを通り過ぎて玄関へと向かう。そして誰にも何も言わず、【HOME】の外に出た。
リビングに残されたメモ用紙には、こう書かれていた。
「今までありがとうございました、さようなら。 カムイ」と。
― ‡ ―
歩き続けてどれくらい経っただろうか。周囲は薄暗いという程度にまで明るくなっていた。枯れ果ててしまった木々の間を、カムイは一人で歩いている。どこかへ向かっているわけではない。端的に言えば逃げている。それを自覚しているので、彼はみすぼらしい気分だった。
「仕方がない。もう、コレしかないんだ……」
弱々しく後悔の滲む声で、カムイはそう呟いた。彼がこんな突拍子もない、というか子供じみた逃避行に出た理由は、もちろんカレンと呉羽のことである。二人のことを考えて考えてよく分からなくなって、最後にポッと彼の頭に浮かんだのは「また前みたいにできたらいいのに」という願望だった。
ただ、それが不可能であることも分かっている。告白は無かったことにはならない。三人でもう前みたいな関係には戻れないのだ。それは十分に分かっているのだが、自分が原因でカレンと呉羽がギクシャクするのは見ていられない。
幸い、昨日の段階で二人の様子はずいぶん自然な感じに戻っていた。なら、原因である自分がいなくなれば、少なくとも彼女たちは前みたいな感じに戻れるのではないだろうか。カムイはそう考えたのだ。
傲慢な考えなのかもしれない。そうでなくとも、子供っぽい考えだろう。けれども今のカムイには現状をどうにかする方策がそれしか考え付かなかったのだ。だから「仕方がないんだ」と彼は自分に言い聞かせた。
「何が仕方ないんですか?」
自分の呟きに対して突然そう問い返され、カムイは勢いよく頭を上げた。ここにいるのは彼一人のはずだ。けれども聞こえた声は聞きなれたもので、上げた視線の先にいたのも良く知る人物だった。
「トールさん……」
「おはようございます、カムイ君。待っていましたよ」
にこりと笑って、アストールはカムイにそう告げた。彼の表情は穏やかだが、しかしどこか圧を感じる。そんな彼に、カムイは半ば呆然としつつこう尋ねた。
「なんで……、というか、どうやって、ここに……?」
カムイが【HOME】を出たのは朝の早い時間、まだ誰も起きていなかった頃だ。つまりアストールは彼の後に【HOME】を出たはず。そうであれば追いかける形であるはずなのに、あろうことか彼はこうして待ち伏せしていた。一体、どうすればそんなことができるのか。前後を振り返る彼に、アストールはこともなさげにこう答えた。
「イスメルさんに送ってもらいました」
それを聞いてカムイは脱力すると同時に納得した。確かに【ペルセス】の機動力なら、後から出ても彼を追い越すことくらい余裕だろう。しかしカムイはここまで道を歩いてきたわけではないのだ。
彼はここまで道なき道を、いわば適当に歩いてきた。そんな彼を補足し、あまつさえ進路を予想して先回りするなど、もうデタラメとしか言いようがない。しかしそれでも、彼女ならそれくらいはやってしまうだろうと思わせるのが、イスメルのイスメルたる由縁であろう。
「……それで、ちなみに、イスメルさんは?」
「もう戻られましたよ。ここにいるのは私だけです」
アストールがそう答えると、カムイは小さく安堵の息を吐いた。日頃の稽古でさんざん叩きのめされているせいか、彼はイスメルに対しては強く出られない。苦手意識というよりも、ある種の上下関係が出来上がっているのだ。余談だが、カレンの場合はその傾向が一層強い。
イスメルであればカムイが意地を張ったところで、有無を言わさず彼を連れて帰ることも可能だったろう。だが、彼女はもう戻ったという。アストール相手なら、最悪力押しで何とかなる。カムイはそう思った。そんな彼の内心を知ってか知らずか、アストールは彼にこう告げた。
「私はね、カムイ君。こう見えて怒っているんです」
穏やかな表情のまま静かな口調で、アストールはそう言った。傍目にはとても怒っているようには見えない。しかし彼はこんなところで嘘や冗談を言うような性格ではないし、カムイもまた「怒っている」と言われて納得した。先ほどから彼に感じている圧は、つまりそういうことだったのだ。
「……なにも言わずに飛び出してきたから、ですか?」
「それもあります。ですがそれは瑣末なことです」
「じゃあ、何に……」
「どうして、相談してくれなかったんですか?」
「……っ」
その瞬間、カムイは泣きそうに顔を歪めた。確かにアストールは「いつでも相談に乗る」と言ってくれていた。しかし結局、カムイが彼に相談することは無かった。個人的な問題すぎて、躊躇ってしまったのだ。
それに自分だけの問題ならともかく、カレンや呉羽も絡んでいる。そう簡単に人に漏らしていいものなのか、と思ったのだ。しかしアストールに言わせれば、それは遠慮と言うよりもはや侮辱だった。
「そんなに、私は信頼できませんか?」
「そんなことはっ!」
反射的にカムイはそう叫んだ。もちろん、アストールのことは信頼している。ずいぶん長い間パーティーを組んでいるから人となりや実力も良く知っているし、頼もしい味方だと思っている。
「では、なぜ?」
「オレの、個人的な問題、だからです」
視線をそらして言いにくそうにしながら、カムイはそう答えた。アストールのことは信頼しているが、だからと言って何もかもを話してしまって、巻き込んでしまっていいわけではないはずだ。「親しき仲にも礼儀あり」という。そこまで頼るわけにはいかない。自分の問題なのだから、自分で解決するのが筋。カムイはそう思っている。しかしそんな彼に、アストールは呆れたようにこう言った。
「バカですね。そもそも、カレンさんや呉羽さんも関係している以上、カムイ君だけの問題ではないでしょうに」
「……っ、どうしてっ……」
「どうしてって……。それくらいのことは見ていれば分かります。リムさんだって気付いていましたよ。『あの三人なら大丈夫』といって宥めておいたのですが……、どうやら大丈夫ではなかったようですね」
そう言われ、カムイの顔にサッと朱がさした。怒りというよりは羞恥のためだ。そんなに見ていて分かりやすかっただろか。というかリムにまでバレていたとは。この分ではメンバーの全員に勘付かれていたと思った方が良さそうだ。
ここ数日、どんな目で見られていたのか。それを考えると、カムイはちょっと悶絶したくなった。彼の顔はますます赤くなる。それを見てアストールはフッと表情を緩めた。そして彼にこう告げる。
「まあ、時には黙って見守るのも年長者の役割、ということです」
「……なら、このまま黙って見逃してもらえませんか」
「それはできません」
カムイの情けないお願いを、アストールはバッサリと切りすてた。そしてさらにこう言葉を続ける。
「もう一度、今度は一緒に考えて見ましょう。そうしたらきっと、別の答えが出せますよ」
「……オレだって、考えたんです。考えて、コレなんです」
俯いて視線をそらし、カムイはそう応えた。彼自身、自分が出した答えに納得はしていない。しかしだからと言って、例えアストールと一緒に考えたとしても、コレ以外に別の答えが出せるとは思えなかった。それくらい、悩んで考えたのだ。
「もう、決めたんです。だから、行きます」
そう言ってカムイは歩みを再開した。真っ直ぐ進み、アストールの脇を通り過ぎる。そのまま足早に立ち去ろうとした次の瞬間、彼はアストールの本気具合を思い知ることになった。
「〈ソーン・バインド〉」
「っ!?」
一瞬で身動きを封じられ、カムイは驚愕を顔に貼り付けた。それから何とか首を動かして後ろを振り返る。そこには杖を構えたアストールの姿があった。彼の目には、強い意思の光が宿っている。
「……本気、なんですね?」
「ええ、本気です。言ったでしょう? 私は怒っているんです。なんとしても君を連れて帰ります」
「オレだって……、遊びじゃないんです……!」
そう言って、カムイは【Absorption】の出力を上げる。そうやって吸収する瘴気の量を増やしながら、同時に〈ソーン・バインド〉を構成する魔力も奪っていく。そして拘束が緩んだところで一気に引き千切り、彼は自由を取り戻した。
カムイは〈白夜叉〉のオーラを白い炎のように揺らめかせながらアストールと相対する。彼はカムイの行動を阻害しようともせず、静かに杖を構えて待っていた。ただ、その表情は鋭く引き締まっている。
「オレは……、本気です。だから、最初に謝っておきます。怪我をさせたら、すみません」
「謝る必要はありません。それに、もう勝った気でいるのなら、怪我をすることになりますよ?」
鮮やかに言い返され、カムイは思わず苦笑した。だがそれでも、彼は自分の勝利を疑っていない。カムイとアストールでは戦闘能力、とくに攻撃力に大きな差がある。アストールでは白夜叉の防御を突破して有効な打撃を決めることはほぼ不可能と言っていい。そしてダメージを受けないのなら、どんなにまずい戦い方をしても、抜群の戦闘継続能力を持つカムイが最終的に勝つだろう。
逆に言えば、カムイに勝つためには短期決戦を仕掛けるしかないのだ。だがアストールにはその手札がない。だから自分の勝利は揺るがない。カムイはそう考えていたし、二人の能力を見比べればそれ以外の結論は普通ならば出てこないだろう。そう、普通ならば。
この時、カムイはもっと別のことを考えるべきだった。つまりイスメルが【HOME】へ戻ったという、その点だ。見方を変えれば、彼女はアストールに後事を託したのである。彼が託すに足ると判断した、ということだ。
そしてまた、アストール自身も自信を持っているようだった。緊張はしているのだろうが、しかし悠然とした態度を崩さずに佇んでいる。カムイはそれを見て不可解に思ったが、結局はったりや駆け引きの類だろうと結論し、それ以上は深く考えなかった。
「……っ」
腰を落とし、にらみ合うこと数秒。先に動いたのはカムイだった。一歩目から爆発的な加速をして前に出る。しかしアストールはそのタイミングを完璧に見切っていた。すぐさま〈ソーン・バインド〉の魔法を発動して彼の動きを封じる。その結果、カムイは一歩目を踏み出した中途半端な姿勢のまま捕まり、そのまま勢いよく前につんのめった。加えて急ブレーキの負荷がそのまま彼の身体に圧し掛かる。
「……!?」
驚きと負荷で、カムイは顔を歪めた。そしてすぐに、〈ソーン・バインド〉を引き剥がしにかかる。先ほど同様の手順だ。だが今回、アストールはそれを黙って見逃したりはしなかった。
「〈エアロ・エンチャント〉」
彼は左腕に装備した魔道具〈テトラ・エレメンツ〉に風属性を増幅する支援魔法をかける。そして腕を大きく斜めに振るって風の刃を放った。〈エアロ・エンチャント〉で増幅した分をすべてつぎ込んだその風の刃は、まだ〈ソーン・バインド〉の拘束から抜け出せずにいるカムイを直撃した。
「ぐっ……!」
強い衝撃にカムイはうめき声を漏らす。しかし言ってしまえばそれだけだ。構成している魔力を奪われて〈ソーン・バインド〉は脆くも崩れ去り、吸収したそのエネルギーを使うことでダメージは瞬く間に回復する。
これでカムイの差し引きはゼロ。対してアストールは魔法を使った分だけマイナス。こうしてみると、彼が長期戦にどれだけ強いか良く分かる。極端な話、消耗戦に持ち込めればほとんどその時点で勝ちなのだ。
そのことはアストールも良く理解している。それで彼は苦笑しながらカムイにこう告げた。
「やっぱり、強いですね。それに、私とは基本的に相性が悪い」
「……なら、もう諦めてくれませんか」
割と切実に、カムイはそう頼んだ。今の攻防は彼が一方的にやられていたが、それでも彼の優位は揺るがない。「結果は見えている」と彼は暗に告げたのだが、しかしアストールは穏やかに首を横に振った。
「いいえ、諦めません。それに、私にとってはいつものことです。相手が自分よりも強い、なんていうのはね」
「……じゃあ、もう何も言いません」
そう言って、カムイは再び腰を落とした。アストールも油断なく杖を構えて相対する。先に動いたのは今度もカムイ。それに合わせてまたアストールが〈ソーン・バインド〉を使う。だが今度の踏み込みはさっきよりも速い。完全な拘束は出来ず、魔法の茨が右腕に絡みつくだけに留まった。
「……っ、らぁ!」
腕に絡みついた魔法の茨を、カムイは力ずくで引き千切る。そのまま殴りかかろうとしたのだが、そこへ彼の顔面目掛けて炎が放たれた。傍から見れば小さく弱々しい炎で、無視したとしてもダメージは負わなかっただろう。
しかし狙われたのは顔面。いくら小さくても視界いっぱいに炎が広がれば、それを脅威と感じるのは仕方がない。カムイもまた反射的に足を止め、両腕を交差させて顔を庇った。そして腕の隙間から様子を窺い、炎がすぐに消えてしまったのを見て、それがただの囮だったことに気付いて舌打ちした。
そうやって稼いだわずかな時間をアストールは有効に使っていた。カムイが腕をほどくと、正面にいたはずの彼の姿はない。〈アクセル〉で身体能力を強化し、カムイの視界が塞がるのと同時に彼の側面へ回りこんだのだ。そして身を屈めて左手で地面に触れ、支援魔法を唱えた。
「〈アース・エンチャント〉」
その魔法を唱えるとほぼ同時に、アストールは〈テトラ・エレメンツ〉を操作する。使う属性は土。カムイの足元から土の槍が次々に隆起して彼に襲い掛かった。
「くっ」
それらの土槍をカムイは身体を捻って回避する。そこまでは良かったのだが、しかし土槍がそのまま残ったことによって、彼はまるで槍衾のなかに取り残されたかのように身動きが取れなくなってしまった。そしてさらにそこへ〈ソーン・バインド〉が放たれ、彼の身体を雁字搦めに拘束する。
「ちぃ……!」
忌々しげにカムイは舌打ちした。すぐに【Absorption】の出力を上げて拘束を解こうとするが、しかし一瞬でというわけには行かない。そしてその時間は、またしてもアストールに有利に働いた。
「〈サンダー・エンチャント〉」
アストールが雷属性を増幅する支援魔法を〈テトラ・エレメンツ〉に付加する。そして左手をカムイの方にむけ、その意味に気付いた彼が顔を引き攣らせるのと同時に雷を放った。
雷撃がカムイを襲う。身動きが取れない彼は、それをまともに喰らった。強い衝撃と痛みに、彼はわずかに身体を仰け反らせる。ただその一方で、この雷撃は呉羽の〈雷刃・建御雷〉と比べると一段、いや二段劣る。カムイにとっては十分耐えられる威力だった。
「おおおおおお!」
雄叫びを上げ、カムイは二重の拘束を振り払う。そして身体に残る雷撃の影響を無視して右腕を突き出し、そこからアストール目掛けて“アーム”を伸ばす。アストールは反射的に身体をよじったが、しかし回避はしきれない。“アーム”が彼の右腕を捕まえた。
(これで……!)
これで後はどうとでもなる、と思いカムイはほくそ笑んだ。しかし彼の笑みはすぐに凍りつくことになった。アストールが落ち着いた様子である支援魔法を唱えたのだ。
「〈トランスファー〉」
その瞬間、カムイの魔力がごっそりと奪われた。エネルギーが少なくなったことで、オーラ量を維持できなくなり“アーム”が消える。カムイが纏っていたオーラも薄くなってしまったが、こちらはすぐに回復してまた白い炎のように揺らめいた。
「今のは……!」
「驚きましたか?」
半ば呆然とするカムイに、アストールは少し得意げにそう尋ねた。本来〈トランスファー〉はこれほど強引に魔力のやり取りをする魔法ではない。通常であれば相手の了解があって初めて成立する魔法だ。
だがカムイとアストールはこれまでに何度も、それこそ数え切れないくらい〈トランスファー〉で魔力のやり取りをしている。それでカムイから魔力を受け取る際のコツとでもいうべきものを、アストールは習得していたのだ。そのおかげで先ほどのように強引な魔力のやり取り、ほとんど奪取じみた真似ができたのである。
「さて、これで私も魔力を回復できました。続けましょうか。私は諦めませんよ。少なくとも、カムイ君が話をしてくれるまでは、ね」
「……どうして、そこまで……」
「仲間だから、というのでは理由になりませんか?」
その言葉に、カムイはわずかに顔を歪める。それを見て苦笑し、アストールはさらにこう言葉を続けた。
「例えばこのままカムイ君がパーティーを抜けたとして、クレハさんとカレンさんの関係はどうなると思いますか? 断言しますが、良くなることはありえません。むしろさらにぎくしゃくするでしょう。それはカムイ君の望みですか?」
「そんなことはっ! オレは、ただ……!」
反射的にそう叫び、しかしそれ以上は言葉が続かず、カムイは泣きそうに顔を歪めた。結局、何もかも浅はかだったと思い知らされる。けれどももう退けないのだ。どれだけ愚かしくても、ここまで来たらもう退けない。それは信念というにはあまりにも子供っぽい、ただの意地だった。そして意地になった子供というのは、大抵言っても聞かないモノである。
「…………」
俯き加減になりながら、カムイは〈オドの実〉の出力を上げる。そして増えた分のオーラを使い、右手に“グローブ”を形成した。その鋭い爪が当れば、防御力の低いアストールはひとたまりも無いだろう。しかしそれでも彼に臆した様子はない。穏やかに微笑み、そして杖を構えた。
「いくらでも付き合いますよ。気が済むまで、ね」
彼の口調は相変わらず穏やかだ。けれどもそこには確たる信念が滲んでいた。




