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世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
壮大な回り道

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104/127

壮大な回り道5


「はぁ……」


 ため息を吐く。戻ってきた部屋には、自分以外誰もいない。一人部屋だから当たり前なのだが、今はそれが寒々しい。体の中の何かがスゥっと冷えたような気がして、カレンは顔を歪めると小さく頭を振った。


〈ゲートキーパー〉を撃破してから五日目の夜。夕食を食べ終えたカレンは、その後すぐ自分の部屋に戻って来ていた。ただ、何をするという予定もない。ベッドに倒れこんで、しばらくぼうっとする。そのうち耳がリビングから漏れ聞こえる喧騒を捉えて、不意に寂寥感が募った。


(まるで……)


 まるで自分だけ別の世界にいるようだ。カレンはふとそう思った。追いやられたわけではない。戻りたいのなら、今すぐリビングに戻ってもいいだろう。しかし彼女にその気はなかった。


(本でも読もうかしら……)


 そう思い、カレンはのそのそと起き上がった。そして机の傍に置かれた小さな本棚に歩み寄る。そこには何冊かの本が並べられていた。本棚を含め、すべて彼女が購入したものだ。【HOME(ホーム)】が吹き飛ばされたときに一度すべて焼失してしまったのだが、またこうして買い揃えたのである。


 娯楽が少ないこの世界で、本を読むプレイヤーは多い。アイテムショップからすぐに購入できるし値段もそれほど高くはないので、気楽に手を出しやすいのだ。プレイヤーショップにも多くの古本が出品されている。読書はいま、世界的なブームになっているのだ。


 プレイヤーの多くは、購入した本をストレージアイテムに保管している。カムイなども同じだ。ただ前者は【HOME(ホーム)】のような拠点がまだないのでそれ以外に保管方法がないのに対し、後者はもっぱら「かさばらないから」という理由である。


 カレンのように本棚に並べて保管しておくのはかなり例外的なのが現状だ。それが出来る環境と言うのは、この世界ではひどく贅沢なのである。それは自覚しつつ、彼女としてはやっぱり、こうして並べておくのが好きだった。


 まあそれはそれとして。カレンの本棚に並べられている本の大半は、異世界の言語で書かれていた。本来ならば読むことのそれないそれを楽しめるのは、ひとえにプレイヤーたちに与えられた【自動翻訳能力】のおかげだ。デスゲームの楽しみ方の一つと言えるかもしれない。


 並べられた本の中から、カレンは一冊の本を選ぶ。いわゆる偉人伝で、異世界で活躍した聖女について書かれた本だ。地球ではファンタジーとされている魔法や妖精などがたくさん出てくる。


 それだけ聞くとライトノベルのように思うが、読んでみると全くそんなことはない。むしろ切れば血が出そうなくらい人物描写が緻密で、真に迫るものがある。全編を通じて漂うのは紛れもない歴史の香りであり、その泥臭さとでもいうべきものは、フィクションには決して真似できないだろう。


 お気に入りの一冊であるその本を、カレンはベッドの上で開いた。開いた箇所は適当だったが、一度最初から最後まで読み通しているので、内容はすべて頭に入っている。ページの真ん中あたりから読み始めた。


(…………)


 読み始めたのだが、しかし何となく集中できない。少し読んでは顔を上げ、また少し読んでは顔を上げる。物語に入り込めない。そのうえなんだか字面の上で目が滑るような感じがして、結局カレンは何ページも読まないうちに本を閉じた。


(なにやってるんだろう……)


 はあ、とため息を吐く。本をベッドの上に放り出し、カレンはまた横になった。もういっそのことさっさと寝てしまおうかと思っていると、不意に“コンコン”と部屋のドアがノックされた。


「カレン、少しいいかのう?」


 尋ねてきたのはミラルダだった。カレンはベッドから起き上がってドアを開け彼女を部屋に招き入れる。彼女は部屋の中を見渡すと、「殺風景じゃのう」と呟いて苦笑した。それにつられてカレンも苦笑を浮かべ、そしてこう言った。


「前とそんなに変わりませんよ。……それで、どうかしたんですか?」


「どうかしたのはおぬしの方であろう? 最近様子がおかしいぞえ。どうしたのじゃ?」


 優しい声でそう問い掛けられ、しかしカレンは困ったような笑みを浮かべた。そして小さく手を振りながら、さも心当たりがなさそうに口を開く。


「別に……、」


「ああ、それと言っておくが『別にどうもしない』などという、見えみえの建前を信じる気はないので、観念してさっさと白状するように」


「……少しくらい抵抗させてくださいよぉ」


 あっさりとやり込められて、カレンはがっくりと肩を落としてうな垂れた。ミラルダは楽しげな笑みを浮かべながら、しかし優しい手つきでそんな彼女の頭を撫でる。そしてこう言った。


「たわけ。妾に抵抗するなど、百年早い」


 それを聞いてカレンは「むう」と拗ねたような表情を浮かべた。ミラルダのいう「百年」とは、そのまま文字通りの意味の百年だ。イスメルといい、彼女達のタイムスケールは壮大すぎる。


「それで、どうしたのじゃ?」


 優しい声で、ミラルダはもう一度そう尋ねた。彼女にはこれまでも何度か話を聞いてもらっている。抵抗は無意味というある種の諦念もあり、カレンは祝勝会の夜からのことをすべて話した。


「呉羽が、正樹カムイにキスしたんです……。たぶん、告白も……」


 一度話し始めると、言葉は止まらなかった。無かったことにして抱え込んでいたものを吐き出していく。ずっとこうやって誰かに聞いて欲しかったのだと、カレンはその時ようやく気付いた。


 カレンの話を、ミラルダは静かに聞いた。哀れむでもなく、咎めるでもない。ただ何度も頷き、短く相槌を挟みながら、辛抱強く彼女の話を聞いた。彼女の頭を胸元に抱き寄せ、尻尾でくるんで身体を温める。やがて話し終えてカレンが口を閉ざすと、ミラルダは彼女の頭を撫でながらこう呟いた。


「そうか、クレハがのう……」


 きっと、誰が悪いわけでもないのだろう。いや、ミラルダに言わせれば、いたいけな少女たちの気持ちに気付いているであろうくせに煮え切らない態度を取るカムイが一番悪いのだが、しかし彼とてはっきりと告白されたわけではない。


 カレンはウジウジしているし、呉羽に至っては酔っていたことを言い訳にして、無かったことにしてしまった。そういう状況だから、リアクションが取り辛いというのも、まあ分からない話ではない。けれどもだからこそ、遠慮に遠慮が重なって膠着状態に陥り、そのまま少しずつ三人の関係は壊れようとしている。


「どうすれば、いいんでしょうか……?」


 カレンは縋るような視線をミラルダに向けた。彼女自身、今の関係を壊さないようにできる事はやっているつもりだ。なるべくいつも通りにしているし、呉羽とも別に対立しているわけではない。


 こうして早く部屋に引っ込んだのも、彼女がカムイと何か話ができればいいと思ったからだ。二人きりだと遠慮して距離を取るだろうが、周りに他のメンバーがいれば気兼ねなく、前みたいに話せるだろう。


「おぬし、そんなことを考えておったのか……」


 ミラルダが呆れたように苦笑をもらす。「敵に塩を送る」とまでは言わないものの、カレンもなかなか損な性格をしている。男を射止めることを最大の勲章と考えているような恋の狩人たちであれば、恋敵が遠慮していることに最大限付け込むであろうに。けれどもミラルダは彼女のそういうところが好きだった。


 思い返してみても、カレンと呉羽の関係は最初のころから良好だった。カムイという共通の知人がいたこともあるだろうが、やはり彼女たちは気が合うのだろう。すぐに仲の良い友達になっていたし、その関係を壊したくないと思うのも理解できる。もちろん、それはカムイを含めての話だ。ではそのためにできる事、するべき事は一体何か。


「三人でよく話し合うしか、ないと思うんじゃがのう……」


「師匠にも、同じようなことを言われました……」


「なんと、アレにも話したのかえ?」


 思いがけずイスメルこのことが話題に出て、ミラルダは少し驚いたような声を出した。頭の上の狐耳も、ピンッと立っている。その仕草が、普段の妖艶な様子と比べてひどく幼く見え、カレンは小さく笑みを浮かべた。


「肝心なことは何も話してないんですけど……、ただ『恋をしたことがありますか?』って……」


「それはもう、全部白状したようなものじゃのう……」


 少し呆れたような口調でそう言われ、カレンは「うう」と呻いて顔を真っ赤に染めた。やっぱり全部分かってしまっていたのだろうか。女子的能力に重大な疑義があるように思うイスメルだから大丈夫だと思うのだが、しかし分かっていなければあんな話はしないようにも思う。


「ちなみに、イスメルはどう答えたのじゃ?」


「『恋の一つや二つくらいは』って言ってから、初恋の話をしてくれました」


「ほほう? それはまた……」


 ミラルダの眼が妖しく光る。それはたいそう興味深い話だ。是非とも詳しく聞いてみたいところだが、しかし今はカレンの話を聞いているところ。また今度、たんまりと酒を飲ませて、根掘り葉掘り聞いてやろう。ミラルダはそう心に決めた。


「……それで、イスメルに言われてから、話し合ってはみたのかえ?」


「いえ、まだです……」


 そう言って、カレンは力なく首を左右に振る。まあそうだろうとは思っていたので、ミラルダは責めることもなく、むしろあやすように彼女の背中をさすった。とはいえ、これは何もしないで解決するような問題ではない。拙速にやればいいというものではないが、しかし時間だけが過ぎるなら、三人の関係はこじれるばかりだろう。


 仮に何もしないで問題が終息したとすれば、それはたぶん、三人が今の関係に疲れたときだ。その時の彼らに恋をする気力は残っていないだろう。そして抜け殻になった彼らは、当たり障りのない浅い付き合いをしていくのだ。人生は何事も経験しておくものだが、しかしそんな未来は寂しいではないか。


 故事に曰く、「鉄は熱いうちに打て」という。ミラルダとしては、この可愛い妹分の恋を成就させてやりたいと思っている。そのためには、「今このタイミングを逃すわけにはいかない」と、彼女の勘が告げていた。


 慎重に、しかしできるだけ早く動かなければならない。そのために重要なのは、やはり入念な準備である。つまり自らの心をしっかりと定めておかなければならない。不安定なまま話し合いに臨んでも、流されてしまうか、あるいは感情的になって破滅するだけであろう。


 代わってやることはできないが、それでも「味方だ」と宣言したからには、出来る限りのことはしてやりたい。それがミラルダの偽らざる本心だ。だからこそ、カレンにとっては苦しい話題であろうと思いつつも、しかしそれを口に出す。


「話し合うことは、妾も賛成じゃ。じゃがその話し合いの中で、カレンよ、おぬしはどういう結論を得たいのじゃ?」


「それは……! それを、話し合うんじゃないんですか……?」


 その返答こそが、彼女の不安定さの表れだった。目指すところがはっきりとしていない。いや、はっきりとはしているのかもしれないが、確固とはしていない。様々な気持ち、事情に揺り動かされている。


「カレン。結局のところ、最も重要なことはただ一つじゃ。つまり、カムイのことを諦めるのか、それとも諦めないのか。どうする?」


「諦めたく、ない……、です」


 振り絞るようにしてカレンはそう答えた。それを聞いてミラルダは一つ頷く。そしてさらにこう尋ねた。


「では諦めないために、どこまでなら妥協できる?」


「だ、妥協って……!?」


「『妥協』という言葉がイヤなら『容認』でもよい。どこまでなら容認できる?」


 変わらぬ口調でそう尋ねられ、カレンは思わず押し黙った。冗談を言っているようには聞こえない。ミラルダは本当に、諦めないためには妥協や容認が必要だと、そう思っているのだ。


「……そんなのっ、不純ですっ!」


 カレンのなかのモヤモヤとした気持ちがそう叫ばせた。恋や愛は、キラキラと輝いているもの。彼女はそう思っている。それなのに「妥協」や「容認」という言葉を使われると、それが一気に打算的なもののように聞こえてしまう。綺麗なものを汚されてしまったようで不愉快だった。しかしミラルダは動じない。


「不純、か。しかしの、カレン。相手がいる以上、自分の全てが思い通りになることなど絶対に有り得ん。そこが夢と現実の境目じゃ。そもそも、だからこそおぬしは今こうして苦しんでおるのじゃろう?」


「それは……」


「思うにな、ハッピーエンドというのは、みんなが少しずつ我慢することで成り立っておるのじゃ。じゃが、我慢をしすぎては幸せにはなれぬ。ゆえに、譲れない一線を定めておくことが大切なのじゃよ」


「譲れない、一線……」


 カレンがそう呟くと、ミラルダは「うむ」と頷いた。そう言われると、不思議とイヤな感じはしない。その言葉はストンと彼女の中に収まった。ただ、その一線を定めると同時に、どうしてもやっておかなければならないことがある。ミラルダはその事をこう指摘した。


「それはそうと、やはりあの事はまだカムイには話しておらぬのかえ?」


「う……。はい。まだ、です……」


 バツが悪そうに縮こまりながら、カレンは小さな声でそう答えた。ミラルダの言う「あの事」とは、つまり「カレンとカムイの婚約が白紙に戻っている事」だ。話さなければいけない、とは思っている。少なくとも、自分の想いを伝えるよりも前に話すべきだ。しかし分かってはいても踏ん切りがつかない。


 勇気が出ないこともあるが、一緒に行動するようになってから時間が経ちすぎたのだ。言うタイミングがない。そして言えないがために告白もできない。時間ばかりが過ぎる。悪循環だった。


「まあ、どうしても言わなければならんというわけでもないと思うがのう……」


「いえ、やっぱり言わなきゃダメなんです……」


 弱々しいが、しかしはっきりとカレンはそう言った。告げなければならない。彼女はそう、思い定めている。そうでなければフェアでないからだ。呉羽に対しても、そしてカムイに対しても。


「では、そちらも考えねばならんのう」


 ミラルダがそういうと、カレンは思いつめた表情で頷く。いろいろと理由をつけて諸々のことを先延ばしにしてきた。だがもう先延ばしにする時間はない。むしろ時間をかければその分、状況は悪くなっていく。


「疲れ果てる前に動くことじゃ。恋の炎は身を焦がす。ともすれば妾の狐火以上に、の。うかうかしていると、灰になってしまうぞえ?」


「それは、大変ですね……」


 小さく苦笑して、カレンはそう答えた。本当に、大変だ。けれどもミラルダがユーモラスに話してくれたので、気分はそれほど深刻にはならない。それがありがたかった。


 その後もうしばらく、二人は話を続けた。他愛のない話から、ちょっときわどい話まで。話題は尽きずにコロコロと変わる。たっぷりとおしゃべりをして、ベッドに潜り込む頃には、寂しさはすっかり紛れていた。そこまで含めてミラルダの気遣いだと言うことに、穏やかに眠るカレンはちっとも気付いていなかった。



 ― ‡ ―



〈ゲートキーパー〉を撃破してから六日目。この日も基本的に五日目と同じ予定だった。まずはイスメルとカレンが〈魔泉〉へ赴き〈ゲートキーパー〉が再出現するかを調べる。しばらく上空を旋回しても再出現する気配がないので、二人はメンバーのところへ戻り、そのまま今度は極大型モンスターの乱獲が行われた。昨日と同じく午前午後にそれぞれ十回ずつ、合計で二十回の戦闘が行われ、やはり1億Pt程度を荒稼ぎした。


「ずいぶん慣れてきたな」


 夕食のさい、満足そうにそう呟いたのはアーキッドだ。そんな彼とは対照的に、隣に座っていたミラルダが少し不満の滲む声でこう尋ねる。


「慣れてきたのは良いが、いつまでコレを続けるつもりなのじゃ?」


「そりゃ、〈ゲートキーパー〉の再出現頻度が分かるまでさ」


「そうは言ってものう……」


 眉間にシワを寄せながら、ミラルダはそう呟いた。狐耳も力なく“へにょん”と垂れている。不満と言うよりは、どことなくうんざりしている様子だ。そんな彼女の様子に苦笑しつつ話に割り込んだのは、黒狼族のフレクだった。


「再出現の頻度を調べるのはいいとして、その間隔が一年や二年だったら、コイツは結構億劫だぞ」


「そう、それじゃ!」


 それが言いたかったのだ、と言わんばかりにミラルダが声を上げた。垂れていた狐耳も、今はピンッと立っている。


 アーキッドやフレクが言ったとおり、彼らは今〈ゲートキーパー〉の再出現頻度を調べている。ただそれがどれほどの間隔なのかは、現時点では予測もできない。判断材料が少なすぎるからだ。


 だからこそ調べているわけなのだが、その間隔が一年や二年であった場合、確かにその間ずっとここで調査を続けるのも大変である。それが重要であることは分かるし、ここでならかつてないほどに稼げるが、しかしそれとこれとは話が別だろう。ミラルダも先ほど少し嫌そうにしていたが、カムイも同じ気持ちである。


「では、ひとまず三十日ほど様子を見て、その間に再出現しなければまた何か考える、ということでどうだ?」


 話を聞いていたデリウスがそう提案する。「それくらいならば」ということで、メンバーは頷いた。カムイとしては三十日でも長い気がするのだが、しかしだからと言って他の用事も思いつかなかったので反対はしなかった。


 結論が出たところで、メンバーはまた雑談に戻った。カムイもアストールの話に相槌を打ちながら夕食の弁当を食べる。彼がそれを食べ終え台所で歯磨きをしていると、カレンが近づいてきた。彼女はどこか思いつめた顔をしている。そしてカムイにこう言った。


「ちょっと話があるんだけど、部屋に行っていい?」


「……ここじゃダメなのか?」


「うん。人前でするような話でもないから……」


「……分かった」


 歯磨きを終えてから、カムイはカレンと一緒に二階の自分の部屋へ向かった。リビングでは相変わらず他のメンバーたちが楽しそうに談笑しているが、声はかけない。何人かの視線が二人の方に向いたので、気付いてはいるはずだ。なお、その中には呉羽もいたことにカムイは気付かなかった。


「……それで、話ってなんだ?」


 部屋に入り、カレンにはイスを勧め、自分はベッドに腰掛けると、カムイはやおらそう尋ねた。声は平坦でいつも通りだったが、しかし内心はそうではない。予感めいたものを覚えて、ひどく落ち着かなかった。いつも通りに見せているのは、つまり強がりだ。


「ねえ、あたしたちが初めて会ったのって、いつ頃だったっけ?」


 カレンはまずそう尋ねた。それが本題、というわけではないだろう。だが答えるのに気力を必要としない話題だ。カムイは拍子抜けしつつも、しかしどこかホッとした気分になりながらこう答えた。


「小学校に入る前だな。入学式のときに、並んで取った写真が残ってる」


「あ~、そんな写真もあったわね。確か、まだ桜が咲いてないヤツよね?」


「つぼみは付いてたけどな。ってか、入学式の季節に桜が満開になるなんて、今までに一回もなかったと思うぞ」


「そうね。確かに、授業中に満開の桜を見てた記憶があるわ」


「ちゃんと授業受けろよ」


 カムイがそう言うと、カレンは楽しそうに「あははは」と笑った。つられてカムイも笑う。そうして笑うと、少しだけ昔に戻ったような気分になった。


「じゃあさ、婚約者の話を聞かされたときの事、覚えてる……?」


「覚えてる。小学校の、卒業式の日だった」


「卒業式の、次の日よ」


 呆れたような口調で訂正され、カムイはわざとらしく視線をそらした。そういわれてみればそんな気もする。というか、確かあれは午前中だったから、卒業式と同じ日なわけがなかった。


 あの日、寝坊していたカムイは母親にたたき起こされ、寝ぼけたまま身支度を整えてからカレンの家に連れて行かれた。客間には二人の祖父が揃っていて、カムイとカレンはその前に座らされる。そして昔話を聞かされ、最後にこう言われたのだ。


『……だから二人には、ぜひ婚約者同士になってほしい』と。


「……あたし、イヤだったわ。おじいちゃんたちは好きだったけど、そんな大昔の話で勝手に結婚相手を決められちゃうだなんて、冗談じゃないって思ったわ」


「お前、さんざん文句言って、最後は泣きながら飛び出してったもんな」


「正樹ははっきりしないで、ぼんやりしてたもんね。その先もずっとそうだったけど」


「よく分かんなかったんだよ、婚約者とか言われても」


 苦笑しながらカムイはそう言った。婚約とか結婚とかいわれても、当時はずっと先のこと、それこそ来るか来ないかも分からない未来の話だと思っていた。今になって思い返してみれば、「ものすごい子供だったんだな」と思う。ちなみにカレンに言わせれば、今もあまり変わってはいない。


 そんなわけで、婚約する当事者である二人の反応は、決して芳しいものではなかった。けれども婚約の話はそのまま進む事になる。言い出したのは二人の祖父だが、そもそも両家の親が乗り気だったからこそ、ああいう場が設けられたのだ。嫌がっていたカレンも彼女の母親にうまいこと説得され、晴れて二人は婚約者同士になったのである。


 だからと言って、二人が、特にカレンがこの話を肯定的に捉えていたかと言えば、決してそうではない。むしろ絡みつくしがらみそのものだった。関係者、つまり家族やカムイのことは嫌いではないので無理に振り払いはしなかったものの、否定的に考えることの方が多かったのである。


 そして極めつけは、あの事故だ。あの事故以来、カレンはこう考えずにはいられなかった。


「ねえ、正樹。ずっと、聞きたかったことがあるの……。あのね、その……、あの事故のとき、あたしを庇ってくれたのって、やっぱりあたしが婚約者だったから、なの……?」


 もとの世界にいたころ、カムイはコミュニケーションを取れる状態ではなかったから、その答えを得ることはできなかった。カレンは誰かに相談することもなかったので、第三者の意見も聞いてはいない。ずっと一人で抱え込み、考え続けていたのである。そして行き着く答えはいつも同じだった。


『はっきりしたことは分からない。だけどもしそうなのだとしたら、やっぱり婚約者になんてなるんじゃなかった』


 カレンはそう思っていた。確かめようのない正解にずっと怯えていたとも言える。この世界に来て確かめられるようになっても、まだ模範解答の用紙をめくることはできなかった。けれどもその答えを確かめないことには前へは進めない。そう思い定めて、カレンは抱え続けた疑問をカムイにぶつけたのである。


 彼女の瞳は、怯えの色が浮かんで揺らいでいる。今にも逃げ出しそうな雰囲気の中、それでも彼女はカムイの顔を真っ直ぐに見つめた。ヘンな同情や、その場逃れの言葉なんていらない。ただ本当のことだけが知りたい。彼女の目はそう語っていた。


 むしろカムイのほうが視線を泳がせる。カレンはただじっと彼の答えを待った。やがて彼は頭をかくと、視線をそらしたままこう答えた。


「……婚約者じゃなかったらとか、そんな仮定は無意味だろ。でもまあ、あの時は別にそんなこと考えなかったよ」


「じゃ、じゃあ……」


「……スズだから助けた、んだと思う」


 その結論は、すでに病院のベッドの上で出ていたものだった。けれどもこうして改めて言葉にすると、相当気恥ずかしい。カムイは顔が熱くなるのを感じた。そしてチラリとカレンのほうを窺う。


 彼女は目の端に涙を浮かべ、しかし幸せそうに微笑んでいた。先ほどまでの張り詰めた表情がウソのようである。その微笑にカムイは思わず見惚れた。


 彼はカレンの幼馴染だから、一緒にいた時間は親や祖父母の次くらいには長い。そんな彼でもほとんど記憶にないような、透き通った混じり気のない微笑だった。そしてその微笑を浮かべたまま、カレンはカムイにこう告げる。


「あたしね、〈海辺の拠点〉で正樹から『ありがとう』って言われたとき、すごく嬉しかった。この世界に来てよかった、って思った。無駄じゃなかった、報われた、許されたって、そう思ったの」


「大げさだな……」


「いいじゃない、大げさだって。あたしは本当にそう思ったんだから。……今も、同じくらい、嬉しいわ」


 少し恥ずかしそうにしながら、カレンはそう言った。聞いてよかった、と心から思う。胸のつかえが取れたようだ。ずっと前から、それこそ婚約者同士になったそのころから感じていたモヤモヤが、まるで朝日に照らされた霧のように晴れていく。


 もとの世界にいたころ、カレンは親に婚約者を決められてしまったことがイヤだった。それは時代錯誤のさび付いた風習で、そんなものに縛られるのがイヤだった。一方でカムイがその話を軽んじているように見えるのもイヤだった。「もっとちゃんとしてよね!」と何度も言ったものである。


 矛盾した反応で、考えてみれば我儘な話だ。カレン自身、それを自覚していたが、しかしなぜそうなのかは考えても分からなかった。イヤなものはイヤ。そうとしか言いようがなかったのだ。ただ今なら何となく分かる。あの時はたぶん、心が形式についていけていなかったのだ。


 カムイは先ほどこう言った。スズだから助けた、と。それを愛の告白と勘違いするほど、カレンは自惚れてはいない。けれども確かに、二人の間には絆があった。形式ではない、確かな結びつきがあったのだ。出会ってからあの日まで一緒にいた時間は、決して無駄ではなかった。


 そのことを確信できた今、カレンはごく自然にその言葉をつむいだ。考えて考えた、今日一番伝えたかった言葉である。


「あたしは、婚約するなら、正樹がいい」


 その告白を聞いて、カムイは動揺を顔に浮かべた。そしてぎこちなく苦笑する。返ってきた言葉は、カレンが想定していたうちの一つだった。


「婚約するもなにも、もうすでに……」


「どういう意味なのかくらい、わかるでしょう?」


「…………っ」


 逃げ場をふさがれ、カムイは沈黙した。どういう意味なのかは、確かに分かる。つまりコレは告白だ。親同士が決めた婚約者という関係を超えて、自分が望む婚約者は貴方なのだという、そういう告白だ。


 誰かに言われたからではない。自分で望み、自分で選んだのだ。相手が同じで、関係が変わらないのだとしても、そこに込められた意味や想い、心のありようは大きく違ってくる。真っ直ぐで強い、カレンの眼の輝きがそれを物語っていた。そして取り消されることのない言葉を、彼女はついに口にする。


「す、好きよ。ううん、愛してるわ」

「…………っ」


 沈黙したまま、カムイは唾を飲んだ。何か応えなければ、と焦る。しかし言葉が出てこない。考えがまとまらない。それでも何とか口を開いたその矢先、彼の機先を制するようにカレンが笑顔を浮かべた。


「返事は、まだいいわ」


 すっきりとした、清々しい声だった。その声でそう言われた瞬間、カムイは開きかけていた口を反射的に閉じた。正直、ありがたかった。だがカレンが意図しているのはそんな甘いことではなく、むしろもっと厳しいことだった。


「あたしはいっぱい悩んで、いっぱい考えたわ。だから正樹にもちゃんと考えて決めて欲しい。呉羽のことも、ね。あの子からも、告白されたんでしょう?」


「……本人は『覚えてない』って言ってるぞ」


「でも正樹は覚えてる。呉羽だって、キスまでしたんだもの。そういう気持ちがあるのは間違いないわ。……それに、覚えてないだなんて、そんなの本当に信じてるの?」


 呆れたようにそう言われ、カムイは無言のまま苦笑して肩をすくめた。確かに呉羽は「覚えていない」と言っているが、実際には覚えているのだろう。そうでなければ、ああも露骨に挙動不審な態度を取ったりはしないはずだ。


「ちゃんと考えて、ちゃんと選んで。そうじゃないと、あたしたちはたぶん、話し合うこともできないから」


「……っ!」


 カレンの言葉に、カムイは思わず息を飲んだ。彼女の口調はむしろ穏やかで、威圧的なところは少しもない。だがそれでも彼女の言葉には、逃げやごまかしを許さない真摯さが滲んでいた。


「じゃ、あたしはもう行くわ」


 言うことは言ったとばかりに、カレンはイスから立ち上がる。そして完全に言葉を失ったカムイに背を向けて扉のドアノブに手をかけた。そしてカムイに背を向けたまま、カレンは最後にこう言った。


「ねえ、正樹。ここは地球じゃないし、日本でもないわ。だから余計な気は使わなくていいし、誰かに遠慮する必要もない。まずは、自分が一番納得できる答えを出して。それから、また話し合いましょ」


 そういい残して、カレンは部屋を出て行った。その背中を、カムイは呆然と見送る。パタンッと閉じた扉を数秒見つめ、それから縋るように伸ばした手を力なく下ろす。その手で覆った顔は、泣きそうに歪んでいた。


 ベッドに倒れこみ、天井を見上げる。ひどく身体が重い。頭の中はグチャグチャだ。ちゃんと考えろと言われたけれど、考えれば考えるほど分からなくなる。自分が一番納得できる答えなんて、自分が一番分からない。本気でそう思った。


「もう……」


 もう元には戻れない。カムイはそれを悟った。


 一方、自分の部屋に戻ったカレンは、ベッドの上で頭を抱えていた。やってしまった。いや、やらないできてしまった。婚約が白紙撤回されていることを、結局カムイには告げないままにしてしまった。


 言うタイミングは何度かあった。だがその話をしたらそれがメインになってしまって、本題が話せなくなるような気がしたのだ。優先するべきは想いを伝えることで、それ以上はオーバーワークだったのである。


 ……いや、それはいい訳である。本当は勇気が出なかった。告白する分の勇気しかなかったのだ。婚約白紙撤回の話をしたら幻滅されそうで、そうしたら想いを伝えることも出来なくなってしまいそうで、怖かったのだ。


「ああもう……。次、どんな顔して言えばいいのよ……」


『実はね、あんな話しておいてアレだけど、実はあたしたちの婚約は白紙撤回されてるの』


 これはヒドイ。カレンは枕を抱きしめ、悶絶してベッドの上を転がった。ちゃんとどう伝えるのか考えておかないと、本当にヒドイことになりそうである。


(一難さってまた一難……)


 上手くいかないな、とカレンは思った。だけど“次”がある。それが彼女の心を少しだけ軽くした。


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