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世界再生GAME  作者: 新月 乙夜
壮大な回り道

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102/127

壮大な回り道3


 ロロイヤの実験に端を発し、極大型のモンスターを乱獲した次の日。つまり〈ゲートキーパー〉を撃破してから四日後のこと。イスメルのユニークスキル【聖獣召喚】が回復したので、彼女にまた〈魔泉〉の強行偵察が依頼された。ちなみに以前と同じく、カレンも強制参加である。


 偵察の最大の目的は、「〈ゲートキーパー〉が再出現するか否か?」である。尤も、再出現することそれ自体は確実視されているので、「どれくらいの間隔で再出現するのか?」ということがアーキッドやロロイヤの最大の関心事だった。


「出現、しませんね……?」


「そのようですね」


 純白の天馬【ペルセス】に跨り、〈魔泉〉の上空を飛ぶカレンとイスメルは、眼下を見下ろしながらそう言葉を交わした。〈魔泉〉からは相変わらず大量の瘴気が噴き出している。しかしそこに〈ゲートキーパー〉の姿はなかった。


〈魔泉〉の上を何週かしてもやはり〈ゲートキーパー〉は出現しない。どうやらまだ再出現のための時間を満たしていないようだ。気を張っていたカレンは、イスメルの後ろで大きく息を吐き、少しだけ身体の力を抜いた。


「カレン、今のうちに瘴気濃度の測定と写真の撮影を」


「は、はい!」


 イスメルの声に、カレンは少しうわずった声で返事をした。その二つも、頼まれていた事柄である。カレンはまずシステムメニューを呼び出してカメラ機能を起動し、〈魔泉〉の様子を写真に収めていく。〈ゲートキーパー〉がいたせいで今までは撮れなかった写真だ。


 それが終わったら、さらに瘴気濃度を測定する。数値を確認するが、こちらは以前とあまり変わらない。どうやら〈ゲートキーパー〉を倒したからと言って、〈魔泉〉が沈静化に向かうわけではないようだ。


(まあ、予想通りよね……)


〈魔泉〉の沈静化は特に期待もしていなかったので、カレンはため息を吐くこともなくただそう胸中で呟くと【瘴気濃度計】を仕舞った。そして計り終えたことをイスメルに告げると、彼女は一つ頷く。そして襲いかかってきた鳥型のモンスターを斬り捨ててからこう言った。


「では、予定通りこれから高度を落とします。注意してください」


「はい!」


 カレンは気を引き締めてそう返事した。高度を落として〈魔泉〉の様子を観察するのは、ロロイヤからの要望だ。今までは〈ゲートキーパー〉が居座っていたので無理だったが、今はまだ奴が再出現していない。絶好のチャンスである。ただ、当初カレンはこの調査に反対だった。


『落ちちゃったらどうするんですか!?』


『そんなに深く調査しろとはいわん。地表面より少し低いくらいでいい。それくらいなら大丈夫だろう』


 最終的にカレンはロロイヤに説得され、というか言いくるめられ、低高度での〈魔泉〉の調査は行われることになった。それでも、下に引っ張られるなどの異常を察知したらすぐさま離脱することを、イスメルにくどいくらい念押ししていた。


 イスメルは慎重に高度を下げていく。カレンはイスメルに抱きつきながら、生唾を飲み込んで眼下を凝視した。今にも例の腕が伸びてきて自分たちを捕まえ、奈落の底に引きずり込むのではないか。そんな妄想が頭をよぎる。そしてついに、彼女達の視線が地平面とほぼ同じ高さになった。


「何も、起こりませんね……?」


「そのようですね」


 下から強風が噴き上げるなか、カレンとイスメルはどこか拍子抜けしたようにそう言葉を交わした。見たところ瘴気濃度は高くなっているようだが、しかしそれ以外に変わったところはない。特別なモンスターが出現することも、世界の外側へ放り出されることもなかった。


「カレン。ともかく写真と瘴気濃度の測定を」


「は、はい!」


 イスメルに促され、カレンはもう一度カメラ機能を起動して写真を撮っていく。向こう側に“地平線”が映るようにしてやれば、高さが分かりやすいだろう。そこから少しアングルを下げると、そこにあるのは真っ黒というよりは真っ暗な絶壁だ。暗すぎて本当にそこに壁があるのかも疑わしい。まるで闇が無限に続いているかのような錯覚に陥る。その光景もカレンは写真に収めた。


 次に【瘴気濃度計】を取り出して瘴気濃度を測定する。目盛りを確認すると、数値は13.04。上空よりも四割程度高い。カレンとイスメルは【守護紋】のおかげでなんともないが、普通のプレイヤーがこの濃度に耐えるには【瘴気耐性向上薬EX】でも足りない。新たな向上薬をリクエストする必要がある。


 瘴気濃度の数値を手帳にメモすると、カレンはイスメルに「終わりました」と声をかけた。イスメルはそれを聞いて一つ頷くと、「では少しこの高さで飛んでみましょう」と告げる。何でもどんなモンスターが出現するのか確認するよう、ロロイヤから頼まれているのだと言う。


 カレンが「分かりました」と言うと、イスメルは【ペルセス】でゆっくりと宙を駆け始めた。瘴気濃度が高いせいか、頻繁にモンスターが襲い掛かってくる。当然、すべて飛行タイプだ。


 そのせいか、カレンの目から見て大きさは上空とあまり変わらないように思える。強さも比較のしようがない。すべてイスメルが一振りで倒してしまうからだ。ただ彼女曰く「多少手応えが違う」とのこと。やはり瘴気濃度が高い分、モンスターも強化されているようだ。


 その後、何十体かモンスターを撃退したが、特別と呼べるようなモンスターは出てこなかった。出てくるモンスターの種類は大よそ三つ。鳥型、虫型、蝙蝠型だ。もっとも、これは上空も同じなので、やはり出現率以外に特別なところは何もない。


 三つのタイプのうち、どれが厄介という印象はないが、それぞれ飛び方に特徴がある。実際に戦うことになったら、対応が必要だろう。ただ、そのまえに空を飛べるプレイヤーが少ない。陸戦に限れば飛行タイプのモンスターはあまり出てこないので、「そんなに心配しなくてもいいかな」とカレンは思った。


 イスメルはまだ〈魔泉〉を低高度でゆっくりと飛んでいる。どうやら少しずつではあるが、高度をさらに下げているようだ。そのせいで今は噴き出し口が二人の頭上にあった。しかしそれでもまだ、下に引きずられるようなことはない。〈魔泉〉というのは、思った以上に安定した場所であるようだった。


(それにしても、スゴい場所だなぁ……)


 カレンは馬上から左右に視線を巡らせ、胸中でそう呟いた。一面真っ暗。しかし物ははっきりと見える。なんだか現実離れした場所だ。そしてそのせいなのか、彼女はイスメルにこんなことを聞いてしまった。


「師匠は……、恋をしたことがありますか……?」


 カレンがそう尋ねると、額を押し付けた背中の向こうで、イスメルが苦笑する気配がした。そしてイスメルは襲いかかって来た二体のモンスターを立て続けに斬り捨てると、どこか遠くを見るようにしながらこう答えた。


「そうですね……。それなりに生きていますから、一度や二度は」


 その声は、どこか寂しげに聞こえた。カレンが顔を上げると、アッシュブロンドの長い髪が風に煽られていて、イスメルの顔は良く見えない。けれどもやはり、その顔には哀惜の念が漂っているように見えた。


 多分だが、イスメルもカレンたち三人の様子がおかしいことに気付いていたのだろう。そしてカレンが尋ねたことで、それが“恋”に関わることだと知った。それで、なのだろう。彼女はこう語り始めた。


「あれは、わたしがまだ大地の広さも、天空の高さも弁えない、未熟であったころの話です。わたしは小さな世界で生まれ、そして死んでいくのだと思っていました」


 イスメルの郷里は、広大な樹海の中にある、小さなエルフの隠れ里だ。人口はおよそ150人。外界とはほぼ完全に遮断され、里での生活は自給自足が基本。全員が顔見知りで、助け合いながら生きていた。


「当然、年の近い子達は全員が幼馴染。小さな頃は、むしろ一箇所に集めておいた方が手間が掛からない、といった具合の扱いでした。……そして、わたしが恋をしたのも、そんな幼馴染の一人でした」


 いつ恋愛感情が生まれたのかそれは分からない、とイスメルは言う。それくらいいつも一緒にいた。共に獣を狩り、湖畔に出かけては一緒に星空を見上げた。気が合ったし、息も合った。狭い世界であったから、いずれ幼馴染のグループの中の誰かと結婚するのだと思っていたし、「それなら彼がいい」といつしかそんなふうに思っていた。


「『一緒になろう』と、彼もそう言ってくれました。……ああ、今にして思えば、あれがプロポーズだったのですね……」


 しかしそうはならなかった。なぜか。そこにはエルフであり、また小さな里であるがための風習が関係していた。


 エルフは長命である反面、子供が生まれにくい。さらに人口は150人程度ということもあって、隠れ里にとって「いかにして子孫を繋いでいくか?」というのは避けては通れない大きな問題だった。


「そのせいなのでしょう。『子供の結婚相手は親が決める』というのが、里では一般的な考え方でした」


 とはいえ「生まれたときから」というほど、ガチガチに決められてしまうわけではない。むしろ成長していく中で遊びや仕事を通して相性を見極め、上手くいきそうだと思ったら親同士が話し合って決める、というのが一般的なプロセスだ。ただ子供の側が動くとしても、まずは自分の親に希望を伝え、そのうえで親に話を通してもらう、というのが軋轢を生まず面子を潰さないやり方だった。


 イスメルと想いあっていたその彼も、親に自分の希望を伝えた。「イスメルを娶りたい」とそう言ったわけだ。しかし彼の両親は難しい顔をして首を横に振った。このときすでに、別のエルフ女性との婚姻の話がほぼ決まっていたのである。


「相手の女性も、当然わたしや彼の幼馴染でした。薬の調合に長け、このときすでに薬師として働き始めていました。わたしも彼女のために薬草を森へ採りに行ったことがあります。弓よりも竪琴が上手で、控えめで、優しい良い娘でした」


 なぜイスメルではなく彼女が選ばれたのか、本当のところは分からない。イスメルはエルフにしては珍しく弓が下手で、代わりに双剣を得物としている変わり者だったが、しかしその腕は当時から確かで、里での評判も悪くなかった。結局のところは彼の両親の判断だ。一方を選べば一方は選ばれない。つまりはそういうことであろう、と考えイスメルは過去に決着をつけていた。


 さて、イスメルではなく別の幼馴染と結婚するように言われた彼は、当然それを撤回するよう両親に強く求めた。しかし婚姻の話はほぼ決まっており、相手の親も乗り気になっている。さらに言えばこの話は彼の親の側から頼み込んだもので、幼馴染の女性に落ち度は少しもない。


 それなのにこの段階で話をなかったことにすれば、相手方の面子を全く潰すことになる。大きく、そして根深い感情的なしこりを残すことになるだろう。全員が協力しなければ立ち行かない小さな隠れ里にとって、それは看過できない大きな問題だった。


「一番良いのはこの話をそのまま進めること。それが彼の両親の判断でした。常識的な判断です。けれどもだからと言って納得できるわけではないのが、若者の常なのでしょう。わたしは彼から『駆け落ちしよう』と誘われました」


『僕たち二人なら、世界の果てまでだっていける』と彼は言った。そしてイスメルも頷いた。今になって思えば、恋に浮かされていたのだろう。けれどもその想いは純粋で穢れなく、そして真っ直ぐだった。


 駆け落ちの決行は、皆が寝静まった夜半過ぎ。二人一緒に里を出ては目立つから、まずは個別に抜け出して、後で落ち合う。場所は森の目印としても馴染み深い双子岩。そこから夜のうちに森の外を目指す。


 二人とも完璧な計画だと思っていた。必ず成功すると確信していた。今にして思えばずさんな計画である。第一、夜に決行というのが素人丸出しだ。狩りや薬草採取の名目で森へ入り、そのまま駆け落ちすれば良かったのだ。「不慣れな者ほど奇をてらう」ということだろう。


 まあそれはそれとして。決行の夜、イスメルは静まり返った家を、息を殺しながら後にした。もうここへは戻ってこないと思えば、後ろ髪も引かれる。だがそれ以上に彼と一緒になりたいという思いの方が強かった。


「わたしは里を抜け出し、双子岩で彼を待ちました。けれども、彼は来ませんでした」


「裏切られた、んですか……?」


「いえ。恐らくですが、見つかって捕まったのでしょう。駆け落ちの計画は、親たちに露見していたのです」


 イスメルがそう話すのには、もちろん理由がある。彼女が家を抜け出すとき、新しいミスリル製の双剣とそれを吊るす剣帯、そして若草色のローブが居間のテーブルの上に用意してあったのだ。親が用意してくれた、餞別の品である。


 イスメルの両親は、彼女が里を出て行くことを容認したのだ。こういう問題が起こった以上、しこりは必ず残る。小さなこの里の中では、顔を合わせずにいることはできない。不和の芽を摘むための決断だった。


「そういう事情ですから、彼が来ないことは覚悟していました。そして実際、彼は来なかった。一晩待ち、東の空が白んできたころ、わたしは森の外を目指して歩き始めました」


 里に戻ることは可能だったろう。両親をはじめこの件の関係者たちは、イスメルが里を出て行くことを容認しただけであって、彼女は決して追放されたわけではなかったのだから。しかし彼女はそれを選ばなかった。餞別の品を受け取った時点で、彼女の心はもう決まっていたのだ。


「これがわたしの初恋で、そして最初の失恋です」


 淡々としながらも、しかしどこか哀惜を滲ませて、イスメルはそう言った。彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。後ろに跨るカレンからは、その表情を見ることはできない。ただアッシュブロンドの髪が風に吹かれて流れている。そんな彼女に、カレンはこう尋ねた。


「後悔、してますか……?」


「後悔、ですか……。そうですね……」


 イスメルは小さく苦笑してから、少しの間沈黙して考え込む。それからゆっくりと、一言一言確かめるようにこう話し始めた。


「里を出たことは、後悔していません。結果的にではありますが、多くの経験ができましたし、またわたし自身それを楽しめました。彼と結ばれなかったことは、納得した上で前に進んだ、つもりです」


 心というのは自分でもよく分からないものです、とイスメルは苦笑した。思い出の色まで変えることはできない、ということなのだろう。そして彼女は苦笑を納めると、穏やかな口調でさらにこう続けた。


「後悔はない、つもりです。落ち着くべきところに落ち着いたのだと、そう思っています。けれどももしやり直すことができるのなら、結末は変わらないのだとしても、もっと話をすれば良かったと思います。特に両親とは、別れの言葉を交わすことも出来ませんでしたから」


 それがきっと、イスメルの後悔なのだろう。カレンはそう思った。確かに言葉も交わさずに両親と別離し、もう二度と会えないだなんて、そんなのは悲しすぎる。そう思い彼女が沈痛な面持ちをしていると、それを察したのかイスメルが苦笑交じりの声でこうネタ晴らしをした。


「別に、今生の別れだったわけではありませんよ? 実際、100年くらい後に一度里帰りしましたから。弟が生まれてましたね」


 それを聞いてカレンは脱力した。「これだからエルフは!」と叫びたい気分だ。そんな弟子の内心を察し、イスメルは楽しげに笑った。


「……彼も、奥さんと上手くやっているようでした。あまり心配はしていませんでしたが、気がかりではあったので、様子を見られて良かったです。あの時は出来なかった話も、たくさんできましたしね……」


 イスメルが本当の意味で最初の恋を吹っ切れたのは、たぶんこの時なのだろう。彼女の話を聞いて、カレンはそう思った。離れて暮らし、別々の道を行ってなお、100年の時間とたくさんの話し合いが必要だったのだ。


『カムイや呉羽と、ちゃんと話し合いなさい』


 カレンはそう言われた気がした。そう感じたということは、彼女自身それが必要だと頭では理解しているのだ。逆に、それが出来なければ三人の仲は破綻してしまうであろうことも。


 そう頭で分かってはいるのだ。しかし感情が追いつかない。より具体的に言うのなら、勇気がでない。話し合いの結果、自分が身を引かなければならなくなったらどうするのか。心に頭が追いつかない。


「さて、これ以上深く調べる必要もないでしょうし、そろそろ次に行きましょう。いいですね?」


「は、はい!」


 カレンがそう答えると、イスメルは【ペルセス】の手綱を引いて高度を上げ、〈魔泉〉から脱出した。彼女たちが次に向かうのは南、つまり〈山陰の拠点〉である。以前に「長期的に瘴気濃度を下げるための実験」として地中を含め瘴気を浄化しまくったことがあったが、ロロイヤに頼まれその後の経過を確認しに行くのだ。


 山を越えなければならないため、徒歩で向かおうとすれば一苦労だが、空を駆ければどれほどのこともない。二人は十数分ほどで〈山陰の拠点〉に到着した。地に足が付く感覚に安心感を覚えながら、カレンは瘴気濃度を測定する。結果は0.78。十分に低い、と言える数値だ。


 ただ、これをもって実験の成果とするのはまだ気が早い。長期的というほど、まだ時間が経っていないからだ。今後も継続してデータを取り、それと睨めっこしてロロイヤがいろいろと判断するだろう。


 数値だけメモして、二人はすぐに〈山陰の拠点〉を後にした。急ぐ必要はないのだが、ここに残っていても仕方がない。それに休むのなら【HOME(ホーム)】のリビングの方がいいに決まっている。


(リビングかぁ……)


 カレンは胸中でそう呟いた。そこにはきっと、カムイや呉羽もいるだろう。正直に言えば、顔を合わせ辛い。けれどもリビングには他のメンバーもいるはずで、その点だけは気が楽だった。


 さて、イスメルとカレンが【HOME(ホーム)】に戻ると、お茶を飲みながら報告会が開かれた。写真をホログラムのように浮かべながら、まず要点だけの簡潔な報告が行われる。それから質疑応答が行われ、最後にロロイヤやアストールが内容を紙面にまとめる。ちなみにカムイなどは完全に傍観だった。


「ふむ。大よそ推測どおりではあったが……。そうか……、まだ〈ゲートキーパー〉は再出現しないか……」


 顎を撫でつつどこか残念そうに、ロロイヤはそう呟いた。〈ゲートキーパー〉を倒してから今日で四日。平常運転に戻って再出現してもよさそうな頃合だが、しかし実際にはそうはならなかった。


 もちろん、再出現しなかったからこそ、詳しく〈魔泉〉を調べられたのだ。そういう意味ではこれで良かったと言える。ただ、再出現の間隔がつかめない間は、どうしても〈魔泉〉に近づく度に緊張を強いられる。早めに解明したいところだった。


「まあ、こればかりは観測を続けるしかないな」


 ロロイヤの言葉にメンバー全員が頷く。明日からもイスメルとカレンに〈魔泉〉の偵察を行ってもらうことが決まった。詳しく調べることはしない。〈ゲートキーパー〉が出てくるかどうかだけを調べるのだ。要するに行って帰ってくるだけの、簡単なお使いである。カレンがいるから、コストもかからない。


 その後、彼らは昼食を食べた。それから一時間ほど休憩し、午後からは例の丘に登って極大型のモンスターを狩る。極大型のモンスターの利点は稼げることだけではない。出現のタイミングをプレイヤーの側でコントロールできることにある。一回ごとに様子を見ながら戦えるので、指揮をする者が冷静なら無茶を犯す危険がない。


「よし、今日はここまで」


「まだ、戦えますけど……」


「明日のことも考えて余力のあるうちに、ってことさ」


 夕方、辺りが暗くなり始める少し前。アーキッドはそう言って、少々不満げな様子の呉羽の肩を軽く叩いた。そして他のメンバーに声をかけて手際よく撤収させていく。全員大きな怪我はなく、また疲れ果てた様子もない。明日以降のことも考えれば、確かに退くのにちょうどいいタイミングだった。


 さて、本日の戦果は極大型を十体。稼いだ額は5,000万Ptと少し。向上薬など消耗品にかかった分を差っぴいてから、また200万Ptがメンバー全員に分配された。残りはアーキッドに渡され、【Prime(プレイム)Loan(ローン)】で借りた分の返済に当てられた。これで借金はほぼ完済となり、【HOME(ホーム)】の再建事業はようやく終わったのである。実は遊戯室がまだなのだが、どうしても必要と言うわけではないので割愛された。再建するかは今後の稼ぎ次第である。


「そんじゃ明日以降もよろしく、ってことで」


 ポイントの分配を終えると、アーキッドは明るい笑みを浮かべてそう言った。明日以降の予定もだいたい決まっている。まずは〈魔泉〉で〈ゲートキーパー〉が再出現するかを確認し、しないなら今日と同じく極大型を乱獲する。再出現するなら、ターゲットを〈ゲートキーパー〉に変えるだけだ。ちなみに魔昌石は要回収である。


 今後の予定の確認とポイントの分配が終わると、メンバーは休むまでの時間を思いおもいに過ごし始めた。部屋に戻ってもすることがないので、カムイはそのままリビングでダラダラとしていたのだが、一方で呉羽はそんな彼を見てさっさと部屋に戻ってしまう。避けられているのは一目瞭然だった。


 理由は分かりきっている。分かりきっていて、どうしようもないことも分かるのだが、こうしてあからさまに避けられると、カムイとしてもやっぱり多少は傷つく。「あの告白は一体なんだったのか」と、そんな考えも頭をよぎる。身勝手な話だ。返事どころか、告白自体をなかったことにしたというのに。


 カムイが少し寂しげな顔をして呉羽を見送ると、その背中を別の少女が追いかける。ルペだ。彼女はカムイの方に視線を向けると、「任せて!」と言うように得意げな笑みを浮かべる。カムイも「頼む」といった具合に一つ頷いた。こういう話はきっと同性同士のほうが上手くいく。それは多分事実なのだろうが、それでもどこかいい訳じみているように彼は思った。


 さて、部屋に戻った呉羽はベッドの上で仰向けになっていた。まだ眠くはない。本でも読もうかと思うのだが、しかしどうもその気にならない。ただぼんやりと天井を見上げている。


(カムイ……)


 胸中で呟くのは、好いた人の名前。けれども呉羽は今、彼を避けている。カムイはカレンの婚約者。この想いは諦めなければならない。そう考えてのことだ。理性で心を押し殺している。それがたまらなく苦しい。


「――――クレハ? 少しいい?」


 不意に部屋の扉がノックされ、ルペの声がした。呉羽は身体を起こしてから、「どうぞ」と返事をする。するとルペが「お邪魔しま~す」と言って部屋に入ってきた。


「あ、ゴメン。もしかしてもう寝てた?」


「いや、大丈夫だ。それで、どうかしたのか?」


 呉羽がそう尋ねると、しかしルペはすぐには答えず、ベッドに座る彼女の近くまで来てから「隣、いい?」と尋ね、了承を得てからそこに座った。ちなみにルペは自分の部屋で、いわゆる人間用のベッドを使っている。有翼人は背中に翼を持つ関係で、通常専用の寝具を用いるのだが、彼女は生来の翼を失っているのでソレを用意する必要がなかったのだ。


 まあ、それはそれとして。呉羽の隣に腰掛けると、ルペ「ん~」と気持ち良さそうに身体を伸ばし、そのままベッドの上へ仰向けに倒れこんだ。その様子を見て呉羽は苦笑する。こうやって自由に振舞ってもそれが癇に障らないのがルペの人徳だろう。


「……ねえ、クレハ。温泉入りたいね」


「そうだな」


 呉羽は苦笑しながらそう応じた。心当たりがあるだけに、何を言われるのか内心身構えていたのだが、ちょっと拍子抜けしてしまった。


(ああ、でも確かに……)


 最近は温泉に入っていない。最後に入ったのは、確かルペやカムイと一緒に三人で行ったあの天然温泉だ。あれは楽しい温泉旅行だった。けれどももう行くことはないだろう。そう思い、呉羽は涙ぐんだ。そしてそのことに気付かれたくなくて、彼女はそっと顔を背けた。


「ねえ、クレハはこの世界に来て良かった?」


 まだ寝転がっているのか、ルペの声は下から聞こえた。その位置なら、涙ぐんだ目元は見えていないだろう。そう思い、呉羽はひとまず安堵する。そして内心を落ち着けてから、彼女にこう答えた。


「良かった、と思っている」


「アタシもね、来て良かったって思ってるんだ!」


 そう応じるルペの声は明るい。そのことに呉羽はもう一度苦笑した。そのおかげで幾分心が軽くなる。


「ルペがそう思っているのは、やっぱりもう一度空を飛べるようになったからなのか?」


「もちろん! でもそれだけじゃないよ?」


 ルペは元の世界で生来の翼を失っている。それでその翼を取り戻すべくこのデスゲームに参加したのだ。ただ、彼女はゲームをクリアするより前に新たな翼を手に入れていた。それが彼女のユニークスキル【嵐を纏う者(テンペスト)】だ。彼女は今、光り輝く黄金の翼でこの世界の空を飛んでいる。


 有翼人にとって空を飛べなくなることは、人にとって歩けなくなることに等しい。だからこの世界で再び翼を得たルペが、そのことで「来て良かった」と思うのはある意味当然のことだ。だが彼女にはそれ以外にも「来て良かった」と思う理由があるらしい。それを彼女はこんなふうに語った。


「色んな人にあえて、色んな話をいっぱい聞けたからね」


 有翼人って結構引き篭もりなんだよ、とルペは寝転んだまま唇を尖らせた。当たり前の話だが、有翼人は翼を持ち空を飛ぶことができる。反面、その翼のせいで地面を耕すことには向かない。その特性のため、また外敵から身を守るため、彼らは普通の人間が近寄り難い急峻な山岳地帯に住まうことが多かった。


 空を飛べるので行動範囲は広い。ただ、その行動範囲には基本的に彼ら以外の集落はない。結果的に関わるのはほとんどが有翼人になり、そういう環境のことをルペは「引き篭もり」と言ったのだ。ちなみに彼女がよく入浴していた温泉は、そんな山岳地帯のあちこちに湧き出していたというから、あるいはその辺は火山帯だったのかもしれない。


 そんなわけで元の世界にいた頃、ルペの周りには有翼人しかいなかった。集落は幾つかあったとはいえ、山を一つ越える程度有翼人にとってはお隣さんも同じ。同じ地方の同じ有翼人なのだから文化や風俗は同一。翼が濡れることも厭わず温泉に入ってしまうほど好奇心が強いルペにとって、そこは決して面白い世界ではなかった。


「ずっとね、『いつか飛び出してやろう』って思ってたんだ」


 しかしそれは叶わなかった。翼を失ってしまったからだ。「外の世界へ飛び出す」という彼女の夢は断たれてしまったかに見えた。しかし今、彼女はこうして異世界にいる。まぎれもない、「外の世界」だ。


 呉羽たちと出会う前までは、行動範囲の広さはもとの世界にいた頃とあまり変わらなかった。関わる人数はむしろ減った。しかし周りにいるのはみんな異世界人。彼らが聞かせてくれる武勇伝や秘境の話は、ルペの好奇心を強く刺激した。話す側も、彼女があまりにも楽しそうに聞いてくれるので、気分よくたくさん話してくれたという。


 自分もいつかそんな冒険をしてみたい。そしてその先々で温泉に入るのだ。ルペがそんなふうに思うようになるまで、そう時間はかからなかった。瘴気のせいですぐは行動に移せなかったが、【若返りの秘薬】もある。時間は問題にならない。時期が来たら旅に出よう、とルペは思っていた。


 その時期は、彼女が思っていたよりもずっと早く来た。呉羽に「一緒に来ないか?」と誘われたのだ。あの時は結構軽い気分で話に乗ったのだが、今は一緒に来て良かったと思っている。〈魔泉〉とか、スゴいものを見ることができた。


「今は毎日が楽しいよ。……一時期に比べたら、うんとね」


 前半は明るい声で、後半は少し沈んだ声で、ルペはそう言った。「一時期」というのは、彼女が翼を失っていた期間のことだろう。好奇心の強い彼女にとって、自由に動けなくなるのは大変な苦痛だったに違いない。


「……なあ、ルペはどうして翼を失ったんだ? あ、いや、言いたくないなら聞かないけど……」


 呉羽は遠慮がちにそう尋ねた。今まで気になっていたのだが、しかし翼は有翼人にとって非常に大切なもの。それを失ったいきさつなど話したくはないだろうと思い、これまでは聞かずにいたのだ。これは呉羽だけでなく、メンバー全員が同じだった。しかし当のルペは気にした様子もなく、あっけらかんとこう答えた。


「大したことじゃないよ。里の仲間をワイバーンから庇ったんだけど、その時に背中をザックリとやられちゃったの」


 ワイバーンとは牛ほどの身体と長い首と尻尾、さらに巨大な翼を持つ雑食の飛竜だ。もちろん空を飛ぶ。そんなワイバーンにとって有翼人とは大き目な鳥でしかなく、逆に有翼人にとってワイバーンはほとんど唯一と言っていい天敵だった。


 もちろん有翼人たちとてただただ餌になっているわけではない。むしろ武装した彼らは集団でワイバーンを襲いこれを狩っていた。余談だがワイバーン狩りに参加できるのは一端の戦士と認められた者だけ。そして女であり当時まだ子供だったルペは、当然戦士とは認められていなかった。


「里がね、襲われたんだ」


 戦士として認められていなかったルペが、どうしてワイバーンと戦うことになったのか。その理由を彼女は端的にそう話した。しかも間が悪く戦士たちは狩りに出ていて留守。極めてまずい状況だ。それでも一方的に蹂躙されてなるものかと少しでも戦える者は迎撃に上がった。そしてその中にルペもいたのである。


 ワイバーンの攻撃手段は三つ。牙と爪と尾だ。つまり近づかなければ攻撃されることはない。だがワイバーンの身体は硬い甲殻に覆われていて、弓矢程度では弾かれてしまう。倒すには槍を用いる必要があり、そして槍で突き殺すには近づかなければならない。


 ルペが庇ったのも、槍を持っていた仲間だった。彼女自身は弓を用いて牽制につとめていたのだが、その仲間が喰われそうになったので、慌てて割り込んだのだ。かなり無茶苦茶な割り込み方ではあったが、牙は避けることができた。しかし続けて振るわれた爪を避けることができず、翼と背中をやられてしまったのだ。


「羽毛で隠れてるけど、まだその時の傷も残っているよ」


 見る? と言ってルペがうつ伏せになって背中を見せるので、呉羽は慌てて「大丈夫だから!」と言って彼女を仰向けに戻した。結構重い話をさせてしまい、呉羽は申し訳なさげだ。しかしルペは相変わらず気にしていない様子で、さらにこう言葉を続けた。


「まあ、そんな事情だったからね。翼をなくした後も、結構大事にしてもらったんだよ」


 ワイバーン相手に仲間を守った、名誉の負傷。ルペの傷はそう捉えられたのだ。さらに庇った相手が里でも一目置かれている戦士の息子だった。戦士は彼女にいたく感謝し、その後の生活を何かと助けてくれた。


「温泉にもね、連れて行ってもらったんだよ」


「湯治、だな」


「そう、それ!」


 ルペが歓声をあげる。有翼人のくせに入浴する彼女は変人扱いだったので、温泉に入るちゃんとした理由ができたのは嬉しかったのかもしれない。


「でも、やっぱり傷は大きかった。いろいろとね……」


 少し寂しそうに、ルペはそう言った。それはたぶん、傷そのものだけの話ではないのだろう。傷によって生じた、彼女を取り巻く環境の変化について言っているのだ。呉羽はそのことをちゃんと察した。


「後悔、しているのか?」


「ううん、別に。戦いに出ればそういうこともあるよ。で、生きていればいいこともある!」


 ルペは明るい声でそう言った。それを見て呉羽も小さく笑う。自分のことなら、そう割り切るのは結構簡単だ。ただ人のことになると、割り切るのは難しい。自分にとって大切な相手なら、なおさらだ。


「そう、だな」


「クレハ、誰か心配な人でもいるの?」


 顔色と声音から彼女の内心を敏感に察し、ルペはそう尋ねた。それから続けてさらに「カムイたちのこと?」と尋ねる。それに対し、呉羽は苦笑しながら首を横に振った。


「カムイたちのことは心配してないよ。みんな強いしな。……もとの世界に、妹が、いるんだ……」


 そう言って呉羽は自分のことを話し始めた。


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