壮大な回り道2
時間は少しだけ遡る。カムイが援軍を呼ぶために駆け出した、そのすぐ後のことだ。彼が遠ざかるのを、キュリアズは音だけで確かめる。彼女の視線は上を向き、一直線に向かって来るモンスターを鋭く見据えていた。三対六枚の翼を持つ、ムカデに似た大きなモンスターだ。
「護りたまえ、神々の城砦! 【アースガルド】!」
タイミングを見計らい、キュリアズは準備していた祭儀術式【アースガルド】を発動させた。盾を模した魔法陣が展開され、そこへモンスターが猛烈な勢いで体当たりする。並みの城壁なら一発で粉砕できそうなその体当たりを、しかし【アースガルド】は揺らぐことなく受け止めた。
「はぁぁぁああああ!!」
「おおぉぉぉぉおお!!」
そこへ左右に展開していたデリウスとフレクが仕掛けた。まずデリウスが左から仕掛け、剣を振るって【ARCSABER】の青白い斬撃を放つ。その斬撃はモンスターの右側面に生える三つの翼のうち、真ん中のものを根元から切り飛ばした。
「ギィィィイイイ!?」
モンスターが悲鳴を上げて身をよじる。そこへフレクが追撃をかけた。ダークレッドの〈覇気〉を身体に纏い、大きく跳躍してモンスターの身体を強烈に踏みつける。そしてそのまま地面にたたきつけた。
「もう一つ!」
さらにフレクは、大きな翼の一つを羽交い絞めにし、そのまま力を込めてむしり取る。ブチブチと根元から引き千切られた翼は、一瞬の後で瘴気に還った。モンスターが絶叫を上げて身体をよじる。その上に乗っていたフレクは、たまらずに大きく跳躍して距離を取った。
「【アースガルド】が消えます! 離れて!」
そう指示を出したのはアストールだった。デリウスとフレクはすぐさまそれに従う。そして【アースガルド】が消えたその瞬間、アストールは左腕にはめた〈テトラ・エレメンツ〉を発動させる。そこには〈フレイム・エンチャント〉の魔法がかけられていて、増幅された炎が風に煽られ、モンスターを飲み込んだ。
「ギギィィィイイイイ!?」
モンスターが悲鳴を上げる。炎の勢いは強いが、しかし焼き尽くすほどではない。しかもモンスターの身体はムカデらしく硬い殻に覆われていて、どうもただ焼くだけでは致命傷になりにくいらしかった。
とはいえ、怯ませることはできた。さらに少し離れたところからデリウスが青白い斬撃を放ち、着実にダメージを与えていく。モンスターの翼がもう一枚、千切れとんだ。しかしそれでも、まだ倒すには至らない。
「ギィィィィイイイイ!」
モンスターが雄叫びを上げた。不吉な赤い目には、はっきりと怒りの色が浮かんでいる。そして炎に煽られながらも残った翼を大きく羽ばたかせて風を起こした。その風が周囲の炎をかき消し、また押し返していく。自分の炎で焼かれてはたまらないと、アストールは慌てて炎を消した。
それと同時に、彼は魔法を一つ発動していた。相手を拘束して動きを封じる支援魔法〈ソーン・バインド〉だ。ただ、このモンスターは大きいので、普通に使ったのではしっかりと拘束できない。そこで彼は残った三枚の翼のうちの一つに狙いを定めた。
「ギィ!?」
飛び掛ろうとしたモンスターが、しかし身体を引っ張られて困惑の声を上げた。翼の一枚が魔法の茨で雁字搦めにされて、それがモンスターの動きを大きく制限している。思惑通りに事が運び、アストールは笑みを浮かべた。しかしその笑みはすぐに凍りつくことになる。
「ギィィイイ!!」
雄叫びと共に、モンスターが自ら翼を引き千切ったのだ。自由になったモンスターは猛然と体当たりを仕掛ける。狙いは丘の頂上付近で固まっていたキュリアズ、カレン、ロロイヤ、アストールの四人だ。
反応が早かったのはキュリアズとカレンだ。キュリアズは実戦経験が豊富だし、カレンはイスメルと密度の濃い訓練を行っている。その成果が出たのだ。二人は大きく飛び退いてモンスターの体当たりをかわした。
少し遅れてロロイヤも反応する。彼はサイドステップでモンスターの体当たりを回避しつつ、〈光彩の杖〉で防御用の魔法陣を描き攻撃を防いだ。ずいぶんと手馴れた様子である。彼は戦闘を生業としているわけではないが、職業(というより趣味?)がら荒事に巻き込まれることも多く、それなりに修羅場は潜っている。ジジイの経験は伊達ではないのだ。
最も反応が遅れたのはアストールだった。彼の場合、まさかモンスターが自分で翼を引き千切るとは思っていなかったから、不意を突かれた格好だ。咄嗟に身体を捻るが、回避しきれない。弾き飛ばされそうになったところへフレクが割り込んで彼を庇った。
「ぐっ……!」
「フレクさんっ! っ、〈プロテクション〉!」
アストールがフレクに防御力を上げる支援魔法をかける。さらにフレクは少しだけ身体をずらし、モンスターをいなすようにして側面に回った。その間ずっと彼はモンスターの体当たりで身体を削られるような格好になっていたのだが、全開にした覇気と〈プロテクション〉のおかげで大きなダメージはなかった。
「ぬぅぅううう……! はぁ!」
声を上げ、フレクはモンスターの長細い脇腹に強烈な蹴りを叩き込んだ。その衝撃でモンスターの身体が一瞬浮く。その隙にフレクとアストールが離脱する。その際、〈ソーン・バインド〉を置き土産にして動きを阻害した。そこへ距離を取ったロロイヤとキュリアズが仕掛ける。
「ちっ……!」
「〈フレイム・ランス〉!」
ロロイヤは攻撃用の魔法陣を描き、散弾状の閃光を放っている。ただ手数を優先したのは悪手だった。硬い甲殻に阻まれ、さほどダメージを与えられていない。
一方キュリアズが放ったのは、槍状に圧縮した炎を放つ魔法〈フレイム・ランス〉だ。魔法それ自体のランクは中級だが、祭儀術式を除き彼女が使える魔法の中では一番火力がある。それをワンフレーズで発動できるところに、彼女の真価があると言っていい。
さらにワンフレーズであるにも関わらず、放たれた〈フレイム・ランス〉は二つだった。キュリアズはツインダガーを使い、その柄尻にはめ込まれた小さな結晶体を触媒にして魔法を使っているのだが、つまりツインダガーの両方から魔法を放ったのだ。キュリアズの世界でも彼女以外には使い手のいない、〈ミラースペル〉と名付けた特殊技能だった。
放たれた〈フレイム・ランス〉のうち、片方はモンスターの顔面に突き刺さって奴を怯ませる。もう一方は二枚残った翼の片方に直撃した。根元だったことや、これまでにダメージが蓄積していたこともあり、その翼は折れて瘴気へと還る。
これで翼は後一枚。満身創痍にはまだ足りない様子だが、しかしこれで飛ぶことはもうできないだろう。そして残った翼もすぐに吹き飛ばされることになった。援軍が到着したのである。
「そっこぉ!」
元気のいい声と共に、上空から矢が放たれた。〈ゲートキーパー〉戦のために購入されて余っていた【太陽の矢】だ。その矢は最後に残ったモンスターの翼に当たり、そして爆発して吹き飛ばした。
ルペの攻撃はそこで終わらない。彼女は半瞬でさらにもう一本【太陽の矢】を弓につがえ、もう半瞬で狙いを定めて射る。一瞬の早撃ちだ。放たれた矢はモンスターの横っ腹に直撃して爆発し、その長細い身体をたゆませた。
「おおおおおお!」
そこへフレクが追撃をかける。彼は体勢を崩したモンスターの顔面に連打を叩き込んだ。モンスターが頭を振って反撃すると、彼は流れるようにデリウスとスイッチする。デリウスは盾を構えると攻撃が当る瞬間を見切って【ARCSABER】を発動する。モンスターの頭は大きく弾かれた。
モンスターの裏側がむき出しになる。そこには無数の足が生えていて、かなりグロテスクだ。カレンなどははっきり「うげ」と顔をしかめている。ただ同時にそこは硬い甲殻に覆われていない。好機とばかりにルペやロロイヤ、キュリアズなどが攻撃を加えた。
「ギィィィィイイイ!?」
ダメージがあったのか、モンスターは悲鳴を上げながら激しく身体を揺らした。そしてそのまま、身体を地面に叩きつけてそこにいるプレイヤーたちを押し潰そうとする。しかしそこへ〈獣化〉したミラルダが駆けつけた。
「待たせたの!」
颯爽と現れた彼女は、そのままモンスターの首筋に噛み付く。そして首のスナップをきかせてそのまま放り投げた。そしてモンスターが起き上がろうとしたところを、九本の尻尾を駆使して滅多打ちにする。
「アストールッ、拘束せよ!」
「っ、〈ソーン・バインド〉!」
ミラルダに指示され、アストールが〈ソーン・バインド〉の魔法でモンスターを拘束する。しかし巨体であるために、そのしっかりと捕らえることができない。モンスターが力任せに身をよじる度、魔法の茨の拘束が緩んだ。
「逃がさぬぞえ!」
そのモンスターを、ミラルダが黄金色の魔力糸でさらに雁字搦めにする。これで完全にモンスターの動きを封じた。そこへ、盾を投げ捨てたデリウスが剣を振り上げて迫る。
「これで、止めだ!」
彼が全力で放った【ARCSABER】の斬撃は、見事にモンスターを一刀両断した。そしてモンスターは最後の断末魔を上げてから瘴気へと還る。あとには深紅の魔昌石だけが残った。それを見て、デリウスは「ふう」と息を吐いて剣を鞘へ戻す。そんな彼に後ろから声がかけられた。
「よう、無事で何よりだ」
そう言って、アーキッドたちが合流する。彼は残りのメンバーを全員連れて来ていた。全員きちんと戦闘準備を整えていて、必要があればそのまま援護に加わるつもりであったことが分かる。味方が駆けつけてくれたことに、デリウスの顔は自然と緩んだ。
その後、ロロイヤの意向とコスト回収の思惑が重なり、実験は継続された。ただし、その前に準備は整えておく。実験を続けた場合、また強力なモンスターが出現すると思われるからだ。
消費した魔力を回復させ、さらに向上薬が必要なメンバーはそれを服用する。先ほど手に入れた大きな魔昌石は、ひとまずポイントには変換せずに保管しておくことにした。準備が整ったのを確認してから、キュリアズは【祭儀術式目録】を構える。乱獲が始まった。
― ‡ ―
「いや、スゲェな、コイツは」
ひとしきり稼ぎ終えた後、【HOME】のリビングでその戦果を確認して、アーキッドは呆れ気味にそう呟いた。あの後、彼らは昼食を挟んで二三回の実験を行い、同じ数だけあの飛びムカデレベルのモンスターが出現し、合計で二二個の魔昌石を回収した。これに最初の一回を加えたものが、今日一日分の戦果となる。
つまり全部で二四回戦闘し、二三個の魔昌石を手に入れたわけだ。ちなみに一つ数が合わないのは、一体だけリムが〈セイクリッドバスター〉で吹き飛ばしてしまったために、魔昌石が残らなかったのだ。ただポイント自体は手に入っているので、稼ぎ的には何の問題もない。
稼いだポイントの合計は、120,164,795Pt。驚きの1億2,000万Pt越えだ。カムイたちが四人で瘴気を浄化する場合より、さらに時間当たりの効率がいい。本当に驚異的である。なおこれには最初に倒したモンスターの分も含まれており、つまり魔昌石を資料として保管するのはしなかったわけだ。
『必要になったら、また取ってくればいい』
要するにそういうことである。二三個も手に入れ、さらにはこの先も望めば手に入るとあって、希少性が薄れてしまったのだ。
稼いだポイントは、まず消費したアイテムの分が補充され、次にメンバー全員に200万Ptずつ分配された。ちなみにカムイはロロイヤからさらに100万Ptを受け取っている。エラーが出てしまった、例のリクエスト費用の穴埋めだ。カムイは大げさに喜んでいたが、それは物騒な魔道具を押し付けられずに済んだからである。
さて、残った分についてはアーキッドに渡され、【HOME】の拡張資金に当てられた。そのおかげでようやく一人一部屋を確保できるようになり、またリビングも広くなった。ただ、遊戯室はまだ再建されていない。【PrimeLoan】で借りた分の完済にも至っておらず、どうやらもう少し稼ぐ必要があるようだった。
『ワインセラーも欲しいんだよな、実は』
『収めるワインは、別に買わねばならんのではないかえ?』
『いいねぇ、俺好みにできるってわけだ』
アーキッドとミラルダは、そんな夢のある会話を交わした。ただ冗談半分とはいえ、その話が現実味を帯びるほど、大量のポイントを稼いだことに違いはない。それに1億2,000万Ptと言えば、〈ゲートキーパー〉を倒して入手したポイントとほぼ同額である。〈ゲートキーパー〉戦よりも時間はかかっているが、しかし一回毎の戦闘の危険度は遥かに低い。結果として余裕があったのは、間違いなく今日の方だった。
そして一回毎の戦闘に余裕があったからこそ、乱獲気味に二四回も戦えたといえるだろう。ただ通常ならばこんなことはできないし、また効率のいい稼ぎ方ともいい難い。そのことをデリウスはこんなふうに指摘した。
「実験を立案し、実行し、さらに何度も繰り返せる。このメンバーなればこそ、だな」
彼の言うとおり、今日の戦果はメンバーの能力が絶妙にかみ合った結果だった。他のメンバーで同じようにやろうとしても、こう上手くはいかなかったに違いない。それくらい今日の成果に結びつく、その条件は厳しいのだ。
キュリアズがいなければ実験そのものが成立しなかっただろうし、カムイやアストールがいなければ何度も実験して乱獲することはできなかった。加えてロロイヤがいなければ、そもそも実験自体が行われなかっただろう。やはり能力の組み合わせというのは重要なのだ。カムイたちはことをまた強く意識した。
「……それはそうと、肝心の実験の方はどうだったのじゃ?」
稼ぎの話が一段落すると、ミラルダがおもむろにそう言ってロロイヤのほうへ視線を向けた。彼女の言うとおり、今日の一連の戦闘はあくまでもロロイヤが希望した実験の一環であり、1億2,000万Ptの稼ぎは本来ついででしかない。額が大きすぎてそちらに目がいきがちだが、実験の結果も気になるところだった。
「うむ、悪くなかったぞ。具体的な考察はこれからだが、興味深い結果が得られたと思っている」
ロロイヤはそう満足げに答えた。彼はこういうところで嘘をついたり、周りに気を使ったりしないので、言葉通り満足のいくモノを見られたのだろう。一方でそれを少し信じられない者がいる。キュリアズだ。
「ですが、やはり強度が足りなかったのか、【ラプラスの棺】は一分程度しかもちませんでした。アレでよかったのでしょうか……?」
「ああ、何も問題ないな」
「そう、ですか……」
ロロイヤは相変わらず満足げな様子だが、それでもキュリアズは信じきれない部分があるらしい。というよりも彼女の場合、【ラプラスの棺】が想像以上にもたなかったことが気がかりなのだろう。それを察したわけではないだろうが、ロロイヤがこんなことを言い出した。
「今回の実験、【ラプラスの棺】は内圧に耐え切れず吹き飛んだ、という感じではなかった。どちらかと言うと、侵食されて崩れ落ちたように見えたな」
つまり【ラプラスの棺】の強度不足というわけではない、ということだ。瘴気それ自体に結界か、あるいは術式そのものを侵食する作用があり、そのせいで内圧による限界より先に棺そのものが崩壊してしまった、というのがロロイヤの見立てだった。
「ルクトの話から推測するに、瘴気にはこの世界、いやキュリーの世界のものとは異なる法則が含まれている。そのへんが原因かも知れんな」
ロロイヤはそう語る。目の付けどころというか、こういう彼の観察眼は流石と言っていい。なんにせよ、趣味のためには労力と能力を惜しまない人間といえるだろう。そしてさらに彼はこう話を続けた。
「キュリー。今回の実験で、『瘴気を封じ込めた』とかなんとかで、ポイントは発生したか?」
「え……、ちょっと待ってください……。いえ、発生していません」
システムメニューを開いてポイント獲得のログを確認し、キュリアズがそう答える。それを聞いてロロイヤは一つ頷いた。
「そうか。ということは、瘴気の全体の流入量は変わっていないわけだ。そもそも結界がドーム状である時点で、流入それ自体は防げていないわけだし、まあ当然と言えば当然だな」
最初から予想していたのだろう。残念そうな素振りも見せず、ロロイヤはそう言った。そして苦笑気味にこう続ける。
「何にしても、あのモンスターだな。今回の実験の最大の成果は、やはりアレであろう」
「二十回以上も倒しておいて今更だが、何だったのだろうな、あのモンスターは……」
「何って、普通のモンスターだろう?」
誰にともなく呟いたデリウスに、ロロイヤがそう答えた。実験中に出現したあのモンスターは、しかし普通のモンスターとなんら変わらないのだ、と彼は言う。だがあのモンスターが普通であったとはちょっと信じられない。多くのメンバーが首をかしげた。それを見てロロイヤはまた苦笑を浮かべる。
「確かに、ちょいと大きくはあったがな。だが、言ってしまえばそれだけだ。あの大型、……いや〈極大型〉とでも呼ぼうか。あの極大型のモンスターは、〈キーパー〉や〈ゲートキーパー〉とは違う。通常のモンスターの延長線上にいるだけだ」
ロロイヤは改めてそう断言した。ちなみにわざわざ〈極大型〉と名付けたのは、〈魔泉〉の周辺で出現する大型のモンスターと区別するためだろう。〈キーパー〉や〈ゲートキーパー〉を指すようにも聞こえるが、「アレはもうボスでいいだろう」というのがロロイヤの言い分だ。それでその極大型だが、「通常のモンスターの延長線上にいる」と彼は表現した。
「つまり、単にずば抜けて強いだけ、ってことか?」
「そうなるな。〈キーパー〉や〈ゲートキーパー〉に共通していた異常な回復能力もなかったし、一体ずつ姿かたちも変わっていた。まず間違いないだろう」
ロロイヤは大きく頷いてアーキッドにそう答えた。彼の言うとおり、今日倒した全二十四体の極大型モンスターは、〈キーパー〉や〈ゲートキーパー〉のように驚異的な回復能力を持ってはいなかった。ダメージを蓄積して倒す、ということができたのである。
さらにその姿かたちも、最初のムカデに始まり、蜘蛛に似たもの、蛇に似たもの、鹿に似たものなど、様々だった。一体として同じモンスターは出現していない。それが逆に、特別ではないことの証拠と言えた。
「しかしではなぜ、あそこまで強力なモンスターが出現したのだ?」
「……第一に大量の瘴気が存在し、第二にそれが高濃度になったから、だろうな」
少し考えてから、ロロイヤはフレクにそう答えた。つまり【ラプラスの棺】の結界内に大量の瘴気がたまり、しかも逃げ場を失って高濃度になったことで、極大型のモンスターが出現した、ということだ。
「それってつまり、結界が長くもてばもつほど、最終的には強いモンスターが出現する、ってこと?」
「まあ、そうとも考えられるな」
「じゃあ、結界で〈魔泉〉を封じるってやっぱり無理なんじゃない? だって、どれだけ強力な結界を張っても、瘴気が内側にたまり続ければ、いつかはそれを越えるモンスターが出現する、ってことでしょ? 破られちゃうよ」
「瘴気濃度がどこかで頭打ちになる、という可能性がないわけじゃないがな。とはいえ、それに期待するのも虫が良すぎるか」
ルペの指摘に、ロロイヤは肩をすくめながらそう答えた。とはいえ悲観している様子はない。それどころか楽しげに「まあ、何かしら方法はあるものさ」と言っている。カムイが「具体的には?」と尋ねると、「それはこれから考える」と彼は答えた。どうやら考えることそれ自体が楽しいらしい。
「それに、一時的な封印に意味がないわけではないと思うぞ。まあ、ポイントは付かんだろうがな」
ロロイヤは苦笑しながらさらにそう続けた。ポイントが付かないということは、つまり世界の再生には寄与していないということだ。最終的に流入する瘴気の量が変わらないのだから、そう判定されてもおかしくはない。
ただ、一時的とはいえ〈魔泉〉を封じ込めて時間は稼げるのだ。その間に何をするのかが重要だろう。もっとも、今のところその候補もない状態だ。それこそ「それはこれから考える」のである。
「それにしても、やはり〈魔泉〉というのはデタラメなシロモノですね……」
そう呟いたのはアストールだった。【ラプラスの棺】で〈魔泉〉を封じ込められたのはせいぜい一分程度。それなのに極大型のモンスターが出現するほど、大量の瘴気がその内側にたまったのだ。つまり〈魔泉〉からはそれだけの量の瘴気が噴出している、ということに他ならない。
「一体どれほどの量の瘴気が噴き出しているんでしょうか……?」
「かなりざっくりとした予想でよければ、算出できるぞ」
ロロイヤがこともなさげにそう言うと、アストールは「え?」と言って驚いたように彼の方を見た。ロロイヤは紙とペンを取り出すと、そんな彼の目の前で計算を始める。その様子をメンバー全員が半ば呆気に取られて見守った。
「全二十四回の戦闘で、稼ぎは約1億2,000万Pt。つまり一回あたりの平均は500万。棺がもつのが一分として、その間に噴出した瘴気の全てがモンスターになるわけではないので、全体の三割が魔昌石として回収されるとする。この条件で一日あたりの噴出量を計算すると、だ……」
およそ250億Pt分。それがロロイヤの算出した〈魔泉〉の一日あたりの瘴気の噴出量だった。もちろん彼自身が前置きしたとおり、これはかなりざっくりとした見積もりである。前提条件も不確かだ。しかしそれでも、一つの目安にはなる。その計算結果を見て彼は「ふむ」と呟き、そしてこう続けた。
「意外と、少ないな」
「いや、少ないか? だって250億Pt分だぞ?」
カムイが思わずそう口を挟むと、ロロイヤは呆れたような視線を彼に向けた。まるで出来の悪い生徒を見ているかのようだ。その視線に何かの記憶を刺激されたのか、カムイは居心地悪そうに身じろぎする。そんな彼にロロイヤは「少ない」と言ったその理由をこう語った。
「字面だけ見ないで、少しは頭を使え。プレイヤーは500万人以上いるのだぞ? そいつらが一日1万Pt稼げば、それだけで500億だ」
そう言われ、カムイは「あっ」と声を出した。しかも1万Ptというのは、一日分の生活費に届かない。ほとんど全てのプレイヤーは一日平均でそれ以上稼いでいるはずだ。となればプレイヤー全体が稼ぐ額は、500億Ptをさらに大きく上回ることになる。つまりそれだけの瘴気が、一日ごとにこの世界から取り除かれているのだ。
しかしだからと言って、世界の状況が回復へ向かっているとは思えない。むしろ徐々に悪くなっている、というのがプレイヤーたちの実感だ。なにより、このデスゲームはそこまでヌルくはないだろう。
つまりプレイヤーが取り除く分より、新たに流入してくる瘴気の方が多いのだ。そこから導き出される結論は一つ。メンバーが思わず口に出すのを躊躇ったそれを、ロロイヤがこう言葉にした。
「間違いなく〈魔泉〉は複数あるな。一〇か二〇か……。いや、ともすれば一〇〇を超えるかも知れんぞ?」
ロロイヤの口調はいっそ楽しげだった。そしてその楽しげな口調のまま、彼はさらにこう続ける。
「それだけ数があるとなると、〈魔泉〉の形態も複数あると考えるべきだな。……カムイ、ルクトはあの〈魔泉〉を“孔”と呼んだのだったな?」
「え、う、うん、そう。『孔に落ちただろう?』って……」
「ということは、孔ではない〈魔泉〉もあるのだろうな。くくく……、見てみたいものだ」
ロロイヤは楽しげにそう呟いた。ただし、彼の目はまるで獲物を見つけた肉食獣のように爛々と輝いている。そんな彼の様子に、アーキッドは思わずため息を吐いた。呆れたというのもあるが、それ以上に緊張していた自分がバカらしくなったのだ。
「楽しそうで何よりだが、軽率な行動は慎んでくれよ……。って、言っても無駄か……」
「何を言う。こうもやる事が多くては、おちおち死んでもいられんというのに」
本当に殺しても死ななそうだよな、とカムイは思った。もちろん思っただけで口にはしない。大真面目な顔で「当たり前だ」と肯定されてしまう様子が、まざまざと脳裏に浮かんだからだ。想像とはいえ、その様子に彼はげんなりとした。
その後、ロロイヤが「研究がある」と言って意気揚々と席を外したことで、〈魔泉〉に関わる今回の実験についての話は終わった。リビングに残ったメンバーは、それぞれ思いおもいに雑談をしたり、ボードゲームを始めたりしている。そんな中で呉羽が階段を上っているのをカムイが見つけ、彼女に近づきこう声をかけた。
「呉羽。これからカレンたちとトランプで遊ぶんだけど、一緒にどうだ?」
カムイがそう誘うと、呉羽はどこか寂しげで儚げな笑みを浮かべた。見方によっては、困っているようでもある。そして小さく首を横に振ってこう答えた。
「いや、ちょっと疲れたから今日はもう休むよ」
今日は結構激しく戦ったから、と呉羽は言った。それを聞いてカムイは思わず顔を曇らせる。彼のその顔を見て、呉羽はますます困ったように微笑んだ。そうされるとカムイはもう何も言えなくなる。
確かに今日の極大型との戦闘で、彼女はかなり激しい戦い方をしていた。装備も【黄龍の神武具】に着替え、一回の戦闘ごとに回復できるのをいい事に、出し惜しみなしで大技を連発していた。
それくらいならば、カムイも「張り切ってるなぁ」くらいにしか思わなかっただろう。アーキッドたちも微笑ましく見守っていたはずだ。だが実際のところは違った。彼女の戦い方が、傍目にもかなり無茶苦茶だったからだ。
極大型のモンスターに対し、真正面からぶつかっていくなんて当たり前。魔力の残量など気にせずに大技を連発し、魔力切れを起こしてなお、退かずに戦い続ける。その表情は鬼気迫るもので、今までの呉羽とは全く雰囲気が違った。焦っているようであり、何かに追いたてられているようでもある。
『おい、クレハ。ちょっと休め』
『大丈夫です……。カムイ、回復してくれ』
魔力の回復を依頼され、カムイは苦笑を浮かべた。彼の手には〈魔法符:トランスファー〉がある。回復しようと思えば彼一人でもできるのだが、しかし回復させれば呉羽はまた飛び出していくだろう。それが容易に想像できて、カムイは躊躇った。
それで、彼は唯一呉羽がいう事を聞きてくれそうなメンバー、イスメルのほうに視線を送った。しかし彼女はただ小さく首を振るのみ。それを見てカムイはため息を吐いてから呉羽の魔力を回復した。
『ありがとう、カムイ』
『……あんま、無茶するなよ』
『分かってる』
短くそう言葉をかわすと、呉羽はまたすぐに戦場へ戻った。その背中を見送り、カムイはもう一度ため息を吐いて嘆息する。「分かってる」と言っていたが、アレは絶対に分かっていない。現に、呉羽はイノシシに似た極大型モンスターを相手に紫電を乱舞させる。あの分では、またすぐに魔力が切れるだろう。
カムイがもう一度イスメルの方に視線を送ると、彼女はまた小さく頷いてから呉羽のフォローに回った。止めなかった分の責任は取ってくれるようだ。そしてそのおかげで、無茶な戦い方をしたにも関わらず、呉羽は致命的な失敗をすることなく今日の初回を除く全二十三回の戦闘を戦い抜いたのである。
そんなわけで、彼女が疲れているのは本当だろう。しかし本質的な問題はそこではない。普段、カムイに「無茶をするな」と言っている呉羽が、そんな無茶苦茶な戦い方をしたということが問題なのだ。
その理由に、カムイはもちろん心当たりがある。しかしだからと言って何を言えばいいのか。何を言っても傷つけてしまいそうな気がする。その上、それが本当に言いたいことなのかすらも分からない。結局、上っ面だけの言葉が浮かんできて、何の意味もないその言葉をカムイは飲み込んだ。
沈黙してしまったカムイを置き去りにして、呉羽は階段を上り、そして廊下の角を曲がってその姿を消した。その背中を見送ったカムイがため息を吐いていると、そんな彼の隣に人影が立つ。カレンだ。
「呉羽、どうしちゃったのかしらね……」
「……それ、本気で言ってるのか?」
カムイは呆れた口調でそう言ったつもりだったのだが、しかし彼の口調は思いのほか険のあるものだった。そのせいで咎められたと思ったのだろう。カレンは不満げに眉をゆがめた。そして拗ねたように唇を尖らせてこう愚痴る。
「分かってるわよ。だけどしょうがないじゃない。呉羽がああなんだから」
「……まあ、そうなんだけどさ」
カムイはそう言って、やれやれと首を振った。呉羽が無茶をする理由は、突き詰めれば祝勝会の夜のキスと告白だ。しかし本人がそれを覚えていないと言い張っている。そうであるならば、当事者を含め誰も余計なことは言えない。そして言えないがために、呉羽はますます自分の殻に閉じこもり、傍から見れば意固地とも言える状態になっている。悪循環だった。
パーティーの方針としては、このまま〈魔泉〉の調査を続けることになっている。〈ゲートキーパー〉と再戦することだってあるだろう。その時に今日のような調子で戦っていたら、それこそ本当に命を落としかねない。
何とかしなければ、とは思う。しかしどうすればいいのか分からない。これは繊細な問題だ。そのせいで深くかかわりすぎている自分は、かえって身動きが取れなくなっているようにカムイは感じた。彼が臍を噛んでいると、不意にカレンがこう尋ねた。
「カムイはなんでそんなに呉羽のことを気にするの?」
「……様子がおかしい仲間を気にかけるのが、そんなに変か?」
カムイの声にまた険が篭る。
「そうだけど、そうじゃなくて……」
言葉を選んでいるのか、あるいは考えがまとまらないのか、カレンは俯いて黙った。彼女が聞きたいのは、つまり呉羽の告白やキスをカムイがどう受け止めたのか、ということだ。それが気にならないわけがなかった。
しかし大っぴらに聞くわけにもいかない。それで、まるで裏を探るような聞き方になってしまう。ただ一方でカムイも同罪だ。彼女の真意を察した上で、表面的な答えを返して言葉を濁しているのだから。
寒々しい言葉の応酬だ。真意を隠し、表面的な言葉を上滑りさせている。それに我慢できなくなったのか、やがてカレンは搾り出すようにこう呟いた。
「だって、正樹は……!」
――――あたしの婚約者じゃない。
そう続く言葉を、カレンは必死に飲み込む。それだけは口に出すわけにはいかない。けれども誘惑は甘美だ。その一言でもしかしたら決めてしまえるかもしれない。猛毒であることは分かっている。それは卑怯で醜悪で下品な行為だ。だけど、だけど、だけど……。
いろいろな感情が混ぜこぜになり、カレンは思わず泣きそうになった。だがそれは意地でも堪える。こんなみっともない涙を彼に見せるわけにはいかないのだ。それで彼女はさっさと逃げ出すことにした。
「あたしも疲れたからもう休むわ」
その言い訳も相当みっともない。けれども涙を見せたくはない。
「……分かった」
引き止めてくれるかと思ったのに、カムイの返事はそっけない。そのことにカレンは少しがっかりした。そして彼が引き止めてくれることを期待していたことに気付いて、そんな自分に嫌気がさした。