壮大な回り道1
情けなくたっていい
さあ、決断のときだ
― ‡ ―
――――〈ゲートキーパー〉。
それは〈魔泉〉に出現した巨大モンスターだ。このモンスターは強大で特異ではあったものの、自然発生したという意味で普通のモンスターであると言える。ちなみに作為的に出現させられた、普通ではないモンスターの代表例としては〈キーパー〉が上げられるだろう。
さて、〈ゲートキーパー〉は普通のモンスターである。ということは、再出現する可能性が高い。多少姿かたちは変わっているかもしれないが、あのクラスのモンスターが〈魔泉〉に再び現れることは十分に考えられるのだ。
アーキッドはそのことを討伐作戦の前から指摘していた。そして可能性があるのなら検証しなければならない。いや、別にそんな義務はないのだが、今後の攻略を見据えた上での情報収集と言うヤツだ。加えて〈ゲートキーパー〉がすぐに再出現しないと分かれば、その間に〈魔泉〉についてこれまで以上に詳しい調査が行える。
そんなわけで〈ゲートキーパー〉撃破後の〈魔泉〉の様子についての情報収集が当面の目標になったわけだが、死闘から二日後、この日もまたカムイたちは休養日ということになっていた。一部のメンバーが「昨日は休みじゃなかった」と主張したからというのもあるが、最大の理由はイスメルの【ペルセス】の使用制限がまだ解除されていないからである。
件の〈ゲートキーパー〉討伐戦において、イスメルは切り札である【聖獣憑依】を発動させた。これにより彼女は空前絶後の戦闘能力を発揮したが、その代償として七二時間の間ユニークスキルが使えなくなってしまったのだ。
七二時間といえば、つまり丸三日間である。この間、イスメルは【ペルセス】が使えない。〈ゲートキーパー〉が再出現した場合のことも考え、調査は万全の状態が整ってから、ということになっていた。
そんなわけで本日はお休みなわけであるが、しかしだからと言ってダラダラとしていられるわけでもない。なぜならカムイたちは金欠状態だからだ。先日、掲示板関連のアイテムを多数リクエストしたことで、マイナスではないにしろ手持ちがほとんどない状態になっていた。
また調査を行うにしても、そのための物資とそれを購入するためのポイントが必要になる。それでカムイたち五人はこの日、また朝から【HOME】の外に出て瘴気の浄化作業を行っていた。同時にアストールは〈魔法符:魔力回復用〉の作成も行っている。調査のために必要になる分と、プレイヤーショップに出品する分だ。
午前中いっぱい瘴気を浄化してポイントを稼ぐと、カムイたちは【HOME】へ引き上げた。リビングで昼食を食べ、部屋で昼寝でもしようかと思った矢先、ロロイヤがカムイを呼び止める。振り返ってみれば、彼はまるで肉食獣のような笑みを浮かべていた。
「……なんだ?」
「なに、GMから聞いてきた話を、また聞かせて欲しくてな。ちょっと付き合え」
ロロイヤはそう言って、すでに若干及び腰になっているカムイを捕獲し、リビングへ連れ戻した。リビングにはさらにアストールとアーキッド、そしてデリウスとキュリアズもいる。
一方でカレンと呉羽の姿はない。どうやら部屋に戻ったらしい。カムイはそのことにホッとする反面、寂しさと申し訳なさを覚える。あの夜以来、揺れ動く気持ちにいまだ収まりはついていない。
カムイがソファーに座ると、大人たちの視線が彼に集中した。その密度に彼は思わず顔を強張らせる。そして無益な抵抗を諦めた。ただそれでも、言っておかなければならないことがある。
「話を聞かせろと言われても、祝勝会で話したことが全部だぞ?」
「まあそう言うな。あの時はお前も酔っていたしな。何かと見落としはあるものだ」
そう言ってロロイヤは質問を始めた。とはいえ、カムイも話せることはすべて話してあるし、なにより彼自身ルクトの話をきちんと理解できているわけではない。〈オリジン・スフィア〉については多少答えられたが、そもそもカムイが目にした範囲は狭く滞在時間は短い。そのため新たな収穫はほとんどなかった。
「使えん。なんでももっと喰い付いて根掘り葉掘り聞いてこなかったのだ」
ロロイヤの口調は心底悔しそうだった。確かに彼ならば、その旺盛な知識欲が満たされない限り、戻ってくることはなかっただろう。泊り込んででも喰い付いたはずだ。その様子が簡単に想像できて、カムイは思わず苦笑した。
「いや、アレ以上は聞いても教えてくれないって。『これ以上は見ていて面白くない』って言われたんだから」
ただ実際問題として、粘れば情報が得られたかと言えばそれも疑わしい。GMのルクトには飄々としたところがあったから、どれだけ質問しようとものらりくらりとかわされてしまう気がする。
それでも答えてくれさえすれば、その言葉尻から情報を得ることができるかもしれないが、それも前提となる知識がなければ難しい。根負けするまで粘ろうにも、そもそも戻す手段は向こうが持っているのだ。適当なところで強制送還されて終わりだったろう。ただ頭では分かっていても納得できないのか、ロロイヤは舌打ちをもらした。
「いっそコイツをもう一度〈魔泉〉に落とせば……。いや、無理か……」
ロロイヤが不穏なことを口走るが、勝手に自己完結してくれたので、カムイはホッと胸を撫で下ろす。しかしその話題をアーキッドがわざわざ拾った。
「なんで無理だと思うんだ?」
その瞬間、カムイはギョッとした顔でアーキッドのほうを見た。「余計なことを!」と内心で焦りまくっているわけだが、アーキッドのほうは素知らぬ顔だ。というよりも、完全に面白がっている。一方のロロイヤは興味もない様子でこう答えた。
「珍事だったから、面白がって顔を見に来たのだろう? 二回目なんぞ珍しくもなんともない」
顔も合わせずにたたき返されて終わりだろうよ、とロロイヤは推測を語った。実際にルクトと会ったカムイの感想としては、そこまで薄情な人には見えなかったものの、確かに二回目となれば対処マニュアルも整備されているだろう。GM本人が出張ってくることはないかもしれない。
こうなると、GMや運営側のスタッフに直接会って話を聞く機会はもうないと思った方がいいだろう。この先、彼らが驚くような珍事を引き起こせればその限りではないかもしれないが、それを狙うにしても命がけである。
何しろルクトの話を聞く限り、彼らはゲームの舞台の上での出来事には基本的に手を出さない。舞台の外へ出るには〈魔泉〉に落ちるほかなく、しかし落ちれば通常は死ぬ。話を聞くためには何とかして生き残らなければならないが、ただ生き残っただけでは恐らく会ってもらえない。彼らを驚かせるようなことをしなければならないのだ。かなり無茶苦茶な条件と言っていい。
(そう考えると……)
そう考えると、確かにあれは千載一遇のチャンスだった。もうちょっと話を聞いておけばよかった、とカムイも惜しんだ。ただ、「やっぱりアレ以上は聞いても教えてくれなかっただろう」とも思う。そもそもルクトとの邂逅はそれ自体が一種のボーナス。それを当てにするのは、やっぱりちょっと違うだろう。
カムイはそう思うのだが、しかしロロイヤはなかなか諦めがつかないらしい。ブツブツと呟きながら、なんとかしてGMとコンタクトを取る方法を考えている。そして不意に顔を上げたと思ったら、胡散臭い笑みを浮かべながらカムイにこう迫った。
「そういえば、ルクト・オクスはヘルプ軍曹だったのだろう? ちょっと問い合わせ用のアイテムでもリクエストしてみろ」
「えぇ~、無理だろ。エラー出るって」
「いや、気に入られた様子だったし、可能性はある。ほれ、さっさとやってみろ」
渋るカムイを、ロロイヤがそう急かす。他のメンバーもやってみる価値があると思っているのか、ロロイヤを止める気配はない。結局、押し切られる形でカムイはアイテムリクエストのページを開く。彼がリクエストしたのは次のようなアイテムだった。
アイテム名【ヘルプ軍曹監修・ミリタリー質問箱】
説明文【このアイテム一つにつき一回、ヘルプ軍曹に質問できる】
ミリタリーと銘打ってはあるものの、もはやミリタリーは関係ない。いっそ【システム機能拡張パック】にするべきかとも思ったが、ヘルプ軍曹ことルクト・オクスを狙い撃ちにするのなら、コチラのほうがいいと思ったのだ。
そうは言ってもやはり違和感は大きく、名前を決めたカムイ本人さえ若干頬を引き攣らせている。ただ、このさい重要なのは名前よりも中身だ。ロロイヤも名前には興味がないらしく、「早く申請しろ」とカムイを急かす。カムイは少々投げやりになりながらリクエストの申請を出した。そして一拍の後に表示されたメッセージは……。
【本日の受付は終了いたしました】
「もうホントに隠す気ないな、あの人……」
そのメッセージを見てカムイは脱力した。間違いなくルクト本人からの返信だろう。つまり「これ以上質問に答える気はないよ」という意味だ。よしんばアイテムが生成されたとしても、質問に対する返答はすべてこのメッセージになるのではないだろうか。そんな気さえした。
実際のところ、アイテムは生成されることなくリクエストアプリケーションは終了した。つまりエラーだ。カムイは「たぶんそうなるだろうなぁ」と半ば覚悟していたので、【浄化の杖】の時と比べればショックは小さかった。ただ、リクエスト費用100万Ptが消えてなくなってしまったことに変わりはない。
「今度、なにか穴埋めしてくださいよ……?」
そう言ってカムイはアーキッドに恨みがましい目を向けた。ロロイヤでないのは、彼に穴埋めをさせたらロクなことにならないと思ったからだ。いわば彼なりの保身策だったと言っていい。だがそれもあっさりと失敗に終わる。アーキッドが苦笑しながらロロイヤのほうへ視線を向けたのだ。
「だとさ、爺さん」
「うむ。何か考えておこう」
カムイは思わず天を仰いだ。本当にロロイヤが関わるとロクなことにならない。カムイは改めてそう思うのだった。
― ‡ ―
「少し実験がしたい」
リクエストに失敗した翌日、つまり〈ゲートキーパー〉を討伐してから三日目。朝食を食べ終えてから、ロロイヤは不意にそう切り出した。それを聞いて、昨日被害にあったカムイなどは「また変なことを言い出した」と胡散臭そうな顔をしているが、他のメンバーは少なからず興味を引かれた様子だ。アストールなどはさっそく身を乗り出し、より詳しい話を聞きたがっている。
「どんな実験をするんですか?」
「簡単に言えば、瘴気を封じ込めるための実験だな」
ロロイヤがそう答えると、メンバーの間にざわめきが起こった。「そんなことが本当にできるのか?」というのが、彼らがまず抱いた率直な感想だ。しかし同時に「あのロロイヤが勝算のないことを言い出すだろうか?」とか、「もし本当にできるのなら、やる価値のある実験だ」とか、そんなことも頭をよぎる。
なんにせよ、メンバーはさらに詳しい説明を聞きたがった。それで彼らの視線がロロイヤに集中する。彼は一つ頷いてから、さらにこう言った。
「実験の目的は、魔法的な障壁で瘴気をどの程度封じ込められるのか、その確認だ」
「魔法的な障壁で瘴気を封じ込めるって、要するに結界で〈魔泉〉に蓋をするってことだろう? できるのか、そんなこと?」
「一時的なら可能だと考えている」
疑わしげなアーキッドに、ロロイヤはそう答えた。彼だって、完全な封じ込めが可能だとは思っていない。しかし一時的であれ瘴気の噴出を抑えられるなら、それはそれで大きな収穫と言える。この先〈魔泉〉の調査をする際にも、その幅が広がるだろう。
「ですが、〈魔泉〉は巨大です。魔法で封じ込めるにしても、そんな魔法が……」
「あるだろう。【ラプラスの棺】だ」
「いえ、ですが、アレはそこまで大きくはなかったように思いますが……」
懸念を口にしたアストールが、ますます怪訝な顔をする。【ラプラスの棺】は〈ゲートキーパー〉討伐作戦でも二度用いられた〈祭儀術式〉だ。七つの魔法陣によってドーム状の結界を形成してその内側に対象を閉じ込める、封印用の術式である。
確かに〈ゲートキーパー〉を閉じ込めただけあって巨大だが、しかしアストールの記憶が確かならば〈魔泉〉を覆うほどの大きさではなかった。蓋の大きさが足りなければ、封じ込めるための役には立たないだろう。
「問題ない。あの術式はある程度、任意で結界の大きさを操作できる。そうだな、キュリー?」
「ええ、可能です。……それにしても流石ですね、二度見ただけでそこまで見抜くとは」
「術式それ自体は単純だったからな。むしろ単純でなければあそこまで巨大化はできまい」
「なるほど、そういうものですか……。ただ問題があります。【アースガルド】とは違い、【ラプラスの棺】はあとから魔力を補充することができません。つまり定量でしか使えないんです。なので結界の大きさと強度は、当然のことながら反比例します」
定められたポテンシャルのなかで、結界の大きさと強度をおり合わせなければならないのだ。一方を優先すれば、一方は妥協しなければならなくなる。ちなみに暗黒邪龍を封じ込めた際には強度を優先させ、邪龍が身体を丸めた瞬間を狙って発動されたという。
繰り返すが、〈魔泉〉は巨大だ。直径が数百メートルもある。それをカバーするだけの大きさを求めれば、当然結界の強度はなおざりになる。加えて〈ゲートキーパー〉に容易く破られてしまった記憶も新しい。〈魔泉〉を封じ込めるとは言っても、どこまでもつかは保証しかねる、とキュリアズは言った。しかしロロイヤは問題ないと言う。
「構わん。今回の実験では、封じ込めが不可能でないことが証明できればそれでいい。極端な話、一秒もてばそれで十分だ」
ロロイヤは気楽な調子でそう言った。そもそも【ラプラスの棺】は〈魔泉〉封じ込め用の術式ではないのだ。それを流用して実験しようと言うのだから、大した結果は最初から期待していない。むしろこれほど大規模な術式を手軽に使えるこの状況こそが幸運なのだ。それ以上を望むのは筋違いだろう。
「……一つ聞いておきたいのだが、魔法的障壁による〈魔泉〉の封じ込めが不可能、というのはどういう状況のことを指すのだ?」
そう尋ねたのはデリウスだった。その問いにロロイヤは「そうだな……」と呟き、顎先を撫でながら数秒考え、それからこう答えた。
「……例えばだが、〈魔泉〉を完全に覆ったにもかかわらず、瘴気が結界をすり抜けて噴出し続けるなら、不可能と判断することになるかも知れんな」
「結界が耐えられなかった場合はどうなる?」
「どう耐えられないのかにもよるな。単純に内圧に耐えられないのか、それとも瘴気だから耐えられないのか。それの見極めも目的の一つだ」
そして得られた知見を次へ生かすのだ。それを聞いて、デリウスは「なるほど」と一応納得の様子を見せた。
「じゃが、イスメルがまだ完全には復調しておらんのじゃろう? そう急ぐ必要もないのではないかえ?」
次にそう尋ねたのはミラルダだった。彼女の言うとおり、イスメルはまだ【ペルセス】の使用制限が解除になっていない。〈魔泉〉に手を出すのであれば万全な状態にしてからのほうが良いのではないか、と彼女は尋ねる。それに対し、ロロイヤはこう答えた。
「直接〈魔泉〉に近づくわけではない。外の丘の上から【ラプラスの棺】を使うだけだ。仮に〈ゲートキーパー〉が出現したとしても、その時はすぐに撤退すればいい。コチラから仕掛けなければ、向こうも例の炎を放ってくるようなことはなかろうよ」
ロロイヤの返答はもっともなように聞こえた。確かにもし〈ゲートキーパー〉が出現したとしても、奴は〈魔泉〉から動けないのだ。距離も十分にあるし、撤退するだけならそう難しくはないように思える。
ロロイヤの説明を聞いて、ミラルダもそれ以上は反対しなかった。一方、働かなくていいと知ったイスメルは顔を輝かせている。きっとまた部屋に引き篭もっているつもりなのだろう。そしてそれからさらに細々とした質疑応答が行われ、それが一段落したところでロロイヤが最終的な確認を行った。
「……とまあ、そんなわけで実験を行いたいわけだが、協力してもらえるだろうか?」
しばらく待っても否定の意見は出ず、ロロイヤは満足げに「よし」と頷いた。そして次にどうしても協力が必要なメンバーの名前を挙げる。キュリアズ、カレン、カムイ、アストールの四人だ。
キュリアズについて説明の必要はないだろう。彼女がいなければ【ラプラスの棺】を発動できない。また実験は例の丘の上から行うつもりなのだが、そこは瘴気濃度が高いのでカレンの協力が必要になる。向上薬を使ってもいいのだが、なるべく低コストで実験を行うための人選だ。
また実験は一回で終わり、というわけではない。できれば複数回行いたい、というのがロロイヤの希望だ。そのためには【祭儀術式目録】のストックを回復させる必要がある。そこでカムイとアストールの出番だった。
ストックの回復だけなら、ミラルダに任せるという手もあった。ただ、アストールが「ぜひ実験を見学したい」と希望したので、彼に任せることにしたのだ。加えて〈白夜叉〉のスキルを持つカムイは、【守護紋】の効果範囲に捕らわれずに行動できる。いざという時、自由に身動きが取れるメンバーがいると便利、という理由での人選だった。
「そのメンバーだと、戦闘が発生した場合に不安が残るな。〈ゲートキーパー〉が出現するかは分からんが、実験にも興味があるし、私も付き合おう」
「では拙者も手伝うとしよう」
そこへさらに護衛代わりにデリウスとフレクが加わる。主催者であるロロイヤも加え、全部で七人で実験を行うことになった。陣容としては十分であろう。
「オレも興味はあるんだが、ココから離れられないからなぁ……」
アーキッドが苦笑気味にそうぼやいた。七人以外のメンバーは【HOME】でのんびり、もとい待機することになっている。【HOME】はアーキッドのユニークスキルであり、彼が離れすぎると勝手に送還されてしまう。それで彼も待機することになっていた。
「んなわけで、だ。カレン、写真頼んだぜ」
「はい、分かりました」
アーキッドの頼み事を、カレンは二つ返事で了解した。実際、彼女の仕事はただそこにいることだけ。何もせずに突っ立っているだけというのも暇なので、写真を撮るくらいなんでもなかった。
「カムイ、カレン。二人とも大丈夫だとは思うけど、その、気をつけて」
「あ、ああ。行って来る」
「だ、大丈夫よ。危なくなんてないわ。……たぶん」
そんな言葉をかわし、呉羽は玄関で二人を見送った。彼女はここのところ、元気がない。だいたい二日前くらいからだ。今回の実験にしても、いつもなら面白がって見物に来そうなものなのに、手を上げずに待機を選んでいる。
どこか具合が悪いわけではない。むしろ気持ちの問題だった。微妙に避けられていると感じるのは、カムイの思いすごしではないだろう。そしてその原因が、祝勝会の夜の出来事にあるのは明白だった。
(呉羽は「覚えてない」って言ってたけど……)
それがたぶん嘘であろうということは、カムイも勘付いている。彼だけではなく、恐らくはカレンも。そして二人に勘付かれていることを、呉羽もまた薄々気付いているに違いない。
しかしそれでも、一度「覚えていない」と言ってしまった手前、呉羽が自分からそれを認めることはないだろう。そしてカムイとカレンもまた、気まずさが先に立ってそのことを指摘できない。結果として三人の関係は膠着し、微妙になった空気をズルズルと引きずっている。
(なんとか、しないと……)
そう思い、カムイは内心に焦りを抱えていた。呉羽とカレンは気の置けない友達同士だったのだ。カムイだって、二人がお互いに仲良くしてくれるのは嬉しかった。三人で今まで結構うまくやって来たと思っている。
それが今、壊れようとしている。三人のうちの誰だって、自分達の関係を壊したいわけではないだろう。だがこのまま行けば、その未来は不可避であるように思えてならない。なんとかしなければならないと思うのだが、しかしどうすればいいのかカムイに分からなかった。
誰かに相談したい。カムイは切実にそう思った。しかしそもそも、これは勝手に相談して良いようなことなのだろうか。これはカムイだけでなく、呉羽のプライベートにも関わる話だ。相談するとなれば、彼女が隠しているキスや告白のことを暴露することになる。それはなんだか躊躇われた。
悶々とした気持ちを抱えながら、カムイはなだらかな丘を登った。隣にはカレンがいるが、会話はない。二人とも、祝勝会の夜のことを意識しているのだ。どちらかが悪いわけではない。けれども双方が罪悪感に似たものを抱えている。
傍から見れば、なんとも面倒くさい状況だ。しかしそう思えることそれ自体、部外者の気楽さゆえだろう。少なくとも呉羽を含め、本人たちは至って真面目だった。そして真面目であるために拗れてしまっている、と言えるのかもしれない。
まあそれはそれとして。丘の頂上に到着し、そこから〈魔泉〉を眺めると、カムイは流石に気を引き締めた。隣ではカレンがバチバチと顔を叩いている。そして全員の準備が整ったところで、ロロイヤは実験を開始した。
「よし、始めてくれ」
「了解。……囲い、括り、閉じ込めろ、【ラプラスの棺】!」
キュリアズが【ラプラスの棺】を発動すると、すぐさま〈魔泉〉の上に七つの魔法陣が現れた。そして次の瞬間、瘴気の噴出が止まる。展開されたドーム状の結界が封じ込めているのだ。ロロイヤは望遠用の魔道具を覗き込んで実験を観察していたのだが、その様子を見て「ほう……!」と口の端を吊り上げた。
「すごい……! まさか本当に封じ込められるなんて……!」
アストールがそう感嘆の声を上げる。デリウスやフレクも揃って「おお……!」と声を漏らした。カレンは一心不乱に写真を撮っている。カムイも「すげー」と思いつつ実験を眺めていたのだが、やがてどうも結界の様子が変なことに気付く。そして当然と言うべきか、その同じ異変にロロイヤも気付いていた。
「ふむ……。全員戦闘準備」
望遠用の魔道具を覗き込みながら、ロロイヤは淡々とした口調でそう言った。デリウスとフレクはすぐさま反応したが、カムイは訳が分からず「えっ?」と聞き返した。それに答えたわけではないだろうが、ロロイヤはさらにこう続ける。
「キュリー、なにか攻撃用の祭儀術式を準備。……来るぞ」
彼がそう言った次の瞬間、〈魔泉〉を封じ込めていた結界が砕けた。そして中から封じ込められていた大量の瘴気が噴き出してくる。だがロロイヤが「来るぞ」と言ったのは、それらの瘴気のことではなかった。
「ギィィィィイイイイイ!!」
その耳障りな雄叫びを聞き間違えるはずもない。モンスターだ。しかも出現したのは〈ゲートキーパー〉ではなかった。
六枚の翼をはやしたムカデという説明が、そのモンスターを形容する上で分かりやすいかもしれない。〈ゲートキーパー〉ほどではないとはいえ、巨大なモンスターだ。そして最も重要な点として、その場から動くことができるモンスターだった。
翼をはためかせ、空中を滑るようにして、モンスターは丘の上にいるプレイヤーたち目掛けて突撃する。その動きは素早く、双方の距離はみるみるうちに縮まっていく。ゲジゲジの足がはっきりと見えるようになり、カムイは思わず顔を引き攣らせた。
「っ、降りそそげ、破軍の流星、【スターダストシューター】!」
キュリアズが【スターダストシューター】を発動させる。掃射された魔力弾がモンスターを捉えるが、しかしもともと散弾仕様であるために、当っている数は決して多くない。加えて攻撃されたモンスターはすぐさま上空に逃げてしまい、そのせいで効果は限定的なものに留まった。
やがて【スターダストシューター】の掃射が終わる。脅威が去ったことを見て取ったのだろう。モンスターは身体を大きくくねらせると、プレイヤーたちがいる丘を目指して猛然と羽ばたいた。
「カムイッ、【HOME】へ走れ! キュリーッ、【アースガルド】準備!」
デリウスが咄嗟にそう指示を出す。それを聞いた瞬間、カムイは反射的に身を翻して駆け出した。確かにこの役目を他のメンバーにさせるわけにはいかない。彼らは今、向上薬を使用していないからだ。この状態で自由に動けるのはカムイとカレンだけだが、カレンが抜けるとほかのメンバーが死んでしまう。カムイが走るほかなかった。
ただ、カムイが抜けるのは賭けでもある。【祭儀術式目録】のストックの回復ができなくなるからだ。それに自由に動ける彼がいなくなれば、どうしても戦術の幅が狭くなる。早いところ援軍を呼ぶ必要があった。
カムイは全力で走った。【Absorption】と〈オドの実〉を駆使してひたすら走る。筋肉ではなく、身体の中にたぎるエネルギーそのものが彼を突き動かしているかのようだ。岩を踏み砕いて大きく跳躍し、着地に失敗して地面を転がってもすぐに跳ね起き、カムイはただ【HOME】を目指した。
「ア、アードさん……! モ、モンスター……、モンスターです……!」
リビングに駆け込んだカムイは、そこにいたアーキッドにモンスターが出現したことを告げた。彼の様子を見て、出現したが普通のモンスターではないことを察したのだろう。アーキッドは顔を険しくしてカムイに駆け寄り、それからこう尋ねた。
「モンスター? 〈ゲートキーパー〉が出現したのか?」
「ちが……。でも普通より大きくて、強そうなヤツです……! 空も飛んでます……」
ブンブンと首を横に振り、カムイはそう答えた。それを聞くとアーキッドは「分かった」と言って彼の肩を叩く。それから振り返って、一緒に居たミラルダにこう指示を出した。
「ミラルダ、ルペに声をかけて一緒に先行しろ。向上薬は三倍を使え」
「了解じゃ!」
「オレは他のメンバーを集めて、後はイスメルを部屋から引きずり出してくる。少年はその間に呼吸を整えておきな」
カムイが肩で息をしながら頷くと、アーキッドは階段を駆け上がっていった。彼よりも一足早く動いていたミラルダは、すでにルペを伴い玄関から外へ出て行こうとしている。当然、向上薬は服用済みだ。
彼女たちが先行していくのを見て、カムイはひとまず胸を撫で下ろした。二人とも機動力に優れているので、すぐに駆けつけられるだろう。ルペがいれば空中戦でも遅れは取らないだろうし、ミラルダがいれば【祭儀術式目録】のストックの回復もできる。あの二人が加われば、そうそうまずいことにはならないだろう。
やがて呉羽とリムとキキがリビングに下りて来る。アーキッドからモンスターが出たということは聞いていたらしいが、カムイが改めてその様子を説明すると、三人は揃って顔を盛大にしかめた。巨大な空飛ぶムカデというのは、やっぱり想像するだけで相当にグロテスクだ。
「カレンたちは大丈夫なのか?」
「初撃は、たぶん【アースガルド】で防いだんだと思う。そこからどう戦っているかは、ちょっと分からない。ミラルダさんとルペが先行してくれたから、滅多なことにならないと思うけど……」
呉羽とカムイがそう言葉を交わすが、二人とも決して表情は明るくない。リムなどははっきりと顔を強張らせているし、キキも真剣な顔をしていた。デリウスたちが強いことはカムイたちも知っている。ただ、こうして状況が分からないところにいると、どうしようもなく焦燥が募った。
さてそうこうしていると、二階の方から物音が聞こえ、その後少ししてからアーキッドとイスメルがリビングへ下りてきた。カムイ以外のメンバーが準備しておいた向上薬を飲み干し、それから彼らは【HOME】の外へ出る。アーキッドが【HOME】を送還してから、彼らは丘の頂上を目指した。
カムイたちも急いではいるのだが、リムやキキの足に合わせているので、移動の速度はそれなりだ。そもそも、急ぎすぎて到着したときにヘロヘロになっていては援軍の意味がない。分かってはいるのだが、それでも気が急いた。
――――ッ! ――っ!? ――ッ!!
風に乗って激しい戦闘の音が聞こえてくる。カムイがさらに焦りを募らせると、イスメルが横からこう言った。
「落ち着きなさい。善戦しているようですから、大丈夫ですよ」
イスメルは静かな口調でそう言った。どうやら聞こえてくる戦闘の音で、大まかな様子は分かるらしい。優勢と聞き、カムイはようやく少し安心して小さく頷いた。ちらりと盗み見れば呉羽も同じだったようで、大げさに安堵の息を吐いている。
そしてイスメルの言ったことは本当だった。カムイたちが丘の頂上に到着したときには、すでに趨勢は決していたのである。モンスターは六枚の翼をすべて失い、地面に叩き落されていた。そこへアストールが支援魔法を放つ。
「〈ソーン・バインド〉!」
「逃がさぬぞえ!」
魔法の茨がモンスターの身体に絡みついてその動きを封じる。ただモンスターは巨体で、そのため拘束しきれない。身を激しくよじって逃れようとするモンスターを、〈獣化〉したミラルダが黄金色の魔力糸でさらに雁字搦めにした。
「ギ、ギギィ……」
「これで、止めだ!」
完全に身動きが取れなくなり、モンスターが苦しげなうめき声を上げる。そこへデリウスが剣を振り上げて迫った。彼は剣を振り下ろすのと同時に【ARCSABER】を発動させる。そのユニークスキルによって放たれた巨大な青白い刃は、モンスターの身体を真っ二つに切り裂いた。
「ギィィィィィイイイ!?」
最後に絶叫し、モンスターは瘴気へと還った。後には魔昌石が残されている。色は深紅で、サイズはかなり大きい。見た感じ、保管してある〈キーパー〉の魔昌石の半分くらいの大きさに思えた。
「よう、無事で何よりだ」
戦闘を終えたデリウスたちに、アーキッドがそう声をかける。カムイがカレンの姿を探すと、彼女はちょうど双剣を鞘に収めるところだった。怪我をした様子はなく、それを見てカムイと呉羽は揃って安堵の息を吐いた。
「ミラルダとルペを先に送ってもらえて助かった。素早い援護に感謝する。ところで、コレはどうする?」
そう言ってデリウスが指差したのは、先ほどのモンスターが残した魔昌石だ。何ポイントになるのか気にはなるが、このサイズの魔昌石はそうそう手に入らない。参考資料として残しておくべきか、尋ねているのだ。
「それはとりあえず保管しておいてくれ。それよりも、実験を続けたいのだが、いいか?」
そう言って話に割り込んできたのはロロイヤだった。それを聞いてアーキッドとデリウスは呆れた表情を浮かべる。予想外のハプニングが起こったのにまだ実験を続けようというのだ。確かに常識外れといえた。しかしロロイヤはこう話す。
「またモンスターが現れたところで倒せばいいだけだ。それに向上薬を使ったのだろう? 効果時間がまだ残っているはずだ。上手くいけば、コレと同程度の魔昌石が手に入る。悪い話ではあるまい」
それを聞いてアーキッドは小さく苦笑を浮かべた。使用したのは一本33万Ptの【簡易瘴気耐性向上薬Ⅱ改】を全部で六本だから、合計198万Ptだ。必要経費とはいえ、かなりの高額である。加えて、効果時間がまだ11時間以上残っている。
飛びムカデの魔昌石がどれほどになるかは分からない。それでも残りの時間を使って少しでもコストを回収できるなら、それに越したことはない。戦力も、メンバー全員が揃ったこの状態ならば心配はないだろう。
「じゃあ、まあ、やるか?」
こうして乱獲が始まった。