皇女と元襲撃者の使用人
「女王陛下のおなあり」
慇懃な掛け声が宮殿に響く。大臣の声をからきりにしてラッパが盛大に吹かれる。左右に列を成す兵士たちが一斉に姿勢を正したのが、鎧や長槍などの音でわかった。
はやる気持ちを押し隠し、俺は豪奢な絨毯の上で恭しく頭を下げ続けた。
ようやく、ここまで来た。この日、この場所にてようやく目的を果たせる。そのために善良な市民として功績を挙げ、陛下に直接労いを受ける権利を得たのだ。
すべては、もうじき現れる諸悪の根源を殺すため。
ラッパの音がやみ、衣が床をすれる音が俺の正面で止まった。兵士たちの緊張が高まる。俺は腹の下に隠したナイフの感触を確かめた。
誰もが息を呑む中、凛とした声が沈黙を破った。
「面を上げよ、ウィンバイム」
は、と求めに応じ、顔を上げた。声の主は、数段上った先にある玉座に深々と腰を収めて座っていた。
轟々と燃える紅い髪と、髪と同じ色をした瞳。それ以外は陶器のように白く、浮世離れした造詣をした顔が笑みを象っている。平民を睥睨する薄ら笑いさえ絵になっていた。
標的の顔をしっかりと目に焼き付けた。思わず頬が緩みそうになる。
そうして、皇女が自らの口で功績を誉めそやす口上を述べ始めると、俺は体を跳ね上げて駆け出した。
驚愕。その場にいた誰一人、身動きがとれずにいた。
階段を上りきる。ようやく事態が急を告げることに気づき、数人の兵士が動き出すが、もう遅い。手を伸ばせば、殺せる距離に標的がある。
だから、容赦なくナイフを突き出した。
朝日はすでに角度を上げ中庭や廊下照りつけている。
俺は中庭側が吹き抜けとなっている廊下をを急ぎ足で歩いてた。
触れ違う神官や侍女たちがぎょっとした顔を俺に向ける。昔から目つきが鋭く、無駄に筋肉が引き締まっているため、相手を威嚇してるように見えるらしい。
だが、彼ら彼女らが向ける視線には、表層的な事象以外に、ひそかな不信感と敵愾心を感じた。それもそのはずで、俺自身がこの状況を信じられなかった。
寝室の前で立ち止まると、喉に手を当て声の調子を整える。
今更意味のない行動だ。素行の悪さは周囲に露呈している。それでも上っ面を取り繕うのは、少なからず使用人として対面を考慮している証だろう。
一呼吸置き、無遠慮にドアを2回ノックした。
数秒反応を待ったが音沙汰なし。毎日繰り返していることなどで呆れることもない。
再び2回ノックする。
「お嬢、お目覚めの時間だ」
やはり返事はない。ドアノブに手をかける。軽い金属音と共にすべるように内側に開かれる。相変わらず、気位が高いくせに無用心なことだ。
広い部屋だ。部屋の中心に天蓋つきのベッドがあり、窓から差し込む日差しを浴びて、白いレースが優雅にゆれていた。天井にぶら下がるシャンデリアや、調度品は素人目にも高価なものだとわかる。
ベッドに近づき、レースのしきりを引く。
真っ先に目を焼くような紅が見えた。長いまつげが閉じた瞼に覆いかぶさり、あどけない表情をさらけ出している。
「お嬢、起きろ。時間だ」
掛け布団の上から肩を揺さぶりながら声をかける。ふくよかな唇から細く寝息が漏れるが、目を覚ます様子はない。しまいには眉間をくしゃっとしわ寄せ、体ごと顔を向こうに向けてしまう。
「いい加減起きろ。床ずれお嬢」
「……誰が、床ずれですって?」
機敏な動きで振り返り、我らが皇女様が目を覚ます。不機嫌に眇められた目に隙間から、夕焼けのごとき紅色が光をたたえていた。
「聞こえているなら、さっさと用意しろ。お嬢」
「お嬢って呼ぶの、止めてくれって何度も言っていると思うのだけれど? 私には父様と母様がつけてくれた、イリヤという名前があるの。お嬢だなんで誰をさすか分からないじゃない」
「俺がお嬢と呼ぶのは先にも後にもあんただけだ」
俺が反駁すると、お嬢――もといイリヤは顔をしかめた。しかし、眠り姫のように王子を待つ気はないようで、ゆるゆるとした動きで上体を起こした。
「今日の予定は」
「午前中は会議が二つ。午後は書類の確認と、謁見の予定が入っているな。先日干ばつは起きた地域の代表が事態の深刻さを直談判にくる予定だ」
「そう」
「興味がなさそうだな」
俺が指摘すると、イリヤが表情を曇らせる。綺麗な柳眉をゆがめ、自嘲じみた笑みを作った。
「私に直接訴えたとして、実際に私にできることなんてないもの」
直談判とは言っても、直接話を聞くのは大臣たちで別室に待機したイリヤはあとで書類にまとめられた内容に目を通すのみだ。直訴に対して、何かしら思索を打ち出すのも行政を形成する大臣や貴族たちの仕事であった。
男の前だというのに躊躇なくネグリジェに手をかけるので、俺は慌てて後ろを向いた。衣擦れの音に紛れ、彼女の声が言葉を続ける。
「皇女だなんて大仰に名乗っていても、私には実権はありはしないじゃない。国の政策も、経済施策の打診も、国民から徴収した税の使い道を作るのも橋を架けるのも、すべて大臣や貴族たちが話し合ってけっけいする。私はそれらに後押しをするだけ」
「不要な政策を跳ね除ける権力は有しているだろ?」
「権力、いえ権利だけはね。実際に行使されたことなんて過去に例を見ないけれど。彼らにとって私はガラスケースの中の人形と一緒よ。意志を持たず、余人の都合よく解釈され運用される、その程度の存在に過ぎないわ」
一言で言って、傀儡よ。と詰まらなそうに呟いた。
衣擦れ音がやんだため、着替えが終わったと判断して振り返る。
そこには、透き通った肌があった。ほっそりとした肩に髪の先がしなだれ、鎖骨から一筆書きしたような白い肌が淑女然とした魅力を余すことなく見せ付ける。十分に熟れた胸を両手で隠しもせず、目のやり場に困った。
「このとおり、私は丸腰。護衛の兵士も、取巻きの貴族たちもいない。そこの食事用ナイフをここに突き刺せば、簡単に殺すことができるでしょうね」
そう言って、握った手で銀製の食事用ナイフを突き刺すように谷間に置く。まあ、この首にいくばくの価値があるかわからない、と付け加えた。虚空を見る目に覇気はない。諦めきった表情は、まるでさらし者の恥辱から解放されることを望んでいるようで、なにか言いたげに紅い瞳が俺を見つめていた。
だが、安い挑発を俺は鼻で笑った。
「早朝からそんだけ嫌味を叩けるなら十分だ。ふてくされてないでしゃきしゃき働け」
そう告げると、イリヤはしかめ面で俺をにらんだ。
「だってつまらないのよ。むさくるしい爺どもの円卓会議で、はいはい頷いてるだけなんて唾棄すべきだわ。あいつら、会議もそこそこに私の体を嘗め回すようにじろじろ見てきて、気持ち悪いのよ。ナニも萎れた爺が何様のつもりなのかしら」
先ほどまでの色気は剥がれ落ち、俗物じみて愚痴を垂れ流す。
「どこぞの不届きもののおかげで、皇女の身を保全するとかいう名目で宮殿に軟禁状態だしね。その辺、あなたはどうお考えかしら? ぜひとも当事者の意見が聞きたいわ」
挑発するように目を吊り上げ、含んだ笑みを俺に向ける。
俺がイリヤを襲撃した日から半月が経過していた。成否についてはご覧の通り、イリヤはぴんぴんしているし、あろうことか皇女直属の使用人として働いている。襲撃が失敗し、背後から追いついた兵士に取り押さえられた俺を、何を血迷ったのかイリヤ自身が使用人として雇うことをその場で宣言したのだ。反感は当然あったが、強く否定するものもおらず、即処刑か隷属するかの二択を迫られ、俺は苦渋の選択で生にすがった。
それから、イリヤはことあるごとに俺を試すように自分の殺害をそそのかす。宮殿に押し込められた八つ当たりだ。未だ息苦しさに慣れない襟元を調え、澄ました顔で嫌味をスルーする。
「いいから服を着て用意しろ。裸体で会議に出席して、爺の目の肥やしになりたいか」
「死んでもごめんだわ」
それから小言で、風引くからとか気の利いた気遣いができないのかしらとぼやく。
使用人として不適切な失言は聞かなかったことにし、慇懃無礼な礼を残して部屋を出た。
円卓の上座に深く腰掛け、イリヤは参列者の意見をしかめ面で聞き流していた。
表面上は鷹揚と笑みを浮かべるも、内心絶えず舌打ちしていることは、いらだたしく揺らす足を見れば明々白々だった。
提示されるもはすでに貴族や有力商人に根回しを済ませた、事後承諾を前提としたものばかりだ。議論の余地はなく、次々に施策や法令、追加予算案などが受諾されていく。
対外的には、行政の正当性を監視する体制が整備されていると公表しているが、内部監視機関とやらが同じ穴の狢出身の貴族度もで構成されているため、初校の提案がザルのように通るのが現状であった。
1時間ほど老人たちの申言に耐えたものの、うんざりしたイリヤは休息を告げた。彼女が会議場を後にする際、露骨に鼻で笑う声があちらこちらから聞こえてきた。
「毎度、毎度気苦労が絶えないな」
会議場では空気を読んで飲み込んでいた言葉を、周囲に人がいないことを確認してイリヤに告げる。廊下の途中で柱に寄りかかったイリヤは大きく嘆息した。
「あいつらにとっては私の方が目の上のたんこぶなのよ。国民に通達している手前、何事も一々皇女である私を通さないといけない。本音は私を廃して、自分たちの好き勝手に国を支配したいってところでしょうね」
「お嬢いいのか、そんな危うい発言をして。向こうさんの耳にでも入ったら」
「どうってことはないわ。仮に失言を聞きつけたとして、政を知らない小娘が、と一笑して終わりでしょうね。彼らが表に立つより、生きのいい女が矢面に立つ王が見栄えがいいし、切り捨てる際にも傾国したとかいって遠慮する必要がないもの」
すさんで目で中庭を見下ろしながら、ぼんやりとした口調でイリヤがもらす。
「所詮、見せかけの王に自由はないわ。私に化せられた役目は、市民に王政が健在であることをアピールすることだけ。演説も、視察も、勲章授与も、シナリオは用意されていて、すべて私の権威を示すポーズでしかない」
「しかし、国民たちからの支持は厚いようだが?」
「そうやって国民たちの視線を私に集めて、隠れ蓑にしてるのが、あのハイエナどもよ」
「ハイエナ……ね」
「ぴったりな比喩でしょう? 国庫の豊潤な資産で贅の限りを尽くし、下々から巻き上げた税金を垂れた贅肉にたんまりと溜め込んでるだもの。まあ、それを黙認してきた歴代の王たちも似たようなものだけど」
宮殿に入り、その辺の現状は俺にも理解できた。王政の権威は一部の貴族たちに占有され、市民の都合ではなく、自分たちの声明と利益を優先して方策が組まれている。上で死んだ両親の復習のみに生き、国政の実態を知る由もなかった俺は、そのことに憤りよりも失望を覚えた。
「こんな屑どもにに切り捨てられたっていうのかよ」
いつの日か、思わずそうもらした俺に、イリヤは意外な反応をした。
「お前の両親のこと? 確か、サリタスとキュリアだったかしら」
両親の名が彼女の口からもたらされた事実に驚嘆した俺に、イリヤはことなげに、名前を覚えてやるくらいしか死者を悼むことができなかったからな、と答えた。他にも、戦争で死んだもの、貴族にたてついたとして処刑されたもの、反逆の汚名を着せられたもの、俺の両親と同じように飢えや貧しさで死んだものたちの名前と出身を次々に挙げてみせた。
全員の名前を覚えているのかとたずねたら、イリヤは痛みを堪えた顔で首を振った。不遇に死んだものすべてを把握しているわけではないと悲しげに呟いた。
太陽の日差しを浴びて色あせた表情は、あの日のそれと同じだった。
「さて、戻るとしましょうか。いつまでも呆けていたら、堪え性のない老人どもがねちっこく苦言を呈してくるものね」
疲れたように笑い、イリヤは会議場に向けて歩き出した。
2週間ほどが経過し、イリヤの地方視察が計画された。
場所は東の端に位置する小規模商業都市だ。近年反王政を掲げる一派が発起したとか、落盤事故で不通になっていた街までルートが先週になってようやく改修を終えたとか、つい先日行われた国家間会議で国交に亀裂が入った隣国との国境付近であるとか、とかくきな臭いことこの上ない場所であった。
俺は身支度をするイリヤに向かい、部屋のドア越しに視察の見送りを進言した。
「お嬢、やはり視察を取りやめる気はないのか?」
返ってきた返事は実に気楽なものだった。しかも上機嫌な鼻歌交じりに言いやがった。
「当然でしょう? 王として、民衆の生活に目を向けるのは当然の責務だもの」
この殺伐とした視察を、小旅行とでも勘違いしてるか、この能天気お嬢さまめ。
「いや、だからな。何度も言ってるが、時期的に考えて、どうにもきな臭いんだよ。何か適当な原因をはっつけて、お嬢をやる気満々じゃないか」
「ウィン、『シサツ』の意味を履き違えてるのではなくて? あなたがそんな神経質だなんて気づかなかったわ」
「俺は仕える相手が『危機』と『嬉々』を履き違えるほど、お気楽な性格だなんて知りたくもなかったがな」
はあ、と肩を大きく息を吐く。
事の一端には最近のイリヤの変化も関わってくる。俺が仕える前の実情は知ったことじゃないが、ここ数日のイリヤは貴族たちの提案に異議を唱える回数が日に日に多くなっていた。
きっかけは不明。彼女の胸のうちにしか正解は存在しない。
先日も、不作による税収の低下に対して、税の引き上げにて対応を提示した貴族に、
「帳簿の上で計算をあわせたところで、根本的な問題の解決にはならないでしょう?」
と毅然と反論した。さらには同様の土壌問題を改善した隣国の礼を挙げ、農耕技術の提供を打診しようと提案をつっかえした。政治的、戦略的バランスを壊しかけないという他の貴族の意見を無視して強硬に隣国との協議をアポイントを取り付けるまで至った。
かくして開催された会合が破談となった。大方即物的な利益しか見えてない低脳どもが一方的な要求を突きつけたのだろうと俺は推測していた。隣国との国交問題を悪化させて、イリヤを貶めて王位を剥奪するなり、隣国と密談して皇女を亡き者にするなどの計略は化石と化した脳みそでは到底思いつかないだろう。
閑話休題。先日のごたごたを契機に隣国が武力による侵略に踏み切るまで秒読みだと噂になるほど、国家間の関係が困窮していた。視察の目的の一つには、亀裂の入った隣国との国交修復をはかる一面もある。ようは、先日は無礼を働いて悪かった、非礼をわびて食事を用意しておもてなしさせていただきます、という感じで視察期間中に隣国のお偉いさんを招いて食事会を催す予定だ。
それに、という声と共にドアが動く気配がしたため、後ろに倒れる体を前のめりに動かしつつ思案と止めた。
「仮に、本当に刺客が紛れ込んでいたら、とっ捕まえて皇女殺害を成功したと報告するよう脅すか、暗殺未遂を理由に隣国への亡命でもするわ」
あっけらかんとイリヤはは願する。生粋の王族と聞き及ぶが強かなお嬢様であった。
恣意を感じる視察は思いのほか順調に日程を消化していった。
道先で不慮の事故が起きることも、高揚した反抗勢力の下っ端が襲ってくることも、隣国の大使にまぎれた暗殺者が会食の会場でイリヤを付け狙うこともなかった。
隣国の大使たちの反応もまずまずだったと言える。黙っていれば見目美しい皇女が、甲斐甲斐しくシャンパン配りつつ挨拶回りすれば、下心筒抜けの貴族たちは自国や実家の自慢話に華を咲かせていた。威厳と高貴さを保とうとする一方で、腰や尻に伸ばす手を何度咳払いして止めたことか。俺はホールを巡回するボーイではないんだがな。
そうして宴もたかなわながら食事会はお開きとなり、俺とイリヤは今夜の宿舎に引き上げた。問題は、帰り道の会話の中でイリヤが無駄に豊満な胸を張って、なんともなかったじゃないか、と威張るのがなんとも頭にきたことくらいだった。
主として貴族たちが利用すると聞いて、無駄に金や宝石を惜しげも無くあしらった趣味の悪い部屋を想像していた。だが予想に反し、イリヤが案内された一室は羽毛をふんだんに詰めたベッドの他は、必要最低限の調度品をそろえただけのシンプルなものだった。驚きのあまり、部屋中に視線を泳がせていた俺に向かって、
「貴族とはいえ、寝室まで光物で飾り立てるわけではないのよ」
と呆れた顔で訂正された。そういえば宮殿でのイリヤの寝室も、同じように落ち着いた雰囲気のものだった。さすがに黒羽の害鳥みたいに光物好きでも、休息時まで煌びやかな光に囲まれては落ち着かないということなのだろう。心の平穏のため、そう思い込むことに決めた。
着飾ったドレスやコルセットなどの脱衣を手伝った後、緩やかな服に着替えるのを見届けると俺はイリヤの部屋を後にし、使用人に割り当てられた部屋へ引っ込んだ。
こちらは硬い皮のベッドと申し訳程度に作業机がある程度で、いやおう無く身分の違いを見せ付けられた。
街を照らす松明の火が消され、酒飲みたちの騒ぎも静まり返った頃、僅かな床の振動と、人の気配が廊下に現れた。
星空の僅かな光だけでは正確な距離と数は判然としないが、害意を孕んだ視線が標的が宿泊する部屋に向けて、迷いのない足取りで近づいていく。
2つ、3つ、……いや6つか。少なくとも3人はいるようだ。目を閉じ、背中を壁に押し付けるようにして息を止める。
部屋の前で仲間と視線を合わせ、呼吸を合わせて部屋に飛び込むその瞬間、俺は襲撃者の一人の腕を後ろ手できめ、そのまま床に組み倒す。すばやく肩をはずすと、振り向いた片方が混乱から覚める前に、顎をストレートで打ち抜いて昏倒させた。
大の男が床に落ちる音で我に返った最後の一人がタガーを構えた。距離を保ち、相手がタガーを突き出してきたところを、冷静にかわして手首を蹴り上げた。鋭利な刃が弧を描きながら中へ浮く。乾いた音を鳴らし床に落ちるさまを目で追って、相手の気を捉えた隙を逃さず、俺は抜き身のナイフをそいつの首筋に向けた。
「こんな夜更けにご足労いただいて悪いがな、こちとら不眠不休で少々気が立ってんだ。てめえの魂取られたくなきゃ、今夜はお引取り願えるかな」
ドスを利かせた声で脅すが、本職とあってすぐにイエスとは答えない。床でうめく男に目配せして、俺の隙をつくタイミングを計っているようだった。
すっと空気が引き締まるのを肌で感じた。
「バレバレだっつの」
後ろで気配が起き上がるのを見計らい、俺は体を回転して当て身をかわすと、背中に蹴りをかまして前に押しやる。相手は勢いを殺しきれず、タガーを拾うためきびすを返した男にぶつかり、組み合って床に倒れた。床に組した襲撃者2人を念入りに10回ずつ蹴り飛ばし、ついでに初めに昏倒させた男も10回蹴りつけておく。
全員白目向いて気絶してるのを確認してようやく全身の緊張を解いた。
さすがに大の男3人と縄で縛り表に放り投げるのは骨が折れた。
肩で息をしながら自室に引き返すと、開いた窓から生ぬるい夜風に流れ込んでいた。 そして正面、硬い皮のベッドに腰掛けた日と影が我が物顔で俺を出迎えた。
「ずいぶんと仕事熱心な襲撃者もいたものよね」
ゆるく風にさらわれる紅い髪と、暗闇の中に浮かぶ2つの紅点は、見間違おうなくイリヤのものであった。彼女の言う襲撃者が、今夜襲ってきたやつのことを指してるのか、それとも俺を指す皮肉なのか、深くは考えないことにする。
「お嬢、護衛対象が身勝手に動き回ると護衛する側も面倒が増えて困るんだが」
というより、先刻繰り広げた捕り物はいったいなんだったのだ、と言いたい。前提としてイリヤがあの部屋にいなかったなら、まったく無駄骨でないか。仮に部屋にいないことがばれたとして、王族があろうことか使用人室に忍び込んでいるなど、誰が思いつくだろうか。俺が襲撃者なら、まっさきに襲撃が露呈していて本国に連絡が入っている可能性を疑って逃げ出すだろう。
「うふふ。いいじゃない。結果として私が存命なら同じことではなくって?」
イリヤは妙な上機嫌で白い歯をこぼす。くっくと喉を鳴らしほくそ笑む彼女を不審に思い、ベッドに近づくと酒気が鼻を突いた。よく見れば、服装はネグリジェやドレスではなく、どこで手に入れたのか、パン屋の娘みたいな装いだった。
「酒くさ。お嬢、屋を抜け出すに飽きたらず、街に出て飲んできたのか」
「当ぅ然でしょう? はるばるぅ、僻地までやってきたのにぃ、その土地の地酒を飲まずしてかえれみゃすっか、って」
とんだ皇女様だ。強かにもほどがある。ろれつが全く回っていない。会食の場ではシャンパンを振舞うばかりで彼女自身は飲んでいないはずだが、地酒で相当酔っているようだ。
「とりあえず、酔いどれお嬢、明日も予定が詰まってるんだから、」
早く寝ろ、という続きをイリヤはさえぎって声を高くした。
「クス。それにねえ、おかげで面白い話も聞けたしね」
ろんとした目が俺を見つめる。上気した頬に、つるんと潤った唇。視線を少し下にすれば、着崩れた襟元から豊満な膨らみが二つがあり、男を誘っているとしか思えない。襲撃者の撃退によって徒労した後ということも相まって、ベッドに押し倒して、朝まで無理やり犯し続けてやろうかと半ば理性が飛びかけた。
ぴくぴくと口端が引きつるのを自覚しながら、どうにか睡眠不足で頭の引き出しの最奥から主従関係を引っ張り出し、しばし酔っ払いの与太話に付き合うことにした。
「面白い話、ですか? 現状、あまり愉快な話を想像できないんですが?」
「面白い話よぉう、っと。どうも〜、この街でね、っく。じょおおう警護に、ついていた兵士くぅんはぁ、夕方になるとそーそーに任を解かれていたようねぇ。珍しくぅ、早くあがれたって、同ひゃいと安じゃけで乾杯していたそうよぉ」
「ほぉう。そりゃあ、ご大層なご身分で。どこのどいつですか? 見つけ次第、即刻処理したいものですねえ」
あと、この酔っ払いを早くどうにかしたい。法が許すなら、頭からベッドに突き落として沈めてやりたい。
「あらら〜? 物騒ねぇ。血の気がおおい〜〜、くふふ。あとぉ、敬語がうざい」
ぷちん、とこめかみ辺りの血管か何かが切れた音を聞いた気がした。一部の職務怠慢のおかげで、警備がとかれた宿舎が襲われて俺の仕事が増えたんだよっ、と激昂しかけたところで、唇に艶やかな感触が触れた。
イリヤが人差し指を離すと、そのまま緩やかに自分の口に置いた。
酔いもさめた真顔で、すっと目を細められる。
「この街の兵士は、皇女には本土から屈強な守護者とつけていると事前に連絡がいっていたそうよ。夕刻に兵を引くように支持したのもの、同じ経路からのようだったわ」
トーンを落とし、ろれつのしっかりした声でイリヤは告げた。
「そういうわけで、今夜はこの部屋で就寝させてもらうから」
と、言う間にイリヤはベッドに倒れこみ、硬い、とぼやきながら布団に包まった。酒臭い寝息が聞こえ始めるのに、1分もかからなかった。
はあ、と大仰にため息を漏らす。鋭く周囲の気配をうかがい、人気がないことを確認すると、開けっ放しの窓から一度外に出た。石造りの街道まで続く布靴の足跡を、付近の土をならして消し、帰りは普通に歩いて部屋に戻る。
イリヤが体を冷やさないよう開けっ放しの窓を閉じた。元の部屋から掛け布団だけ盛ってこようかとも考えたが止めておいた。
「まったく、あんたはこの国にはもったいないくらい強かだよ」
ひとりごち、壁際に腰を下ろし目を閉じた。5分だけ、と自分の体に言い聞かせる。
襲撃の夜はまだ長い。
その日を境に隣国との関係は回復に向かった。また、会食で手ずから接待した皇女が正式に依頼したことから、国土の一部を自由貿易都市として開放する条件と引き換えに、隣国の技術提供が受諾された。東部の飢饉についても快報がちらほら伝わってきていた。
これで飢餓に苦しむ農民に食料が渡り、来年の納税が確実のものとなり、自由貿易でさらに収益が上昇し、国内が一団となって纏まる――なんて展開にはなからなかった。
少なくとも民衆は皇女の英断に好意的である。飢餓が去り、税金は据え置きで、さらには自由貿易を更なる儲けのチャンスと捉えるものも少なくない。
しかし、旧体制を引きずる貴族たちは違う。皇女の独断といえる――他の貴族・大臣の反論を一切跳ね返し単独にて隣国との同意をとったから間違ってはいないが――行動に不快感と、あまりに民衆の支持を受けている情勢を危機感を覚えていた。中には今まで自分たちの潤沢を支えていた王政が滅びるのではないかと忌避するものまで現れた。
俺が侍女からイリヤへの差し入れを執行室に届ける道中のことだ。
通路を曲がろうとして、話し声が僅かに聞こえたため、とっさに壁に張り付いて身を隠した。息を潜め、意識だけ曲がり角の奥に向ける。
雑音程度にしか聞こえなかったものが、次第にノイズが晴れ、聞きなれたしわがれ声の応酬に復調した。片方は古参の外交官だ。皇女が約定を取るより前、隣国との協議に参列し、国交に亀裂を入れた張本人でもあった。
もとよりしわがれた声が、緊張からかさらに乾ききった上、興奮と焦燥で裏返った声でまくし立てるので、舌が空転して超音波みたいになっていた。
どうにか聞き取れた限りでは、このままでは皇女が権力を保持しすぎて、自分たちが排斥されかれない、と慄然とした懊悩をもう一人に訴えていた。
聞き役に徹していた、おそらく貴族や大臣も、外交官の疑念に大枠で同意見だったらしく、神妙に頷くと、彼の一派が密かに企てていた計画を明かした。参加しなてくれまいかという願いに外交官はいちもにもなく飛びつき、協力を快諾した。
事の顛末を聞き遂げた俺はそっと背をどけ、何事もなかった顔で通り過ぎた。企てを持ちかけた貴族が人の気配にぎょっと顔をこわばらせたが、無言で通り過ぎる俺を見て、なぜかほっと胸をなで落としていた。
呆れを通り越し、哀れに感じた。保身に目がくらむあまり、誰がどこで彼らの行動を目撃しているかもしれないというリスク管理まで頭が回っていない。
その翌日、皇女には内密と釘を刺され、その貴族に呼び出された。
夜更けが深まったころ、イリヤの寝室のドアをそっと開けた。
「今日はノックをしないのね、ウィン?」
外から気配をうかがったとおり、起きていたイリヤがたちまち声をかけてきた。
「こんな夜遅くにどういった用向きかしら? 私の記憶が確かなら、今日の――いえ、今日以降の予定は入っていなかったと思うのだけど」
涼しげに目を細め、ことなげにイリヤが言った。彼女は臣下の企みなど見透かしていた。闇の中で紅く光る目が、宮殿に忍び込んだ駄犬を見るように眇められていた。
「いや、起きている気配がしたからな。いい加減寝ろと釘を刺しにきただけだ」
「へえ。いつになく優しいじゃないの、ウィン。けれど不要なお節介だわ。ほら、釘の変わりに、胸に深々と杭を打たれたら堪らないじゃない?」
くすす、と闇にまぎれるように口元だけ小さく笑う。
油断ならない態度を見て、俺は降参だ、と両手を掲げた。右手にはべったりと血塗られたナイフをしっかりを握ったままだ。
「あんたを無力なお人形だと思い込んでいるなんて、あの老人たちは耄碌の度が過ぎたのか、あるいはそもそも幸せな頭の持ち主なのかね」
「その彼らの甘言に、ウィンはいったいどう答えたのかしら?」
「愚問だな。俺の目的は今も変わらない」
俺の親を見殺しにした元凶を、この手で皆殺しにする。ただそれだけだ。
「そうね」
天蓋つきのベッドの上でイリヤは静謐な笑みを浮かべる。青白い暗闇の中に浮かぶ顔は、嬉しそうに笑っているように見えた。
「ウィン、あたなは初めから裏切り者だった。だからこそ、信じられた」
「意味がわからんな、お嬢」
「分かってることを分からないふりをする、そんな小ざかしいとこは嫌いじゃないわ」
いつかこの日が来ることはわかっていた。覚悟は当の昔に済ませていた。後悔はない。万感のこもったすがすがしい表情だった。
「あなたは自分の望みに愚直だった。まっすぐだった。つまり、自分の手で、私を殺す、その一点にのみ執着していたから。あなたはあ、あなた以外が私に手を下すのを黙っていられなかった」
違うかしら、と可憐に微笑を浮かべる。
間違ってはいない。俺の人生は、その望みをかなえるためだけに存在した。悲願を達成したなら、命も惜しくはなかった。どんな汚名をつけられようとも、罵倒されようとも、嗤笑されようとも、私怨を一身浴びせられようと、構わなかった。幾千の槍に突き刺され、手足を縛られつるし上げられようと、街中を引きづられようと、俺は死ぬその瞬間まで高笑いして見せただろう。
「だが、あの大臣どもはダメだ。俺が賛同する態度をとってみせれば、全員手放しで半狂乱してやがったぞ。おかげで改まって詰問する必要もなかった。だってよ、聞く前からぺらぺらと話してくれたんだぜ? 大方、共犯意識がはたらいたんだろうが」
くっく、とこみ上げる笑いを堪えるので精一杯だった。眼前の赤に戸惑いが灯る。知ったことか、もう少し浸らせろよ。なあ、いいだろ?
誰に許可を求めるでもなく、静かに真実を吐露した。
「18年くらい前もさあ、今回みたいな飢餓があったんだよ。けどあいつら、その話になると口そろえてこういうんだぜ? 飢餓がひどく切り捨てるしかなかっただあ? バカも休み休み言えよ。ガキだったから何も知らないとか思ってんのかっつの」
「何を言って……」
「そもそも飢餓の元凶はよ、あいつらが外国から取り寄せた作物の種と、化学肥料の副作用なんだ。どっかの国で豊作したから、それにあやかって仕入れたもんだ。確かに初年度は豊作だったさ。だけどよ、あれは元来肥沃のよい土壌で、かつ他の農作物と組み合わせて、土壌を休めながら作るものだ。――でよ、実態も、背景も調べないまま、バカの一つ覚えみたいにそればっか作らせて、あまつさえ翌年から収穫量の低下したら、俺たちの責任と決め付けて叱責しやがった! 出所も定かじゃない、高額な化学肥料を大量に押し付けっ、養分がひやがった土地を肥料でだましだましで作物を繰らせ続けた! あまつさえ税金の不足を補うためと大義名分を振りかざして税率を引き上げ、芋をひとかけらと、水に1時間つけてふやかせた穀物を一匙食うのに精一杯の農夫に、毎日、毎日っ、毎日っ! 休みを与えず働かせて! それで!」
こみ上げる激情が喉を締め付けた。胃がひっくり返り、胃酸、喉を、舌を何もかも焼き尽くすような気持ち悪さが、口内を満たした。
何かをはき続けないと、内臓や肺など体中のありとあらゆるものを吐き出しそうで、俺はとにかく罵倒し続けた。
「それが、飢餓がひどかったから切り捨てるしかなかっただと! ざけんな! ふざっけんなよ! 手前らの身勝手が、保身が、貪欲が俺たちを殺した! これからも無残に殺し続ける! 手前ら貴族の私腹を肥やすためだけに俺らは血反吐吐いて働いてたわけじゃねえんだよっっ!! ふざけんな。ふざけるのは手前らの腐りきった頭んなかだけにしろっつんだよ!!!」
気持ちを全部投げ捨てて、ぜえぜえと肩で息をしていた。気負っていたものがなくなったおかげで体が軽かった。代わりにいろんなものを無くした気がしたが、すっかり気が晴れた。
「まあ、おかげで俺も躊躇せず目的を果たせたがな」
俺を、両親を、町の人間を見捨てやつらをこの手で根絶やしにした。自分たちの過ちに気づかず、ピエロのように同じことを繰り返す能無しどもを一掃できた。
いや、実際にはまだ峠の中腹に過ぎないのかもしれない。貴族も大臣もまだ腐るほど生きている。けれど俺には十分だった。歩きつかれた。一人で、孤独に進むことに心が耐えられなくなった。
終わりたかった。逃げ出したかった。自分に貸した使命感さえも捨て去って自由になりたかった。
「だから、これも俺のエゴでしかないんだよな……」
自己満足で復習を止めようとしているのだから。
「ウィン……?」
弱った一言に、イリヤは大きく目を広げた。煌々と前を見据えていた真っ赤な瞳が強い不安の色で翳る。年頃の女らしい顔を始めてみた気がした。
血糊がべったりとついたナイフをイリヤの眼前に放り投げた。部屋に点々と、そして白いシーツに赤黒いシミが広がっていくのを、イリヤは驚愕の瞳で見下ろしていた。
「頭の隅々まで権力の保身を望み、反駁するものを排除し、私利私欲を満たすことだけを終始する老害どもも、実態を知らない市民からすれば国の根幹をつかさどるれっきとした為政者だ。それがある日ぽっくりいなくなれば、この国は機能しなくなる」
芝居くさい、回りくどい言い回しに徹した。それでも聡明なイリヤは俺の望みを気づいた。気づかないはずがなかった。
腐りきった貴族社会の中で唯一民衆の痛みを受け止めてなお、毅然と意思を貫くイリヤだからこそ、俺は最後にここを選んだのだから。
「つまり、ウィン。お前は国家を転覆させた大罪人。この場で斬って捨てられても文句は言えない」
「ああ。このまま国を回すやつがいないままならな」
だが、と俺は嫌味ったらしく口端をゆがめた。
「正当な指導者が革命を宣言すれば、血に塗られた俺の業は勲章に変わる」
「お前は何を望むのかしら。さらし者としての死と、変革者という記号としての生。生死の違いこそあれ、自由は無くなることにちがいはない」
「俺は望みをかなえた。後は、他人がそれを罪か、正義かを判じるだけだ」
肩をすくめて答える。言葉に嘘はない。長年追い求めてきた目的は拍子抜けするほどあっさりとかなってしまった。寂寞とした気持ちだけが胸に滞っていた。こんなものなのか、と。俺は悔やみ、恨み、怒り、憤り、猛り、狂おしく生きてきた結末がこんなあっけないものなのかと自問する。答えの変わりに、死の直前まで保身にすがりついた仇の顔が次々に浮かび上がっていった。
我に戻ると、イリヤがナイフを手に取っていた。紅き瞳に誰よりも強い意志を込めて。
目の前に立ちふさがる障害を、力ずくで跳ね除けて進む決意が全身に満ちていた。
緩慢に、しかし迷いなくイリヤの手が動く。――だが、ナイフが俺に突き刺さることはなかった。
イリヤはなぜか横向きに寝かせたナイフをネグリジェに押し付け、刃にこびりつく血糊をネグリジェの裾でぬぐった。何をするかと動向を見守っていると、彼女はナイフのもち手を返し、柄をこちらに向けてきた。
俺が呆然としていると、柄を上下にふり、早く取れとせかす。
「何が、……したいんだ、お前」
「いいから、物騒なものをさっさとしまいなさいな」
仰せのままにナイフをしまうと、イリヤが大仰に首をすくめ両手を広げた。
「あーあ。血の気の多い愚鈍な使用人のおかげで、私の服にまで血糊がべったりついてしまったわね。これでは大臣の殺害を断罪しようにも、私まで疑われてしまう。まあ、どうしてくれようかしら! だけど、私も自分の身恋しい貴族の端くれなのよねえ」
「…………白々しいなあ、おい」
「ああ。困ったわ。ここままでは私まで打ち首に――いや待って。幸いにも目撃者は私と、貴様だけだなのよね。まさかこの愚鈍、他の人間に目撃されたなんでドジは踏んでいないでしょうね?」
「性根同様に脳みそまで腐り落ちた連中と一緒にするな。抜かりはない」
「そう」
さて、どうしたものかと、綺麗に整った眉を下げて困り顔を作る。
いつまで続ける気だ、この三文芝居。どさくさ紛れにとんずらしようかと、視線を入り口に向けた。
そして、視線を戻した時だ。闇の中で煌々と光る二つの丸が俺を捉える。目が合うと悪巧みを携えた邪険な目で、イリヤはにやりとあくどい笑みを浮かべた。
……いやな予感しかしない。動物的直感が全身に逃げろと告げていた。
だか、ようやく足が動き出すより先に、無常にも王命が告示された。
「貴様が私に後生を尽くし、付き従うと誓うなら、適当な理由をでっち上げて、この罪は私の胸に留めても構わないのだけれど」
「その言い方だと、祝言をあげろ、とも受け取れるんだが?」
「ええ。特別に国を革命した王として崇め奉り、私の夫として迎えてもいいわよ? ねえ、あなた幸せな国を作りましょう?」
うわお。突然の出世コース到来っ。言葉を鵜呑みにして寄り添ったら無煙仏になりなねんがな。何より冗談の癖に、顔がぜんっぜん笑ってねえ……
「もし俺がお前の提案を断ったらどうする気だ?」
「その時は、皇女を垂らしこんで計略に嵌めた反逆者として打ち首にするまでよ」
「さっきと言ってることちげえ! 黙認した時点でてめえも共犯だろうがっ」
恫喝する俺に大して、くすと場違いに笑みがこぼれた。
「そう、共犯者よ。なればこそ、互いに手を取り合い、この難局を乗り切ろうじゃない」
絵画から飛び出してきたように、美しすぎる微笑を浮かべた彼女を前にして、俺は首を縦に振ることしか考えられなかった。
翌朝。宮殿内に大臣の半数が惨殺されたことは知れ渡った。しかし混乱する残りの貴族たちは彼女は一喝にして取りなって見せた。突然の襲撃を兵士に怠惰と詰り、次に襲われる可能性を杞憂するものたちをいさめ、古きが一掃された今こそ転機であると声を高らかにしたのだ。
理論が無茶苦茶だ、お嬢。
目障りな臣下がいなくなって、イリヤは生き生きと独裁者の本質をさらけ出していた。自分の意思に反するものを無策に排除するのではなく、言論論を労してたらし込み、精神を徹底的に痛めつけ、彼女に逆らえないことを周囲のものにまで見せ付けた。
傀儡のはずだった皇女の狂乱ぷりに、大臣たちも顔を真っ青にして傅くしかなかった。逆らったら殺される以上の地獄を見ることを、磨り減った残りかすのような脳みそでも理解できたのだろう。いっそのこと、理解できず打ち首にされた方が楽だったかもしれない。
かくして、女帝は内部の地固めを終えた――侍女たちはすでに彼女のとりこだった――後、緊急に宮殿のテラスで市民たちに演説を行った。
権力を持った大臣の一部が王政の甘い汁を吸っていたこと、私利私欲により為政を執り行ったことを糾弾し、彼らを拘束し、賢人を交えた裁判にて公正に罰することを宣告した。同時に、貴族が次の大臣を選出する体制を問題視し、広く、市民の中から為政者を募ることを宣言した。他薦自薦は問わず、ただし名乗り出ない民衆全員の投票にて大臣となるものを選出することも言い含めた。
街中を歓喜で埋め尽くさんとする群を前に、平然と虚言を吐き、あまつさえ自身の高感度に添加する図太さには恐れ入る。伊達に、数年来爺どもの下衆な視線を浴び続けたわけじゃない。荒みすぎて魔王に転職したらしい。末恐ろしい世の中だ。
とはいえ、これからが大変だ。この国は大きく変貌する。なにごとも変化する時がもっともエネルギーを必要とする。変化の結果が正か悪かなんてものは、今を生きる人間には決められない。生悪を論じ、判じれる余裕と余暇なんて当分ありはしないのだから。
そして俺は、群集を束ねて力強く微笑むお嬢様(共犯者)に、いったい、どれだけこき使われるだろうか。
人並みに休息が与えられるのか、今はそれだけが懸案事項だった。