第一章
一日の疲れを終え、深い眠りに落ちた俺は、ふと気づくとどこかの教室に立っていた。
身にまとった野暮ったい白い制服と青いハーフパンツを見て、またあの「学生時代に戻る夢」を見ているのだと察した。社会人になってから、たまにこの手の夢を見る。木の匂いが染み付いた机と椅子。まだ社会に守られていたあの頃の学校に戻ると、なんだか泣きたくなるような安心感を覚える。
.
小学校、中学校、大学の時期の夢はどれも見たことがあった。高校時代はひたすらイジメられていたから、当然、夢に出てくるはずもない。
.
もちろん、夢から覚めればまた現実と向き合わなければならないのだが。
.
しかし、今回の夢は少し様子が違っていた。視界に広がる光景や机の匂いだけでなく、なんと自分の意志で歩き回り、音を聴くことができるのだ。今までの似たような夢とは、明らかに一線を画していた。
.
教室の様子を見る限り、どうやら中学3年生の時の夢らしい。具体的にいつの時期かは分からないが、どうせ夢だ。今日が何月何日なのかなんて、大した問題ではない。
.
昼休みのことだった。
突如として、校舎の外からおびただしい数の悲鳴と絶叫が響き渡った。さらに、あちこちから急ブレーキの音や激しい衝突音が重なり合う。クラスメイトたちは、寝ていた者も含めて全員が立ち上がり、外の様子を見ようと壁際の窓へと殺到した。
そして、彼らは恐るべき光景を目にすることになる。数人の通行人が必死の形相で逃げ惑い、そのうちの一人が運悪く転倒した。すると、背後から追いかけてきた影がその男に飛びかかり、激しく肉を貪り食い始めたのだ。
.
周りにいるのは普通の中学生だ。そんな凄惨なスプラッター映像など見たことがあるはずもない。一瞬にして窓際から人が消え失せ、恐怖のあまり失禁する者、その場で嘔吐する者が続出し、空気は最悪なものへと変わった。
.
しかし、俺だけは眉をひそめたまま、窓辺に立ち尽くしていた。
「……またかよ」
.
これは、ごく稀に繰り返し見る夢だった。──「中学校がゾンビに襲撃される夢」。俺はすでに、これと全く同じ夢を3回見ている。確か、同じ夢を3回見ると現実になる、なんて噂を聞いたことがあるが、自分にはピンとこなかった。ただ分かっているのは、もうすぐ防備の薄い学校の裏門からゾンビが侵入し、およそ30分後には自分を含めた全校生徒が全滅するということだ。この夢を見る時の基本ルートはいつもこうで、例外は一度もなかった。
.
だが、今までの夢では俺はただの傍観者にすぎず、夢の中の自分を操作する権限はなかった。それなのに、今回は自由に行動できる。これが意味することは、一体何だ?
.
俺は険しい表情のまま、学校の裏門へと向かった。
裏門はグラウンドへと繋がっており、普段は近隣の住民が敷地内で運動できるようにと開放されている。当然、今は授業時間中なので部外者はいないはずだが、あの小さな柵の門には鍵がかかっておらず、警備員もいない。厳重に警戒された正門とは大違いだ。あの大きくて頑丈な鉄製の柵門は、電力なしではびくともしない。側門も登下校の時しか開かない。つまり、この学校唯一の侵入経路は、せいぜい3人が並んで通れる程度の、この小さな裏門だけなのだ。
.
しかも、俺の記憶が確かなら、あの門の南京錠はいつも開いたまま放置されているはずだ。わざわざ鍵を探す手間すらない。鉄チェーンを引き絞って押し込めば、裏門というこの致命的な脆弱性は塞ぐことができる。
.
思い立ったら即行動だ。しかし、裏門からほぼ対角線上に位置する教室を出て、中央廊下にたどり着いた時には、すでにゾンビどもは裏門から侵入していた。彼らはバスケットコートで部活の練習をしていた生徒たちに、すでに襲いかかっている。
.
中央廊下からグラウンドまではまだ距離があったが、今から用務員を呼んでシャッターを下ろし、ルートを遮断してもらうにはもう間に合わない。この学校の設計は、教室からグラウンドへ通じる唯一の動線がこの中央廊下になっている。おそらく一般市民が運動しに来やすいよう、校舎への侵入を防ぐために簡単に区切れるように作られていたのだろう。
.
どうやら、今回は動ける夢だったとはいえ、全員死亡という結末は避けられそうにない。
.
それにしても、奇妙な話だ。とっくに人生に絶望している俺は、もし本当にゾンビによる終末世界が訪れたら、真っ先にゾンビに体を差し出して噛み殺されようと常々自嘲していた。早めに物理的にログアウトしなければ、その後は生き延びるだけで苦しくなる一方だからだ。
それなのに、この夢を見るたび──たとえ傍観者視点であっても──俺はいつも人を救おうとしていた。こうして体が動くようになった今でさえ、どうやって人を助けるかを考えていたのだ。そして、もう手遅れだと悟って初めて、諦めて結末を待つ。これがただの夢だと明確に分かっているからこその行動だろうが、我ながら奇妙だし、滑稽で仕方がなかった。
.
ほどなくして、俺は教室に戻り、最期の時を待った。
防御用に持っていた竹ほうきの柄をゾンビに噛み砕かれたその瞬間、なぜか壁の時計が目に留まった。午後1時37分。そして、視界は完全な暗闇へと帰した。
.
間もなく、俺はベッドの上でガバッと跳ね起きた。
この夢を見る時はいつも、全プロセスを通じて心拍数が跳ね上がる。なぜか分からないが、噛み殺されないと目が覚めない仕様になっているのだ。だから目覚めた後は、まるでフルマラソンを走りきったかのように心臓がバクバクと鳴り、激しく息が切れる。正直、運動嫌いのオタクとして、この夢は本当に大嫌いだった。
.
とはいえ、夢は選べない。もし選べるなら、毎晩のように理想の彼女と一日中イチャイチャしてヤりまくる夢でも見たいものだ。ただ運が悪かったと諦めるしかない。スマホで時間を確認すると、そろそろ出勤の時間だった。俺は会社に行く準備を始めた。
.
また一日、社畜として疲弊した俺は、風呂を済ませてベッドに横になった。
目を閉じ、次に開けた瞬間──俺は再び、高校3年生の教室に戻っていた。
今度は、時間を真っ先に確認した。正午、12時30分。
.
「嘘だろ……」
再び悪夢の世界へと戻った俺は、今度は一瞬の躊躇もなく、裏門へと向かって猛ダッシュした。
鉄チェーンをきつく巻き付け、南京錠をカチャリとハメ込んだその瞬間、ゾンビの群れが正面から鉄門に激突してきた。跳ね上がる心臓をなだめる間もなく、俺はすぐさま教室の方へと引き返した。裏門の鉄門は背の高い頑丈なものではなく、大人の腰ほどの高さしかない小さな柵にすぎない。ゾンビを足止めできる時間は限られている。今やるべきことは、用務員さんに知らせて中央廊下のシャッターと柵を閉めてもらい、さらにグラウンドに面した教室の窓と扉をすべて施錠することだ。
.
この時、中央廊下ではすでに教師たちがグラウンドの異変に気づき、校庭やバスケットコートにいる生徒たちに向かって「早く校舎の中に戻れ!」と叫んでいた。用務員さんも脇で待機しており、生徒たちが戻り次第、扉を閉めて鍵をかける手はずのようだ。
.
だが、俺には分かっていた。そんなことをしても無駄だということを。教室の窓枠はごく普通のアルミサッシで、ゾンビたちの圧倒的な圧力に耐えられるほどの強度などない。
.
しかし、一介の生徒にすぎない俺には、こんな大事に対して発言権などあるはずもない。教師たちの保護に従い、急いで教室に戻るしかなかった。
.
俺の教室は3階にある。今回は事前に裏門をロックしたため、ゾンビが校内に流れ込んでくるスピードは格段に遅くなるはずだ。グラウンド側の教室の窓を突き破るほどゾンビが密集するまでにも、かなりの時間を稼げるだろう。
それに引き換え、正門側を囲む3面の壁は2メートルの高さを誇るコンクリートブロック塀だ。裏門の金網とは比べ物にならないほどの防御力がある。
.
だが、そんなことは大した問題ではない。本当の問題は、この中学校が近隣でも有数のマンモス進学校だということだ。生徒数は1学年だけで25クラス、全校生徒は3千人を超え、教師も100人近くいる。仮に一時的な安全を確保できたとしても、水と食料の問題がすぐに深刻化するのは火を見るより明らかだった。おまけに、この安全など所詮はかりそめのものにすぎない。中学生のメンタルなんて、そんなにタフにできてはいないのだ。
.
誰か一人がパニックを起こして大声で叫び出せば、それに刺激されたゾンビの群れが一斉に総攻撃を仕掛けてくるだろう。
早ければ今夜、長く持ったとしても明日の朝には全滅だ。
もし、今すぐ2階以上の階段へと続くシャッターをすべて下ろす決断のできる教師がいれば、もう少し時間は稼げるかもしれない。だがそれをやれば、2階以上にいる人間は完全に干上がることになる。なぜなら、給食室も購買部も、すべて正門側の一階にあるからだ。
そこまで考えた時、俺は気づけば、中学時代に片思いしていたあの子の隣へと引き寄せられていた。彼女は、俺の人生における最大の心残りだった。その後、他の女子を好きになることはあっても、彼女に対して抱いたような「守ってあげたい」という強い保護欲を覚えることは、二度となかった。
.
人生で初めて、俺は自ら進んで女の子の手を握りしめた。
何か言葉を発しようとした、その瞬間──不意に視界が真っ暗になった。
(……あれ? 噛まれてもないのに目が覚めるのか?)
.
そうして俺は、現実の自宅のベッドの上で跳ね起きた。
だが──手の中に、何やら温かくて、柔らかいものの感触が残っている。
.
「……っ!?」
驚きのあまり慌てて手を離すと、なんと俺のベッドのすぐ脇に、15歳当時の姿をした、あの片思いの少女が横たわっていたのだ──。




