32眠りの森
この辺り一帯は、眠りの森と呼ばれている。
凶悪な魔物が数多く生息する、危険な森だ。
そして――
その森を抜けた先、小高い丘の上に魔王城がそびえている。
だが、この森に足を踏み入れる前には、準備が必要だ。
そのため、俺たちはまず、
ドワーフたちの住む里――
「バル=グリム岩砦」へ向かう。
俺は、娘たちにこれからの行動を説明した。
「……ドワーフ?」
クラリスが、不思議そうに首をかしげる。
その視線を受けて、俺は簡単に説明を始めた。
「ドワーフはな、山と岩の民だ。
地下や山腹に里を築いて、
鍛冶と採掘を生業にしている」
「ドワーフは中立の民だ。
人間にも、魔族にも与しない。
だからこそ、
魔族もまた、ドワーフには手を出さない。」
――いや、出せない、という方が正しい。
ドワーフは強い。
もし敵に回せば、喉にナイフを突きつけられている格好になる。
クラリスは小さくうなずく。
「ドワーフは、頑固で、気難しくて、排他的。
だが――」
一拍、置く。
「約束と技には、命を懸ける」
「一度“仲間”と認められた相手を、
裏切ることは、まずない」
それを聞いて、
アカネが少し身を乗り出した。
「じゃあ……仲良くなるのは、大変そうだね」
「大丈夫だ」
俺は、即答した。
「昔の知り合いがいる」
◇
グランヴェル境界山脈の北側は、
すでに冬の気配に包まれていた。
灰色の雲が低く垂れこめ、
その下には、光を拒むような黒い森が広がっている。
いかにも――
魔族の領地らしい景色だ。
あたりは、しんと静まり返り、
空気は張りつめている。
音を立てれば、
森そのものに目をつけられそうな、
そんな感覚があった。
◇
バル=グリム岩砦には、半日ほどで到着した。
切り立った岩壁が、行く手を塞ぐように立ちはだかる。
自然の断崖――ではない。
岩壁の中央。
山の腹を抉るように穿たれた、巨大な裂け目。
それが、バル=グリム岩砦の正門だった。
娘たちは、正門を見上げ口をあんぐり。
「すごい」
その壮大な景観に圧倒されている。
俺たちは、正門をくぐる。
正門をくぐった途端、空気が変わった。
外の寒さとは違う、石そのものの冷えが肌を撫でる。
通路は広く、天井は高い。
削り尽くされた岩と、磨かれた石畳が続いていた。
赤銅色の灯りが、影を作らず壁を照らす。
静寂の奥から、金属を打つ音が微かに響く。
ここは砦ではない。
山の内側に築かれた――生きた街だ。
◇
「これから冬の森に入る」
俺は娘たちに言った。
「必要なものを、ここで揃える。冬用の装備と食料――命に直結するものだ」
懐かしさが胸をよぎる。
以前の魔王討伐の際にも、俺はここに立ち寄っている。
今回で三度目だが、岩砦の空気も、石の匂いも、ほとんど変わっていない。
昔の記憶を頼りに、防具屋へ向かう。
分厚い扉を押し開けると、炉の熱と鉄の匂いが流れ出てきた。
「……見たことのある顔だな」
低い声が飛ぶ。
振り向いたのは、ずんぐりとした体躯のドワーフ――
鍛冶職人のドゥランだった。
「久しぶりだな、ドゥラン」
「歳を取ったな、ルドルフ」
ドゥランは鼻を鳴らし、俺の背後に視線を向ける。
「後ろのお嬢さんたちは?」
「ああ。勇者たちだ」
「今回も、魔王との対決のためにな」
「それは殊勝なことだ」
娘たちが、揃って頭を下げる。
「はじめまして」
「冬用の装備を整えたい」
俺が言うと、ドゥランは短くうなずいた。
「いいだろう。見繕う」
棚の奥へ消えていく背中を見送りながら、娘たちに小声で伝える。
「ドゥランとは、前々回の魔王討伐のときからの馴染みだ」
「腕は確かだ。任せておけば間違いない」
それを聞いて、クラリスがほっと息をついた。
「ほんとに、ルドさんが一緒でよかったよ」
「私たちだけだったら、何をどう揃えればいいか分からなかった」
「だよね」
アカネも頷く。
「ルドさん様様だよ」
ナディアも、静かに微笑んだ。
「ありがとう。ルドさん」
その間に、ドゥランが戻ってくる。
厚手の防寒外套。
防水加工のブーツと手袋、帽子。
さらに、断熱性の高い寝袋と、冬仕様のテント。
「これで凍え死ぬことはない」
ドゥランは淡々と言った。
――さすがだ。
無駄がなく、だが足りないものもない。
冬の森へ向かう準備が、静かに整っていった。
◇
ドゥランの防具屋を出たあとは、保存食を仕入れた。
乾燥肉、堅焼きのパン、豆と干し野菜。
湯に戻せば、最低限の食事になるものばかりだ。
この先、森の中にはドワーフの住み家が点在している。
立ち寄れれば、都度、食料を調達することもできるだろう。
だが――
冬の森は、予定通りに進ませてはくれない。
吹雪。
獣。
あるいは、道そのものが失われることもある。
「食料は、多めに持つ」
俺はそう判断した。
余分に思える荷は、
いざという時、命の重さに変わる。
結果、俺たちの荷物は膨れ上がった。
仕方がないことだ。
幸い、
ナディアの重量軽減魔法により、見た目ほどの負担はかからない。
ひととおりの準備を整えたのち、俺たちは、宿に落ち着いた。
ドワーフの里の宿は、岩をくり抜いて作られている。
装飾はほとんどなく、厚い石壁が外気を完全に遮断する。
寝台は硬いが広く、毛皮の寝具が十分に用意されていた。
炉の火は一晩中落とされず、寒さを感じることはない。
派手さはないが、旅人を確実に休ませる宿だ。
宿で、簡単な食事を取った。
温かいスープと堅焼きのパンだけの、質素な夕食だ。
だが、不思議と体は落ち着く。
石の宿と、炉の火が、余計な緊張を溶かしてくれていた。
明日から――
いよいよ、眠りの森に足を踏み入れる。
「ちょっと、緊張するね」
「王国の森とは、全然雰囲気が違うもんね」
娘たちは、不安を隠せずにいる。
――当然だ。
かつて、俺たちもそうだった。
未知の領域に踏み込むのは、
怖くないという方が、おかしい。
俺は、黙ってスープを飲み干した。
◇
翌日、俺たちは眠りの森へと足を踏み入れた。
灰色の空。
黒々と立ち並ぶ木々。
地面には雪が白く積もり、足を運ぶたび、ざくりと鈍い音が響く。
眠りの森に入って、まだ間もない頃だった。
――音が、消えた。
風の擦れる音も、木々の軋みも、
まるで森そのものが息を潜めたかのように、すっと遠のく。
「……止まれ」
俺が低く告げた、その瞬間だった。
白い影が、左右に分かれて滑るように動く。
正面、そして背後――
二体。
いや、三体。
霜をまとった巨大な狼。
吐く息が白く揺れ、足元の地面がじわりと凍りついていく。
「囲まれてる……!」
「霜影狼だ」
俺は叫んだ。
「王国の狼とは別格だ。気をつけろ!」
アカネが即座に剣を抜く。
俺とクラリスは、同時に詠唱へ入った。
だが、狼たちは飛びかかってこない。
ただ、円を描くように歩き、
じわじわと、逃げ道を削っていく。
「来るぞ――一斉だ!」
次の瞬間、
三体の狼が、同時に地を蹴った。
低く、速い。
――だが。
すでにナディアは、防壁魔法を展開していた。
狼の巨体が、見えない壁に激突する。
鈍い衝撃音。
その隙を逃さず、
クラリスとアカネが一気に間合いを詰め、剣を振るう。
だが、狼は速い。
刃をひらりとかわし、なおも襲いかかる。
「――っ!」
クラリスが剣を振りかざす。
次の瞬間、剣先から火球が撃ち出された。
意表を突かれた狼に、直撃。
怯んだところへ、
アカネの斬撃が走り、一体が崩れ落ちた。
その間に――
俺の詠唱が、完成する。
《一閃の雷》
雷光が走り、一体の狼を撃ち抜く。
動きが鈍った瞬間を逃さず、
アカネが踏み込み、とどめを刺した。
残るは、一体。
クラリスが正面から対峙する。
狼は、さらに速度を上げ、一直線に襲いかかった。
剣と牙がぶつかる。
そこへ――
ナディアの支援魔法が、クラリスに重ねられた。
身体が軽くなる。
剣が、風を切る。
加速した太刀筋が、
狼の喉元を正確に貫いた。
倒れ伏す霜影狼。
「……さすがね」
肩で息をしながら、クラリスが言う。
アカネも、深く息を吐いた。
「ここの魔物、やっぱり手ごわいよ」
――それでも。
俺は、内心、少し驚いていた。
(この娘たち……)
(初見の相手に、ここまで戦えるとはな)
眠りの森は、確かに危険だ。
だが同時に――
彼女たちの力を、確かに試してくれる場所でもあった。




