30娘たち人質になる
俺たちは、ルージュフォレストから少し東にある港町――
ポルト・ルージュへとやってきた。
魔女レティシアとの、待ち合わせの地だ。
ルージュ川の河口近くに発展したこの町は、
紅葉の赤と、夕焼けに染まる港の景色で知られている。
表向きは交易港。
だが裏では、海賊とも縁が深い――
そんな噂が、当たり前のように囁かれている町でもあった。
人の目は鋭く、
笑顔の裏に、値踏みが透けて見える。
――正直、穏やかな町ではない。
荒事の気配が、港町の空気に溶け込んでいる。
魔女レティシアは、
「仕込みがある」と言って、
すでに先に街へ入っていた。
俺たちは、
あらかじめ示し合わせていた宿屋へ向かう。
二階の一室。
扉を開けると、そこには――
レティシアが、待っていた。
旅装束。
派手ではない。
むしろ地味だ。
それなのに――
隠しきれない気品が、滲み出ている。
まるで、
身分の高い者が、それを承知の上で隠している
そんな雰囲気だ。
……この魔女、
本当に、抜かりがない。
「すでに、噂は流しておいた」
レティシアは、淡々と告げる。
「高貴な身分の令嬢が、お忍びで旅をしている」
「お供は、侍女が三人と、老執事が一人」
「一応、武装はしているが……見掛け倒し、という設定だ」
――なるほど。
海賊が、食いつかない理由がない。
すると、クラリスが腕を組み、
少し不機嫌そうに言った。
「あなたが令嬢で、私たちが侍女、という設定には」
「正直、釈然としないものがあるけど……」
腰に手を当て、
憮然とした表情。
「まあ、仕方ないわね」
「それで、いきましょう」
◇
レティシア扮する令嬢は、
その日、侍女たちを引き連れ、
街でことさら目立つ買い物をして回った。
宝飾品。
上質な布。
値段を聞きもせず、即決。
通りを歩くたび、
肌に刺さるような視線を感じる。
――食いついたな。
十分に“餌”をばらまいたところで、
俺たちは街を抜け、
海岸線沿いの道へと進んだ。
人気のない、小さな浜道。
波の音だけが、やけに大きく響く。
そして――
影が、増えた。
前。
後ろ。
左右。
いつの間にか、
俺たちは男たちに取り囲まれていた。
手には、短剣、棍棒、弓。
どれも使い込まれた、実戦の匂いがする。
……すごいな。
ほんとに、出てきやがった。
「な、なに者ですの……?」
令嬢が、
かすかに震える声で言う。
「ぶ、無礼者!」
侍女が一歩前に出て、
声を張り上げる。
男たちは、
互いに顔を見合わせ、
下卑た笑いを浮かべた。
「へへ……」
「怪我したくなけりゃ、
おとなしくしな」
次の瞬間、
数で押され、
俺たちは、あっさりと取り押さえられた。
――実に、あっさりだ。
ほどなくして、
どこからともなく小舟が現れ、
俺たちは、それに乗せられる。
武器は没収されたが、
縄で縛られることはなかった。
女。
少女。
それに、老人ひとり。
……完全に、舐められている。
令嬢は、
小舟の隅で、しくしくと泣いている。
その周りを、
侍女三人が囲み、
「大丈夫です」
「私たちが、お守りしますから」
と、必死に慰める。
しばらく漕がれ、
前方に、巨大な影が現れた。
海賊船。
黒々とした船体。
何本もの帆。
甲板に立つ人影。
――立派な船だ。
令嬢と侍女三人は、
その船を見上げ――
ほんの一瞬、
にやりと笑った。
◇
船に着いた途端、
私とナディア、アカネの三人は、
レティシアとルドさんから引き離され、
そのまま船内の牢獄へ放り込まれた。
暗くて、じめじめした牢屋。
床は濡れ、空気は淀んでいる。
――最悪だ。
「ここで、おとなしくしていろ」
男はそう吐き捨てるように言い、立ち去った。
……かと思ったら、すぐに仲間を数人連れて戻ってきた。
ひげ面の男たちが、下卑た笑みを浮かべている。
どうするつもりか――
言われなくても分かった。
「痛い目にあいたくなければ、
おとなしく言うことを聞くんだな」
そう言って、ひとりが牢の中へ入ってくる。
ニヤニヤ笑いながら、
私の手首をつかみ、乱暴に引き上げた。
――その瞬間。
私は、渾身の力で、
男の顔面に拳を叩き込んだ。
油断しきっていた男は、
吹き飛び、牢の壁に激突して、
唸り声をあげながら崩れ落ちる。
牢の外の男たちは、呆然としていた。
私はそのまま牢を飛び出し、
近くにいたもうひとりの腹に、拳をめり込ませる。
男は、うずくまり、動かなくなった。
――遅い。
我に返った男たちが、いっせいに襲いかかってくる。
その瞬間、
アカネが牢から飛び出し、私と背中を合わせた。
「賊相手なら、この程度でちょうどいい」
アカネの手には、いつの間にか拾った棒切れ。
それで、的確に、容赦なく叩き伏せていく。
船内の通路は狭い。
男たちは、一人ずつしかかかってこられない。
私は攻撃をかわし、
確実に、拳を叩き込む。
武器は使わない。
――拳で、分からせる。
どちらが、上かを。
私とアカネが通り過ぎたあとには、
男たちが、うめき声をあげながら、床に転がっていた。
その間を縫うように、
ナディアが、後ろからついてくる。
「ごめんね~。あとで、回復魔法かけてあげるからね~」
そんな優しい言葉をかけながら――
「ちょっと、クラリス。
あなたのほうが、まるで海賊みたいよ」
……失礼な。
◇
海賊船の――おそらくは船長室。
令嬢に扮したレティシアと、執事役の俺は、
並んで椅子に座らされていた。
レティシアは、肩をすぼめ、怯えた様子でうつむいている。
侍女役の三人は、
すでに引き離され、別の場所へ連れて行かれたようだ。
向かいに座るのは、船長と思しき男。
まだ若いが、目つきは鋭い。
左右には、
それぞれ三人ずつ、武装した部下が控え、こちらを囲んでいる。
やがて、向かいの男が口を開いた。
「俺は、この船の船長――ヴァルドだ」
低く、落ち着いた声。
「お嬢さん。あんたは、今から俺の大切な人質だ」
そう言いながら、ヴァルドは身を乗り出し、令嬢の顔を覗き込む。
その目が、わずかに輝いた。
どうやら――
想定以上の美貌に、内心、喜んでいるらしい。
「おとなしくしていりゃ、手荒な真似はしねえ」
猫撫で声。
だが、言葉の端々には、明確な脅しが滲んでいる。
「親御さんに、身代金を請求しなきゃならねえからな」
その言葉に、令嬢の肩が、ぴくりと震えた。
「――あんたの身分を、明かしてもらおうか?」
室内に、短い沈黙が落ちる。
そして。
レティシアは、ゆっくりと顔を上げた。
怯えた令嬢の表情は消え、
そこにあったのは――冷ややかな微笑。
「魔王幹部。
レティシア・ヴァルグレイヴ」
氷のように冷たい声だった。
ヴァルドは、一瞬、思考が追いつかなかったのだろう。
「……ん? なに?」
間の抜けた声を出し、首を傾げる。
そのとき――
バーン!
扉が、爆発したかのように開いた。
男がひとり、吹き飛ばされるように床を転がり、
部屋の中央で止まる。
「お、お頭! 大変だ、襲撃だ!」
その叫びに、部屋の部下たちが一斉に身構える。
次の瞬間。
扉の向こうから、クラリスが飛び込んできた。
続いて、アカネ、ナディア。
「この船は、もらった!」
「降参しなさい!」
クラリスが、胸を張って高らかに叫ぶ。
その刹那
「ふざけるな!」
部下のひとりが怒鳴り、クラリスに殴りかかった。
――が。
クラリスは、軽く身を引くだけでその拳をかわし、
踏み込んで――
ドンッ!
強烈なカウンターが、男の顔面を打ち抜いた。
男は、宙を舞い、壁に激突し、そのまま崩れ落ちる。
静寂。
あまりの迫力に、残った部下たちは、完全に動きを止めた。
「……お前ら、なにものだ」
ヴァルドが、低く唸る。
「勇者クラリス!」
クラリスは、堂々と名乗った。
「……勇者、だと?」
驚愕が、ヴァルドの顔を走る。
クラリスは、一歩前に出て、にやりと笑った。
「船長」
「――私と、取引をしない?」
◇
クラリスは、
レティシアと並んで椅子に腰を下ろし、
ヴァルド船長と正面から向き合った。
その背後には、
アカネとナディア。
左右に分かれ、無言のまま睨みを利かせている。
――完全に、包囲だ。
クラリスが、
低く、ドスの利いた声で切り出した。
「外にいるあなたの部下たちは、全員、眠ってもらっているわ」
「安心して。殺してはいない」
淡々とした口調が、かえって重い。
「私たちは、この船に乗りたくて――」
「わざと、捕まったの」
「そして、取引をしに来た」
「私たちを、
グランヴェル境界山脈の向こう側まで、運んでもらえないかしら?」
ヴァルドは、短く息を吐き、苦笑した。
「なるほど……そういうことか」
「で、取引ってのは?」
「俺の見返りは、何だ?」
クラリスは、わずかに口角を上げる。
「海賊にも、メンツはあるでしょう?」
「あなたたちは、私に船を奪われたんじゃない」
「“善意”で、勇者たちを運んだ」
「――そういうことにしてあげる」
静かに、言い切った。
「それで、あなたたちの評判も上がる」
「悪い話じゃないと思うけど?」
ヴァルドは、じっとクラリスを見つめた。
「……なるほど」
「噂に違わぬ勇者だな」
「竜をも一撃で倒す、武闘派だと聞いている」
その言葉に、
クラリスが、さっとこちらを見る。
――え?
(なにそれ。聞いてないんだけど)
そんな顔だ。
ヴァルドは、肩をすくめる。
「いいだろう」
「取引成立だ」
「お前たちは、今から――」
「俺たちの“客人”だ」
「話が分かる人で、助かったわ」
クラリスは、にこやかに答える。
「よろしくお願いするわ」
……と。
その直後。
「――ただし」
声音が、一段、低くなった。
「変な真似をしたら」
「この船、沈めるからね?」
ヴァルドは、ゆっくりと両手を上げた。
「分かっている」
「武闘派勇者を敵に回すほど、俺は愚かじゃない」
――それにしても。
クラリスの立ち振る舞いは、
あまりにも堂に入っている。
演技ではない。
迷いも、躊躇もない。
……いや。
もはやこれは、
素でやっているのかもしれん。




