23魔女の葛藤
暗く深い、眠りの森を抜けた丘の上。
雷雲を背にして、魔王城はそびえ立つ。
雷鳴が、とどろいた。
玉座の間。
黒い玉座に腰掛けた魔王ゼル=マグナスは、
苛立ちを隠そうともせず、声を荒らげた。
「いつまで、勇者どもを野放しにするつもりだ!」
御前に控えるのは、魔王幹部の一人。
『深紅の魔女』レティシア・ヴァルグレイヴ。
「申し訳ございません」
「少々、手こずっております」
深く頭を垂れながら、続ける。
「勇者は、まだ若い小娘に過ぎませんが……」
「大魔導士が同行しており、非常に厄介です」
「奇襲を仕掛けるのが、やっとの状況で」
一瞬、言葉を選ぶ。
「さらに――」
「ここまでの想定経路には、周到に罠を仕掛けておりましたが……」
「なぜか、連中は前例の無いルートを進んでおり」
「罠が、ことごとく不発に終わっております」
その報告に、低い笑い声が割り込んだ。
「言い訳とは――」
魔王幹部の一人、
『黒曜の大将軍』バル=グロウ。
白く長い髭をなでつけながら、嘲るように言う。
「『深紅の魔女』の名が泣くな」
「……っ」
レティシアは歯を噛みしめた。
「申し訳、ございません」
格上である大将軍を前に、言い返すことはできない。
(この老いぼれが……)
(自分は城から一歩も出ぬ分際で)
「まあ、よい」
玉座から、魔王が立ち上がる。
「よっこらしょ……」
杖を突く手が、わずかに震えた。
魔王ゼル=マグナスは、
ゆっくりと曲がった腰を伸ばす。
「あいたたたっ……」
それでも、その目に宿る威圧は、衰えていない。
「いずれ――」
「ここ、魔王城にて、この儂が迎え撃とうぞ」
「はっ……!」
かしずきながら、レティシアは思う。
魔王ゼル=マグナス。
絶対的な力を持つ、魔界の支配者。
――しかし。
ご高齢だ。
おそらく、先は長くない。
この大将軍も相当だが、
魔王様は、それ以上に年を召しておられる。
そんな方を魔王に据えねばならぬほど、
魔界にも、少子高齢化の波が押し寄せているのだ。
とはいえ、力は健在。
勇者を返り討ちにするなど、赤子の手をひねるも同然。
だが――
時間がない。
勇者が魔王城に到達する前に、
魔王が寿命で倒れる。
前代未聞の事態だけは、
何としても避けねばならない。
焦るのは、レティシアだけだった。
この口だけ達者な老将軍も、役に立たない。
あの勇者パーティの大魔導士とは、大違いだ。
(動ける若手は……私だけ)
(急がねばならない)
「ところで、レティシアよ」
威厳に満ちた魔王の声が、玉座の間に響く。
「はっ」
一拍、置いて。
「ごはんは、まだか?」
「……」
一瞬の沈黙。
「魔王様」
「つい先ほど、お召し上がりになったばかりでございます」
(本当に……)
(急がねばならない)
◇
前魔王が勇者に討たれてから、二十年が過ぎたころ。
レティシアは、魔界の端にある小さな街で生を受けた。
父は、魔王城に仕える魔術師だった。
寡黙で勤勉な男であり、
母は、穏やかで、美しい人だった。
レティシアは幼いころから聡く、
そして何より、人目を引く容姿をしていた。
そのせいだろう。
言い寄ってくる男の子からは逃げ回り、
女の子たちからは、自然と距離を置かれた。
――要するに、孤独だった。
魔法学校に入学してからは、
勉学に打ち込み、成績は常に首位。
だがそれは、状況を好転させるどころか、
かえって孤立を深める結果となった。
思春期のある日。
学校で一番人気の男子から告白され、
付き合うことになった。
だが、初日の放課後。
誰もいない教室で、突然押し倒された。
反射的に放った魔法で、
その男は尻に火をつけられ、
校内を半狂乱で駆け回る羽目になった。
あのときの――
理性を失った獣のような目。
自分が、
そういう目でしか見られていなかったことが、
何よりも、悲しかった。
その事件を境に、
レティシアの孤立は、決定的なものとなった。
以後、彼女は感情を切り離した。
魔王立グランディア魔法大学に進学し、
魔術の習得と鍛錬に没頭する。
首席で卒業後は、
魔王城直属の組織――魔法省に配属された。
当時の魔王領は、
魔王不在の混乱のただ中にあった。
諸侯の反旗により領土は分断され、
かつての栄光は見る影もない。
レティシアは、
復権を掲げ、策略を巡らせ、
地方をまとめ、秩序を取り戻そうと奔走した。
その成果は、すぐに形となって現れた。
彼女は破格の速さで昇進し、
ついには、魔王幹部の座にまで上り詰める。
――だが。
上層部は、相変わらずだった。
古い体質のまま、
権力を手放そうとしない老人たちの巣窟。
孤独であるがゆえに身につけた、
割り切った処世術によって、
レティシアは今日まで、その地位を守ってきた。
だが――
ここにきて、思わぬ苦境に立たされることになるとは。
(いよいよ……焼きが回ってきたか)
そんなことを思う自分がいる。
それでも。
立ち止まるつもりはなかった。
◇
はじめて勇者パーティと対峙したときのことは、
今でもよく覚えている。
白昼の道を、
楽しそうに歩く三人の娘たち。
――不快だった。
理由は、すぐには分からなかった。
いま思えば、あれは嫉妬だったのだろう。
だから、少しだけ驚かせてやろうと思った。
子どもの姿に化け、待ち伏せした。
あのときの――
怯え、戸惑い、警戒が入り混じった表情。
正直、見ものだった。
だが、
大魔導士が、ついていることは知っていた。
三度も勇者パーティに選ばれた男。
やつは厄介だ。
深入りする理由はない。
その場は、早々に引き上げた。
◇
次は、もう少し手荒にいくつもりだった。
勇者どもを、いたぶってやろうと思った。
だが、結果は散々だった。
のらりくらりとかわされ、
こちらの思惑は、ことごとく外された。
それどころか、
行動が、理解できない。
聞いていた勇者像とは、あまりに違う。
強引さも、悲壮感も、使命感の押し付けもない。
……妙だ。
だから、少しだけ興味が湧いた。
直接、話してみることにした。
モードリスの喫茶店。
剣呑な空気になるだろうと、覚悟していた。
だが――
娘たちと、
取るに足らない話題で盛り上がった。
――初めての経験だった。
正直に言おう。
とても、楽しかった。
◇
それでも、私は魔女だ。
再び奇襲を仕掛けた。
だが、またしても――解決された。
面白くない。
だから今度は、
文句を言ってやることにした。
その会話の流れで――
私は、勇者パーティに誘われた。
売り言葉に買い言葉だったことは、分かっている。
深い意味など、なかったのだろう。
それでも。
誰かから、
「一緒に来ないか」と言われたのは――
生まれて初めてだった。
胸の奥が、熱くなった。
このままでは、
泣いてしまいそうだった。
その日は、早々に切り上げた。




