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引退した大魔導士、孫娘勇者に魔王討伐へ引っ張り出される ~今日も老魔導士は、孫娘勇者を全力で甘やかす。~  作者: しばたろう
第1章

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20静かな夏、約束の日

 本格的な夏だ。

 外では、強い日差しが新緑を照らし、葉擦れの音が風に揺れている。


 俺は――

 ひさしぶりに、我が家でゆっくりと過ごしていた。


 積んだままになっていた魔道書を読む。

 呪文を朗々と詠唱しながら、家の周りを散歩する。

 気が向けば、庭に出て土をいじる。


 急ぐ理由も、追われる理由もない。


 穏やかな日々である。



 夕方。

 庭仕事を終えて家に戻ると、キッチンから賑やかな音が聞こえてきた。


 鍋が鳴り、包丁がまな板を叩く音。

 立ちのぼる、あたたかな匂い。


 中では、マリアとフローラが夕食の支度をしており、

 クラリスも、その横で一生懸命に手伝っていた。


「お義父さん、先に手を洗ってきてください」

「お義父さん、つまみ食いは駄目ですよ?」


 マリアから、いつもの声が飛んでくる。


「娘が増えたみたい」

 ――と、マリアは本当に嬉しそうだ。

 

 フローラも、最近は学校が終わると、まっすぐ家に帰ってくる。


 クラリスとアカネが来てからというもの、

 この家は、少しだけ賑やかになった。


 先日は、フローラが学校の友達まで連れてきて、

 二階の部屋で、きゃあきゃあと大騒ぎしていた。


「……そういえば」


 ふと気になって、クラリスに尋ねる。


「アカネは?」


「道場で、居残り稽古」


 野菜をざくざくと切りながら、クラリスが答える。


「ほんと、すごいよ。アカネ」

「私なんて、午前中の稽古だけで、もうくたくたなのに」


 そう言いながらも、声音には、素直な感心が混じっていた。


 そして、少し間を置いてから、ぽつりと続ける。


「……なんかね」

「アカネは道場に入り浸りだし」

「ナディアは王妃様にべったりだし」

「誰も、わたしにかまってくれないの」


 ぼやき半分、本音半分。


「もう、フローラと旅に出ちゃおうかしら」


 すると、フローラが顔も上げずに、軽口を返す。


「あら、いいわよ」

「ついでに、魔王も倒しちゃう?」


 思わず苦笑が漏れた。


 ちょうどそのとき、

 西日の橙色が、リビングの床をゆっくりと染めていく。


 窓の外では、蝉の声が遠くで響いていた。


 穏やかな夕暮れである。


 ――このままでは、

 本当に尻に根が生えて、動けなくなってしまうかもしれない。


 だが。


 明日は、いよいよ、約束の一週間目。


 ナディアの呪いが解かれる日だ。



 俺とクラリス、アカネは、約束の時間きっかりに王宮を訪れた。


 通された一室では、

 エドガルとソフィアの二人が、すでに待っていてくれていた。


 ソフィアは、到着前から準備に取りかかっていたのだろう。

 部屋の中央に置かれたテーブルの上には、一枚の皿。


 その中を満たしているのは、

 濃い赤の液体。


 竜血苔から生成された薬に違いない。


 鼻をくすぐるのは、

 鉄と森と、わずかな苦みが混じった匂い。

 嗅いだ瞬間に、これは効くと分かる。


 そのとき――


「ワン!」


 駆け寄ってきた犬ナディアが、

 クラリスとアカネに勢いよく飛びついた。


「くぅーん」


 甘えた声で鳴き、尻尾をぶんぶんと振っている。


「ナディア、久しぶり。元気してた?」


 クラリスは笑顔でそう言いながら、犬ナディアを抱き上げた。


 そして、

 腕の中の重みを確かめるようにして、首をかしげる。


「……ねえ、ナディア。あなた、ちょっと太ったんじゃない?」


 その瞬間。


「ガウ!」


 短く吠え、

 犬ナディアはクラリスの腕から、ぴょんと飛び降りた。


「うそうそ、冗談よ」


「うー……ワン!」


 露骨に不満そうな声。


 そのやり取りを、

 俺とエドガルは、思わず顔を見合わせながら見守っていた。


 やがてソフィアが、

 犬ナディアをそっと抱きかかえる。


「ナディア。この薬を飲んでね」

「少し、苦いけど……がまんして」


 優しく声をかけると、

 そのまま、俺とエドガルに向き直った。


「薬が、ナディアの全身に行き渡ったら――」

「そのあとで、『解除の呪文』を使って、呪いを解いていくわ」


「ふむ」

「ふむ」


「そうすれば、ナディアは、すぐに元の姿に戻ると思うわ」


「ふむ」

「ふむ」


 ソフィアは、そこで一瞬だけ間を置き、

 いたずらっぽく微笑んで、付け加えた。


「……生まれたままの姿に、ね」


「!!」

「!!」


「こ、これは失敬!」


 俺とエドガルは、ほぼ同時に声を上げ、

 慌てて部屋を飛び出した。


 廊下に出てからも、

 落ち着かずに、うろうろと行ったり来たりする。


 やがて、

 扉の向こうから、ソフィアの朗々とした詠唱の声が聞こえてきた。


 低く、澄んだ声。

 部屋の空気そのものを、塗り替えていくような響き。


 ――しばらくして。


「ナディア!」


「クラリス、アカネ!」


 部屋の中から、

 弾むような歓声が響いた。


 それを聞いた瞬間、

 俺とエドガルは、無言で顔を見合わせ、

 小さく、息を吐いた。


 どうやら――

 うまくいったようだ。

 

 

 俺とクラリスとアカネ、

 そして――少女の姿に戻ったナディアは、

 何度もソフィアとエドガルに礼を言い、王宮を後にした。


「また、遊びにいらっしゃい」

「今度は、ゆっくり会話を楽しみましょう」


「はい。ソフィア様、ありがとうございました」


 穏やかな別れだった。



 そして、再び、俺の家へ戻る。


 ナディアの呪いは解け、

 ひとつの区切りは、すでについた。


 だが、

 もう少し稽古を続けたい――というアカネの要望を、

 俺たちは受け入れることにした。


 ついでに言えば、

 すっかり家に馴染んでしまった俺の尻に生えた根を、

 引き抜くためでもある。


 そうして、

 さらに一週間をここで過ごしたのち、

 俺たちは、ようやく出発することにした。



 出発の朝。


 我が家の一同が、揃って見送りに出てくれる。


「なんか……旅立ちたくないよー」


 クラリスが、情けない声でごねた。


「いっそのこと、三人とも、うちの子になる?」


 マリアが、冗談めかして言うと、


「そうよ」

「魔王退治なんて、おじいちゃんに任せておけばいいのよ」


 フローラが、すかさずかぶせる。


「その手があったか!」


 クラリスとアカネ、

 そしてナディアが、声をそろえて同意した。


 ――その手があったか、ではない。


 俺は、思わずため息をついた。


「クラリス、ナディア、アカネ、

 どうか体を大事に。

 また、いつでも、遊びにいらっしゃい。

 あなた、みんなをよろしくね。」


「はい、先生。ありがとうございました。」


「うむ。では、行ってくる」


 名残を惜しみながら、

 それでも俺たちは、

 新たな一歩を踏み出す。


「クラリス、アカネ、ナディア――またねー!」


 門を離れてもしばらく、

 フローラの声は、いつまでも背中に響いていた。


 振り返らずに歩きながら、

 俺は、その温かさを、胸に刻んだ。

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