19師たちと弟子たち
竜血苔は、すぐに見つかった。
古い岩場の隙間という隙間に、
血のように濃い赤を帯びた苔が、
所狭しと生えている。
これほどとは――
思わず息をのむ量だった。
俺たちは、
手早く、それを採取し、
革袋へと詰め込んでいく。
――長居は無用。
そう心に刻み、
合図を交わすと、
すぐさま下山に取りかかった。
不思議なことに、
下山途中、ドラゴンの襲撃はなかった。
彼らも、
学んだのだろう。
狩る側か、
狩られる側か。
◇
日が沈む直前、
俺たちは無事、麓まで戻り、
再び馬車へと乗り込んだ。
その瞬間。
張り詰めていた緊張の糸が、
ぷつりと切れた。
誰からともなく、
深く息を吐き――
次の瞬間には、
皆、眠りに落ちていた。
宿に着いたのは、夜も深い頃だった。
体の節々が、
じんわりと痛む。
「こんなにはりきったの、久しぶりよ。
私、明日、動けないかもしれないわ」
腕を回しながら、
セリシアが、苦笑交じりに言う。
「……ほんとうですね」
アカネが、
どこか誇らしげに相槌を打った。
◇
翌朝。
「あいたたたた……」
「ちょっと、あなた。
しっかりして」
「だ、大丈夫ですか?
ルドさん……」
――動けなくなっていたのは、
俺だけだった。
セリシアも、
クラリスも、
アカネも。
多少の疲労こそあれ、
普通に立ち、歩いている。
……なぜだ。
「ご旅行、楽しまれました?」
何も知らぬ亭主の親父が、
のんきにそう声をかけてくる。
俺たちは礼を告げ、
再び馬車に乗り込み、
我が家へと向かった。
◇
帰りの馬車の中。
揺れに身を任せながら、
ふと、アカネが口を開いた。
「先生。
あの技……
なぜ、最初から使われなかったんですか?」
素朴な、
だが核心を突く疑問だった。
セリシアは、
少しも考え込む様子を見せず、
さらりと答える。
「だって、あの技は、
あなたたちの参考にならないでしょう?」
それだけだった。
――どこまでも。
自分の強さよりも、
弟子の成長を優先する。
師匠バカというべきか、
何と言うべきか。
この夫にして、
この妻あり。
俺は、
揺れる馬車の中で、
小さく息を吐き、
苦笑した。
アカネが遠慮がちに問う。
「……あの技。
私も、習得することは……可能でしょうか?」
一瞬の間もなく、
セリシアは答えた。
「もちろん」
迷いはない。
「あなたには、才能がある。
必ず、身につけられるわ」
その言葉を聞いた瞬間――
アカネの顔が、ぱっと、明るくなった。
そのときのアカネの笑顔は、何度思い返しても色褪せない。
◇
我が家に戻り、
ひと息ついたその足で、
俺たちは、そのまま王宮へと向かった。
王宮では、すでにソフィアが待っていた。
俺は、
革袋に詰めた竜血苔を取り出し、
そのまま、彼女の手に渡す。
ソフィアは中身を一目確かめ、
満足そうにうなずいた。
「ええ。これがあれば、
変化の呪いを解く薬が作れるわ」
少し考えるように間を置いてから、続ける。
「ただし――時間は必要ね。
だいたい、一週間ほどかしら」
それを聞いて、
俺たちは顔を見合わせた。
急ぎではあるが、
どうしようもない。
結局、
俺とクラリスとアカネは、
その一週間を、
俺の家で待つことにした。
◇
さて――
問題は、犬ナディアである。
ソフィアは、
膝に手を置き、にこやかに言った。
「ナディアは、この数日、
私と、とても有意義な時間を過ごしたわ」
ちらりと、
意味ありげな視線を向ける。
「神官としての見識も、
かなり深まったのではないかしら?」
ソフィアは、
しゃがみ込み、犬ナディアと目線を合わせる。
「さて、ナディア。
この一週間、どうする?」
「王宮に残る?」
「それとも――ルドのおうちで待つ?」
「ナディア、一緒に行こう?」
クラリスが、すかさず声をかける。
犬ナディアは、
きょろきょろと目線を動かし、
クラリスとソフィアを、交互に見比べた。
その様子を見て、
ソフィアが、そっと水を向ける。
「ナディア。
……まだ、
学び足りないことが、あるんじゃないかしら?」
一拍。
そして、
何気ない口調で、こう続けた。
「そうそう。
今晩のご飯、何が食べたい?」
――瞬間。
犬ナディアの目が、きらりと光った。
「ワン!」
迷いは、一切ない。
小さな体が、
一目散に、ソフィアのもとへ駆け寄った。
「決まりね」
ソフィアは、満足そうに微笑んだ。
「ちょっと!
食べ物で釣られたわね、この裏切り者!」
クラリスの抗議もむなしく、
犬ナディアは、
すでに王妃の足元でお座りしている。
◇
こうして――
俺とクラリスとアカネは、
王宮を後にし、
我が家へと戻った。
次に王宮を訪れるのは、
一週間後。
ナディアが、
再び人の姿を取り戻す、その日だ。
我が家では、
俺たちの無事の帰還を祝して、
ささやかな宴が設けられた。
マリアとフローラが腕を振るった料理が卓に並び、
皆で、それに舌鼓を打つ。
竜の山での出来事を語れば、
自然と笑い声が上がり、
食卓には、久しぶりの賑わいが戻っていた。
そんな中――
不意に、アカネが口を開いた。
「先生」
セリシアをまっすぐに見つめ、
一瞬の迷いもない声で言う。
「ここにいさせてもらう一週間、
稽古をつけていただけないでしょうか?」
その眼差しは、
真剣そのものだった。
一瞬の沈黙。
だが、
それは、ほんの一瞬だった。
「もちろん」
セリシアは、即座にうなずく。
「いいわよ。
明日の朝から、道場にいらっしゃい」
その言葉に、
アカネの表情が、ぱっと明るくなる。
「ありがとうございます!」
「アカネ、すごい……。
がんばってね」
クラリスが、素直に声をかけた。
「うん。
わたし、がんばる」
そして――
少しだけ間を置いて、アカネは続ける。
「……クラリスも、一緒だよ?」
「え?」
間の抜けた声が、クラリスの口から漏れた。
それを聞いて、
セリシアが、楽しそうに微笑む。
「勇者パーティに、
手ほどきができるなんて――
光栄なことだわ」
「え?」
もう一度、
同じ声が響いた。




