17竜の住む山
翌朝。
我が家を午前中に出発し、
俺たちは馬車に揺られていた。
御者の手綱さばきも軽やかで、
馬車は街道を快調に進んでいく。
頭上のホロが、
すっかり夏の日差しを遮ってくれていた。
昼どきになると、
マリアとフローラがこしらえてくれた弁当を、
皆で広げる。
素朴だが、
手間のかかった味だ。
その頃には、
クラリスとアカネの、
セリシアに対する緊張も、
すっかり解けたようだった。
馬車の中には、終始、笑い声が絶えなかった。
はた目から見れば、
老夫婦と、孫たちの小旅行。
そう見えても不思議ではない。
まさか、この四人が、
これからドラゴンの巣窟へ向かうなどとは、
誰も思うまい。
「このひと、ちゃんと面倒見てくれている?」
セリシアが、
俺を指で示しながら、
何気なく聞く。
「はい。とてもよくしてもらってます」
クラリスが、
きちんと背筋を伸ばして答える。
「とっても、やさしいです。
本当のおじいちゃんみたいで」
アカネも、
にこにこと頷いた。
「そう?
私たちの勇者パーティの頃とは、大違いね」
「そうなんですか!」
「そうよ。
昔はね、ひどかったんだから」
「おいおい……
その話は、いいんじゃないのかい?」
「ききたいです」
「ききたーい」
「たとえば、あるときね……」
そうして、
セリシアの昔話が始まる。
馬車の中は、
笑い声で満たされた。
思えば――
セリシアと、
こうして並んで出かけるのも、
本当に久しぶりだ。
しかも、
孫娘が二人も一緒である。
悪くない。
いや、素直に言って、楽しい。
そんなことを考えているうちに、
日が傾きはじめた。
そして、
日が落ちる前。
俺たちは、
ヴァルグ=ドラケン山の麓にある村へと、
無事に到着した。
◇
宿の食堂にて、夕食をいただく。
「お孫さんと旅行かい? いいねえ」
そう声をかけてきた宿の亭主は、
俺たちを、
勇者だの大魔導士だの、剣聖だのとは、
夢にも思っていない様子だった。
終始、気さくで、
どこにでもいる旅人として、
自然に接してくれる。
木のテーブルを囲み、
湯気の立つ料理に手を伸ばす俺たちの姿は、
傍目には、実に和やかで、
ほほえましい光景だったに違いない。
しかし、その会話の中身は、
「ドラゴンに、食われないようにするにはね…」
物騒であった。
◇
翌朝は、まだ空が白む前に、宿を出た。
ヴァルグ=ドラケン山は、岩山だ。
上空を飛び回るドラゴンから身を隠せる場所は、
ほとんど存在しない。
ましてや、山中で夜を明かすなど――
自殺行為に等しい。
よって、
日があるうちに「竜血苔」を採取し、
その日のうちに下山する必要がある。
時間との勝負だ。
まずは、
馬車で行けるところまで進み、
そこからは徒歩で、一気に中腹を目指す。
「あなたたち、山道、大丈夫?」
「はい。体力だけは自信があります」
「心配なのは……ルド。あなたね?」
「まったくだ」
「疲れたら言って。
手を引いてあげるから」
……。
妻に手を引かれながら山を登る自分の姿を想像し、
俺は、胸の奥が少し痛くなった。
「だ、大丈夫だ。
がんばれる……と思う」
◇
岩山を進む。
先頭は、セリシア。
真ん中に、俺。
後ろに、クラリスとアカネ。
誰も、無駄口を叩かない。
ただ、黙々と足を運ぶ。
汗が、止まらない。
夏の日差しが、容赦なく皮膚を焼き、
体力を削っていく。
遠くで、
ドラゴンの鳴き声が、山にこだました。
後ろで、
クラリスとアカネが、同時にぶるりと身を震わせる。
見上げると、
空を飛ぶドラゴンの影が見えた。
一匹や二匹ではない。
――さすが、ドラゴンの縄張りだ。
基本方針は、
逃げる。
どうしても戦わなければならないときだけ、戦う。
ここまでは、幸いにも、
ドラゴンとの直接遭遇はなかった。
このまま、目的地まで行ければ――
そんな淡い期待が、頭をよぎった、そのとき。
進行方向の岩場に、
一体のドラゴンが鎮座していた。
それほど大きくはない。
だが、獰猛さが、全身から滲み出ている。
――気づかれた。
ドラゴンが、
ゆっくりと腰を上げ、
こちらへ向かって歩き出す。
餌だと、認識したのだろう。
……逃げ切れそうにない。
「……っ!」
クラリスとアカネが、
反射的に、俺の前へ出て、抜刀した。
手が、震えている。
恐怖で、
悲鳴すら上げられないようだった。
「大丈夫」
セリシアが、
穏やかな声で言う。
「わたしが、手本を見せるわ。
ゆっくりやるから、よく、見ていなさい」
そう言って、
二人に向かって、静かに微笑んだ。
「は、はい」
セリシアは、
両刃の長剣を、鞘から抜く。
淡い黒鉄色の刀身が、
光を鈍く反射した。
たったった。
軽やかな足取りで、
セリシアは、ドラゴンへと駆け出す。
まるで――
遠足にでも行くかのような、気負いのなさだ。
あっという間に、間合いが詰まる。
ドラゴンが、
セリシアを叩き潰そうと、
巨腕を振るった。
「……!」
だが、セリシアは、
それを受けるでもなく、
かわすでもなく――
いなした。
その表現が、いちばん近い。
剣で、ふわりと腕を受け流し、
そのまま、ドラゴンの体へと飛び移る。
風に舞う木の葉のような動き。
ドラゴンが、
体を大きく揺すり、
振り落とそうとする。
だが、
セリシアは、ふわり、ふわりと宙を舞い、
すべてが、空振りに終わった。
そして――
セリシアは、
ドラゴンの頭部へと至り、
右目めがけて、剣を突き立てた。
その瞬間だけ、
重い。
まるで、
巨木を叩きつけたかのような衝撃が、
空気を震わせる。
剣は、
奥深くまで突き刺さり――
ドラゴンは、
最後の叫びを上げる間もなく、絶命した。
バターン、と巨体が倒れ込む。
その背から、
ひらりと降り立ち、
たったった、と、
何事もなかったかのように戻ってくるセリシア。
クラリスとアカネは、
目を見開いたまま、
ただ、その光景を見つめていた。
「……す、すごーい!」
クラリスが、
思わず声を上げた。
その隣で――
「……かっこいい」
アカネは、
息をするのも忘れたまま、
ぽつりとそうつぶやいた。
◇
「どうかしら?」
セリシアが、
穏やかに言う。
「昨晩、教えた通りでしょう?
基本は、正面から受けない。
かわしながら、急所を突く」
まるで、
料理教室で包丁の使い方を教えるような口調だ。
だが――
「「は、はい。先生!」」
二人は、同時に背筋を伸ばし、
これ以上ないほど、素直な返事をした。
◇
次のドラゴンは、
上空から、いきなり襲ってきた。
急降下。
鋭い爪と体当たりによる一撃。
セリシアが迎撃すると、
ドラゴンは、すぐに高度を取り、空へと退避する。
――そして、また急降下。
それを、何度も繰り返した。
嫌らしい。
だが、知恵は回っている。
俺は、
静かに、詠唱を開始した。
「ルド!」
セリシアの、短い合図。
「よし、離れろ!」
次の瞬間――
《断罪の圧壊》
魔法が、発動する。
目に見えぬ圧が、
上空から叩きつけられた。
空を舞っていたドラゴンの巨体が、
まるで見えない手に掴まれたかのように、
地面へと、押し潰される。
大地が、震えた。
――隙が、生まれる。
「行くよ!」
セリシアが、一気に間合いを詰めた。
その号令に弾かれるように、
クラリスとアカネも、後を追う。
ドラゴンは、
迫るセリシアを押し潰そうと、
巨体を叩きつけてくる。
だが――
セリシアは、ひょいと身をかわした。
その一瞬の隙。
間合いに飛び込んだクラリスとアカネが、
同時に、ドラゴンの両目へと剣を突き立てる。
――決まった。
ドラゴンは、
苦悶の咆哮とともに首を振り上げ、
二人の体を、宙へと放り出した。
だが、その瞬間を――
セリシアは、逃さない。
すれ違いざま、
淡い黒鉄色の剣が閃く。
次の瞬間、
ドラゴンの首に、深い裂傷が走った。
巨体が、
音を立てて崩れ落ちる。
――絶命。
なんとか受け身を取り、
地面に転がったクラリスとアカネのもとへ、
セリシアが歩み寄る。
それぞれの手を取り、
ぐっと引き上げた。
「大丈夫?
よくやったわ。
――上出来よ」
「はい、先生」
二人は、
泣いているのか、
笑っているのか、
自分でも分からないような顔で、
そう答えた。




