01大魔導士三度立つ
新緑の季節。
若葉の匂いが風に乗り、
庭先の木々がやわらかな光を跳ね返している。
こんこん。
我が家の玄関が、控えめにノックされた。
「はーい。どなたー?」
先に気づいた孫娘のフローラが応対に出て、
すぐさま奥へ声を飛ばす。
「おじいちゃーん。お客さーん!」
「わかった。いま行く」
そう返事をして腰を上げる。
応接間に通されたのは、年端もいかない少女が二人だった。
まだ幼さの残る顔立ちに、
いささか緊張した面持ちが張りついている。
「初めまして。大魔導士ルドルフ・ヴァル=エルディーン様」
先頭の少女が、一歩前に出て、深く頭を下げた。
――そう。
この国では、俺は“大魔導士”と呼ばれている。
彼女たちが緊張するのも、無理はない。
もっとも、
その視線が戸惑いに変わった理由は、別にあるのだろう。
庭いじりの休憩中だった俺は、
ハーフパンツにシャツという、実に気楽な格好をしていた。
黒衣に身を包んだ、厳かな老魔導士を想像していたのだろう。
目の前に現れたのが、どう見ても近所の爺さんなのだから、
面食らうのも当然だ。
「私はクラリス・ブレイブハート。勇者です」
「私はナディア・アル=サハル。神官です」
二人は揃って、あらためて深く礼をする。
「国王陛下の推薦により、
ルドルフ様を私たちのパーティにお迎えしたく、
参上いたしました」
「共に、魔王討伐をお願い申し上げます」
――やはり、来たか。
国王エドガル・レオンハルトからは、
すでに話を聞かされていた。
数日前。
俺は王宮へと呼び出され、玉座の間で、
あいつと向かい合った。
「最近、勇者パーティのなり手が、とみに少なくてな」
重たい冠を被っているくせに、口調は昔のままだ。
「一組、勇者パーティを立ち上げるのだが」
「どうしても、魔法使いの適任者が見つからない」
「お前、ちょっと、やってくれない?」
頼み方も、昔のまま。
立場が変わっても、中身は変わらない。
今の時代、勇者パーティなんて流行らない。
きつい、きたない、きけん。
いわゆる三K職種だ。
かつては花形だったが、時代は変わった。
特に魔法使いは不人気である。
魔術の習得には時間がかかる。
今風に言えば――コスパが悪い。
若者が敬遠するのも、無理はない。
「……まあ、昔のよしみだな」
俺は、王宮でのやり取りを思い出しながら、
目の前の二人を見た。
「無理はしないぞ。おれも、もう七十だ」
そう言って、依頼を受けることにした。
勇者パーティに加わるのは、これで三度目。
さすがに、今回が最後だろう。
◇
翌日。
旅の準備を整えた俺のもとへ、
勇者クラリスと神官ナディアが迎えに来た。
家の前で、家族は皆そろって、俺たちを見送ってくれた。
「あなた、無理しちゃだめよ? もう、年なんだから」
そう言いながら、
妻のセリシアが弁当包みを差し出してくる。
「はい、これ。お弁当。皆さんの分もあるからね」
受け取ると、ずしりとした重みが手に伝わった。
量もそうだが――心配の分が、たっぷり詰まっている。
「すごいなあ。若いよ、父さん」
息子のルーカスが、どこか誇らしそうに笑う。
「いってらっしゃい」
「お義父さん、お気をつけて」
その隣で、嫁のマリアが丁寧に頭を下げた。
「みなさーん。おじいちゃんをよろしくねー!」
孫娘のフローラは、精一杯の大声で手を振っている。
――まったく。
こんなふうに見送られる旅に出る日が来るとは、
若い頃の俺は、想像もしなかった。
春の陽気の中、
黒衣を羽織り直し、俺は家を後にした。
◇
俺たちは、木漏れ日が照らす街道を行く。
「まず、戦士の村ブレイドホルムへ向かいます」
道すがら、クラリスがはきはきと説明する。
だが、その声音には、まだ固さが残っていた。
「もう一人の仲間候補――剣士を迎えに行きます」
なるほど、と頷く。
聞けば、二人とも十六歳だという。
孫娘のフローラより、1つ年下だ。
――そういえば。
俺が最初の勇者パーティに加わったときも、十五だった。
自信とやる気ばかりが先に立ち、
まだ見ぬ世界に、胸を躍らせていた頃。
クラリスとナディアを見ていると、
あの頃の自分が、重なって見える。
もっとも――。
当時の俺に比べれば、
二人はずいぶん落ち着いている。
大人びているというか、行儀がいいというか。
無鉄砲さよりも、慎重さが先に立つ。
これも、世代の違いなのだろう。
俺は、少し前を歩く二人の背中を眺めながら、
心の中で、そっと呟いた。
――せいぜい、長生きした分の経験くらいは、
役に立ってやるとしよう。
◇
この国では、魔王が誕生すると、
神の啓示によって――勇者が指名される。
選ばれた者は、その宿命を受け入れ、
自らパーティを編成し、魔王討伐の旅へと赴く。
もっとも、勇者の仲間探しをすべて本人に任せるほど、
この国も無責任ではない。
その役目を担うのが、国王だ。
全国へと密かにスカウトが飛び、
剣士、神官、レンジャー、魔法使い――
これは、という人物の名が、
次々とリストに加えられていく。
あとは、口説けるかどうか。
話がまとまれば、晴れて勇者パーティの一員、
というわけだ。
もっとも――。
勇者パーティといっても、
最初から魔王と渡り合える実力があるわけではない。
旅をし、
戦い、
時に逃げ、
時に失いながら。
そうして鍛錬を積み重ね、
ようやく、魔王と刃を交えられる力を手に入れる。
だからこそ、だ。
駆け出しの勇者と、その仲間たちには、
常に危険がつきまとう。
――つまり。
俺に求められているのは、
魔王討伐の切り札、などという大それた役割ではない。
まだ若い彼女たちが、
無事に旅を続けられるように。
転ばぬ先の杖として、
命を落とさぬための、保険として。
おそらく――
それが、今の俺に与えられた役目なのだろう。
そう考えると、
この老骨にも、まだ出番は残っているらしい。
◇
戦士の村ブレイドホルムは、
スタート地点である
エルディーン王国の王都ヴァル=ルクスから、
徒歩で二日ほどの距離にある。
途中、野宿を一泊挟む計算だ。
――だったのだが。
その旨を二人に伝えたときの反応が、これだった。
「野宿は、ちょっと……」
クラリスが、困ったように視線を泳がせる。
「こわいし……きたないし」
ナディアも、うんうんと大きくうなずいた。
……なるほど。
冒険に野宿はつきもの。
そう思い込んでいた俺は、ここで最初の――
ジェネレーションギャップを、まともに食らった。
仕方なく、
まだ日が高いうちに、途中の村へと進路を変え、
宿屋に身を落ち着かせることにした。
この調子で、
本当に魔王のもとまで辿り着けるのだろうか。
そんな不安が、頭をよぎらないでもない。
だが――まあ、いい。
旅は長い。
最初から無理をさせるのも、得策ではない。
彼女たちの言い分を尊重することにした。
◇
宿に着き、夕食。
俺は、迷わずエールを頼む。
――一日の終わりは、これに限る。
だが、向かいに座る二人はというと。
「私たちは……オレンジジュースで」
クラリスがそう言い、
ナディアも同じものを頼んだ。
十六歳。
成人はしているが、酒は飲まないらしい。
「苦いですから」
そう言って、二人は揃ってグラスに口をつける。
冒険の後はエールで乾杯。
そんな光景は、どうやら今どきではないようだ。
俺は一口、エールをあおりながら、
内心で小さくため息をついた。
……ちょっと、寂しい。
◇
夕食の席は、思ったよりも静かだった。
焚き火の上で煮込んだシチューから、湯気が立ちのぼる。
木の器に注いだそれを口に運びながら、
クラリスが、ぽつりと呟いた。
「わたし、実は――“勇者”、やりたくなかったんです」
スプーンを持つ手が、ほんの少し止まる。
「もともと剣士の修行をしていて、
ゆくゆくは王都の警備隊に入りたいなーって、
思ってたんですよ。
それが突然、『お前、勇者な』って言われて。
わけもわからないまま、気づいたら今ここ、って感じで」
軽い口調だったが、そこに冗談めいた響きはなかった。
すると、
向かいに座っていたナディアも、小さく息をついてから続ける。
「わたしもです。
本当は、神殿で静かに暮らしたかったんですけど……
勇者パーティ候補に選ばれたとかで。
司祭様までノリノリで、断れる雰囲気じゃなくて。
気づいたら、今ここ、って感じです」
ふたりは顔を見合わせて、苦笑した。
「なんか、このシステム……ちょっと強引というか」
「ねー。今時じゃないよねー」
その言葉に、俺は思わず目を瞬かせた。
――正直、驚いた。
俺が若い頃は、
“勇者パーティ”という肩書きは、これ以上ない栄誉だった。
選ばれるために
剣を振り、魔法を磨き、仲間同士で競い合ったものだ。
まさに青天の霹靂だった。
「……みんな、そんな感じなのかい?」
そう尋ねると、クラリスは肩をすくめる。
「そうですね。友達とかも、『なにそれ、ひくー』って感じで」
「ノリノリなの、大人たちだけですよ?」
ナディアも苦笑する。
「はー……そうなんだー」
思わず、間の抜けた声が出た。
価値観というものは、いつの間にか、
こんなにも変わるものなのか。
しばらく沈黙が流れ――
その空気を破るように、クラリスがこちらを見て言った。
「あ、でも、ルドルフさん」
「ん?」
「すごく、いい人そうでよかったです」
ナディアも、こくこくと頷く。
「ねー。
大魔導士って聞いてたから、てっきり、怖い人だと思ってたよねー」
思わず、笑ってしまった。
肩書きだけで見られるのは、どうやら勇者だけの話じゃないらしい。
「それは、どうも」
そう答えながら、木の器を持ち上げる。
――少しは、なじんでくれたのだろうか。
食堂には、食器を置く小さな音と、低い話し声だけが流れていた。
夜は、思ったよりも穏やかだった。
◇
翌朝、
俺たちは村を発ち、ブレイドホルムへと続く森の小道に足を踏み入れた。
空は晴れているはずなのに、木々が陽光を遮り、森の中は昼間でも薄暗い。
「なんだか、気味悪いね」
クラリスが周囲を警戒するように視線を巡らせる。
「ねー。何か出そう」
ナディアも、無意識に杖を握り直していた。
――その矢先だった。
がさごそ。
茂みをかき分ける、複数の足音。
次の瞬間、
「ぎぇーーーっ!」
甲高い叫びとともに、何かが飛び出してくる。
ゴブリンだ。
一匹、二匹……いや、違う。
十匹。
いや、二十匹近い。
多い。
「きゃあ!」
不意を突かれ、クラリスが思わず後ずさる。
「ナディア、下がって!」
だが、さすがは勇者だ。
一瞬の動揺のあと、クラリスはすぐに剣を構え、前に出る。
「っもう……いやっ」
文句を言いながらも、ナディアは後方に下がり、
素早く術式を展開した。
《防御魔法》――
淡い光の膜が広がり、前線を守る。
しかし、数が多い。
四方からにじり寄るゴブリンに、
クラリスもさすがに手こずり始めていた。
「ルドルフさん、すみません」
「呪文、お願いしても……よろしいでしょうか?」
こんな状況でも、やけに丁寧な口調だ。
「うむ。しばし、耐えてくれ」
俺は静かに息を整え、詠唱に入る。
――視線を感じる。
(……まだですか?)
言葉にしなくとも、
クラリスの焦りは手に取るように伝わってきた。
どうも、最近の若い連中は、せっかちだ。
だが――
詠唱は、急ぐものではない。
最後の語を紡いだ。
《裁きの火雨》
空が、赤く染まった。
次の刹那、
無数の炎の矢が、雨のように降り注ぐ。
狙いは正確だった。
一本一本が、逃げ惑うゴブリンを貫き――
一瞬で、戦いは終わった。
炎の矢に串刺しにされたゴブリンたちは、
悲鳴を上げる間もなく崩れ落ち、森に焦げた臭いだけが残る。
「……す、すごい……」
クラリスは、呆然と立ち尽くしていた。
ナディアも、ぺたんとその場に座り込み、
くすぶる炎の残光から目を離せずにいる。
「ルドルフさん……」
「大魔導士って称号、伊達じゃなかったんですね!」
――うーん。言い方。
まあ、よしとしよう。
その後、俺たちは無理をせず、
やはり日の高いうちに最寄りの村へとたどり着き、宿を取った。
慎重すぎるくらいで、ちょうどいい。
◇
夕食の席は、昨日よりも少し元気があった。
俺はエール。
彼女たちはオレンジジュースで乾杯する。
木の器に盛られた料理から湯気が立ちのぼり、
素朴だが温かい香りが食堂に広がっていた。
一口運ぶたび、体の奥にまで染みていく。
「今日のゴブリンだが……」
エールを傾けながら、俺は言った。
「少女二人に老人一人。
勝てると踏んで、襲ってきたんだろうな」
「やつらは、外見でしか、人を判断できない」
「それにしても……」
クラリスが、目を輝かせてこちらを見る。
「ルドルフさんの呪文、すごかったです。
友達の魔術師の呪文って、もっとコンパクトというか……
ほとんど詠唱なしで、
ぽんぽん火球を出すんですよね」
「ねー」
ナディアも頷く。
「なんか、みんな詠唱って、めんどくさがるよね。
無詠唱が理想、みたいな」
クラリスが、少し照れたように笑う。
「でも、
朗々と詠唱するルドルフさん……
ちょっと、かっこよかったですー」
――不意打ちだった。
思わぬ誉め言葉に、内心、少し浮かれてしまう。
そうか。
最近の若い連中は、詠唱を省きたがるのか。
俺たちが若い頃は、
いかに正確に、いかに格好よく詠唱を唱えるか――
それ自体が、魔導士の力量を示す重要な要素だったのだが。
この子たちと行動していると、
勉強になるというか、時代の違いを否応なく知らされる。
「君たちも、大したものだった」
「さすが、勇者パーティだと思ったぞ」
「ありがとうございます」
クラリスは、少し背筋を伸ばして答える。
「でも、今日のゴブリンは……教本通りに対処しただけです」
「ねー」
ナディアも、肩をすくめた。
「知らない相手が出てきたら、もう、どうしていいか分からないよね」
なるほど、と俺は思う。
かつて、魔物との戦い方は、
生き残った者の経験から学ぶものだった。
だが今は違う。
多くの魔物の特性や対処法は体系化され、教科書にまとめられている。
訓練所では、想定された敵を相手に、実践演習を何度も繰り返す。
――知られた魔物であれば、
誰でも一定水準の対応ができる時代になった。
その一方で。
未知の存在に出会った瞬間の判断。
言い換えれば――“勘”。
それを養う機会は、
昔より、少なくなっているのかもしれない。
エールを一口、飲み干す。
この旅は、彼女たちにとって、
その「空白」を埋める時間になるのだろう。
◇
翌日、
俺たちは、ようやく戦士の村ブレイドホルムに到着した。
村に足を踏み入れた瞬間、空気が違うのが分かる。
通りのあちこちで剣を打ち合う音が響き、
鍛冶場からは熱気と鉄の匂いが流れてくる。
ここは間違いなく、“戦う者たちの村”だった。
俺たちは休む間もなく、
メンバー候補の剣士がいるという訓練場へと向かった。
訓練場では、戦士たちを束ねる長――ホルムズが待っていた。
壮年の男で、背筋は真っ直ぐ。
全身から歴戦の戦士特有の重みがにじみ出ている。
「遠路、ご苦労でしたな」
そう言って迎えてはくれたものの、
その表情は、どこか歯切れが悪い。
違和感を覚えたのは、俺だけではなかったようだ。
クラリスも、ナディアも、自然と口を閉ざしている。
やがて、
ホルムズは小さく咳払いをし、申し訳なさそうに口を開いた。
「……勇者パーティの候補である、
剣士アカネ・グレンだが――」
一瞬、言葉を探すように視線を伏せる。
「今朝、逃亡しました」




