7.士業
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シャワーから出たエリが、オーツカ液(味はポカリスウェットだ)をごっくりやって「はぁ、いい運動だった」と満足気だ。
そういえば彼女のこともスパイ尋問官だと思い込んでいたっけ。
「顔のペイントなら落としちゃったわよ?」
じっと見ていたら勘違いされた。
まぁ、ハグされたときに「それでもいいか」といとも容易く陥落したのは内緒だ。
「またみせてよ」
「うん!」
上機嫌な彼女にそういえば、と切り出した。
「法務局の彼女、そんなにエリートなの? 午前中だから労役じゃないのはわかったけど」
「ああ、そっか」
エリは納得した表情で「まずはサテライトの政治のおさらいから」と椅子に腰掛けた。
曰く「あなたの尺度に合わせて説明すると、サテライトは会社で国民は労働者。ならば、サテライトを実際に運用するのは?」
彼女が問うてきたので「役員かな?」と答えた。正解だったらしい。
「議会が抽選で当番制なのは説明したとおもうけど、役員は立候補制なの。義務教育修了後、専修学校へ進めた上位3%が、医師、法曹、会計士、建築士、積算士、大マシン士(1cmより大きい機械)、小マシン士(その他、ナノマシン類)、宇宙三士(宇宙飛行士、宇宙船機関士、宇宙物流士)になれるの」
「十一士業だね」
「そう。その士業に該当するとエリートが立候補して、ほぼ全員があなたにとっての役員と呼ばれる存在になるんだけど、これは労役じゃなくて奉公なの」
エリートの原義に近いわけだ、と納得した。ほぼ全員ということは、落第することもあるのか。
「遺伝子グループが近い場合は、空きができるまで待機よ」
「なるほど」
血族主義を排除しているのか。
「奉公って言うのは皇帝種への?」
「皇帝種への直接の奉仕も奉公に含まれるけど、その持ち物――私たちのメンテナンスが主な奉公なの」
皇帝宝物汝等国民、というこのサテライトの建前の一つだ。
「えっと、法の拡張社会規範ってインストールしてる? 所有権から人権が生じたってところを参照してほしいんだけど」
「わかった」
私が生活した西暦でも、ヨーロッパ法典を開くと出てくる法理だった。おさらいのつもりで参照する。
「自分自身を所有する権利。それを、私たちは皇帝種から免許されている。だから権利がみとめられ、こうして生きていられる」
人類が求めた救済とは「赦し」であると言うように「汝そこにあれかし」の一言を人間は神に求めた。皇帝種はその神にかわって、汝そこにあれかしと宣ったのだ。
「宗教……というか、物理学が近いのかしら。ゼロからイチが生まれない様に。権利もゼロからイチが生まれないの。最初に『あれ』と言うなにかが必要なのよ」
「なるほど」
法学や、その祖先の哲学を語るのに、無から有を作った偉大な学問だと紹介するのは間違いだということだろう。人が哲学するには、まず起点となる存在が必要だった、という論である。
「エリートは、その最初のイチの輪郭を維持するための集団なの。皇帝が玉座ここにあり。人ここにありて玉座あり、ってね」
宗教を悪しざまに言うものは、法の何たるかを知らぬという言葉がある。
アブラハムの宗教では、最初の法とは神との約束だったのだ。彼らが唱える人類史とは、その約束を反故にした人類の苦難の歴史を差していう。
「私の故国の真人が近い考えかも」
「貴族ね。エリートという原義に近い考えだわ」
ただね、とエリは少し暗い顔をしていった。
「エリートたるものは、国民としての権利を失うの。保護される対象ではなくなるから」
彼らが制限される(与えられない)権利は多岐に渡り、それこそ生存権にかかわる部分も無視されている。名ばかり管理職が職務に殺されるのとは訳が違う。根本から法をもってして人間扱いされないのだ。だから彼らは能をもってその存在を証明する。
「もちろん、権利はなくとも法をつくって支えることは出来るわ。士業者生活基本法がそうね」
士業者生活基本法、と検索してデータをロードする。拡張社会規範には含まれなかった。
そこには士業を開きて国民たる権利を失いたるものに、から始まる多数の条文があった。
「そこにある士業府というところを読んでほしいの」
士業にあるものの生活を成り立たせるために、士業開業者へは、国民の共有の財産並びに、宇宙空間の資源から、居住可能惑星一つを割譲し士業府を開闢する権利を与える――とあった。後の条文は居住惑星の定義と共有財産からの持ち出し分を定めたものだった。
「星がもらえるんだ」
「そうよ。人としての権利の大半を投げ捨ててでも、それを欲しがる人はいる。金銀ダイヤモンド、ウラン、プルトニウム、なんでも掘れるわ。だから、このサテライトのエリートたちは、どこかの星の王様なの」
へぇ、と声が出た。朕は惑星なり、なのか。すると、私を診察してくれたあのドクターもどこかの星の王様だったのか。
「遠隔だったでしょ?」
「うん」
「たぶん、領土惑星から仕事してるのね。医師はそういう人が多いわ」
医学の進歩が果てしなくなり、それを扱うものの性能も向上が求められた結果、医業は限られた天才とAI制御のロボットのものになった。
現代では、もっぱら未知の症状を解き明かす探偵めいた仕事をしているらしい。AIは過去のデータがないと頓珍漢な診断を下してしまうから、適切な前例を作るのだ。
私のところに遠隔とは言え派遣されたのは、おそらく「会いたい」と立候補があったからだという。
「希少だもの」
千年もアシモフ型で眠っていたなんて、絶好のサンプルでしょうから、とエリが言う。きっと、同じようなことがあれば、もっと迅速に、確実に治療することが出来るでしょうね、と。
「領地があるなんて、本当に貴族みたいだ」
「貴族みたいだ、じゃなくて、ほんとうにエリート(貴族)なのよ」
だからこそ、法務局の出張所に居たことに驚いたのだという。
「銀ブラ事件みたいな感じかな」
「ぎんぶら?――ん! ちょっと、あなたのところの王様、破天荒ね」
調べたんだ、と笑う。
1952年の日本の出来事が、一瞬で出てくるのは、エリの検索能力の高さの証拠だった。あのアップルパイを彼女と二人で食べたいな。実は、東京旅行で食べたことがあるのだ。
「でもね、私は専修学校へは進まなかった」
これ以外にも理由があるんだな、と表情でわかった。
「エリートは原則として子をもてない――血脈による支配の防止よ。正確には宇宙帝国の国民たる子孫を遺せない、だけど」
やはり領土惑星では子孫を繁栄させることができるらしい。あくまでサテライトに居住する国民に数えない、ということだろう。
皇帝の持ち物ではなく、自分の持ち物にしろ、ということだ。
しかし、帝国という多数派グループに優秀な遺伝子が遺せない、というマイナス面を考えても、人類は皇帝種以外の存在からの支配を望まなかったということだろう。
それだけにエリートというのは潜在的な不穏分子でもあるのだ。皇帝の側近こそ、皇帝の一番の敵であるとは、歴史が教えてくれている。
「居住可能な領土惑星での原始的生殖――妊娠と出産――は禁止されていないけど、リスクが高すぎるわ」
人工重力下での着床率の低下、宇宙放射線による遺伝子の損傷など、宇宙空間での暮らしは哺乳類から原始的な繁殖能力を奪った。
実際、ハツカネズミを用いた実験では、人工重力下において長期(4年を超える)生活した個体の受胎能力は、自然重力下の10%以下にまで低下し、さらに、人工重力下で出生、成長した個体は、ほぼ0%だった。
精子の運動能力も低下して、精子窃尾症を発症する。結果、アポトーシスが優位になって(精子同士が争い殺し合う)睾丸の生殖細胞が死滅するのだ。
これは哺乳類の脳が宇宙空間を「繁殖に向かない危険な状態」と感知し、受胎に必要なホルモンなどの分泌を行わないことによる、ということが判明している。魚類や鳥類などの卵生では奇形が相次いだ。
そうでなくても、自然妊娠と出産の死亡率は、この時代では許容されないだろう高さだ。
皇帝の持ち物なのだから、自ら壊れることは許されない、という常識が国民にはある。これは社会規範の基本セットにも入っていることだから、普遍的な価値観なのだろう。
「だからこそ、体外受精からの人工子宮って方法を作り出したんだけど――」
「それが国民の権利に属するから、使わせてもらえないんだ」
「――そう。製造も、所持も、個人では禁止されているし、領土惑星に密造したところで、ほかの士業の助けがなければ維持できないわ」
抜け道はいろいろあるらしいけど、とエリが言った。
貴族同士の相互監視。うん、さすが皇帝種は政治がよくわかっているようだ。きっと、皇帝種在位中だったなら多大な褒美があったに違いない。
「今でもあるわよ。ブンドリっていう制度なんだけどね」
もしかして、分捕り物のことだろうか。
「あいて貴族の領土惑星を征服して、そこのすべてを自分のものにできるの」
「それ、戦争にならないの? 嫌疑をかけて、分捕って」
「あるわよ。だけど士業同士、医師なら医師、法曹なら法曹でタッグを組んで守りあうの」
それに宇宙三士を敵に回したら、まず勝てないから戦わないでしょうね、と彼女は言った。
確かに宇宙飛行士と法曹の殴り合いで、法曹の勝利を予想するものは少ないだろう。
「でしょう? だからこの数世紀、ぶんどりは起きてないわ。国是にも反するし、そんなことしたら信用も信頼も地に堕ちるはずよ」
過去、皇帝種から発された詔、討伐勅をみると、よほど悪辣でないとそうならないことがわかる。
「領民――領土惑星のヒトを実験動物にしていた医師も、結局、研究結果の朝貢(データベース化のこと)で赦されたわ」
メンゲレしてるヤツまでいるのか、と背筋が寒くなった。
「人間っていつも変わらないんだね」
「そうね。罪を繰り返すのも文化らしいから」
文化は血の赤で書かれている、とはそのことだろう。
いくら娯楽を制限して、真面目に労役につかせたところで、一度その轡から外れてしまえば本来の野放図、欲望のままに振る舞う。
だからこそ、行動範囲が広く、職務の上で尊敬され、権威もあるが、ストレスフルなエリートに、箱庭として惑星を与えたのだとしたら、これは慧眼という他ない。ここで鬱憤晴らしをなさい、ということだ。
加えて、賢いものほど社会規範から逸脱する傾向が強いことは、西暦時代でも広く知られていた。彼らもその御多分から漏れないだろう。
「彼女の話に戻るけどね」
「うん」
ちょっと脱線しすぎた、と飲料サーバーから炭酸水を二つ汲み取った。
「巡回裁判所書記官っていうのはね、その名前から事務職だと思われがちなんだけど、皇帝種の検非違使なの。彼女の人格そのものが、独立闊歩して国の四方を司法で囲む存在なの」
「警察、検察、裁判所を兼ねてるってこと?」
「そうね。濫用はしないけど」
単独で裁判所を主宰し、犯罪が生じると同時に判決する。そうして安全と安心を提供するのが彼女の仕事だという。
人に法という衣を着せてくれる存在だから、怖がることはない、と彼女は言うが、なんだか恐ろしい気がする。
「――まぁ、私とあなたには含むところがあるようだけど」
「え」
判決しなかったのがその証拠よ、とエリは席を立った。なんだか怒っているようだ。
「あなたと話していて気付いたけど、あの場で判決することだって可能だった。なのに、あなたの話を文化局にアップロードして、はいおしまい。また伺いますね、で居なくなったのよ?」
「でも、前例がないんじゃ」
判例のない裁判に時間がかかるのは普通のことだ、という感覚があるので、そこまでおかしいと感じないのだ。
「その前例を作って、AIに従わせるのがあの女の仕事よ。だから、あの女は仕事を放棄したも同然なの」
いつの間にか呼称が「あの女」になっている。貴族が貴族足り得るのは、貴族が貴族の仕事をなすからだ、と彼女は言う。なんだか、ほかにも理由がありそうだが、尋ねる勇気がなかった。
「まったくもう! 何が権利の行き届くように、よ!」
「まあまあ」
お茶でも飲もうよ、と彼女の好んでいる紅茶を、ふさわしいカップをわざわざ取り出して注いだ。
「ふぅ」
「ありがとう、私の代わりに怒ってくれて。私はそういう扱いをされたことにも気づけないから、助かるよ」
「……そういうことにしておくわ」
きっと判例の取りまとめ時期だったから、来月に延ばしたかったんだろう、と私は予想した。
彼女も同意見だったようで「オヤクショシゴトってこういうことなのかしら」とひとり悩んでいた。
彼女は優秀な女性であると同時に、不満を感じると即放出する、こらえ性のない質だった。