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6.救助

 触媒フロアが定期清掃をはじめたころ、エリが目に毒な格好で降りてきて、そのままシャワーへ直行した。


 私はさも気にしません、のようなふりをして、三次元チェスの半透明の盤面越しに、彼女のレオタードの透けた部分を目に焼き付けた。これは見るなという方がおかしいだろう。遺伝子的に、そういう風に視線を動かすように出来ているのだから。


 チェスは当然の如く初級AIにも敗北した。Y盤面の白ルークがエリと被っていて、見つけられなかったのだ。


 いつまでも彼女のことを妄想していたら、シャワーから出た彼女に何を言われたものかわからない。さっさと思考を切り替えるとしよう。


 


 一応在職中、とそう言われたことが気になり、自分が冷凍睡眠ポッドから引き上げられた時のことを思い出すことにした。あまり愉快な記憶ではない。救助時になにか言われてなかったかな、身分を証明する手立てはないかな、と振り返る気になったのだ。




 もともと、ポッドを宇宙に打ち上げる計画が持ち上がったのは、ある科学者が「知的生命体に救援を求めよう」と提唱したことが発端だった。


 その当時は皇帝種の皇の字もなかった(畏きあたりはおられたけれども)時代だったために、当初は荒唐無稽と謗られ、その科学者は自分が所属していた学会から追放された、と聞いている。


 しかし、宇宙開発を熱心に行う好事家(こういう人たちの宇宙好きは本当に謎だ)がパトロンになり、彼に潤沢な資金を与えたことで、その発言力が資本の力で増強され、彼を賞賛し、協賛し、媚びるものに膨大な資金が与えられるときくや、世界はもう止まらなかった。


 ガソリン1リットルの価格が千円を超えるか、というところで、ホウセンカ計画が発動した。


 ホウセンカ計画は、宇宙に冷凍睡眠ポッドをばら撒き、運よく生活できる場所をみつけたら地球を救援せよ、というものであったが、無茶と思われつつ、統計学的な計算の結果、居住可能惑星を発見する確率が1%を超えるということで、なんと承認されたのだ。


 これには政治的な(あるいは民主主義的な)トリックがあって、1%ときくと、数字に明るくない人は「百回やって一回当たる」という楽観的な考え方をするが、本来は「ばら撒かれたホウセンカの種(無限の個数)が、発芽するに適した場所を発見する確率」と「発芽したホウセンカの種(やはり無限の個数)が、我々を救いに戻ってくる」確率が別に計算され、この1%というのが前者のみの数字であることは言うまでもなく。


 また、その当時、人類が観測していた宇宙空間の領域は、たったの一桁%で、それを無理やり100%にまで拡張した数字であるから、信憑性なんてものは無いに等しいのである。


 実際に正しく計算すると、0.0000001%程度ではないか、とされる。これは統計上、ゼロとカウントしても差し支えのない数だ。


 なぜなら、無限の数のポッドを用意することは不可能(40万機が限度)だし、その数字の最後の桁の1は、あきらか飛び値であって、普通は統計上の数値として採用されないからだ。


 宇宙に人類の窮状を救えるだけの知的生命が居る確率×地球が存続している間にその宇宙人に出会える確率×その宇宙人が友好的である確率×……と永遠に掛け算をした結果の数値がこれなのだ。1が立つだけまし、ということだろう。


 そして私は1ですらない。


 結局、皇帝種によって救援された地球人の末裔の文明に、こうして御厄介になっている身分だ。行って、帰ってきただけ。これはもう旅行と言って差し支えないだろう。その旅程の間に見るものが、夢以外になかっただけだ。


 


 かくして、そのホウセンカ作戦は実行され、多数の若者が(男女それぞれ同数)が地球を飛び立った。ロケット一発でおおよそ千人近かったと思う。


 重量制限をクリアするために、体毛まで毟り取られ、衣服は当然なく、ポッドが並ぶ霊安室のようなところで、七日間にも及ぶ絶食と大量の下剤、利尿剤が投与され、繰り返し体を洗浄され、すでに半死半生の状態で冷凍されたのである。エリには話せない内容だろう。


 医学的清潔は満たされていただろうが、あの部屋の臭気は動物園のようだった。


 そうして、打ち上げられ、眠る私は長い夢を見た。脳が自己保持力を発揮しようというとき、人は夢を見るのだ。


 あの時の夢は、今でも克明に思い出せる。明晰夢は脳のエマージェンシーであって、私がポッドの内部で危機的状況だったことが窺える。


 


 そこは、金色の野とその背後に、黄色い大きな月のような天体が浮かぶ、広大な平野だった。夢の内容を語るとき、私はこのイメージから話し出す。


 見渡す限り、構造物は一つの群をなし、荘厳な金と銀の宮殿とモノリスのような細長い板を並べた、光沢のある黒曜石の城壁。それに囲われた構造物群だった。


 吸い寄せられるようにそこの開かれた門扉から入り、玉砂利の道を行くと、大理石と圧縮したパーライトの巨大な噴水がたたえる、乳白色の水を眺め、古代ローマ人のような装束に身を包んだ、美しい男女の集団が微笑みを浮かべて私を誘い「さぁこっちへ」と手招きするのだ。


 みな、青白く長い髪をもち、その声はまるで楽器を奏でるようで、その細く繊細な指先でも割れてしまいそうな薄手のグラスを差し出してきて、私はそれを受け取ると、恐々と金色の液体を飲み干した。


「わが夫君よ」


 楽器の音色のようであった彼らの声が、言語となって理解できるようになった。女の声だった。


 何度もそう呼びかけられた。


 微笑みながら、夫君とはなにか、と何度も尋ねた。かの人は美しく笑うだけだ。


「いまは眠りの秋なり」


 何度もそう言われた。


 こんなに心安らぐところなのだから、もう帰りたくない、と訴えたが、かの人は哀しげに目を伏せて、唇だけを小さく微笑むようにするだけ。


「いつか迎えにまいる故――」


 それまでどうか安らかに、と美しい声が遠のいて行く。


 行きたくない、と俺は必死に手を伸ばした。


 


 痙攣する瞼は、その動作を忘れてしまっているかのように動かない。


 誰かが私を呼んでいる。肩が叩かれた。腕に何か刺されたようだ。ああ、体が温かい。眩しい。喉が渇いた。お腹が空いた。私は――助かったのか。


「要救助者発見!」


 最初に耳に入ったその声は、とても緊迫した男の声だったと思う。


「アシモフ型冷凍睡眠装置と思われます!」


「慎重にな! 年代物だぞ」


「若いな」


「おお、東アジア人か。珍しい」


 物知り顔の老人が私の顔を覗き込んで言う。彫の深い、白人だったと思う。


「医務ロボまだか!」


「あと一分で現着」


「急がせろ。バイタル!」


「血圧110の67、脈拍45、酸素飽和度87です」


「経鼻酸素3リットル。心音確認しろ。AEDは装着しっぱなしにしとけ。あと血糖値! ぼさっとすんな」


「はい――38」


「20%ブドウ糖投与、40mlでいい」


「はい――医務ロボット到着します」


「よし、仕事は終わりだ。あとはロボ様にまかせろ。撤収」


「撤収!」


『厚生局救急医務ロボットがあなたをお助けします。あなたの生命の権利は宇宙条約で規定された加――現在、搬送中――強いストレスを確認――』


 強い頭痛に、かたく目を瞑って、再び腕に痛みが走るのを感じた瞬間、意識が遠のいた。


 


 再び目が覚めると、そこは知らない天井だった。


 法務局のロボットと背広姿でサングラス、大ぶりな白いマスクの表情の伺えない男が一人立っていた。ロボットの方は見たことのない型で、ここが日本でないことを悟った。


 その男は私の枕もとに立つと、直立の姿勢のまま、よく響くバリトンで私に問いかけた。口の動きと音声が一致しないので、おそらく翻訳アプリを通したものだろうとわかった。


「お名前は」


「平良、太ひち」


「年齢は」


「じゅ、はち」


「出身地は」


「日本、こく、だねが島、セんター内、宿ちゃA、棟」


「職業は」


「特別、職こか、公務うぃん」


「皇帝種にあったか」


「こ、ていしゅ……?」


「結構です」


 男が去って行く。その足音だけが大きく聞こえた。人は聴覚から目覚め、そして最後に閉じるのだ、というのは本当らしい。


 もつれた舌が煩わしくて、下あごを何度か上下させた。眼球もうまく動かないのか非常に視野が狭い。鼻はチューブが挿入されていて、非常に不快感が強かった。


『こちらは、法務局です。避難希望者の方は質問にお答えください――』


 男とも女ともつかない機械音声が、こちらの都合もリズムも考えずに質問してくるのでうんざりした。これならさっきの怪しい男の方がましだったな、とすら思った。


 それにしても法務局が出てくるのはなぜだろう。遭難者を保護したのなら警察のような司法機関か、外務省の出番だろう。救助したのが軍事組織なら防衛省や参謀本部というものあり得る。


 法務局とは、内政に関わる許認可(法人の設立や免許にかかわる事務)を行うところで、外国人向けの行政サービスを行うとしたら、外国人登録と国内の諸免許の橋渡し事務程度のはずだった。


『まず、救助費用について――』


 さっそく金の話だとげんなりして、適当に頷いた。どうせ、一文無しだ。大使館に立て替えてもらおう。


『国際法上の規約により――国籍が――既に滅亡した国家――自動的に国籍――労役に付す』


 労役という言葉に不安を覚えた。捕虜扱いされるのか。もしかすると本国と敵対的な国家に保護されてしまったのかもしれない。味方も多い国だったが、その分、敵対国も多かった。


 特にユーラシア大陸の東半分は潜在的に敵と言って差し支えないだろう。すぐさま思い浮かぶ大国2つは陸地の領土も広い。おそらくそこに不時着したのか――


『諸手続き完了後、転院していただきます。その後、必要な教育を受けたうえで――』


 焦りで頭がはっきりしてきた。危機感は一番のカンフル剤だ。聞き流していた機械音声が、ことのほか重要なことを言っていることに気付いて、そちらに意識を集中する。


『コンファーム?』


 なんだって?


『コンファーム?』


 何を予約するのだ。もしかすると転院先の病院が選べたのだろうか。


 ロボットの胸附近にある9インチほどのモニタを注視し、そこに金髪の女性が映っているのを認めた。


 もしかすると次の病院の主治医を選べと言うのか。ああ、ならばこの美人に担当してもらいたいな。


「コンファーム、です」


『チェック』


 機械音声がそう言って、なにか聞き覚えのある「プルル」という音がした。


 モニタの女性が動き出し、居住まいを正すような動きをして話し出した。


『あたし、ルムエリッセ・フォン・キルヒホフって言います。エリって呼んでね。ずっとシェアメイトを募集してたんだけど、原産人だから相手が見つからなかったの。あなたと出会えてうれしいわ。住所は法務局から通知が届くから!』


 どうやらビデオ通話だったようである。先に言ってくれ。いや、言っていたのを私が聞き流したのか。


 言葉の意味が飲み込めない。まだ縺れてる舌を懸命に動かして「はい、よろしくお願いします」と応えた。


 シェアメイトと言っていたから、次の行き先はホスピスだろうか。だとすると、この快活な女の子は、なんらかの病気なのだろうか。スパイの収容施設、ということもあるか。あれだけの美人だから、諜報に重宝されただろう。


『いまは体を休めてね、手続きはあたしのほうでも手伝えるから――それじゃ!』


 喜びに(そうだと良いな)上気した頬を隠すように、顔に手を当てた彼女は画面の向こうに消えてしまった。空っぽの画面をしばらく見つめ、ロボのアクションを待つ。


『本日、午後の回診で転院先を決定します。移住支度金の貸与手続きは、キルヒホフ氏がすでに開始しています』


 そう言って去って行くロボに「あの」「ちょっと」「移住って」「支度金?」と問いかけたが返事はなかった。


 どうやらあの「コンファーム」で、すべて決済されてしまったようだ。


 私は再び見知らぬ天井を見上げ、襲ってくる睡魔に抗えず瞳を閉じた。


 


 午後、ドクター(の操作する遠隔ロボット)による診察を受け「中程度の冷凍睡眠中毒で腎機能が低下しているから、人工腎臓を埋設するね」と言われ、腕から白い液体を注射された。


「30日間機能するタイプだから、その後、便として出ます」


「はい」


「あと、民生局と法務局から社会規範セットと言語ナノマシンを預かってるから」


 いま飲んでね、と小さな小瓶を渡された。こっちは注射じゃないらしい。唇の動きと音がずれるので気持ち悪かったのだが、これで少しは改善するだろうか。


「社会規範追加セットは有料だけど――リージョン4までは買った方がいい――病院の売店にいくつか置いてる。支度金を貸してもらえたら是非」


 結構安いよ、と営業トークを受け「転院先は第101病院だから」とブルーベリーの味のする水溶液を飲み干した私に言って、ドクター(の操縦するロボ)は去って行った。水溶液は食堂に到達する前に、咽喉のあたりにしみ込んで消えた。


 101病院と言われて少し身構えた。有名なディストピア小説で、その主人公は101号室で折檻された。この世で最も恐ろしいものの詰まった部屋――それが101号室だ、と。やはりスパイ扱いされているのか、と気分が落ち込む。


 今飲んだ薬も、もしかしたら思想操作を可能とする薬品だったかもしれない。


 だが、対尋問訓練の通りなら、飲んだ方が安全なはずだった。反抗的な態度は寿命を縮め、機密漏洩のリスクを高める。もっとも、漏らせるだけの機密も持たないのが悲しい。殆ど使い捨てだったから。


 私の常識では、腕から注射できるレベルのナノマシン療法はまだ実用化されていなかったはずだ。あのドクターが投与したのは、おそらく識別用の放射性物質だろうとあたりを付けた。これで逃亡の夢も砕かれたわけだ。


 


「はぁ」


 盗聴されているだろうから、独り言も慎むべきだが、それを圧してため息が出た。


「誰か助けてくれないかな」


 口をついて出た言葉に、病室のアラームが鳴った。


『どうされました。どこか痛いですか』


 すっ飛んできた医務ロボットが問答無用でベッドに寝かせてきたので、やはり盗聴されていたのだ、と泣きたくなった。


 実は、音声認識型のナースコールが反応しただけだと知ったのは、随分後になってからである。

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