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3.サウナ

カクヨムにも連載中です。

https://kakuyomu.jp/works/16818792439238671619

 そして今、外宇宙歴1962年の8月だ。


「あなたの遺伝子グループ、増やしたくない?」


 エリの言葉に「そうだね」とこの国の国是に、取り合えず同意を示して、中身が空になると同時に縮小をはじめる圧縮食糧の容器をダストホールに放り込むと、ヴィクトリアを一口やった。


「まだナチュアムよね?」


 ナチュアム、とは遺伝子グループを持たない男性に対する言葉で、ナチュラル+アダムの造語だった。対義語はナチュエヴ(ナチュラル+エヴァ)である。


 


 人口減に端を発した危機を迎えた人類は、あまねく宇宙に自分の種子を遺そうと、様々な技術や制度を建て付けたが、人工子宮の開発、遺伝子治療、育児サポート、万全な義務教育、そして心身相性診断法の確立をもって完成した。優れた遺伝子グループを遺すと国家に貢献したとして、顕彰され、優遇措置もある。


 私のような移住者は、エリのような原産人(三代遡ってもサテライト人をこう呼ぶ)にとって、遺伝子の拡散をともに行うバディとして最高なのだという。


 実際、原産人の没個性的な形質や流行への参加の度合いを鑑みるに、遺伝子は相当に煮詰まってしまっているようであった。


「まだテストの通知がこないから、どうなんだろう。約束は出来ないよ」


「生殖遺伝子系統テストのこと? 移住して1年経過後、半年以内に行う、だっけ? せっついたらどう?」


「法務局に? 冗談」


 冷凍ポッドから助け出され、サングラスの男に訳の分からない尋問を受け、かつ生物的検査を行ったうえで国民として認定して貰った立場からすると、近寄り難い場所だった。


 同時に遺伝子テストを実施しないのは、子孫を遺す自由というのが国民の権利に属することであって、流民(これも差別語である)には、おいそれと与えない、という理由からだった。


「でも、前向きに検討してくれてるってことよね?」


「うん、それは間違いないよ」


 原産人は遺伝子を掛け合わせるという行為に、多大なロマンチズムを抱えていて、遺伝子グループ表の一番下に居ることを恥とすら思っているらしい。


 特に女性は医学の進歩の結果、生殖能力の残存年数が視覚化されてしまったこともあって、男性のそれとは違った焦りというものがあるのだろう。


「なんにせよ、焦ることじゃないよね。エリなら選べる側だろうし、私じゃなくてもいいじゃない」


 肘を引き上げて、マッチョマンのポーズをとる。世の男性たちは私よりも筋肉質で、男性的魅力にあふれているのだ。


「……1984年って小説、しってるわよね?」


 エリは渋い顔をして、大ぶりな胸を持ち上げるように腕を組んだ。


「うん、原産人は学校で習うらしいね。私は故郷の図書館で読んだ気がする。読書感想文で必要だったんだ」


 名作は色あせないというが、なんという息の長さだろうか。やはり、引用されるほどに原本は保存されるというのは本当らしい。


 あれを下敷きに書かれたディストピアは多いのだ。


「あれに出てくるレク男……キャベツ妻の旦那の方よ。あれが本当に気持ち悪くて」


「ああ……なるほどね」


 主人公の職場に、体育レクリエーション活動に熱心な男がいて、そいつがゴロっとした体でいつも汗臭く、しかもその妻がキャベツばかりを茹でるので、特異な不快臭を夫婦そろってまき散らしているのだ。


「どうしてもイメージが被っちゃってね」


「確かに映像化されると肥満体がマッチョの若手俳優になってたりするもんね」


 同じようにジュリア役にはエリのようなボリュウムのある美人が配役されることが多く、作中の彼女の役割や表向きの思想からすると皮肉でしかない。


「私が自由なミスター・ウィンストンになれるかは、法務局が決めることだからさ、ジュリアはちょっと待っててよ」


「……おかしな日記だけは書かないでね」


「はいはい」


 この世界はオーウェルの名著と驚くほど共通点が多い。社会主義を採用しているところもそうだし、国民に供する娯楽を制限しているところもそうだ。


 青年反セックス連盟ではないが、文化としてのエロスの消失を随分と以前に経ているので、ポルノは一切存在しないし、普段食べている飲食物には性欲を抑制し、気分を落ち着ける成分が含まれているので、コトに及ぼうとするものがまず存在しないのだ。


 なにせ、労務に出たものは男女関係なく衆目の中で裸になるのだから当然だ。そのたびにエレクチオンするようではどうにもならず、そのような常識が存在しない移民は窮屈な下着を与えられ、物理的矯正を受けることになる。


 そのため、街路で卑猥な言葉を叫んでも、その意味を知る人はない。ペニスをちんちんだの、ちんぼこだの呼んだところで、周囲はなんのことだろうと訝しむだけだし、壁の落書きの常連である女性器のマークは、きっと化け物の瞳だとしか思われないだろう。


 では街路で手淫をしたらどうなるか、と言えば、それは労務の内であるから、厚生局の技官ロボットが緊急走行で近づいてきて、それが男性ならば発射された物質を回収するし、それが女性ならば「無計画な発情は計画外排卵の原因になりますから、何卒ご自愛ください」と心配され、簡易診断と必要なら採取が行われる。そして決まりきったように「ご当番さまでした」とロボットは去ってゆくのである。


 このような始末だから、移民の居住地は、お互いにかなり離れているし、労務先も分けられているからか、私はほかの移民に出会ったことがないのである。


 


 ヴィクトリアのグラスを逆さにしてダイニングテーブルに置くと、瞬く間に洗浄され、乾燥され、テーブルの下のスペースに格納された。


 テーブルの表面はつるつるしたナノマシン塗料でコーティングされているので、30秒に一度、自動クリーニングされる。


 


「お風呂、一緒しましょ」


 以前、彼女に「裸の付き合い」の文化を話したことがある。


 移民が話す文化については、大部分が検閲され、大脳新皮質から排除する処置マインド・クリーニングがとられるものの、これはその対象にならなかったようである。


 曰く「裸の付き合いは罪なきことの相互証明だから、今後は常用文化(国民にインプットされる社会規範の文化部分)になるかもね。私は賛成」ということらしい。


 


 エリは緋色の瞳で中空をながめ――これは網膜コンソールを操作しているときにありがちだ――素早く瞬きした。


 きっとスチームサウナの準備をしているのだろう。お風呂と言えば蒸し風呂なのだ。


「今日もお話を聴かせてほしいの。あなたがここにたどり着くまでのお話を」


 初めからそっちが目的なんだろうな、と好奇心で満たされた瞳を見つめ返して「いいよ」と告げた。このような瞬間のエリは、本当に幼子じみているというか、そういう純真無垢さがあった。


 


 湯あたり予防の冷却ナノマシンを頭部に振りかけ、体は下湯をしてからお互いの頭が直角になるようにして、L字型ソファにうつぶせで寝っ転がった。


「今日は、私がアシモフ型冷凍睡眠に入る直前から話をしようかな」


 アシモフ型、とエリがオウム返しをする。彼女からするとアシモフ型冷凍睡眠は、技術的課題が大きすぎて、蘇生失敗の割合が高すぎる、危険なものだそうな。


「当時はそれが最新鋭だったんだよ。それも、運のよい、限られた人だけのね」


 私はそう言って過去の記憶を遡るために瞳を閉じた。


 


 西暦2010年に私は生まれた。日本の東京都というところだ。10歳ぐらいのころだったと記憶しているが、壊滅的な伝染病が流行し、世界が混乱を来した時、世界では沢山の国の国境線が変わった。


 それは戦争に拠らない国家の変容としては有史以来最大だったそうだ。


 私は国が推進した、労働者育成プログラムに参加させられて、多数の職業訓練を受けた。男も女もなく、人の役に立つ大人になるのだと厳しくされて、それを苦に自殺した友人もいた。


 疫病による急激な労働人口の減少によって、非労働人口の生活を支えることができなくなったから、社会は私たち若者を奴隷にすると決めたのだ。


「ひどいわ……」


「私の国は内需型でね。その内需には医療、介護のによるものが相当多かったんだ。それ故に、それらを切ることができなかった」


 この政策に私の両親をはじめとする子供を持つ親たちは、自らの子孫の行く先を不安視していた。その結果――


「外宇宙への避難?」


「表向きはね」


 最新鋭の冷凍睡眠技術を用いて、自分たちの子供を外宇宙に射出し、この乱れた世界か逃避させようとする運動が活発に行われ、各国の富裕層が、自己の商売と結び付けて、抽選であなたのお子様を宇宙へ避難させます、というキャンペーンを始めた。


 これは表向きのもので、実際は宇宙探索の国家事業だった。またもや人々は扇動されたのだ。すべての親たちが感じた不安も、子供たちの焦燥も、すべて計画的に醸成された雰囲気だったのだ。


 その内情も人身御供、人体実験というものだったが、本気で世界の崩壊を予感した人々はそれに縋り、つかの間の熱狂を迎えた。


 そして、父がロケット技術者だったこともあり、その冷凍睡眠に自らの息子を参加させることを決め、反対する母と祖母を振り切って、種子島宇宙センターから私は打ち上げられた。18歳の春のことだ。


「HAL?」


「性悪AIじゃないよ。春は四季の内、筆頭とも言える季節で、夏の前。啓蟄という虫や草花が冬を越え、萌え出る季節から数えて90日くらいを言うんだ。サクラはもともと春の風物詩なんだよ」


「寒暖差があるのね。今流行ってるチーク、サクラチークって言うのよ」


 あれがそうなんだ。


 パッケージの画像が送信されてきた。たしかに桜だった。色合いは完全に桃だが。


 


 M-ⅡZロケットは当時すでに珍しかった旧式固形燃料で、打ち上げ費用が比較的廉価だったこともあって、冷凍睡眠ポッド打ち上げ用にもってこいだった。片道切符だから、高価な装備は必要ない。


 私は体を何度も洗浄され、頭をや陰部の毛を全て剃りとられ、つるつるになってポッドに寝かされた。


 プロポフォールとフェンタニルの点滴をうけて、意識を手放した後は、外宇宙歴1961年に、このサテライト・ミューズの探査機に乗った労務者に保護されるまで眠っていた。


「千年以上もアシモフ型でね……前にも聞いた気がするけど、驚きね」


 現行の冷凍睡眠ポッドは50世紀を超えることができるらしいが、アシモフ型は理論値が5世紀ほどだったはずだ。


「当時もすごく驚かれたよ。ほとんどの冷凍ポッドは中身が崩壊していたらしいから」


 付属の原子力電池が品質的に長時間の稼働が難しかったこともあり、太陽光パネルが主電源だったモデルのみが冷凍状態を維持していたそうだ。その太陽光パネルも、破損したり火災で焼損したりで電圧不足を引き起こし、搭乗者が死亡している例が多かった。


 救出率は1%未満で、当時の責任者はとっくに死亡していたものの、外宇宙歴98年時点で被疑者死亡のまま起訴された。


「こっちの義務教育だと、その出来事は宇宙棄民と記載されていたと思うわ」


「私の立場からすると、命からがらの脱出なんだけどね」


 視点が変わるとそうなるのか、と複雑な気持だ。




「学校でのことを教えて?」


「うん」


 13歳になるまでは、普通の義務教育、小学校というところで初等教育を受けた。


 毎年春になると遠足へ行ったり、夏にはプール、冬にはスキーの授業があって楽しかった。


「スキィ?」


「雪、という氷の細かい結晶が降り積もったところを、細長い板を脚につけて、ストックという杖を2本持って、傾斜を滑るんだ」


「楽しそう!」


「楽しかったよ。寒いし何度も転ぶけど、上手くなるとね、胸のところにワッペンを貰えたんだ。私もジュニア上級ワッペンを貰って喜んだよ」


 彼女がわくわくした顔で、雪、見てみたいわね、と呟いた。


 この辺りの宙域は、水が存在する惑星がないため、雪とは縁遠いのだろう。


「私の故郷は、地球でもたくさんの雪が降るとされる地域でね。夏は灼熱だし、ほんと、あんなところで豊かに暮らしていたのが不思議だよ」


「ナツとフユでそんなに違うの?」


「夏は40℃、冬は-8℃くらいまで下がるよ」


「……天候操作ドームはあったわよね?」


「無いよ。あったらみんな喜んだろうなぁ」


「あなたがアシモフ型で千年を越えてきた理由がわかったわ」


「人を超人みたいに言わないでよ」


「いいえ、あなた凄いわ。スーパーマンよ」


 信じられない、とエリが見ざるのサルの様に両目を隠した。こっちではよくやるジェスチャーの一つで、本来の意味は「了解できない」である。


 そこからが地獄の始まりで、地元の中学校が、中高一貫の労働者養成プログラム校に改組され、男子は制服は与えられず、毎日つなぎを着て登校して、厳しく指導された。


 基礎教養科目は英語、数学、生物、化学、物理のみで理系に偏っていて、国語や社会は自助努力とされた。体育は車両運転実習と建築、土木、測量などの実習にあてられ、午後はIT、AIなどの実習にあてられた。


「楽しくなさそうね」


「朝から晩まで殴られて、授業ごとに小テストがあって、下位10人になると次の食事が出ないんだ」


 栄養失調で体調を崩し、授業を受けられず、そのまま死んだ後輩がいた。


「労働者を育てるのが目的なのに、なぜその若者を苦しめるの?」


 高度に報酬型の今の労役からは考えられないのだろう、彼女の瞳に怒りが燃えているのが分かった。


「……私の国の教育者というのは、そういった犠牲を美しいものと考えるきらいがあったんだよ。これは、経済崩壊以前からそうだったよ」


 聖域、そう呼ばれなくなって久しかったはずなのに、内部の人々の意識は変わらないままだったのだ。


「でも、結局その教育者たちは死んだのよね」


「たぶんね」


 完全配給制移行後、すべてゼロベースになった職務とそれに応じた配給の振り分けに、厳しい思想テストがあったということは、ポッドから目覚めた後に、データの導入措置を受けたので知っている。


 教職員、警察職員、財務・税務公官庁職員、宗教関係者などがことごとく落選したそうだ。ここぞとばかりに復讐したものがいたのだろう。


 


「そして卒業……上から数えて4番目の成績だったかな。労働者勲章っていうのを貰った気がするけど、あまり嬉しくなかったね」


「そんな厳しいところで頑張れるあなたって、本当にスーパーマンよ」


「今思うとそんな気もしてきた」


 あの勲章があったから、もしかするとほかの誰かのポッドの順番を奪ってしまっていたかもしれない。そう考えると、あの鈍色がもっと憎いように感じてきた。


「それで、宇宙に?」


「うん」


 実は仕事の内としてポッドに搭乗したので、私はまだ職務中の扱いなのかもしれない。もっとも、それを命じた政府は、既に存在していないのだが。


「もしかして、法務局がなかなかテストを受けさせないのって、それが原因なんじゃないの?」


 どう関係するのかわからなくて、寝そべったまま首をかしげてしまった。


「えっとね……ああ、あった」


 データが飛んできた。


 労役候補者取り扱い基本法第390条28項。他の政治体制並びに宗教、地域の代表あるいはその代理人からの使命をおびて公務中であるものが、その職務の最中に移民を希望あるいは移民する場合においては、婚姻と生殖に関わる一切をサテライトに申請できないものとする、とある。


 根拠、新宇宙条約、人的資源に関わる条約並びに公務中の公務員とその家族の待遇に関わる条約、ともある。


 人口減時代に、人材の横取り、不穏分子の侵入を排除するために制定されたらしい。移民を希望するという形式は、手引するものに対する警戒か。


「まさか」


「そのまさか、かもしれないじゃないの」


 既に消滅した国家は云々、という文言が見受けられないから、というのがエリの主張だった。


「それが事実だとして、どうやってやめたものかな」


「やっぱり法務局で尋ねるのがはやいわよ。明日、私もついて行くから、一緒に行きましょう。決定!」


 もしかした退職金とかもらえるかもね、と冗談めかす彼女に、夢は大きいほうがいいね、と適当に頷いておいた。こうなっては従うほかないのは、この一年のシェアハウス生活で学んだことの一つである。

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