17.水の星
三発機シャトル、ヘーシュリッヒ・エンチェン号は、真紅の船体を持ち前の快速で駆け、宇宙の闇を切り裂き進む。
小型シャトルとしては破格の大型エンジンで圧縮された恒星間物質を船尾の三つのマズルから噴き出して進む宇宙船は、アナが個人所有し、普段はチャーター便会社にレンタルして、対価を受け取っているのだという。
「稼ぎ時でしょう? よかったの?」
早速供された機内食にフォークを突き立てながら、エリが問うと、アナは「法定メンテナンス後の試運転を兼ねていますから、これも利益です」と答え、同じように機内食を食べ始めた。デナリウス。
「それに、高速タイプは引っ越しには向きませんし――ほら、ご覧になってください」
アナが指さす窓の先に、宇宙艦隊が演習しているのだろうか、艦隊運動を繰り返し、最後に中性子の大ぶりな刀を何度か振りかざして、目標だろうか、それを焼き切った。
「こちらを見ていただきたくて」
「へぇ、朔日にやるのね」
宇宙艦隊の演習は、通常、国民が労役から解放された後にはじまるため、宇宙空間に特に用事がなければ見学することもできない。良い機会と機会をくれたのだろう。
「毎月朔日に最初の演習が、その結果を受けて15日に再度同じ演習を行います」
「ロボット兵の最適化のためね」
「そうです」
それぞれに搭載されたAIを鍛えることで、指令を受け取った後の行動が迅速になるという効果があるらしい。
私は話に加わらず、宇宙艦隊の行動をじぃっと観察していた。SFアニメでしか見られない宇宙艦隊というものを、目に焼き付けているのだ。特に、中性子カットラス剣による斬撃は、その迫力に声が出た。
「お喜びいただけで、よかったです」
「ありがとうアナさん。いいものが観れた」
「私も良いものが観られましたよ」
軽く笑ってアナ目配せした。エリは「そうね」と微笑んだ。どうやら私を観察していたらしい。
「あなたも子どものようにはしゃぐことがあるのね」
私が最終的に宇宙への射出に志願したもの、こういったものに憧れていたからだ。
宇宙空間に出て、ああしよう、こうしようと考えない人間は当時いなかった。
「宇宙への憧憬ですか」
「西暦の人類が皇帝種に従ったのも、そのせいなのかもね」
エリの指摘は適当だと思う。
当時の地球人のほとんどが、宇宙船を見せつけられ、神々しい声で「我宇宙人」と言われたなら、それをどこか神の言葉めいて受け取るだろう確信がある。
そこで怒りをあらわにして「何言ってやがる帰れ」と言える人がどれだけいただろう。少なくとも日本ではそのような声は上がらなかったはずだ。従うことが得意な質だから、きっと亥の一番に手を挙げただろう。
「そのおかげで豊かさというものがありますから、ありがたいものですね。平良さんは機内食を召し上がらないのですか?」
「ごめん、ドーナツでお腹いっぱいなんだ」
機内食にも興味はあったが、この後すぐに短時間低温睡眠ベッドで眠らなければならない。ワープ突入時の酔いを防止するには、一にも二にも睡眠状態であることが重要なのだ。
「胃もたれしちゃうと眠れないから。腹八分目だよ」
「満腹の方がよく眠れると思うけど、まぁ個人差よね」
エリは満腹派らしい。たくさん食べているのはそのせいか。チキンステーキがするする無くなって行く。
「私も沢山食べないと眠れない質でして……秘密ですよ?」
スレンダーな体系に似合わず、健啖家らしい彼女は、ウェルダンに焼かれたビーフステーキを一度お代わりしている。
白米のような炭水化物ならいざ知らず、動物性タンパク質の塊を大食い出来るのは体が丈夫な証拠だ。
男らの上半身の大きさもそうだが、根本的に栄養を蓄えたり、消費したりの機構がことなるのではないかとすら思えてくる。
労役不適格者(老人や子ども)に提供される三食+嗜好品のセットが、2300キロカロリーを数えるのも驚いたが、それでもなお必要最低限らしいので、子どもは別途、保護者が支弁した食料や嗜好品を摂取するのだという。
『ご搭乗のみなさま、こちら機長です。ワープ待機経路に入りました。睡眠サインを点灯しますので、それぞれのお席をベッドモードにしていただき、安息カプセルをご服用くださいますよう、おねがいします』
室内等が暗くなり、ガイノイドが食事のあまりや容器を片付けて回る。
「ちょうど満腹だし、寝るわ」
早々とエリがベッドに変形させた席に横になり、安眠カプセルと口腔ケアタブレットを一緒に口に放り込んだ。
体力、精神共に強靭な彼女は「さぁ寝よう」と意識するだけですぐに眠れるらしい。
「うらやましい」
職業柄脳を酷使するためか寝つきが悪いというアナは、その姿をみてそう呟いた。
「私も寝つきは良くないよ。また千年後に目覚めるかとおもうとね」
これは洒落ではなく、時折そうした不安に襲われて眠れなくなることがあるのだ。
エリ曰く「あたしがシャトルで拾いに行くから心配しないで」だそうだが、それはそれで心配なのである。
安眠カプセルを口に放り込むと、微かに柑橘類の苦甘い味がした。アナは倍量を服用する様だ。もしかすると常習しているのかもしれない。
「――その時は」
軽く微睡はじめ、声の方向に自然と意識が集中する。
「私が起こして差し上げますわ――」
いつの間にか鼻先に迫っていたアナの顔面。その小さな唇が、ちゅ、と音を立てて自分の唇から離れた。
甘い女の匂いに混じって、微かにビーフステーキのソースの匂いもした。
「眠り姫は王子のキスで目覚める、でしたね」
これから眠るのだけど――と声をあげようとして、意識が混濁した。入眠したのだった。
また夢を見ているのか。
体はふわり、と宙に浮かび、体温と同じ海水に漬かっているような感覚だった。
視界を下に向けて、遠かったはずの近づいてきたそれを見遣る。
視線の先、その豪奢な宮殿には、ローマ人のような恰好をした青白い髪の人々が歓呼の声をあげ、酒杯を掲げている。
掲げた祝杯を、乳白色の水を湛える噴水に投げ入れている。何らかの儀式だろうか。
「我らが地球。新たなる母へ!」
乾杯の音頭が何度も何度も繰り返される。
「我らが父祖の地。永遠の地!」
乾杯の音頭が何度も何度も繰り返される。
そして山となったグラスが乳白色の水から顔をだしたとき、頭に月桂冠を戴く一人が、ひときわ大きな声を張り上げた。
「我ら流浪の民に、あらたなる地を恵み給う、心優しき人類に! 乾杯!」
笑い声が響いた。歓喜というよりは、嘲笑の色を孕んでいる。
「誰だ!」
人の輪の外側で同じように笑っていた男が、酒杯を干すために上を見上げたとき、私と目が合った。
「逃げて」
慌てる私の耳にその言葉が飛び込んできたとき、体が急上昇して一気に覚醒した。
は――はぁ、は。
瞼が重たい。体が冷たい。冷凍ポッドの中だろうか。薄暗い天井には悪い思い出しかない。
「平良さん?」
う、と声をあげた。青白い髪に危機感を感じて顔を背けようとする。
「宇宙酔いかもしれませんね」
「起こすわよ。ベッド、温度上昇」
エリの声だ。一気に安心した。その証拠に温かくなりつつある。体も動かせる。
「はぁ、は、は」
「ちょっと、平気?」
「ああ、うん……ごめん」
「謝らなくていい。宇宙船なんてあなたにとって未知の塊だもの」
エリの言葉にアナが応じて「幼年期からことあるごとに宇宙に出かけている私たちと同じ尺度で考えておりました。申し訳ありません」
アナの済まなそうな声に、私は必死に首を横に振って「いや、そうじゃないんだ。変な夢をみただけで。たまにあるんだ」と支離滅裂になったがなんとか言い切った。
「麻酔薬で眠らされて、冷凍されて眠っていた時にみた夢が、たまにぶり返してくる」
いつの間にか柔らかな椅子の形に変わったベッドに腰掛けて、暖かな煎茶を差し出されたので受け取った。エリがたまに興味深そうに眺めていたから、覚えていてくれたらしい。私以外に飲む人は居るのだろうか。
「ワープは既に終了しましたので、座位でもかまいません。重ねてお詫び申し上げます」
「ああ、本当に気にしないで。俺を宇宙にほっといた奴らが悪いんだから」
ふぅぅ、とそれほど熱くない煎茶の水面を吹くと、一口やった。
ふと、二人が私の顔を覗き込んでいるのに気付いて、慌てて視線を戻した。
「もう大丈夫だよ」
「本当……?」
エリの眉毛が8時20分になっている。訝し気な顔だ。
「本当だって」
太くない腕に精一杯力を込めて、マッチョマンのポーズをしてみせる。情けない二の腕だが、ないよりいいだろう。
「気付いていらっしゃらないのですね」
「あたしも初めて聞いたわよ。俺、なんて」
なんだろう、と記憶を手繰るが白い霧のなかにあるように少し前の会話すら辿れなかった。
不安げな彼女たちの視線から逃げるように、機窓から外を眺めた。
遠く、緑と白の惑星が視えた。あれが領土惑星だろうか。もう少し青くて大陸がちだったなら、地球とそっくりだな、という感想を抱いた。
機長を務めるロボット曰く『体調が安定するまで機内に居たほうが安全』というので遊覧飛行が始まった。
エリも「恒星が観たい」というので結構な時間を飛んだ。
水のある惑星が存在するということは、その公転の中心に、偉大な恒星が鎮座まします、ということであり、その輝きは三代原産人(養父母を入れるとなんと六代)の彼女にとってちょっとした憧れであって、天然の恒星産紫外線というものを浴びたことが無いという。
赤々とフレアを噴き上げるそれに、彼女は「うわぁ」とか「すごい。情熱的」と独特の感性で感想を述べた。
流石にフレア火の輪くぐりを所望したときは、アナでさえ「いや無理でしょう」と真顔だったが。
「大気圏内から見ると、白っぽいのに不思議ですよね」
アナが領土惑星からの恒星の眺めを言うと、エリが首をピンと伸ばして興味を示した。自然大気も初めてだ。
「そうなの? 楽しみ」
そろそろ耐熱温度の限界だ、と航路を領土惑星に向け、恒星と領土惑星の間にある水銀色に輝く惑星を一周した。私はこちらの方が興奮を覚えた。
SFの名作で、たびたび激戦地となった要塞の見た目にそっくりだったからだ。
「水銀要塞だ」
魔術師の城。民主主義の砦。
ちょうど私たちは雷神の戦槌の射程に居るだろう。かの国の艦隊が感じた絶望の距離を私はいま感じているのだ。
「元気になられましたね」
「そうね」
薄く、シャトルの影が水銀の表面に映る。恒星とシャトルとが直列に並んだらしい。こうもはっきり映るところ、大気は存在しないのだな、と理解した。
「残念ながら、あの惑星はすぐに乾いてしまうでしょう」
「液体金属は短命よね」
隕石などで補充が無い限りは、恒星の熱で加熱されつづけるため内側から沸騰するのだ。沸き上がった金属は、宇宙空間に霧散する。残るのは岩石の味気ない風景だろう。
「綺麗だな……」
戦略的価値のみならず、これは宇宙に浮かぶ宝石だろう。だれだって欲しくなる。
「ええ、そうですね」
女性陣からするとアルミホイルで作ったボールでしかないだろうそれを、私はその場を離れるまでの間、見つめ続けた。
『着陸態勢に入ります。お席におかけになり、シートベルトをしめ、ご飲食物等は回収させていただきます』
アナウンスの直後、ガイノイドが席を回ってエリの食べていたジャーキーの入れ物、アナの飲んでいたラテを回収した。煎茶の容器は既に返却済みだった。
大気圏への侵入は私の予想を裏切って、超光速度のまま、船首を地表に向けてまっすぐに向かって行く。その方が摩擦熱による影響を最小限に出来るらしい。
重力の変化は装置が解決してしまうから、体の向きは勘定に入れなくてよい。ならば確かにこうするかな、という納得の理由は、人間は正面以外への方向へ高速で動くと不安になるからなのだ。
バンジージャンプなども、頭が下のほうが心拍数の上昇が少ないというデータもあるし、よく考えたら人間は頭を下にして生まれてくるのだから、脳はそれが善いと受け取るのも当然の理屈だろう。
『機体が水平になりますと、自然重力に切り替わります。ご注意ください』
自然重力――いつぶりだろうか。エリは初めてらしい。
「ご不安でしょうが、平気ですよ。何も変わりません」
「理屈はわかってるんだけどね」
エリもちょっと不安そうだ。莫大な質量を根拠とした重力は、多くの原産人からするとそれは深刻な災害発生の枕詞だ。棒大質量の接近により発生した重力で――という風に。
考えている間に、股間がひゅん、とした。
女性二人は何も感じていないようだった。
『到着しました。船殻の冷却を開始します』
機窓を見遣って、鬱蒼とした黒い森の近傍にある滑走路だとわかった。反対側の窓からは、大きなログハウスが見える。
「ようこそ我が領土、ヘルマプロディートスへ。歓迎します、御二方」
アナが立ち上がり、左手を広げて大仰な礼をする。これがエリートの礼節だ、と言わんばかりの芝居がかった動きだった。女子高生の姿でなければ格好がついただろう。演劇部の三年生って感じだ。
「お招きに感謝します」
エリがいうと、私も続いた。
「では、参りましょう――」
同時にドアが開き、タラップが展開すると、濃密な森の匂いが鼻孔を擽った。