0.プロローグ
カクヨムにて先行連載中です。
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足裏電磁石の不均一がそうさせるのだろう、腰のコリを強く感じながら、作業服の内側を満たしていた空気を排出した。
何度も何度も再利用され、独特の酸味を帯びた空気を手で払って、待機チャンバーのハッチの操作パネルに一跳躍で取りついた。
両側に掴まっていられるようにする黄色のハンドルが生えていて、非光沢の画面を二度タップしてUIを呼び出した。
「ハッチ開放」
マイクの表示された画面に、そう命じた。男とも女ともつかない声のAIが応じる。
『与圧確認。ハッチ開放。コンファーム?』
「コンファーム」
ビィー、と警報が鳴って、直径5メートルの円形のハッチのロックが解除されたのを確認して、油圧によるアシストを受けながら3トンにも及ぶ重さの扉を開け放った。
『ハッチから保安距離を確保してください。ハッチから保安距――ハッチ閉塞。ハッチ閉――』
ビィー、ともう一度警報が鳴って、AIが沈黙すると同時にハッチがロックされた。
肩越しにそれを確認して、人工重力が制御する長細いオートウォークを歩いた。
この無駄に長い廊下も、非常時に避難民を一時受け入れするためのバッファーであって、必要だとは思うけれど、仕事上がりの疲れた体には億劫だった。安全工学というのは、時として人を苛むのだ。
途中すれ違った同業者に「ご安全に」と拳を突き出すように手をあげつつ挨拶して「ご当番さまでした」と返礼を受けた。
昼も夜もない宙域では、このように挨拶するのがマナーである。
日系人のやる、いつでも「おはようございます」は太陽信仰の匂いをさせるからと廃れ「お疲れ様です・ご苦労様です」は疲れさせる・苦労させるの関係が地球時代的として廃れた。
代わって相手の安全を祈る「ご安全に」と労務(宇宙空間にある仕事はすべて公務で当番制)に報いるに「ご当番様でした」という挨拶が誕生したのである。
しかし、この挨拶を万人が用いるわけではなく「宇宙空間では孔という孔を塞ぐべし」「酸素の消費を減らすべし」と沈黙を是とする文化もあり、軽く手をあげる・振るだけの挨拶も主流だ。
実際、満6歳になる年からはじまる14年にも及ぶ宇宙での義務教育では、それがスタンダードとして扱われているらしい。
音に拠らないコミュニケーションを是とするのも、宇宙特有かもしれない。
私なんかは「音の通るところでは音を使うのも良いのではないか」と思っている質で、作業服越しでも口の動きは見えるのだから、両方やったらいいだろう、と普段から実践しているのである。
たっぷり十分もオートウォークの上に居て、やっと目的地――その入口に辿りついた。
私の姿形を瞬く間にスキャンした多数の監視カメラとそのAIが『おかえりなさいませ』というので「ただいま」と返した。この挨拶だけはいまも通用する。
開かれた両開きのドアの先に、煌々と光り輝く街の明かり、空中を行き交う新交通システム、そして貫頭衣の人々が行きかっているのが視えた。それは、すべて私の下の方に広がった景色で、透き通った分厚いガラス越しにそれを眺めているのである。
目の前に小さなプロペラで飛ぶ、ラジコンヘリコがやってきて『お着換えです』と私の前でホバリングしたので、躊躇なくそのガラスに手を突っ込み、ひんやりとする空間で吊り下げられた箱を受け取った。
その場で作業着を脱いで裸になり、やたら締め付ける面積の大きい下着を身に着けて貫頭衣を頭からすっぽりかぶって、腰ひもを締めた。
裸体を晒すのは、労務中に何らかを拾得したのではない、という証明でもあったし、それが浸透しているため裸を恥ずかしがると不審がられる。
脱いだ作業着を箱に入れ、再びガラスに手を突っ込んでヘリコに吊り下げた。ちなみにヘリコが飛んでいるのは宇宙空間で、もちろんプロペラはギミックだ。危ないから近づきすぎるな、というのを回転するブレードと音で表現しているのだ。
貫頭衣はすべすべとしていて肌触りが良く、若干光沢のあるグレーだ。たしか、再生材料をつかっていると聞いたことがあるが、何の再生材料なのかは知らない。
着用して不快感がない代わりに、ポケットなどの機能的な部分は排除されていて、本当に身にまとうだけの布である。デザイン性などは全く感じさせない簡素な見た目で、行き過ぎたユニセックスだな、という感想を幾度となく抱いた。足元は薄い透き通ったゴムの靴下のようなもののみで、草履や靴は与えられない。
そうだ、たしかこの服は地球時代のスペインの囚人の被服がモデルであることが国民に露見して、これを国民服として制定した当時の共和国首相が、尊厳凌辱罪でフリーズドライ刑に処されていたはずだ。
下りのエスカレーターに乗り込み、光り輝く街へ真っ黒な宇宙空間を進む。
こうして通路が透明に作ってあるのは、審美的な意味ではなく、国民が宇宙への恐怖を麻痺させるための仕組みなのだという。私も最初は怖くて足がすくんだが、恥、といものがあるので、すぐに慣れたふりをするはめになった。
実は今でも怖くて、穿刺を怖がる子供の様に、煌々とひかる街の方しか視ないので、手が白むまで手すりをしっかり握っているのである。