特別災害対策庁
ビル群の谷間を風がすり抜けていく。
どこか遠くで、救急車のサイレンが微かに鳴っていた。
俺は旬祢くんに連れられ(ほぼ連行だが)、人気の少ない場所に建つ高層ビルの前に立っていた。
「でっけぇ……」
目の前の高層ビルは、灰色一色で窓も少ない。外界との関わりを拒んでいるような、不気味な静けさをまとっていた。
旬祢くんは無言のまま、職員用の出入り口へと向かい、手慣れた動作で認証キーをかざす。
数秒後、鈍い音を立てて扉が開いた。
無機質な建物の中へと足を踏み入れると、ひんやりとした空気に思わず鳥肌が立った。
「……なんか、場違いなとこ来ちゃった気がするんだけど」
周りを見渡すと整然と並ぶ柱、静まり返った空間。粛々とした雰囲気が漂うロビーが広がっている。
まるで誰かに監視されているような緊張感があって……落ち着かない。
「俺、めちゃくちゃ部外者だよね? 大丈夫?」
畏れ多さから後退しようとする俺の肩は反対方向に圧をかけられて、むしろ押し返された。
「心配するな。俺が通してる」
「いやいやいや、通されていい場所じゃないだろこれ!?」
抵抗をするもぐいぐいと押し進められながらエレベーターに乗り込むと、京弥は迷いなく地下階のボタンを押す。
(旬祢くん馬鹿力過ぎない……!?)
非力な俺は、目の前で静かに閉まっていく扉をただぼんやりと見つめることしかできなかった。
どんどん遠ざかる地上。
耳への圧が強くなっていくにつれて、「もう地上には戻れないんじゃないか」という思いが強まっていく。
(え、俺監禁される? この薄暗い中で!?)
「ここは“特災庁”。政府が設立した特殊災害対策機関だ」
まるで心を読まれたかのようなタイミングに、口を大きく開いたまま問いを投げた。
「災害って、地震とか?」
「違う、祟りだ。お前がさっき見たような、ああいう普通じゃない現象を扱ってる」
“普通じゃない”──その言葉を聞いて、俺は教室や商店街での出来事を思い返した。
あの歪んだ空気、変貌した男。そして、呑まれた彼女。
「表向きは“災害対策センター”って名目だが、実態を知る人間は限られてる」
その淡々とした声には確かな重みがあった。
「ここに足を踏み入れた時点で、お前はもう戻れない、ってことだ」
「……で、俺何されんの?」
「試験だ。お前の“適性”を調べる、な」
含みのある言葉に、思わず俺の喉はごくりと鳴った。
その瞬間、エレベーターから軽やかな電子音が鳴り、ゆっくりと扉が開く。
正面には薄闇に沈む無機質な廊下が果てなく伸びていた。
冷えきった空気、機械的な足音。
突然旬祢くんの足が止まったかと思うと、ある一室の前で立ち止まった。
目の前の彼はガラス扉をじっと見つめている。
【祟感耐性試験室
Authorized Personnel Only 】
それに倣うように俺もガラス扉を見る。が、文字を全てを読み上げるよりも早く、扉のロックがカチリ、と音を立てて外れた。
同時に、奥から白衣を着た女性がひょっこりと顔を出した。
「お待ちしてました京弥さん!それと……彼が対象者ですね?」
声をかけてきたのは、理知的な雰囲気を纏った小柄な女性。茶髪を後ろで一つにまとめ、タブレットを片手に小走りでこちらに向かってくる。
「折笠、紹介する。こいつは鷹森 紗和。特災庁の技術班で、試験装置の調整担当だ」
「鷹森です。よろしく、かな?」
「お、折笠 晃太郎です!」
俺は緊張から深々と頭を垂れる。その視線は忙しなく四方八方を泳いでいた。まるで初めて入院を控えた患者のような緊張ぶりに、頭上からは「ぷっ」という笑いを堪えたような声が聞こえる。
「そんなに警戒しなくて大丈夫だよ。とはいえ、軽〜い試験ってわけでもないけどね」
和やかな笑みを浮かべながらタブレットを手早く操作すると、【祟感試験】と書かれた画面をこちらに向けた。
「この試験では、VR祟感インターフェースを使って、あなたの“精神耐性”を測定します。簡単に言えば、祟りの瘴気に触れたときに自我をどれだけ保てるか、どこまで呑まれずにいられるか、ってことかな」
「……え、VRで祟りを見るんですか?」
「うん、けっこうリアルにね。多分折笠くんが思ってる倍以上に」
口調こそ優しいものの、言葉の節々は淡々としていて、それが余計に晃太郎の不安を煽った。
「正直、どうなるかは私もわからない。人によっては、錯乱したり、記憶が飛んだり、稀に戻ってこられなくなることもあるけど……」
「……んん?」
「でも、大丈夫!そう簡単には壊れないって私は信じてるから!」
「ちょ、ちょっと待ってください!?なんでそんな怖がらせるんですか!?」
あまりにも不穏すぎる発言に、俺の声は弱々しさを増す。それを見ていた旬祢くんが、慰撫するように口を開いた。
「でも、逃げなかっただろ。あの時」
「……あの時?」
「祟りを見て。あんな状況でも、踏みとどまった。それが全てではないが──十分な理由にはなる」
俺は開きっぱなしだった口を閉じて、忌まわしい記憶を辿っていく。
あの時の俺は──その場を離れなかった。
……いや、離れられなかった。
あれはなぜだったのか。答えはまだ出せていない。でも、その答えを見つけなくてはいけない気がした。
「……わかりました。やります」
そう答えた俺の声はまだ震え混じりだったが、確実に変わったのは決意と意志が宿っていること。
鷹森さんは小さく頷くと、背後にあるドアを開いた。
「では、こちらへ。装置はすでに起動済みです」
「 お前次第だ。……生きて帰ってこいよ」
俺の肩をぽん、と叩いた旬祢くんの言葉に答えるように、深呼吸をしてから首を縦に振った。